2020年12月24日木曜日

年賀状の準備をせねば・・・

 

年賀状の時期ですね

・・・そーですね
ほ?
えと・・・準備できているんでしょうか?
・・・そーですね
なんとゆーかですね
(・・・準備できてないんですね)
あらあら~
間に合うのかしら~
間に合わせルンバ!
ガンバルンバ!















2020年12月13日日曜日

【糯米】中新糯40号~こがねもち(みやこがねもち)~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『中新糯40号』
品種名
 『こがねもち』(宮城県産地品種銘柄名『みやこがねもち』)
育成年
 『昭和32年(1957年) 新潟県農業試験場長岡本場(交配:新潟県農事試験場中条試験地)』
交配組合せ
 『信濃糯3号×農林17号』
主要生産地
 『新潟県、宮城県』
分類
 『糯米』

こがねもちだよ、そろそろ楽したいものだがね





どんな娘?

利発な年上のお姉さんキャラ。(糯米三太夫の中では3番目の地位ながら、一番年上)

米のエリート新潟県出身で、物事はきっぱりと決めたがり、曖昧な判断は嫌い。
宮城県に行くと別途名字(名字ではないが)がつくようになり(『みやこがねもち』)、国の統計でも別途扱いされているが、あくまでも同一人物。
コシヒカリと同世代で、現役で親しく且つ対等な立場で話せる数少ない現役古参の一人。


概要

昭和36年(1961年)から昭和57年(1982年)までの間、もち米の作付面積第1位であった古豪、『こがねもち』の擬人化です。(実際は『みやこがねもち』の面積を足すともっと長い期間1位独占)
栽培特性の弱点は多いものの、その糯品質は『ヒメノモチ』よりも一段上とも言われ、生産量が衰えないことがそれを証明していると言えるでしょうか。
餅質は硬くなり易い性質を有しており、加工のしやすさから包装餅用などとして工業生産用の需要が大きいとされています。
反面、和菓子用のような柔らかさの持続が必要な用途には向かないとされています。


新潟・福島以北の東北地方、及び茨城・山梨などで栽培されていますが、米王国である新潟県の代表的糯品種となっており、生産の6~7割(『みやこがねもち』除く)を新潟県が占めています。
(平成27年(2015年)に『ゆきみのり』が登場して少し生産量が減りました。)

昭和33年から現在に至るまで統計に登場する宮城県産『みやこがねもち』は、宮城県における『こがねもち』の産地品種銘柄設定名です。
宮城県だけが用いている独自の呼称で、品種としては同じ『こがねもち』です。

育成地における熟期は中生~晩生の早。
穂数は少ないものの、一穂重が重い「偏穂数型」の品種です。
稃先色は「淡褐色」で通常粳品種との外観による判別が可能です。
稈は太いものの、長く(稈長約80~90cm)もろいために倒れやすく、耐倒伏性は「弱」。
葉いもち・穂いもち病及び白葉枯病への耐性は「弱」とこれもまた弱いです。
いもち病真性抵抗性遺伝子型は【Pia】と推定されます。
耐冷性も「弱」の部類に入り、穂発芽性も「易」のため、栽培特性はかなり欠点が多い品種といえます。


育種経過

『こがねもち』の育種は、昭和18年(1943年)新潟県農事試験場中条試験地の交配から始まりました。
母本は『信濃糯3号』で、父本は粳品種の『農林17号』です。

太平洋戦争末期ながら育種は継続されたようで、昭和19年(1944年)にF1、昭和20年(1945年)にF2養成が行われます。
F2の段階で糯個体の選抜が行われたものと推測されます。

本格的な選抜が始まったのは昭和21年(1946年)F3世代からです。
25系統(『620』~『644』)として、各系統60個体を播種し、その中から3系統を選抜。
昭和22年(1947年)F4世代は3系統群20系統(『416』~『435』)から前年と同じく3系統を選抜。
昭和23年(1948年)F5世代は3系統群15系統(『834』~『848』)を設定、各系統60個体を播種し、3系統を選抜。

昭和24年(1949年)F6世代は3系統群15系統(『923』~『937』)を設定、各系統60個体を播種し2系統を選抜。
昭和25年(1950年)F7世代は2系統群20系統(『807』~『826』各60個体)から5系統を選抜。

昭和26年(1951年)F8世代において『中新糯40号』の地方系統名が付され、この年から試験地が中条試験地から新潟県農業試験場(昭和25年改名)長岡本場に移されます。
この年は5系統群50系統(『1751』~『1800』各90個体)から5系統を選抜しています。

以後、前述したとおり長岡本場で固定が図られ
昭和27年(1952年)F9世代は5系統群25系統(『1』~『25』各90個体)から2系統を選抜。
昭和28年(1953年)F10世代は2系統群15系統(『1』~『15』各90個体)から1系統を選抜。
昭和29年(1954年)F11世代は1系統群10系統(『1』~『10』各90個体)から2系統を選抜。
昭和30年(1955年)F12世代は2系統群10系統(『1』~『10』各90個体)から1系統を選抜。

そして昭和31年(1956年)F13世代において『こがねもち』と命名され、生産力検定試験及び各種の特性検定試験(一部は昭和30年から実施)を行い、さらに県下各地において地方適否を確かめる試験栽培を行い、結果優良であると認められました。
糯質は従来品種と変わらぬものの優良、耐病性は総じて弱い部類に入りましたが、収量性の高さは際だったものでした。(F13世代、及び昭和32年(1957年)F14世代は1系統群10系統、各系統90個体を播種し、1系統を選抜。)

そして昭和33年(1958年)、新潟県の奨励品種として編入され、一時は作付面積1位になり、平成・令和の世まで主力糯品種として続いていくことになります。



系譜図
中新糯40号『こがねもち(みやこがねもち)』系譜図




参考文献

〇新潟県農業試験場研究報告(9) 水稲新品種「こがねもち」:新潟県農業試験場
〇ラピッド・ビスコ・アナライザー(RVA)による滋賀県育成糯系統の加工適性に関する評価:滋賀県農業試験場研究報告 



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【糯米】奥羽糯277号~ヒメノモチ~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『奥羽糯277号』(『水稲農林221号』)
品種名
 『ヒメノモチ』
育成年
 『昭和47年(1972年) 東北農業試験場(岩手県盛岡市)』
交配組合せ
 『大系227×こがねもち』
主要生産地
 『岩手県、山形県、千葉県』
分類
 『糯米』

跳っねるはう~さ~ぎ~
う~さ~ぎは~・・・あー・・・うん、ヒメノモチ、だよ


どんな娘?

いつも眠たそうにしていると思われているが、単に垂れ目なだけ。
ただ普段のけだるそうな話し方がよりいっそう”眠そうキャラ”を後押ししている。
物事に対してややルーズで、てきとーな性格だが、ある意味柔軟な対応が出来、こがねもちと良いバランスを保っている。

東北の糯米っ娘達にとっては話しやすい身近なお姉さんになっている。


概要

東北部を中心に関東、近畿、中国地方と幅広く作付され、長らく糯米生産量第2位の地位を占める『ヒメノモチ』の擬人化です。
昭和58年(1983年)に作付面積第1位となってから、最後に1位になったのが平成元年(1989年)。
それ以後2位と3位をふらふらしながら、統計変わって平成18年(2006年)より生産量第2位となっています。

・”姫”のように美しいこと
・”ヒメ”のつく植物は短生(短稈)であること
・盛岡市郊外の山姿の良い“姫“神山
にちなんで『ヒメノモチ』と命名されました。

その実態としては前代主力の『こがねもち』を早生化し、いもち病耐性を導入したものと言えます。
東北地域で生産されていた『こがねもち』は晩生に過ぎ、天候の影響を受けやすく、葉いもち病にも弱いために安定生産の面では難があったことから、熟期が早く(早生・中生)、耐病性の優れた糯品種が望まれ、生まれた『ヒメノモチ』はその役目を見事に果たしました。

一番最初の奨励品種採用県であり、生産の中心である岩手県によればもち米にしてはあっさりとした味わいで、おこわなどに向いている…とか
糯品種自体の需要が減る中でも、変わらぬ生産量があることからもその需要の高さが窺えます。

出穂期は『こがねもち』よりも10日ほど早く東北中部では「中生の早」にあたります。
稈長は『こがねもち』86cmに対して81cm程度とやや短稈化しましたが、耐倒伏性は「中」と同程度にとどまりました。
しかしながら『こがねもち』のような極端な挫折型の倒伏はしにくいために、倒伏の被害は軽微になります。
比較的穂が大きい偏穂重型で、脱粒性は「易」です。
稃先色は「黄白(白)」で通常粳品種との外観による判別は出来ません。
試験当時で各県の対照品種よりも多くの収量を示す事例が多く、概ね1割弱程度の増収が見込めました(東北農業試験場平均565kg/10a)が、晩生の『こがねもち』にはやや劣る試験結果も出ています。
東北農業試験場におけるいもち病の圃場抵抗性評価は「中」程度で、占有する菌のレースによって耐性も大きく変わる試験結果が出ています。
真性抵抗性遺伝子型は「Pi-k」と推定され、山形県(2007年)では葉いもち病耐性・穂いもち病耐性共に「強」と評価されています。
白葉枯病と紋枯病に対する耐性は「やや弱」~「中」とされています。
耐冷性は「中(当時基準)」と推定され、東北地方中南部の主要品種(当時)とほぼ同じでした。(令和基準で耐冷性は「やや弱」)

伸し餅の白さは「3」(1:白い~5:黒い)、伸し餅硬度は2.8kg/㎠。
食味は「上下」と判定されています。


育種経過

昭和37年(1962年)に東北農業試験場で『大系227』を母本、『こがねもち』を父本として人工交配が行われます。
同年、冬期間に東北農業試験場の温室においてF1世代を栽培して世代促進を行います。

翌昭和38年(1963年)、F2で486個体の中から糯個体のみを選抜し、164個体が残ります。
その集団を北陸農業試験場に依頼してF3世代からF4世代にかけて世代促進を行います。

F5世代は東北農業試験場に戻り、穂別系統として500系統3,500個体を栽植します。
固定度、受光態勢良好な草型に加え、短稈でいもち病抵抗性「強」を目標に選抜し、23系統91個体が残ります。
F6世代以降系統育種法により選抜固定を図ります。
昭和41年(1966年)F6世代は1系統群4系統、1系統2列・30個体(23系統群91系統として2730個体)として播種、畑晩播によるいもち病耐性検定(C菌型圃場)も行われます。
系統群の固定度、草型、稈質、いもち病抵抗性などにより選抜し、7系統群および固定度の不安定な1系統群から3系統を選抜し、計8系統群10系統40個体を選抜します。
このF6世代におけるいもち病耐性は、母本の『大系227』よりは弱いものの、『こがねもち』よりは遙かに強い抵抗性を示していました。
この時点での糯品種としての品質調査では天候不順もあってか残存系統全て「中上」との評価でした。

昭和42年(1967年)、F7世代において、『大系1068』~『大系1077』の系統名を付し、生産力検定試験及び特性検定試験を行います。
前年のF6世代における出穂期は8/14~8/22の間にばらけていましたが、後に『ヒメノモチ』となる系統はこの時点で最も出穂期が早いものでした。
F7世代10系統群の中から、その『ヒメノモチ』となる系統を含む最も出穂期の早い3系統が選抜され、『大系1075』『大系1076』『大系1077(後の『ヒメノモチ』)』が残されます。
無論、出穂期のみならず稈質やいもち病抵抗性への耐性を考慮した上での選抜です。
昭和43年(1968年)F8世代はこの3系統群で生産力検定試験及び特性検定試験を行い、3系統何れも優秀だったものの、草型・熟色良く難点が少ないと認められた『大系1077』が残され、昭和44年2月に『奥羽糯277号』の地方系統名が付されます。

同昭和44年(1969年)、F9世代において関係県に配布の上で、地方適否の検討に入ります。
その結果極めて有望と認められ、昭和47年(1972年)5月に『ヒメノモチ』と命名、『水稲農林糯221号』に登録されました。
昭和47年度は岩手県でのみ奨励品種に採用されています。

その後多くの県で採用されていきます。

育成当初の評価は、耐倒伏性が不十分(『こがねもち』と同程度の「中」)であり、おまけに穂発芽性も「易」のまま改善しなかったことで、「より改良が必要」とされていた『ヒメノモチ』でしたが、半世紀過ぎた令和現在でも主力として現役で頑張っています。



系譜図


奥羽277号『ヒメノモチ』系譜図



参考文献

〇水稲新品種「ヒメノモチ」の育成について:東北農業研究報告
〇耐冷性が強く、餅が白い良食味の水稲新品種候補「山形糯87号」の育成:農研機構https://www.naro.affrc.go.jp/org/tarc/seika/jyouhou/H17/suitou/h17suitou04.html




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2020年11月20日金曜日

滋賀渡船「2号」「4号」「6号」であるワケ 滋賀県立農事試験場育成品種


『短稈渡船』を探せ!シリーズでも紹介した、『山田錦』の父親品種として扱われている『滋賀渡船2号』『滋賀渡船6号』の2品種。

『滋賀渡船6号』と『滋賀渡船2号』


これは滋賀県が純系淘汰によって育成した品種で、同じく『渡船』から育成された品種は

『滋賀渡船2号』
『滋賀渡船4号』
『滋賀渡船6号』
『滋賀渡船白銀』
『滋賀渡船26号』

の5品種があります。


数字の並びに空きが…?

さて、この並び、特に数字を見て不思議に思いませんでしょうか。
少なくとも私は最初見たときに不思議に思ったのですが

なぜ「1,2,3」でも「4,5,6」でもなく「2,4,6」なのか?

大きく離れている『滋賀渡船26号』はともかく、『滋賀渡船2号』『滋賀渡船4号』『滋賀渡船6号』は同じ大正2年育成開始・大正5年育成完了と同期の品種です。
なぜ連番にならず、偶数のみになっているのか。

実は品種採用されていないだけで『滋賀渡船1号』『滋賀渡船3号』『滋賀渡船5号』などが選抜されており、優秀な系統をさらに選抜した結果この3品種のみが残ったのではないか?
農研機構のジーンバンクで保存されている『渡船3号』とはその未採択品種ではないのか?
・・・と思っていた時期が私にもありました。

なぜこのような配置になっているか?
その答えは滋賀県立農事試験場の育種事業を整理すると自ずとわかってきます。
(というかやはり憶測だけでなく、ちゃんと調べるのは大事ですね)

さて、抜けている「1号」「3号」「5号」達はどこに行ったのでしょうか?



滋賀県が育成した品種達

滋賀県のホームページでは、育成した品種一覧がこのように公表されています。



数字に強い方だとこれを見ただけですぐ気付けるんでしょうか?(少なくとも私は全然気付きませんでした)

しかしこの一覧も不完全というかちょっと間違っているので、これだけだと不十分で微妙に足りないのです。
都道府県が公表している情報でも調査不足というか、情報不足なものがあると思い知らされます…


滋賀県立農事試験場(大正当時)の品種育成事業

さて
滋賀県立農事試験場では大正2年より滋賀県の基幹品種について、純系選抜による育種を行うことでより優れた品種の育成を目指していました。
その第一弾として大正2年から開始されたのが『渡船』と『神力』の在来2品種です。
この年から始まった純系選抜系統には『い號』の系統名が付されています。

同じく大正3年、『壽(寿)』『関取』『中生神力』について純系淘汰を開始。
この年の系統名は『ろ號』です

大正4年は『は號』(『早生神力』『善光寺』『関取』『壽』『大川』)、大正5年は『に號』(『渡船』『晩生神力』『日出』『三寶』)…と
そう、この頃の滋賀県農事試験場では同年に育種開始した複数品種を一括の系統名で管理していました。
大正2年をはじめとして、「いろはにほへとちりぬるを…」と毎年順番に付けています。

国立図書館に所蔵、及び滋賀県が保管している「滋賀県立農事試験場業務功程」から拾えただけの滋賀県育成の純系淘汰品種は以下の通りです(大正2年~昭和元年の期間)。


滋賀県育成純系淘汰品種一覧

品種名選抜
開始年
選抜元
品種(在来)
区分純系名命名年配布
開始年
滋賀神力1号大正2年神力い號い第188号大正5年無し
滋賀渡船2号大正2年渡船い號い第9号大正5年大正5年
滋賀神力3号大正2年神力い號い第259号大正5年大正5年
滋賀渡船4号大正2年渡船い號い第61号大正5年大正5年
滋賀神力5号大正2年神力い號い第286号大正5年大正5年
滋賀渡船6号大正2年渡船い號い第71号大正5年大正5年
滋賀神力7号大正2年神力い號い第324号大正5年大正5年
滋賀壽8号大正3年壽(寿)ろ號ろ第38号大正6年大正6年
滋賀関取9号大正3年関取ろ號ろ第102号大正6年大正7年
滋賀中神10号大正3年中生神力ろ號ろ第220号大正6年大正6年
滋賀関取11号大正4年関取は號は第325号大正7年大正7年
滋賀早神12号大正4年早生神力は號は第11号大正7年大正7年
滋賀関取13号大正4年関取は號は第330号大正7年大正7年
滋賀善光寺14号大正4年善光寺は號は第131号大正7年大正7年
滋賀神力15号大正5年晩生神力に號に第45号大正8年大正8年
滋賀三寶16号大正5年三寶に號に第374号大正8年大正8年
滋賀葛糯17号大正5年葛木髭糯に號に第432号大正8年大正8年
滋賀白糯18号大正5年白糯選に號に第1号大正8年大正8年
滋賀日出19号大正7年日出ほ號へ第216号大正9年大正11年
滋賀旭20号不明不明(旭選出)大正9年大正9年
滋賀早神21号大正7年早生神力ほ號へ第114号大正9年大正11年
滋賀神力22号大正8年晩生神力と號と第135号大正11年大正12年
滋賀壽23号大正9年ち號ち第104号大正12年大正13年
滋賀中神24号大正9年中生神力ち號ち第137号大正12年大正13年
滋賀渡船白銀大正10年渡船り號り第11号大正13年大正14年
滋賀早神白銀大正10年早生神力り號り第179号大正13年大正14年
滋賀関取白銀大正10年関取り號り第121号大正13年大正14年
滋賀早生善光寺白銀大正10年善光寺り號り第52号大正13年大正14年
滋賀善光寺白銀大正10年善光寺り號り第88号大正13年大正14年
滋賀中神25号大正11年神力ぬ號ぬ第13号大正14年昭和元年
滋賀渡船26号大正11年渡船ぬ號ぬ第12号大正14年昭和元年


※正確には『は號』までは『ろ第113号』ではなく『ろ113号』と”第”が抜けて表記されていましたが、その後の表記と統一して『◇第〇〇号』としています。

ということで、すべて連番で繋がっている

どうでしょうか。
最初の滋賀県の表ではなかなかわかりにくかったと思いますが、育成年の通りに並べるとこのとおりです。
『滋賀旭20号』と、大正13年育成完了の『り號』系統だけが変則的ですが、他はすべて育成年順に通し番号になっています。

『り號』系統が「白銀」になっている理由については、酒米ハンドブックの著者副島先生より教えて頂け、資料(業務功程)をよくよく読み返したらちゃんと記述がありました。
『り號』育成完了となる大正13年の翌年、大正14年が大正天皇の銀婚年(御成婚後25年)に当たることから、これを紀念(記念)して、そしてこれをもって品種改良事業のますますの徹底を期して、育成が完了した系統に番号の代わりとして「白銀」を命名したそうです。
※副島先生からは「銀婚年(大正14年)に”成立した系統”に白銀と命名」との文章を頂きましたが、おそらくこれは滋賀農試が白銀系統の育成年を間違っているせいですね。


話は戻って
最初の問いかけ

抜けている「1号」「3号」「5号」達はどこに行ったのでしょうか?

について
この答えは「同じ『い號』選抜系統の『神力』の純系淘汰品種に割り振られた」になります。
滋賀県立農事試験場の最初の純系淘汰系統である『い號』は、1号~7号の7品種が選抜されており、『神力』『渡船』にそれぞれ番号が振られていますね。

滋賀県が公表している一覧ではなぜか『滋賀神力1号』が抜けているためこれだけではわからないのです…『い號』系統育種完了年である「大正5年度業務功程」では、こっそりと試験結果の表に「滋賀神力一號と命名」と書かれているだけで、かつ原種圃の設置(種子の配布)を行わなかったので、把握できなかったのかもしれません。
『滋賀神力1号』は試験栽培の記録の中には何度か出てくるものの、成績は他の純系淘汰系統に適わず…と良い評価のようには見えませんでした。
これもまた「滋賀県で育成した品種として認められていない」理由かもしれません…が、大正6年時点で滋賀県東浅井郡に0.023反(約23㎡)だけとは言え原種圃に設定されていたという記録もあります。
やはり単なる滋賀県の調査不足・記録漏れでしょうか。

そして『り號』系統(T10年開始・純系選抜第9弾)から選抜されたのが『滋賀渡船白銀』で、『ぬ號』系統(T11年開始・純系選抜第10弾)から選抜されたのが『滋賀渡船26号』です。
ちなみに『に號』系統(T5選抜開始・純系淘汰第4弾)と『と號』系統(T8選抜開始・純系淘汰第7弾)でも『渡船』は選抜元に選ばれていますが、いずれの系統からも『滋賀渡船2号』『同4号』『同6号』以上の品種は見いだせなかったようで、品種化はされていません。

飛んでいた数字がどこに使われているかはわかりました、が
やはり「なぜ偶数なのか」はもう「そういう割り振りをした(慣例だ)から」としか言えません(すみません)

純系淘汰による品種への採用は、後年になるほど減っており(先に育成した品種よりも優秀でないと採用されないため)、同じ在来品種から複数採用されるのは『い號』系統以降はあまりないのですが
大正7年に育成完了した『は號』系統で2品種採用された『滋賀関取』も「11号」と「13号」と、同年に育成を完了した『滋賀早神12号』『滋賀善光寺14号』を挟んで奇数で統一しています。
なにゆえ連番にしないのかはわかりませんが、滋賀県農事試験場では「同じ在来品種由来の純系品種は連番にしない」ルールがあったことがうかがえるのではないでしょうか?

昔の品種は本当に資料がなくて謎が多いですね…試験場の方がご存命の内にとりまとめられていたら…なんてのは後の祭りでしょうか。


まとめ

『渡船』からの純系淘汰品種として滋賀県が育成したのは『滋賀渡船2号』、『滋賀渡船4号』、『滋賀渡船6号』、『滋賀渡船白銀』、『滋賀渡船26号』です。

これだけで見ると不自然に空いているように見える途中の数字は、同県が育成した別の在来品種後代の純系品種達に割り振られています。

…ただ
当然『い號』系統の『渡船』は多数選抜されていたわけで
『短稈渡船』の特徴である「脱粒性:難」が一致する『渡船い第4号』や『渡船い第90号』などがあったり…『山田錦』の父親の正体に対する妄想()がはかどりますね。

今回は資料がそろっていて、かつ『短稈渡船』でも関わりの深い滋賀県の育成品種について調べましたが、他の県でも同じように統一連番になっている…のかな?(青森県の『亀の尾1号』『同3号』『同5号』とか)
機会があれば調べてみたいです(が、なかなかしんどい…だって資料がさ・・・)


『滋賀旭27号』について

今回の初期調査には載っていませんが、続きとなる『滋賀旭27号』についての情報も見つけたので備忘録として
愛知県の「米麦品種改良増殖事業概要並米麦原種圃事業成績」に記載がありました。

滋賀県内の篤農家某氏(篤農家の誰か)が『京都旭』(愛知県育成品種かどうか不明)の中から早生の変わり穂を見つけ、試作してみたらたまたま分裂系(自然交配株の事と思われ※)だったそうです。
※いずれにせよ出穂が早かった穂を選抜して、そのまま『早生旭』になると思って栽培してみたら雑多な集団になった、と言うことでしょう。

そこでその『京都旭』変わり穂後代は滋賀県農事試験場に送られ、そこで系統分離を受けることになったそうです。
早・中・晩の雑多な集団の中から最晩の系統を選抜し、固定したものが『滋賀旭27号』と紹介されています。

『旭』系品種群の中生種が不足していた愛知県がこれ幸いと取り寄せ、『中生旭』として昭和11年から奨励品種に編入しています。

形態は『京都旭』(愛知県育成)とほぼ同等ながら、熟期がやや早く、腰(稈?)が弱いとされています。
米粒は『京都旭』と比べて僅かに小さいながら、腹白少なく色沢良好、”旭米”として取り扱われて然るべき、と評価されています。

表面上の記録は「純系淘汰」ですが、『滋賀旭27号』は完全に自然交雑による交配後代種ですね。
やはり「純系淘汰」は「単なる記録不足」か、「明らかに人為的な交配を経ていない集団からの選抜」と言う意味でしかありません。
「純系淘汰だから近縁」というのがどれだけ根拠の無い話であるか、わかる一例ではないでしょうか。

未確認ながら『滋賀早生旭28号』『滋賀中生旭29号』も、この『滋賀旭27号』と同じ雑種後代達から選抜された品種のように思われます。


そして最後のどんでん返し


農研機構のジーンバンクには『渡船3号』なる品種が保存されています。
品種名の錯誤によるもの…だと思っていた時期が私にもありました。

『(滋賀)渡船3号』と言う品種はもちろん、『渡船1号』や『渡船5号』といった名前の純系淘汰品種(滋賀県農試育成)は存在しません。

ただし

大正12年に滋賀県が行った品種分布調査では『滋賀渡船三號』『滋賀渡船八號』という在来品種が存在しています。

『滋賀渡船三號』は栗太郡で73反の作付けがあり、刈取期は11月上旬。
『滋賀渡船八號』は神崎郡で15反の作付けがあり、刈取期は10月下旬とされています。
ちなみにこの時の『渡船型品種』は滋賀県全体で1,795.4haですから、全体の約0.5%程度に過ぎないようです。(2,4,6号の純系淘汰育成品種は計1,308.6haで全体の約70%)

ジーンバンクの『渡船3号』ももしかしたらこの在来品種の3号…なのかもしれません。(まぁ高確率でただの錯誤だとは思いますが…)


参考文献

〇滋賀県立農事試験場 業務功程(大正2年度~14年度,昭和元年度~2年度):滋賀県立農事試験場
〇滋賀県水稲品種改良(大正6年):滋賀県立農事試験場
〇水稲品種分布調査成績(大正12年):滋賀県
〇米麦品種改良増殖事業概要並米麦原種圃事業成績:愛知県立農事試験場

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2020年11月8日日曜日

『秋系821』こと『秋田128号』、2020年11月17日に名称発表!


いよいよ名称決定の日が

100万円をかけた秋田県の高級路線への生き残りをかけたフラッグシップ米秋田128号(秋系821)の名称が11月17日に発表になります。

これで高級路線指向は

北海道『ゆめぴりか』
青森県『青天の霹靂』
岩手県『金色の風』
山形県『つや姫』
宮城県『だて正夢』
福島県『福、笑い』
新潟県『新之介』
福井県『いちほまれ』
(富山県『富富富』)

と北陸・東北でそろい踏みという様相です。

さて…秋田県ではどんな名称が採用されるのでしょうか?

墨猫大和の勝手な予想【以下トレース絵】

トレース絵です(大事なことなので2回(


当選予想第一位『べっぴん小雪』

当選予想第二位『秋てらす』

当選予想第三位『稲王』


むしろこれが大本命だっ!
稲王!!!



ガオッ!ライッ(ス)!ガー!!!
これがやりたかっただけ

元ネタ

『べっぴん小雪』元ネタ
【初音ミク】スターナイトスノウ【オリジナルMV】
https://youtu.be/ZuT3xYLW7vA?list=RDZuT3xYLW7vA

『秋てらす』元ネタ
神のまにまに 2020ver. - れるりりfeat.ミク&リン&GUMI

『稲王』元ネタ
【GUMI】KING【Kanaria】



最後に

通常、品種登録を申請するにあたって、先に商標登録を行います。
なぜかというと、まず品種登録の審査には非常に長い時間がかかり、対して商標登録は品種登録に比べれば遙かに早く登録できてしまいます。
かつ商標登録されている名称は品種名に使用できないので…

こうなると最悪の場合

品種登録審査中。予定品種名「◇◇◇」
審査している期間に第三者が予定している品種名「◇◇◇」で商標登録申請
品種登録審査が進んだ頃には当初品種名「◇◇◇」が使用不能に

特に今回のように広くその名が知られている場合には、第三者に「横取り」されるような危険もあるわけです。
そのため『秋系821』の候補名6つについても当然(無論候補を発表した時点で、第三者に先に登録されるなんてことがないように)商標登録申請をしている…はずだったのですが

なぜか『秋の八二一(はちにいち)』については令和2年9月に申請されていません。
そして謎の『秋のハニー(はにい)』で登録申請されているのですがこれは何事?

最後の最後でどんでん返しするつもりなのか(「はちにいいち」と言ったな。アレは嘘だ)
秋田県の中で担当者が書類上の記載を見誤って(「八二一」と「ハニー」なんて見分けつきませんよね)、誤った名称で申請してしまったのか…

まぁ『秋の八二一』だけは一番ないな(独断と偏見)と思っているので問題ないのかな




関連コンテンツ(決定名称名は『サキホコレ』!)







2020年11月7日土曜日

【酒米】愛山11号(愛山)【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『愛山11号』
品種名(通称)
 『愛山11号(愛山)』
育成年(試験最終年)
 『昭和26年(1951年) 福田原種圃』※交配 兵庫県立農事試験場酒造米試験地
交配組合せ
 『愛船117×山雄67』
主要生産地
 『兵庫県』
分類
 『酒造好適米』※現代の産地品種銘柄設定による

…ふふ、こんにちは。愛山11号、よ






どんな娘?

影が非常に薄く、気付かぬうちに隅に立っていることが多い。
最近こそ目立って発言することも増えたため、平成生まれの米っ娘達には知らない者も多いのだがもともとは根暗非常に引っ込み思案であることに加えておっちょこちょい。

黙って立っている分には年相応に大人びているように見えるのだが、何か主体的にやらなければいけない場面に直面すると、地が出てプレッシャーから混乱して何かしらやらかす。(とは言え基本目立たないポジションなのでそういう場面はほとんどない)
現職キャリアとしては山田錦にも劣らないほどではあるのだが、いかんせんほとんど自分の部屋にこもりがちの数十年を過ごしたせいか人付き合いは苦手。
自己肯定感が非常に低い期間も長かったため、いまだにガラスのハートである。

ずっと自分を信じてくれていた剣菱酒造には大きな恩義を感じている。


概要

「幻」と呼ばれる酒米数あれど、一度は大規模に普及するなど日の目を見ている「かつて有名だった品種」(『新山田穂1号』『辨慶』『滋賀渡船系統』)であることが多いです。
それとは対照的に、長年ひっそりこっそり生き残ってきたのがこの『愛山』です。

正式名称は『愛山11号』で、交配親から頭文字を一文字ずつ取って『愛山』と命名された・・・というか当時の一般的な系統名付与のルール通りの品種?名になっています。

『山田錦』以上の大粒ながら、心白が大きすぎるために高精白では砕けやすく、雑味も出やすいとされています。
後述する栽培上の問題も抱えていることから、平成7年(1995年)以前は使用していた酒蔵はたった1蔵という、難物です。
ただし上手く醸せれば独特の風味が出せるとかで、使用酒蔵が広まったこともあって平成中期からは「山田錦以上の酒米」とかなんとか宣伝されて人気だとか。


そんな日本酒業界のてきとー解説がいくつか見られて誤解が広まっているのは・・・まぁ恒例でしょうか(『短稈渡船』と違って実害ないのでどうでもいいといえばどうでもいいんですが)

×栽培が難しいとされる『山田錦』より背が高い→〇『山田錦』と稈長はほぼ一緒ですし
×大粒なので『山田錦』より倒れやすい→〇『山田錦』より倒れにくいですし
×上記の理由で戦後廃れた→〇廃れる以前の問題でそもそも大規模普及してません
×兵庫県立明石農業改良実験所で交配→〇交配地は兵庫県立農業試験場酒造米試験地です
△剣菱酒造が独占していた→〇後述しますが公的機関(兵庫県)が原原種管理しているのに酒蔵が独占なんて出来るの?

倒伏云々についてはむしろ倒伏しにくい(当時基準)品種で、試験時に何より問題とされたのは『愛山11号』の栽培特性である「胴切れ米」(地元では「ひょうたん」と呼称)に代表されるように、米の品質がやや悪い、と判断されたからです。
無論現代品種と比べれば倒れやすい品種ですが、当時にしては倒れにくい品種だったのです。

昭和55年(1980年)から兵庫県において『愛山』として醸造用玄米の産地品種銘柄に設定されていますが、少なくともそれ以前の昭和26年(1951年)から栽培が続けられている古参品種です。
栽培当初、及び銘柄設定時の作付面積は16haとかなり少なく、昭和57年(1982年)に31haに微増しますが、以後30ha前後の作付面積が平成8年(1996年)まで続きます。
平成9年(1997年)にまた微増が有り、以後37ha前後での作付面積となりましたが、やはりかなり少ない作付で、希少な酒米と言えるものでした。

平成7年(1995年)の阪神淡路大震災において唯一『愛山11号』を使用していた剣菱酒造が被災し、契約分の酒米を買い取れなくなってしまったところで、それを買い取ったのが「十四代」で知られる高木酒造だったそうです。
以後、高木酒造を中心として『愛山11号』を使用する酒蔵は一挙に増え、様々な蔵が『愛山11号』の日本酒を世に出すようになりました。

それを受けてか平成17年(2005年)から生産量は増加に転じ、平成30年(2018年)には約650t(100ha程度?)まで達しています。
「戦後廃れた」のではなく、ずっと小規模な栽培のままで推移しており、むしろ今のこの世が『愛山11号』にとっての絶頂期になっているようです。



出穂期・成熟期は『山田錦』とほぼ同等の晩生種。
稈長(約94cm)・穂長(約19.2cm)・穂数(約16.3本/株)も『山田錦』とほぼ同じで草型は中間型。
耐倒伏性は『山田錦』より僅かに強い程度(現代の「弱~やや弱」?)、収量性は千粒重のおかげか高いものの品質がやや劣るものとされています(「胴切れ米」多し)。

兵庫県の1950年における普通肥料栽培の生成期によれば
稈の細太は「中」、剛柔は「中」。
芒は極稀に短芒が発生し、もみの色は「白」と普通です。
玄米千粒重は30.0gと『山田錦』(対照28.0g)以上で、心白は多く、腹白の発生は微かだったそうです。
脱粒性は「易」で、現代では栽培しにくそうな品種ですね。


父本『山雄67』(後の『山雄67号』)の読み方について

当時の系統名は交配親の両親の頭文字を付けており、『愛船』『山愛』を「あいふね」「やまあい」と読んでいました。

であれば、『山田錦(”やま”だにしき)』×『雄町(”お”まち)』の交配である『山雄』は「やまお」と読みそうなものですよね。
しかし、昭和22年(1947年)時点で指導農場の職員であった山田智賀司氏の証言によれば、「やまゆう」と読んでいたそうです。

なので「やまゆうろくじゅうなな」になるのでしょうか?


育種経過

昭和3年(1928年)に創設された兵庫県立農事試験場酒造米試験地では昭和10年(1935年)から品種開発が開始されました。
その後太平洋戦争を経て、終戦の昭和20年(1945年)に加東西部技術指導農場や福田原種圃(昭和25年4月に改称)と姿を変え、一時的に酒米業務から離れますが、昭和27年(1952年)8月に県立農業試験場酒米試験地と改称され、再び酒米を担当する試験研究機関として再出発します。

その過渡期に育成されたのが『愛山11号』です。

昭和16年(1941年)に酒造米試験地において、母本『愛船117』、父本『山雄67』として交配が行われます。

◇母本『愛船117』
昭和10年(1935年)に兵庫県立農事試験場明石本場で『愛知三河錦4号』を母本、『船木雄町』を父本として交配された雑種(交配番号『兵10交47』)後代で、交配時点で雑種第6代でした。
『愛山11号』の片名の由来にもなっている『愛知三河錦4号』は『早生神力』からの選抜…ですが単純な「神力系品種」かというとこれまた複雑でして
明治27年に知多郡八幡村の加藤石松氏が兵庫県から『力良』と呼ばれる品種を持ち帰り、抜穂しつつ数年純系淘汰を行っていました。
その純系淘汰を行ったものがさらに安城町里(安城市里町の誤記?)の富田宇吉氏の手に渡り(譲り受け)、『早生神力』と命名して普及したものが元です。
それがさらに大正4年に愛知県農事試験場において『三河錦』と改名され、奨励品種に加えられ、順次純系淘汰による系統変更が行われ、昭和4年来『愛知三河錦4号』が奨励品種になりました。
と、「神力」と言う名前だけ見ると神力系品種群由来にも思えますが、全く違う系統です…かも?
兎にも角にも、『愛知三河錦4号』と『船木雄町』交配雑種後代からは他にも『兵庫雄町(愛船206-169)』が生まれてたりもします。

◇父本『山雄67』
昭和11年(1936年)に酒造米試験地、もしくは明石本場で交配が行われ『山田錦』を母本、『雄町』を父本として交配した雑種(交配番号『兵11交37』)後代で、交配時は雑種第5代です。
後に『山雄67号』となります(雑種第7代『山雄67-127』)。

【以下墨猫大和の妄想】
『山雄67』は『山田錦』と同じ草姿で、玄米品質も優れ、収量性も高い点は優秀でしたが、倒伏しやすいことと、千粒重が小さく(小粒)、心白の発現が少ないことが問題であったと思われます。
そこを稈が太く剛いために『山田錦』よりも倒れにくい、かつ大粒で心白の発現も多かったであろう『愛船117』との交配で、改善しようとしたものと思われます。
【墨猫大和妄想終了】

交配翌年の昭和17年(1942年)にF1個体が養成されました。

…そして
以後の育成経過は資料が現存しておらず不明です。

存在が再確認出来るのは7年後の昭和24年(1949年)。
福田原種圃の生産力検定試験に『愛山11号』の系統名で供試されています。
収量性は高いものの、品質がやや悪いとの理由で昭和26年(1951年)で試験は終了しました。

試験場での育成試験は昭和26年で終了したものの、福田原種圃(後の酒米試験地)の地元である加東郡社町では一部の農家や集落での栽培が続けられたようです。
正式名称については系統名である『愛山11号』ですが、地元で『愛山』と略して呼ばれたことによりその呼称が現代まで続いているものと思われます。

その後酒米試験地では昭和43年(1968年)に品種保存栽培に供試するために社町山国の農家から苗を譲り受け、場内栽培及び特性調査を実施。
民間での自家採種を繰り返して品種特性がぼやけていたのでしょうか、純系淘汰実施の要望が地元よりあり、酒米試験地で選抜が行われています。
そして昭和47年(1972年)には種子の地元提供が始まり、昭和48年(1973年)からこの酒米試験地提供の種子による現地栽培が開始されます。
これ以後も隔年で試験地からの種子供給は続き、昭和60年(1985年)からは酒米試験地で原々種栽培を開始し、みのり農業協同組合(JAみのり)へ3年ごとに有償供給されるようになりました。

平成18年(2006年)時点で生産地は加東郡社町のみでしたが、生産集落には変遷があったそうです。
当初は社町山国で栽培されていましたが、胴切れ米が問題となり、社町木梨と山口の2集落での栽培に変わりました。
品質の悪い米の発生はそのまま農家の収入減に繋がるため大きな問題です。
灘五郷の剣菱酒造が大規模な契約栽培(『山田錦』『愛山』)を長年行っており、これにより農家の収入が保証され、品質に問題のある『愛山』が現代まで存続できた大きな原動力になったのは間違いありません。


 系譜図

愛山11号『愛山11号(愛山)』 系譜図




参考文献(敬称略)


〇酒米試験地の設立と初期品種系統「兵庫雄町」、「山雄67号」および「愛山」の育成経過:池上勝
〇米麦品種改良増殖事業概要 並 米麦原種穂事業成績:愛知県立農事試験場
〇農業試験場60年史:兵庫県立農業試験場



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2020年11月5日木曜日

【糯米】西海糯118号~ヒヨクモチ~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『西海糯118号』(『水稲農林糯216号』)
品種名
 『ヒヨクモチ』
育成年
 『昭和46年(1971年) 九州農業試験場』
交配組合せ
 『ホウヨク×祝糯』
主要生産地
 『佐賀県』
分類
 『糯米』

ヒヨクモチだよ。ま、もう大分年寄りだけどね~




どんな娘?

糯米っ娘達の首長を務める。

ただ、居住区域は九州のみで、寒いのは大の苦手。
そのため北陸・東北方面はこがねもち、ヒメノモチに任せがち。
糯品種は全体的に古参が多くなっているが、首長を務める彼女をはじめとして太夫三人はかなりの古参。
陽気に明るくがモットーで、どんなことでもとりあえずはプラス思考へともっていく。(糯米品種なんてマイナー中のマイナーな存在であるなんて事実は気にしない)

でも本当は4姉妹のうち、現役で残っているのが自分だけで少しさみしい気持ちがあったりする。

 概要

少なくとも平成2年(1990年)から糯米の中でも日本一の生産量を誇る筆頭、『ヒヨクモチ』の擬人化です。

九州の肥沃な平坦部に適する品種で、佐賀県での生産が大きなシェアを占めています。
餅食味は非常に良好とされ、倒れにくく、病気への抵抗性もそれなりと、古い品種ながら登場から50年以上経っても生産量に衰えは見えません。

『ヒヨクモチ』は「比翼連理」または「肥沃」を意味し、肥沃地帯に最も適し、北部九州(佐賀・福岡県)と南部九州(鹿児島県)が一体となって普及することから命名されました。

昭和46年(1971年)に佐賀県で、昭和47年(1972年)から福岡・鹿児島の両県において奨励品種として普及に移されました。
『ヒヨクモチ』が登場した少し後、昭和54年(1979年)から品質向上のために糯米の生産団地が形成され、特定の品種に作付けが集中することになったのも、作付面積の増加に一役買ったとか。

同じ交配から生まれた品種は『ヒヨクモチ』含め4品種あり、水稲農林糯227号『アカネモチ(西海糯117号)』、『西海糯126号』『西海糯133号』があります。
普及に移されたのは『ヒヨクモチ』『アカネモチ』の2品種で、平成・令和まで栽培されているのは『ヒヨクモチ』のみです。

試験時には多肥栽培で520~630kg/10aの収量を記録し、従来(当時)品種の『備南糯』や『祝糯』より8%ほど多収でした。
短稈であり、稈は細いものの耐倒伏性は「強」との判定をされています。
白葉枯病に対して抵抗性を持ちますが、紋枯病、縞葉枯病に対しては罹病性です。
葉いもち病耐性は「やや弱」ですが、穂いもち病耐性は「やや強」となっています。
稃先色が褐色であるため、一般粳品種との判別が容易とされています。

育種経過

昭和38年度(1963年度)九州地方における水稲全面積は約430,000ha、糯品種はそのうちの6.5%、約28,000haに及んでいました。
しかしながら『備南糯』『神選糯』『神力糯』『糯祝』『金作糯』といった草型、生産力、安全性について改良の余地が多い糯品種が雑多に栽培されている状態で、基幹となる品種がありませんでした。
糯品種にも短稈穂数型品種の登場が強く望まれており、先駆けとして昭和37年(1962年)から『フクサモチ』の配布が始まっていましたが、短稈多収ながらいもち病・白葉枯病に弱いこの品種はあくまでも本格的な糯優良品種までの”繋ぎ”と見なされていました。

その”本格的な糯優良品種”を目指して昭和38年(1963年)、母本『ホウヨク』、父本『祝糯』として人工交配が行われます。

母本『ホウヨク』は昭和36年(1961年)から九州地方で普及に移された中生の粳品種で、短稈・穂数型で白葉枯病にも抵抗性を持っています。
父本『祝糯』は熊本県および広島県の奨励品種(当時)でやや長稈で草型は中間型、赤褐色の稃先を持つ晩生の糯品種です。糯としての品質は良いものの、倒伏しやすく、白葉枯病に弱く、収量が低い欠点を持っていました。

母親の『ホウヨク』と同じ中生・短強稈・白葉枯病耐性・多収性を持ち、父親『祝糯』の稃先色および糯性を導入した品種の育成を目標に、以後集団育種法により育成されます。

交配で得られた種子は91粒、その後F1~F3世代は温室で世代促進が行われます。
同年(昭和38年)7月から11月の間にF1個体、同11月から昭和39年(1964年)3月までの間にF2世代、昭和39年4月から6月にF3世代が養成されます。
このように15ヶ月間の間に4世代の世代促進が行われました。
F1世代は32粒を播種し、15株から1,949粒を採取。
F2世代は1,900個体を播種し、稔実した1,542株から1~2粒採取。
F3世代は2,000個体播種し、稃先色・稃色が褐色・黄白個体の選抜を行いました。

昭和39年(1964年)7月以降、F4世代からは本田に晩植栽培して個体選抜が行われます。
晩生の早の熟期個体が多く、稈長もバラバラな集団の中、不良個体(「晩生」「長稈」「脱粒性極易」「小粒」「はぜ不良」「稃先色黄白」「粳」)は淘汰し、262個体を選抜します。
昭和40年(1965年)F5世代は前年の262個体を262系統として、まず田植え前に葉いもち病の検定が実施されました。
供試系統を畑栽培し、ビニールハウス内でいもち病菌を噴霧接種した上で、標準品種である『十石』と同等ないし劣る83系統を廃棄します。
残る179系統を本田栽培し、なおこの際に白葉枯病菌の接種も行われます。
出穂・草型の固定が不十分な系統、晩生・長稈・稃先色黄白の系統、さらに白葉枯病罹病の系統を淘汰し、残ったのは61系統でした。
そこからさらに室内での玄米品質の検査を行い、31系統が選抜されます。

昭和41年(1966年)F6世代より『九系01607』の系統番号が付され、指定県へと配布され特性検定並びに系統適応性の検定が始められます。
白葉枯病に強く、短稈直立型で熟色よく有望視されていました。
昭和42年(1967年)F7世代は21系統群から6系統群を選抜。
昭和43年(1968年)2月、『西海糯118号』の地方系統名を付され、関係各県への配布と共に奨励品種決定調査により地方適否の確認が行われます。
そして昭和46年(1971年)5月、F11世代において『水稲農林糯216号』に登録され、名称を『ヒヨクモチ』と改められました。


ちなみに
次女『アカネモチ』は、昭和43年(1968年)に『九系01585-3』に『西海糯117号』を付与。
その後昭和45年(1972年)に『水稲農林糯227号』に登録され、『アカネモチ』と命名されます。

三女『西海糯126号』は、昭和44年(1969年)に『九系01481』に『西海糯126号』を付与。
四女『西海糯133号』は、昭和45年(1970年)に『九系01585-2』に『西海糯133号』を付与。
両品種は地方系統名付与と同時に関係各県に配布されましたが、『西海糯126号』は供試3年で、『西海糯133号』も同じく供試3年で配布を中止、水稲農林への登録は行われませんでした。


系譜図



参考文献


〇水稲新品種”ヒヨクモチ”・”アカネモチ”について:九州農業試験場


関連コンテンツ


年齢は令和2年(2020年)現在
酒造用原料米にも使われること※もあるようです


※「ワイングラスでおいしい日本酒アワード2018」で最高金賞(純米酒部門)に選ばれた鹿児島県の東酒造(株)の「神泉 純米吟醸 旨口」は『五百万石』74%、『山田錦』20%、『ヒヨクモチ』6%使用で造られているそうです。










2020年11月3日火曜日

イラスト「米プリンセス つや姫さん諸々」

題材
 『米プリンセス』


米プリンセス~MAI PRINCESS~のつや姫さんのイラスト諸々


2019年2月25日 クリスマス



中国の何かに進出した時


 
2020年2月22日 猫の日



2020年2月14日 バレンタイン


2020年10月31日 ハロウィン



2020年10月24日土曜日

負けた?いやいや、かったんですよ?



いや…買うっしょ?

日本酒にしても餅製品にしてもですが、「〇〇県産酒米使用」や「〇〇県産もち米使用」みたいな表記ばかりで、稲品種ヲタクとしては寂しい限りですが
こんなふうに単一銘柄がちゃんと表示されている商品を見るとつい「応援しなくちゃ…」ってなるんですよ(ただし自分が擬人化していない品種にはそれほど強く働かない模様)











短稈渡船とは?~0~【結論だけ?のまとめ】

山田錦の交配父本になった『短稈渡船』とは?
平成の世ではあらゆるところで「復活」した…それって本当に「山田錦の父親」?
長々とした解説は別に、なるたけ簡潔にまとめました。


【注】これはあくまでも管理人墨猫大和の集めた情報による私見です。
必ずしも「正確な情報」ではない点にご注意ください。

”ちゃんとした根拠や論拠”で反論することは十分可能な内容だと思います。
ただし、当時(明治~大正期)の資料を基に反論ください。
現代の慣習や書籍を元に反論されても、この問題は「そもそもその根拠が間違っている」という話ですので意味がありません。





↓より詳しい根拠を読みたい方はこちら↓


結論(時間が無い方のために)

『山田錦』の父親である『短稈渡船』は遠い昔に失われてしまい、存在しません

どこかの研究機関で保存している、なんてこともありません。
「残っていたものを復活させた」というのは酒蔵側の誤解か妄想です。

「山田錦の父親を使った日本酒です」というものを目にしているのならそれは誤りか虚偽表示です。

信じられない方は以下をお読みください。


ちなみに『短稈渡船』の読み方は、滋賀県に習うなら「たんかんわたりふね」です。

最初に、管理人が問題だとしている点

このページも大分閲覧数が増え、見当違いの批判も時折来るようになったので大前提を

酒蔵や酒屋が
①推測や未確定であることを一切説明することもなく
「山田錦の親」を復活させて使っていると宣伝・表示
していることを問題としています。


『滋賀渡船2号』を使用した日本酒に「渡舟」と名付けて売ろうが、「短稈渡船」と名付けて売ろうが、その言葉自体にはなにも制約も違法性もないのですから実際問題があるとは言っていません。(誤解を招くので正直言って倫理的には問題あると思いますが)
『新山田穂1号』使っている日本酒に『山田穂』と名付けようがどうぞご自由に。

ただし「山田錦の親」という謳い文句を付けるなら大きく意味が違ってきます。(山田錦の父親『短稈渡船』、山田錦の母親『山田穂』)
これに「遺伝的に近縁だから」とか「品質は同じだから」なんて言うなら論点がズレています。
「魚沼産コシヒカリ」として売っているものが、別品種で、産地が違っても「魚沼と同じような環境で」「遺伝的に近縁な品種を使って」「品質が同じ」なら許されるなんてことがありますか?
そういった論調には私個人は同調しかねます。

後述しますが
・すでに存在していない「山田錦の親」
・推定や類似品であるという説明を一切せず
・売る側に有利な情報だけを宣伝に使っている
これは大きな問題ではないのでしょうか?

「古い品種が現存しないなんてことわかりきっている。別のものを使っているのは当たり前」と言う企業もいましたがそれが世間一般の感覚なら私のそれが大きくズレているようです。
少なくとも私は「本当に『山田錦』の親である『短稈渡船』や『山田穂』が現在まで保存されていて、それを復活させて使っているんだ」と思っていました。(というか酒蔵側がストレートにそのまんまの謳い文句で宣伝していますし)


さて改めて

山田錦の親『短稈渡船』とは?


・『山田錦』育成の際、交配父本(花粉親)として用いられた品種(『山田錦』の父親)。

・交配を担当した兵庫県立農事試験場の独自の呼称であり、一般には普及していない

・”滋賀県の品種”との記録が兵庫県側にはあるが、『短稈渡船』は前述の通り育成者ではない兵庫県側による独自の呼称であるためその正体は不明

現代に『短稈渡船』として保存されている品種はない(すでに失われてしまい、この世に存在しない)



すでに存在しない?
では現代の『短稈渡船』とはいったいなに?


『滋賀渡船2号』、『滋賀渡船6号』、『渡船』(これは本当に栽培されているものが存在しているか不明)など、すでに存在しない『短稈渡船』以外の品種を酒蔵側の裁量(独断)で「山田錦の親」「短稈渡船」として表示しているものです。

そんなこと出来るの?

〇日本酒の表示制度上、「品種名」の表示には何も規定がないので、悪い言い方をすれば酒蔵側が好き勝手自由に(無根拠や間違ったものでも)表示できます


〇農産物検査法に基づく産地品種銘柄(お米の産地・産年・品種の証明)もありますが、これも管理機関である地方農政局は「品種名の根拠を確かめたり」はしないので、悪い言い方をすれば好き勝手に品種名を設定できてしまいます(『茨城県産渡船』)

そして前述したとおり、そもそも「産地品種銘柄名を表示しなければならない」という法は日本酒にはありませんので、いずれにせよなんとでも出来てしまいます。

かなりいい加減であることがおわかりいただけたでしょうか。



その混乱の元は?


兵庫県立農林水産技術総合センター池上氏らの論文が根拠?

~酒米品種「山田錦」の育成経過と母本品種「山田穂」「短稈渡船」の来歴~において
兵庫県に導入された年次(大正7年頃)であることに加え、『短稈渡船』の特性(当時)とジーンバンクで保存されている『渡船2号』の特性(現代)がよく似ていることから「『短稈渡船』と『滋賀渡船2号』はほぼ同じものではないか」と推測しています(ただし脱粒性の特性は一致していない)


推定であるこの論を拡大解釈して、断定されているものとして広まったと思われます。

ここで押さえておきたいポイント

「ほぼ同じものではないか」と推測しているのであり「『(滋賀)渡船2号』が『短稈渡船』である」とは言っていない。(この推測を元に研究が行われていることは確か)

・同年に滋賀県で『渡船』からの純系淘汰により育成されている品種は少なくとも『滋賀渡船2号』『滋賀渡船4号』『滋賀渡船6号』の3種あること(そして『渡船』純系淘汰『い號』系統には偏穂数型・脱粒性「難」の系統もある)

・『滋賀渡船4号』は現存しておらず、特性表もないので比較できていない





なお
〇『山田錦』の育成者である兵庫県
〇『短稈渡船』の育成者とされている滋賀県
〇酒蔵府中誉が「『短稈渡船』を保存している」としている農研機構
〇産地品種銘柄『茨城県産渡船』が設定され、『茨城県産短稈渡船』が販売されている茨城県
いずれの機関も「『滋賀渡船2号』が『短稈渡船』であるという事実は認めていない」と解答しています。

関係機関、そして何より育成者が認めていないもの売る側の都合で断定していいのでしょうか?



その他様々な説?が(根拠は…?)


【茨城県で栽培されていた?】
酒蔵府中誉を紹介する記事では
「農業を営む80歳ほどの男性から「父と祖父が短稈渡船という酒米を作っていた」という話を聞いた」
との記事があります。↓↓↓
しかし『山田錦』の父本である『短稈渡船』は、あくまで兵庫県の試験場内だけで扱われた”独自の呼称”ですので、これが一般に普及された記録はないはずでは?
茨城県で”短稈渡船”と言う名称の品種が栽培されていたこと自体は否定しませんが、仮に栽培されていたとしてもそれは「山田錦の親」『短稈渡船』とは違うものではないでしょうか?
(兵庫県では原種(奨励品種)指定は『渡船』でしたし、滋賀県では『滋賀渡船2号』『滋賀渡船4号』『滋賀渡船6号』『滋賀渡船白銀』…)

ちなみに府中誉は農研機構から種子譲渡を受けているので、その品種は『(滋賀)渡船2号』であることは明白です。


【倒れにくいものを『短稈渡船』と呼んでいる?】
「渡船」は1895年に滋賀県立農事試験場において「備前雄町」から選抜された系統で、倒伏しにくいものを「短稈渡船」とよんでいる。
細かい指摘になるのですが
これは創作の部類に入るでしょうか(何を根拠に言っているのか不明なので断言できませんが)
「『短稈渡船』は兵庫県の試験場における独自の呼称」ですね。
概ね意味は間違ってはいませんが…倒伏しにくいだけで「短稈渡船」と呼ぶようなことは無いです。


【もうなにがなにやら…】
「短稈渡船(たんかんわたりぶね)」は、山田錦の父にあたり、九州福岡県産雄町が海を渡り滋賀で栽培され稈(わら)が 短く倒伏しにくい品種となり九州より、海を渡った為、 渡船となり、短い稈の渡船、「短稈渡船」と名付けた。

全体的に文章がおかしい気もしますが・・・とりあえずそれは置いておいて
前半はとりあえず、『渡船』起源のメジャー説明ですが…うん
そもそも『滋賀渡船2号』は”滋賀県の『渡船』”を選抜したわけではありません(根拠は?)。
複数県から収集しているので「滋賀県で栽培され~短くなった」というのは誤りですね。
ところで「名付けた」って、この説の中では誰が名付けたことになっているのでしょうか?(滋賀県?兵庫県?)
うろ覚えの知識をツギハギしただけのファンタジー文章にしか思えません・・・



【『滋賀渡船6号』が『短稈渡船』?】
URLは貼りませんが、頑なにこういう主張をされて系譜図まで作って宣伝されている酒屋さんがいらっしゃいます。
過去にそういう表示で売っていた酒蔵があったことは確かですが、その元は…要は何も根拠がありませんでした。
私もこの関連記事の中で「可能性はある」なんては言ってますが、現物がない以上推定しか出来ないという理由によるものですから…(分けつ数が実際かなり違う)

「山田錦の父系統・父方」だったり、「山田錦の親である『短稈渡船』の系統」は正しい表現だと思いますが…(正しい日本語を使いましょう)



総括


・山田錦の親『短稈渡船』は失われ、すでに存在しない。

・近縁品種のいくつかは現存し、『滋賀渡船2号』の特性が一部を除いて似ているとされている(しかし現存しない近縁品種も数多く、かつ『短稈渡船』自体が現存しない以上断定は不可能ではないか?)

・公的機関で「滋賀渡船2号が短稈渡船で山田錦の親」であると認めているところは存在しない


・『新種B』という『短稈渡船』っぽい品種もあるんですよ!















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