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2021年6月12日土曜日

山田錦の父親『短稈渡船』とは?その正体を推測する


『短稈渡船』の正体は?
『山田錦』が非常に有名になった今、その父親品種がどのようなものだったか気になるところですよね。
兵庫県立農林水産技術総合センター(の池上氏ら)が発表した「酒米品種『山田錦』の育成経過と母本品種『山田穂』、『短稈渡船』の来歴(2005年)」(以降、“定説“と仮称)においては「『短稈渡船』は滋賀県が育成した『滋賀渡船2号』ではないか」との推論が掲載され(後述するように行き過ぎた誤解釈が大半ですが)広く知られています。

そのおかげ(?)で「似ている」や「推測される」から大きく飛躍して
「『短稈渡船』とは滋賀県が育成した『滋賀渡船2号』のことだ」
とまことしやかに広まっています。

そんなネット上というか、酒蔵界隈に対してさんざん「『滋賀渡船2号』=『短稈渡船』とするべきではない」と言ってきたワタクシ、管理人墨猫大和です。
『短稈渡船』の正体について、墨猫大和説を以下書き連ねたいと思います。
※「兵庫県の池上氏らが発表した内容や解釈は間違っている!」などという主張ではなく、「こういう捉え方をしてみた」という話です。




無論
「『山田錦の父親短稈渡船』とは滋賀県が育成した『滋賀渡船2号』のことだ」
断定して商品の宣伝をしているのは間違っていると思ってます。(素人の主観)




目次




1.『短稈渡船』は現存しない、これは間違いない

さて、当たり前のことですか一応確認しておきましょう。
平成・令和現代において『山田錦』の父本となった『短稈渡船』が現存していない、この世に存在しないことは間違いの無い事実です。

『山田錦』を育成した兵庫県
『渡船』系統品種を育成していた滋賀県
とある酒蔵が「短稈渡船を保管している」と言っていた農研機構

いずれも『短稈渡船』の現存・保存を否定していることからも、ここに議論の余地はありません。
詳細は以下のリンク先で紹介しています。


ただし
当然のことながら、大正・昭和時代において『短稈渡船』と呼ばれていた品種が存在し、『山田錦』の交配父本となったこともまた間違いの無い事実です。
であれば必ずその正体を追えるはず・・・

ちなみに茨城県のある酒蔵が「稈の短い渡船が”短稈渡船”と呼ばれていた」と謎主張をしていますがそのような記録どこにもありません。
兵庫県が独自に定めた品種名が『短稈渡船』である、とそれだけです。
稈の長いもの、短いもの様々な個体が『渡船』として存在していましたし、短いものを特に”短稈渡船”と呼んでいたかと言えば、繰り返しになりますがそんな記録はありません。(ネットの書き込みや酒蔵の主張ではなく具体的な記載がある資料があるならば教えてください)


2.検証の前に・・・まずは大前提の確認

当時の記録(兵庫農試)における大前提を確認しておきます。
※”現代の常識を元にした”反論(孫引き・曾孫引きの知識)はおやめください、と言う意味を含んでおります。

明治~大正期における兵庫県立農事試験場の記録は、失礼ながら基本的にかなり雑です。(何も兵庫県に限った話でも無いのですが)
品種名が年度によって・・・と言うか、同年度内でも試験の種類によって微妙に変わったり、取り寄せ先の表記が変わったり、前年に記載の無い品種が翌年本試験や優良品種に出てきたり、正直言ってその記述は間違いなのか、なにか事情があって特殊な記述がされているのか、まるで区別が付きません。
恐らく記載のルール・基準が明確に定まっていないために、担当者のさじ加減で、悪く言ってしまえば自由気ままに記述するのでこういうことになっているのだと思われますが・・・

「兵庫県の記録には誤りや解釈違いの表記が”常にある”」と言う前提でお話していきます。
そのため定説のように単一の記述を根拠にするのではなく、複数の記述に依り包括的に考えた方が、より正確な答えが導けるのではないか?ということです。


3.定説を確認、及び疑問点

まずはこれもある意味大前提
兵庫県の池上氏らの推測した定説を確認しましょう。
その根拠を要約すると

【1】大正9年度業務功程(兵庫農試)に「『短稈渡船』は滋賀農試の育成した品種」との記述がある。
【2】『短稈渡船』を滋賀県から取り寄せたのは大正7年のことと推測される。(大正9年度試験で供試3年目とされていたため)
【3】大正7年時点で滋賀県において育成されていた『渡船』系品種は『滋賀渡船2号』『同4号』『同6号』の3種
【4】その中では『渡船2号』の特性(農研機構保存系統・平成試験結果)と『短稈渡船』の特性(昭和試験結果)が脱粒性を除いてよく似ている。
『滋賀渡船2号』が『短稈渡船』ではないか?(推測)

というものです。
この内容を詳細に見ると以下の通りです

【1】大正9年度業務功程の「肥料割増ニ對(対)スル品種ノ生産力試験」の項目で「短稈渡船ハ滋賀縣農事試験場ノ育成ニカカルモノナリ」と記述されています。
【2】この通り、大正9年度業務功程に記述されています。
【3】大正7年時点において滋賀県で原種(奨励品種)認定されたのは確かにこの3品種です。
【4】論文内では当時の滋賀県の記録ではなく、現代に保存されているジーンバンクの『渡船2号』と比較して記述されています。

これらに対してあえて否定的な意見を述べるとすれば

【1】この部分にしか表記されていない(もしこれが間違っていたら?)
【2】実際に大正6年前後の兵庫県の記録を照会していない(池上氏らの論文の引用文献に記述がなく、言及もない)
【3】当時滋賀県では『渡船』系統については『に号』系統選抜が開始されていた(奨励品種以外にも渡船系統は存在している)
【4】現代に保存されている『渡船2号』と比較しての推論であり、当時の『滋賀渡船2号』と比較した結果ではない。
そして大正当時の滋賀県の記録では『滋賀渡船2号』どころか『滋賀渡船い号』系統で脱粒性が「難」の品種はない(当時の記録からして合致する品種がない)

「渡船2号は山田錦の父親品種だ」派の皆さんはこの点について、どの記録を元に、どのような根拠で、どのように説明出来るのでしょうか?
まだまだ検討の余地はあるように思えませんか?



【プチまとめ】定説における疑問点
【壱】「滋賀農試の育成にかかるもの」って表記、本当に「『短稈渡船』を育成したのは滋賀農試」と言う意味なの?
【弐】大正6年当時の試験記録も当たらないで結論を出して良いの?
【参】奨励品種に採用されていない渡船系品種は検討しないで良いの?
【肆】当時の記録、当時の品種特性で検討しないで良いの?



4.今回、定説の中で問題提起したいものはどれか?

【3】(【参】)からの視点も滋賀県側の記録が残っているので検討する余地は大いにあるのですが・・・
対象系統の数が多く、そもそも特性がぴったり合う系統が存在しないですし、後述するようにそもそも今回は「滋賀農試育成してないんじゃないの?」という視点からお話しするので・・・
今回は外して隅っこに置いておきます。

改めて
ここで今回の問題提起としたいのは【1】(【壱】)


「“滋賀県農試の育成にかかるもの“と書いてあった」(だから『短稈渡船』は滋賀県育成品種の内のいずれかではないか)

推論の根幹にも関わる、最も大切な、この記述が間違っていたとしたら?
もしくは解釈が間違っているとしたら?

ちなみに、同じ大正9年度の業務功程の本試験では『渡船』と『短稈渡船』が試験に供試されているのですが、この結果表内では『渡船』も同様に、取り寄せ先は「滋賀県」と表記されています。
ここに疑問点を持ったのです。

在来の『渡船』と言う品種の大きなくくりをすべて「滋賀農試が育成した(滋賀農試から取り寄せた)品種」という扱いにしていたのではないでしょうか?

となると、【1】における大正9年度業務功程の「滋賀農試の育成にかかるもの」という表記は、「『短稈渡船』を育成したのは滋賀農試」という意味ではなく、「滋賀農試が育成した渡船系の品種である」という意味合いで表記されている可能性があるのではないでしょうか?

つまり、定説は「大正6年頃に滋賀農試が育成した渡船系品種」という前提で話をしているので、『滋賀渡船2号』『滋賀渡船4号』『滋賀渡船6号』のどれかではないか?という仮定になっているのであって
兵庫農試が在来種『渡船』系統の品種をすべて「滋賀農試で育成されたもの」として扱っていたとしたら・・・考える軸をずらす必要があります。

実際
滋賀農試取り寄せで間違いの無い『渡船』ですら、取り寄せ先は「滋賀県」であったり「当場(兵庫農試)」になったりとかなりの表記ブレがあります。


5.定説で参照されていない資料を探してみよう

池上氏らが定説で参照していない当時の兵庫県の記録を当たってみましょう。
理由は不明ですがこの頃の兵庫農試の対外的な業務報告書はかなり複雑になっていました。

 〇大正元年「稲作試験成績略報」
 〇大正2年「試験成績畧報」
 〇大正元~2年「米麦試験成績要報」
 ×大正3年・(不明・未発見)
 〇大正4~5年「水稲試験成績」
 〇大正6年「米麦試験成績」
 〇大正7年「農事試験成績報告」
 〇大正8年以降「大正□年度業務功程」※「業務功程」は定説でも一部参照

単純な「業務功程」という名称ではなく、まとまっている年度や名称も絶妙に違います。
※定説で参照されている「大正6年度業務功程」には数行程度の文章しかなく、何の役にも立ちませんので、上記の「米麦試験成績」を参照する必要があります。

兵庫県では保存していないのか、名称が違ったせいで関係ないと思ったか・・・はわかりませんが、ついでに大正8年、11年、12年の業務功程についても池上氏らは参照していないようです。
兎にも角にも今回は、池上氏らが参照していない(多分)この資料を参照しています。

定説で『短稈渡船』が兵庫県に渡ったとされている大正6年より少し前を見てみましょう。
大正4~5年度において兵庫農試の品種試験は「第一品種試験」と「第二品種試験」の2種類が実施されています。

以下「水稲試験成績:兵庫県立農事試験場」より

「第一品種試験」

本試験ハ従来當場ニ於テ試験ノ結果其成績比較的優良ト認メタル品種ニ就キ更ニ比較調査シ以テ本縣ノ風土ニ適スル優良種ヲ選定セントスルニアリ

従来兵庫県立農事試験場で試験してきた結果、比較的優良と認めた品種についてさらなる比較調査を行い、兵庫県の風土に適した品種を選定することを目的としているようです。

「第二品種試験」
本試験ハ各地方ニ於テ優良ト認メラレタル品種ヲ新タニ取寄セ之ニ畿内支場ニ於テ育成セル新品種竝ニ當場選出ノ新品種ヲ加ヘ主トシテ其特性ヲ精査比較シ以テ當地方ニ適スル優良品種ヲ撰擇セントスルニアリ

第一品種試験の前段階ともいえるもののようです。
新たに取り寄せた兵庫県内地方で優良とされる品種、農林省農事試験場畿内支場育成の新品種、そして兵庫県立農事試験場選出の新品種とを精査比較して、兵庫県の風土に適した優良品種を選択していたようです。


また、大正4年度業務功程でも「第一品種試験」の供試品種については多年試作ノ結果優良ト認メタルモノ」と、そして「第二品種試験」については最近各地ヨリ取寄セタル品種」と記述されています。

「第一品種試験」は過去複数年試験してきて優秀と認められた品種に対する本試験、「第二品種試験」は新しい、もしくは試験回数の少ない品種に対する予備的な試験ということです。
実際のところ
「第一品種試験」は大正6年に「品種比較試験」、そして大正8年からは「本試験」へと
「第二品種試験」は大正6年に「品種比較豫(予)備試験」、そして大正8年に「豫(予)備試験」へと
名称が変わっています。

さて、この兵庫農試における品種試験の種類や性質が『短稈渡船』と何の関係があるのか?と思われたかもしれませんが、実はこれが非常に重要です。
定説では大正9年の本場において水稲品種比較試験(供試3年目)に記載されているという『短稈渡船』。
定説では詳細が未記載ですが、これは品種比較試験の「本試験」です。
供試年数から逆算すれば、『短稈渡船』は大正7年からこの本試験に供試されているはずですね。

であるならば、『短稈渡船』は大正6年以前に「第二品種試験(品種比較予備試験)」に供試されている、もしくは少なくとも何らかの試験への供試は行われているはずですよね?

供試されているはず・・・だったんですが

前述した大正2~6年の各種報告を見ても『短稈渡船』はどこにも見当たりません。
経年試験で評価された品種をさらに厳選・評価する「本試験」に供されているのに、その前段階・供試前提となるはずの「予備試験」等に名前が見当たらない・・・
これは一体どういうことでしょうか?


6.兵庫農試 第一品種試験(本試験)供試品種の変遷

兵庫農試における「第一品種試験」もとい「本試験」。
本来、経年試験の上で優秀と認められた品種達が供試される試験だというのに、『短稈渡船』はその予備試験等に供試されている記録がない・・・
よほど優秀と認められていたのか?もしくは違う名前で供試されているのか?

・・・などと推測する前に、ちょっと待った

そもそも「経年試験の上で優秀と認められた、まさに選り抜きの品種達が供試される試験(誇張)」という兵庫農試の口上は果たして本当でしょうか?
文章上はそんなことを書きつつ、実際は予備試験を省いた飛び入りで供試されている品種がいっぱいある・・・なんてことになっていないでしょうか?疑ってみるべきですよね。

本試験と予備試験の分類が明確に確認できるのは大正4年の記録からになっています。

大正4年~5年度に「第一品種試験」に供試されているのは
『森早生』『山田穂』『奈良穂』『萬作坊主』『渡船』『東京一本』『新関取』『神力×三把』『乙姫』『相徳』『赤穂穂』『福助』『神力』『朝日』『七面鳥糯』
この15品種です。

これが大正6年の「第一品種試験」では『萬作坊主』『新関取』の2品種が消え、『改良白玉』『東京』の2品種が追加されています。
『改良白玉』は大正4~5年の「第二品種試験」に供試。
『東京』は大正4~5年の「第二品種試験」には名前がないものの、大正元年の品種試験に供試され、「多収量の中稲優良品種」と評価を受けており、兵庫県での経年試験の実績を持つ品種です。

続いて大正7年。
消えた品種は『相徳』『乙姫』『福助』『朝日』の4品種。
追加された品種は『亀治×神力ラ』『中六号』『猫又』、そして『短稈渡船』です。
『亀治×神力ラ』『中六号』の2品種は大正6年の「品種比較予備試験」に供試。
『猫又』は予備試験に名前がないものの、兵庫県の平坦部で普及が進んでいる品種とされており(大正5年水稲品種分布調査:兵庫県立農事試験場)、兵庫県現地での栽培実績は十分にある品種と言えそうです。


検証期間が非常に短く、かつ結果も綺麗に予備試験に品種名が確認できたもの・・・とはいきませんでしたが
『短稈渡船』以外は、予備試験で名前が確認できるか、兵庫県での栽培実績が確認できる品種でした。
やはり「経年試験の上で優秀と認められた品種達が供試される試験」という点に基本的に誤りはないように見受けられます。


こうなると『短稈渡船』は

【ケース1】経年試験の実績が必要ないと判断されるほど優秀・有望な品種だったため飛び入りで本試験入りした
もしくは
【ケース2】別の品種名で予備的試験に供試されていたために見つからない
もしくは
【ケース3】予備試験の記録が全く残っていない

ということになるのでしょうか?

まず【ケース3】の可能性も当然あるのですが、それでは議論の余地がないので、隅っこに置いておきます。
となると、残るは【ケース1】と【ケース2】。
ただしこの場合、定説通り【『短稈渡船』=『滋賀渡船2号』】だとすると大いに疑問が残ってしまいます。


7.疑問点1:『滋賀渡船2号』はそれほど有望な品種ではない

【ケース1】経年試験の実績が必要ないと判断されるほど優秀・有望な品種だったため飛び入りで本試験入りした?


『滋賀渡船2号(渡船い第9号)』は平成の世でこそ「山田錦の父親だ」という決めつけで妙にもてはやされてはいますが、当時の試験成績や他県の評価を見るに、基本的には『滋賀渡船6号(渡船い第71号)』の方が評価が高いです。

『2号』は『渡船系品種群』とは明らかに違う草型が特徴的なだけで、耐病性・耐倒伏性・収量共に優っているのは『6号』の方です。
かと言って完全な劣等品種というわけでもないので、「試験する価値がまったくない」とまでは言いませんが、そんな品種が予備試験を飛ばしていきなり本試験に供試されるというのには少し違和感を覚えます。
土地が変われば品種の特性(優劣)も変わる、これは明治時代から常識で、滋賀県の品種が兵庫県の土壌・気候でどう育つか事前評価もせずに、いきなりエリートである奨励品種候補組(第一品種試験)に仲間入りさせる、そんなことがあるでしょうか。

「短稈だから育種材料として優秀だと考えたのでは」と言う声が聞こえてきそうですが、それを語るならばやはり当時(大正6年)の滋賀県側の記録を当たらなければ意味がありません。(兵庫県では当然、滋賀県側の当時の評価に基づいて品種を取り寄せるのですから、現代での酒蔵の取扱やイメージ論で語っても全くの無意味です。)

滋賀農試の大正6年度業務功程ではこう評価されています。


『滋賀渡船2号』
在来ノ渡船ニ比シ草丈甚低ク分蘖多キヲ以テ在来渡船ノ適地外ニモ栽培見込アリ

『滋賀渡船6号』
在来渡船ニ比シ草丈甚低ク倒伏並病害ニ抗スル力強ク収量多シ



「6号は長稈で2号は短稈だ」というのは現代の保存系統を比較した認識であって、当時の認識では両者が「在来『渡船』より草丈がとても低い」品種でした。

品種名稈長(3年平均)収量(3年平均)穂揃期成熟期
い九號
(滋賀渡船2号)
3.484尺3.150石9月10日11月3日
い七一號
(滋賀渡船6号)
3.410尺3.394石9月10日11月1日
滋賀県立農事試験場大正五年度業務功程より

実際、滋賀農試の記録(上表)では、品種化される前の大正3~5年の比較試験において稈長の実数は『2号(い第9号)』と『6号(い第71号)』は全く同じ(かむしろ6号の方が短い)で、「6号が長稈だった」というのは全くの事実誤認となります。
(後年変化により、現代の保存系統の『6号』が長稈なのはその通りですが)

『短稈渡船』の正体を論じる基準となる大正6年前後においては、両者ともに「短稈」と呼ばれる認識は、十分にあったわけです。

そして収量性も『6号』が上、熟期も成熟期にも差異は無し。
『2号』優位の情報は全くと言って良いほどありません。
大正時代には早々に『2号』が原種(奨励品種)から外されたのに対して、『6号』が昭和30年代まで残されたことから考えても「短稈で分蘖の多い”だけ”の『滋賀渡船2号』」よりも「短稈で倒れにくく、病害耐性が高く、収量も多い『滋賀渡船6号』」の方が当然優秀と認められるに違いありません。

定説通り【『短稈渡船』=『滋賀渡船2号』】だとすれば、兵庫農試はさほど優秀でもない品種をわざわざ特別扱いで飛び級試験した・・・なんて変なことをしていることになりませんか?


8.疑問点2:他の滋賀農試取り寄せ品種には系統名を使っている点

【ケース2】別の品種名で予備的試験に供試されていたために見つからない?

『短稈渡船』が試験に登場する大正7年より以前、兵庫農試の大正6年度業務功程には滋賀県立農事試験場から取り寄せ、試験に供試している品種で『神力286号』『神力324号』の名前があります。

滋賀県育成品種一覧でも紹介しましたが、これは『い第286号(滋賀神力5号)』と『い第324号(滋賀神力7号)』のことと思われ、他の神力育成系統『い第188号(滋賀神力1号)』『い第259号(滋賀神力3号)』よりも優秀とされていた品種です。
大正6年の時点で既に、滋賀農試の純系淘汰試験『い号』系統が兵庫農試に供試されていたことはこれからも間違いがありません。
※『い号』系統は滋賀農試における『在来神力』と『在来渡船』への第一次純系淘汰系統名です。

ただそれならば
①滋賀農試の『神力』系統に対して純系名を用いているのならば、同じ滋賀農試取り寄せの『渡船』系統に対しても純系名を用いるのが自然ではないか?
②神力系統最優秀の2品種を取り寄せたのなら、『渡船』系統も最優秀の『2号』『6号』を取り寄せるのが自然ではないか?
という疑問がわきます。

定説通り『滋賀渡船2号』=『短稈渡船』とするならば、
①兵庫県はわざわざ他の滋賀県取り寄せ『神力』系統とは違う特別な扱いをして名前を変え
②より優秀であるとの評価の『6号』ではなく、収量も耐病性も耐倒伏性も劣る『2号』だけを取り寄せた
…といういささか不自然なことを行ったことになります。

②を無視したとして
『滋賀渡船2号』を取り寄せていたのなら、神力系統と同様に『短稈渡船』ではなく『渡船9号』とするのが自然ではないのでしょうか?


9.疑問点3:別品種扱いで試験されてる『短稈渡船』と『滋賀渡船2号』


以上【ケース1】と【ケース2】の場合の疑問点を述べましたが、さらに『短稈渡船』=『滋賀渡船2号』だとおかしなことがあります。

池上氏らの定説では全く触れられていませんが
大正14年、兵庫県立農事試験場明石本場では『滋賀渡船2号』(滋賀県取り寄せ)と『短稈渡船』(当場)の品種比較試験が行われている記録が残っています。
※正確には『滋賀渡船二』と”号”が抜けていますが、『辨慶』で紹介しているように兵庫農試は”号”を抜いて表記する常習犯なので、『滋賀渡船2号』と理解して良いでしょう。

この「品種比較試験」は前述した「本試験」と同じで、予備試験で有望と認められた品種についてより精密な調査を実施し、兵庫県の風土に合う品種を選定することを目的としています。
となるとおかしな話で、『滋賀渡船2号』が『短稈渡船』であるならば、なぜわざわざ同じ品種をもう一度取り寄せて、しかも比較試験をする必要があるのでしょうか?

他県における異名同種を認識していなかったのならともかく、大正9年の記録「滋賀農試の育成にかかるもの」が定説通りの解釈なら、正式に試験場間で行われた提供行為のはずで、それであるなら「兵庫農試で『滋賀渡船2号』が『短稈渡船』であると認識出来ない」というのはおかしい話です。
しかも数十年も経過しているなら兎も角、先ほどの記述があった大正9年からたった5年しか経過していない時点でのことです。
一般に普及せず試験場が管理していた品種がそう簡単に劣化するとも思えないので、同じ品種を再度取り寄せて比較をする意味もあるようには思えません。

そして『渡船』と『短稈渡船』は共に取り寄せ先が「滋賀県」とされてきましたが、この時点で共に両品種共に取り寄せ先は「当場」扱いになっている点も見逃せません。
これはつまり

やはり
大正9年時点での表記は「『短稈渡船』が滋賀農試で育成された」という意味ではなく
「品種群『渡船』全体を指している意味」で用いられたものであり
『滋賀渡船2号』と『短稈渡船』は”よく似た別の品種”と兵庫県で認識していた
のではないでしょうか。


ちなみに、試験結果は以下の通りで、『短稈渡船』と『滋賀渡船2号』が非常によく似ている品種であることは、当時の記録からも間違いは無いようです。(でも「似てること」と「同じ品種であること」は違う問題です)

品種名取寄先出穂期成熟期草丈茎数稈の強弱玄米反当収量
渡船(原種)当場9月6日11月10日4.19尺9.52.966石
短稈渡船当場9月8日11月10日3.44尺20.23.074石
滋賀渡船二滋賀県9月9日11月10日3.56尺19.22.989石
兵庫県立農事試験場 大正十四年度業務功程「水稲品種比較試験」


なお、大正15年も『短稈渡船』、『滋賀渡船2号』共に引き続き品種比較試験に供試されており、この年は兵庫県で純系淘汰育種された『渡船五三號』(武庫郡原産)とも比較されています。
『渡船五三號』は標準的な渡船系品種群と草型が明らかに異なり、『短稈渡船』『滋賀渡船2号』と同じ偏穂数か穂数型の品種でした。
大正15年の試験での茎数は

短稈:滋2号:五三號=16.8本:19.8本:19.4本

なので、『渡船五三号』は『短稈渡船』よりもより穂数型依り・・・だったのかもしれません(単年度だけの試験結果では断言できかねます。)
いずれにしても昭和2年の試験で3品種全て姿を消していることから、兵庫県では「穂数型の渡船」は有用と認められなかったのかもしれません。
ただ、大正14年から15年にかけて「穂数型の渡船」に対する試験評価を兵庫農試が行っていたことは確かです。


10.疑問点まとめ




【プチまとめ】『短稈渡船』=『滋賀渡船2号』だとすると変じゃない?

【①】当時の記録を見ても際立ってと言うほど優秀で無い他県の品種を、予備試験もせずにいきなり本試験入りさせるようなことをするの?

【②】なんで滋賀県の他の品種はちゃんと系統名表記されているのに『滋賀渡船2号』だけ『短稈渡船』という独自名称を付けるの?

【③】大正14年に当の兵庫農試が『短稈渡船』と『滋賀渡船2号』を別品種として試験しているのに同じ品種?



自然に考えれば

【①】「第一品種試験」に供試される品種は「兵庫県で経年試験されてきた品種」なのだから、他県の品種で、しかも兵庫県での実績の無い品種であることは考えにくい。(実績の無い『滋賀渡船2号』は供試されないのが自然では?)

【②】他の滋賀農試育成品種『神力』が純系名で記載されているのだから、同じように滋賀農試の『渡船』を取り寄せたのなら同じく純系名での表記をするはず。
この時点での『滋賀渡船2号』の純系名は『い第9号』なので、神力系統と同様の扱いをするなら『渡船9号』と表記するはず。(『渡船い第9号(滋賀渡船2号)』を『短稈渡船』なんて名前に変えることはないのでは?)

【③】はこれ以上でもこれ以下でも無く、なぜ同じ品種を並べて試験をする必要性があるのか?(やはり『短稈渡船』と『滋賀渡船2号』は別品種だからでは?)

以上より
大正7年に供試された『短稈渡船』は『い第9号(滋賀渡船2号)』ではなく、「大正6年以前から兵庫県にあった渡船系の品種」ではないでしょうか。

そしてそれは兵庫県が経年試験してきた『渡船』からの選抜種なのではないでしょうか。
「選抜する前の元々の種子の取り寄せ先は滋賀県」と言う意味で記載し、それが大正9年の「滋賀農試の育成にかかるもの」という表現に繋がったのではないでしょうか。


11.では、『短稈渡船』の正体は?

『滋賀渡船2号』でないとすれば、『短稈渡船』の正体は?

植物形態としての特徴としては
・偏穂数型で、芒の多少・長短が「中」、脱粒性が「難」(定説より)
・出穂期は9月10日~13日(T7~T9試験成績)
・収穫期は11月2日~17日(同上)
・稈長は約94.2cm、穂長は約19.1cm(同上)※
・1株茎数は19.9本(同上)※
・粒の大小は「大」(同上)
※後述しますがこれは「単純な平均値」なので「正確な値」とは違います

に加えて、今まで述べてきた条件を加えれば

・大正6年以前より兵庫県での試験成績、もしくは兵庫県内での普及実績のある品種

と言うことになります。
この条件に当てはまるような品種があるのか・・・ありました。


12.『新種』達と『短稈渡船』を比べてみる


大正4~6年度の3ヶ年に渡って、兵庫県立農事試験場の第二品種試験には兵庫県各郡、各県、畿内支場から集められた品種に加えて、「兵庫県立農事試験場選出の新品種」と思われる『新種A』~『新種E』の5品種が記述されています。

私が注目したのはこの5品種です。
由来も、元の品種も記載されていないこの正体不明の品種達が大正4~6年度の試験、つまり『短稈渡船』が試験に本試験に供試されるより前の年に供試されているのです。
そして5品種のいずれも、『短稈渡船』が本試験に登場した大正7年以降、いずれの試験からも名前を消しています。
これは「すべて廃棄された」もしくは「選出された一部品種は名前を変えて試験継続している」かのどちらかと思われます。

そんな『新種A』~『新種E』の3年分(T4~T6)の試験記録は以下のとおりです。
比較として『短稈渡船』の3年分(T7~T9)、『滋賀渡船2号(い第9号)』『滋賀渡船6号(い第71号)』の試験記録も掲載しています。

品種名出穂期収穫期稈長(cm)1株茎数穂長(cm)芒の多少粒の大小
新種A9月11日11月10日96.319.920.7
新種B9月10日11月9日104.616.822.2有多
新種C9月12日11月9日90.320.420.5
新種D9月14日11月9日89.321.819.5
新種E9月14日11月10日90.920.7519.7
短稈渡船9月11日11月8日94.219.919.1
滋賀渡船2号9月6日11月3日105.523.714.5中少
滋賀渡船6号9月8日11月1日103.3
1422.4長少

試験年(気象条件)も違えば、栽培条件も違うでしょうし、滋賀渡船系統については地域すら違いますので本来は単純比較は出来ませんが・・・

【芒】
A~Bの中で『短稈渡船』と同様に芒があるのは唯一『新種B』だけです。
【出穂期・収穫期】
『新種B』は『短稈渡船』とほぼ同等です。

これは『新種B』が『短稈渡船』では?
でも・・・他数値が微妙に合致していないんじゃ?と、見ることが出来たあなたは冷静です。
確かに、一見だけすると茎数や稈長が合っていないように見えますが、これは平均値を比べているからで・・・標準誤差というか、突出した異常値を勘案していないためです。
『新種A』~『新種E』には年次間差はあまり見られないのですが、『短稈渡船』は年によって異様に数値が上がったり下がったりしているため、平均値だけで見ると正確な姿は見えてきません。(記録ミスか実際に差があったか、真相は闇の中)


【茎数】
『新種B』は『短稈渡船』より大分少ないように見えるかもしれませんが、これは大正7年の試験での『短稈渡船』の茎数が「31.2本」とかなり突き抜けて多い(他2年は「15本」と「13.5本」)ためで、これを勘案すれば平均17本の茎数がある『新種B』と『短稈渡船』にそれほど差があるとは言えません。
『新種B』が偏穂数型、他『新種』が穂数型・・・と考えるのは独りよがりでしょうか?

【稈長】
これも平均の数字だけを見ると微妙ですが・・・
各年で見ると、『新種A』と『新種B』が約100cm前後で、『新種C』~『新種E』が概ね90cm前後なのは間違いないです。
そして『短稈渡船』は大正7年が「約101cm」、大正8年が「約83cm」、大正9年が「約98cm」となっており、大正8年の数値が低いために平均が90cm台中間になっているのです。
先ほどの大正14年の試験結果でも『短稈渡船』の稈長は「約104cm」だったことを踏まえても、本来の稈長は100cm前後であり、これならば『新種B』ととても近い数値です。


茎数・稈長で近くても、そもそも芒がない4品種ははじかれ、「粒の大きさ」でも唯一「大」で共通しているのは『新種B』です。

『滋賀渡船2号』が後年の試験で『短稈渡船』と非常に似ていることは述べましたが
この時点での比較では茎数が多すぎ、穂長もやけに短いようです。(ただし試験地も条件も異なるでしょうから単純比較できないものである点に留意は必要)


13.『短稈渡船』は君だっ!


【第一条件】
『短稈渡船』が供試されている「本試験」は、当時実際供試されていた品種の入れ替わり実績を検証しても「兵庫県における経年試験で優秀と認められた品種が供試される試験」であること
⇒大正7年以前に兵庫農試の試験に供試されている品種

【第二条件】
大正7年以前に試験に供試され、『渡船』系列の可能性があり、『短稈渡船』が本試験に登場した大正7年には姿を消した品種であること
⇒第二品種試験(予備)に供試されている『新種A』~『新種E』の5品種

【第三条件】
『短稈渡船』と特性が似ている品種
⇒『新種B』

以上のことから
『短稈渡船』とは『新種B』ではないか
そしてこれは兵庫県が『渡船』から選抜した系統であると思われる
というのが墨猫の推論です。


14.蛇足 稈の短い『渡船』の存在

「兵庫県が『渡船』から選抜した系統『新種B』こそが『短稈渡船』」
と管理人の推論を出したところで、改めて

「兵庫県の池上氏らが発表した内容や解釈は間違っている!」などという主張ではなく、「こういう捉え方をしてみた」という話です。

明確な答えというか、絶対的な正解・結論など出しようが無い問ですから、こればかりはいくらでも考えようがあると思います。
ただ、池上氏らの定説にも疑問点が残るところは多く、別の考え方も出来るんだと言うことを知ってもらえたらと思います。


ところでどういう経緯で『新種B』が選抜されたのか・・・は、よほどの奇跡的な資料でも見つからない限り、これについては永遠にわからないでしょう(兵庫県さん頑張ってくださいよ)。

1.当初(明治後期)に『渡船』を滋賀県から取り寄せた際、この時既に稈の短いものが混ざっていたのかもしれませんし
2.兵庫農試で系統保存する中で交雑して短稈系統が出てきたのかもしれませんし
3.兵庫県内で収集した『渡船』の中から短稈系統を選抜したのかもしれません(明治期の純系選抜は明確な記録がないことが多いです)

「1.」や「2.」ならば滋賀県から聞いていた特性とは明らかに違う系統を保存しつつ試験していたのかもしれません。
滋賀県では実際短稈・多分櫱の『滋賀渡船2号』を見いだしているのですから、どこかに『渡船』と呼ばれつつ形態の全く違う稲品種が存在していたことは間違いないでしょう。

そして「3.」についても面白い資料を見つけました。
少し前に触れましたが、大正5年に兵庫県立農事試験場が行った「水稲品種分布調査」では兵庫県内の各郡・各村における品種ごとの作付面積の詳細な調査が行われています

滋賀県に倣ってか「『渡船』は『雄町』の同系品種と認める」としながらも、ちゃんと『雄町』とは別に『渡船』の作付面積も調査されていました。
『渡船』は多可郡、飾磨郡、水上郡、多紀郡、津名郡で計972.8町歩の作付けが記録され、簡易な品種の特長の記載がされています。
早晩性は「中~晩」で、粒の大小は「大」と共通しているのですが、最後「藁の長短」だけ一箇所違うところがありました。

すべての『渡船』が「長」と記録されている中、多可郡の『渡船』30.3町歩だけなぜか「短」と記録されていたのです。
(「藁の長短」なのでこれを「稈長」と受け取って良いか正直微妙ですが)これがもしかしたら『短稈渡船』や『滋賀渡船2号』かもしれないですね。
※滋賀農試は『滋賀渡船2号』選出の際に兵庫県からも素材を収集しているし、兵庫農試も珍しい『渡船』に目を付けた可能性はある・・・かも

また既に記述していますが、兵庫農試で行われた『渡船』に対する純系淘汰育種で育種された、『短稈渡船』と同様の短稈・多分櫱(在来渡船比)の『渡船五三號』は武庫郡から取り寄せた中から選抜されています。

さらにさらに
兵庫農試の大正14年度業務功程に記載があるのですが
「水稲地方委託試験」において、津名郡における試験で供試されている『短稈渡船』は「郡在来種」とされています。

「滋賀県で育成された『渡船』」という定説に基づけば、それと同種と考えられていた「短稈の渡船種」は兵庫県内に多数存在していたことが窺えますね。


15.あとがき

冗長な駄文をここまで読んで頂いた方、まずはありがとうございます。

今回『短稈渡船』の正体について墨猫大和なりの答えを出したわけですが、これにも大分穴はあります。
やはり「短稈渡船は滋賀農試の育成にかかるもの」という決定的と言えば決定的な表記があるわけで、定説の方が十数年以上流布されてきたわけですから、多分否定的な反論もあるでしょう。

ただ、繰り返しになりますが
こればかりは当時の業務功程を読み込んだ人間しかわからないと思うんですが、本当になんというか「記録の仕方が雑」なんです。
何を基準に、どういう考えで、定義するのか、そして前年と整合をとれるようにするのか等が本当にバラバラで、年度により品種名や取り寄せ先が変わっていることが普通に起きています。
当事者にとっては「いやだって両方とも同じ意味で使ってるし・・・」程度の感覚(当事者同士なら通じる理屈)なのかもしれませんが、外部の第三者が理解するには非常に雑な記述になってしまっています。
そういった印象を元に組み立てた「新説・『短稈渡船』の正体論」でした。


定説の疑問点・・・と言うより否定するような内容も書き連ねてきましたが、やはり「大正14・15年に『短稈渡船』と『滋賀渡船2号』が比較試験されている」というのが私の中では決定的です。
この点だけはどう考えても不自然ではありませんかね?

それに『短稈渡船』が登場したころの『滋賀渡船』は明らかに後年とは形態的特性も異なります。
その特性の異なる現代の農研機構保存の『渡船2号』と、当時の『短稈渡船』を比べて「似てるから同じ品種」ってちょっと違うんじゃ・・・?という疑惑も根深いです。


「あなた」はどう感じ、どう考えますか?
当時の資料や記録を元にした反証・反論は大いに待ち望んでおります。
(誰か当時の滋賀農試渡船系統検証してくだちい)


参考文献

〇明治二十八年三月 農事試験成績第一報:兵庫県農事試験場
〇明治二十九年三月 農試験成績第一報:兵庫県農事試験場
〇明治三十年三月 農事試験成績大五報:兵庫県農事試験場
〇稲作試験成績略報 大正2年3月発行:兵庫県立農事試験場
〇試験成績畧報 大正3年発行:兵庫県立農事試験場
〇米麦試験成績要報 大正4年2月発行:兵庫県立農事試験場
〇水稲品種分布調査 大正五年第五號:兵庫県立農事試験場
〇水稲試験成績 大正六年第一號:兵庫県立農事試験場
〇米麦試験成績  大正7年3月発行:兵庫県立農事試験場
〇農事試験成績報告 大正8年1月発行:兵庫県立農事試験場
〇大正四年度業務功程:兵庫県立農事試験場
〇大正六年度業務功程:兵庫県立農事試験場
〇大正八~十五年度業務功程:兵庫県立農事試験場
〇酒米品種『山田錦』の育成経過と母本品種『山田穂』,『短稈渡船』の来歴:兵庫県立農林水産技術総合センター

〇大正四~六年度業務功程:滋賀県立農事試験場

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2020年11月20日金曜日

滋賀渡船「2号」「4号」「6号」であるワケ 滋賀県立農事試験場育成品種


『短稈渡船』を探せ!シリーズでも紹介した、『山田錦』の父親品種として扱われている『滋賀渡船2号』『滋賀渡船6号』の2品種。

『滋賀渡船6号』と『滋賀渡船2号』


これは滋賀県が純系淘汰によって育成した品種で、同じく『渡船』から育成された品種は

『滋賀渡船2号』
『滋賀渡船4号』
『滋賀渡船6号』
『滋賀渡船白銀』
『滋賀渡船26号』

の5品種があります。


数字の並びに空きが…?

さて、この並び、特に数字を見て不思議に思いませんでしょうか。
少なくとも私は最初見たときに不思議に思ったのですが

なぜ「1,2,3」でも「4,5,6」でもなく「2,4,6」なのか?

大きく離れている『滋賀渡船26号』はともかく、『滋賀渡船2号』『滋賀渡船4号』『滋賀渡船6号』は同じ大正2年育成開始・大正5年育成完了と同期の品種です。
なぜ連番にならず、偶数のみになっているのか。

実は品種採用されていないだけで『滋賀渡船1号』『滋賀渡船3号』『滋賀渡船5号』などが選抜されており、優秀な系統をさらに選抜した結果この3品種のみが残ったのではないか?
農研機構のジーンバンクで保存されている『渡船3号』とはその未採択品種ではないのか?
・・・と思っていた時期が私にもありました。

なぜこのような配置になっているか?
その答えは滋賀県立農事試験場の育種事業を整理すると自ずとわかってきます。
(というかやはり憶測だけでなく、ちゃんと調べるのは大事ですね)

さて、抜けている「1号」「3号」「5号」達はどこに行ったのでしょうか?



滋賀県が育成した品種達

滋賀県のホームページでは、育成した品種一覧がこのように公表されています。



数字に強い方だとこれを見ただけですぐ気付けるんでしょうか?(少なくとも私は全然気付きませんでした)

しかしこの一覧も不完全というかちょっと間違っているので、これだけだと不十分で微妙に足りないのです。
都道府県が公表している情報でも調査不足というか、情報不足なものがあると思い知らされます…


滋賀県立農事試験場(大正当時)の品種育成事業

さて
滋賀県立農事試験場では大正2年より滋賀県の基幹品種について、純系選抜による育種を行うことでより優れた品種の育成を目指していました。
その第一弾として大正2年から開始されたのが『渡船』と『神力』の在来2品種です。
この年から始まった純系選抜系統には『い號』の系統名が付されています。

同じく大正3年、『壽(寿)』『関取』『中生神力』について純系淘汰を開始。
この年の系統名は『ろ號』です

大正4年は『は號』(『早生神力』『善光寺』『関取』『壽』『大川』)、大正5年は『に號』(『渡船』『晩生神力』『日出』『三寶』)…と
そう、この頃の滋賀県農事試験場では同年に育種開始した複数品種を一括の系統名で管理していました。
大正2年をはじめとして、「いろはにほへとちりぬるを…」と毎年順番に付けています。

国立図書館に所蔵、及び滋賀県が保管している「滋賀県立農事試験場業務功程」から拾えただけの滋賀県育成の純系淘汰品種は以下の通りです(大正2年~昭和元年の期間)。


滋賀県育成純系淘汰品種一覧

品種名選抜
開始年
選抜元
品種(在来)
区分純系名命名年配布
開始年
滋賀神力1号大正2年神力い號い第188号大正5年無し
滋賀渡船2号大正2年渡船い號い第9号大正5年大正5年
滋賀神力3号大正2年神力い號い第259号大正5年大正5年
滋賀渡船4号大正2年渡船い號い第61号大正5年大正5年
滋賀神力5号大正2年神力い號い第286号大正5年大正5年
滋賀渡船6号大正2年渡船い號い第71号大正5年大正5年
滋賀神力7号大正2年神力い號い第324号大正5年大正5年
滋賀壽8号大正3年壽(寿)ろ號ろ第38号大正6年大正6年
滋賀関取9号大正3年関取ろ號ろ第102号大正6年大正7年
滋賀中神10号大正3年中生神力ろ號ろ第220号大正6年大正6年
滋賀関取11号大正4年関取は號は第325号大正7年大正7年
滋賀早神12号大正4年早生神力は號は第11号大正7年大正7年
滋賀関取13号大正4年関取は號は第330号大正7年大正7年
滋賀善光寺14号大正4年善光寺は號は第131号大正7年大正7年
滋賀神力15号大正5年晩生神力に號に第45号大正8年大正8年
滋賀三寶16号大正5年三寶に號に第374号大正8年大正8年
滋賀葛糯17号大正5年葛木髭糯に號に第432号大正8年大正8年
滋賀白糯18号大正5年白糯選に號に第1号大正8年大正8年
滋賀日出19号大正7年日出ほ號へ第216号大正9年大正11年
滋賀旭20号不明不明(旭選出)大正9年大正9年
滋賀早神21号大正7年早生神力ほ號へ第114号大正9年大正11年
滋賀神力22号大正8年晩生神力と號と第135号大正11年大正12年
滋賀壽23号大正9年ち號ち第104号大正12年大正13年
滋賀中神24号大正9年中生神力ち號ち第137号大正12年大正13年
滋賀渡船白銀大正10年渡船り號り第11号大正13年大正14年
滋賀早神白銀大正10年早生神力り號り第179号大正13年大正14年
滋賀関取白銀大正10年関取り號り第121号大正13年大正14年
滋賀早生善光寺白銀大正10年善光寺り號り第52号大正13年大正14年
滋賀善光寺白銀大正10年善光寺り號り第88号大正13年大正14年
滋賀中神25号大正11年神力ぬ號ぬ第13号大正14年昭和元年
滋賀渡船26号大正11年渡船ぬ號ぬ第12号大正14年昭和元年


※正確には『は號』までは『ろ第113号』ではなく『ろ113号』と”第”が抜けて表記されていましたが、その後の表記と統一して『◇第〇〇号』としています。

ということで、すべて連番で繋がっている

どうでしょうか。
最初の滋賀県の表ではなかなかわかりにくかったと思いますが、育成年の通りに並べるとこのとおりです。
『滋賀旭20号』と、大正13年育成完了の『り號』系統だけが変則的ですが、他はすべて育成年順に通し番号になっています。

『り號』系統が「白銀」になっている理由については、酒米ハンドブックの著者副島先生より教えて頂け、資料(業務功程)をよくよく読み返したらちゃんと記述がありました。
『り號』育成完了となる大正13年の翌年、大正14年が大正天皇の銀婚年(御成婚後25年)に当たることから、これを紀念(記念)して、そしてこれをもって品種改良事業のますますの徹底を期して、育成が完了した系統に番号の代わりとして「白銀」を命名したそうです。
※副島先生からは「銀婚年(大正14年)に”成立した系統”に白銀と命名」との文章を頂きましたが、おそらくこれは滋賀農試が白銀系統の育成年を間違っているせいですね。


話は戻って
最初の問いかけ

抜けている「1号」「3号」「5号」達はどこに行ったのでしょうか?

について
この答えは「同じ『い號』選抜系統の『神力』の純系淘汰品種に割り振られた」になります。
滋賀県立農事試験場の最初の純系淘汰系統である『い號』は、1号~7号の7品種が選抜されており、『神力』『渡船』にそれぞれ番号が振られていますね。

滋賀県が公表している一覧ではなぜか『滋賀神力1号』が抜けているためこれだけではわからないのです…『い號』系統育種完了年である「大正5年度業務功程」では、こっそりと試験結果の表に「滋賀神力一號と命名」と書かれているだけで、かつ原種圃の設置(種子の配布)を行わなかったので、把握できなかったのかもしれません。
『滋賀神力1号』は試験栽培の記録の中には何度か出てくるものの、成績は他の純系淘汰系統に適わず…と良い評価のようには見えませんでした。
これもまた「滋賀県で育成した品種として認められていない」理由かもしれません…が、大正6年時点で滋賀県東浅井郡に0.023反(約23㎡)だけとは言え原種圃に設定されていたという記録もあります。
やはり単なる滋賀県の調査不足・記録漏れでしょうか。

そして『り號』系統(T10年開始・純系選抜第9弾)から選抜されたのが『滋賀渡船白銀』で、『ぬ號』系統(T11年開始・純系選抜第10弾)から選抜されたのが『滋賀渡船26号』です。
ちなみに『に號』系統(T5選抜開始・純系淘汰第4弾)と『と號』系統(T8選抜開始・純系淘汰第7弾)でも『渡船』は選抜元に選ばれていますが、いずれの系統からも『滋賀渡船2号』『同4号』『同6号』以上の品種は見いだせなかったようで、品種化はされていません。

飛んでいた数字がどこに使われているかはわかりました、が
やはり「なぜ偶数なのか」はもう「そういう割り振りをした(慣例だ)から」としか言えません(すみません)

純系淘汰による品種への採用は、後年になるほど減っており(先に育成した品種よりも優秀でないと採用されないため)、同じ在来品種から複数採用されるのは『い號』系統以降はあまりないのですが
大正7年に育成完了した『は號』系統で2品種採用された『滋賀関取』も「11号」と「13号」と、同年に育成を完了した『滋賀早神12号』『滋賀善光寺14号』を挟んで奇数で統一しています。
なにゆえ連番にしないのかはわかりませんが、滋賀県農事試験場では「同じ在来品種由来の純系品種は連番にしない」ルールがあったことがうかがえるのではないでしょうか?

昔の品種は本当に資料がなくて謎が多いですね…試験場の方がご存命の内にとりまとめられていたら…なんてのは後の祭りでしょうか。


まとめ

『渡船』からの純系淘汰品種として滋賀県が育成したのは『滋賀渡船2号』、『滋賀渡船4号』、『滋賀渡船6号』、『滋賀渡船白銀』、『滋賀渡船26号』です。

これだけで見ると不自然に空いているように見える途中の数字は、同県が育成した別の在来品種後代の純系品種達に割り振られています。

…ただ
当然『い號』系統の『渡船』は多数選抜されていたわけで
『短稈渡船』の特徴である「脱粒性:難」が一致する『渡船い第4号』や『渡船い第90号』などがあったり…『山田錦』の父親の正体に対する妄想()がはかどりますね。

今回は資料がそろっていて、かつ『短稈渡船』でも関わりの深い滋賀県の育成品種について調べましたが、他の県でも同じように統一連番になっている…のかな?(青森県の『亀の尾1号』『同3号』『同5号』とか)
機会があれば調べてみたいです(が、なかなかしんどい…だって資料がさ・・・)


『滋賀旭27号』について

今回の初期調査には載っていませんが、続きとなる『滋賀旭27号』についての情報も見つけたので備忘録として
愛知県の「米麦品種改良増殖事業概要並米麦原種圃事業成績」に記載がありました。

滋賀県内の篤農家某氏(篤農家の誰か)が『京都旭』(愛知県育成品種かどうか不明)の中から早生の変わり穂を見つけ、試作してみたらたまたま分裂系(自然交配株の事と思われ※)だったそうです。
※いずれにせよ出穂が早かった穂を選抜して、そのまま『早生旭』になると思って栽培してみたら雑多な集団になった、と言うことでしょう。

そこでその『京都旭』変わり穂後代は滋賀県農事試験場に送られ、そこで系統分離を受けることになったそうです。
早・中・晩の雑多な集団の中から最晩の系統を選抜し、固定したものが『滋賀旭27号』と紹介されています。

『旭』系品種群の中生種が不足していた愛知県がこれ幸いと取り寄せ、『中生旭』として昭和11年から奨励品種に編入しています。

形態は『京都旭』(愛知県育成)とほぼ同等ながら、熟期がやや早く、腰(稈?)が弱いとされています。
米粒は『京都旭』と比べて僅かに小さいながら、腹白少なく色沢良好、”旭米”として取り扱われて然るべき、と評価されています。

表面上の記録は「純系淘汰」ですが、『滋賀旭27号』は完全に自然交雑による交配後代種ですね。
やはり「純系淘汰」は「単なる記録不足」か、「明らかに人為的な交配を経ていない集団からの選抜」と言う意味でしかありません。
「純系淘汰だから近縁」というのがどれだけ根拠の無い話であるか、わかる一例ではないでしょうか。

未確認ながら『滋賀早生旭28号』『滋賀中生旭29号』も、この『滋賀旭27号』と同じ雑種後代達から選抜された品種のように思われます。


そして最後のどんでん返し


農研機構のジーンバンクには『渡船3号』なる品種が保存されています。
品種名の錯誤によるもの…だと思っていた時期が私にもありました。

『(滋賀)渡船3号』と言う品種はもちろん、『渡船1号』や『渡船5号』といった名前の純系淘汰品種(滋賀県農試育成)は存在しません。

ただし

大正12年に滋賀県が行った品種分布調査では『滋賀渡船三號』『滋賀渡船八號』という在来品種が存在しています。

『滋賀渡船三號』は栗太郡で73反の作付けがあり、刈取期は11月上旬。
『滋賀渡船八號』は神崎郡で15反の作付けがあり、刈取期は10月下旬とされています。
ちなみにこの時の『渡船型品種』は滋賀県全体で1,795.4haですから、全体の約0.5%程度に過ぎないようです。(2,4,6号の純系淘汰育成品種は計1,308.6haで全体の約70%)

ジーンバンクの『渡船3号』ももしかしたらこの在来品種の3号…なのかもしれません。(まぁ高確率でただの錯誤だとは思いますが…)


参考文献

〇滋賀県立農事試験場 業務功程(大正2年度~14年度,昭和元年度~2年度):滋賀県立農事試験場
〇滋賀県水稲品種改良(大正6年):滋賀県立農事試験場
〇水稲品種分布調査成績(大正12年):滋賀県
〇米麦品種改良増殖事業概要並米麦原種圃事業成績:愛知県立農事試験場

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2020年10月24日土曜日

短稈渡船とは?~0~【結論だけ?のまとめ】

山田錦の交配父本になった『短稈渡船』とは?
平成の世ではあらゆるところで「復活」した…それって本当に「山田錦の父親」?
長々とした解説は別に、なるたけ簡潔にまとめました。


【注】これはあくまでも管理人墨猫大和の集めた情報による私見です。
必ずしも「正確な情報」ではない点にご注意ください。

”ちゃんとした根拠や論拠”で反論することは十分可能な内容だと思います。
ただし、当時(明治~大正期)の資料を基に反論ください。
現代の慣習や書籍を元に反論されても、この問題は「そもそもその根拠が間違っている」という話ですので意味がありません。





↓より詳しい根拠を読みたい方はこちら↓


結論(時間が無い方のために)

『山田錦』の父親である『短稈渡船』は遠い昔に失われてしまい、存在しません

どこかの研究機関で保存している、なんてこともありません。
「残っていたものを復活させた」というのは酒蔵側の誤解か妄想です。

「山田錦の父親を使った日本酒です」というものを目にしているのならそれは誤りか虚偽表示です。

信じられない方は以下をお読みください。


ちなみに『短稈渡船』の読み方は、滋賀県に習うなら「たんかんわたりふね」です。

最初に、管理人が問題だとしている点

このページも大分閲覧数が増え、見当違いの批判も時折来るようになったので大前提を

酒蔵や酒屋が
①推測や未確定であることを一切説明することもなく
「山田錦の親」を復活させて使っていると宣伝・表示
していることを問題としています。


『滋賀渡船2号』を使用した日本酒に「渡舟」と名付けて売ろうが、「短稈渡船」と名付けて売ろうが、その言葉自体にはなにも制約も違法性もないのですから実際問題があるとは言っていません。(誤解を招くので正直言って倫理的には問題あると思いますが)
『新山田穂1号』使っている日本酒に『山田穂』と名付けようがどうぞご自由に。

ただし「山田錦の親」という謳い文句を付けるなら大きく意味が違ってきます。(山田錦の父親『短稈渡船』、山田錦の母親『山田穂』)
これに「遺伝的に近縁だから」とか「品質は同じだから」なんて言うなら論点がズレています。
「魚沼産コシヒカリ」として売っているものが、別品種で、産地が違っても「魚沼と同じような環境で」「遺伝的に近縁な品種を使って」「品質が同じ」なら許されるなんてことがありますか?
そういった論調には私個人は同調しかねます。

後述しますが
・すでに存在していない「山田錦の親」
・推定や類似品であるという説明を一切せず
・売る側に有利な情報だけを宣伝に使っている
これは大きな問題ではないのでしょうか?

「古い品種が現存しないなんてことわかりきっている。別のものを使っているのは当たり前」と言う企業もいましたがそれが世間一般の感覚なら私のそれが大きくズレているようです。
少なくとも私は「本当に『山田錦』の親である『短稈渡船』や『山田穂』が現在まで保存されていて、それを復活させて使っているんだ」と思っていました。(というか酒蔵側がストレートにそのまんまの謳い文句で宣伝していますし)


さて改めて

山田錦の親『短稈渡船』とは?


・『山田錦』育成の際、交配父本(花粉親)として用いられた品種(『山田錦』の父親)。

・交配を担当した兵庫県立農事試験場の独自の呼称であり、一般には普及していない

・”滋賀県の品種”との記録が兵庫県側にはあるが、『短稈渡船』は前述の通り育成者ではない兵庫県側による独自の呼称であるためその正体は不明

現代に『短稈渡船』として保存されている品種はない(すでに失われてしまい、この世に存在しない)



すでに存在しない?
では現代の『短稈渡船』とはいったいなに?


『滋賀渡船2号』、『滋賀渡船6号』、『渡船』(これは本当に栽培されているものが存在しているか不明)など、すでに存在しない『短稈渡船』以外の品種を酒蔵側の裁量(独断)で「山田錦の親」「短稈渡船」として表示しているものです。

そんなこと出来るの?

〇日本酒の表示制度上、「品種名」の表示には何も規定がないので、悪い言い方をすれば酒蔵側が好き勝手自由に(無根拠や間違ったものでも)表示できます


〇農産物検査法に基づく産地品種銘柄(お米の産地・産年・品種の証明)もありますが、これも管理機関である地方農政局は「品種名の根拠を確かめたり」はしないので、悪い言い方をすれば好き勝手に品種名を設定できてしまいます(『茨城県産渡船』)

そして前述したとおり、そもそも「産地品種銘柄名を表示しなければならない」という法は日本酒にはありませんので、いずれにせよなんとでも出来てしまいます。

かなりいい加減であることがおわかりいただけたでしょうか。



その混乱の元は?


兵庫県立農林水産技術総合センター池上氏らの論文が根拠?

~酒米品種「山田錦」の育成経過と母本品種「山田穂」「短稈渡船」の来歴~において
兵庫県に導入された年次(大正7年頃)であることに加え、『短稈渡船』の特性(当時)とジーンバンクで保存されている『渡船2号』の特性(現代)がよく似ていることから「『短稈渡船』と『滋賀渡船2号』はほぼ同じものではないか」と推測しています(ただし脱粒性の特性は一致していない)


推定であるこの論を拡大解釈して、断定されているものとして広まったと思われます。

ここで押さえておきたいポイント

「ほぼ同じものではないか」と推測しているのであり「『(滋賀)渡船2号』が『短稈渡船』である」とは言っていない。(この推測を元に研究が行われていることは確か)

・同年に滋賀県で『渡船』からの純系淘汰により育成されている品種は少なくとも『滋賀渡船2号』『滋賀渡船4号』『滋賀渡船6号』の3種あること(そして『渡船』純系淘汰『い號』系統には偏穂数型・脱粒性「難」の系統もある)

・『滋賀渡船4号』は現存しておらず、特性表もないので比較できていない





なお
〇『山田錦』の育成者である兵庫県
〇『短稈渡船』の育成者とされている滋賀県
〇酒蔵府中誉が「『短稈渡船』を保存している」としている農研機構
〇産地品種銘柄『茨城県産渡船』が設定され、『茨城県産短稈渡船』が販売されている茨城県
いずれの機関も「『滋賀渡船2号』が『短稈渡船』であるという事実は認めていない」と解答しています。

関係機関、そして何より育成者が認めていないもの売る側の都合で断定していいのでしょうか?



その他様々な説?が(根拠は…?)


【茨城県で栽培されていた?】
酒蔵府中誉を紹介する記事では
「農業を営む80歳ほどの男性から「父と祖父が短稈渡船という酒米を作っていた」という話を聞いた」
との記事があります。↓↓↓
しかし『山田錦』の父本である『短稈渡船』は、あくまで兵庫県の試験場内だけで扱われた”独自の呼称”ですので、これが一般に普及された記録はないはずでは?
茨城県で”短稈渡船”と言う名称の品種が栽培されていたこと自体は否定しませんが、仮に栽培されていたとしてもそれは「山田錦の親」『短稈渡船』とは違うものではないでしょうか?
(兵庫県では原種(奨励品種)指定は『渡船』でしたし、滋賀県では『滋賀渡船2号』『滋賀渡船4号』『滋賀渡船6号』『滋賀渡船白銀』…)

ちなみに府中誉は農研機構から種子譲渡を受けているので、その品種は『(滋賀)渡船2号』であることは明白です。


【倒れにくいものを『短稈渡船』と呼んでいる?】
「渡船」は1895年に滋賀県立農事試験場において「備前雄町」から選抜された系統で、倒伏しにくいものを「短稈渡船」とよんでいる。
細かい指摘になるのですが
これは創作の部類に入るでしょうか(何を根拠に言っているのか不明なので断言できませんが)
「『短稈渡船』は兵庫県の試験場における独自の呼称」ですね。
概ね意味は間違ってはいませんが…倒伏しにくいだけで「短稈渡船」と呼ぶようなことは無いです。


【もうなにがなにやら…】
「短稈渡船(たんかんわたりぶね)」は、山田錦の父にあたり、九州福岡県産雄町が海を渡り滋賀で栽培され稈(わら)が 短く倒伏しにくい品種となり九州より、海を渡った為、 渡船となり、短い稈の渡船、「短稈渡船」と名付けた。

全体的に文章がおかしい気もしますが・・・とりあえずそれは置いておいて
前半はとりあえず、『渡船』起源のメジャー説明ですが…うん
そもそも『滋賀渡船2号』は”滋賀県の『渡船』”を選抜したわけではありません(根拠は?)。
複数県から収集しているので「滋賀県で栽培され~短くなった」というのは誤りですね。
ところで「名付けた」って、この説の中では誰が名付けたことになっているのでしょうか?(滋賀県?兵庫県?)
うろ覚えの知識をツギハギしただけのファンタジー文章にしか思えません・・・



【『滋賀渡船6号』が『短稈渡船』?】
URLは貼りませんが、頑なにこういう主張をされて系譜図まで作って宣伝されている酒屋さんがいらっしゃいます。
過去にそういう表示で売っていた酒蔵があったことは確かですが、その元は…要は何も根拠がありませんでした。
私もこの関連記事の中で「可能性はある」なんては言ってますが、現物がない以上推定しか出来ないという理由によるものですから…(分けつ数が実際かなり違う)

「山田錦の父系統・父方」だったり、「山田錦の親である『短稈渡船』の系統」は正しい表現だと思いますが…(正しい日本語を使いましょう)



総括


・山田錦の親『短稈渡船』は失われ、すでに存在しない。

・近縁品種のいくつかは現存し、『滋賀渡船2号』の特性が一部を除いて似ているとされている(しかし現存しない近縁品種も数多く、かつ『短稈渡船』自体が現存しない以上断定は不可能ではないか?)

・公的機関で「滋賀渡船2号が短稈渡船で山田錦の親」であると認めているところは存在しない


・『新種B』という『短稈渡船』っぽい品種もあるんですよ!















2020年2月23日日曜日

【酒米】滋賀渡船2号・滋賀渡船6号とは【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

純系名
 『渡船い第9号』
品種名
 『滋賀渡船2号』(しがわたりふねにごう)
育成年
 『大正5年(1916年) 滋賀県農事試験場』
交配組合せ
 『渡船(と呼ばれた複数品種のいずれか)より純系淘汰』
主要生産地
 『兵庫県、(茨城県)』
分類
 『酒造好適米』※現代の産地品種銘柄に依る


純系名
 『渡船い第71号』
品種名
 『滋賀渡船6号』(しがわたりふねろくごう)
育成年
 『大正5年(1916年) 滋賀県農事試験場』
交配組合せ
 『渡船(と呼ばれた複数品種のいずれか)より純系淘汰』
主要生産地
 『滋賀県』
分類
 『酒造好適米』※現代の産地品種銘柄に依る


酒米 滋賀渡船2号、滋賀渡船6号の擬人化イラスト
滋賀渡船2号「だからさ、検証が十分でもなし、私たちがなぜ山田錦の親なのさ」
滋賀渡船6号「う~ん…まぁ掴みとしては大概似てるかもよ?」


どんな娘?


多数輩出された在来渡船(滋賀県が育成したとは言ってない)子品種の内の2品種。

育成当初は同じような身長だったが、現在は姉にあたる滋賀渡船2号よりも妹の滋賀渡船6号の方が背が高い。
(ちなみに数字が増えるほど背が高くなるという勘違いをされていることもあるが、彼女らの間の滋賀渡船4号の稈長は母の在来渡船と同程度であり、つまり2,6号よりも4号の方が背が高いために誤り。)

繊細で規律正しい滋賀渡船2号に対して
滋賀渡船6号は少しおおざっぱというか図太いというか、なんにせよ姉よりも打たれ強いのは間違いないです。
滋賀渡船2号としては、世間一般には親の渡船含め、姉妹全て一緒くたに扱われていることについて、ちゃんとした”個”のある存在として認めてほしい思いが強いですが、滋賀渡船6号はさほど気にしない様子です。(実際渡船姉妹の中で2号のみ異質ではある)

最古参品種山田錦よりも先輩格かつ同じ時代を過ごしたものの、一般栽培に戻ってくるのに一定のブランク期間があったせいか同じ境遇の新山田穂1号や辨慶(伊豫辨慶1号)との方が話が合いやすいようで、この古参メンツでよく集まっているようです。



概要


滋賀県で育成された『渡船』から純系淘汰で生まれた品種・・・ではありませんので誤解無きよう(後述)

『滋賀渡船2号』は「渡船2号」の名で農研機構のジーンバンクで保存。
『滋賀渡船6号』は滋賀県農業技術振興センターで保存との情報もありますが、こちらも2号と同じくジーンバンクで保存されています。

「渡船の6号」、「渡船の2号」とかではなく、『滋賀渡船2号』『滋賀渡船6号』という『渡船』とは違う別品種達です。

大正~昭和前期にかけて滋賀県を席巻していた(かもしれない)『渡船』(と呼ばれた品種)の子品種達で、酒造用として用いられていたそうです。
ちなみに滋賀県の読みに倣えば「わたりふね」と読み、濁点はつきません。(「わたりぶね」ではありません。)

大正2年に在来品種からの純系淘汰を開始し、大正5年に『滋賀渡船2号』『滋賀渡船4号』『滋賀渡船6号』の3品種が命名されます。
分けつが多く、草丈の短い『滋賀渡船2号』、多収・品質が優秀で大粒の『滋賀渡船4号』、草丈が短く、耐倒伏性・耐病性共に高く多収の『滋賀渡船6号』は滋賀県の原種(奨励品種)として種子の配布が行われていました。

大正8年には『渡船』純系淘汰第二弾の『に號』各系統とも比較されていますが、『滋賀渡船2号』、『同4号』、『同6号』3品種そろって『に號』各系統より優秀と判断され残存しています。

ただし『滋賀渡船2号』および『同4号』に関しては大正14年度配布純系決定会議で種子配布中止が決定され、大正15年にはすでに公的な種子配布は打ち切られています。
理由としてはこの年までに純系淘汰の品種が増えすぎ、奨励普及に支障を来し始めたために品種の整理が必要になったから、ということらしいですが、やはり『滋賀渡船6号』の特性が他の2品種よりも優れているのが残る大きな理由になったことは推測できますね。

このあと『滋賀渡船6号』は昭和12年の段階で既に作付面積が1,000haを下回っていた模様ですが、昭和21年乃至22年まで奨励品種とされていました。
このようにいったん奨励品種から外れた『滋賀渡船6号』ですが、それでも昭和26年時点で872ha、昭和29年でも400haの作付けが確認でき、滋賀県農作物奨励品種指定規定に基づき昭和29年3月24日に「特定品種」として指定されます。
しかしそれも昭和34年5月1日に取り消しされ、国の統計で最後に作付けが確認できるのは昭和37年(1962年)の1haです。

誤情報の女王である(というかテキトーで雑な説明ばかりしている酒蔵が発信している情報が非常に多い)渡船シリーズですが、この指定期間・栽培年が正しい情報…のはず。
後述する「山田錦の親」問題とかもありますし…ネット情報が怪しすぎていかんです…

平成の世に復活したまでは良いのですが、日本酒業界の好き勝手でまともな検証もなされずに「山田錦の親である」という誤情報だけが先行して拡散中
兵庫県農林水産技術センターの池上氏の論文に依り、「短稈渡船と類似している(脱粒性の特性は合致せず)」とされている『滋賀渡船2号』は兎も角、『滋賀渡船6号』まで山田錦の親扱いをしている蔵が非常に多いデス。
→私の指摘から大分減ったようにも感じますが、令和4年時点でも未だに「山田錦の親」と宣伝している蔵がいくらかあるようです。

一般用飯米としても売っているのかもわかりませんが、基本的には酒造好適米として日本酒の原料として使われているようです。
ただこれもなんだか「山田錦の親だから(実際は違うけど)と言う理由で復刻されている感がある(そしてその根拠がガバガバ)という…なんとも商業臭いにおいのする復活劇です。

無論、現存する系統の中で最も近しい確率は高く、兵庫県は『山田錦』の優秀性の元となった”何か”があるのではないかということで、『(滋賀)渡船2号』は盛んに研究されています。(だけども「『山田錦』の父親だ」というのはあくまでも仮定のはずなのですが…)
そんな研究の中で遺伝子解析では『滋賀渡船2号』は『神力』系統と『雄町』系統の遺伝子が確認されており、元の『渡船』の発生、もしくは選抜の際に自然交配した後代を選抜したことが示唆されています。


令和元年度で
『(滋賀)渡船2号』は兵庫県で銘柄設定。
『滋賀渡船6号』は滋賀県で産地品種銘柄に設定されています。
茨城県では謎の『渡船』という銘柄が設定されていますが、地方農政局に問い合わせても「(銘柄の)申請者も原種管理者も不明」との回答で正体を探るには八方ふさがり。
ただ、これを”復活させた”と宣伝している蔵元は『滋賀渡船2号』を利用していますから、2号の可能性が非常に高いと推察されます。
(兵庫県で平成11年から設定されていた『渡船』は平成16年の時点で検査実績がなくなり消滅)

【以下、現代に保存されている系統についての話で当時の品種と特性が異なる可能性があります】※現在の保存系統の特徴
稈長については『滋賀渡船2号』が90cm前後、『滋賀渡船6号』が100cm前後となっています。(ただし福井県の試験では稈長について逆の数値)
九州大学で保存されている系統では『滋賀渡船2号』80.8cm、『滋賀渡船6号』87.1cm、そして『渡船』99.0cmというデータもあるようです。
心白は2号が発現「極少」大きさ「やや小」に対して、6号は発現「やや多い」大きさ「やや大」と、『滋賀渡船6号』の方が心白が出る割合が強いようです。(ただ後述する資料の内容とは異なるようなので、系統にある程度変化が起きたとみるべきでしょうか?)
両品種揃ってタンパク質含量は5%代前半、高くても6.0%程度と低タンパクです。
ただし、やはりと言うかなんと言うか、葉いもち病抵抗性は「極弱」で、脱粒しやすいことから栽培は難しいと思われます。


ちなみに関連して
『滋賀渡船白銀』の純系名は『渡船り第11号』で、大正10年(1921年)選抜開始、大正13年(1924年)に育成完了。
無芒であることが特徴で、前述した『渡船』の純系淘汰種よりも心白がより多いそうです。
分けつ数や稈長は『滋賀渡船2号』と同様で、入れ替わりで原種指定されたいわば2号の上位互換品種。
収量は『滋賀渡船6号』にわずかに劣るかほぼ同程度のようです。
大正天皇の銀婚年に当たる大正14年より配布が開始されたので、他の滋賀県育成品種と違い「白銀」が品種名に用いられています。

『滋賀渡船26号』の純系名は『渡船ぬ第12号』で、大正11年(1922年)選抜開始、大正14年(1925年)に育成完了。
草丈が低いことと、分けつが多いことで『渡船』適地以外への普及も見込める、と評価されています。
『滋賀渡船2号』に代わって種子配布が開始された品種です。


ところで…謎の品種『滋賀渡船二號變』


滋賀県が育成した『渡船』系統の品種は前述したように『2号,4号,6号,白銀,26号』です。

しかし滋賀県立農事試験場業務功程には大正11年の品種比較試験から『滋賀渡船二號變』という品種が登場しています。
現代風に表記すると『滋賀渡船2号変』…で良いのでしょうか。

『滋賀渡船2号』よりもより草丈が低く、芒も少なくなっている以外は分けつ数・穂長・米の品質・脱粒性はほぼ同じようですが、成熟期が大きく異なります。
品種名反収
(kg)
成熟期稈長
(cm)
穂長
(cm)
粒の
大小
芒の
有無
分櫱数脱粒の
難易
品質
滋賀渡船二號變399.010月4日90.921.5やや大有・小23上の下
滋賀渡船二號434.410月27日10719.7やや大有・中24やや易上の中
滋賀渡船六號588.810月28日111.520.9有・中15やや易上の中
※大正11年単年度の品種比較試験の結果(1石=150kg換算)

『滋賀渡船2号』の成熟期が10月27日なのに対して、『滋賀渡船二號變』は10月4日と大きく違います。

品種比較試験のグループも『2号』が晩生なのに対して、『二號變』は早生です。
これがただ単に移植時期を大きく変えて試験しているだけなのか、『滋賀渡船2号』の中から早生化系統を選抜したのか不明ですが…功程を読み込めばもっと何かわかるんでしょうか…

いずれにせよ種子配布された様子はないので没にされた…のか『滋賀渡船2号』扱いだったのか…よくわからない品種ですね


育種経過


在来種『渡船』【関連リンク】については、依然述べた通りでその由来には諸説ありますが、『渡船』という名の在来品種が明治後半には滋賀県に根付いていたことは確かなようです。
ちなみに『渡船』については大正15年当時で兵庫県(流入年不明)及び高知県(明治36年滋賀県より取り寄せ)で原種(奨励品種)採用が確認できます。

ただし、『滋賀渡船2号』達がその『渡船』から選抜されたものとは限りません

滋賀県では大正2年(1913年)から県の基幹品種に対して純系淘汰による優良系統の選抜に取りかかっており、第一弾となる『い號』選抜には『神力』と『渡船』の2品種が選ばれました。
選抜に当たっては滋賀県内及び兵庫、奈良、愛媛、山口、熊本、広島、岡山の各県から素材を収集したとされています。
どの県からどの品種を集めたかは未記載で、かつこの時点で滋賀県では『大町』『雄町』『關川』『新髭』という4品種(+『渡船』)をすべて”水稲品種『渡船』”として扱っているため、これをそのまま読み解くなら
「滋賀県他7つの県から5つの品種のいずれかを集めて選抜を開始した」
可能性があるということです。
「岡山県から取り寄せた『雄町』を『渡船』扱いで選抜した」可能性もあるということです。
(なお、滋賀県は大正3年度の調査でさらに『五反穂』『長者穂』を『渡船』の異名同種と認定しています。)


ですので『滋賀渡船2号』らを「滋賀県の育成した(在来品種の)『渡船』から選抜した」と説明すると、微妙に間違った説明ということになります。
無論、滋賀県在来(育成)の『渡船』からの選抜後代の可能性もあるのですが、どの選抜後代かは「わからない」と言うのが正確なところです。
単純に「『渡船』(複数品種の総称)からの選抜」が現資料から判断できる範疇で正確なところでしょうか。

初年度大正2年(1913年)は生育期・出穂期・成熟期について調査を行い『渡船』164株を選抜します。
あけて大正3年(1914年)、前年の164株を164系統として56株/坪の栽植密度で1粒植えを行い、形態および遺伝性(固定度?)の調査を行い、21系統を選抜します。
21系統は『第四號』から『第百五拾七號』です。
(4,9【後の2号】,10,11,15,20,35,39,61【後の4号】,65,67,71【後の6号】,81,91,92,93,119,146,150,154,157号)

大正4年(1915年)、選抜3年目となるこの年は前年の21系統について、主に生産力について比較調査が行われます。
生産力、つまり収穫量の比較を正確に行うため、可能な限り注意を行った旨が記載されていました。
各系統ごとに5坪(16.5㎡)の作付けの上で試験を行いましたが、この頃の水田は養分の分布が不均平で、同じ圃場内でも作付け場所の違いによって収量に差が出てしまうことが多かったようです。
そのため試験系統2系統ごとに試験場標準の在来『渡船』を挿み、試験系統と標準在来『渡船』との収量比率を出した上で、それを標準在来『渡船』全体の収量平均に乗算することで可能な限り平等に収量を比較しようと試みられました。【これ、平成-令和現代の試験場ではやって当たり前らしいですが、その基礎となった試行錯誤の一端でしょうか】
以上の試験により、『渡船』は8系統が選抜されます。(9,61,65,67,71,92,93,157号)

大正5年(1916年)は前年の8系統について、再度収量、純否(固定度?)、特性等について調査が行われます。
収量の調査方法は前年と同じく比較検討が行われます。
また滋賀県内における病虫被害の大きい23地方について、農家に委託して病害虫抵抗性の調査が行われます。
結果、『渡船い第9号』『渡船い第61号』『渡船い第71号』の3系統についてそれぞれ
『滋賀渡船2号』『滋賀渡船4号』『滋賀渡船6号』と命名し、原種(当時の奨励品種)に指定したうえで配布が行われました。

在来『渡船』が対照(比較)品種とされており、『渡船』の収量467.7kg/反(1石=150kg換算・以後同じ)に対して、それぞれの品種は

【『滋賀渡船2号』】470.05kg/反
『渡船』よりもかなり草丈が低く、分げつも多くなりやすく、心白も多い。

【『滋賀渡船4号』】512.25kg/反
『渡船』よりも米の品質が良い。

【『滋賀渡船6号』】508.65kg/反
『渡船』よりも草丈が低く、耐倒伏性及び耐病性が強い。

このように評価されています。
いずれも「入選」の評価を受けた各系統はすでに原種圃が設置されていたため、郡採種圃への配布が実施されたそうです。
以後、大正14年にはこの3品種合わせて約3,000haほどの作付実績になっていたようです。

(後の短稈渡船の誤解の原因となっている)兵庫県の池上氏の論文内では「長稈なので『短稈渡船』ではない」と切り捨てられている『滋賀渡船6号』ですが、ここで見られるように大正15年時点で在来の『渡船』よりは背が低く、倒伏性が強いと言われていますね。
特に大正8年までは滋賀県の業務功程でも品種特性について「草丈が甚だ低い」と評されています(稈長とは違うのかも知れませんが)。
育成途中の試験結果では、6号よりも2号の稈長が高いこともままありました。
現存しているのは2,6号になるわけですが、やはり草丈が低いという事と、病気に強いという特性ゆえに4号よりは遺伝資源で残す価値ありと判断されたからでしょうか?



系譜図


『渡船』の純系淘汰子品種は、平成の滋賀県が言うには2号,4号,6号,白銀,26号の5品種があるそうです。
ただし農研機構のジーンバンクには『渡船3号』(滋賀県原産)が存在…しますが
滋賀県が育成した純系淘汰品種に1,3,5号は存在しませんが、在来品種に『滋賀渡船3號』は確認されています(関連コンテンツ参照)。
つまりジーンバンクの3号は在来種か、何かの記録間違いか、あるいは…純系淘汰選抜時点で『い號』『り號』の各種候補品種はあったのでそのどれか…?なんて妄想も



滋賀渡船2号、滋賀渡船4号、滋賀渡船6号 系譜図
滋賀渡船2号、滋賀渡船4号、滋賀渡船6号 系譜図



参考文献


〇滋賀県立農事試験場 業務功程:大正2年度~14年度,昭和元年度~2年度
〇大正十五年一月 道府縣ニ於ケル米麥品種改良事業成績概要:農林省農務局
〇大正七年 農務局報第五號 大正六年度道廰縣に於ける米麥品種改良事業要覧:農林省農務局
〇水稲品種分布調査成績(大正12年):滋賀県
〇水稲及陸稲耕種要項(昭和11年3月発行):農林省農務局
〇米穀の品種別作付状況 昭和36~39年:食糧庁
〇滋賀県農業試験場研究報告1985-03:滋賀県農業試験場


関連コンテンツ



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短稈渡船とは?~0~【結論だけまとめ】←結論だけまとめました
短稈渡船とは?~1~【関係諸機関聞き取り】
短稈渡船とは?~2~【各蔵元聞き取り】
短稈渡船とは?~3~【在来種『渡船』について】
短稈渡船とは?~4~【番外編 日本酒の品種名表示のルール】
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『滋賀渡船2号』は『短稈渡船』…ではないと思うんだけどなぁ…









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