2017年8月18日金曜日

【粳米】関東194号~ミルキープリンセス~ 【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『関東194号』(『水稲農林387号』)
品種名
 『ミルキープリンセス』
育成年
 『平成13年(西暦2001年) (独)農研機構 作物研究部 稲育種研究室・多用途稲育種研究室』
交配組合せ
 『関東163号×鴻272』
主要生産地
 『ー』
分類
 『粳米』(低アミロース米)
ミルキープリンセスです!よろしくお願いしますわ!


どんな娘?

ミルキークイーンの姪っ子…だが、ミルキークイーンのことは「お母様」と呼んでいる。

おばお母様に似ておしゃべり好きなお嬢様。
生粋の日本人であるおば様お母様とは違い、外国パキスタンの血がほのかに流れている。

何もない日常ではあまり目立たないが、厳しい状況と重い責務のような逆境でむしろ力を発揮するタイプ。



概要

低アミロース米の筆頭『ミルキークイーン』の姪っ子的存在、『ミルキープリンセス』の擬人化です。(水稲農林387号)
品種名のプリンセスは”『ミルキークイーン』の娘”の意味で命名されています。(実際の系譜上では『ミルキークイーン』の姪ですが、彼女の良食味を受け継ぐと共に、栽培特性を改良した事に因むそうです)

低アミロース性遺伝子「Wx-mq」を有しており、アミロース含有率は約9%の低アミロース品種です。
食味も『コシヒカリ』や『ミルキークイーン』並みとの評価ですが、たんぱく質含量はわずか(前述品種比0.5~1.5%程度)に高いようです。
耐倒伏性は「強」と『ミルキークイーン』より優れますが、耐冷性は「中」とやや劣ります。
いもち病耐性も「やや弱」で不十分とされるものの、縞葉枯病に対する抵抗性を持ちます。
この縞葉枯病抵抗性はパキスタン品種『Modan』由来の縞葉枯抵抗性遺伝子「Stvb-i」であり、『青い空』~『関東163号』を経て導入されたものと推定されています。

標肥栽培での低収が欠点とされていますが、多肥栽培においては『ミルキークイーン』より優ります。
この利点と前述の縞葉枯病抵抗性を生かし、肥沃地帯および縞葉枯病多発地帯での普及が見込まれていました。



育種経過

米の消費形態の変化に際して、米の新たな需要拡大推進のため「新形質米」の開発が盛んにおこなわれ、低アミロース米の筆頭として『ミルキークイーン』が普及するに至りました。
しかしながら『ミルキークイーン』は突然変異元である『コシヒカリ』の形質を継ぎ、長稈で倒れやすく、病害虫に弱いという欠点がありました。
そのため、より安定して低アミロース米の生産を行うために、栽培特性の優れた低アミロース米が求められる中、縞葉枯病抵抗性を持ち、耐倒伏性に優れた低アミロース米を目標に育種が始められました。

平成3年(1991年)に農業研究センターで母本『関東163号』、父本『鴻272』の人工交配が行われました。
母本の『関東163号』は縞葉枯病抵抗性・耐倒伏性強の良食味個体。
父本の『鴻272』は『ミルキークイーン』育成時、最終決定に漏れた系統で、低アミロース米系統です。(『ミルキークイーンの姉妹』と紹介されていることが多いのですが、実際は同じ薬品処理時にコシヒカリから突然変異で同じく低アミロースを発現した個体…うん、姉妹デスね!)

平成4年(1992年)にF1の栽培がおこなわれ、平成5年(1993年)にF2の集団栽培がおこなわれました。
平成6年(1994年)、玄米の白濁度及び短稈性に着目し、1040個体の中から12個体が選抜されました。
翌平成7年(1995年)にこの12系統(F4)を栽培、1系統5個体まで絞り、選抜・固定を行われていきます。
平成8年(1996年)、F5世代に『鴻561』の系統番号が付され、生産力検定試験及び特性検定試験に供されました。
そして平成9年(1997年)に『関東194号』の地方系統番号が付され、同年以降、関係府県への配布、地域適応性の検討が行われます。
最終F12世代が平成15年(2003年)9月に『水稲農林387号』として登録され、『ミルキープリンセス』と命名されました。


系譜図

関東194号『ミルキープリンセス』系譜図


参考文献

〇低アミロース米新品種「ミルキープリンセス」の育成:作物研究所研究報告



関連コンテンツ





【粳米】関東168号~ミルキークイーン~ 【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『関東168号』(『水稲農林332号』)
品種名
 『ミルキークイーン
育成年
 『平成7年(西暦1995年) 農林水産省 農業研究センター/作物開発部 稲育種研究室』
交配組合せ
 『コシヒカリ突然変異』(MNU受精卵処理)
主要生産地
 『ー』
分類
 『粳米』(低アミロース米)
ミルキークイーン!ですわ!

どんな娘?

低アミロース米の筆頭エリート。

軽やかな物腰と明るい性格でおしゃべりが大好き。
初対面の相手にも当初から積極的に接していくが、人によっては「重い」と感じることも。

洋風な名前と格好のためよく勘違いされるが、外国の血は混ざっていない。(その意味ではむしろあきたこまちや北海道米の方が…)

姪っ子のミルキープリンセスから「お母様」と呼ばれることに少し抵抗があるが、「おば様」と呼ばれてしまうのにはすごい抵抗がある




概要

国直轄の、通称「スーパーライス計画」で生まれた低アミロース米の筆頭、『ミルキークイーン』の擬人化です。


命名由来は、乳白色に濁る玄米の外観的特徴と「良質米の女王」との意味を合わせて『Milky Queen』。
なお、漢字表記が必要な場合は『美白米女王』と書きます。(公式)
いや本当に


アミロース含有率は9~12%と非常に低く、蛋白質含有率も7%前後と低いデス。
炊飯米は『コシヒカリ』より光沢や粘りがあり、冷めても硬くなりにくいと言われています。
育成時の食味官能試験では『コシヒカリ』以上の良食味とも評価され、前述したように名前の由来にもなっています。
栽培特性は突然変異前である『コシヒカリ』と似通った部分が多く、耐冷性・穂発芽耐性に優れるものの、耐病性は非常に劣ります。
収量は「コシヒカリ」よりやや劣るとされ、玄米一粒重の減少が原因とされています。


MNU(N-metyl-N-nitrosourea~メチルニトロソウレア~)受精卵処理という聞きなれない(ですよね?)化学処理により、『コシヒカリ』から突然変異で誕生した『ミルキークイーン』。
このような化学的突然変異原を利用した初の実用品種です。
その育成に関する研究は1981年開始の「超多収米の開発と栽培技術の確立」及び1989年開始の「需要拡大のための新形質水田作物の開発」、二つの研究プロジェクトに基づいています。



育種経過

昭和60年(1985年)に埼玉県鴻巣市の農業研究センター稲育種法研究室(鴻巣試験地)で『コシヒカリ』5個体の穂にMNU処理が行われました。
その後5個体は温室で登熟が行われ、650粒の種子を得ました。(この年に鴻巣試験地廃止)

昭和61年(1986年)からは茨城県の農業研究センター谷和原水田圃場で育種選抜作業が継続されます。
昭和61年に播種されたM1世代からは、一株につき一穂が収穫され、さらに一穂につき各5粒がM2世代用の種子とされます。

続く昭和62年(1987年)はM2世代2,000個体が圃場で養成されました。稔ったM3世代は同年秋に玄米品質の調査が行われ、2個体に玄米の白濁が確認され、それぞれ『88M16』『88M18』の試験番号が付与されました。

昭和63年(1988年)~昭和64年・平成元年(1989年)にかけてM3、M4世代は圃場で養成され、『コシヒカリ』に形質が類似し、低アミロース性について固定した個体・系統が選抜され、平成2年(1990年)にはM5世代系統において稲育種法研究室による生産力検定試験が行われます。

平成3年(1991年)、M6世代系統において『88M16』が『鴻271』、『88M18』が『鴻272』の系統名を付され、生産力検定試験に加え、特性検定試験が行われ、平成4年(1992年)にM7世代『鴻271』が『関東168号』となります。
『関東168号』は平成4年(1992年)~平成6年(1994年)の3年間、45の府県で延べ67回の奨励品種決定試験で栽培されました。(M7~M9世代)
M10世代となる平成7年(1995年)当初、奨励品種として採用する府県はなかったものの
、『関東168号』の優れた米品質および加工適性が認められ、平成10年(1998年)9月6日付で『水稲農林332号』として登録され、『ミルキークイーン』と命名されました。


系譜図

世の中に「コシヒカリの突然変異」と呼ばれる品種は多いですが、正真正銘『コシヒカリ』の変異種であるのが『ミルキークイーン』(圃場での突然変異は混入か自然交雑か不明瞭)です。

関東168号『ミルキークイーン』系譜図


参考文献



関連コンテンツ























【粳米】山形112号~雪若丸~ 【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『山形112号』
品種名
 『雪若丸』
育成年
 『平成28年(西暦2016年)? 山形県総研センター庄内』
交配組合せ
 『山形80号×山形90号』
主要生産地
 『山形県』(予定)
分類
 『粳米』
雪若丸「山形県の新しい主力として、邁進します。」

粒立ちしっかり おいしい新食感

かつて、こんなに美しいお米が、あっただろうか。(いや、ない)



山形県が先陣『つや姫』に続いてつがえた第二の矢、山形112号『雪若丸』の擬人化です。
当初のデザインからはだいぶ変わりました…

どんな娘?

山形県のブランド品種つや姫の弟分(だけど米っ娘だから女の子)。

真面目一徹の山形県の血筋を引き継ぎ、やや奔放(に振る舞い気味)なつや姫の手綱役をすることも多々あり。
物事にこだわることは少なく、サクサク処理するのが得意。

はえぬきよりは前に、でもつや姫よりは前に出てはいけない、そんな微妙な立ち位置を保つべく、内心かなり注意を払っています。
その為、青森県のまっしぐらのところにこっそり通っている…とか?


概要

雪のように輝く白い粒、あっさりとした上品な味わいで、しっかりとした粒感と粘りは新食感
(しかし、「新食感」が過ぎたのか、平成28年度の日本穀物検定食味ランキングに参考品種として参加したものの「特A」獲得には至りませんでした…デビューに少し影を落とす結果に…→しかし平成29年度に特A獲得!

近年は低アミロース寄りの新品種が多い中、珍しくアミロース含有率は『はえぬき』より少し高めの21%(試験時)となってます。
たんぱく質含有率は公称で6.6%程度です。


名称公募では16,056件の応募があり、さらに選抜された7点の名称候補の中から県民投票及び委員会での検討により平成29年(2017年)2月16日に名称が『雪若丸』となります。(県民投票や首都圏でのアンケート結果では得票数第1位が『雪の瞳』(4,293票)第2位が『雪若丸』(3,106票)であったが、『つや姫』との姉弟作戦及び雪国・山形の男性的な名称をということから、委員会の決定により『雪若丸』となった。)


山形県主力品種である『はえぬき』とほぼ同等の熟期、耐倒伏性(『はえぬき』よりやや稈が短い)があり、いもち病抵抗性はやや優ります。収量も『はえぬき』とほぼ同等ですが、玄米千粒重は優ります(粒が大きい)。
この『雪若丸』も『つや姫』と同じく耐冷性は「中」、先代主力の『はえぬき』に比べれば耐冷性に重きを置かず、昨今問題になっている高温障害への耐性に優れています。

平成29年度現在の情報によれば、狙う価格帯は『つや姫』と『はえぬき』の中間とのこと。
生かさず殺さず、難しい舵取りが要求されそうです。


まずはその行く先に幸あれ。


育種経過
※平成29年8月現在、詳細な育種論文が閲覧できていないので…

平成15年(2003年)に母本『山形80号』、父本『山形90号』として人工交配を行い、その後代から育成されたのが山形112号『雪若丸』です(旧系統名『庄4073』)。


系譜図

山形112号『雪若丸』系譜図


参考文献

〇雪若丸公式HP:https://www.tuyahime.jp/yukiwakamaru/


関連コンテンツ








2017年8月1日火曜日

【酒米】山渡50-7~山田錦~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

試験系統名
 『山渡50-7』
品種名
 『山田錦』
育成年
 『昭和12年(西暦1937年) 兵庫県立農事試験場』
交配組合せ
 『山田穂(純系淘汰)×短稈渡船』
主要産地
 『兵庫県』
分類
 『酒造好適米』



現行栽培品種の中でも最古参に含まれる『山田錦』の擬人化です。


どんな娘?

米っ娘の中でも最年長の部類に入り、非常に落ち着き払った振る舞いで他品種の信頼も厚い。

人間からは「酒米の王様」と祀り上げられているものの、驕るような態度は一切見せず、酒米の長として皆をよくまとめている。

実は一時期自分と同世代の品種がほとんど居なくなり、内心寂しい思いをしていたが、近年古参品種の復刻が多くなったことを密かに喜んでいる。



概要

酒造好適米の代表的品種とされ、低タンパク、大粒、良好な心白と三拍子揃っており、特に豊潤な日本酒が出来ることから「酒米の王様」とも呼ばれます。
しかし反面稈長が長く、倒伏しやすい上、いもち病、縞葉枯病に弱いことから、栽培は非常に難しいとされています。
だがしかし、『山田錦』から作られる日本酒の人気・知名度、蔵元の評価はやはり高く、平成21年より酒造好適米の検査数量1位を誇っています。

日本酒(正確には酒蔵)にとって一種の登竜門、全国新酒鑑評会(関連記事~鑑評会で使われている酒米品種は?~においても「YK35」という、ある意味神格化にも似た絶対的な扱いをされることもあります。
「YK35」…【『山田錦』を使用し”Y”】【きょうかい酵母9号もしくは熊本酵母を用いて(K)】【精米歩合を35%まで高めれば(35)】(各種説あり)良い酒が出来て、新酒鑑評会でも金賞を取れる、という俗説。


今でこそ「王」とまで呼ばれる『山田錦』ですが、育成完了後の昭和12年(1937年)から、当初の滑り出しは不調だった様子。
いままで県外産の酒米を買い付け、その酒米での酒造に慣れていた兵庫県内の杜氏からは中々使ってもらえなかったそうです。
そんな状況を変えたのが皮肉にも太平洋戦争だったとか。
昭和17年(1942年)に戦時下の統制で県外からの米の買い付けが出来なくなり、使用できる酒米が県産の『山田錦』だけとなってようやく(半ば強制的に)使用されることで、その優秀さが認識されることになったそうです。

昭和38年(1963年)にその作付けは10,843haとピークを迎えますが、やはりその栽培特性からか(米余りの時代になるにつれ)次第に敬遠されはじめ、昭和59年(1984年)には1,974haまで作付面積を減らします。
しかし酒造適性の高さからその価値が見直され昭和60年(1985年)から再増加を開始、平成6年産(1994年)には5,202haまで復活。
その後もしばらくは『五百万石』の後塵を拝して作付面積2位でしたが、「味」の酒造好適米を求める風潮は年々強まり、平成21年(2009年)についに(統計変わって「検査数量」で、ですが)『五百万石』を抜いて酒造好適米1位に返り咲きました。

2017年現在、全国的に栽培されているものの、誕生地である兵庫県での生産が大多数を占めます。
特に兵庫県三木市、加東市の一部は特A地区としてこの地区産の『山田錦』が珍重されている…のですが、これはあくまで栽培地域の歴史的経緯によるランク付けであることには注意が必要です。(生産される『山田錦』の酒米品質を必ずしも反映しているわけではないので、毎年品質に応じて更新される食用米の地区指定とは全くの別種です。)



育種経過


以下、判明している育種経過を記載しますが、育成地である兵庫県立農事試験場は昭和20年7月6日の明石大空襲によりほとんどの施設が焼失し、育成関係の野帳等の資料が失われています。
さらに
『山田錦』が注目され始めた頃には、既に育成に携われた方もお亡くなりになっており不明な部分も多い、というのが実情です。

その人工交配は大正12年(1923年)まで遡ります。
兵庫県立農事試験場において母本『山田穂(純系淘汰)』、父本『短稈渡船』として、担当者西海重治氏によって人工交配が行われます。(交配地については大阪の畿内支場説もあるものの、記録に残る限りその可能性は非常に低いようです)
『山田錦』の母親となった『山田穂』は明治45年(1912年)に兵庫県初の酒米奨励品種として指定されていたものでした。


◇母本『山田穂(純系淘汰)』
もともとは明治のはじめのころから兵庫県の各地で栽培されていた在来品種『山田穂(在来種)』です。
兵庫県立農事試験場では各地から『山田穂(在来種)』を取り寄せ、品種比較試験(同時に適度に純系淘汰が行われたものと思われ)を行い、成績優良であったことから明治45年(1912年)に『山田穂(純系淘汰)』が原種(奨励品種)に指定されます。
大正5年(1916年)からは純系淘汰法による育種にも取り組まれ、大正10年(1921年)には『新山田穂1号』、大正11年(1922年)『新山田穂2号』が育成され原種に指定されています。
従来の『山田穂(純系淘汰)』はこの際に原種から外されました。
※白鶴酒造ではなぜか子品種の『新山田穂1号』を「『山田錦』の母親」と宣伝していますが、経過を見ればわかる通り母本は『山田穂(純系淘汰)』です。

◇父本『短稈渡船』
大正7年(1918年)に滋賀県農事試験場で育成された品種を取り寄せたものと言う推測もありますが、真相は不明です。
『滋賀渡船2号』ではありません。※関連コンテンツ参照
滋賀県の在来種『渡船』系統の純系淘汰品種であると推測されますが、滋賀県側にはそのような名前の品種は無いので正体は不明です。
兵庫県の『新種B』が『短稈渡船』・・・かもしれません。
滋賀県の他の『渡船』系統選抜品種・・・かもしれません。
【関連】滋賀渡船「2号」「4号」「6号」である理由 滋賀県立農事試験場育成品種


大正13年(1924年)F1世代(雑種第一代)の個体養成が行われ、大正14年(1925年)に栽植したF2世代(雑種第二代)500個体の中から50~70個体を選抜します。
昭和元年(1926年)F3は2系統7個体を選抜。
昭和2年(1927年)はF4を48系統栽植、その中から10系統を選抜。
昭和3年(1928年)に兵庫県加東郡社町(現:加東市)で産地適応性試験が行われました。系統番号『140』『143』『144』『148』『149』『159』『161』『163』『178』『179』10系統の中から優良1系統『161』が選抜されます。
昭和4年(1929年)F6世代は生産力検定と並行して6系統栽植、内1系統(15個体)を選抜。
昭和5年(1930年)は15系統栽植の中から10系統45個体を選抜。

昭和6年(1931年)には45系統の中から8系統22個体を選抜、『山渡50-7』という系統名が与えられ…たことに「米麦原種一覧表」ではなっています、が
試験場では昭和7年までは『大粒50-7』
酒造米試験地では昭和8年まで『山田穂×短稈渡船50-7』『山×短50-7』
などと記述はバラバラであり、当時は現在ほど厳密に系統名が決められていなかったようです。(『辨慶(伊豫辨慶1号)』も兵庫県では『純系1045号』・『辨慶1045』・『辨慶1045号』・『辨慶』と記述がバラバラですし、系統名どころか品種名すら雑な時代でした)

翌昭和7年(1932年)からは酒造米試験地でも生産力検定試験が開始されます。
昭和8年(1933年)、『山渡50-7』は”短稈多げつにして収量多く品質も概して良く栽培容易にして有望と認めたり”と評価され、収量性や栽培特性が優れ、有望視されています(16系統→3系統12個体選抜)。

昭和9年(1934年)の生産能力比較試験においても、前年度と同じく収量性・栽培特性の優秀さから有望視される記録が残っています。(13系統→3系統12個体選抜)
また、この年から少肥栽培による水稲品種比較試験も行われていますが、『山渡50-7』系統は供試されていた大粒種6品種の中でも収量、品質共に上位となっています。

この年から地方委託試験も開始され、城崎郡五荘村で栽培・試験。
昭和10年(1935年)F12世代は18系統から4系統16個体を選抜。

昭和11年(1936年)1月31日、水稲原種改廃協議会で『山田錦』と命名され、原種(現代でいうところの奨励品種)として採用されました。
当初は『昭和』と命名される予定だったらしいのですが、最終的に名称変更されています。
あくまでも推測で、当時の山形県で栽培されていた『昭和◯号』(民間育種家・佐藤弥太右衛門氏育成『昭和イ号』~『昭和ヌ号』9品種)との混同を避けるためではないか?との説がありますが、明確な記録は残っていません。
この年は16系統の中から5系統20個体を選抜。

育成の最終となる昭和12年(1937年)、F14世代18系統の中から3系統11個体を選抜し、育種を完了しています。(なお、系統選抜は原種栽培と同時並行で行われていました。)
なお、育種全体を通して醸造試験、つまり日本酒造に適しているかどうかについては判定されていません。
酒造に適しているとされている両親を持つから当然、子品種である『山田錦』も同様に酒造適性が高い、とも言えるかもしれませんが・・・
どの程度酒造に適しているかどうかわからないまま育成された品種が、後年長らく最上級品種として扱われるとはなんとも不思議な話です。


※【要注意】
おそらくネット上では滋賀県育成の『滋賀渡船2号』を、”『山田錦』の父本『短稈渡船』”断定していることが圧倒的に多いかと思いますが、それ、すべて間違いです
あくまでも推測、仮定の話でしかないものが、さも事実であるかのように流布されているですので注意が必要です。
それなら私は「『短稈渡船』は『新種B』である」と断定しましょうか


系譜図


『山田錦』系譜図



参考文献

〇酒米品種「山田錦」の育成経過と母本品種「山田穂」、「短稈渡船」の来歴:兵庫農技総セ研報
〇兵庫県立農事試験場業務功程大正各年度

山田錦の父親『短稈渡船』とは?その正体を推測する【墨猫独自論】


















蛇足【過去のウィキペディアの誤表記による誤情報の伝播】

恒例のウィキペディアなのですが「短稈の長さが130cm」との表記(2017年10月修正済み)
これを真似したのかネット上でも「山田錦は短稈が長い」との表記もチラホラ…
稲の稈の長さについては、(そのまんまですが)『稈長』と言います。

「稈長」「短い」ものを『短稈』と言うのですが・・・(人間で「足」「短い」人を『短足』と呼ぶように)
短稈が長い』では、『短足が長い人』(え?足が短いの?長いの?)のように意味不明です。

※【正】山田錦は稈長が長いので倒伏しやすく栽培が難しい品種です。








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