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2020年11月5日木曜日

【糯米】西海糯118号~ヒヨクモチ~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『西海糯118号』(『水稲農林糯216号』)
品種名
 『ヒヨクモチ』
育成年
 『昭和46年(1971年) 九州農業試験場』
交配組合せ
 『ホウヨク×祝糯』
主要生産地
 『佐賀県』
分類
 『糯米』

ヒヨクモチだよ。ま、もう大分年寄りだけどね~




どんな娘?

糯米っ娘達の首長を務める。

ただ、居住区域は九州のみで、寒いのは大の苦手。
そのため北陸・東北方面はこがねもち、ヒメノモチに任せがち。
糯品種は全体的に古参が多くなっているが、首長を務める彼女をはじめとして太夫三人はかなりの古参。
陽気に明るくがモットーで、どんなことでもとりあえずはプラス思考へともっていく。(糯米品種なんてマイナー中のマイナーな存在であるなんて事実は気にしない)

でも本当は4姉妹のうち、現役で残っているのが自分だけで少しさみしい気持ちがあったりする。

 概要

少なくとも平成2年(1990年)から糯米の中でも日本一の生産量を誇る筆頭、『ヒヨクモチ』の擬人化です。

九州の肥沃な平坦部に適する品種で、佐賀県での生産が大きなシェアを占めています。
餅食味は非常に良好とされ、倒れにくく、病気への抵抗性もそれなりと、古い品種ながら登場から50年以上経っても生産量に衰えは見えません。

『ヒヨクモチ』は「比翼連理」または「肥沃」を意味し、肥沃地帯に最も適し、北部九州(佐賀・福岡県)と南部九州(鹿児島県)が一体となって普及することから命名されました。

昭和46年(1971年)に佐賀県で、昭和47年(1972年)から福岡・鹿児島の両県において奨励品種として普及に移されました。
『ヒヨクモチ』が登場した少し後、昭和54年(1979年)から品質向上のために糯米の生産団地が形成され、特定の品種に作付けが集中することになったのも、作付面積の増加に一役買ったとか。

同じ交配から生まれた品種は『ヒヨクモチ』含め4品種あり、水稲農林糯227号『アカネモチ(西海糯117号)』、『西海糯126号』『西海糯133号』があります。
普及に移されたのは『ヒヨクモチ』『アカネモチ』の2品種で、平成・令和まで栽培されているのは『ヒヨクモチ』のみです。

試験時には多肥栽培で520~630kg/10aの収量を記録し、従来(当時)品種の『備南糯』や『祝糯』より8%ほど多収でした。
短稈であり、稈は細いものの耐倒伏性は「強」との判定をされています。
白葉枯病に対して抵抗性を持ちますが、紋枯病、縞葉枯病に対しては罹病性です。
葉いもち病耐性は「やや弱」ですが、穂いもち病耐性は「やや強」となっています。
稃先色が褐色であるため、一般粳品種との判別が容易とされています。

育種経過

昭和38年度(1963年度)九州地方における水稲全面積は約430,000ha、糯品種はそのうちの6.5%、約28,000haに及んでいました。
しかしながら『備南糯』『神選糯』『神力糯』『糯祝』『金作糯』といった草型、生産力、安全性について改良の余地が多い糯品種が雑多に栽培されている状態で、基幹となる品種がありませんでした。
糯品種にも短稈穂数型品種の登場が強く望まれており、先駆けとして昭和37年(1962年)から『フクサモチ』の配布が始まっていましたが、短稈多収ながらいもち病・白葉枯病に弱いこの品種はあくまでも本格的な糯優良品種までの”繋ぎ”と見なされていました。

その”本格的な糯優良品種”を目指して昭和38年(1963年)、母本『ホウヨク』、父本『祝糯』として人工交配が行われます。

母本『ホウヨク』は昭和36年(1961年)から九州地方で普及に移された中生の粳品種で、短稈・穂数型で白葉枯病にも抵抗性を持っています。
父本『祝糯』は熊本県および広島県の奨励品種(当時)でやや長稈で草型は中間型、赤褐色の稃先を持つ晩生の糯品種です。糯としての品質は良いものの、倒伏しやすく、白葉枯病に弱く、収量が低い欠点を持っていました。

母親の『ホウヨク』と同じ中生・短強稈・白葉枯病耐性・多収性を持ち、父親『祝糯』の稃先色および糯性を導入した品種の育成を目標に、以後集団育種法により育成されます。

交配で得られた種子は91粒、その後F1~F3世代は温室で世代促進が行われます。
同年(昭和38年)7月から11月の間にF1個体、同11月から昭和39年(1964年)3月までの間にF2世代、昭和39年4月から6月にF3世代が養成されます。
このように15ヶ月間の間に4世代の世代促進が行われました。
F1世代は32粒を播種し、15株から1,949粒を採取。
F2世代は1,900個体を播種し、稔実した1,542株から1~2粒採取。
F3世代は2,000個体播種し、稃先色・稃色が褐色・黄白個体の選抜を行いました。

昭和39年(1964年)7月以降、F4世代からは本田に晩植栽培して個体選抜が行われます。
晩生の早の熟期個体が多く、稈長もバラバラな集団の中、不良個体(「晩生」「長稈」「脱粒性極易」「小粒」「はぜ不良」「稃先色黄白」「粳」)は淘汰し、262個体を選抜します。
昭和40年(1965年)F5世代は前年の262個体を262系統として、まず田植え前に葉いもち病の検定が実施されました。
供試系統を畑栽培し、ビニールハウス内でいもち病菌を噴霧接種した上で、標準品種である『十石』と同等ないし劣る83系統を廃棄します。
残る179系統を本田栽培し、なおこの際に白葉枯病菌の接種も行われます。
出穂・草型の固定が不十分な系統、晩生・長稈・稃先色黄白の系統、さらに白葉枯病罹病の系統を淘汰し、残ったのは61系統でした。
そこからさらに室内での玄米品質の検査を行い、31系統が選抜されます。

昭和41年(1966年)F6世代より『九系01607』の系統番号が付され、指定県へと配布され特性検定並びに系統適応性の検定が始められます。
白葉枯病に強く、短稈直立型で熟色よく有望視されていました。
昭和42年(1967年)F7世代は21系統群から6系統群を選抜。
昭和43年(1968年)2月、『西海糯118号』の地方系統名を付され、関係各県への配布と共に奨励品種決定調査により地方適否の確認が行われます。
そして昭和46年(1971年)5月、F11世代において『水稲農林糯216号』に登録され、名称を『ヒヨクモチ』と改められました。


ちなみに
次女『アカネモチ』は、昭和43年(1968年)に『九系01585-3』に『西海糯117号』を付与。
その後昭和45年(1972年)に『水稲農林糯227号』に登録され、『アカネモチ』と命名されます。

三女『西海糯126号』は、昭和44年(1969年)に『九系01481』に『西海糯126号』を付与。
四女『西海糯133号』は、昭和45年(1970年)に『九系01585-2』に『西海糯133号』を付与。
両品種は地方系統名付与と同時に関係各県に配布されましたが、『西海糯126号』は供試3年で、『西海糯133号』も同じく供試3年で配布を中止、水稲農林への登録は行われませんでした。


系譜図



参考文献


〇水稲新品種”ヒヨクモチ”・”アカネモチ”について:九州農業試験場


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年齢は令和2年(2020年)現在
酒造用原料米にも使われること※もあるようです


※「ワイングラスでおいしい日本酒アワード2018」で最高金賞(純米酒部門)に選ばれた鹿児島県の東酒造(株)の「神泉 純米吟醸 旨口」は『五百万石』74%、『山田錦』20%、『ヒヨクモチ』6%使用で造られているそうです。










2019年7月28日日曜日

【粳米】佐賀37号~さがびより~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『佐賀37号』
品種名
 『さがびより』
育成年
 『平成20年(2005年) 佐賀県農業試験研究センター』
交配組合せ
 『天使の詩×あいちのかおりSBL』
主要生産地
 『佐賀県』
分類
 『粳米』
さがびよりだよ…うん、そうだね。佐賀で頑張ることが出来てるんじゃないかな。


気候が大きく変動する中でも知恵と努力を重ね

やっと迎えた収穫の日は
この上なく晴れやかな佐賀日和。




どんな娘?

佐賀県のエース米。

つや姫とは同世代で、高温耐性の先駆けとしてその優秀さはピカイチだが、質朴な性格で黙々と物事に取り組むため目立ちにくい。
常に冷静で淡々とした話し口調でどんなことにも動じない。
自問自答するような話し方ではあるが、基本自分の中で答えは出ている。



概要

○米のうまさはがの誇り
○町で噂のばいうまいっ!
○もっちりっくり「さがびより」
○甘みいツヤ、よい香り
○りょう自慢も選ぶ米
だよっ!

つやがよく、粒は大きくしっかり、食感はもっちり、甘み香りが良く、時間がたってもおいしい、日本穀物検定協会の食味ランキングで特A連続獲得の実績も持つ九州佐賀県のエース米です。(特に平成22年(2010年)の特A獲得は佐賀県としても初めて)
アミロース含有率は育成当初で20%前後(対照『ヒノヒカリ』約18%前後)と少し高めですね。
そのためかあっさりとして食べやすく、硬めのお米が好きな方に合うそうです。

もともと西日本、特に九州では「畑作が中心で、稲品種の重要度が食味よりも栽培のしやすさ」「食文化から飯米の食味への関心が低い」等の理由で、”美味い米を作る”機運がそれほど高い地域ではなかったのですが、『ヒノヒカリ』の登場を契機に極長食味品種の登場が相次いでいます。
しかし2000年台に入って気温が上昇傾向(特に登熟期の気温が高く)になると、高温に弱い(高温登熟耐性「弱」)『ヒノヒカリ』は収量品質共に低下が目立つようになります。
そんな『ヒノヒカリ』に代わって極良食味品種の佐賀県における先駆者となった『さがびより』は、山形県の『つや姫』と同世代です。
その栽培体制も似通っており、まず、銘柄確立のために共同乾燥調製施設単位で作付地域が限定されています。(不適地域への作付を防ぎ、品質を確保するため)
栽培農家も登録制で、専門の技術指導チームが各地を巡回し、出荷基準も設けられています。

出荷基準は
①一等米、②整粒歩合70%以上、③玄米水分率15%、④粗タンパク質含量6.8%以下(おそらく水分15%換算)、⑤粒の大きさ(1.9mm以上)が挙げられているようです。
粗タンパク質含量の基準は近年の他の品種に比べると少し高めですね。
(粗タンパク質含量は【乾物換算】と【水分15%換算】があるので注意)


日本穀物検定協会の食味ランキングでも初登場から特Aを獲得。
”特A米”と言えば東北ばかり、そんな状況を覆し、佐賀県の稲作農家の意識の改革に一役買ったと言われています。


平成24年(2012年)産以降は県産の『ヒノヒカリ』や『夢しずく』を価格で逆転(60kgあたり1,000円程度高値/H30現在)。
ただ、思ったよりも普及は進まず、佐賀県内の2割程度にとどまります。
やはり畑作も重要と言うことで、裏作で玉ねぎなどを栽培する地域にとってはスケジュール上厳しいようです。


『さがびより』の育成地における早晩性は『ヒノヒカリ』よりやや遅い「中生の晩」。
草型は『ヒノヒカリ』と同じく「偏穂重型」。
収量性は2000年代の環境で収量が減ってしまった『ヒノヒカリ』より1割以上多収で、試験時は約510kg/10aの結果を残しています。
葉いもち圃場抵抗性、白葉枯れ病ほ場抵抗性はともに「やや弱」と、育成時に評価されたとおり耐病性は不十分と言えるでしょう。
縞葉枯病抵抗性も父方からは引き継げず、罹病性となっています。
いもち病真性抵抗性遺伝子型は「不明」です。
短稈(稈長74~76cm程度)で稈が太いため、耐倒伏性は「やや強」の評価となっています。

害虫のウンカに弱く、有効だった農薬も中国で耐性を獲得してしまったことも受けて、有効な対応がない状況です。
これは元々『京都旭』系列品種がセジロウンカへの殺卵反応が弱く、その血を引く『ハツシモ』から『あいちのかおりSBL』経由で『さがびより』も

高温登熟耐性は育成当時で「中」ですが・・・現代基準ではどうなんでしょう?
※構音障害発生初期のこの頃は評価基準が不明瞭で、今や「やや弱」判定の『コシヒカリ』が「やや強」と判定されているなど、実際の評価とは異なる場合があります。



高温耐性実績

平成30年(2018年)、佐賀県では39℃台の”命に係わる猛暑”が発生。

『ヒノヒカリ』の一等米比率は約27%にまで低下したのに対し、『さがびより』は約66%と一定の水準を確保できました。




育種経過
 
平成中期より佐賀県下の『ヒノヒカリ』(作付け面積の約4割)について大きな問題が発生していました。
平成13年(2001年)までは台風の影響がある年を除けば一等米比率が60~70%以上で推移していたものが、平成14年(2002年)以降は台風の影響がなくとも10%未満と著しく低下。
収量についても平成14年(2002年)までは500kg/10a以上あったものが、それ以降は500kg/10aを割るような状態に陥っていました。
登熟期間に当たる8~10月の平均気温が1~2℃上がった影響によるもので、主力たる品種の品質及び収量の低下は深刻な問題でした。

そんな中佐賀県農業試験研究センターは中生で高温登熟耐性に優れ、良質・良食味、多収を目標に新品種の育成に取り組むことになります。


・・・とは書いたものの、『さがびより』育成開始の平成10年(1998年)時点ではまだこの『ヒノヒカリ』の高温登熟耐性の弱さは問題になっておらず、当初の育成目標は『ヒノヒカリ』並の中生・良食味品種で、玄米品質が優れ、『ヒノヒカリ』以上の収量性が目標になっていました。(高温耐性が試験項目に入るのは平成15年以降)


『さがびより』となる雑種後代が生まれる最初の交配は平成10年(1998年)。
8月に佐賀県農業試験研究センターで温湯除雄法により『佐賀27号(のちの『天使の詩』)』を母本、『愛知100号(のちの『あいちのかおりSBL』)』を父本として人工交配(『佐交98-45』)が行われます。

◇母本の『佐賀27号』はのちの『天使の詩』です。
 晩生の極良食味品種として佐賀県が育成した品種で、『コシヒカリ』譲りの粘りが強く、柔らかい食味姓を持ちます。
 平成15年(2003年)より奨励品種に採用されています。
◇父本の『愛知100号』はのちの『あいちのかおりSBL』です。
 愛知県総合農業試験場で育成された『あいちのかおり』の準同質遺伝子系統で、縞葉枯病耐性(SL)と穂いもち病耐性(BL)があり、『ハツシモ』譲りの粒がしっかりとした、甘みとさっぱり感がある食味姓を持ちます。

両親の食味姓を兼ね備えた品種を目標に行われたこの交配で得られた種子は9粒。
同年中に世代促進温室で8個体を養成し、翌年4月に22g(1,333粒)の種子を得ます。

平成11年(1999年)、F2世代は世代促進温室で前年の1,333個体の中から約1,200個体を播種、11月に23g(1,283粒)の種子を得ます。
同年の12月にF3世代1,283個体の中から約900個体を世代促進温室で播種(世代促進)し、平成12年(2000年)4月に39g(1,544粒)の種子を得ました。

F4世代から移植場所を圃場に移し、平成12年(2000年)6月に1,544個体が一本植えで移植されます。
出穂期は早生から中生に分類されるものが多く、稈長は中稈のものが多く分布しました。
この中から熟期及び草型で69個体が選抜されます。
そこからさらに外観品質と粒形で14個体まで絞ります。

平成13年(2001年)F5世代より系統栽培に入ります。
供試14系統のうち2系統において分離が見られたものの、他系統については概ね固定していることが認められました。
固定が確認された12系統の熟期はいずれも8月下旬で、稈長は中~長稈。
圃場では熟色と草姿で5系統を選抜し、室内で外観品質と粒形、さらに味度メーターによる味度値(食味評価)でさらに3系統15個体まで絞り込みます。

平成14年(2002年)F6世代は前年の3系統に系統番号を付し、15個体を3系統群15系統(各系統50個体)として播種、生産力予備試験及び特性検定試験に供試されます。
結果『さ系714』について対照『ヒノヒカリ』より多収で、千粒重も重く、粒張りが良く、外観品質が優れ、食味官能試験でも『ヒノヒカリ』並との評価を得ます(1系統群1系統5個体を選抜)。

平成15年(2003年)F7世代で2年目の生産力予備試験及び特性試験に供試されます。(1系統群5系統250個体)
なおこの年から特性検定試験に早植えによる高温登熟性の検定が加えられます。
結果、耐病性は不十分とされたものの、収量性、外観品質及び食味性は安定して優れており、登熟期間の高温にあっても白未熟粒の発生は少ないとの評価を受けます。

これを受けて平成16年~17年(2004~2005年)の2年間、『佐賀37号』の地方系統名を付して奨励品種決定試験の基本調査と特性検定試験に供試されます。
平成18年(2006年)F10世代には奨励品種決定調査の基本調査に加え、県内の適応性把握のための現地試験が県内平坦部の3カ所で行われます。
これは台風13号の潮風害に遭い、品質・収量共に著しく劣る結果に終わりますが、『ヒノヒカリ』よりも優れていました。
平成19年(2007年)F11世代は奨励品種決定試験が継続して行われ、現地試験は前年度の平坦部3カ所に加え山麗地5カ所を加えた8カ所での実施となります。
これに加えて市場評価を行うために平坦部で大規模な栽培が実施され、この年から種子の増殖も始まっています。


そして平成20年(2008年)10月、F12世代において種苗法に基づく品種登録の出願が行われ、平成23年(2011年)3月に登録されます。

最終、国育成の『にこまる』と佐賀県の奨励品種の座を争ったそうですが
登場当初の平成21年(2009年)当時、導入初年度としては異例の約1,520haもの大面積で栽培が始まりました。




系譜図

『あいちのかおり』の血が色濃く見えますね。




参考文献

〇水稲新品種「さがびより」の育成:佐賀農セ研報(2012)


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