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2020年5月24日日曜日

【酒米】辨慶1045号~辨慶(伊豫辨慶1号)~ 【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

純系名
 『辨慶1045号(辨慶七六〇一〇四五)』(『辨慶〇一〇四五号』の表記も随所に見られる)
品種名
 『辨慶(伊予辨慶1号)
育成年
 『大正6年(1917年) 愛媛県農事試験場』
交配組合せ
 『大分県の辨慶より純系淘汰』
主要生産地
 『兵庫県』※平成~現代
分類
 『酒造好適米』※平成~現代

酒米 辨慶1045号『辨慶(伊豫辨慶1号)』の擬人化イラスト
吾か?『辨慶』と呼ばれている



どんな娘?


現役引退からかなりの休養期間を経て平成の世に現役復帰。
ただしあくまでも彼女は伊豫辨慶1号(愛媛・兵庫・鳥取県普及)であり、辨慶2号(山口県)や辨慶13号(大分県)、在来種の辨慶は含みません。
この点、抽象的な在来種の具現化した太夫元六米達とは違い、滋賀渡船2号達や強力2号に近いものです。


昔は弁慶を模した格好(頭巾、袈裟、袴等)をしていましたが、現代の米の基準に基づき水着姿に着替え済みです。(ただし頭巾だけは手放さなかった様子。)

一人称は「吾」。
男性口調でぶっきらぼうな話し方をするのに加えて、性格がかなり強情で気難しいことから、基本的に他人との交流はかなり苦手。
同世代・同境遇の滋賀渡船姉妹と新山田穂1号らとは話をしているようですが、気の合う相手となるとかなり少ない様子です。(今のところ強力2号ぐらいでしょうか?)




概要


世代としては『神力』や『愛国』と同じ世代、大正から昭和初期にかけて栽培されていた品種です。
おかげで情報はかなり少なく、諸々怪しい情報も多いようです。(しかも兵庫県が事実誤認をしているというおまけ付き)

有名どころでは、兵庫県で大正13年(1924年)から昭和30年(1955年)まで『辨慶』の名で奨励品種に指定されていました。
酒造適性の高さから、酒蔵に歓迎されていたそうですが、他品種の例に漏れず、時代の変化と共に作付は減り、その姿を消しました。
平成25年(2010年)から、兵庫県内で酒造用として用いられた『辨慶』復刻の取り組みが始まり、それ以後酒造好適米として銘柄設定されています。


「兵庫県が愛媛県から取り寄せた「弁慶1045」から選抜・育成」という触れ込みで広まっていることから「兵庫県が育成した品種」との認識が多いようですが、これは兵庫県の認識間違いです。
実際は「愛媛県が育成した『伊豫辨慶1号』を品種比較試験し、優秀だったため兵庫県が採用した」と言うのが正しいようです。(詳細は辨慶とは?復刻された幻の酒米(?)の”追記”を参照)


そんな『辨慶』はそもそも山口県の在来種(少なくとも明治41年以前より栽培)でした。
その山口県から大分県へと渡り、そして大分県から愛媛県へと、そして最後にたどり着いたのが兵庫県(と鳥取県)でした。

山口県では『辨慶2号』が、大分県では『辨慶13号』が、愛媛県では『伊豫辨慶1号』が、そして兵庫県と鳥取県では『伊豫辨慶1号』が名前を変えてそれぞれ『辨慶』、『辨慶1号』として、『辨慶(在来)』から育成された純系淘汰の子品種達が大正期以降は普及していました。

夫々の県の評価を見るに、「辨慶系統品種」の共通する特徴として
「1.稈(茎)が非常に強く、倒伏しにくい」「2.いもち病への抵抗性あり」「3.大粒で酒造用に適している」の三つが挙げられそうです。

在来の『辨慶』を対照としている県(山口県や兵庫県)では、収量の増加と、より玄米の品質の良い系統を選抜し、一定の評価を受けていますが、『亀治』を対照品種にしている鳥取県では「品質があまりよくない」との評価を受けているので、とびぬけて品質が良い品種ではなかったようです。


大正15年(1926年)当時で、兵庫県内での『辨慶』普及面積は1,598.2ha。
「大粒種で酒造用にも用いられている」との表記はありますが、兵庫県全体の水田面積は約10万7千haですから、この時点では原種指定間近ということもあるのでしょうが、ネットで言われている「兵庫県で代表的な酒造好適米だった」には少し寂しい面積ですね。
これが昭和12年(1937年)になると一気にその普及面積は12,157haまで増加。
作付面積1位の『朝日(系品種群)』に次ぐ第2位の作付面積で、兵庫県約9万3千haの水田の13%に及んでいます。

ちなみに同じく愛媛県から大正9年(1920年)に取り寄せ・品種比較試験、大正13年(1924年)に原種指定(『辨慶1号』)の鳥取県では大正15年(1926年)時点で924.13ha普及…
鳥取県全体で約3万3千haですから、割合として兵庫県よりは普及していたようです。
とは言えこれも初期だけ。
昭和12年(1937年)には統計から姿を消しています。

故郷の山口県では大正15年に『辨慶2号』が5,174.9ha、それが昭和12年に8,503ha(水田面積の12%・県内第3位)普及。
大分県では大正15年時点で『辨慶13号』が5,707.0ha普及していたのが、昭和12年に1,950ha(水田面積の4%・県内第3位)と減少傾向。
そして『伊豫辨慶1号』生みの親の愛媛県では大正15年に757.0haの作付けがありましたが、昭和6年を最後に種子配布を終了。昭和12年には既に統計に登場するほどの作付は無くなってしまったようです。


その始まりに至っては「山口県の在来種」程度しか情報が無く、今やその命名の由来を知る事は不可能に近いです。
ただ、今でこそ「大粒で心白があり、山田錦と同等だった!」とばかり喧伝されていますが、当時のどの県でも強調されているのはやはり耐倒伏性の高さです。
「稈が強く倒れない」稲の姿が、「弁慶の立ち往生」を思わせることから…
名前の由来に関しては、こんな想像は出来ますね。(あくまでも想像)

『辨慶』発祥の地山口県には『牛若』という名前の品種も大正当時あり、奨励品種となっていましたが、「吉敷郡より取り寄せたるもの」くらいしか情報が無く、果たして『辨慶』との因縁があるのやらないのやら・・・謎です。

兵庫県の1950年における普通肥料栽培の成績によれば『辨慶』は
稈の細太は「太」、剛柔は「剛」。
芒はなく、もみの色も「白」と普通です。
玄米千粒重は26.8gで心白は多く、腹白は少なかったようです。

現代の『辨慶』~現代における純系淘汰種~



平成25年(2013年)に兵庫県姫路市夢前町で「夢前ゆめ街道づくり実行委員会」が立ち上がり、町おこしの一環として、既に栽培の途絶えていた『辨慶』(多分当人たちはこれが正確に何のことを言っているか認識していなかったと思われますが…)の復活を企図。
兵庫県立農林水産技術総合センターから700gの『辨慶』の種子を譲渡され、夢前町の水田で栽培を行います。

同町の壺坂酒造が当時の酒造記録や、蔵の壁などに生息していた「蔵付き酵母」を使用するなどして、復刻された『辨慶』を使用した日本酒を販売しているようです。

他、酒米『辨慶』使用を謳った日本酒は他の蔵からも出ているようです。


兵庫県が保存していたのはおそらく兵庫県で普及していた純系淘汰種の『辨慶』でしょうから、前・後述している通りこれは『伊豫辨慶1号』と言えるでしょう。
ただしこういう復刻話、当人たちや記事を書いている人が状況をよくわからずに書いている(『短稈渡船』がいい例)ことも多いので、本当に兵庫県が保存していた系統かと言うのも正直怪しいデス。

ただ、『辨慶(在来)』と、兵庫県の指定した名称『辨慶』が同じなので非常に紛らわしいですが、抽象的で概念に近い『辨慶(在来)』は既に存在しないと考えるのが妥当ではないでしょうか。



ここで「たった700g”だけ”残っていた」としている説明や、復刻米系では毎回このような説明があるので、「奇跡的に少しだけ残っていた種を発見したのか!」と思っている人も多いのかもしれませんが
研究機関の「保存している」というのは「数年おきに種をまいて採種して、を繰り返す」ことなので、瓶に詰めてどこかの棚にずっとしまってあるようなものではありません。
種子の提供依頼があれば、次回の採種に影響の出ない範囲で、保存している種子を分譲しているのです。
なのでそもそも「たった○○gだけ残っていた。そしてそれを譲ってもらった」と言うことがあり得ません。
規定されている保存種子量が多ければ数百グラムの譲渡も出来ますし、少なければ数十グラム程度しか譲渡できない場合もあるわけですね。
だからこれも「兵庫県が系統保存している中から700g分の種子を譲渡した」というだけです。
夢前町に譲った後も、引き続き兵庫県で保存は続けられているはずです(ジーンバンクに譲渡するなどして県での保存が途絶える場合もあり)。



育種経過


前述していますが、世間一般で広まっている
「『辨慶』は大正8~13年ごろに兵庫県農事試験場(但馬分場)で育成された品種」というのは、誤りです。
兵庫県公式なので取り上げている書籍も多いですが、これは「現在の兵庫県の認識が間違っている」ということになりますね。

■『伊豫辨慶1号』の育成経過


山口県では在来種として県内で広く栽培されていた『辨慶』について、明治41年(1908年)から試験するなどして原種(奨励品種)にも採用しています。
そんな『辨慶』の故郷山口県から、大分県が明治41年(1908年)に種子を取り寄せ試験を行います。
大分県では独自にここから『辨慶13号』を育成、普及に移しています(大正5年~)。

時代は流れて大正4年(1915年)、大分県農事調習所から愛媛県が普通種『辨慶』を取り寄せて、ここから純系淘汰法による新品種の育成に取り組みます。
愛媛農試の評価によれば在来の辨慶種は「極めて良好な性質を持つものの、特性が雑駁(要はバラバラで統一性が無い)」とのこと。
この雑多な『辨慶』から純系分離で中生の雄町の代替となる「短稈多収品種」と「稈長の長さにはこだわらず品質が特に優勝な母本品種」を育成する目的で大分・山口両県から雑多な『辨慶』を取り寄せて純系分離作業が行われたのでした。

第1回選抜では、1,100個体の中から95系統が選抜されますが、この中には短稈系統が14系統含まれており、この短稈系統の中の一つが『弁慶1045号』(原表記ママ/のちの『伊豫辨慶1号』)となります。
その後も第1回選抜の系統は2回の選抜(形態調査、収量調査も含む)が実施されます。
そして大正6年(1917年)、『辨慶1045号』は大分県から取り寄せた『辨慶』に比較して品質も良く、いもち病耐性に優れ、かなりの多肥に耐える多収の品種と認められます。
そして『伊豫辨慶1号』と命名され、愛媛県で栽培されていた『伊豫雄町1号』や『竹成』の中山間地での作付けに代わるべき品種として原種(奨励品種)に指定されます。
『伊豫雄町1号』や『辨慶普通種』に比べて収量で4.6~4.9%の増加が見込まれ、稈長ははるかに短稈で倒伏の心配は少ない。開花期が当時の愛媛県の9月10日頃の暴風前に早めに終わり、同じく10月10日の頃の暴風前には成熟が終わるということで、風による被害を回避することもできる絶妙な熟期と評されています。

兵庫県に行く前に未来の話となりますが、愛媛県では『伊豫辨慶1号』について大正6年の原種指定から昭和6年まで配布を継続、その後配布は中止されました。

■兵庫県における『伊豫辨慶1号』の原種採用


そんな愛媛県での『伊豫辨慶1号』の育成・原種採用から2年後、大正8年(1919年)に兵庫県が愛媛県から辨慶種について『辨慶1045号』の配布を受けたものと思われます。(また後年の記録から推測して、『辨慶1045号』配布の前年大正7年に『辨慶404号』の配布も受けたものと思われます。)

兵庫県ではこの『辨慶1045号』(と『辨慶404号』)に関して、品種比較試験を行います。
大正時代の兵庫県における品種比較試験は「各地方にて優良と認められた品種を新たに取り寄せ兵庫県の風土に適するかどうか試験するもの」で、選抜や育成ではありません。
※なお、この頃の兵庫農試は”号”を省略する癖があったり微妙に表記ブレがあるので、以下あしからず。

大正8年(1919年)の業務功程で、本場の品種比較試験(予備試験)に『辨慶一〇四五』(原表記ママ)が供試。
なお、この品種名表記は、収量結果を示す表において『辨慶一〇四五號』となっていたりと表記ゆれがありますが、これ以降も最初のページの表記に銃供試ます。
【蛇足】同8年の本試験には『神力四〇四』(現表記ママ)がいますが、これはおそらく『辨慶404号』の認識間違いと推測されます。(愛媛県に『神力404号』が存在しないため。ただ他の神力系統の結果とまとめて書いてあるので、表記間違いではなく兵庫農試の勘違い?)

大正9年(1920年)は本場での品種比較試験の予備試験は表記が省略(「供試品種ハ四十四種」とのみ記載)されており、『辨慶1045号』の記載は見られませんが引き続き供試されているものと推測。
この年、「予備試験から本試験に編入する」とされた品種の中にも「辨慶」はありません。
ただし、本試験では『辨慶404号』が実施。(記載されているのは『神力四〇四』ですが、前述のとおりと推測)
そして但馬分場では”本場から取り寄せた”『辨慶一〇四五』(原表記ママ)について品種比較試験の本試験が実施されています。

大正10年(1921年)、本場での品種比較試験の予備試験はあいかわらず表記が省略(「供試品種ハ七十六種」とのみ記載)されており、内容が確認できませんが、おそらく『辨慶1045号』は予備試験に供試され続けているものと推測されます。
そして但馬分場では”愛媛県から取り寄せた”『辨慶一〇四五』『辨慶四〇四』(原表記ママ)について品種比較試験の本試験が実施されています。(昨年記載されていた取寄先と変わっています(本場→愛媛県)が…矛盾はない範囲ですのでまぁ…)

大正11年(1922年)、この年から本場の品種比較試験の本試験に『辨慶一〇四五』(現表記ママ)が供試されます。
前年の予備試験において「本試験に編入することを決定した」中に辨慶はいなかったはずですが…なぜかこの年から本試験に格上げされています。(この時代の記録は整合性が無いのが常です)
但馬分場では1045号、404号が同じく供試。

大正12年(1923年)、引き続き本場の品種比較試験の本試験に『辨慶一〇四五』(現表記ママ)が供試されています。
そして同年の「水稲純系淘汰」の「第三年目以後収量調査」にも『辨慶一〇四五號』(原表記まま)の記載があり、この年が試験初年度とされています。
これは「分型年次」(純系淘汰試験開始後何代目であるかを示していると思われる)に記載が無いので、純系淘汰育成系統の比較対照としての記載で、純系淘汰の育種経過を表すものではありません
なお、地方委託試験も実施されており津名郡、揖保郡、有馬郡には『辨慶一〇四五』(原表記まま)が、多可郡には『辨慶』(原表記まま)が供試されています。
多可郡の”辨慶”が何なのかは不明ですが、おそらく『1045号』でしょう。
同じ12年度、但馬分場では品種比較試験の本試験に『辨慶一〇四五』『辨慶四〇四』(共に原表記まま)が供試されています。

そして耐倒伏性の強さ、そしていもち病抵抗性であることから大正13年(1924年)に『辨慶』として原種(奨励品種)指定され、配布が開始されます。
この年から明石本場の品種比較試験でも地方委託試験でも『辨慶』(原表記まま)しか登場しなくなっています。
ただし「水稲の品種肥料用量試験」では『辨慶一〇四五』(原表記まま)になっています。
そして但馬分場の品種比較試験では『辨慶四〇四號』『同(一〇四五號)』(共に原表記まま)、水稲の品種肥料用量試験では『辨慶一〇四五號』(原表記まま)が記載されています。
この但馬分場の比較試験において『同(一〇四五號)』(原表記まま)の備考欄に(原種)と記載があるので、『辨慶1045号』が原種指定された『辨慶』であるとみて良いでしょう。


■総括(兵庫県『辨慶』は愛媛県育成『伊豫辨慶1号』である)



前述していますが、改めて根拠を踏まえて

1.兵庫県に渡った時点で『伊豫辨慶1号』の育成から3年も経過していること
2.『”純系”一〇四五号』とされており、すでに純系淘汰された系統であると思われること
3.品種比較試験であり、純系淘汰を行ったとは記載されていないこと

以上のことから、ネット一般(そして兵庫県公式)で言われている「兵庫県が純系淘汰で育成した」誤り
「愛媛県育成の『伊豫辨慶1号』を兵庫県が試験した結果優秀だったので名前を変えて採用した」
これが正確な情報でしょう。
おそらく兵庫県(現代)では「品種比較試験」を「選抜・淘汰の育種の一種」と勘違いしての「純系淘汰・育成した」という解釈だと思われますが、業務功程を見る限り『辨慶1045號』を純系淘汰した記録はありません。
純系淘汰育種の記録は別途きちんと記載されており、品種比較試験はまた別の扱いです。
あくまでも『辨慶1045號』と言う品種として比較試験され、優良として原種指定を受けています。(表記が『辨慶一〇四五』『辨慶一〇四五號』『辨慶』とバラバラなので紛らわしいですが、『山田錦』の育成時の系統名称もバラバラだったように、この時代の品種(系統)名の扱いは相当いい加減だったのです。)
愛媛県側の記載と合わせて考えると、愛媛県側で既に品種としての育成と固定はほぼ終わっていたと見るのが自然でしょう。
それを多少選抜したからと言って「兵庫県が育成した」はさすがに過言かと思われます。
これを是とすると、新潟県の某さんが主張した「『コシヒカリ』は新潟県が育成した!」も正しいということに…とはいえ時代もかなり違うので簡単にひとくくりにはできませんが。


こうして誕生して、兵庫県で『辨慶』として普及した『伊豫辨慶1号』は、昭和にかけて兵庫県内第2位の作付面積まで増えているのが確認できますが、その後は交配後代(子)品種も現在のところ発見できず、『辨慶』の血筋は昭和中期にかけて本当に姿を消していったようです。
強稈や耐肥性であることから育種材料としては十分な素質を持っているように思えるのですが…なにかしら反りが合わなかったのでしょうか?


※各県での詳細な情報は以下、関連コンテンツにて


系譜図

酒米品種「辨慶」の系譜図
辨慶1045号『辨慶』の系譜


参考文献

〇「百年前の酒米で日本酒復刻へ 姫路の新特産品に」:HYOGO ODEKAKE PLUS+
〇酒米品種「山田錦」の育成経過と母本品種「山田穂」、「短稈渡船」の来歴:兵庫農技総セ研報
〇昭和四年三月米麦原種一覧表:兵庫県立農事試験場
〇兵庫県立農事試験場業務功程大正9年~14年
〇水稲及陸稲耕種要項(昭和11年):大日本農会
〇農芸研究拾箇年輯米麦篇:昭和10年 愛媛県立農事試験場
〇農事改良資料第九七 道府県ニ於ケル主要食糧農作物品種改良事業ノ成績並ニ計画概要:農林省農務局

2020年2月18日火曜日

辨慶とは?復刻された幻の酒米(?)


兵庫県の幻の酒米『辨慶』の擬人化、辨慶の起源に迫る
『辨慶』 幻の酒米…らしいです


大正の兵庫県?の酒米『辨慶』


兵庫県で平成の世に復活したとされている『辨慶』という水稲品種。

・1924年に兵庫県が『辨慶1045』から純系淘汰で育成(奨励品種に指定)
・戦前の兵庫県で栽培されていた酒米
・1955年に奨励品種から外れ、栽培が途絶える。

超少ない(令和元年時点)ですが、さらっとネットで調べるとこんな感じ。
これも流行りの復刻米というものですが、さて、彼女の生い立ちはどのようになっているのでしょうか?
というか『辨慶』とひとくくりにされていますが、水稲品種としての彼女はいったい誰なのでしょうか?
大正前後の水稲品種は日本酒業界ではひとくくりにして扱ってますが、水稲品種としては実にいろんな品種があったんです。関連~亀の尾とは?在来亀の尾とその仲間たち~


「大正十五年一月 道府縣ニ於ケル米麥品種改良事業成績概要」(農林省農務局)から読み取れる情報を以下にまとめてみました。(兵庫県立農事試験場業務功程を参照すると年度が多少異なる部分もありますが、この項ではあくまでも前述の資料に基づいて記載します。


注意事項(何せ古い資料ですので…)
注意①
『辨慶』だったり『弁慶』だったり、この時点の資料から両者存在し、表記揺れがありました。
以下内容では一応元資料の表記に極力従うようにしています。

注意②
元の反収の単位は「石」(容量)で表記されていました。
「1石」=「150kg」とキリのいい数字で変換しています。

注意③
元資料はひらがなはなくほぼ全てカナ表記。数字もすべて漢数字でしたが文章上は現代表記に直している部分もあります。




【始】山口県の在来品種だった『辨慶』
   そして『辨慶2号』(5,174.9ha普及)



さて、そもそもネット上では「兵庫県が選抜した~」とか「兵庫県で栽培されてた~」等々…兵庫県の品種のように感じる方も多いかもしれませんが…
そもそもの起源は山口県にあったようです。

山口県内に普及していた『辨慶(在来)』は、明治41年(1908年)に山口県の試験場で品種比較試験を行い、良好な成績を収めます。
大正5年(1916年)から始まった原種計画(現在で言うところの奨励品種。優秀な品種の普及が目的)に基づいて、原種に採用され、大正11年(1922年)まで配布されていました。

その『辨慶(在来)』に代わって大正10年(1921年)から配布が始まったのが『辨慶2号』でした。
県内各地から『弁慶(元表記まま)』種を取り寄せ、大正6年にその中から純系分離に取りかかり、大正7年に形態比較試験、大正8年に収量比較試験、大正9年に品種比較試験と行われ、大正10年に『辨慶2号』が原種に採用されます。

『辨慶(在来)』よりも品質が良く、稈が強く、倒伏の心配がないと評されています。
反収に関しても試験では25.8kg/反ほど『辨慶(在来)』より多いようです。



【始-2】大分県にも渡っていた『辨慶』
    そして『辨慶13号』(5,707.0ha普及)



時期を同じくしてこの山口県から『辨慶(在来)』を取り寄せていた県がありました。
大分県です。
明治41年(1908年)に山口県から『辨慶(在来)』を取り寄せた大分県では品種比較試験を継続的に実施し、その結果成績優良と認められ、大正5年(1916年)に原種に指定されました。
また『辨慶(在来)』の指定と同年、大正5年から純系淘汰による育種にも取り組み、『辨慶13号』が生まれます。
『辨慶13号』は大正10年(1921年)に原種に指定されました。

『辨慶(在来)』よりも粒が大きく、品質が良い『辨慶13号』は酒米として歓迎されたそうです。
反収は『辨慶(在来)』よりも26.52kg/反ほど多い品種です。


さて、山口県と大分県、この二つの県でそれぞれ子品種が生まれていますね。
酒米として使用されている旨の記述も出てきました。
それではこの『辨慶2号』か『辨慶13号』、どちらかが…いや『辨慶(在来)』が兵庫県に渡ったのでしょうか?

しかしそう単純でもなく…もう少し時間がかかります。



【中】愛媛県の『伊豫弁慶1号』(757.0ha普及)



次の舞台は愛媛県になります。

愛媛県は『辨慶(在来)』の故郷山口県…からではなく大分県農事調習所から大正4年(1915年)に『辨慶』を取り寄せています。
※愛媛県記録では選抜元について「普通種辨慶」と記載があったので、大分県県下の一般栽培『辨慶』を取り寄せたと思われます。この年のほか大正5,7年にも山口・大分県から「普通種辨慶」を取り寄せ選抜試験を行っています。
取り寄せた大正4年、純系淘汰に取りかかり、3年に渡って選抜を行います。
そして大正4年の第一回選抜時の際に1,100株の中から選ばれた『弁慶1045号』が大正6年(1917年)に『伊豫辨慶1号』として原種に採用されます。※1

いもち病抵抗性を持ち、多肥にも堪えると言うことで当時の『竹成』『雄町』といった品種の欠点を補うことが出来る品種として中山間地で大規模に普及し、平坦部でもまた、裏作との関係性が良いために歓迎されたそうです。
反収は『弁慶普通種』(現表記ママ)より39.6kg/反も収量が多い品種のようです。

※1ここの表記揺れがすごいです。
 元表記ままで『弁慶〇一〇四五号』、さらにこれを『伊豫弁慶〇一〇号』と命名したと記載されています。
 しかし同資料内で、兵庫県では『一〇四五号』、又品種一覧では『伊豫弁慶一号』と表記。
 数字の前についているのが「○(まる)」なのか「〇(ゼロ)」なのか判別がつきませんが…
 他県の記録や自然に考えて、仮に「1045号」「1号」としていますが、もしかしたらなにかしら「○」に意味があるのかも知れません。
昭和10年の愛媛農試の記録「農芸研究拾箇年輯米麦篇」では『弁慶一〇四五號』とともに『辨慶七六〇一〇四五』表記が確認できるのです。
愛媛県は謎が多いですね。

兎にも角にも
山口県の在来品種であった『辨慶』は、大分県に渡り、愛媛県でも『伊豫弁慶1号』が育成されました。(蛇足ですが、大正14年の愛知県で”愛媛県から取り寄せた『伊豫辨慶2号』”なる品種が試験に供されていたので、原種には採用されない辨慶系品種はもっと他にもあるのかもしれません)
ここまできてようやく平成復活の舞台、兵庫県の登場です。


【到着】兵庫県の『辨慶』(1,598.2ha普及)



早速ですが、「大正十五年一月 道府縣ニ於ケル米麥品種改良事業成績概要」では『辨慶』に係わる兵庫県の最初の記述では大正9年(1920年)に愛媛県から『純系一〇四五号』の配布を受けた」とあります。※2-1
(なおこれは大正8年(1919年)の誤記なので、以後大正8年と記載する)
しかし
ネット上では「兵庫県が『辨慶1045』を純系淘汰したのが兵庫県の『辨慶』だ」としており、もしかしたら兵庫県の記録でそういう表記があるのかも知れませんが…※2-2

愛媛県の記録を見るに、これは『伊豫辨慶1号』初期系統名『辨慶1045号』であることが推測されます。
そして兵庫県配布を受けた大正8年は『伊豫辨慶1号』が原種に指定されてから2年も経っており、さらに「純系」という表記、そしてこの資料上では「品種比較試験を行った」としか書いていません。

品種比較試験の中である程度兵庫県側の選抜は行われたのでしょうが、品種としては既に固定されていた『伊豫辨慶1号』であることが自然に思われます。(管理人墨猫大和の推測です。)

改めて
兵庫県では大正8年(1919年)に愛媛県から『辨慶1045号(伊豫弁慶1号)』を取り寄せ、品種比較試験の予備試験に供します。
以後試験が継続された結果、優良と認め、大正13年(1924年)から『辨慶』として原種に指定します。
その後昭和31年(1956年)に廃止されるまで栽培は続いたものと思われます。
先に述べたようにこの『辨慶(兵庫県)』は『伊豫辨慶1号』と言っていいでしょう。

ここでの対照品種は在来の『山田穂』とされており、『山田穂』よりも稈が短く強いので倒伏しにくく、いもち病にも抵抗性がある大粒種と評価されています。
この時点では「酒米としても用いられることがある」程度の表記ですが、この後昭和12年(1937年)になると一気にその普及面積は12,157haまで増加しているので、途中経過は未調査ですが、兵庫県では相当気に入られたことがうかがえます。
反収は『在来 山田穂』に比べ41.4kg/反ほど多いようです。

※2-1
大正8年(1919年)の業務功程の時点で既に、本場の品種比較試験(予備試験)に『辨慶一〇四五』(原表記ママ)が供試されているのでおそらくこの記載は間違い。
たった7年前のことなのに…この時代の記録は本当に雑です。

※2-2
この時代では普通だったかもしれませんが、兵庫県の記録(業務功程)では『辨慶』『辨慶一〇四五』『辨慶一〇四五号』が同じ年度なのに雑多に使用され、表記揺れがありました。
『辨慶1045』も兵庫県におけるひとつの表記の仕方として確かに存在したようです。


【おまけ】鳥取県にも『辨慶1号』(9,243.1ha普及)



最後に
実は兵庫県が配布を受けた大正8年(1920年)より少し遅れてですが、同じ愛媛県から『辨慶』の配布を受けた県があります。

鳥取県です。

大正9年から品種比較試験を行い、大正13年に原種に指定しています。

鳥取県の業務功程を確認すると大正9年から『辨慶〇一〇四五』(ただし所々なぜか『辨慶%四五』←〇一〇と%【パーセント】を見間違え?)が品種比較試験に供試されており、大正12年にこれが『伊豫辨慶』と名称を変え、これを成績優良により奨励品種に加え『辨慶1号』と改名する旨が記載されていました。
前述してきたように『辨慶〇一〇四五』は『辨慶1045号』、つまり『伊豫辨慶1号』のことと思われ、やはり鳥取県の『辨慶1号』も『伊豫辨慶1号』のようです。
”1号”がついたのは、只単に鳥取農試が大正10年から純系淘汰品種が増えた際に区別するためか必ず各品種に”1号"を付けるようになった流れによるもののようで、『伊豫辨慶1号」の"1号"は関係なかった…のかもしれません。
鳥取県での対照品種が『亀治一号』となっているせいか、原種に採用されたにしては他県よりも評価内容が少し寂しいものになっています。
「品質はあまり良くないが、稈が強い多収の晩稲だ」と書いてありますが、反収は試験で『亀治一号』より14.1kg/反増…うん、これでも多いそうです。


まとめ 復活品種は『伊豫辨慶1号』



さて
始まりは山口県で栽培されていた『辨慶(在来)』
広く普及したのがより優れた純系淘汰の子品種達であったと仮定すれば、『辨慶』は

『辨慶2号』、『辨慶13号』、『伊豫辨慶1号』の三種類が存在したことになります。
『辨慶』(兵庫県)『辨慶1号』(鳥取県)は愛媛県の『伊豫辨慶1号』の異名同種でしょう。

さて、始めの話に戻って
平成の世に復活した『辨慶』。
これは加西市にある農林水産技術総合センターから700gの種籾を入手したとのこと。
順当に考えれば、兵庫県で栽培されていた『辨慶(伊豫辨慶1号)』ということになりますが…はたして?

日本酒業界では特に、赤色もピンクも紅色も全て一緒くたに「赤色」と呼ぶ風潮が強いようですので何とも言えません。


とりあえず

山口県で栽培されていた『辨慶(在来)』は
大分県に送られ、『辨慶13号』が育成
愛媛県では『大分在来辨慶』から『伊豫辨慶1号』が育成され
兵庫県・鳥取県はそれを受け取って普及した
となります。

酒米品種「辨慶」の系譜図
『辨慶』の系譜

たった一冊の統計資料(+やはり裏取りは必要でしたが)で、『辨慶』の生い立ちが追えるとは…
正直驚きました。(兵庫県の取り寄せ年度間違いはありましたが)

因みに農研機構のジーンバンクでは
◯『弁慶2号』山口県原産
◯『弁慶1049号』山口県原産
◯『辨慶』兵庫県原産

の三種類が現存…うん…『1049号』ってなんだ!?

でも本当に情報が少ないデス。
何か資料に基づく情報持っている方がいたらば教えてくだちい。

追記


「辨慶1045を純系淘汰したのが兵庫県の『辨慶』」
兵庫県公式の上、「酒米ハンドブック」にも書かれているために広く広まってはいますが・・・
兵庫県立農事試験場の業務功程を確認しましたが、やはり淘汰を行った形跡はありません。

そもそもなぜ兵庫県公式で「『辨慶1045』を純系淘汰し育成したのが兵庫県の『辨慶』だ」と言っているかというと、兵庫県酒米振興会が発行した「『兵庫の酒米』創立50周年記念誌」元凶元のようです。

【弁慶の導入(中略)大正8年に愛媛県から取り寄せ,県立農事試験場で純系淘汰法によって選抜を進めるとともに,9年から但馬分場を中心に品種比較試験をおこなった.そして,11年から有馬・津名・揖保・多可郡で地方委託栽培を実施,その結果,短強稈で多肥栽培に向き,多収であることが証明されたため,13年に奨励品種に指定された】

業務功程のどこにも書いていない「純系淘汰法で選抜を進めた」がどこから出てきたか不明ですか、ここで創作されたか事実関係を良く確認しなかったために起きた錯誤でしょう。

水稲及陸稲耕種要綱(昭和11年)でも、兵庫県内の品種説明で「大正8年愛媛県立農事試験場において改良せられたる、純系1045号を取り寄せ、品種比較試験を行いたる結果、優秀と認め~」と記述されている(純系淘汰して育成したと書いてない)ことからも、やはり「兵庫県が育成した」は後年創作された話でしょう。

「愛媛県が育成した『伊豫辨慶1号』を試験して優秀と認めた兵庫県が普及した
この結論で間違いないと思われます。

参考文献


〇業務功程大正9~12年度:鳥取県農事試験場
〇農芸研究拾箇年輯米麦篇:昭和10年 愛媛県立農事試験場
〇「兵庫の酒米」創立50周年記念誌:兵庫県酒米振興会



弁慶1045号~辨慶(伊豫辨慶1号)~




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