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2020年12月13日日曜日

【糯米】中新糯40号~こがねもち(みやこがねもち)~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『中新糯40号』
品種名
 『こがねもち』(宮城県産地品種銘柄名『みやこがねもち』)
育成年
 『昭和32年(1957年) 新潟県農業試験場長岡本場(交配:新潟県農事試験場中条試験地)』
交配組合せ
 『信濃糯3号×農林17号』
主要生産地
 『新潟県、宮城県』
分類
 『糯米』

こがねもちだよ、そろそろ楽したいものだがね





どんな娘?

利発な年上のお姉さんキャラ。(糯米三太夫の中では3番目の地位ながら、一番年上)

米のエリート新潟県出身で、物事はきっぱりと決めたがり、曖昧な判断は嫌い。
宮城県に行くと別途名字(名字ではないが)がつくようになり(『みやこがねもち』)、国の統計でも別途扱いされているが、あくまでも同一人物。
コシヒカリと同世代で、現役で親しく且つ対等な立場で話せる数少ない現役古参の一人。


概要

昭和36年(1961年)から昭和57年(1982年)までの間、もち米の作付面積第1位であった古豪、『こがねもち』の擬人化です。(実際は『みやこがねもち』の面積を足すともっと長い期間1位独占)
栽培特性の弱点は多いものの、その糯品質は『ヒメノモチ』よりも一段上とも言われ、生産量が衰えないことがそれを証明していると言えるでしょうか。
餅質は硬くなり易い性質を有しており、加工のしやすさから包装餅用などとして工業生産用の需要が大きいとされています。
反面、和菓子用のような柔らかさの持続が必要な用途には向かないとされています。


新潟・福島以北の東北地方、及び茨城・山梨などで栽培されていますが、米王国である新潟県の代表的糯品種となっており、生産の6~7割(『みやこがねもち』除く)を新潟県が占めています。
(平成27年(2015年)に『ゆきみのり』が登場して少し生産量が減りました。)

昭和33年から現在に至るまで統計に登場する宮城県産『みやこがねもち』は、宮城県における『こがねもち』の産地品種銘柄設定名です。
宮城県だけが用いている独自の呼称で、品種としては同じ『こがねもち』です。

育成地における熟期は中生~晩生の早。
穂数は少ないものの、一穂重が重い「偏穂数型」の品種です。
稃先色は「淡褐色」で通常粳品種との外観による判別が可能です。
稈は太いものの、長く(稈長約80~90cm)もろいために倒れやすく、耐倒伏性は「弱」。
葉いもち・穂いもち病及び白葉枯病への耐性は「弱」とこれもまた弱いです。
いもち病真性抵抗性遺伝子型は【Pia】と推定されます。
耐冷性も「弱」の部類に入り、穂発芽性も「易」のため、栽培特性はかなり欠点が多い品種といえます。


育種経過

『こがねもち』の育種は、昭和18年(1943年)新潟県農事試験場中条試験地の交配から始まりました。
母本は『信濃糯3号』で、父本は粳品種の『農林17号』です。

太平洋戦争末期ながら育種は継続されたようで、昭和19年(1944年)にF1、昭和20年(1945年)にF2養成が行われます。
F2の段階で糯個体の選抜が行われたものと推測されます。

本格的な選抜が始まったのは昭和21年(1946年)F3世代からです。
25系統(『620』~『644』)として、各系統60個体を播種し、その中から3系統を選抜。
昭和22年(1947年)F4世代は3系統群20系統(『416』~『435』)から前年と同じく3系統を選抜。
昭和23年(1948年)F5世代は3系統群15系統(『834』~『848』)を設定、各系統60個体を播種し、3系統を選抜。

昭和24年(1949年)F6世代は3系統群15系統(『923』~『937』)を設定、各系統60個体を播種し2系統を選抜。
昭和25年(1950年)F7世代は2系統群20系統(『807』~『826』各60個体)から5系統を選抜。

昭和26年(1951年)F8世代において『中新糯40号』の地方系統名が付され、この年から試験地が中条試験地から新潟県農業試験場(昭和25年改名)長岡本場に移されます。
この年は5系統群50系統(『1751』~『1800』各90個体)から5系統を選抜しています。

以後、前述したとおり長岡本場で固定が図られ
昭和27年(1952年)F9世代は5系統群25系統(『1』~『25』各90個体)から2系統を選抜。
昭和28年(1953年)F10世代は2系統群15系統(『1』~『15』各90個体)から1系統を選抜。
昭和29年(1954年)F11世代は1系統群10系統(『1』~『10』各90個体)から2系統を選抜。
昭和30年(1955年)F12世代は2系統群10系統(『1』~『10』各90個体)から1系統を選抜。

そして昭和31年(1956年)F13世代において『こがねもち』と命名され、生産力検定試験及び各種の特性検定試験(一部は昭和30年から実施)を行い、さらに県下各地において地方適否を確かめる試験栽培を行い、結果優良であると認められました。
糯質は従来品種と変わらぬものの優良、耐病性は総じて弱い部類に入りましたが、収量性の高さは際だったものでした。(F13世代、及び昭和32年(1957年)F14世代は1系統群10系統、各系統90個体を播種し、1系統を選抜。)

そして昭和33年(1958年)、新潟県の奨励品種として編入され、一時は作付面積1位になり、平成・令和の世まで主力糯品種として続いていくことになります。



系譜図
中新糯40号『こがねもち(みやこがねもち)』系譜図




参考文献

〇新潟県農業試験場研究報告(9) 水稲新品種「こがねもち」:新潟県農業試験場
〇ラピッド・ビスコ・アナライザー(RVA)による滋賀県育成糯系統の加工適性に関する評価:滋賀県農業試験場研究報告 



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2020年4月13日月曜日

【粳米】~愛国~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『ー』
品種名
 『愛国』(系品種群)
育成年
 『明治25年(西暦1892年) 宮城県 窪田長八郎氏ら』
交配組合せ
 『身上早生より選抜』
主要生産地
 『ー』
分類
 『粳米』
愛国「僕たちが愛国さ、よろしくね」





どんな娘?

米っ娘たちのとりまとめ役、太夫元六米の一角。

明治の三大品種の一角。
出で立ちや口調からはまったく想像できないが、行動にはかなり粗野な部分が目立ち、遭遇(?)した米っ娘(若手)達が挨拶がてらに尻や頭をひっぱたかれるのは日常茶飯事。
神経もかなり図太く、驚くことを知らないと噂されるほど。
仕事ぶりに関しても、同期の神力も周囲からは「雑」と批判されることがありますが、愛国に関してはそれ以上で、かなりいい加減。
書類仕事など任そうものなら文字の判別と、書類の並び替えにかなり苦労を強いられるため、太夫元六米の中でも仲裁や見回りなどの肉体労働を割り振られているようです。

と、なにかと敬遠されるように思われる愛国ですが、旭・亀の尾と組めば互いの長所短所を補うことができるからか、見違えたような働きを見せます。
しかしやはり1人で出歩いているのに会うと、他の米っ娘(若手)達には警戒される様子。


一人称は「僕たち」。
他の太夫元六米(や「在来」と呼ばれる品種)は性質や熟期も幅広い(固定が不十分な)ことが多いですが、特に『愛国』は『神力』と並んで純系淘汰で正式に固定した子品種が作出される以前の段階で早生・中生・晩生が存在していたせいか、時折性格のブレが生じることもあります。


概要

西の『旭』に東の『亀の尾』は有名どころですが
それ以前の明治時代に西の『神力』、東の『愛国』と称され、『亀の尾』も加えた三大品種に数えられたのがこの『愛国』(系品種群)です。
前者は良食味品種として東西の双璧に数えられましたが、後者は類を見ない多収と言う意味での東西の双璧…と言えるでしょうか。

W◯kipediaでは「細かくは早生愛国、中生愛国、晩生愛国など多数の品種がある」とされていますが、厳密にはそれは後代の子品種達であり、それらを含めるのであれば他の在来品種達と同じように『愛国系品種群』と呼ぶのが正確と思われます。
明治初期はまだ公的機関による純系淘汰、及び固定がまだ盛んでなかったため、地方ですでにこのような在来種としての分化(もしくは品種の取り違い)が進んだようです。
ただ後述しますが、最盛期に普及したのは基本的にそのさらに後代となる、正式な純系淘汰子品種達です。

本来の品種としての『愛国』は宮城県伊具郡館矢間村館山で選出された俗称の『在来愛国』もしくは『晩愛国』、それが唯一の”オリジナル”なのでしょう。
言っても詮無いことですが、現代で一般の方が”愛国”と呼ぶソレは対象が曖昧過ぎて、何について語っているか非常に不明瞭ですね。


生まれた時代は明治初期。
明治6年(1873年)の地租改正により、農民は豊作・凶作にかかわらず一定の税金を納めなくてはならなくなり、生活はより一層苦しいものとなり、諸県では一揆が起こるほどでした。
そんな中ですから、税金を納めるためにより多くのお米がとれること、そして仮に天候の悪い年にも多くのお米がとれることが強く求められました。
つまりより多収で耐病・耐冷性に優れた新品種が求められていました。
そんな時代、多収(少肥下でもそれなり)に加えて耐病性・耐冷性の非常に高い『愛国』は、外観や味の悪さから安値では取引されたものの、炊くと釜増えする特徴が米消費量の急増する時代に合致しており、『神力』(本来の晩生の『神力』と推測される)が作付け出来ない東日本、特に関東圏を中心に広まりました。
戦前は朝鮮や台湾にまで栽培地が広がったと言います。

『愛国』(系統品種群)は明治時代後半から昭和時代の初めまで東北、北陸、関東の各地方を中心に全国に広く普及し、特に東北では昭和元年(1926年)に最大の約8万haとなりました。
しかし『神力』(系統品種群)が大正時代にかけて『旭』と入れ替わっていったのと同じく、『愛国』の後代品種に切り替えが進んでいきます。
まずは『銀坊主』の登場によりその作付けは入れ替わり、さらにその後徐々に後継の新品種に置き換わっていき、昭和14~19年(1936~1955年)にかけて奨励品種から姿を消し、昭和28年(1953年)には完全に姿を消したと言われます。

ちなみに、大正15年時点で
宮城県では『愛国1号』や『早生愛国2号』などの早熟系、岩手県では『中稲新愛国』『晩稲新愛国』、山形県では『中生愛国』(晩稲と評価)など、熟期だけで見ても多様な品種群であったようでした。

また、農商務省農事試験場陸羽支場が純系淘汰により育成した『陸羽20号』が
新潟県では『陸羽20号』として
また岐阜県と福島県では『愛国20号』の名前で
長野県では『陸羽愛国20号』の名前で
それぞれ普及していました。

このように異名同種もあったわけですが、同じく農商務省農事試験場の畿内支場が純系淘汰で育成した無芒愛国が茨城県や石川県で奨励品種になっていたようですが、同じような純系淘汰で埼玉県が無芒愛国埼1号』を普及していました。
そして福島県では同じような名前の無芒愛国25号』と言う品種がありました…が
この福島県の『無芒愛国』は畿内支場育成の『畿内早生25号』(『穀良都』×『愛国』)という、交雑育種で生まれた完全な別物です。
〇『無芒愛国』(茨城・石川)=畿内支場(純系淘汰)育成品種
〇『無芒愛国埼1号』(埼玉)=埼玉農試(純系淘汰)育成品種
〇『無芒愛国25号』=畿内支場(交雑)育成品種『畿内早生25号』別名


同名異種と言う点ではさらに

先に述べた岩手県の『新愛国』、さらに長崎県には『改良愛国2号』が奨励品種になっていましたが、これらは在来『愛国』より純系淘汰によって育成されたことになっている※1ので、一応『愛国系品種群』と言えます。

しかし、群馬県、新潟県、石川県、和歌山県で普及していた『改良愛国』については、農商務省農事試験場畿内支場(大阪府)が『信州金子』と『愛国』の交雑育種で育成した明確な子品種『畿内早生22号(畿内早22号)』になります。
そして同じ名前の『改良愛国』ですが、山梨県については『畿内早56号』(『信州金子』×『愛国』)からの改名となっており非常にややこしいデス。※2
同じような名前ですが、後者は『愛国系品種群』とは明確に一線を画す存在となります。
この『畿内早生22号』は長野県ではその名前のまま、栃木県では『畿内千石』との品種名で普及しました。
こういった複雑で似たような品種名が多く有り(昔の品種にとってはある意味常態化していますが)非常に判別しにくく、紛らわしいですね。

※1農商務省畿内支場の記録では長崎県の『改良愛国2号』も『畿内早生22号』ということになっていると西尾敏彦氏は書いており、どちらが正しいかはわかりませんが、西尾氏の記述はところどころ怪しい気が…
※2農商務省畿内支場の記録では全て『畿内早生22号』になっていると西尾敏彦氏は書いており、どちらが正しいかはわかりませんが、西尾氏の記述は(以下略


まぁすべては謎と言う事です(ぶんなげ)


すべての試験場の報告書が集められれば追うこともできるんでしょうけど…うまみがあまりないのですよね。

ざっくばらんな品種を一塊にした、まさに在来である『愛国系品種群』では特性をどれに絞って言ってよいか、わかりませんが、本当に最初の『愛国』は宮城県で極晩成で、冷害の被害を受けやすい品種であり、命名後たった5年で宮城県全域に広まることができたのも、この期間に豊作年が続いたことが普及を大いに助けたのではないかともいわれています。
稈長は110センチ前後まで伸びるようで、昔の品種にもれずかなり背の高い品種のようです。
こういう情報は現代のジーンバンクに依りますので、当時は…これでも倒伏に強い方だったのでしょうね。


『コシヒカリ』との関連性


『愛国』の『コシヒカリ』につながる系譜としては、2系統あります。
『コシヒカリ』の母親『農林22号』のさらに母親『農林8号』、そして『コシヒカリ』の父親『農林1号』のさらに父親『陸羽132号』です。

まずは『コシヒカリ』の母方の祖母に当たる『農林8号』の母親、『コシヒカリ』から見て曾祖母が『銀坊主』となっています。
この『銀坊主』は、富山県婦負郡寒江村の石黒岩次郎氏が明治40年(1907年)2月に『愛国』を試作した際、施肥量を間違いやり過ぎてしまった、というある意味失敗から見出された品種です。
1畝(約100㎡)ほど作付けされた『愛国』はほとんどがべったりと倒れてしまいましたが、その中に茎が強く、倒伏しない明らかな変種を見つけました。
耐肥性、及び耐倒伏性に優れているこの品種が『銀坊主』と名づけられました。
『銀坊主』は出生地の富山県、そして北陸の石川県、福井県にも普及(純系淘汰後代も作出された模様)したようです。

次に『コシヒカリ』の父方の祖父に当たる『陸羽132号』の父親、『コシヒカリ』から見て曾祖父が『陸羽20号』となっています。
この『陸羽20号』は農商務省農事試験場陸羽支場が『愛国』から選抜した品種であり、福島県や岐阜県では『愛国20号』の品種名で普及していました。(長野県では『陸羽愛国20号』、新潟県では『陸羽20号』と呼び名には幅があったようです。)
在来の『愛国』よりも7~10日程度出穂期が早い(福島県:当時)ため、冷害の回避に有利とされ、さらに短稈で茎も強く、多肥栽培に耐えることが出来る米質良好な品種とされています。

このように『愛国』の血が現代に繋がっているというわけです。
『コシヒカリ』における穂ばらみ期耐冷性は長らく「極強」とされており(2015年以降の基準で「強」)、その耐冷性を生かした『ひとめぼれ』を代表とする後代品種も多く育成されましたが、この『コシヒカリ』の耐冷性の由来になったと言われているのがこの『愛国』です。
食味の点では当時から褒められていたものではありませんでしたが、現代の耐冷性の始祖として、その遺伝子は現代の稲品種にとって非常に重要なものとなりました。


(疑わしいとされている)育種経過

昭和7年(1932年)「農業及び園芸第7巻7号」に記載されている財団法人富民脇会の手島新十郎氏の説としては以下のようなものがあります。(一部読みやすいように句読点を挟む等改変)

宮城県志田郡船岡村の人、飯淵七三郎氏が明治27年に広島県立農事試験場を参観の際、『赤出雲』種の種子を持ち帰り、試作したるにその成績良好なりしため、明治39年『愛国』と命名し、これを同志に領ちたるものなり。

これは
①志田郡に船岡村が存在しなかったこと(実際は柴田郡)
②明治36年に宮城県立農事試験場が設置されて以後、愛国が試作されていること(上記説の命名年以前から試験が行われている)
③明治38年は宮城県の平均反収が1斗8升になるような大凶作の年であり、『愛国』のような極晩成種は特に被害を受けて悪くなるはずなのに、その翌年の明治39年に命名するとは考えにくいこと
これらのことから信用性は低いのではないかとされています。(昭和31年時点)


佐々木武彦の追跡調査で、
1.『愛国』の試験栽培(米作改良試験)がおこなわれていた伊具郡と飯淵七三郎氏所在の柴田郡が隣接していること
2.『愛国』の最初の作付けは伊具郡で明治27年、飯淵氏の柴田郡で明治28年からであること
3.飯淵氏自身もこの試験栽培(米作改良試験)に参加しており、隣接する伊具郡で成績優秀の『愛国』の存在を知り、普及に熱心であったこと
4.昭和27年が飯淵氏が貴族院議員に選出され、広島の帝国議会に召集された年であったこと

これらのことから
昭和27年に議員として広島に召集された飯淵氏が、地元宮城県に帰った翌年昭和28年から地元柴田郡で推進した優秀な品種『愛国』について、「飯淵氏が広島から優秀な品種を持ち帰った」という””勘違い”が噂として広まったものではないかと推測しています。

そして手島氏はこの噂をうのみにしてしまい、島根県立農事試験場の「『愛国』と『出雲早生』が酷似している」との書簡と合わせて、「『愛国』-『赤出雲』発祥説」を唱えてしまったことが推測されています。
手島氏は一応最後まで自分の説が正しいしていたようですが、現代のSNSに見られるような「私の説は明確な文献に基づいている(明確な文献があるとは言っていない)」となっているようなので…

詳細を知りたい方は「水稲「愛国」の起源をめぐる真相」を読みませう。


育種経過

こちらは
大正元(1912)年に宮城県立農事試験場が発行した稲作試験報告第12報の付録「水稲品種の起源来歴分布情態及特性調査書」
及びこれを追跡調査して事実と確認した寺沢保房氏(宮城農試第12代場長)の説になります。(日本作物学会記事第4巻3号等)

明治22年(1889年)12月、静岡県県賀茂郡下田港西在金蘭園主、外岡由利蔵(とのおかゆりぞう)氏から宮城県伊具郡館矢間村館山の本多三學氏が無名の種籾を取り寄せたことに始まりました。
なお、当時のやりとりではあくまで「無名の種籾」ですが、これは静岡県加茂郡青市村(後の竹麻村)の高橋安兵衛氏が明治15年(1882年)ころ『身上起(しんしょうおこし)』から早生種を選出して『身上早生(しんしょうわせ)』(もしくは『蒲谷早生』)としたものであるとされています。
これは実際に宮城農試で比較栽培も行われて、両品種(『愛国』と『身上早生』)間に差異がほとんどないことが確認されています。
(※1宮城農試の報告書では外岡由利蔵氏の名字を「竹岡」と誤記載)
(※2本多三學氏についても「本三學」の誤表記がままあるそうですが、この件に関しては直接子孫の方に確認が出来ており、「本多(夛)」が正しい表記です。)

外岡氏、本多氏両名は共に養蚕家として同業者であり、風交倶楽部の俳句仲間として親交の縁があったそうです。
ところでその種籾を受け取った本多三學氏ですが、なんと水田は所有していなかったということで、舘矢間村小田の篤農家、窪田長八郎氏に試作を依頼します。
初年の明治23年(1890年)は出穂が遅れ、採れた種子はわずかだったと言います。
ただし翌明治24年(1891年)は成熟が3日早まり、それなりの量を収穫できました。
これは明治23年の際に取れた種子がわずかだったことから、宮城県でも登熟出来る、つまり出穂期の比較的早い個体が自然に選抜されたことがうかがえます。

そして明治25年(1892年)、窪田長八郎氏に加え日下内蔵治氏、佐藤俊十郎氏、佐藤伊吉氏らが試作を行います。
この年はさらに前年と比較して成熟が3~4日、初栽培の明治23年から比べれば約1週間早まり、成績は良好とされました。
舘矢間村大字小田の日下内蔵治氏の試作したものが最も収量が多く、反収2石8斗あまり(約420kg/10a)に達しました。
坪刈り調査に訪れた伊具郡書記、森善太郎氏と、同郡米作改良教師、八尋一郎氏により、これほど素晴らしい稲が無名であることを嘆いて、『愛国』と命名したと伝わります。
※日清戦争(1894~1895年)を間近に控えた時期であったことから『愛国』としたと言われています。


なお、『赤出雲』由来説は、前述のとおり『愛国』の普及状況や証明となる根拠において整合性がないか不明瞭であることが証明されています。
しかしながら、当時(宮城県柴田郡農会から依頼を受けて)『愛国」を鑑定した島根県立農事試験場から、『愛国』と『出雲早生』が酷似しているとの返答があった記録が残っていることはまた確かなことです。
静岡県で選抜元となった『身上起』の起源がもしかしたら島根に…なんてことはあるかもしれません。
早生化した『身上早生(愛国)』とはいえ、宮城県では極晩成だったそうなので、緯度関係的に辻褄は合いますよね。(平成現代で、山形・宮城で晩生の『つや姫』は島根県あたりでは早生)


食味の悪さは兎も角、多収で耐倒伏・耐病性・耐冷性に優れているという栽培性の高さを実現したこの『愛国』は、伊具郡内は無論のこと、宮城県内全域に急速に普及しました。
この元となった在来『愛国』からは、宮城県で『早生愛国』『中生愛国』が選出された…そうなんですが、どうにも宮城県の奨励品種の中には見受けられません…情報求ム
おそらく後年に純系淘汰育種された『愛国1号』(中生?)と『早生愛国2号』(早生?)のことを嚙み砕いて伝えたのが正式名かのように伝わっているだけだと思いますが…

兎に角、他にも全国各地で純系淘汰の系統品種群が多く育成されることになります。
そうして東日本を中心に広がり、『愛国』系品種群は明治時代に三大品種に数えられるまでに至ります。

そして『陸羽132号』、『銀坊主』などへその血は受け継がれ、日本の水稲品種の基礎を築いていくことになります。


系譜図

『愛国』と『身上早生』は宮城県の試験でほぼ同じとはされていますが
育成の過程を見ると成熟期が1週間早くなっており、やはりこの点で別品種と呼ぶことはできると思います。
『愛国』系統図

参考文献

〇水稲「愛国」の起源を巡る真相:佐々木武彦
〇宮城県立農事試験場報告第22号(昭和31年10月):宮城県立農事試験場




2019年7月15日月曜日

【粳米】東北78号~ササニシキ~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『東北78号』(『水稲農林150号』)
品種名
 『ササニシキ』
育成年
 『昭和38年(1963年) 宮城県立農業試験場古川分場(農林省指定試験地)』
交配組合せ
 『ハツニシキ×ササシグレ』
主要生産地
 『宮城県』
分類
 『粳米』
『ササニシキ』です…幻みたいに言われますね…はい




どんな娘?

かつてコシヒカリと日本を二分し(てしまったのはササニシキ主要産地の宮城県が西日本への出荷に消極的だったせいでもあるのだが)た娘。
おっとりのんびり屋なのはコシヒカリと大差ないが、より病弱。

相手の言うことになんでもすぐ合わせ、自己よりも他人を引き立てる事が多く、存在感が薄い。(「自己主張を全くしない」とまで言われることも)
そのせいかは知らないが、今でも結構な生産量があるのに一般にはなぜか”幻の存在”と呼ばれている。(でも大抵の一般品種よりは生産量がある)



概要

東北78号『ササニシキ』は農林省(当時)指定試験地において育成されたため、農林登録番号を持ちます。(水稲農林150号)

あっさり食味が売りの、宮城県を代表する粳米品種。
みやぎ米四姉妹(『ひとめぼれ』『ササニシキ』『だて正夢』『金のいぶき』)の一角を形成しています。

現代平成では病弱なイメージの彼女ですが、登場当初(昭和30年代)宮城県の主力品種であった『ササシグレ』よりはいもち病耐性に優れ、5%程増収(試験時3.9%~7.7%増)になり米質も優れていたため、一気に普及が進みました。
地方系統名である『東北78号』時代から前評判は広がっていたそうで、採種用ほ場から盗難被害まであったそうです。
そんな事象も起きるほどですから、どこからか種籾が流出し、登場(奨励品種採用)した昭和38年(1963年)当時で既に宮城県で約1,900ha、山形県でも約500haの作付けがあるという謎の事態が発生した・・・とか(本当?)。
デビュー3年目の昭和40年(1965年)には49,682haと5万ha近くまで伸び、作付け順位もトップ10入り(S40年で10位)を果たします。
収量のみならず食味の良さから大変人気のある品種となり、昭和60年(1985年)に作付面積2位(約20万ha)まで作付けを伸ばしました。
しかし、いくら先代主力品種よりは強いとはいえ決して高くない耐病性、さらに倒伏しやすく、冷害にも弱いと非常に作りにくい品種である反面、人気の高さから作付不適地にまで作付けが拡大されたことから評価が低下。
全国的に『コシヒカリ』系統の粘りのある米が好まれるようになったのも一因となり(諸説あり)、需要は低下気味になっていきます。

そして平成5年(1993年)の大冷害が最終的に仲卸業者の信用を失わせたことが決定打になったとも言われます。(ただし作付面積自体は一足早く平成2年の207,438haをピークに減少)
山形県等一部では『ササニシキ』についても冷夏の被害が少なく、品質も保てたそうですが、他産地は壊滅的な被害を受け、全体的な入荷量は激減。
翌年以降”安定性のない品種”として、作っても高く売れない品種になってしまいました。
前年の被害の少なさからも継続して『ササニシキ』を作っていた山形県の農家は、平成6年の出荷の際にどこの仲卸も買いたがらない現実に驚愕します。
農家側で”育てにくさ”、そしてなにより”誰も買いたがらない”ことは大変な問題となり、耐冷性の優れた『ひとめぼれ』が(※偶然※)登場したのも相まって、作付の転換が続きます。
「冷害に弱い点は栽培技術でカバーできる」という思想も、十数年に一度の冷害には無力であることが確定的になった(生産者側にも認知された)ことで、高耐冷性品種への切り替えが進んだとも言えるかもしれません。

こうして『ササニシキ』は作付面積第一線級の品種としては姿を消し、後代品種にその主力の座を譲ることになります。
食味の点で本当の後継になるはずだった『ササニシキBL(IL)』こと『ささろまん』は爆死しましたが、『東北194号』が平成24年(2012年)から普及に入っています。
とは言いながらも、”激減”というのはその前の数字がことさら大きかったからであって、平成後期に入っても、生産量は1万トン超と依然高い水準を保っています。(検査対象約270品種中30~40位くらい)
ちなみに令和元年現在で、産地品種銘柄は『ササニシキ』と『ササニシキBL』で品種群設定されているので、どちらの品種で出荷されても我々が目にするのは『宮城県産ササニシキ』になっています。(ただし、BL種子の配布を希望する人は最近いなくなってしまったそうですが…【2019年・古川農業試験場談】



水稲品種の代表『コシヒカリ』に比べ、あっさりとした味わいが特徴で、繊細な味を持つ刺身を殺さないことから、お寿司屋さんから強い支持を得ていると言われます。
平成後半に入ってから人気になった”もっちりとした食感”や”甘さ”がウリとされる低アミロース、もしくはアミロース含量低目の品種と相対して、寿司では味(自己主張)の強くないお米が好まれるようです。(古米が好まれるくらいですからね)

そんな『コシヒカリ』系統とは違う食味(粘りが控えめ)で知られる『ササニシキ』ですが、アミロース含有率やタンパク質含量はコシ系の『ひとめぼれ』と大差なく(区別できない)、単純な”高アミロース品種”というわけではありません。
『東北194号』育成の際に行われた際の分析では『ひとめぼれ』19.4%に対して『ササニシキ』19.1%(ちなみに同時期の『コシヒカリ』は20%前後)ですから、多少低いとは言えほぼ同じ値です。
同上の食味特性の分析では、炊飯米表面層の粘りと付着量がコシ系に比べ少なく、さらに表層の硬さも”硬い”との評価になっており、単純なアミロース含有率でその粘りが決まっているわけではなく、米粒の構造でその食味が決まっているようです。
これが絶妙なバランスらしく、炊飯米表層の粘りと付着量が『ササニシキ』より下回ってしまうと、食味官能評価も落ちてしまうようです。


『ササシグレ』に比べて出穂・成熟期は1~2日ほど早い晩生種。
『ササシグレ』よりも穂数の多い穂数型の品種です。
稈長は『ササシグレ』とほぼ同じ70~80cm程度で、稈は弱くなびき易いために倒伏には弱いですが、根元から折れるような倒れ方まではいきません。
いもち病抵抗性は葉・穂共に「極弱」と言われる『ササシグレ』より少し強い程度。
白葉枯病抵抗性も弱く、耐病性は総じて弱い品種です。
千粒重は21g程度で粒がやや細めであるものの、米の品質は腹白や心白の発生が非常に少なく、光沢もよいとされます。


『ササニシキ』の姉妹品種達

『コシヒカリ』がそうだったように、同じ交配雑種後代から複数の品種が育成されています。
平成育種でもたまにあるにある「両親が同じ品種の組合せ」とは違い、「同じ交配後代から育成された」姉妹品種達になります。
ただしいずれも大規模普及までには至らなかったようです。

〇『ふ系60号』
『古交79』のF2種子が青森農試の藤坂試験場に譲与され、そこから育成。
昭和38年(1963年)時点で試験中でしたが、実際の普及実績は無し?

〇『び系54号』
『古交79』F2の譲渡を受けた藤坂試験場(青森県)から山形農試尾花沢試験地に再譲渡が行われ、そこから育成されました。
こちらも昭和38年時点で試験継続中とされ、その後昭和42年(1967年)~46年(1971年)にかけて最大約1,400ha普及したようです。

〇『東北80号』
『東北79号』より1年遅れの昭和39年(1964年)に地方系統名が付与されました。
こちらも試験の結果、一般普及までには至らなかったようです。


そして新興宗教の崇拝対象変な論調が目立つように・・・

平成後半になって表だって目立つことのなくなった『ササニシキ』ですが・・・まず前述したとおり「幻の米」というほどまで生産量減っていないんですよね・・・
ということで現実を無視したスピリチュアルというか変な信仰というか商売の対象になっているようですが、基本的に妄想の類いです。
創作で楽しむ分にはいいですが、無根拠な「体にいい」系の変な話にはだまされないようにしましょう。

〇『ササニシキ』は米アレルギーの心配が無い(わけがない)
→一部の米アレルギー症状が起きにくいと言っている人がいることは確かですが、理由がよく分かっておらず、どのタイプのアレルギーに反応しないかなども分かっていません。
アレルギーの原因は人により様々です。変なサイトが言っていることではなくまずはお医者さんの言うことを聞きましょう。

〇『コシヒカリ』とその子品種はもち系品種!『ササニシキ』はうるち系品種(なわけがない)
→「糯」は量的形質(0~100のいずれか)ではなく質的形質(0か100どちらか一方)です。
「糯に近い」や「粳で糯に近い」なんてことはありません。「糯である」か「糯でない」の2種類しかないのです。
 『コシヒカリ』も『ササニシキ』も粳米ですから、「もちの性質を持つ」なんてことはありません。(繰り言ですが「糯」というのは、メラニンが欠如する「アルビノ」と同じようなものです。色白の人に対して「アルビノの性質を持つ」なんて言いませんよね?「皮膚の色素薄めである」ことと「皮膚の色素が欠如している」ことは似ても似つかないものです。)


〇『ササニシキ』は日本古来のうるち米だから、『コシヒカリ』と違ってもちの祖先を持たない!(から体にいい)(ってどういう理屈?)
→『ササニシキ』の母親の『ハツニシキ』は『コシヒカリ』と姉妹です。
 『コシヒカリ』に「もちの祖先」がいるとしたら、姪に当たる『ササニシキ』だって当然「もちの祖先」を持ってますよね。
と、理論破綻しているんですが、まぁそもそも「もちの祖先」なんてもの自体存在しないのですが(破綻する以前の問題)
あと少し凝ったサイトだとアミロース含有率を引き合いに出していることもありますが、前述したように『ササニシキ』のアミロース含有率はコシヒカリ系の品種と大差ないことも多いです。


アレルギー関係は将来的に因果関係が証明される可能性があるので、全面的に否定できるものではないですが、変な謳い文句と無根拠な効果宣伝に騙されるようなことだけはないようにしたいものです。
「高アミロースだから」とか「モチ系の血を引いてないから」なんて謳い文句で売ってたら間違いなくなんにも分かってない人です。
気を付けましょう。


育種経過


昭和28年(1953年)に宮城県立農業試験場古川分場(農林省指定試験地)において『奥羽224号(ハツニシキ)』を母本、『ササシグレ』を父本として人工交配(『古交79』)を行い、以後選抜固定が進められます。

◇母本の『奥羽224号(ハツニシキ)』は「農林22号×農林1号」五姉妹の次女にあたり、言わずと知れた有名な『コシヒカリ』はその四女です。
基本栄養生長量(期間)が比較的長いために、作期の変動があっても生育期間の変動が少ない、晩植適応性を持つ品種として母本に選定されました。
◇父本の『ササシグレ』は当時の宮城県の主力品種で、その多収性を子品種に導入することを目的に選定されています。

「良食味の二大品種」のように言われる現在の『ササニシキ』の肩書きからすると意外かもしれませんが、この交配は「二毛作に適した晩生品種の育成」を目標に行われました。
戦後間もないこの頃、食糧増産が叫ばれる中で、農地を最大限活用するために1年を通して麦作と稲作を行う「水田二毛作」が奨励されていました。
宮城県はこの二毛作が行える北限地と考えられ、麦を収穫した後の6月の田植えに対応できる多収品種が必要、と考えられていたのでした。

交配翌年の昭和29年(1954年)はF1養成。
昭和30年(1955年)F2世代から選抜が行われます。
現代の育種から考えると早すぎる選抜開始ですが、まだ育種法が確定されていなかった時代はこのように遺伝的にも安定していない早期に選抜を始めてしまうことも常でした。
兎にも角にも選抜にあたって、育種目標に沿った晩播晩植の条件下で栽培されます。
この『古交79』の交配後代は「成熟時の熟色がすこぶる美しい」と評価され、F2選抜の際もそれを指標に個体選抜が行われ、圃場で144個体、さらに室内で穂重その他の形質が加味されて最終的に50個体を選抜します。

昭和31年(1956年)F3世代も同じく晩播晩植栽培、前年の50個体を50系統(系統仮番号『5025』~『5074』)を各56個体播種。
内35系統が選抜されます。(このとき選抜された系統5040番が後の『ササニシキ』)

昭和32年(1957年)F4世代も引き続き晩播晩植。
35系統群(『5369』~『5403』)225系統(※)とし、各系統につき75個体を播種。
この中から45系統が選抜されました。(後の『ササニシキ』は系統『5379-4』番)

昭和33年(1958年)に一つの転換期を迎えます。
より盛んになると予想されていた水田二毛作が昭和28~29年頃をピークに逆に衰微に移っており、古川分場の育種の重点も晩植用品種から一般用品種に移さざるを得なくなります。
そのためこの年より晩植条件での試験をすべて中止とします。
そのため『古交79』F5世代も晩植用品種(二毛作用)ではなく普通栽培用品種としての育種に切り替え、標準栽培下での選抜が行われます。
なお、この年から収量検定も開始されています。
前年選抜された45系統から44系統群(4466~4509番)として220系統各56個体を播種し、24系統を選抜します。(後の『ササニシキ』は系統『4473-5』番)

昭和34年(1959年)F6世代は24系統群(920~943番)120系統として各系統56個体を播種し、13系統を選抜します。(後の『ササニシキ』は系統『923-2』番)
なおこの年から特性検定を開始し、秋田・岩手両県で系統適応性検定が実施されます。


昭和35年(1960年)、前年の試験結果が良好であったため、F7世代において『東北78号』の地方系統名を付与。
関係各県に配布の上、地方での適性確認を行っています。
13系統群(462~474番)65系統(各系統87個体)を播種し、6系統を選抜。(後の『ササニシキ』は系統『464-2』番)
昭和36年(1961年)F8世代は6系統群(218~223番)30系統(各系統87個体)から2系統を選抜。(後の『ササニシキ』は系統『219-3』番)
昭和37年(1962年)F9世代は2系統群(184番、185番)10系統(各系統87個体)から2系統を選抜。(後の『ササニシキ』は系統『184-2』番)

昭和38年(1963年)5月、F10世代において『水稲農林150号』に登録され、『ササニシキ』と命名されます。
同年宮城県の奨励品種に採用され、宮城県内を席巻することになります。


※育種論文の「第1表:育成経過」内では「225系統」となっていましたが、「第1図:育成系統図」では1系統群につき5系統となっているので「35系統群各5系統=175系統」・・・かもしれません

系譜図

母本の『ハツニシキ』は『コシヒカリ』の姉妹、同じ交配雑種後代から生まれた品種です。
『ササニシキ』から見て『コシヒカリ』は伯母さんにあたるので、この関係性はちょうど『ミルキークイーン』と『ミルキープリンセス』の様なものでしょうか?

東北78号『ササニシキ』 系譜図



参考文献(敬称略)

〇みやぎの稲作読本:宮城県農業普及協会
〇水稲新品種「ササニシキ」に就て:末永・高島・鈴木
〇水稲新品種「東北194号」について:宮城県古川農業試験場



2017年9月19日火曜日

【粳米】東北210号~だて正夢~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『東北210号』
品種名
 『だて正夢』
育成年
 『平成29年(2017年) 宮城県古川農業試験場』
交配組合せ
 『げんきまる×東1126』
主要生産地
 『宮城県』
分類
 『粳米』(低アミロース米)


「だて正夢じゃ!宮城県に天下を!」



「おいしさの天下を取ってみせる」



~曇りなき 心の月を さきたてて 浮世の闇を 照らしてぞ行く~ 


宮城県の新品種、東北210号『だて正夢』の擬人化です。


どんな娘?

「天下取りじゃ!」
伊達政宗公の志を受け継いだ(と、周囲は言っている)娘。

大仰ともとられるふるまいと強気な口調で勇猛果敢、米戦国の時代に立ち向かいます。
大概の逆境も障害もものともしません(気にしない)。

だからこそなのか、どこか一点でつまずいてしまうととなし崩し的に自信が崩壊していく悪癖あり(逆境自体には強いが、失敗に弱い)。

先輩(ササニシキやひとめぼれ)より大食らいですが、先輩方基準で食事を出されることが多く、お腹を空かしてしまうことも多々あり…

ササニシキ、ひとめぼれと偉大な先輩へ羨望のまなざしを向け、いつか自分もあの頂へと…!



概要


アミロース含有率が概ね10%、かつ『ひとめぼれ』より優れる食味、「強い粘り」と「良食味」が特徴です。
甘くてもっちりとした食感。
平成30年度より本格デビュー。

東北・北陸各県でフラッグシップ米が打ち出される中、米どころ宮城県の最高級米を目指して邁進中。
品質保持のため、例にもれず生産者は登録制を採用しています。

宮城県の先代低アミロース品種『たきたて』『ゆきむすび』などは『農林8号』突然変異系統由来の低アミロース遺伝子「74wx2N1」を持っていますが、この遺伝子は登熟期間の高温に影響されてアミロース含量の低下、玄米の白濁、もち臭が強くなるなど品質の変動が激しいのが問題でした。
変わって『だて正夢』が持つ「Wx1-1」(北海道の『おぼろづき』由来)は、登熟期間の温度にアミロース含有率が左右されるのは同じですが、玄米の白濁度が弱く、炊飯米のもち臭が少ないという特徴を持ちます。


耐倒伏性は「やや強」で『ひとめぼれ』に優り、耐冷性も『ひとめぼれ』と同程度の「強(旧極強)」で、玄米品質も優るとされており、安定した食味・品質を確保できるものと期待されています。
ただし千粒重は非常に軽い(粒が小さい)上、追肥をしっかりとしないと粒が痩せ、さらに小粒になってしまうこともあり、施肥管理の徹底が求められる品種です。

いもち病抵抗性については、『だて正夢』の持つと推定される真性抵抗性遺伝子「Pib」を侵すレースが現状自然条件下で優占していない為、「不明」との判断が下されています。
今現在のところ、『だて正夢』の見た目の罹病率は非常に低いものになっているようです(ほ場抵抗性の強さはレースが変動しないとわからない)

近年注目される高温登熟耐性についても、玄米が白濁しているため判定が困難とされており、現状「不明」です。
鹿児島県農業開発総合センターでのほ場条件下では一応「強」との評価が下されています(参考値)。


当初の名称候補は伊達政宗にこだわって考案された『だて正夢』『だてじゃない』『お膳だて』の三つ。
この中から「みやぎ米ブランド化戦略会議」で『だて正夢』に決定となりました。

ロゴマークはアートディレクターの水口克夫氏が手掛け、五穀豊穣を表す米俵をモチーフとしたものとなっています。



育種経過

全国規模、特に東北・北陸の各県が米の良食味・高級ブランド化を進める中、宮城県の主力品種『ササニシキ』『ひとめぼれ』はそれぞれ育種完了から数十年の年月が経過していました。
これらの品種を補完し、”みやぎ米”の美味しさを発信できる良食味の新品種が望まれていました。

育種目標は【中生の良質】【多収】【極良食味】の品種。

平成18年(2006年)8月、宮城県古川農業試験場において『東北189号(げんきまる)』を母本、『東1126』を父本として人工交配しました。

父本となった『東1126』は北海道の『おぼろづき』由来の低アミロース遺伝子「Wx1-1」を有します。

同年10月、得られた種子33粒のうち21粒を播種し、F1世代を温室で集団養成。
翌平成19年(2007年)はF2~F3世代を沖縄県農業試験場八重山支所において世代促進栽培。

平成20年(2008年)にF4世代雑種集団を2,000個体を移植、個体選別が行われ43個体が残されます。
平成21年(2009年)F5世代は前年の43個体を43系統(各系統30個体)として移植し、この中から4系統が選抜されます。
平成22年(2010年)F6世代は前年の4系統を4系統群(各系統群3系統)、都合12系統として移植し、生産力予備検定試験に供試します。
ここで2系統まで絞られ、『10P-321』の試験番号を付されていた系統が後の『だて正夢』となります。

平成23年(2011年)にはF7世代に『東1424』の試験番号を付与、生産力検定試験、系統適応性検定試験並びに特性検定試験に供試。
前年の2系統を2系統群(各系統群3系統)とし、都合6系統の中から2系統を選抜。
前述の試験で有望と認められ、平成24年(2012年)から『東北210号』の系統名が付され、関係各県における地域適応性の検討に入ります。
この年も前年と同じくF8世代2系統を2系統群(各系統群3系統)、都合6系統として2系統を選抜。

F9~F11世代(平成25~平成27年)は選抜した2系統を2系統群(系統群5系統)、都合10系統として2系統を選抜、固定化を進めています。


平成28年(2016年)F12世代。
平成29年(2017年)1月、品種登録の出願を行い、同年4月に出願公表されました。



系譜図

『ササニシキ』『ひとめぼれ』と米界のサラブレットを生み出してきた宮城県が、北海道『ゆめぴりか』、山形県『つや姫』に負けんと米戦国時代に送り出した『だて正夢』。
当面は生産上限6,000ha、3万トンとして高級ブランド化を狙うとのこと。
行き先ははたしてどうなるか…

東北210号「だて正夢」系譜図


参考文献

〇水稲新品種「だて正夢」について:宮城県古川農業試験場研究報告
〇みやぎ米「だて正夢」公式ホームページ:https://datemasayume.pref.miyagi.jp/


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2015年11月5日木曜日

【粳米】東北143号~ひとめぼれ~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『東北143号』(『水稲農林313号』)
品種名
 『ひとめぼれ』
育成年
 『平成3年(西暦1991年) 宮城県 県古川農業試験場』
交配組合せ
 『コシヒカリ×初星』
主要産地
 『宮城県』
分類
 『粳米』
「えと…ひとめぼれ、です。宮城県出身ですよ?」


どんな娘?

コシヒカリ御三家の一角。

お米界のサラブレットで、コシヒカリ並みのエース…かと思いきやアイデンティティを見いだせず器用貧乏というか、周囲からは特徴がないと思われている娘。
出自が出自だけあって本人もあまり自分に自信が持てない傾向があり、常に語頭に「えと…」という言葉が付く。

作付面積では大きく勝っているものの、ちゃんと秋田県というイメージを確立しているあきたこまちを内心うらやましく思っている。
基本的におとなしく、八方美人分け隔て無く誰とでも接することが出来る明るい性格だが、ネガティブ感情が一定量を超えるとかなり思い詰めてふさぎ込んでしまう一面もあり。


概要

『コシヒカリ』に次ぎ、日本第二位の生産量を誇る米です。

品種名『ひとめぼれ』は、光沢、色沢が美しい極良食味品種で、出会った途端に一目惚れするような品種であることを表現しています。


宮城県出身にして宮城県の主力品種である…ことは間違いないのですが、作付している都道府県が多いせいか『ひとめぼれ』と言ったらここ!というイメージがなかなか浮かばない品種です(一部管理人の偏見あり)。
実際、平成29年(2017年)の時点で【この米の産地のイメージは?】という質問で
『コシヒカリ』に関しては80%の人が「新潟県」と回答したのに対して(福井県涙目)『ひとめぼれ』は「特定の産地イメージ無し」が最多の40%を占め、本命の「宮城県」と答えたのは15%だけという…(宮城県調べ・首都圏)

北は青森(平成26年より)から南は沖縄まで(まんべんなく全都道府県に銘柄指定されている訳ではないですが)、『コシヒカリ』より高い適応力を見せるオールマイティな米っ娘。
そんなオールマイティさを獲得できたのは実は千葉県のおかげです(育成経過参照)。

そんな『ひとめぼれ』は沖縄県でのメイン品種にもなってますが、これがなんとも沖縄県の気候化において日長反応性と温度反応性のバランスが絶妙らしく、田植えから出穂までが二期作にほどよいタイミングになるため重宝されているそうです。
単純に東北で同熟期の品種を沖縄に持っていっても『ひとめぼれ』より晩生化してしまって上手くいかないこともあるようで、『ひとめぼれNIL』の熱い要望が…あるとかないとか石垣島の試験場から聞いた方が居るようです。(曖昧)


平成の生産・作付上位3品種であるコシヒカリ御三家(『ひとめぼれ』・『あきたこまち』・『ヒノヒカリ』)の一角であり、平成3年の登場以後、『ササニシキ』に耐倒伏性・収量に勝り(ちょっとだけだけど)、中でも平成5年の大冷害後は「極強」の耐冷性を売りに転換品種としてその作付面積を一気に増やしました。
(我らが山形県の『はえぬき』が作付を伸ばせなかったのはこいつのs…)
おかげで「ポスト・ササニシキ」と書かれることが多いのですが、それはあくまでも単純な作付でのこと。
平成22年に本当の意味でのポスト・ササニシキ品種『東北194号』(商品名「ささ結」「いくよちゃん」等)が『ササニシキ』と『ひとめぼれ』の交配から生まれています。
なお、稲の耐冷性は進化(?)を続けており、「極強9」~「極強11」のさらに強い耐冷性を持つ品種が見いだされたことから、2015年以降はこの新しい3ランクを含めて耐冷性基準の見直しが行われ、最強格であった旧「極強」は現行ランクで「強」となっています。


『コシヒカリ』より栽培が容易な彼女は、柔らかく冷めた後でも美味しいと評判です。

稈長は試験時に約80~82cmで『ササニシキ』よりやや短い「やや長」で、耐倒伏性も少し改善して「やや弱」となりました。
一穂穎花数が少ない偏穂数型で、育成地(宮城県古川)における「中生の晩」の品種です。
奨励品種決定試験時の収量は577kg/10aで、当時の主力『ササニシキ』より約1割増しとなっています。
玄米千粒重は21.5~22.0g程度で『ササニシキ』(19.5~20.0g)よりやや大きいです。
最大の特徴である障害型耐冷性は育成当初は最強級である「極強」で、平成27年(2015年)に行われた耐冷性基準改定により「強」となりました。(強さ自体は変わっていません)
当初の育種目標で想定されておらず、両親ともに弱いので当然ですが、葉いもち抵抗性は「やや弱」、穂いもち抵抗性は「中」とそれほど強くないです。
いもち病真性抵抗性遺伝子型は【Pii】と推定されています。
穂発芽性は「難」と先代『ササニシキ』より強くなりました…というよりこれは『コシヒカリ』譲りの特性ですね。


米だとわかってもらえない? 改革の発端となった娘

平成以降全国二位の作付面積の『ひとめぼれ』。
お米に少しでも興味がある方なら『ひとめぼれ』と聞いて、その名前に違和感を覚えるような人はいないでしょう。

しかし命名された平成3年(1991年)、公募で集まった四万通近い候補の中から『ひとめぼれ』の名称が発表された際
「なんだこの名前は?」「これが米の名前!?」
と、批判を受けたのはご存じでしょうか?(要は猫にポチと名前を付けたような違和感…なのかな?)
試験場のある宮城県古川市内には「こんな名前つけてバカにするな。もっと米らしい名前を付けろ」なんて趣旨のビラが張り出されるまで至ったというから…そうとう当時としては異色の名前だったことがうかがえます。

当然、発表に至る前の検討段階でも
「こんな『ひとめぼれ』なんて名称では消費者に米だとわかってもらえるはずがない」
との反対意見も根強かったとか。
そもそもそれまでは国の農業試験場が(国費で)育成した品種はカタカナで5文字以内(ただし『水稲農林52号』以降)、道府県育成品種にはひらがな・漢字での命名が慣例となっており区別されていた、と言われることが多いです(一部例外はあるような?)。
しかし昭和59年(1984年)に秋田県の『あきたこまち』、平成元年(1989年)の『きらら397』と、”米が商品である”ということを意識した、当時としては革新的な名前が付けられるようになり始めた時代でした。
そして稲作というもの自体が大きく変わり始めていたこの時代、”伝統的である”ことを廃し、消費者へのイメージ等を考慮して、農林ナンバーズ品種が平仮名で命名されるに至ったのでした。

(ただし、単純な番号順では『水稲農林309号』である『彩』(北海道)が一番最初にカタカナ名以外になった品種です。)


育種経過

宮城県古川において、既存品種の『コシヒカリ』は良食味ながら晩生に過ぎ、稈長も長いために非常に倒伏しやすく、栽培上の欠点を抱えていました。
が、昭和55年(1980年)の冷害の被害調査において、この『コシヒカリ』は耐冷性も最強に近いことが判明します。
相次ぐ冷害への対策として、この耐冷性に優れかつ極良食味である『コシヒカリ』を改良した品種の育成が計画されます。

しかしながら良食味を維持しながら耐病性、耐倒伏性の両方を一度に改善するのは非常に困難と判断され、まずは『コシヒカリ』の耐冷性・良食味を維持したまま倒伏性の改善のみに的を絞ることとしました(一応早生化も)。

つまり『ひとめぼれ』の育成は当初はあくまでも中間母本。
この後、さらに別品種と交配して耐病性の改善を図るための”素材”が想定されていた…というのは平成の普及状況から考えるとちょっと意外ですね。
ちなみに、事実『ひとめぼれ』の育成完了後、次は耐病性の改良を開始し『まなむすめ』が育成され、良食味・耐冷・耐病・耐倒伏に優れた品種として宮城県で普及しました。…が完成されたはずの『まなむすめ』はその途中段階でしかないはずの『ひとめぼれ』の作付面積にまるで及びません。
品種の普及と言うのが単純な品種の特性だけでは決まらないという良い例でしょうか。


兎にも角にも、話を戻して
交配親に選定されたのは『コシヒカリ』と『初星』。

◇母本の『コシヒカリ』は言わずもがな、極良食味で知られた品種ですが、前述したとおり障害型に対する耐冷性も最強(当時基準)クラスです。
耐病性の低さ、そして宮城県では晩生にあたる点が難点とされていました。

◇父本に選ばれた『初星』は、これまた『コシヒカリ』の子品種。
中生で短・強稈と倒伏性に優れ、食味・耐冷性は『コシヒカリ』と同等という評価でした。

先にも述べた通り、今回の育種目標で耐病性の改良は入っていない為、母本・父本共にいもち病には弱い品種となっています。
半ば戻し交配のような形で、本当に改良点を絞った育種を狙っていたことがうかがえます。

昭和57年(1982年)7月、上記の交配組み合わせで人工交配を行い、80粒の種子(『古交82-31』)を得ます。
同年8月から12月にかけてF1世代(雑種第一代)の13個体を温室で世代促進。
翌昭和58年(1983年)4月から7月にかけて、F2世代1,500個体を同じく温室で世代促進。
同年7月から10月にかけてF3世代1,300個体について最後の世代更新。

昭和59年(1984年)F4世代からはほ場にて栽培、個体選抜を行います。
ほとんどが『コシヒカリ』によく似ており、晩生で稈長が長く、倒れやすい品種が多かったそうです。
1,300個体を播種したものの、圃場での選抜の結果残ったのはわずか76個体。
さらに、玄米品質を調べるとこれまた光沢不良で品質が劣る個体が多く、この選抜でさらに36個体まで絞られます。

昭和60年(1985年)に入り、昨年の36個体を36系統(『106』~『141』)として「1系統1株法」を用いて耐冷性検定を実施。
ほとんどの系統が「不稔歩合11~20%」の『トドロキワセ』級との判定となり、後の『ひとめぼれ』となる系統もここに含まれています。(残りは1~3系統が「1~10%」、「21~30%」となりました。)
このF5世代36系統はほ場での選抜は行わずすべて収穫した上で、室内において玄米の外観品質調査と食味試験を実施。
その結果に加え、特性調査成績、葉いもち抵抗性検定成績並びに耐冷性検定の結果を総合して、12系統を選抜します。(この中の『137』が翌年の『86P-11』に)

昭和61年(1986年)、F6世代を12系統群(『86P-1』~『86P-12』)とし、各系統群3系統の計36系統として養成。
そして、ここで一種の転機が訪れます。
~四コマ 86P-11物語(短い)
千葉県から古川農業試験場にある依頼が舞い込みます。
千葉県の早期栽培地帯において、農家が早植しすぎるため、低温障害に遭って障害不稔が多発しており、その対策として、耐冷性が強く品質・食味が良い品種の配布を要望されます。
耐病性・耐倒伏性には多少問題があってもよい…とのことから、中間母本として育成中であったこの系統に白羽の矢が立ちました。
なお、早期栽培地帯で安定した生産を行うには、育成地である古川試験場で問題がないから良し・・・とはいきません。
高温条件下でも生育や品質が安定し、穂発芽しにくいなどの特性が必須です。
したがって、単なる育種素材から実用品種としての育成に視点を変え、これらの特性を重視した選抜が行われ、6系統群12系統が選抜されます。(この中の『86P-11』系統群の『3』系統が後の『ひとめぼれ』で、翌年に『東299』となります。)
翌昭和62年(1987年)F7世代の系統適応性検討試験では、『東295』~『東300』の6系統を東北南部以南に重点を置き、福島県、千葉県、新潟県(上越市)に配布しています。

と、いう訳で
耐倒伏性・耐病性を改善した『コシヒカリ』級の良食味米、それを育成するための中間母本として育成されていた『コシヒカリ』×『初星』系統は、ここで東北南部以南の早期栽培地帯に適した耐冷・良食味品種として選抜・試験を受け、優秀な結果を残した『東299』系統に『東北143号』の系統名が付されます。

昭和63年(1988年)F8世代は各県の奨励品種決定調査に配布されます。
奇しくもこの年、東北地方中部以南から関東地方の太平洋側では1980年以上の大冷害に見舞われます。
その様な年に遭って『東北143号』は対照品種の『ササニシキ』、『初星』より明らかに被害が少なく、しかも炊飯米の食味も極めて良好とあって、一躍注目を集めることになります。

その後、平成2年(1990年)までの3年間、奨励品種決定調査を経て東北中南部から関東地方の各県で奨励品種に採用されることになります。

平成3年(1991年)、(古川試験場が国の指定試験地なので)『東北143号』には『水稲農林313号』の登録番号が付され『ひとめぼれ』と命名されます。
同年、岩手県、宮城県、福島県の3件で奨励品種に採用され、普及。
翌平成4年(1992年)は千葉県、茨城県、栃木県、群馬県、山梨県、静岡県、大分県の各県で採用。
翌平成5年(1993年)には鳥取県で奨励品種で採用されました。

平成5年の大冷害、その時の『ひとめぼれ』の普及率は岩手、宮城、福島で全作付面積の20%程度でしたが、『ササニシキ』に代わったことで軽減された農業被害額は250億円にも上ると言われています。
その後日本全国で普及が進み、『コシヒカリ』に次ぐ日本第二位の米となりました。

最後に
実は、当時としては日本の二大品種である『ササニシキ』を要し、『新潟コシヒカリ』にライバル心を燃やす宮城県としては、コシヒカリ系統に属する『東北143号』を積極的に奨励品種に採用する気は無く、絶対的な存在である『ササニシキ』がある以上、「他の品種などいらない」という声が上がるほどでした。
しかし岩手県と福島県では『ササニシキ』の不適地で「『東北143号』でいいから出してくれ」との声が根強く、奨励品種に採用するというので仕方なく追随した…らしいです。

千葉県からの依頼があり、そして国の試験場として日本の各地で試験が行われたこと、そして客観的に”優秀である”という評価を受けられたことが、ただの中間母本に過ぎないはずだった『ひとめぼれ』の運命を大きく変えたと言っても過言ではないでしょう。
でもやっぱり器用貧乏感が…(私見)


系譜図



東北143号『ひとめぼれ』系譜図


参考文献(敬称略)

〇水稲新品種「ひとめぼれ」:松永和久
〇水稲の穂ばらみ期耐冷性遺伝子源の解明と耐冷・良質・良食味品種「ひとめぼれ」の育種:宮城県古川農業試験場研究報告
〇きらら397誕生物語:佐々木多喜雄




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