2020年5月24日日曜日

【酒米】辨慶1045号~辨慶(伊豫辨慶1号)~ 【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

純系名
 『辨慶1045号』(『辨慶〇一〇四五号』の表記も随所に見られる)
品種名
 『辨慶(伊予辨慶1号)
育成年
 『大正6年(1917年) 愛媛県農事試験場』
交配組合せ
 『大分県の辨慶より純系淘汰』
主要生産地
 『兵庫県』※平成~現代
分類
 『酒造好適米』※平成~現代

吾か?『辨慶』と呼ばれている



どんな娘?

現役引退からかなりの休養期間を経て平成の世に現役復帰。
ただしあくまでも彼女は伊豫辨慶1号(愛媛・兵庫・鳥取県普及)であり、辨慶2号(山口県)や辨慶13号(大分県)、在来種の辨慶は含みません。
この点、抽象的な在来種の具現化した太夫元六米達とは違い、滋賀渡船2号達や強力2号に近いものです。


昔は弁慶を模した格好(頭巾、袈裟、袴等)をしていましたが、現代の米の基準に基づき水着姿に着替え済みです。(ただし頭巾だけは手放さなかった様子。)

一人称は「吾」。
男性口調でぶっきらぼうな話し方をするのに加えて、性格がかなり強情で気難しいことから、基本的に他人との交流はかなり苦手。
同世代・同境遇の滋賀渡船姉妹と新山田穂1号らとは話をしているようですが、気の合う相手となるとかなり少ない様子です。(今のところ強力2号ぐらいでしょうか?)




概要

世代としては『神力』や『愛国』と同じ世代、大正から昭和初期にかけて栽培されていた品種です。
おかげで情報はかなり少なく、諸々怪しい情報も多いようです。(しかも兵庫県が事実誤認をしているというおまけ付き)

有名どころでは、兵庫県で大正13年(1924年)から昭和30年(1955年)まで『辨慶』の名で奨励品種に指定されていました。
酒造適性の高さから、酒蔵に歓迎されていたそうですが、他品種の例に漏れず、時代の変化と共に作付は減り、その姿を消しました。
平成25年(2010年)から、兵庫県内で酒造用として用いられた『辨慶』復刻の取り組みが始まり、それ以後酒造好適米として銘柄設定されています。


「兵庫県が愛媛県から取り寄せた「弁慶1045」から選抜・育成」という触れ込みで広まっていることから「兵庫県が育成した品種」との認識が多いようですが、これは兵庫県の認識間違いです。
実際は「愛媛県が育成した『伊豫辨慶1号』を品種比較試験し、優秀だったため兵庫県が採用した」と言うのが正しいようです。(詳細は辨慶とは?復刻された幻の酒米(?)の”追記”を参照)


そんな『辨慶』はそもそも山口県の在来種(少なくとも明治41年以前より栽培)でした。
その山口県から大分県へと渡り、そして大分県から愛媛県へと、そして最後にたどり着いたのが兵庫県(と鳥取県)でした。

山口県では『辨慶2号』が、大分県では『辨慶13号』が、愛媛県では『伊豫辨慶1号』が、そして兵庫県と鳥取県では『伊豫辨慶1号』が名前を変えてそれぞれ『辨慶』、『辨慶1号』として、『辨慶(在来)』から育成された純系淘汰の子品種達が大正期以降は普及していました。

夫々の県の評価を見るに、「辨慶系統品種」の共通する特徴として
「1.稈(茎)が非常に強く、倒伏しにくい」「2.いもち病への抵抗性あり」「3.大粒で酒造用に適している」の三つが挙げられそうです。

在来の『辨慶』を対照としている県(山口県や兵庫県)では、収量の増加と、より玄米の品質の良い系統を選抜し、一定の評価を受けていますが、『亀治』を対照品種にしている鳥取県では「品質があまりよくない」との評価を受けているので、とびぬけて品質が良い品種ではなかったようです。


大正15年(1926年)当時で、兵庫県内での『辨慶』普及面積は1,598.2ha。
「大粒種で酒造用にも用いられている」との表記はありますが、兵庫県全体の水田面積は約10万7千haですから、この時点では原種指定間近ということもあるのでしょうが、ネットで言われている「兵庫県で代表的な酒造好適米だった」には少し寂しい面積ですね。
これが昭和12年(1937年)になると一気にその普及面積は12,157haまで増加。
作付面積1位の『朝日(系品種群)』に次ぐ第2位の作付面積で、兵庫県約9万3千haの水田の13%に及んでいます。

ちなみに同じく愛媛県から大正9年(1920年)に取り寄せ・品種比較試験、大正13年(1924年)に原種指定(『辨慶1号』)の鳥取県では大正15年(1926年)時点で924.13ha普及…
鳥取県全体で約3万3千haですから、割合として兵庫県よりは普及していたようです。
とは言えこれも初期だけ。
昭和12年(1937年)には統計から姿を消しています。

故郷の山口県では大正15年に『辨慶2号』が5,174.9ha、それが昭和12年に8,503ha(水田面積の12%・県内第3位)普及。
大分県では大正15年時点で『辨慶13号』が5,707.0ha普及していたのが、昭和12年に1,950ha(水田面積の4%・県内第3位)と減少傾向。
そして『伊豫辨慶1号』生みの親の愛媛県では大正15年に757.0haの作付けがありましたが、昭和12年には既に統計に登場するほどの作付は無くなってしまったようです。


その始まりに至っては「山口県の在来種」程度しか情報が無く、今やその命名の由来を知る事は不可能に近いです。
ただ、今でこそ「大粒で心白があり、山田錦と同等だった!」とばかり喧伝されていますが、当時のどの県でも強調されているのはやはり耐倒伏性の高さです。
「稈が強く倒れない」稲の姿が、「弁慶の立ち往生」を思わせることから…
名前の由来に関しては、こんな想像は出来ますね。(あくまでも想像)

『牛若』という名前の品種も大正当時ありましたが、果たして因縁があるのやらないのやら・・・謎です。

兵庫県の1950年における普通肥料栽培の成績によれば『辨慶』は
稈の細太は「太」、剛柔は「剛」。
芒はなく、もみの色も「白」と普通です。
玄米千粒重は26.8gで心白は多く、腹白は少なかったようです。

現代の『辨慶』~現代における純系淘汰種~


平成25年(2013年)に兵庫県姫路市夢前町で「夢前ゆめ街道づくり実行委員会」が立ち上がり、町おこしの一環として、既に栽培の途絶えていた『辨慶』(多分当人たちはこれが正確に何のことを言っているか認識していなかったと思われますが…)の復活を企図。
兵庫県立農林水産技術総合センターから700gの『辨慶』の種子を譲渡され、夢前町の水田で栽培を行います。

同町の壺坂酒造が当時の酒造記録や、蔵の壁などに生息していた「蔵付き酵母」を使用するなどして、復刻された『辨慶』を使用した日本酒を販売しているようです。

他、酒米『辨慶』使用を謳った日本酒は他の蔵からも出ているようです。


兵庫県が保存していたのはおそらく兵庫県で普及していた純系淘汰種の『辨慶』でしょうから、前・後述している通りこれは『伊豫辨慶1号』と言えるでしょう。
ただしこういう復刻話、当人たちや記事を書いている人が状況をよくわからずに書いている(『短稈渡船』がいい例)ことも多いので、本当に兵庫県が保存していた系統かと言うのも正直怪しいデス。

ただ、『辨慶(在来)』と、兵庫県の指定した名称『辨慶』が同じなので非常に紛らわしいですが、抽象的で概念に近い『辨慶(在来)』は既に存在しないと考えるのが妥当ではないでしょうか。



ここで「たった700g”だけ”残っていた」としている説明や、復刻米系では毎回このような説明があるので、「奇跡的に少しだけ残っていた種を発見したのか!」と思っている人も多いのかもしれませんが
研究機関の「保存している」というのは「数年おきに種をまいて採種して、を繰り返す」ことなので、瓶に詰めてどこかの棚にずっとしまってあるようなものではありません。
種子の提供依頼があれば、次回の採種に影響の出ない範囲で、保存している種子を分譲しているのです。
なのでそもそも「たった○○gだけ残っていた。そしてそれを譲ってもらった」と言うことがあり得ません。
規定されている保存種子量が多ければ数百グラムの譲渡も出来ますし、少なければ数十グラム程度しか譲渡できない場合もあるわけですね。
だからこれも「兵庫県が系統保存している中から700g分の種子を譲渡した」というだけです。
夢前町に譲った後も、引き続き兵庫県で保存は続けられているはずです(ジーンバンクに譲渡するなどして県での保存が途絶える場合もあり)。



育種経過

前述していますが、世間一般で広まっている
「『辨慶』は大正8~13年ごろに兵庫県農事試験場(但馬分場)で育成された品種」というのは、おそらく誤りです。
兵庫県公式なので取り上げている書籍も多いですが、これは「現在の兵庫県の認識が間違っている」ということになりますね。

山口県では在来種として県内で広く栽培されていた『辨慶』について、明治41年(1908年)から試験するなどして原種(奨励品種)にも採用しています。
そんな『辨慶』の故郷山口県から、大分県が明治41年(1908年)に種子を取り寄せ試験を行います。
大分県では独自にここから『辨慶13号』を育成、普及に移しています(大正5年~)。

時代は流れて大正4年(1915年)、大分県農事調習所から愛媛県が『辨慶』を取り寄せて、ここから純系淘汰法による新品種の育成に取り組みます。
第1回選抜時に1,100個体の中から選ばれた『弁慶1045号』(原表記ママ)について、その後も2回の選抜(形態調査、収量調査も含む)が実施されます。
そして大正6年(1917年)、大分県から取り寄せた『辨慶』に比較して品質も良く、いもち病耐性、かなりの多肥に耐える多収の品種と認められます。
そして『弁慶1045号』は『伊豫辨慶1号』と命名され、愛媛県で栽培されていた『伊豫雄町1号』や『竹成』の中山間地での作付けに代わるべき品種として原種(奨励品種)に指定されます。

そんな愛媛県での『伊豫辨慶1号』の育成から3年後、大正9年(1920年)に兵庫県が愛媛県から『辨慶』について『純系一〇四五号』の配布を受けたものと思われます。(また後年の記録から推測して、『辨慶1045号』配布の前年に『辨慶404号』の配布も受けたものと思われます。)

兵庫県ではこの『純系一〇四五号』もとい『辨慶1045号』(と『辨慶404号』)に関して、品種比較試験を行います。

大正8年度の業務功程はまだ未確認です。
大正9年(1920年)は本場での品種比較試験本試験に『辨慶1045号』の記載はありませんが、『辨慶404号』が実施。(表記上は『神力四〇四』ですが、愛媛県原産の表記からおそらく『辨慶404』ではないかと推測)
そして但馬分場では「本場から取り寄せた」『辨慶一〇四五』(原表記まま)について品種比較試験の予備試験が実施されています
大正10年(1921年)、本場の品種比較試験から『辨慶』の名前は消えています。
但馬分場は未確認。

大正11年度は未確認ですが、翌大正12年(1923年)の本場における水稲品種比較試験の本試験に『辨慶一〇四五』(原表記まま)が供試2年目とされているので、この年から本場の品種比較試験に供試されたものと思われます。

そしてなぜか大正12年の「水稲純系淘汰」の「第三年目以後収量調査」にも『辨慶一〇四五號』(原表記まま)の記載があり、この年が試験初年度とされています。
ただし「分型年次」(純系淘汰試験開始後何代目であるかを示していると思われる)に記載が無いので、純系淘汰育成系統の比較対照としての記載のようです。
地方委託試験も実施されており津名郡、揖保郡、有馬郡には『辨慶一〇四五』(原表記まま)が、多可郡には『辨慶』(原表記まま)が供試されています。
多可郡の”辨慶”が何なのかは不明ですが、おそらく『1045号』でしょう。
同じ12年度、但馬分場では品種比較試験の本試験に『辨慶一〇四五』『辨慶四〇四』(共に原表記まま)が供試されています。

そして耐倒伏性の強さ、そしていもち病抵抗性であることから大正13年(1924年)に『辨慶』として原種(奨励品種)指定され、配布が開始されます。
この年から明石本場の品種比較試験でも地方委託試験でも『辨慶』(原表記まま)しか登場しなくなっています。
ただし「水稲の品種肥料用量試験」では『辨慶一〇四五』(原表記まま)になっています。
そして但馬分場の品種比較試験では『辨慶四〇四號』『同(一〇四五號)』(共に原表記まま)、水稲の品種肥料用量試験では『辨慶一〇四五號』(原表記まま)が記載されています。
この但馬分場の比較試験において『同(一〇四五號)』(原表記まま)の備考欄に(原種)と記載があるので、『辨慶1045号』が原種指定された『辨慶』であるとみて良いでしょう。



前述していますが、改めて根拠を踏まえて

1.兵庫県に渡った時点で『伊豫辨慶1号』の育成から3年も経過していること
2.『”純系”一〇四五号』とされており、すでに純系淘汰された系統であると思われること
3.品種比較試験であり、純系淘汰を行ったとは記載されていないこと

以上のことから、ネット一般(そして兵庫県公式)で言われている「兵庫県が純系淘汰で育成した」誤り
「愛媛県育成の『伊豫辨慶1号』を兵庫県が試験した結果優秀だったので名前を変えて採用した」
これが正確な情報でしょう。
おそらく兵庫県(現代)では「品種比較試験」を「選抜・淘汰の育種の一種」としてとらえての「純系淘汰・育成した」という解釈だと思われますが、業務功程を見る限り『辨慶1045號』を純系淘汰した記録はなく、あくまでも『辨慶1045號』と言う品種として試験され、優良として原種指定を受けています。(表記が『辨慶一〇四五』『辨慶一〇四五號』『辨慶』とバラバラなので紛らわしいですが、『山田錦』の育成時の系統名称もバラバラだったように、この時代の品種名の扱いは相当いい加減だったと言えるかもしれません。)
愛媛県側の記載と合わせて考えると、愛媛県側で既に品種としての育成と固定はほぼ終わっていたと見るのが自然でしょう。
それを多少選抜したからと言って「兵庫県が育成した」はさすがに過言かと思われます。
これを是とすると、新潟県の某さんが主張した「『コシヒカリ』は新潟県が育成した!」も正しいということに…とはいえ時代もかなり違うので簡単にひとくくりにはできませんが。


こうして誕生して、兵庫県で『辨慶』として普及した『伊豫辨慶1号』は、昭和にかけて兵庫県内第2位の作付面積まで増えているのが確認できますが、その後は交配後代(子)品種も現在のところ発見できず、『辨慶』の血筋は昭和中期にかけて本当に姿を消していったようです。
強稈や耐肥性であることから育種材料としては十分な素質を持っているように思えるのですが…なにかしら反りが合わなかったのでしょうか?


※各県での詳細な情報は以下、関連コンテンツにて


系譜図
辨慶 酒米 系譜図
辨慶1045号『辨慶』 系譜図


参考文献

〇「百年前の酒米で日本酒復刻へ 姫路の新特産品に」:HYOGO ODEKAKE PLUS+
〇酒米品種「山田錦」の育成経過と母本品種「山田穂」、「短稈渡船」の来歴:兵庫農技総セ研報
〇昭和四年三月米麦原種一覧表:兵庫県立農事試験場
〇兵庫県立農事試験場業務功程大正9年~14年
〇水稲及陸稲耕種要項(昭和11年):大日本農会

関連コンテンツ


辨慶とは?復刻された幻の酒米(?)












2020年5月17日日曜日

イラスト「富山米 有色米's」

題材
 『有色米』

登場品種  
 越南17号  『コシヒカリ』
 富山赤71号
 富山赤78号
 富山黒75号


令和2年5月作画。

『コシヒカリNIL』大好き富山県が育成した、とどのつまり「有色コシヒカリ」である『赤むすび』『黒むすび』の2銘柄。

『赤むすび』(銘柄)は『富山赤71号』と『富山赤78号』の2品種が品種群設定ですが、実際生産されているのは『富山赤78号』のみ。

理由は単純明快。
『富山赤71号』は稲の見た目が『コシヒカリ』のような通常品種と全く一緒で、混入した際に圃場で排除できなくなるからですね。

『富山黒75号』は穂が黒っぽくなりますし、『富山赤78号』は穂先が赤いので、見分けがつきます。

2020年5月10日日曜日

種子法廃止に伴う各都道府県対応【奨励品種・優良品種・認定品種とは?】


あ…あれ?
つや姫
ほ?
出羽燦々と出羽の里が優良品種から…削除されたそうなんですが…
(令和2年4月公報)
え?
安心してください、雪若丸
優良品種からの削除は、奨励品種への追加の為ですよ
ああ成程…そういうことでしたか
いや~なんとも重責だね
雪女神と肩を並べることになりました
研鑽していきたいですね

…これで山形県で酒米の優良品種枠は私ひとり
行き遅れ、かな

(?…行き遅れ?)
…糯米に関しては…三人仲良く一緒に優良品種指定です…
だねー
ちなみにもう一人は私だね
ふふふふふ!
なんだかんだで私も認定品種にはちゃんと名前上がっているもんね!
私も山形県なのにさりげなく残っていますよね…(認定品種)
ところでさ

はい、なんですか?つや姫
「奨励」とか「優良」ってなにかな?
それと「認定」?
(ええ…?)
…と、ここまでが前振りだ
(身も蓋もない…)
話題としては一周遅れの感もあるけれども
廃止された種子法関連の話になるわね



明治・大正・昭和と食糧難の時代

まず緒言。
種子法の対象となるのは主要農作物である稲(コメ)、大麦、はだか麦、小麦及び大豆といった、野菜を除いた作物となります。(「食料」というより「食糧」が対象)
日本のソウルフードがお米であることからも、実際問題稲に対しての比重が非常に重いものになっていると言えるでしょう(多分)


そんな「お米」に視点を絞ってお話していきます。


平成から令和の時代となり「米余りの時代」となって久しいですが、戦前(太平洋戦争)からして余裕のある食糧生産が出来るような状況ではありませんでした。

明治期から大正期にかけての人口の急増(明治年間に約2倍に増)を受けて深刻な食糧不足が起き、大正7年(1918年)にはコメ騒動が起きるほどでした。
農地の新規開拓や農地の整備への取り組みで、明治初期~明治30年前後までは国内の増産でまかなえていた国民の食糧消費量増加は、以後輸入(朝鮮米等)にその補填を頼っていくことになります。

具体的な数字を挙げてみましょう。
①明治11~15年(1878~1882年)において日本国内の米総消費量は約2,877万石。
これが四半世紀後の大正初期の②大正2~6年(1913~1917年)には約5,677万石と、消費量は約2倍にまで増えます。
この増加傾向は続き、③昭和8~12年(1933~1937年)には約7,447万石となりました。

①の段階では消費に対する国内生産量は100%を超えており、年々増加する消費量に対して生産量も同じく伸びていきます。
この均衡が崩れ始めたのが明治30年前後で、国内生産量も増えているものの消費量の増加に追いついておらず、大正時代までは全消費量の3~9%程度を輸入に頼っており、②の時は全体の5%が輸入米です。
③の時代には国内消費量の約17%が輸入となっていましたが、それでも国内生産量は①の時代の約2倍にまで増えているんです。(約2,899万石⇒約6,157万石)

食糧生産人口の絶対的比率の減少などもあったようですが、品種改良や農地整備による増産以上に、人口増加が急激だったことがうかがえると思います。


種子法とは?~昭和27年 主要農作物種子法~


このように国内生産量の不足、輸入米(朝鮮米)に消費の一部を依存するなどの問題など、根本的な食糧不足問題を解決できずに昭和16年(1941年)に太平洋戦争に突入した日本。
昭和20年(1945年)に敗戦を迎えるころには、耕地の荒廃、農業労働力の不足といった問題に加え、敗戦により海外統治領からの食糧輸入もままならなくなるなど、同年10月には「1,000万人餓死説」が出るほどの食糧危機に見舞われていました。

焦土と化した日本国は戦後復興に向けて歩み始めますが、こと食糧危機の克服については「戦前への回復」ではなく「新たな食糧供給体制の構築」が必要とされたのです。


そして昭和27年(1952年)、食糧増産の政策の一環として「主要農作物種子法」が制定されます。
この法律は、主要農作物の優良な種子の生産及び普及を促進するため、種子の生産についてほ場審査その他の措置を”都道府県が責任をもって”行うことを目的としています。


要は(と言うほど要約できませんが)、稲・麦・大豆について、「①普及すべき優秀な品種の選定」「②”優良な種子の生産”の指導・体制づくり」を義務付けるものです。
新品種の開発や、品種の権利の保障とは関係なく、あくまでも「種」の生産について優先品種の選定とそれを生産して供給できるようにするための法律と言えます。
それと明文化はされていませんが、公的資金を投入して種子生産されるために、農家にとっては民間で生産するよりは安価な種子を手に入れることが出来ることが出来ます。


時代は流れ、「米が足りない時代」から「米が余る時代」になりました。
政治家の方の色々な思惑もあるのでしょうが、食糧難解決のために制定されたこの法律は”役目を終えた”とされるのも致し方ない情勢かとも思います。


この種子法については、平成29年(2017年)3月23日に第193回国会において、「主要農作物種子法を廃止する法律」が成立し、平成30年(2018年)4月1日をもって廃止されました。

ちなみに「種苗法改正」と並んでこの「種子法廃止」もデマや見当違いの批判の巣窟です。
元農水大臣(残念ながら本当)である山田正彦氏が結成した「日本の種子(たね)を守る会(笑)がその筆頭ですが、「新品種の開発が出来なくなり多様な品種が店頭から消える」とかおっしゃってますね。
あくまでも「種子法」は奨励品種の指定や、「種子の生産」(新品種の開発ではない)の体制構築を義務付けたものなので、品種の開発や多様性とは無関係です。
とかとかいろんなこと言ってますこの「日本の種子を守る会(笑)」は完全に妄想レベルの恥ずかしいお話ばかりです。
ちなみに入会費一口2,000円です。
SNSの反応見てるとお金払っている人結構いるんでしょうね…新手の詐欺商法にご用心を
※多様な意見は大事ですが、「ネタを守る会」とやらの事実を無視した誇大妄想は意見とは言いません

しかし
ネット検索でまともでない記事の方が多いのは何とかならないものか…

因みに後述しますが、種子法の廃止に伴い、主要各県が代替制度の整備を行う中、真逆の方向、真っ先(多分)に種子生産の義務を民間へ移行したのが大阪府、奈良県、和歌山県です。
種子生産に関する審査及び証明業務を種子協会へ移管しており、当初はそのせいで種子代が値上がりする…みたいな記事もありましたが、実際どうなったんでしょうか?(未確認)
それよりも
【種子法廃止 附帯決議第2項】
「主要農作物種子法の廃止に伴って都道府県の取組が後退することのないよう、都道府県がこれまでの体制を生かして主要農作物の種子の生産及び普及に取り組むに当たっては、その財政需要について、引き続き地方交付税措置を確保し、都道府県の財政部局も含めた周知を徹底するよう努めること。」

これに反して何無責任なことやっているんだ?と言う声もあるとかないとか。
(ただ付帯決議には何の強制力もないんですよね…)


種子条例の制定(山形県の場合)

デマや見当違いの批判も含めて、多くの議論を巻き起こした「種子法廃止」でしたが、特に農業が盛んな県等で、種子法に代わる独自の条例の制定が行われました。

「稲、麦、大豆の種子を供給する義務」を肯定していた法律がなくなってしまったので、これに代わる条例を制定することで「今後も種子供給体制に(都)道(府)県として責任を持つ」ということの意思表示とも言えるでしょう。

【2020年5月10日現在】
廃止年の平成30年(2018年)に真っ先に条例制定に動いたのは新潟県、埼玉県、兵庫県の3県。
山形県もそれに続きます。
次いで平成31年~令和元年(2019年)に北海道、福井県、富山県、岐阜県、鳥取県、熊本県、宮崎県で条例を施行。
次に令和2年(2020年)宮城県、石川県、栃木県、茨城県、長野県が施行。
他、岩手県、千葉県、群馬県、愛知県、滋賀県、三重県、広島県、鹿児島県で条例制定手続きを進行中、検討中とのことです。

青森県、秋田県、福島県、京都府、岡山県、島根県、山口県、香川県、高知県、愛媛県、大分県、福岡県、佐賀県、長崎県では「要綱」や「要領」の形で種子法に準じた取り組みを進めていくようです。
ただあくまでもこれらは行政上の内規の様なものなので、法的根拠は持たないままになるわけですね。

そして

種子生産をやめていた東京都を除いて
無対策は神奈川県、山梨県、静岡県、徳島県、沖縄県(情報求)
明確な民間委託大阪府、奈良県、和歌山県と言った状況ですね。(と、とりあえず書いておきますが、どうやら批判している人たちがだいぶきな臭い感じなので皆さん情報提供お願いします)





話は我らが山形県に戻って
主要農作物の優良な種子の将来にわたる低廉かつ安定的な供給を図るため「山形県主要農作物種子条例」を制定し、平成30年(2018年)10月16日に施行されました。

ということで、山形県ではこの「種子条例」に基づき種子の生産に力を入れる品種として「奨励品種」「優良品種」「認定品種」の三つを設定しているのでした。
これは都道府県により違うようですので、下記はあくまでも山形での定義としてご覧ください。


最後に 奨励・優良・認定の定義


※山形県における定義

1 奨励品種
 生産・流通対策上、主力品種として奨励する品種

2 優良品種
 特定地域を対象とした、もしくは作業体系上必要とする組み合わせ品種、もしくは、生産・流通対策上、奨励品種を補完する品種

3 認定品種
 奨励品種及び優良品種を補完する品種
 将来的に奨励、優良品種として期待できる品種


まぁ上に行くほど重要な品種として県が認めた、と言う認識でいいんじゃないでしょうか?(てきとー)
今まで上から二番目「優良品種」指定だった『出羽燦々』と『出羽の里』が、最重要の「奨励品種」になりました…ということで

兎にも角にも
昇進おめでとうだゼ!!

出羽燦々、出羽の里、奨励品種指定オメデトウ!




参考文献


◯米穀市場の近代化 -大正期を中心として-:持田恵三
◯[農業史研究 第36号 2002]戦後食糧輸入の定着と食生活改善:白木沢旭児
◯山形県農林水産技術会議資料:山形県
◯各都道府県公式ホームページ








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