2021年1月24日日曜日

【糯米】改良羽二重糯27号~滋賀羽二重糯~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

系統名
 『改良羽二重糯27号』
品種名
 『滋賀羽二重糯』
育成(命名)年
 『昭和14年(1939年) 滋賀県立農事試験場』
交配組合せ
 『改良羽二重糯(改良羽二重糯14号)から純系淘汰選抜』(墨猫大和独自論)
主要生産地
 『滋賀県』
分類
 『糯米』

引く手数多、滋賀羽二重糯はわしじゃ



どんな娘?

高飛車で、高慢にも思われる態度が目立つが、その態度にそぐわぬだけの実力(実需者からの信頼)は持つ。
それ故にプライドは非常に高く、誰かに負けることを非常に嫌う。
そのような態度から彼女を苦手とする娘も多い。

昭和中期生まれの3品種が三太夫を務めるなど古参の勢力がより強い糯米の中でも、更にその上を行く古参で、第二次大戦中をリアルに知る数少ない存在。
正しい意味での「年功序列」を信奉しており、認めた相手には敬意を払うことは忘れない。(すなわち年功とは「長年の熟練によって得られた技能・功績」である)
同郷の大先輩ではあるが出戻りに近い滋賀渡船6号にもあくまでも対等か自分の立場の方が上であるかのような態度で接するが、この場合は相手(6号)が気にしないので特に問題になっていない。
ちなみに滋賀渡船2号については彼女が普及した時点で既に隠居状態だった(事に加えて正直品種としてさほど優秀とは言えない)ので・・・皆までは言わない。


概要

高級糯米品種とされる『滋賀羽二重糯』の擬人化です。
糯米の中でも粘りやコシが強く、きめが細かく、固くなりにくい性質から一般の餅用以外にも高級和菓子用として利用され、業界から高い評価を受けています。(でも『はくちょうもち』の方が固くなりにくかったりする)
1952年から1989年まで天皇陛下(昭和)に正月用の餅として献上され続けたこともあるとか?
『改良羽二重糯』からの純系選抜で育成された品種で昭和初期から令和現代まで栽培の続く大ベテラン品種です。

(平成26~28年試験結果)
普及地における熟期は中生の晩で、滋賀県平坦部における普通期栽培に適するとされています。
草型は中間~偏穂重型、稈長105cmと長稈で、穂長は23.8cm程度です
千粒重は約22.2gで、収量は約550kg/10a程度。
品質「上の下」、食味「上の上」と評される食味の非常に高い品種ですが、反面栽培特性には欠点も多いです。
いもち病耐性は葉・穂共に「弱」で、耐倒伏性も「弱」と、稲熱病に罹りやすく、倒伏しやすい品種ということになります。
加えて脱粒性、穂発芽性も「易」と、栽培しやすい品種とは言えないようです。(「倒れやすく」かつ「穂発芽しやすい」稲は、台風などで倒れて水に浸かると発芽してしまい、商品としての価値が大幅に落ちてしまう。『コシヒカリ』は倒伏しやすいものの、その場合でもほとんど穂発芽しない=商品価値が下がらないために、全国普及の一助になったとも言われる。)
ただ、白葉枯病と紋枯病についての耐性は「やや強」との判定です。


恒例のウィ○ペディアの間違い情報(R2年度時点)

このWi○ipedia記事からの引用か、もしくはそもそもの元凶なのかわかりませんが、間違った記述のサイトがちらほら・・・

①「改良羽二重」から選抜×間違い×
『改良羽二重糯』から、です。
「雄町米」の”米”みたいなノリで”糯”がついていると思われているのか、単なる打ち間違いか。
『改良羽二重糯』で品種名です。
「改良羽二重」と言う品種はありません(多分)が、農林省農業改良局農産課発行の昭和30年の資料で誤記載があったのでそこからの引用…かも?

②系統名は『滋賀糯59号』×間違い×
1994年度に育成を完了した『滋系糯59号』(『滋賀羽二重糯』へのガンマ線照射による突然変異)を見間違ったものと思われますが・・・何か根拠でもあるのでしょうか?
『滋賀○号』の地方系統名が使用されるのは平成初期(1994~1995年頃)に「県農業総合センター農業試験場」になってからで、しかも60号及び62号以降の数字です。
61号と59号以前はどこにいったかというと、それ以前の「県農業試験場」時代に『滋系○号』の形で使用されていますが、一番早い時期に命名された「滋系1号」ですら昭和35年(1960年)の品種です。
これより遙か昔、戦前の昭和12年(1937年)頃に『滋賀糯○号』なんて系統名が使われているわけがありませんよね。(後述)

③「1938年に育成を開始し、1939年に純系分離により育成」×間違い×
これも間違いですね。
1934年育成開始です(後述)



育種経過(墨猫大和独自論含む)

昭和9年(1934年)に滋賀県農事試験場において、『改良羽二重糯』(及び『中生旭』の計2品種)について、優良系統の選出を目的とした系統分離による品種育成試験が開始されました。
選抜元となった『改良羽二重糯』は京都府立農事試験場から配布を受けたものです。

滋賀県が配布を受けた昭和8年、糯の奨励品種は『滋賀白糯18号』しかなく、これは糯品種としては粘りが足りないのが欠点とされていました。
その欠点を補う意味で導入が予定されていたのが、京都農試で『羽二重糯』と『早生神力』の交配後代から育成された『改良羽二重糯』※です。

※詳細は【関連コンテンツ】『改良羽二重糯』の正体は?

品種として固定されているはずの『改良羽二重糯』ですが、いざ試作してみると分離が著しかった(個体のばらつきが大きい)ため、滋賀農試では純系淘汰による選抜を実施することとします。

初年度昭和9年(1934年)は約2,000個体を栽植し、その中から50個体を選抜します。

昭和10年(1935年)は前年の50個体を50系統として栽植し、優良系統を選抜し次年度に供しています。
これ以降の育種記録は残存しておらず詳細は不明ですが、この初期50系統(『1号』~『50号』)の中の『改良羽二重糯27号』が後の『滋賀羽二重糯』となる系統になります。

滋賀県にも育種記録は残っていないとのことで、ここから先は完全に推測でしかありませんが・・・
大正初期の慣例(後述※)のままであれば、選抜3年目となる昭和11年(1936年)は在来や基準品種を対照とした収量調査が各系統につき5坪×2箇所、都合10坪(約33㎡)の栽培面積で実施されます。
収量と共に特性も考慮して選抜が実施されたものと思われます。
続いて選抜4年目の昭和12年(1937年)も再度収量調査と優良系統決定試験、そしてここでは判断が下せず、翌昭和13年(1938年)も再度収量調査と共に有望系統の最終決定を行ったはずです。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
大正時代の滋賀県の純系淘汰は
1年目に複数箇所から集めた品種群の中から有望株を系統分離
2年目に固定度と特性検査(生育・出穂・成熟期等)で選抜
3年目に収量調査と特性を加味して選抜
4年目に再度収量調査を行い優良種を決定、命名、配布(原種圃の設置)
5年目に三度収量調査を行い優良種を決定、命名、配布(原種圃の設置)
と、4~5年で育成を完了しています。(例外や細部の違いはあり)
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


滋賀県の記録では昭和12年(1937年)から各郡の農会に試作を依頼したとされており、成績が良好と評されています。
そして昭和13年度(1938年度)に育成を完了しました。
最終的に昭和14年に『滋賀羽二重糯』と命名され、奨励品種に指定、種子配布が開始されました。
昭和、平成そして令和の時代においても、高品質の糯米として栽培が続けられています。



系譜図(墨猫大和独自解釈含む)


改良羽二重糯27号『滋賀羽二重糯』 系譜図



参考文献(敬称略)

〇業務功程 昭和8年度~10年度:滋賀県立農事試験場
〇業務功程 大正8年度~15年度、昭和2年度~8年度:京都府立農事試験場
〇滋賀県立農事試験場機関紙「治田」第4巻第2号:滋賀県立農事試験場
〇滋賀県稲作指導指針(令和元年3月発行):滋賀県
〇水陸稲・麦類・大豆奨励品種特性表 平成28年度版:農林水産省
〇「ラピッド・ビスコ・アナライザー(RVA)による滋賀県育成糯系統の加工適性に関する評価」:寺本薫
〇餅等の硬化が遅く、いもち病、イネ縞葉枯病に強い水稲糯新品種「愛知糯126号」:http://www.naro.affrc.go.jp/project/results/4th_laboratory/nics/2018/nics18_s03.html
〇滋賀県主要栽培品種および「大育 2485」のイネ紋枯病耐病性評価:https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/2010133.pdf


【問い合わせ対応御礼】
〇滋賀県農業技術振興センター


関連コンテンツ






















2021年1月18日月曜日

【酒米】信放酒1号~美山錦~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『信放酒1号』
品種名
 『美山錦』
育成年
 『昭和53年(1978年) 長野県立農事試験場』
交配組合せ
 『たかね錦へのガンマ線照射』(農林省放射線育種場)
主要生産地
 『長野県、秋田県』
分類
 『酒造好適米』

・・・美山錦・・・よろしく・・・



どんな娘?

酒米っ娘のNo.3。

どこかふわふわしていて、表情の変化も少ないためにつかみどころがない娘。
酒米っ娘の上2人が真面目で堅物な一方、ゆる~い態度の美山錦を(悪い意味も含め)頼る米っ娘も少なくない。
あっちへふらふらこっちへふらふらと気まぐれに見えて、やるべきことはきっちりこなす。


概要

長野県の主力品種にして、酒米生産量の全国第3位である『美山錦』の擬人化です。

『美山錦』育成前の昭和40~50年代における長野県の酒米奨励品種は『たかね錦』のみでした。
『たかね錦』は昭和27年(1952年)に多収品種として奨励品種に採用されたもので、その後酒造適性に注目され”酒米”の扱いを受けるに至ったものです。
栽培特性に優れ多くの県で安定的な需要はあったものの、経緯からわかるように当初から酒米用の品種として育成されたものではないため、小粒で心白発現率が低く、タンパク質含有率が高いなど、酒造用米としての品質には問題も抱えていました。
(認定品種となっていた『金紋錦』もありましたが、こちらは栽培地域が限定されておりほんの数%しかありませんでした。)

そんな『たかね錦』の栽培特性はそのままに、玄米の品質面での問題を改善したのが『美山錦』です。
長野県内においては昭和53年(1978年)から標高700m以下の酒米団地向けの奨励品種となっています。

「長野県の美しい自然の中で生産され、美しい山の頂のような心白がある」ことから『美山錦』と命名されました。
なめらかで、さっぱりとした酒質になりやすいとか。

生育地における熟期は「中生の早」で、長稈・長穂の穂重型品種です。
稈は太いものの、穂が大きいためにたわみ型の倒伏をしやすく、耐倒伏性は「やや弱」の判定です。
育成当初こそ葉いもち病抵抗性「やや強」、穂いもち病抵抗性「中」と判定されましたが、後年の評価は両抵抗性とも「やや弱」です。
真性抵抗性遺伝子型は【Pi-a】【Pi-i】と推定。
耐冷性は「やや強(旧)」(令和現在の「中」相当か)。
玄米千粒重は24~25g程度で、『たかね錦』よりも1.5~2.0g重くなりました。
心白発現率も67.8%と高く、心白率も59%で適性とされます。
タンパク質含量は約8%で僅かながら『たかね錦』より低くなりました。



育種経過


長野県における酒造用米主力品種であった『たかね錦』の改良を主目的として、長野県農事試験場で育種が開始されます。
玄米品質については良質化を目指しつつ、栽培特性については『たかね錦』と変わらない品種が目標でした。

昭和47年(1972年)、農林省放射線育種場に依頼し『たかね錦』の乾燥種子100gに対して80KRのガンマ線を照射してもらいます。(ところで当時の報告書「ガンマー線」と書いてありました。これが当時スタンダード?)
長野県農事試験場はここからR1世代850個体を養成し、1穂1粒の採種を行います。

翌昭和48年(1973年)、R2世代2,562個体の中から粒大と心白特性で個体選抜が行われ、30個体を選抜します。
以後系統育種法により選抜・固定が図られます。

昭和50年(1975年)R4世代で準予備試験に供試され、結果が良好だったため『信放酒1号』の系統名が付され、これ以降生産力検定試験・生産力検定現地試験に供試され、特性検定試験が実施されます。

昭和51年(1976年)R5世代からは長野県食品工業試験場に依頼して酒米適性試験が実施され、『たかね錦』よりも酒米適性がやや優るとの判定が下されます。

昭和52年度(1977年)R6世代も引き続き各種試験が行われるのに加え、秋田県、新潟県、岐阜県の3県でいずれも『たかね錦』を対照として試作が行われます。
秋田県では品質は同程度ですが収量でやや優り、倒伏もしにくいとのことで「有望」の評価。
新潟県では収量・品質・耐倒伏性いずれも同程度で、唯一葉いもち耐性だけが優り「試験継続」。
岐阜県でも収量以外は優る点もなく「試験継続」の判断をされています。

以上の試験の結果、有望と認められ、昭和53年(1978年)R7世代において長野県の酒米奨励品種に採用され、同年『美山錦』と命名されました。

品質面で『たかね錦』よりも大粒化、心白発現率の向上といった良質化が実現しました。
加えて栽培特性はねらい通り『たかね錦』とほぼ変わらず、生産者にとっても実需者にとっても理想的な品種として完成しました。



系譜図

信放酒1号『美山錦』系譜図



参考文献

○水稲新品種「美山錦」について:長野県農事試験場報告(1984)
○主要農作物奨励品種特性表:長野県

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2021年1月16日土曜日

【酒米】山形酒49号~出羽燦々~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『山形酒49号』
品種名
 『出羽燦々』
育成年
 『平成6年(1994年) 山形県立農業試験場庄内支場
交配組合せ
 『美山錦×華吹雪』
主要生産地
 『山形県』
分類
 『酒造好適米』

さんさんと輝く出羽燦々!よっと♪


どんな娘?

山形県における酒米っ娘の長女。

かつては山形県の酒造を支えるという大役を一手に担っていた働き者。
他県の品種と比べれば平凡だったかもしれないが、他県出身者では馴染めなかった山形という土地でその能力を十二分に発揮して活躍した。

ひとりぼっちの時代も特に苦ではなかったが、最近は妹たちが増え、とてもうれしく思っている。
現在のやや奔放気味な発言も雪女神が生まれたからこそ。
本来自分が至らないところまでも何とかしようと頑張っていた頃に比べて、精神的な余裕が出来た証左です。


概要

米どころにして吟醸王国である山形県において、初の本格的酒造好適米となった『出羽燦々』の擬人化です。

「山形県が生んだ酒造好適米にふさわしく、印象の強い名前にしよう」との方針で、山形県、農協、経済連、酒造組合連合会などにより200点以上の品種名候補が集まり、東北芸術工科大学からもアドバイスを受けながら検討が進められました。
その結果、山形を表す「出羽」、そしてそれがキラキラときらめく様子を表す「燦々」を組み合わせ『出羽燦々』と命名されました。
山形の酒への熱い想いが込められています。

令和の今でこそ『出羽燦々』『出羽の里』『雪女神』の3姉妹を要し、さらに掛米用品種として『出羽きらり』を揃える山形県ですが、昭和60年(1985年)頃における酒造好適米の生産は非常に微々たるものでした。
当時は、昭和42年(1967年)に県奨励品種に採用された『改良信交』が細々と(3ha程度)作付けされているに過ぎず、出回り量も10tあまりという、稲作が盛んな山形県では信じられないほど小規模なものでした。
その一方で県内の酒造用原料米は不足しており、代用として『はなひかり』『キヨニシキ』『はなゆたか』などの一般食用米が用いられていました。
そのような状況下、「山形県酒造適性米振興対策協議会」が発足し、酒米について「県外品種の試作」「栽培技術の改善」「生産と需要の調整」等の活動が行われます。
その成果として『改良信交』に代わり長野県育成の『美山錦』が県優良品種として採用され一時206ha(1991年時)まで増えますが、倒伏しやすいという栽培上の欠点と、粒重や心白発現率の年次差・地域差が大きい(山形県の気候条件に『美山錦』があまり適していない)という問題がわかるにつれ、作付け面積は減っていきます(140ha/1994年)。
山形県産日本酒についても同時並行で質の向上活動(後述「山形讃香」)が図られ、その活動は確実に実を結び、質の向上が成果として現れながらも、肝心の原料米については他県に頼るところ大という状況でした。
このような背景の中、「県産酒は山形県のオリジナル品種で」というのが酒造関係者にとって悲願になっていったと言われます。
生産農家にしてみれば栽培しやすくて経済的メリットのある、酒造関係者にとっては良質な酒造特性のある優れている、そんな酒米品種が切望されていました。
そんな切望された”山形県オリジナル酒米品種”として平成7年(1995年)に山形県優良品種に採用されたのがこの『出羽燦々』です。
令和元年度より優良品種から奨励品種へと格上げとなりました。(関連コンテンツ参照)


「やわらかく、端麗で、きれいな酒質」の日本酒が出来るとされています。
『雪女神』が大吟醸用と位置づけられた今では「吟醸酒向け」とされる『出羽燦々』で、事実、育成当初想定されていたのは「搗精歩合75%程度の一般清酒用」ではありますが、登場当初から彼女は大吟醸酒にも用いられています。
ただしやはり試験場の評価は「心白の大きさから50%以上の高度精白には問題が残る」とされています。

育成地に於ける熟期は「中生」で『美山錦』よりも2日ほど遅いです。
草型は穂重型で、収量は試験時に589kg/10aと多収です。
稈長は『美山錦』よりも5~6cm短いながら長稈の部類(約85cm)ですが、耐倒伏性は「中」で、『美山錦』よりも倒れにくくなっています。
耐冷性は「やや強」~「強」(当時:現在の「中」相当)の判定です。
葉いもち病抵抗性は「やや弱」、穂いもち病抵抗性は「中」とされています。
真性抵抗性遺伝子型は【Pi-a】と推定。
白葉枯病抵抗性も「やや弱」で、当初の育種目標にはないので仕方ないと言えば仕方ないのですが、病気全般には強いとは言えません。
玄米千粒重は25~26gで『美山錦』よりも1g程度重くなっています。
大粒・良質で心白(眼状心白が主と推定)の発現も良く、蒸米吸水率など酒造特性の優れた品種です。


【DEWA33】と【山形讃香】

1970年代後半より山形県全体の酒の品質向上を目指し、大吟醸酒共通銘柄「山形讃香」の開発や、酵母の研究開発を行い、品評会での入賞率を飛躍的に増加させることに成功した山形県の酒造業界でしたが、「県独自の酒米」については依然として不在状態でした。
そんな待望されていた『出羽燦々』という山形県独自の酒造好適米の登場を受けて、山形県酒造協会では純米吟醸酒の共同銘柄「DEWA33(でわさんさん)」を設定します。
「やわらかくて、巾がある」そんな「DEWA33」の認定基準は以下のとおり

・『出羽燦々』100%使用
・純米吟醸酒(精米歩合60%以下 アルコール添加無し)
・精米歩合55%以下(吟醸酒の要件よりもより低い精米歩合)
・山形酵母を使用
・山形オリジナル麹菌「オリーゼ山形」使用

以上の基準に適合し、厳正な審査会を通ったものが「純正山形酒審査会認定証」を貼られ、「DEWA33」を名乗ることが出来ます。
イメージソング「DEWA33ソング」もあるそうなので是非聞いてみては?

また精米歩合40%の『出羽燦々』を使用する純米大吟醸酒「(新)山形讃香」もあります。
前身は昭和59年(1984年)当時の知事の提言に始まり、昭和60年(1985年)10月にデビューした大吟醸酒の共同銘柄「山形讃香」です。
県内蔵元の大吟醸酒の中でも審査に合格したものだけが名乗れるのがこの名称「山形讃香」であり、この名称を目指して大吟醸酒の質向上や、今まで吟醸酒に取り組まなかった蔵の新規挑戦といった動きが盛んになったそうです
そのおかげをもってか「山形讃香」誕生以降の昭和61年(1986年)あたりから全国・東北の鑑評会における金賞受賞数が急増し、金賞多数の常連県となることができました。
ただ、この当初の「山形讃香」はその要件が「大吟醸酒(アルコール添加)」でしかなく、使用米も『山田錦』が殆どだったそうです。
山形を冠するお酒に県外産の『山田錦』が使われているのはどうなのか・・・とやはり疑問の声は上がったようで、平成13年(2001年)より要件を「『出羽燦々』使用」「純米大吟醸(アルコール添加無し)」に変更したそうです。
※アル添(吟醸・大吟醸)が悪、純米(アル添無し)が正義、という風潮も一部にはあるようですが客観的に見てそんなことはない・・・と思います。(少なくとも管理人はアル添が悪とは思っていないです)

こちらもイメージソング「山形讃香んだんだ!」がありますよ!

また、令和4年(2022年)3月11日に21年振りの「山形讃香」リニューアルが発表されています。
情報を統合すると
原料は、優良酒米コンテスト(主催:山形県酒造適性米生産振興対策協議会)で上位入賞した農家が栽培した『雪女神』。
醸造する蔵は、山形県の品評会における「雪女神」精米歩合40%以下の純米大吟醸酒において、上位の成績を獲得した数社。
と、日本最高峰を目指す、山形県酒造の粋を集めた純米大吟醸酒とすべく、条件がさらに厳格化されています。
21年間主役を務めた『出羽燦々』はこれでお役御免となったわけですが、確実に次の世代へバトンは引き継がれました。



育種経過


客観的に見て、あまり優良な日本酒の生産地とは言えなかった山形県でしたが、各種取り組みにより山形県産日本酒の質の向上を目指し、それは実っていくことになります。
しかし、県オリジナルでかつ良質な酒造用米には恵まれず、何とかしようと他県開発の『美山錦』を導入したものの、山形にはあまり馴染まず・・・
山形にも独自の優秀な酒米品種が欲しい、そんな頃、山形県立農業試験場庄内支場では昭和59年(1984年)から多用途向け品種開発の一つとして酒米の品種育成を実施しており、大粒・低蛋白という酒米の基本を抑えつつ、地域適応性を備え栽培特性(耐倒伏性)に優れる品種の開発を目標に昭和60年(1985年)から『出羽燦々』となる品種の育成が開始されました

母本は『美山錦』、父本は『青系酒97号』(後の『華吹雪』)として昭和60年8月6日剪穎法により人工交配が行われます。

◇母本の『美山錦』は長野県で育成された品種です。山形県においては「心白の多い大粒の酒米品種」であることから、『改良信交』に代わる品種として有望視されていました(なおその後の実態)
米の品質は高く評価されていたものの、長稈で倒伏しやすい品種です。

◇父本の『青系酒97号』はこの交配翌年の昭和61年(1986年)に『華吹雪』と命名される系統で、青森県で育成されました。
早生で短稈、大粒で心白が大きく、この時点で既に青森県から極有望視されていた系統です。

この交配によって得られた種子は27粒(『庄交85-44』)。
ちなみにこの時、母本父本を逆にした交配も試みられたそうですがそちらについては稔実しなかったそうです。

翌昭和61年(1986年)は世代促進温室を用いてF1世代~F3世代まで集団養成を行います。
F1世代は昭和61年(1986年)2月から5月にかけて13個体を養成、採種。
F2世代は同年5月から9月にかけて約720個体を選抜せずに養成。
F3世代も同じく無選抜で約720個体を同年10月から翌昭和62年(1987年)1月にかけて養成します。
続いて昭和62年(1987年)、F4世代について圃場に1,200個体を栽植し、個体選抜が実施されます。
この集団での立毛概評は「熟期が早生から中生が主体」「長稈」「熟色やや不良の個体多し」でした。
この中から圃場においては「中稈~やや長稈」に加え「熟色が良い」個体を選抜し、最終的には室内選抜において「大粒」であり心白発現程度が「中~やや多い」とされた良質な20個体が選抜されました。

そして昭和63年(1988年)F5世代より単独系統選抜を行います。
前年選抜の20個体を20系統として、1系統当たり36個体を栽植し、各種の特性調査を行います。
この中から熟期は「中生」、稈においては「中長稈」かつ「強稈」、そして「大粒」で心白発現率が「多い」である5系統各4個体を選抜し、翌年の系統群に設定することとします。

平成元年(1989年)F6世代において前年選抜した5系統に『庄酒788』~『庄酒792(後の『出羽燦々』)』の系統番号を付与し、5系統群20系統を設定、選抜を実施します。
生産力検定予備試験及び特性調査(耐冷性、品質)を実施し、心白の大きすぎる『庄酒790号』系統群が、この時点で廃棄されます。
また、この年より山形県工業技術センターで酒造適性試験、試験醸造も開始され、玄米の外観や心白発現率だけでは判断できない酒造適性について調査が行われています。(結果、『美山錦』以上の酒造適性を持つものと評価)
平成2年(1990年)F7世代は生産力検定本試験、系統適応性検定試験並びに特性検定試験に供試されます。
4系統群20系統が設定され、収量、品質の比較的優位であった『庄酒792号』の1系統群が選抜され『山形酒49号』の地方系統名が付与されます。

平成3年(1991年)F8世代では奨励品種決定調査で地域適応性の検討が行われます。
この世代以降は毎年1系統5個体を選抜・採種し、翌年1系統群5系統とすることで固定度を上げていきます。
F8世代では奨励品種決定予備調査に供試されますが、『美山錦』と比較して本場及び庄内支場、置賜分場では「多収だが品質がやや劣る」、最北支場では「収量は並だが品質で優る」と評価が分かれ、他県(岩手・秋田・宮城・福島・栃木)に於ける調査結果でも品質については良・不良の判断が分かれていました。
この年は長稈になったことによる倒伏の懸念と、千粒重が軽く心白の発現も少ない、そして品質も劣ると判断されたことから奨励決定予備調査として再検討されることになります。(秋田県・福島県では検討打ち切り決定。岩手県は継続としたが2年目実施無し。)

平成4年(1992年)F9世代、本場・庄内・置賜・最北各地での試験で概ね収量・品質共に『美山錦』並か優り、耐倒伏性に優れているとの評価を受けます。
県外における調査では、宮城県で「心白が大きすぎる」との理由で調査打ち切り、栃木県では概ね好評価でしたが基本調査へは進まず、実質打ち切りとなりました。

平成5年(1993年)F10世代から山形県奨励品種決定基本調査に供され、一応各試験場で収量や品質が並か優る(『美山錦』比)とされ「やや有望」と評価されますが、この年はまさに平成の大冷害となった低温年次で全般的に酒米の品質が不良となっており、明確な評価が下せないとの理由で基本調査を継続して検討することとなります
またこのF9~10世代間に工業技術センターでの試験醸造が行われており、「やわらかく、端麗で、綺麗な酒質」との良好な官能評価も受けました。

平成6年(1994年)基本調査2年目となるF11世代では、前年と打って変わっての高温条件下での試験となり、全試験場で収量・品質共に『美山錦』に優るとされ、本場・庄内・置賜では「有望」、最北支場で「やや有望」とされ、初年度の予備調査から年々評価が上がった結果となりました。


以上の試験の結果、酒造好適米品種として有望であると認められ平成6年(1994年)に種苗法に基づく品種登録出願が行われます。
平成7年(1995年)2月に山形県主要農作物奨励品種審議会にかけられ、同年4月山形県優良品種に採用されました。



系譜図

山形酒49号『出羽燦々』系譜図


参考文献

〇酒米新品種「山形酒49号」の育成:山形県立農業試験場研究報告
〇「山形酒49号」の特性:東北農業研究
〇水稲品種「山形酒49号」の栽培技術の確立:東北農業研究
〇山形酒造組合ホームページ:https://yamagata-sake.or.jp/publics/index/75/
〇山形県における酒米開発の取り組み:http://www.kitasangyo.com/pdf/e-academy/tips-for-bfd/BFD_38.pdf
〇山形県酒 造組 合の需要 開発活動:https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1988/97/4/97_4_236/_pdf



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2021年1月8日金曜日

山田錦の母親、その源流『山田穂』の由来について

『山田錦』の母親(交配母本)である『山田穂』
今回は赤文字の在来種『山田穂』についてのお話


この品種は、在来種『山田穂』の中から兵庫県農事試験場が選抜した『山田穂』(純系淘汰)ですが、そもそもの起源となったと言える在来品種『山田穂』には、複数の発祥説があります。
さらっと紹介しているサイトは多いですが、せっかく兵庫県が詳細まで調べているので「酒米品種「山田錦」の育成経過と母本品種「山田穂」、「短稈渡船」の来歴」に基づいて『山田穂』発祥にかかわる3つの説とその検証について紹介します。


ちなみに「やまだほ」ではなく「やまだぼ」と読むのが正しい…という日本酒業界界隈の通説ですが、珍しく(失礼)当たりのようです。
『新山田穂1号』の読みを「しんやまだぼいちごう」とする昭和11年当時の資料がありますので、『山田穂』の読みについても「やまだぼ」と濁点がついたものと思われます。


3つの説


昭和36年(1961年)発行の兵庫の酒米(兵庫県酒米振興会10周年記念誌)には在来種『山田穂』の由来として三つの説を紹介しています。

①兵庫県多可郡中町説(兵庫県中町東安田起源)
②兵庫県美嚢郡吉川町説(三重県伊勢山田起源)
③兵庫県神戸市北区山田町説(河内の雌垣村【大阪府茨木市】起源)

まずはそれぞれの説の内容を見てみましょう。


①兵庫県多可郡中町説(兵庫県中町東安田起源)

明治初期(詳細年不明)に兵庫県多可郡中町東安田の山田勢三郎氏が自作水田の中から優良な株を発見します。
それを選抜固定し、近隣の農家にも配布。
酒造家の評判も良い優良種だったそうです。
この品種に山田勢三郎氏が自らの姓をとって『山田穂』と命名したとされています。

②兵庫県美嚢郡吉川町説(三重県伊勢山田起源)

時期は不明ですが、兵庫県美嚢郡吉川町の田中新三郎氏が、三重県へ伊勢参りに行った帰りに発見した大きな穂を持ち帰り、発見場所の「伊勢山田」にちなんで『山田穂』と命名したとされています。

③兵庫県神戸市北区山田町説(河内の雌垣村【大阪府茨木市】起源)

時期は不明ですが、兵庫県八部郡山田村藍那の東田勘兵衛氏が、河内の雌垣村(現在の大阪府茨木市)に良い稲があることを聞き及び、その種子を手に入れて山田村藍那で生産を始めます。
「椿米」あるいは「雌垣米」と名付けて出荷(1俵毎に椿の葉を付けて出荷していた)され、明治23年(1890年)の第3回国内勧業博覧会では「雌垣米」として品質日本一とのお墨付きを得るに至ります。
それがきっかけとなって「雌垣米」は近隣の農村に急速に拡大し、「山田村藍那」の地名にちなんで『藍那穂』あるいは『山田穂』と呼ばれるようになったとされています。



各説はどれが正しいのでしょうか?・・・の前に

初めにこれだけははっきりしておきたいのですが
「どれが正しいのでしょうか?」と銘打ってはいますが「この説が正しくて、他は間違い」と断定は出来ません
現存している資料から肯定できることと、齟齬がある部分とを書き並べていきます。

「もっとも有力」なのであって「この説が正しい」のではありません。

今後の資料の発見によっては覆ることもあり得ます。


改めて、各説はどれが正しいのでしょうか?

人名の「山田」にちなんでいる説に、三重県と兵庫県、それぞれの地名の「山田」にちなんでいる説。
どれもこれもいかにもありそうな話ですが、では、同時代の別資料から見ると、それぞれの説とそれらの資料の内容は一致するのでしょうか?


①兵庫県多可郡中町説(兵庫県中町東安田起源)【検証】

・普及当初、酒造家の評判も良い品種であった【肯定出来る内容】
中町東安田は酒米の主産地でした。
ここで生産されるお米が酒造家の方に評価された、というのは自然に感じますね。

・多可郡中町東安田から広まった【肯定できる内容】
明治21年(1888年)の「東播九郡連合農産物共進会報告書」において多可郡から出品された品種の中で『山田穂』の割合は特に多いものでした。
また明治29年(1896年)の「第6回関西連合府県共進会」における多可郡出品品種237点の内96点(約4割)が『山田穂』とこれも多くを占めています。
以上2点から、明治20年代において東安田を中心として多可郡に広く『山田穂』が普及していたことがうかがえます。

〇総括
この説においては、明治37年(1904年)に山田勢三郎氏の功績をたたえる頌徳碑が中町東安田に建立されています
実際の記録との整合性もとれており、最も有力な説と言えるのではないでしょうか。



②兵庫県美嚢郡吉川町説(三重県伊勢山田起源)【検証】

・昭和30年代に於ける吉川町の年配者達の多くがこの説を証言【肯定できる内容】
・しかし説を肯定できる客観的な(書籍、統計等)資料がない【齟齬のある内容】

・発祥・普及の地である吉川町では『山田穂』が有名ではない【齟齬のある内容】
『奈良穂』は、『山田穂』よりも長稈穂重型、より粒も大きく心白の発現も多いとされる品種で、吉川町で多く生産されていました。
昭和12年(1932年)に元兵庫県酒米親交会副会長の井上克己氏が会誌「農業」8月号に寄稿した「灘酒の酛米『播州吉川米』に就て」でも「吉川米は『奈良穂』が第一」と評されるほどです。
県内に広く広まるほど当時としては優秀な『山田穂』がその発祥の地で広まっていないというのは少しおかしく感じますね。

・吉川町の田中新三郎氏が『奈良穂』を出品【もしかしたら齟齬があるかも・・・な内容】
明治43年(1910年)に開催された兵庫県農会第1回小作米品評会において、「美嚢郡口吉川村の田中新三郎」『奈良穂』を出品して二等を受賞している記録があります。
同郷でかつ同姓同名の別人の可能性も当然あり得ますので、これはあくまでも推測・憶測の類いになりますが・・・
もしもこの二等受賞者の「田中新三郎」が「伊勢山田から優秀な穂を持ち帰った田中新三郎」であるとすれば、彼が持ち帰って普及した品種というのは『山田穂』ではなく『奈良穂』である可能性があるのでは?と言えますね。
『コシヒカリ』のように育成者が必ずしも自分が育成した品種に惚れ込むかと言ったら違うので、同一人物だとしても、別品種を栽培していた可能性も当然あります。

〇総括
酒蔵の一部はこの説を元に「『伊勢錦』が『山田錦』の親だ(田中新三郎氏が伊勢山田から持ち帰ったのは『伊勢錦』だ)」としていますが、発祥の地であるはずの吉川町で『山田穂』の栽培が盛んだった記録はなく、別品種の『奈良穂』が有名だったようです。
同じ”穂”を含む品種名ですし、この説に関しては書籍などの記録はなく「人の伝聞が根拠」と言うことで、人伝いになる中でどこかに齟齬が生じたのではないか・・・とも取れる説でした。
また発見者と同じ姓名・同じ出身地の方が『奈良穂』で賞を貰っているという憶測がはかどる記録もあるようです。


③兵庫県神戸市北区山田町説(河内の雌垣村【大阪府茨木市】起源)【検証】

・「神戸酒米のしおり」に「藍那穂由来説」として紹介【肯定できる内容】

・『藍那穂』あるいは『山田穂』と呼ばれたという記録がない【齟齬のある内容】
農業発達史調査会資料「明治以降に於ける水稲品種の変遷(其1)」(松尾孝嶺氏)の兵庫の欄に『藍那穂』は明治28年から、『山田穂』は明治21年から記載があり、これはそれぞれ別の品種として扱われています。
また、大正11年(1922年)の「大正10年度兵庫県米穀検査報告書」(兵庫県穀物調査所)の中で品種の異同についての記述が有り、ここでも『藍那穂』と『山田穂』は別の品種として扱われています。
このことから『藍那穂』と『山田穂』という明確に区別された2つの品種があったことになり、「藍那穂や山田穂と呼ばれた品種だった」という話と噛み合いません。

・『藍那穂』あるいは『山田穂』と呼ばれた2【齟齬のある内容】
前述の大正11年(1922年)の「大正10年度兵庫県米穀検査報告書」(兵庫県穀物調査所)では『山田穂』の異名同種についても記述が有り、『天王穂』や『大神力』といった16品種が挙げられていますが、その中に『藍那穂』はありません。
『山田穂』が「藍那穂」と呼ばれていたという記録は無いことになります。

〇総括
この説では異名同種として、「雌垣米」としていた品種が『藍那穂』や『山田穂』と呼ばれるようになった、とのことですが、残念ながら両者が異名同種であったという記録はないようで、記録上山田村藍那で生産されていたのは『藍那穂』であったようです。
これも”穂”を含む品種名ですから、地名の「山田」と合わせて地元の方が「山田穂」と呼んでいた・・・そんな可能性はありますね。
無論県が異名同種を把握できなかったのかもしれませんが。


まとめ

「山田勢三郎説が最も有力」とされているのはこのような検証が根拠になっています。

どうも後者2説は、人の伝聞による誤解や知識不足による憶測・推測が原因のように(個人的には)思います。
『滋賀渡船2号』においても「稈長の長さで2号や4号、26号なんてものすごい長いものもある」という勘違いが大々的に伝播されていますが、これも一般人による知識不足からくる間違った憶測の類いです。(滋賀渡船〇号の数字は原種採用順に付けられているもので、稈長は一切関係ありません【詳細】『滋賀渡船2号』『滋賀渡船6号』
「人から聞いた、誰かが言っていた」は必ずしも無視していいものではありませんが、かといってそれだけでは信頼性は残念ながら低い傾向にあるように思えます。

これと同じように、『山田穂』が有名になるに従って「”穂”を含む品種が地元にあること」と「”山田”に関係ある出来事」を都合良く結びつけて「あの有名な山田穂はうちから始まったらしいぞ」という話が広まった・・・のかもしれません(憶測です)


現代でこそ品種の由来は簡単に調べられるようになっていますが(簡単故に間違った情報も拡散して定着しやすいのですが)、昔の品種となると起源を知るにも一苦労します。
『辨慶』や『渡船』のように、命名の理由や発祥が不詳な品種も数多くあります。
わかっていることだけでも、大事に記憶していきたいですね。



何度でも言うが、私はおまえ(山田錦)の母親なんかじゃないからな
ええ、はい
わかっていますよ
・・・私の扱いはどうなるのさ
う~ん
親問題にこだわるねぇ
やはり自分の扱いが気になるかい?
・・・うん
わたしは今が良ければそれでいいけどね~
ね、辨慶?
ん、吾か
出自を気にするのはわからないでもないが
そこまで気に病む事とも・・・思えんがな
人間の研究がより進むことに期待しましょう
そして
私たちの成すべき事はどうであれ変わりないわ
違うかしら?
・・・滑り込みセーフ

2021年1月1日金曜日

イラスト『謹賀新年!2021年「丑」!』年賀状

題材
 『年賀状「丑」』

登場品種
 山形97号『つや姫』

丑の年!
新年明けまして
おめでとうございます!!!
つや姫「よーいしょっ!今年は辛丑(かのとうし)だよ!」




令和2年もあんまり絵を描かなかったですね~・・・(毎年恒例様式美になりつつあり)
いやもうあれですよ(言い訳開始)
今年は調査関係がかなり時間かかりましたし、もうイラスト本筋じゃないのかなぁ・・・と思ったり思わなかったり
でも漫画一本上げたのは頑張ったと言いたい(自画自賛)

酒米品種の有名どころや糯品種の有名どころは古い品種が多いので育成経過が一筋縄で集められないのがなんとも・・・まだまだ『雄町』に『滋賀羽二重糯』とヘヴィな品種が続きますので気合い入れて調査続けます。

ネットで拾った情報のコピペ様式やウィキ様式ならすぐ品種解説記事は出来ますけど、下手くそな絵で差別点を作れないならせめて情報だけはモノホンを載せたいと思うお年頃です。



皆さまへの年賀状は以下の通り(順不同)

今年も引き続きお気軽にコメントください

的確な指摘をよろしくお願いいたします

お世話になりっぱなしですが今年もまた世話してくださいお願いします(切実)

(主にTwitter)青天の霹靂PR隊ってすごいなぁ・・・とほんと思います

イラストへのいいねが力になりますです

うちのロマンちゃんが首を長くして・・・(ゲス顔)







そして
もしかしたらこのブログをご覧になってくれているかもしれない皆さま
コロナ禍で身体的・精神的負担が重くのしかかる中ですが
どうか皆さまがご健勝で良き年を送られますようお祈り申しあげます。





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