2018年11月29日木曜日

【粳米】北陸122号~キヌヒカリ~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『北陸122号』(『水稲農林290号』)
品種名
 『キヌヒカリ』
育成年
 『昭和63年 北陸農試』
交配組合せ
 『F1【収2800×北陸100号】×ナゴユタカ』
主要生産地
 『滋賀県、兵庫県』
分類
 『粳米』
キヌヒカリだよ。皆、関西においでな。





どんな娘?

『コシヒカリ』が嫌いな娘(どうしてかと言われれば親からの…)。
かと言って特に表立って騒ぐようなことは無く、「ちょっと気に入らない」程度のもの。

そんな『コシヒカリ』と同等の実力者で、見た目に関してはコシ以上との自負もあります。
北陸・関東での覇権を目指しましたが、結局『コシヒカリ』に敗れて関西圏へと移りました。

姉御肌で気が強く(半強制的な部分もあるものの)慕っている品種も多い。




概要

当初奨励品種として採用された茨城県、福井県では作付を伸ばせなかったものの、『コシヒカリ』よりも粘りの少ないあっさりとした食味が受け入れられた関西圏(滋賀・兵庫・三重【2017年現在】)でその作付けを伸ばしました。

またその子品種の活躍が特に目覚ましいものとなっています。
平成30年(2018年)時点で
高温耐性と良食味で多数の県で作付、日本穀物検定協会の食味ランキングで複数産地特A獲得した『きぬむすめ』を筆頭として、『夢つくし』『はるみ』と特A獲得、話題となる品種も彼女の子品種です。
山形県の『つや姫』含め、交配親を辿ると彼女がいることもあります。

出穂期・成熟期は『コシヒカリ』より1~2日遅い「中生の早」。
稈長は『コシヒカリ』よりもかなり短く、穂長も短めになっており、耐倒伏性は「強」です。
いもち病耐性は葉いもち、穂いもちともに「中」と、『コシヒカリ』よりは強いものとなっています。


さて
『コシヒカリ』が農林番号の品種審査会で、その耐病性の低さから採用にかなりの難色を示され、会議が相当紛糾した末にどうにか『農林100号』として採用されたことは有名かと思いますが
この『コシヒカリ』採用以降、「コシヒカリ並みに耐病性が弱い品種は審査せずに不合格にする」との申し合わせが行われました。
いもち病に弱い品種は、どんなに味が良かろうが、どんなに耐倒伏性に優れていようが”門前払い”を食らわせる、ということですがこれをまともに食らったのが20年後に開発された『北陸100号』でした。
『コシヒカリ』登場以後念願だった良食味・耐倒伏性強の素晴らしい品種でしたが、耐病性は『コシヒカリ』からそのまま引き継いで弱く、先の申し合わせに抵触するとして審査されることもなく品種登録を逃しています。

『キヌヒカリ』はそんな『北陸100号』の孫品種(3系交配なら子品種?)。
そんな因縁があるので『コシヒカリ』のことがちょっと気にいりません。


育種経過

強稈・多収・良食味・いもち病抵抗性強といういいとこどりのような品種を目指して育成されたのが『キヌヒカリ』です。

このような品種の育成を目指す理由になるのはやはり『コシヒカリ』の存在。
戦後、食糧難の時代には病気に強く多収である品種が席巻しましたが、稲作技術の向上、米の需給量の増加などにより米余りの時代へと移っていきます。
そのような中、次に普及してきたのが『コシヒカリ』『ササニシキ』のような栽培上一部欠点があるものの食味の評価が高い品種でした。

特に北陸で普及していた『コシヒカリ』について、耐冷性は高いものの、倒伏しやすく、いもち病に弱いという点は栽培上問題になることも多く、この点を解消した品種の育種がひとつの課題となっていました。

交配が行われたのは昭和50年(1975年)春。
母本『収2800』、父本『北陸100号』の交配からF1を作成。
同年夏、前述のF1を母本、『北陸96号』を父本として3系交配が行われ、その後代から選出されました。


◇『収2800』(F1【『IR8』×『フジミノリ』】×『コシヒカリ』2回戻し交配)
 1966年に国際稲研究所(IRRI)で育成された半矮性品種『IR8』と『フジミノリ』を交配したF1に『コシヒカリ』を2度戻し交配した後代から育成された品種になります。
 半矮性遺伝子による強稈・短稈性と『コシヒカリ』の食味形質の統合を狙った品種で、概ねその成果が達成された系統です。

◇『北陸100号』
 『コシヒカリ』へのガンマー線照射により育成された系統です。
 耐病性の低さから品種登録の門前払いを食らいましたが、短稈・良食味の系統であり、食味改良を目的に交配親に選ばれました。

◇『北陸96号』
 いもち病抵抗性遺伝子「Pi-i」を持ち、ほ場抵抗性が強く、収量も高い系統です。
 いもち病抵抗性と収量性の付与を目的に交配親に選ばれました。

昭和51年(1976年)春、昨年に交配して得た種子を温室内に播種し、F1養成を行います。
同年夏から翌昭和52年(1977年)にかけて苗代放置栽培でF2~F3集団を養成します。

昭和53年(1978年)に3,800個体からなるF4集団を養成し、70個体を選抜します。

昭和54年(1979年)は前年の70個体を70系統の単独系統とし、この中から4系統を選抜します。

これ以降は系統群系統に展開します。
昭和55年(1980年)、F6世代4系統群17系統を移植した中から1系統5個体を選抜。
昭和56年(1981年)、F7世代1系統群5系統を移植し、1系統5個体を選抜し、『収3877』の系統番号が付されます。
昭和57年(1982年)、系統適応性検定試験地に配布され、地域適応性が検討されます。
同年以降、特性検定試験地において主要特性の検定を実施。

昭和58年(1983年)、F9世代で『北陸122号』の地方系統名が付され、関係各県での奨励品種決定試験に供試され、地域適応性の検討が行われました。
結果、福井県と茨城県でその有望性が認められ、奨励品種に採用されます。

昭和63年(1988年)、F14で新品種として『水稲農林290号』に登録され、『キヌヒカリ』と命名されます。



系譜図

母本が非常に『コシヒカリ』の血が濃いことが分かります。
(でもやっぱり本人は『コシヒカリ』のことは嫌い。)

北陸122号『キヌヒカリ』系譜図



参考文献(敬称略)

〇コシヒカリ物語~日本一うまい米の誕生~:酒井義昭
〇水稲新品種「キヌヒカリ」の育成:北陸農業試験場報告




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2018年11月20日火曜日

【粳米】福島9号~天のつぶ~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『福島9号』
品種名
 『天のつぶ』
育成年
 『平成22年(西暦2010年) 福島県農業総合センター』
交配組合せ
 『奥羽357号×越南159号』
主要生産地
 『福島県』
分類
 『粳米』


こんにちは、天のつぶです。


どんな娘?

誰よりも人間の醜さを知って、そして誰よりも人間の美しさを知っている娘。

柔らかい物腰ながらストレートな物言いで、誤解を招くことも多い。
それでも根は非常に優しく、ただ飾った言い方に抵抗があるだけであったりする。

デビューしてこの方、辛酸をひたすら舐めながら、それでも笑顔を絶やさない健気な娘。


概要

私は山形県の『どまんなか』や『はえぬき』に対して”悲運児”という言葉を使用していますが、真剣な話、彼女『天のつぶ』に比べれば生温いものです。

特性が悪いわけでもなく
産地が悪いわけでもなく
なぜ彼女はこれほど地べたを這わなくてはならないのか


高品質な『コシヒカリ』産地と名高かった福島県が、15年という長い歳月の果てにようやく得た県オリジナル品種『天のつぶ』。
平成28年頃よりブームになっているような高級ブランド米指向ほどではないにしろ、米どころでありながら主力となるオリジナル品種を持たなかった福島県、そして福島県農家にとっては何よりも待ちわびた品種だった…はずです。
県オリジナル品種第一号『ふくみらい』の失敗もあって、一般家庭用飯米として推進する計画を立てていました。


その名前は、「穂が出るときには天に向かってまっすぐ伸びる稲の力強さを」、そして、「天の恵みを受けて豊かに稔(みの)る一粒一粒のお米を」それぞれ表現しています。
福島県の清らかな水と大自然を活かし、農家のひたむきな情熱によって育まれたお米の一粒一粒を、福島県民はもとより、県外の多くの人々にも食卓に笑顔と温もりをもって、味わって頂けるよう、そんな想いを込められて命名されました。

『コシヒカリ』や『ひとめぼれ』に匹敵する良食味(低タンパク)。
食べ応えのあるしっかりとした食感で、見た目も光沢があり、粒ぞろいが良いとされています。
玄米は前述した二品種よりやや厚く、千粒重も重くなっています(粒が大きい)。
稈長は『ひとめぼれ』よりも短い「短」で耐倒伏性は「強」となっています。
葉いもち病抵抗性が「やや弱」とされるものの、穂いもち病抵抗性は「強」と判定され、葉いもちに罹病しても穂いもちへは移行しにくいものとされています。
耐冷性は『ひとめぼれ』よりは劣り、「やや強」ですが通常年においては問題ないものとされています。



平成22年に福島県の奨励品種に指定され、福島県産第三位の食用粳米として推進される…はずでしたが
覚えていない人はいないでしょう。
平成23年(2011年)3月11日、東日本大震災、そして福島第一原発の大事故です。
改めて述べるまでもなく、多くの被害をもたらした大震災でしたが、無論、デビューしたばかりの『天のつぶ』の普及にも暗い影を落としました。

まず、作付けの対象となるはずだった浜通り地方が、原発事故の影響で休耕を余儀なくされます。
さらにただでさえ人手不足傾向のあった農業に、自主避難などが拍車をかけ、人手不足の水田が目立つようになりました。
その様な状況で新品種に取り組める農家を当初計画通り増やせるわけもなく、主力飯米用品種としてデビューした『天のつぶ』も、多くは”飼料米用”として作付されたのです。
『天のつぶ』は短稈で倒れにくいので多肥に耐えやすく、病気にも強いため、手間をかけない飼料用に用いやすかった、というのは何とも皮肉です。

また「土壌による放射能汚染を避ける」という意味でも、倒伏しにくい特性の『天のつぶ』は奨励されたそうですが…

大震災から5年が経過した平成27年ですら、福島県内のとあるJAで集荷した『天のつぶ』約7,000トンの内、飼料用米として出荷されたのはなんと約5,800トン。
出荷量の4分の3近くが、飼料用米という結果だったそうです。

”多くの人々にも食卓に笑顔と温もりをもって、味わって頂けるよう”

そんな願いを込められた品種が、人の口に入る機会は…残念ながら少なかったと言わざるを得ません。
さらにこの頃の『天のつぶ』の取引価格(60kgあたり)は、原発事故の影響で下がった福島県産米の、さらに500円ほど下とまさに地を這わされるような状態でした。

しかしそう暗い話ばかりではありません。
平成28年産からは他福島県産米との価格差は100円程度まで縮まり、福島県は『天のつぶ』専用肥料も登場させるなど、品質の向上に努めています。
福島県の復興と共に、少しずつ、でも確実に、前に進んでいるものと信じたいです。



震災と同時に世に出て、福島県の復興と共に歩んできた彼女は、これからも前を見て、進み続けていくことでしょう。


育種経過

1980年代後半から消費者の良食味志向にこたえる形で『コシヒカリ』が、そして平成5年の大冷害を契機に『ひとめぼれ』が福島県内での作付けを伸ばし、平成23年(2011年)時点ですら、この二品種で福島県内の作付の90%以上を占めていました。

米需要の変化とともに『コシヒカリ』自体の価値が下がり、他の米との価格差が減少してくると、生産現場からは『コシヒカリ』より多収で、栽培特性に優れる品種を求める声が高まりました。
そんな実需者の、低価格で、かつ良質な米を求める声に応えることを期待されたのが平成7年から育成が進められてきた『天のつぶ』でした。


当初の育種目標は『コシヒカリ』『ひとめぼれ』よりも短稈で倒れにくく、良質・良食味の品種の育成でした。

平成7年(1995年)8月、福島県農業総合センターにおいて母本『奥羽357号』、父本『越南159号』として人工交配された後代から選抜されました。

母本の『奥羽357号』は東北農業研究センターで育成された『ひとめぼれ』の血を引く良食味系統。
父本の『越南159号』は福井県農業試験場で育成された『キヌヒカリ』の血を引く短稈、かつ強稈な品種です。

平成7年(1995年)8月、人工交配により45粒の種子を得ます。
同年10月、その内の10粒を播種、世代促進温室内で養成し、翌平成8年(1996年)3月に採取しました。

平成8年(1996年)はさらに世代促進温室内で4~7月にF2世代を1518個体、8~12月にF3世代を1518個体で養成し、全量採種します。

平成9年(1997年)、F4世代から個体選抜が始まります。
およそ2600個体を圃場に展開し、中生の早~晩生という広い出穂期、稈長も短稈~稈長までという幅広い個体群の中から、出穂期が中生~中生晩のもの、穂重感があるもの、稈長が短いものなど30個体を選抜します。
さらにその中から室内において、品質調査をもとに22個体まで絞り込みます。

平成10年(1998年)、選抜したF5世代22個体を単独系統として養成。
22系統全てにおいて耐倒伏性は良好、止葉が直立し草姿は良好でしたが、耐冷性の強い系統は見受けられませんでした。
固定度と熟期を元に2系統を選抜し、さらに室内において品質に依り1系統が残されます。

平成11年(1999年)選抜されたF6世代1系統を1系統群3系統として養成し、『群系322』の系統番号が付与されます。この年に生産力検定予備試験が実施されます。
また、浜地域研究所において葉いもち、穂いもち、いもち病真性抵抗性遺伝子型、耐冷性の特性検定試験に供されます。
結果、『群系322』は『コシヒカリ』『ひとめぼれ』『ふくみらい』に比べて収量、品質で優りながら、倒伏は全く見られず、このころから耐倒伏性の強さがうかがい知れます。

平成12年(2000年)F7世代は引き続き生産力検定予備試験と特性検定試験に供試されます。
結果、『ひとめぼれ』以上の品質と同等の良食味、そして耐倒伏性「強」、穂いもち病ほ場抵抗性「強」と、有望系統として認められ、平成13年(2001年)F8世代に『福島9号』の地方系統番号が付されました。

平成13~17年(2001~2005年)、『福島9号』は会津地域研究所、浜地域研究所および東北中南部各県の奨励品種決定調査に配布され、奨励品種としての適否が検討されます。
その結果、育成中判明していた良食味、耐倒伏性の強さに加え、白未熟粒が少なく、刈り取りが遅れても品質低下が少ない事が確認されます。

平成18年(2006年)F13世代の栽培から1年間の保存期間を挟んで、平成22年(2010年)F16世代が種苗法に基づく品種登録申請されます。


その後、一般公募によって『天のつぶ』と命名されます。




系譜図


福島9号『天のつぶ』系譜図




参考文献

〇水稲新品種「天のつぶ」の育成:福島農業総合センター研究報告







2018年11月17日土曜日

【粳米】~いのちの壱~(龍の瞳・銀の朏)【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『なし』
品種名
 『いのちの壱』
発見年
 『平成12年(西暦2000年) 岐阜県下呂市 今井隆氏』
品種登録年
 『平成18年(西暦2006年)』
交配組合せ
 『コシヒカリ栽培ほ場で発見』
主要産地
 『岐阜県』
分類
 『粳米』

ぼくの名前、ちゃんと知ってる?『いのちの壱』だよ

様々な食味コンテストで入賞している極良食味の代表品種、『いのちの壱』の擬人化です。


どんな娘?

お米界の麒麟児。

飄々としていながらも非常に芯が強い娘。

同じ岐阜県の先輩ハツシモ岐阜SLに親近感を持ち、後ろにくっついていることが多いです。

コシヒカリが親と言われることが多いものの
実はそのコシヒカリとは距離感がつかめず、会うに会えない日々が続いています。


概要


日本の水稲品種はほぼ公的機関(国・県)が育種したものですが、『いのちの壱』は比較的珍しい民間で品種登録されたものになります。(ただ、突然変異株を発見して固定したという意味では、”民間育種”とも少し違っている…かな?)
民間ならではというか、記録や研究という点では不明瞭(抽象的・誇張的表現が多い)なところが多い品種になっています。


『いのちの壱』といえば

◇発見者の今井隆氏の合資会社「龍の瞳」が販売している『龍の瞳』(商品名)
◇生産グループ「合同会社まん丸屋」が販売している『銀の朏(みかづき)』(商品名)

この2つが有名どころになるかと思いますが、じゃあ品種名『いのちの壱』をちゃんと認識している人はどれくらいいるのか不安(な管理人)。

細かいようですが『豊橋1号(女神のほほえみ)』も「『龍の瞳』から生まれた」とされることが非常に多いのですが、『龍の瞳』はあくまでも米としての商品名なのでこの表現はおかしいです。
稲としての名前はあくまでも『いのちの壱』なのですから


『いのちの壱』は粒の大きさが『コシヒカリ』の1.5倍と、とにかく米粒の大きさが特徴です。
そして香り、粘り、甘みなども格段に良い、極良食味品種(と言っても客観的・平均的にどうなのかは不明)としても有名です。
耐倒伏性は「弱」で、病気にも弱く、縞葉枯病抵抗性も日本水稲型(+)です。
意外なところで玄米の見かけの品質は「下の上」で、さほど良くない評価(実際生産地の1等米比率も低い)の様子で、蛋白質含量も「やや高」となっています。
公的試験場レベルなら恥ずかしくて表にも出せないレベルですが、これが「高級米」として売られているのはこれいかに?



繰り返しになりますが、水稲品種『いのちの壱』はだれでも栽培・販売(種籾も)できますが、『龍の瞳』『銀の朏』として売られているモノは、また差別化の図られたブランドになっており、第三者がこの名称で販売することは禁止されています。

◇製品『龍の瞳』
・飛騨産米および岐阜県産米
・農薬使用量は岐阜県の定める量の1/3程度
・マグネシウム・カルシウム資材2種の肥料を使用
・品質(一等・二等米)、美味しさ(水分・タンパク質・アミロースを化学的に分析+食味試験)、粒の大きさ(一定以上?)をクリアしたもののみ出荷。

◇製品『銀の朏』
・飛騨及びその周辺地域の中山間地(標高600m前後の高地)で栽培
・低農薬栽培
・化学肥料不使用



育成経過

平成12年(2000年)、岐阜県下呂市で今井隆氏が作付けしている『コシヒカリ』ほ場の中に、ひときわ背の高い個体が二株(※1)並んでいるのを発見します。

”『コシヒカリ』よりも背が15cmほど高く、籾はとても大きく、茎は太くてたくましい姿だった”とのこと。

今井隆氏は当初、新品種とは思わず、酒米の『ひだほまれ』が混入したものと思ったそうですが、”直感的に”違うものだと思った?そうです。

平成13年(2001年)に約5坪(約16.5㎡=0.16畝)で作付。
同年に試食し、『コシヒカリ』その他既存品種に無い見た目と食味の良さから新品種であることを確信したそうです。
平成14年(2002年)には2aに作付。
その後も品種登録に向けて選抜と栽培を繰り返します。

平成17年(2006年)に『いのちの壱』で品種登録申請。(※2)

(理由は不明ですが)翌平成18年(2007年)に今井隆氏は育成者権を放棄していますので、品種登録後まもなくしてだれでも『いのちの壱』の種もみ・苗を販売できるようになったようです。
その為か、自家採種して『いのちの壱』を栽培しているところも多い?のかもしれません。

とは言え、原原種の保存をしているのはあくまでも今井隆氏の合資会社「龍の瞳」であり、株式会社中島稲育種研究所に委託されているものこそが本物(管理・選別がしっかりなされているという意味で)の『いのちの壱』ということになるでしょうか?

2018年からは正式に原原種から原種栽培、そして種籾採種と、公的機関の種籾生産と同じ行程を用いるようになりました。


※1
他にも既存品種の中から見つかった『イセヒカリ』もですが、ほ場に二株並んで(同じ)
変異株があるというのは、常識から言えば考えにくいことです。
変異株の種籾は、当然、前年に変異した株から採取されたものになります。
それは他の何千何万という他の種籾とごちゃ混ぜになるはずであり、それはランダムに育苗箱に播種され、さらに育った苗は田植え機を使ってさらにランダムに植え付けられます。
つまり、前の年に変異した種籾が、”奇跡的に”育苗箱に近接して蒔かれ、”奇跡的に”連続して田んぼに植えられた…というとんでもない奇跡の結果ということになるはずですが…
ただもうその点は確かめようがないので、真実は不明…というところでしょうか。


※2
品種登録をする際の品種名は、商標登録されているものは使用できません。
合資会社「龍の瞳」は米の販売名を『龍の瞳』として商標登録していたので、品種名は『いのちの壱』として品種登録を行いました。



系譜図

”『コシヒカリ』栽培田の変異株から選抜された”ものであって、”『コシヒカリ』の突然変異種”断定されているわけではない点には注意が必要…かな?(でも一応品種登録の際には”コシヒカリの変異株”としている様子)

発見者の今井隆氏がさらっと「『コシヒカリ』の遺伝子がほとんど含まれていない」と書いていた(ただ何を根拠にしているか不明)ので、”出自不明”というのが正確なのかもしれません。

『いのちの壱』系譜図【暫定】



参考文献

〇銀の朏「こだわりの栽培」:http://ginnomikazuki.com/kodawari/index.html




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