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2021年3月7日日曜日

『改良羽二重糯』のナゾ 『滋賀羽二重糯』と『新羽二重糯』の関係は?



滋賀県の高級糯品種とされる『滋賀羽二重糯』。
『滋賀羽二重糯』は『改良羽二重糯』からの純系淘汰により滋賀県で育種された品種です。
では、その『改良羽二重糯』とは何者であるか?については『改良羽二重糯14号』ではないかと推測しました【以下参照】


さて…
同じ名称の”改良羽二重糯”から選抜され、かつ京都府の現役である糯品種に『新羽二重糯』があります。
こちらの”改良羽二重糯”とはいったい何者なのでしょうか?

稲品種データベースでは「羽二重糯 2次選抜」と記載。
農林水産省の奨励品種特性表(平成28年度版)では「改良羽二重糯から純系分離 京都農試 昭和21年」
なにやら微妙に異なります。
米品種大全では「京都農試が改良羽二重糯からの純系淘汰で昭和21年に育成」と…どれが本当でしょうか?

そして『滋賀羽二重糯』の選抜元である『改良羽二重糯』との関係は?
普通に考えれば両品種の『改良羽二重糯』は同じ品種のようにも思えますが・・・?


目次
 

(復習)滋賀県へ問い合わせた時に得た情報

『滋賀羽二重糯』の由来を調べた際、滋賀県農業技術振興センターに問い合わせたところ、「滋賀県稲作指導指針(令和元年3月発行)」を頂けました。
そこに書いてある内容は

・『滋賀羽二重糯』の選抜元となった『改良羽二重糯』は京都農試からの取り寄せ品種。
・京都農試では在来の『羽二重糯』から純系淘汰により『羽二重糯1号』を育成し、奨励品種に採用。その後昭和7年に『羽二重糯1号』が『改良羽二重糯』と改名され、その配布を受けて昭和14年に『滋賀羽二重糯』が育成された。
・京都農試では同じ『改良羽二重糯』から昭和21年に『新羽二重糯』を育成した。


滋賀県(平成元年時点)の記録による『改良羽二重糯』関係図(本当かどうかはわからない)


これは稲品種データベースにおける「羽二重糯 2次選抜」という表記について、「羽二重糯→羽二重糯1号→改良羽二重糯」ということで合致しますし、農林省の特性表における「改良羽二重糯より選抜」とも合致しています。

ここでは『滋賀羽二重糯』と『新羽二重糯』は同じ「改良羽二重糯から選抜」された品種、とされているようです。


『新羽二重糯』の元『改良羽二重糯』の正体は…?

これが「滋賀県に”平成時点で”残っている記録」です。
しかしながら「『羽二重糯1号』を『改良羽二重糯』に改名」、この部分はおそらく間違いであることも判明しています。

『滋賀羽二重糯』の親『改良羽二重糯』の正体は?で詳しく紹介していますが、当時の京都農試の記録を確認した結果は、前述した滋賀県の記載と異なりました。

京都府の『改良羽二重糯』は「『羽二重糯』と『早生神力』からの交雑育種品種」である可能性が非常に高いです。(『羽二重糯1号』の純系淘汰ではない
京都府育成の『羽二重糯×早生神力』雑種後代については、昭和7年に『改良羽二重糯〇号』の名称が付けられており、最終的に『改良羽二重糯14号』が原種圃に設置され「改良羽二重糯」として配布された可能性が高いです。

よって『滋賀羽二重糯』の親である『改良羽二重糯』は交雑育種された『改良羽二重糯14号』であろうと思われます。

改良羽二重糯27号『滋賀羽二重糯』系譜図(推定)


ということで、滋賀県に公式に残っている記録ではありますが、実際育成した試験場の記録とは異なっている部分もあるようです。
少なくとも「滋賀県稲作指導指針(令和元年3月発行)」に記載されている内容には多少なりとも大正当時の京都府側の記録と齟齬があるようです。

では?
「”改良羽二重糯”から選抜された『新羽二重糯』」とは、ここでいう『滋賀羽二重糯』の選抜元と同じ『改良羽二重糯14号』からの選抜なのでしょうか?
それともほかの”改良羽二重糯”があったのでしょうか?


京都府農林水産技術センターへ問い合わせ


『新羽二重糯』の選抜元である『改良羽二重糯』の由来は何なのか?

『新羽二重糯』の奨励品種への採用年次が昭和21年(1946年)であれば、そして純系淘汰による育種であれば、遅くとも5~6年前の昭和16年(1941年)頃にはその育成が開始された記録が何かしらあるはずです。
…なのですが、太平洋戦争が影響しているのか京都府立農事試験場の業務功程は昭和15年(1940年)から昭和20年(1945年)にかけて発行されておらず、この年代の京都農試の発行資料も見つけられませんでした。
こうなるともう個人にはお手上げです。

しかし、『新羽二重糯』は何といっても京都農試が育成した品種です。
後身である京都府農林水産技術センターに聞けば何かわかる…かもしれなかったのですが

やはり戦前・戦中の資料となると都道府県でも保存していることは少ないようで、京都府農林水産技術センターでも昭和15年以前と昭和21年以降の業務功程しかなく、かついずれにも『改良羽二重糯』の由来に関する記述はなかった、とのことでした。

まず現代の京都府では『改良羽二重糯』の由来は把握していないということはわかりました。(「わかっていないことがわかった」というのも重要な一歩です。) 

京都府立農事試験場の業務功程で確認できた内容は(昭和8年まではこちらで確認できているので昭和9年以降の確認をお願いしました)

〇昭和9年~昭和12年の間に『改良羽二重糯』が原種栽培されていること
〇昭和21~22年の2カ年に『新羽二重糯』が奨励品種決定試験に供試されていること
〇昭和23~24年の2カ年に『新羽二重糯』の標準栽培試験が実施されていること

昭和21年にはすでに『新羽二重糯』が存在していたことは間違いないようですが、由来が何も書かれていないのでは、どのように育成されたのか、『改良羽二重糯』の正体もわかりません。


では他に何か資料はないか?そして発見

ということで手当たり次第それっぽい名前の資料を探してみました。

そこで見つけたのが農林省農事試験場資料第1号「稲・麦品種の特性表と分布圏」でした。

1949年6月発行で各都道府県における稲・麦品種の奨励品種が記載されています。
最初に紹介した農林省発行の奨励品種特性表の初期に当たるものと推測されます。
1949年(昭和24年)発行であり、内容については「昭和21年度における各府県の奨励品種について各府県立農事試験場の記載をそのまま記載したものである」とされており、昭和21年奨励品種採用年のまさに該当年における最新情報で、情報の正確性も期待できます。

そしてここで『新羽二重糯』の来歴の記載がありました。
その内容は
「滋賀県ヨリ取寄セ 昭和21年奨励品種」


農林省発行の特性表を追ってみる

これはどういうことでしょうか?

『改良羽二重糯』と言う品種が少なくとも1つ、京都農試が育成し、かつ原種圃に存在したことは確かです。
そしてその『改良羽二重糯』から純系淘汰育種したのが『新羽二重糯』、というのはいかにもありそうな話でした。

しかしこの記述が正しいとすると、『新羽二重糯』は京都農試でそもそも育成しておらず、滋賀県で育成された品種を採用した、と言うことになります。
しかしこの戦時において京都農試も滋賀農試も業務功程を作成していません。
農林省発行の特性表をなるべく追ってみるしかないようです。



昭和21年~43年の特性表の推移

と言うわけで以下の通りです。
ただこの特性表、かなり記述内容が杜撰なことが窺えます
明らかな間違いも多いですが(※)の部分はひとまず原文ままです。

【昭和21年時点】昭和24年6月発行
滋賀県ヨリ取寄セ 昭和21年奨励品種

【昭和29年時点】昭和30年6月発行
改良羽二重※の純系淘汰 昭和21年奨励採用

【昭和36年時点】昭和37年7月発行
改良羽二重糯の純系淘汰 昭和5年奨励採用※

【昭和38年時点】昭和39年11月発行
改良羽二重糯の純系淘汰 昭和5年奨励採用※

【昭和40年時点】昭和41年12月発行
酒造用品種『祝』が重複記述(粳の欄と糯の欄両方に『祝』の記述がある)され『新羽二重糯』の記述がない(明らかな誤植)
しかも正誤表にも特段記述がないため、この記述ミスに誰も気付かなかったものと思われる

【昭和42年時点】昭和43年12月発行
改良羽二重糯の純系淘汰 昭和5年奨励採用※

参考
【平成6年時点】平成7年10月
「改良羽二重糯から純系分離 京都農試昭和21」昭和21年奨励採用


当初「昭和21年奨励品種採用」だったものがなぜか昭和37年発行の特性表からは「昭和5年奨励品種採用」と変化しています。
ただ昭和5年の時点で京都府において『新羽二重糯』が奨励品種に無いこと、『新羽二重糯』の近くに記載されていた『葛糯』の奨励品種採用年が昭和5年であることから、昭和37年以降の昭和の特性表における「昭和5年奨励品種採用」は『葛糯』からの誤植であると思われます。

それにしても「滋賀県から取り寄せ」となっているのは最初の昭和24年発行の特性表だけで、あとは(脱字も含みで)「改良羽二重糯からの純系淘汰」としか書かれていません。
ただし、昭和の時点では「京都農試が育成した」とも書かれていないことも事実です。



平成の滋賀県まで続いている説の元を発見(多分)

せっかく見つけた資料ですが、この特性表だけではどうも内容に一貫性がなくはっきりしません。
他に何か資料はないか?と探して新たに見つけたのが
昭和39年12月に京都府立農業試験場が発行した「京都府における水稲奨励品種の解説」でした。

ここに記載されていた『新羽二重糯』の来歴がまさに、最初に発見・紹介した「滋賀県稲作指導指針(令和元年3月発行)」の内容でした。
滋賀県ではおそらくこれを参考に記述したものと思われます…が、最初に述べておきますがこの資料の精度、非常に怪しいです。

要約すると(この文中ではなぜか「新羽二重もち」等となっているので、原文まま)
①京都府南桑田郡(亀岡市)にはもともと「羽二重もち」という糯品種が栽培されていた。
②京都府立農事試験場では大正9年から大正13年にかけて選抜育種を実施し、「羽二重もち1号」と命名、昭和3年に「羽二重もち」と改称。
③その後も選抜が続けられ、昭和7年に耐病性に難があるものの、倒伏に強い多収・良質の系統が育成され「改良羽二重もち」と命名された。
④その後も改良が続けられ、昭和21年に耐病・耐倒伏性に優れ多収良質の系統として育成されたのが「新羽二重もち」である。
⑤奨励品種採用年度は昭和5年度。

はい、まず真っ先に⑤がおかしいですね。
④で「昭和21年に育成された」と述べているのに、奨励品種採用年が遙か昔の「昭和5年」と意味がわかりません。
『羽二重糯』や『改良羽二重糯』の奨励品種改廃年にも合致しませんし、「昭和5年の時点で「羽二重糯」と名の付く品種が奨励品種にない」、この点はちゃんと業務功程が残っていますから明白です。
ちなみに特性表で奨励品種採用年度が「S21年→S5年」になっていたのも昭和37年頃からです。
この「京都府における水稲奨励品種の解説」、著者は「桐村覚」となっていますが、この職員が赴任してから間違った資料を作り続けているのではないでしょうか?
まず「もち」と「糯」、品種名を間違えていたり、昭和30年後半から特性表で『新羽二重糯』の記載が重複で抜ける・記載ミスのような部分が出てくる、など・・・なにかとこの職員がいたと思われる頃から京都農試関係の資料が雑になっています。

…まずは事実確認を続けましょう。
①と②の内容については裏付けもとれ、実態と合っています。

ただし③の内容については、『滋賀羽二重糯』の親『改良羽二重糯』の正体は?で記載していますが、残存する記録で該当するものはありません。
『改良羽二重糯』は純系淘汰ではなく、交雑育種により育成された品種です。

そしてさらに不可解なのは「昭和21年に育成された」と同文中で書かれているこの『新羽二重糯』について、奨励品種への採用年以外にも、「昭和5年から栽培面積の増減はない」と記載されていることです。
「昭和5年に650ha、同15年450ha、同24年529ha、同39年424haの栽培面積」と記述されていますが、これは一体何を言っているのか?
24、39年はともかく、5年、15年は何の作付面積のことを言っているのでしょうか?

参考までに別資料を参照しますので、復習をば。
『羽二重糯1号(羽二重糯)』は大正12年から昭和4年までが奨励品種期間、『改良羽二重糯』は昭和8年から昭和12年(推測)まで奨励品種になっています。
これを踏まえて
昭和5年発行の「地方産米ニ関スル調査」では、『羽二重糯(羽二重糯1号)』の作付面積は350町歩。
厳密に言えば「ha」と「町歩」では微妙に面積が異なり、かつこの資料は昭和3年時点での数字と思われますが、650と350と大きく差が開いています。
昭和3年時点ではまだ『新羽二重糯』は奨励品種ですから面積の記載もありますが、次の昭和8年発行の「地方産米ニ関スル調査」では原種から外れたためか統計から姿を消しています。
そして昭和11年発行の「地方産米ニ関スル調査」では昭和10年度の作付面積として『改良羽二重糯』300町歩が記載…と

まず何度でも言いますが昭和21年育成の品種の作付けが昭和5、15年にあるはずもなく、”羽二重糯系”と広い目で見ても奨励品種は『羽二重糯』→『改良羽二重糯』と変遷があり、指定年にも空白期間があるのですから面積変動も大きいです。
「桐村覚」氏は一体何を見て、何を考えて「昭和21年育成品種「新羽二重もち」は昭和5年に650haの作付けがあった」と意味のわからないことを書いているのでしょうか?

特性表の時にも述べましたが、『新羽二重糯』に近接して記述されていることの多い同じ糯品種の『葛糯』は「昭和5年奨励採用、作付面積600ha程度」です・・・これの誤認?


無論、「実は交雑育種の『改良羽二重糯』とは別に、『羽二重糯1号』から純系選抜した『改良羽二重糯』と呼ばれた品種が存在したが公報等の記録には記載されておらず、桐村覚氏が試験場の育種記録等を調べてこの事実を発見し、記載した」可能性はありますが…


最初に述べたとおり、この「京都府における水稲奨励品種の解説」と言う資料は「京都府立農業試験場発行」という肩書きだけは立派ですが、記述内容は他資料との整合もとれず、意味不明な部分も多いです。
同じ昭和と言っても、昭和21年から20年近く経過しているわけですから、当時の京都農試職員でも『新羽二重糯』の来歴についてはっきり覚えている人がいたかどうか怪しいところでしょう。
墨猫大和としては、この資料の記述は間違いである、と結論づけたいと思います。
桐村覚とか言う職員がろくでもないやつだったんじゃないかと思います(私怨・無根拠

特性表の奨励品種採用年度が途中で変わったのもこの職員のせいでしょう。
根拠資料が見いだせれば見方も変わるかもしれませんが…

稲品種データベースの「羽二重糯の2次選抜」というのもおそらくこの資料に基づいているものと思われます。

さらなる間違いを発見 昭和30年時点で既に

前述の京都農試の「京都府における水稲奨励品種の解説」より前、昭和31年(1956年)に発行された「昭和30年産米 稲作実態調査」を見つけました。
『新羽二重糯』というか『羽二重糯』に関する誤記は昭和30年のこの時点で既に始まっていたようです。

「京都府における水稲奨励品種の変遷」という、京都府における水稲奨励品種の指定期間を示したグラフが掲載されているのですが…
まずこれには『羽二重糯』しか品種名がありません。
そしてその『羽二重糯』は昭和5年からグラフが始まっており、昭和11~12年頃に「改良」、昭和20~21年頃に「新」の注記がグラフ上にしてあります。
さも、3品種が「一連の羽二重糯系品種」であるかのように扱っており、これを裏付けるかのように「主要奨励品種の年時比較」という記述の中では「昭和初年より現在に至るまでの約30年間継続したものは愛国1号、羽二重糯、くず糯である」とされています。

明らかな交雑品種である『改良羽二重糯』の実態を把握していないのか「『羽二重糯』の改良」程度しか認識していない様子です。
しかも奨励品種指定期間においては『羽二重糯』は大正14年、『改良羽二重糯』は昭和8年に原種圃に設定されている業務功程の記録とまるで合致していません。
ですがこの記述内容が桐村覚の記述内容とほぼ合致していることが分かるかと思います。

この資料は表紙において”京都府”としか記載されていないので、農業試験場ではなく京都府政側が編著者なのかもしれません。
そうすると農業試験場の人間ではない門外漢が文字の羅列だけで判断して「羽二重糯をちょっとずつ改良しながら奨励品種指定してたんだな」とか、想像でこのような記述をしたのではないでしょうか…
と、理由についてはどこまで行っても想像でしかありませんが

奨励品種指定期間が明らかに違う
『改良羽二重糯』は交雑品種である

ことは当時の業務功程と比較するだけでも明らかですので、この資料の信頼度も相当低いものと言えるのではないでしょうか。
桐村覚も、大正・昭和初期当時の資料を確認もせず、この資料の間違いに気付かないまま引用した可能性は非常に高いと思われます。


昭和30年以降の資料は信用できない…とすると?

昭和30年の京都府発行の資料で既に間違いが発生しており、その間違いをそのまま踏襲して昭和37年発行の特性表から奨励品種採用年度が誤っていること、そして昭和39年に京都府立農業試験場が発行した資料で「羽二重糯→改良羽二重糯→新羽二重糯」を公言してしまっている以上、昭和30年以降の資料は、たとえ京都府立農業試験場交付のものでもまるで参考になりません。

となると、やはり
昭和24年(1949年)発行の農林省農事試験場資料第1号「稲・麦品種の特性表と分布圏」の記述が正しいと仮定するしかありません。

すなわち「『新羽二重糯』は滋賀県から取り寄せた品種」という記述です。
同資料で供試年数は「昭和16~20年」とされているので、少なくとも昭和15年に滋賀農試から京都農試に渡ったと推測できます。

そしてその昭和15年は『滋賀羽二重糯』が奨励品種に採用された次年にあたります。
『滋賀羽二重糯』の来歴を振り返ると

・昭和8年に『改良羽二重糯』が京都府から滋賀県へ
・昭和9年から『改良羽二重糯』について滋賀県で純系淘汰開始、昭和13年度育成完了
・昭和14年から『改良羽二重糯』選抜系統(27号)を『滋賀羽二重糯』として奨励品種指定

滋賀県における『改良羽二重糯』関係の選抜試験は昭和13年には終わっていることになります。
その後年となる昭和15年に京都農試が滋賀農試から「改良羽二重糯からの選抜種」を取り寄せたとすると・・・必然的に『滋賀羽二重糯』ということになるのではないでしょうか?



『新羽二重糯』=『滋賀羽二重糯』?


『新羽二重糯』=『滋賀羽二重糯』と仮定した場合、昭和30年以降の特性表で「改良羽二重糯から純系淘汰」とされていることとは一応矛盾しません。

では、品種の特性は似ているのでしょうか?

『新羽二重糯』と『滋賀羽二重糯』の昭和24年~43年発行の特性表における各数値は以下のとおりです。(穂数は22株/㎡として換算しています。)
『新羽二重糯』特性表一覧

『滋賀羽二重糯』特性表

と、これだけでは何が何やらでしょうから、すべての年度を平均して比較すると以下の通りです。
ただ・・・正直言って『新羽二重糯』の方は昭和41年は抜けていますし昭和39年から供試年数が「昭和3~4年」と育成前の年次が書いてあったり昭和39年と昭和43年の値がほぼ同じだったりすさまじく怪しいんですが・・・多分「桐村覚」とかいう職員の雑な仕事のせい
怪しい怪しいとばかり言っていては何も進まないのでひとまず平均値を比較します。



※品種育成ド素人である管理人による素人判断です(ぶっちゃけこんな特性表だけで比較して似てる似てないなど言うのも不毛なのですがそれではつまらないので)
※試験条件が同一かどうかわかりません(本来であれば同条件同圃場で比較試験するべき)

出穂期と成熟期はほぼ同時期、他品種特性はほぼ同じです。
違いが見えるのは「穂数」と「千粒重」です。
『新羽二重糯』の方が穂数が多く、千粒重も重いです(なのに玄米重が『新羽二重糯』の方が軽いっておかしいんですけど・・・)

とは言えこれも・・・「穂数」と「千粒重」のみの推移を比較すると以下の通りです。





昭和24年、30年の初期の特性表では両者にほぼ差はありません、
しかし『新羽二重糯』の「穂数」と「千粒重」の両方とも、年が進むほどに増加傾向が見られます。
「千粒重」に関しては、逆に『滋賀羽二重糯』は年々減少傾向が見られ、これが最終的な平均値の差に表れているものと思われます。
これは元々両者は同じ品種で、滋賀県と京都府で系統保存する中で少しずつ差異が生まれていったものとみることが出来るのではないでしょうか?


以上より、あくまでも墨猫大和の独自論ですが
「『新羽二重糯』は滋賀県から取り寄せた『滋賀羽二重糯』について京都府が付けた名称」
ではないでしょうか?
(『新羽二重糯』の元となった「改良羽二重糯」は『滋賀羽二重糯(改良羽二重糯27号)』)


平成の特性表における両品種

平成7年度版から平成28年度版まで、平成の特性表も農林省が公表しているのでこれも比較してみましょう。


播種期と田植期が大分異なっているので、出穂期と成熟期の単純比較は出来なくなってしまいましたが、やはり特性表はかなり似ています。
そしてやはり穂数と千粒重で多少の差異はあり、穂発芽性は完全に異なります。

たださすがにこれは当然と言えば当然の話で
京都府は『新羽二重糯』として
滋賀県は『滋賀羽二重糯』として
平成7年の時点でも50年近くそれぞれの地で系統保存されてきたのです。
元が同じ品種だったとしても、それだけの年数各試験場で経年栽培されれば、ましてや同じ品種だと認識されていなければ、なにかしらの遺伝的な偏りが出て当然です。
(「自家採種を続けるとその土地に適合して変化していく」なんて人間にだけ都合の良い空想を語る方もいますがそれとは違います。)


米の品種のDNA鑑定サービスもありますが、『新羽二重糯』と『滋賀羽二重糯』を判別できるとしているので、やはりすでに平成・令和現代においては両者が完全に別品種であることは間違いないです。
ただ、その始まりにおいては、同じ品種だった・・・とするのは早計でしょうか?


まとめ


昭和39年に京都府農業試験場が発行した「京都府における水稲奨励品種の解説」では
「京都農試は『羽二重糯』を純系淘汰し『羽二重糯1号』を育成、それをさらに淘汰して『改良羽二重糯』を育成、さらにそれを淘汰して最終的に『新羽二重糯』を育成した」
となっており、平成の滋賀県や稲品種データベースでもこの内容を踏襲しているようです。

ただ、『改良羽二重糯』が『羽二重糯1号』から選抜されたという記録は大正当時の京都農試にはありません。
また「京都府における水稲奨励品種の解説」の記載内容は明らかな間違いや他資料と整合性のない内容も多く散見されます。
『新羽二重糯』の育成から20年近く経過してから作成された文章なので、今では広く知られている内容ではありますが、これ(『羽二重糯』→『改良羽二重糯』→『新羽二重糯』と京都農試が育成説)昭和30年代当時の京都農試職員の調査不足からくる誤謬ではないかと推測されます。

『新羽二重糯』の奨励品種採用年により近い昭和24年における奨励品種特性表では、来歴について「滋賀県からの取り寄せ」とされています。
試験への供試年度が昭和16年~昭和20年となっていることから、取り寄せ年は昭和15年と推定されます。
その年度から考えて、当時「改良羽二重糯系」で滋賀県から取り寄せが可能なのは『滋賀羽二重糯』です。

そして昭和当時の『新羽二重糯』と『滋賀羽二重糯』の特性表を比較すると非常によく似ており、特に昭和20年代の初期ほどよく似通っています。

よって

京都農試は滋賀農試から『滋賀羽二重糯』を取り寄せ、『新羽二重糯』と改名し、奨励品種に採用したものと思われます。


ただ数十年という間、京都府・滋賀県の両試験場で独自の系統保存が行われたことから、すでに別品種と言って遜色無い差異は生まれているようです。


※昭和35年以前の資料で別根拠があればどうか教えてください。


参考文献

〇業務功程 昭和8年度~昭和10年度:京都府立農事試験場
〇業務功程 昭和20年度~昭和23年度:京都府立農事試験場
〇業務年俸 昭和25年度:京都府立農業試験場本場
〇京都府における水稲奨励品種の解説:京都府立農業試験場 桐村覚
〇昭和30年産米 稲作実態調査:京都府
〇滋賀県稲作指導指針(令和元年3月発行):滋賀県
〇地方産米ニ関スル調査(昭和5年発行):農林省農務局編纂
〇水陸稲ノ地域別耕種改善規準. 第4編 地域別耕種改善規(昭和16年発行):農林省農政局




2021年2月4日木曜日

『滋賀羽二重糯』の親『改良羽二重糯』の正体は?


『滋賀羽二重糯』は『改良羽二重糯』からの純系淘汰により滋賀県で育種された品種です。
これは間違いの無い事実であると共に、ネットで調べれば簡単に出てくる周知の事実です。

では、その『改良羽二重糯』とは何者であるか?
これがまったくわかりません。(わかりますか?)

稲品種データベースなどでも、系譜図には『改良羽二重糯』からしか書かれておらず、どこのどういった品種なのかわかりません。

ということで滋賀県に問い合わせてみたのですが…
より混乱する結果となりました。
が、それらしい答えには辿り着けましたのでご紹介します。

高級糯品種『滋賀羽二重糯』の母親(”生みの親”的な意味で)とも言うべき『改良羽二重糯』、その正体を追ってみました。

目次




滋賀県へ問い合わせ(第1回目)

『滋賀羽二重糯』の記事を作成するにあたり、滋賀県立農事試験場の業務功程を参照していましたが、『改良羽二重糯』の取り寄せ先に関する記述は何もありませんでした。
そこで滋賀県農業技術振興センターに問い合わせたところ、次のような回答を得ることが出来ました。

・「滋賀県稲作指導指針(令和元年3月発行)」に次のような記載がある。
・『滋賀羽二重糯』の選抜元となった『改良羽二重糯』は京都農試からの取り寄せ品種。
・京都農試では在来の『羽二重糯』から純系淘汰により『羽二重糯1号』を育成し、奨励品種に採用。その後昭和7年に『羽二重糯1号』が『改良羽二重糯』と改名され、滋賀農試ではそれを昭和8年に配布してもらった。
・『改良羽二重糯』を試験したところ分離が著しかったため、滋賀農試で昭和9年より純系淘汰を行い『滋賀羽二重糯』を育成した。
滋賀県(平成元年時点)の記録による『改良羽二重糯』関係図(仮)



やっと『改良羽二重糯』の来歴が判明!でも…?

ようやく明確な答えを得ることが出来たとうれしくなりました。(いやかなりいろんな古い資料手当たり次第探したんですよこれでも…)

しかし…しかし待った、と。

滋賀県を信用しないわけではありません。
しかし根拠となっている資料が「平成元年発行」という点に、この時代の調査をするなら基本的には疑いの目を向ける必要があります。(と偉そうなことを言ってますが当時の私は完全にこれを信じていました。)

別の記録ではどうなっているかと言うと…
九大(九州大学大学院農学研究院附属遺伝子資源開発研究センター)では2種類の『改良羽二重糯』が保存されています。
1つは長崎県産、もう1つは京都府産。
そして長崎の『改良羽二重糯』は「『羽二重糯』からの純系淘汰育種」とされていますが、京都の『改良羽二重糯』は「『羽二重糯』と『早生神力』からの交雑育種」となっているのです。

取り寄せ先の県(府)について誤っている…事はさすがに無いだろうと仮定すると

九大の記録が間違っている。
②滋賀県の『改良羽二重糯』の来歴認識が誤っている。
③両者の記録は正しく、京都府では同名異種の『改良羽二重糯』が存在していた。

のいずれか、ということになります。(④全ての記録が間違っている…はさすがにないでしょう…ないですよね?)

京都農試の記録、業務功程を遡りましょう

滋賀県が京都府から『改良羽二重糯』の配布を受けた、のであれば、真相を確かめるには京都農試の記録を遡ってみるしかありません。

「京都農試で『羽二重糯1号』を育成」
「昭和7年に『改良羽二重糯』と改名」
「昭和8年に取り寄せ」

これらの滋賀県の記録は、京都府の記録と合致するのでしょうか?


京都農試育成『羽二重糯1号』の来歴・記述

京都府南桑田郡における在来品種(元来の発祥地かどうかは不明)であった『羽二重糯』は早熟で分櫱も多く、品質の良い品種として知られていました。

この『羽二重糯』について、より稈が強く多肥に耐える多収品種の選抜を目標に、京都府農事試験場では大正9年(1920年)より純系分離による育種に取りかかります。

初年度は京都府南桑田郡から収集された『羽二重糯』を1畝歩(約100㎡)栽培し、55個体を選抜します。
2年目となる大正10年(1921年)、1個体(系統)につき120株を栽植し、特性調査を行った上で成績優良の16個体(系統)を選抜します。
3年目の大正11年(1922年)、『羽二重糯1号』から『羽二重糯54号』(番号中抜けあり)の16系統を各系統5坪(約16.5㎡)栽培し、収量・特性調査を実施し、『1,2,5,7,12,24,38,47号』の8個体(系統)が選抜されます。
大正12年(1923年)も前年と同様の条件で栽培、試験し『7,12,47号』の3個体(系統)が選抜されます。
大正13年(1924年)、有望系統『羽二重糯7号』『羽二重糯12号』『羽二重糯47号』の中から『羽二重糯7号』(実表記『羽二重糯七號』)がもっとも収量が多く、病害虫への耐性があるものとして有望認定されます。
『羽二重糯7号』は『羽二重糯1号』(実表記『羽二重糯一號』)に改称され原種指定・配布が行われました。

改称については明記されていませんが、翌大正14年(1925年)の丹後分場において「七號(羽二重糯一號)を原種に決定」との記載があることから間違いないものと思われます。
早生で品質が特に優れる優良種とされています。

京都府ではこの『羽二重糯1号』を『羽二重糯』として配布しており、途中から原種圃設置名も変更になっていますが、中身は変わらず『羽二重糯1号』で間違いないと思われます。

しかしこれも昭和5年(1930年)には原種圃からその姿を消しています


京都農試育成『羽二重糯×早生神力』の来歴・記述

『羽二重糯』の純系淘汰開始から2年後、大正11年(1922年)に品質良好、かつ早生で多収の糯品種を目標として人工交配が行われます。

母本は『羽二重糯』、父本は『早生神力』です。

翌大正12年(1923年)F1世代から昭和3年(1928年)のF6世代まで、特に選抜等の記述はなく「養成」としか書かれていません。
しかし昭和4年(1929年)の生産力検定試験に『羽二重糯×早生神力3』、『同7』『同9』『同12』『同14』『同17』の6系統が供試されていることからも、いずれかの段階で何らかの選抜は行われたものと推察されます。
昭和5年(1930年)、F7世代では詳細は書かれていませんが、人工交配後代の生産力検定試験に京都農試全体で「12組合わせ32系統」が供試されています。
『羽二重糯×早生神力』交配後代は、前年と同じ系統が供試されたと予想されます。
京都農試全体で「9組合わせ27系統」を次年度に供試すると記載されています。

F8世代も同じく本場の生産力検定試験に供試、この年から『羽二重×早神3号』等に表記が変わりました…のですが
前年度「9組み合わせ27系統」を供試すると書いてあったのに、なぜか昭和6年度の業務功程には「9組合わせ26系統」しか試験結果が記載されていません。
『羽二重×早神』のうち『14号』が姿を消しました。
なにはともあれ『羽二重×早神12号』が最有望とされています。
丹後分場でも試験が行われており、こちらは原種選抜試験に『羽二重×早神3号』と『羽二重×早神14号』の2品種が供試されています。

昭和7年(1932年)、本場の新品種決定試験に4品種が供試され、これが『羽二重×早神』が最後に確認できる年となります。
以降の年は記載が見られません。
※なぜか昭和7年度は『早生神力×羽二重糯』と表記が逆になっていますが、『羽二重糯』と『早生神力』の交配組み合わせは他にないので、今まで追ってきた大正11年交配『羽二重糯×早生神力』後代とみて間違いは無いでしょう。



京都農試の『改良羽二重糯』の来歴・記述

京都農試の業務功程で『改良羽二重糯』が初めて確認できるのは昭和7年(1932年)です。

本場の原種決定試験に『改良羽二重糯14号』が供試され、種子取寄先に「原種」と記載され、これが原種圃に設定されている、もしくは原種とする予定であることが窺えます。
丹後分場の原種選抜試験にも供試されており、『改良羽二重糯3号』と『改良羽二重糯14号』の2品種名が確認できます。 

翌昭和8年(1933年)、本場の耐肥性試験に『改良羽二重糯12号(中稲)』と『改良羽二重糯14号(早稲)』が供試されています。
どちらも肥料2割減の区画で最高収量を記録しています。

そしてこの年から原種圃に『改良羽二重糯』が設定されました。
(ただしなぜか原種圃の作付面積には記載なし)
昭和7年の原種決定試験の記載から推測するに、これは『改良羽二重糯14号』であると推測されます。


3品種の来歴を並べてみると…

ここまで説明した『羽二重糯1号』、『羽二重糯×早生神力』、『改良羽二重糯』の来歴を比較すると以下のようになります。



わかりやすいように品種名に色を付けてみました。
(察しの良い方ならここまでの説明だけで気付いているかも知れませんが)

昭和6年丹後分場の『羽二重×早神3号』『羽二重×早神14号』(生産力検定試験)
昭和7年丹後分場の『改良羽二重糯3号』『改良羽二重糯14号』(生産力検定試験)

昭和7年の『羽二重×早神12号』『羽二重×早神14号』(新品種決定試験)
昭和8年の『改良羽二重糯12号』『改良羽二重糯14号』(耐肥性試験)

『羽二重×早神』供試系統番号が『3、7、9、1214、17』
『改良羽二重糯』供試系統番号が『31214

どうでしょうか。
『羽二重糯×早生神力』の交配後代が奨励品種になったという明確な記述はありませんでした。
『改良羽二重糯14号』を原種とした、と受け止められる記載があっただけです。
しかし、これらの系統番号が共通していることから『羽二重糯×早生神力』交配後代で優秀と認められた系統は『改良羽二重糯』へと改名された、と見るのが自然でしょう。
と言うことは、原種となった『改良羽二重糯14号』は高い確率で『羽二重糯×早生神力14号』と言えるのではないでしょうか。(別々の育種系統同士の選出番号が全く同じでかつ試験供試のタイミングが完璧に合ったなんてとんでもない偶然が重なっていない限り)

『改良羽二重糯』系統については何も説明がなく、急に登場するので、滋賀県の記録を正しいと思っていた私は「なるほど、これが滋賀県の記録にあった『羽二重糯1号』からの純系淘汰後代か」と思って眺めていましたが…
一覧を書き出してみると『改良羽二重糯』の系統番号『3、12、14』はいずれも『羽二重糯×早生神力』の初期試験系統の系統番号と共通していますし、各試験に供試されている系統番号も共通しています。

昭和6年の生産力検定試験に『羽二重糯×早生神力14号』が供試されなかったのも、この時点で原種への指定が内々で決まっていたからではないか…とも推測できます。

滋賀県の記録では「昭和7年に『改良羽二重糯』へと改名」となっていますが、これは確かに京都農試で『改良羽二重糯』の名称が使われた年度と一致しています。
同年に『改良羽二重糯14号』が原種決定試験で「原種」とされていることからも、昭和8年の試験に間に合うように滋賀県が配布を受けることも十分可能でしょう。


以上より
少なくとも京都府で原種(奨励品種)になっていた『改良羽二重糯』については、母本『羽二重糯』、父本『早生神力』の交雑後代から育成された『改良羽二重糯14号』である可能性が非常に高いことが判明しました。

ただ、京都府に他の『改良羽二重糯』と呼ばれる品種はあったことは否定しきれません(悪魔の証明になってしまう…)
なにせ『”改良”羽二重糯』と言う名前ですから、純系淘汰にせよ交雑育種にせよ「羽二重糯を改良したものだ」というニュアンスで容易に命名することが予想されます。
昭和21年(1946年)に京都農試が育成した『新羽二重糯』の親となった『改良羽二重糯』についても、彼女は一体何者なのか、こうなるとわからなくなりました。
『滋賀羽二重糯』の選抜元と同じ『改良羽二重糯14号』なのか?はたまた滋賀県の記録にあるように『羽二重糯1号』純系淘汰系統が存在するのか?

この時代の京都農試業務功程等が図書館になくて調べられません…京都府にも問い合わせたのですが、確かな返答はもらえませんでした・・・・


新事実を元に滋賀県へ問い合わせ(2回目)

さて、可能な限りの事実は積み終わりました。
(『新羽二重糯』はとりあえず『滋賀羽二重糯』の出生に直接関わらないので放置)

・京都農試で『羽二重糯1号』を再淘汰した記述はない。
・京都農試で奨励品種にした『改良羽二重糯』は交雑育種の『改良羽二重糯14号』である可能性が高い。

であれば「滋賀県稲作指導指針(令和元年3月発行)」内における「『羽二重糯1号』を純系淘汰したのが『改良羽二重糯』である」と言う記述の根拠はなんなのか。
平成元年にしてももう30年以上も前のことです。
現職員の方に聞くのも酷ですが、駄目元でこちらの調査内容と、前述の記載の根拠資料はあるかどうか、滋賀県農業技術振興センターへ再び問合せを行いました。

…が
結論としては、やはり根拠は不明ということでした。

しかしながら新しい資料を見つけていただきました。
『滋賀羽二重糯』が奨励品種として採用された昭和14年発行の「滋賀県立農事試験場機関紙「治田(はるた)」第4巻第2号」に、『滋賀羽二重糯』の来歴に関する以下のような記述があったそうです。

「本種は昭和八年京都府立農事試験場より種子の配布を受け試験したが分離甚だしかつた為系統分離を行ひ、改良羽二重糯二十七号として試験し来(きた)つたものである。」

『改良羽二重糯』がどのような品種かは、やはりここでもわかりません。
ただこの昭和14年当時の記述を見ても、「京都農試から種子の配布を受けた」、このこと自体は間違いないようです。

まとめ

『滋賀羽二重糯』の選抜元は、平成元年発行の「滋賀県稲作指導指針」もあることですし、滋賀県の公式としてはやはり『改良羽二重糯(羽二重糯1号)』なのでしょう。

しかしながら
今回の調査結果から、京都府の『改良羽二重糯』は交雑育種の『改良羽二重糯14号』でほぼ間違いはありません。
別系統の『改良羽二重糯』が存在したこと自体は否定しきれませんが、やはり滋賀県の記録通り「羽二重糯→羽二重糯1号→改良羽二重糯」と2回も純系淘汰を挟んでいながら、なお分離が著しいというのも少し不自然に感じます。
在来種『羽二重糯』とは言え、仮にも試験場が2段階の純系淘汰をしたものが“著しい”と言われるほど分離するのでしょうか?
交雑育種後代の『改良羽二重糯14号』であれば、まだその可能性はあると思います。
…と言いつつも、昭和7年の配布時点で雑種第10代ですから、これが「著しい分離」をするのもまたおかしい話ではあるんですが…
純系淘汰後代よりはまだ交雑後代の方が比較して可能性は高いんじゃないですかね(なげやり)

と言うことで、墨猫大和独自判断により

『滋賀羽二重糯』の選抜元は『改良羽二重糯14号』である
(可能性が非常に高い)

と結論づけたいと思います。
当時の別資料、別情報お持ちの方、情報提供お待ちしております。



最後に
対応いただいた滋賀県農業技術振興センター様に改めてお礼申しあげます。



参考文献

〇業務功程 昭和9年度~昭和10年度:滋賀県立農事試験場
〇業務功程 大正9年度~昭和8年度:京都府立農事試験場
○滋賀県稲作指導指針(令和元年3月発行):滋賀県
〇滋賀県立農事試験場機関紙「治田」第4巻第2号:滋賀県立農事試験場


2021年1月24日日曜日

【糯米】改良羽二重糯27号~滋賀羽二重糯~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

系統名
 『改良羽二重糯27号』
品種名
 『滋賀羽二重糯』
育成(命名)年
 『昭和14年(1939年) 滋賀県立農事試験場』
交配組合せ
 『改良羽二重糯(改良羽二重糯14号)から純系淘汰選抜』(墨猫大和独自論)
主要生産地
 『滋賀県』
分類
 『糯米』

引く手数多、滋賀羽二重糯はわしじゃ



どんな娘?

高飛車で、高慢にも思われる態度が目立つが、その態度にそぐわぬだけの実力(実需者からの信頼)は持つ。
それ故にプライドは非常に高く、誰かに負けることを非常に嫌う。
そのような態度から彼女を苦手とする娘も多い。

昭和中期生まれの3品種が三太夫を務めるなど古参の勢力がより強い糯米の中でも、更にその上を行く古参で、第二次大戦中をリアルに知る数少ない存在。
正しい意味での「年功序列」を信奉しており、認めた相手には敬意を払うことは忘れない。(すなわち年功とは「長年の熟練によって得られた技能・功績」である)
同郷の大先輩ではあるが出戻りに近い滋賀渡船6号にもあくまでも対等か自分の立場の方が上であるかのような態度で接するが、この場合は相手(6号)が気にしないので特に問題になっていない。
ちなみに滋賀渡船2号については彼女が普及した時点で既に隠居状態だった(事に加えて正直品種としてさほど優秀とは言えない)ので・・・皆までは言わない。


概要

高級糯米品種とされる『滋賀羽二重糯』の擬人化です。
糯米の中でも粘りやコシが強く、きめが細かく、固くなりにくい性質から一般の餅用以外にも高級和菓子用として利用され、業界から高い評価を受けています。(でも『はくちょうもち』の方が固くなりにくかったりする)
1952年から1989年まで天皇陛下(昭和)に正月用の餅として献上され続けたこともあるとか?
『改良羽二重糯』からの純系選抜で育成された品種で昭和初期から令和現代まで栽培の続く大ベテラン品種です。

(平成26~28年試験結果)
普及地における熟期は中生の晩で、滋賀県平坦部における普通期栽培に適するとされています。
草型は中間~偏穂重型、稈長105cmと長稈で、穂長は23.8cm程度です
千粒重は約22.2gで、収量は約550kg/10a程度。
品質「上の下」、食味「上の上」と評される食味の非常に高い品種ですが、反面栽培特性には欠点も多いです。
いもち病耐性は葉・穂共に「弱」で、耐倒伏性も「弱」と、稲熱病に罹りやすく、倒伏しやすい品種ということになります。
加えて脱粒性、穂発芽性も「易」と、栽培しやすい品種とは言えないようです。(「倒れやすく」かつ「穂発芽しやすい」稲は、台風などで倒れて水に浸かると発芽してしまい、商品としての価値が大幅に落ちてしまう。『コシヒカリ』は倒伏しやすいものの、その場合でもほとんど穂発芽しない=商品価値が下がらないために、全国普及の一助になったとも言われる。)
ただ、白葉枯病と紋枯病についての耐性は「やや強」との判定です。


恒例のウィ○ペディアの間違い情報(R2年度時点)

このWi○ipedia記事からの引用か、もしくはそもそもの元凶なのかわかりませんが、間違った記述のサイトがちらほら・・・

①「改良羽二重」から選抜×間違い×
『改良羽二重糯』から、です。
「雄町米」の”米”みたいなノリで”糯”がついていると思われているのか、単なる打ち間違いか。
『改良羽二重糯』で品種名です。
「改良羽二重」と言う品種はありません(多分)が、農林省農業改良局農産課発行の昭和30年の資料で誤記載があったのでそこからの引用…かも?

②系統名は『滋賀糯59号』×間違い×
1994年度に育成を完了した『滋系糯59号』(『滋賀羽二重糯』へのガンマ線照射による突然変異)を見間違ったものと思われますが・・・何か根拠でもあるのでしょうか?
『滋賀○号』の地方系統名が使用されるのは平成初期(1994~1995年頃)に「県農業総合センター農業試験場」になってからで、しかも60号及び62号以降の数字です。
61号と59号以前はどこにいったかというと、それ以前の「県農業試験場」時代に『滋系○号』の形で使用されていますが、一番早い時期に命名された「滋系1号」ですら昭和35年(1960年)の品種です。
これより遙か昔、戦前の昭和12年(1937年)頃に『滋賀糯○号』なんて系統名が使われているわけがありませんよね。(後述)

③「1938年に育成を開始し、1939年に純系分離により育成」×間違い×
これも間違いですね。
1934年育成開始です(後述)



育種経過(墨猫大和独自論含む)

昭和9年(1934年)に滋賀県農事試験場において、『改良羽二重糯』(及び『中生旭』の計2品種)について、優良系統の選出を目的とした系統分離による品種育成試験が開始されました。
選抜元となった『改良羽二重糯』は京都府立農事試験場から配布を受けたものです。

滋賀県が配布を受けた昭和8年、糯の奨励品種は『滋賀白糯18号』しかなく、これは糯品種としては粘りが足りないのが欠点とされていました。
その欠点を補う意味で導入が予定されていたのが、京都農試で『羽二重糯』と『早生神力』の交配後代から育成された『改良羽二重糯』※です。

※詳細は【関連コンテンツ】『改良羽二重糯』の正体は?

品種として固定されているはずの『改良羽二重糯』ですが、いざ試作してみると分離が著しかった(個体のばらつきが大きい)ため、滋賀農試では純系淘汰による選抜を実施することとします。

初年度昭和9年(1934年)は約2,000個体を栽植し、その中から50個体を選抜します。

昭和10年(1935年)は前年の50個体を50系統として栽植し、優良系統を選抜し次年度に供しています。
これ以降の育種記録は残存しておらず詳細は不明ですが、この初期50系統(『1号』~『50号』)の中の『改良羽二重糯27号』が後の『滋賀羽二重糯』となる系統になります。

滋賀県にも育種記録は残っていないとのことで、ここから先は完全に推測でしかありませんが・・・
大正初期の慣例(後述※)のままであれば、選抜3年目となる昭和11年(1936年)は在来や基準品種を対照とした収量調査が各系統につき5坪×2箇所、都合10坪(約33㎡)の栽培面積で実施されます。
収量と共に特性も考慮して選抜が実施されたものと思われます。
続いて選抜4年目の昭和12年(1937年)も再度収量調査と優良系統決定試験、そしてここでは判断が下せず、翌昭和13年(1938年)も再度収量調査と共に有望系統の最終決定を行ったはずです。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
大正時代の滋賀県の純系淘汰は
1年目に複数箇所から集めた品種群の中から有望株を系統分離
2年目に固定度と特性検査(生育・出穂・成熟期等)で選抜
3年目に収量調査と特性を加味して選抜
4年目に再度収量調査を行い優良種を決定、命名、配布(原種圃の設置)
5年目に三度収量調査を行い優良種を決定、命名、配布(原種圃の設置)
と、4~5年で育成を完了しています。(例外や細部の違いはあり)
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


滋賀県の記録では昭和12年(1937年)から各郡の農会に試作を依頼したとされており、成績が良好と評されています。
そして昭和13年度(1938年度)に育成を完了しました。
最終的に昭和14年に『滋賀羽二重糯』と命名され、奨励品種に指定、種子配布が開始されました。
昭和、平成そして令和の時代においても、高品質の糯米として栽培が続けられています。



系譜図(墨猫大和独自解釈含む)


改良羽二重糯27号『滋賀羽二重糯』 系譜図



参考文献(敬称略)

〇業務功程 昭和8年度~10年度:滋賀県立農事試験場
〇業務功程 大正8年度~15年度、昭和2年度~8年度:京都府立農事試験場
〇滋賀県立農事試験場機関紙「治田」第4巻第2号:滋賀県立農事試験場
〇滋賀県稲作指導指針(令和元年3月発行):滋賀県
〇水陸稲・麦類・大豆奨励品種特性表 平成28年度版:農林水産省
〇「ラピッド・ビスコ・アナライザー(RVA)による滋賀県育成糯系統の加工適性に関する評価」:寺本薫
〇餅等の硬化が遅く、いもち病、イネ縞葉枯病に強い水稲糯新品種「愛知糯126号」:http://www.naro.affrc.go.jp/project/results/4th_laboratory/nics/2018/nics18_s03.html
〇滋賀県主要栽培品種および「大育 2485」のイネ紋枯病耐病性評価:https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/2010133.pdf


【問い合わせ対応御礼】
〇滋賀県農業技術振興センター


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