2020年11月20日金曜日

滋賀渡船「2号」「4号」「6号」であるワケ 滋賀県立農事試験場育成品種


『短稈渡船』を探せ!シリーズでも紹介した、『山田錦』の父親品種として扱われている『滋賀渡船2号』『滋賀渡船6号』の2品種。

『滋賀渡船6号』と『滋賀渡船2号』


これは滋賀県が純系淘汰によって育成した品種で、同じく『渡船』から育成された品種は

『滋賀渡船2号』
『滋賀渡船4号』
『滋賀渡船6号』
『滋賀渡船白銀』
『滋賀渡船26号』

の5品種があります。


数字の並びに空きが…?

さて、この並び、特に数字を見て不思議に思いませんでしょうか。
少なくとも私は最初見たときに不思議に思ったのですが

なぜ「1,2,3」でも「4,5,6」でもなく「2,4,6」なのか?

大きく離れている『滋賀渡船26号』はともかく、『滋賀渡船2号』『滋賀渡船4号』『滋賀渡船6号』は同じ大正2年育成開始・大正5年育成完了と同期の品種です。
なぜ連番にならず、偶数のみになっているのか。

実は品種採用されていないだけで『滋賀渡船1号』『滋賀渡船3号』『滋賀渡船5号』などが選抜されており、優秀な系統をさらに選抜した結果この3品種のみが残ったのではないか?
農研機構のジーンバンクで保存されている『渡船3号』とはその未採択品種ではないのか?
・・・と思っていた時期が私にもありました。

なぜこのような配置になっているか?
その答えは滋賀県立農事試験場の育種事業を整理すると自ずとわかってきます。
(というかやはり憶測だけでなく、ちゃんと調べるのは大事ですね)

さて、抜けている「1号」「3号」「5号」達はどこに行ったのでしょうか?



滋賀県が育成した品種達

滋賀県のホームページでは、育成した品種一覧がこのように公表されています。



数字に強い方だとこれを見ただけですぐ気付けるんでしょうか?(少なくとも私は全然気付きませんでした)

しかしこの一覧も不完全というかちょっと間違っているので、これだけだと不十分で微妙に足りないのです。
都道府県が公表している情報でも調査不足というか、情報不足なものがあると思い知らされます…


滋賀県立農事試験場(大正当時)の品種育成事業

さて
滋賀県立農事試験場では大正2年より滋賀県の基幹品種について、純系選抜による育種を行うことでより優れた品種の育成を目指していました。
その第一弾として大正2年から開始されたのが『渡船』と『神力』の在来2品種です。
この年から始まった純系選抜系統には『い號』の系統名が付されています。

同じく大正3年、『壽(寿)』『関取』『中生神力』について純系淘汰を開始。
この年の系統名は『ろ號』です

大正4年は『は號』(『早生神力』『善光寺』『関取』『壽』『大川』)、大正5年は『に號』(『渡船』『晩生神力』『日出』『三寶』)…と
そう、この頃の滋賀県農事試験場では同年に育種開始した複数品種を一括の系統名で管理していました。
大正2年をはじめとして、「いろはにほへとちりぬるを…」と毎年順番に付けています。

国立図書館に所蔵、及び滋賀県が保管している「滋賀県立農事試験場業務功程」から拾えただけの滋賀県育成の純系淘汰品種は以下の通りです(大正2年~昭和元年の期間)。


滋賀県育成純系淘汰品種一覧

品種名選抜
開始年
選抜元
品種(在来)
区分純系名命名年配布
開始年
滋賀神力1号大正2年神力い號い第188号大正5年無し
滋賀渡船2号大正2年渡船い號い第9号大正5年大正5年
滋賀神力3号大正2年神力い號い第259号大正5年大正5年
滋賀渡船4号大正2年渡船い號い第61号大正5年大正5年
滋賀神力5号大正2年神力い號い第286号大正5年大正5年
滋賀渡船6号大正2年渡船い號い第71号大正5年大正5年
滋賀神力7号大正2年神力い號い第324号大正5年大正5年
滋賀壽8号大正3年壽(寿)ろ號ろ第38号大正6年大正6年
滋賀関取9号大正3年関取ろ號ろ第102号大正6年大正7年
滋賀中神10号大正3年中生神力ろ號ろ第220号大正6年大正6年
滋賀関取11号大正4年関取は號は第325号大正7年大正7年
滋賀早神12号大正4年早生神力は號は第11号大正7年大正7年
滋賀関取13号大正4年関取は號は第330号大正7年大正7年
滋賀善光寺14号大正4年善光寺は號は第131号大正7年大正7年
滋賀神力15号大正5年晩生神力に號に第45号大正8年大正8年
滋賀三寶16号大正5年三寶に號に第374号大正8年大正8年
滋賀葛糯17号大正5年葛木髭糯に號に第432号大正8年大正8年
滋賀白糯18号大正5年白糯選に號に第1号大正8年大正8年
滋賀日出19号大正7年日出ほ號へ第216号大正9年大正11年
滋賀旭20号不明不明(旭選出)大正9年大正9年
滋賀早神21号大正7年早生神力ほ號へ第114号大正9年大正11年
滋賀神力22号大正8年晩生神力と號と第135号大正11年大正12年
滋賀壽23号大正9年ち號ち第104号大正12年大正13年
滋賀中神24号大正9年中生神力ち號ち第137号大正12年大正13年
滋賀渡船白銀大正10年渡船り號り第11号大正13年大正14年
滋賀早神白銀大正10年早生神力り號り第179号大正13年大正14年
滋賀関取白銀大正10年関取り號り第121号大正13年大正14年
滋賀早生善光寺白銀大正10年善光寺り號り第52号大正13年大正14年
滋賀善光寺白銀大正10年善光寺り號り第88号大正13年大正14年
滋賀中神25号大正11年神力ぬ號ぬ第13号大正14年昭和元年
滋賀渡船26号大正11年渡船ぬ號ぬ第12号大正14年昭和元年


※正確には『は號』までは『ろ第113号』ではなく『ろ113号』と”第”が抜けて表記されていましたが、その後の表記と統一して『◇第〇〇号』としています。

ということで、すべて連番で繋がっている

どうでしょうか。
最初の滋賀県の表ではなかなかわかりにくかったと思いますが、育成年の通りに並べるとこのとおりです。
『滋賀旭20号』と、大正13年育成完了の『り號』系統だけが変則的ですが、他はすべて育成年順に通し番号になっています。

『り號』系統が「白銀」になっている理由については、酒米ハンドブックの著者副島先生より教えて頂け、資料(業務功程)をよくよく読み返したらちゃんと記述がありました。
『り號』育成完了となる大正13年の翌年、大正14年が大正天皇の銀婚年(御成婚後25年)に当たることから、これを紀念(記念)して、そしてこれをもって品種改良事業のますますの徹底を期して、育成が完了した系統に番号の代わりとして「白銀」を命名したそうです。
※副島先生からは「銀婚年(大正14年)に”成立した系統”に白銀と命名」との文章を頂きましたが、おそらくこれは滋賀農試が白銀系統の育成年を間違っているせいですね。


話は戻って
最初の問いかけ

抜けている「1号」「3号」「5号」達はどこに行ったのでしょうか?

について
この答えは「同じ『い號』選抜系統の『神力』の純系淘汰品種に割り振られた」になります。
滋賀県立農事試験場の最初の純系淘汰系統である『い號』は、1号~7号の7品種が選抜されており、『神力』『渡船』にそれぞれ番号が振られていますね。

滋賀県が公表している一覧ではなぜか『滋賀神力1号』が抜けているためこれだけではわからないのです…『い號』系統育種完了年である「大正5年度業務功程」では、こっそりと試験結果の表に「滋賀神力一號と命名」と書かれているだけで、かつ原種圃の設置(種子の配布)を行わなかったので、把握できなかったのかもしれません。
『滋賀神力1号』は試験栽培の記録の中には何度か出てくるものの、成績は他の純系淘汰系統に適わず…と良い評価のようには見えませんでした。
これもまた「滋賀県で育成した品種として認められていない」理由かもしれません…が、大正6年時点で滋賀県東浅井郡に0.023反(約23㎡)だけとは言え原種圃に設定されていたという記録もあります。
やはり単なる滋賀県の調査不足・記録漏れでしょうか。

そして『り號』系統(T10年開始・純系選抜第9弾)から選抜されたのが『滋賀渡船白銀』で、『ぬ號』系統(T11年開始・純系選抜第10弾)から選抜されたのが『滋賀渡船26号』です。
ちなみに『に號』系統(T5選抜開始・純系淘汰第4弾)と『と號』系統(T8選抜開始・純系淘汰第7弾)でも『渡船』は選抜元に選ばれていますが、いずれの系統からも『滋賀渡船2号』『同4号』『同6号』以上の品種は見いだせなかったようで、品種化はされていません。

飛んでいた数字がどこに使われているかはわかりました、が
やはり「なぜ偶数なのか」はもう「そういう割り振りをした(慣例だ)から」としか言えません(すみません)

純系淘汰による品種への採用は、後年になるほど減っており(先に育成した品種よりも優秀でないと採用されないため)、同じ在来品種から複数採用されるのは『い號』系統以降はあまりないのですが
大正7年に育成完了した『は號』系統で2品種採用された『滋賀関取』も「11号」と「13号」と、同年に育成を完了した『滋賀早神12号』『滋賀善光寺14号』を挟んで奇数で統一しています。
なにゆえ連番にしないのかはわかりませんが、滋賀県農事試験場では「同じ在来品種由来の純系品種は連番にしない」ルールがあったことがうかがえるのではないでしょうか?

昔の品種は本当に資料がなくて謎が多いですね…試験場の方がご存命の内にとりまとめられていたら…なんてのは後の祭りでしょうか。


まとめ

『渡船』からの純系淘汰品種として滋賀県が育成したのは『滋賀渡船2号』、『滋賀渡船4号』、『滋賀渡船6号』、『滋賀渡船白銀』、『滋賀渡船26号』です。

これだけで見ると不自然に空いているように見える途中の数字は、同県が育成した別の在来品種後代の純系品種達に割り振られています。

…ただ
当然『い號』系統の『渡船』は多数選抜されていたわけで
『短稈渡船』の特徴である「脱粒性:難」が一致する『渡船い第4号』や『渡船い第90号』などがあったり…『山田錦』の父親の正体に対する妄想()がはかどりますね。

今回は資料がそろっていて、かつ『短稈渡船』でも関わりの深い滋賀県の育成品種について調べましたが、他の県でも同じように統一連番になっている…のかな?(青森県の『亀の尾1号』『同3号』『同5号』とか)
機会があれば調べてみたいです(が、なかなかしんどい…だって資料がさ・・・)


『滋賀旭27号』について

今回の初期調査には載っていませんが、続きとなる『滋賀旭27号』についての情報も見つけたので備忘録として
愛知県の「米麦品種改良増殖事業概要並米麦原種圃事業成績」に記載がありました。

滋賀県内の篤農家某氏(篤農家の誰か)が『京都旭』(愛知県育成品種かどうか不明)の中から早生の変わり穂を見つけ、試作してみたらたまたま分裂系(自然交配株の事と思われ※)だったそうです。
※いずれにせよ出穂が早かった穂を選抜して、そのまま『早生旭』になると思って栽培してみたら雑多な集団になった、と言うことでしょう。

そこでその『京都旭』変わり穂後代は滋賀県農事試験場に送られ、そこで系統分離を受けることになったそうです。
早・中・晩の雑多な集団の中から最晩の系統を選抜し、固定したものが『滋賀旭27号』と紹介されています。

『旭』系品種群の中生種が不足していた愛知県がこれ幸いと取り寄せ、『中生旭』として昭和11年から奨励品種に編入しています。

形態は『京都旭』(愛知県育成)とほぼ同等ながら、熟期がやや早く、腰(稈?)が弱いとされています。
米粒は『京都旭』と比べて僅かに小さいながら、腹白少なく色沢良好、”旭米”として取り扱われて然るべき、と評価されています。

表面上の記録は「純系淘汰」ですが、『滋賀旭27号』は完全に自然交雑による交配後代種ですね。
やはり「純系淘汰」は「単なる記録不足」か、「明らかに人為的な交配を経ていない集団からの選抜」と言う意味でしかありません。
「純系淘汰だから近縁」というのがどれだけ根拠の無い話であるか、わかる一例ではないでしょうか。

未確認ながら『滋賀早生旭28号』『滋賀中生旭29号』も、この『滋賀旭27号』と同じ雑種後代達から選抜された品種のように思われます。


そして最後のどんでん返し


農研機構のジーンバンクには『渡船3号』なる品種が保存されています。
品種名の錯誤によるもの…だと思っていた時期が私にもありました。

『(滋賀)渡船3号』と言う品種はもちろん、『渡船1号』や『渡船5号』といった名前の純系淘汰品種(滋賀県農試育成)は存在しません。

ただし

大正12年に滋賀県が行った品種分布調査では『滋賀渡船三號』『滋賀渡船八號』という在来品種が存在しています。

『滋賀渡船三號』は栗太郡で73反の作付けがあり、刈取期は11月上旬。
『滋賀渡船八號』は神崎郡で15反の作付けがあり、刈取期は10月下旬とされています。
ちなみにこの時の『渡船型品種』は滋賀県全体で1,795.4haですから、全体の約0.5%程度に過ぎないようです。(2,4,6号の純系淘汰育成品種は計1,308.6haで全体の約70%)

ジーンバンクの『渡船3号』ももしかしたらこの在来品種の3号…なのかもしれません。(まぁ高確率でただの錯誤だとは思いますが…)


参考文献

〇滋賀県立農事試験場 業務功程(大正2年度~14年度,昭和元年度~2年度):滋賀県立農事試験場
〇滋賀県水稲品種改良(大正6年):滋賀県立農事試験場
〇水稲品種分布調査成績(大正12年):滋賀県
〇米麦品種改良増殖事業概要並米麦原種圃事業成績:愛知県立農事試験場

関連コンテンツ







0 件のコメント:

コメントを投稿

ブログ アーカイブ

最近人気?の投稿