2020年11月20日金曜日

滋賀渡船「2号」「4号」「6号」であるワケ 滋賀県立農事試験場育成品種


『短稈渡船』を探せ!シリーズでも紹介した、『山田錦』の父親品種として扱われている『滋賀渡船2号』『滋賀渡船6号』の2品種。

『滋賀渡船6号』と『滋賀渡船2号』


これは滋賀県が純系淘汰によって育成した品種で、同じく『渡船』から育成された品種は

『滋賀渡船2号』
『滋賀渡船4号』
『滋賀渡船6号』
『滋賀渡船白銀』
『滋賀渡船26号』

の5品種があります。


数字の並びに空きが…?

さて、この並び、特に数字を見て不思議に思いませんでしょうか。
少なくとも私は最初見たときに不思議に思ったのですが

なぜ「1,2,3」でも「4,5,6」でもなく「2,4,6」なのか?

大きく離れている『滋賀渡船26号』はともかく、『滋賀渡船2号』『滋賀渡船4号』『滋賀渡船6号』は同じ大正2年育成開始・大正5年育成完了と同期の品種です。
なぜ連番にならず、偶数のみになっているのか。

実は品種採用されていないだけで『滋賀渡船1号』『滋賀渡船3号』『滋賀渡船5号』などが選抜されており、優秀な系統をさらに選抜した結果この3品種のみが残ったのではないか?
農研機構のジーンバンクで保存されている『渡船3号』とはその未採択品種ではないのか?
・・・と思っていた時期が私にもありました。

なぜこのような配置になっているか?
その答えは滋賀県立農事試験場の育種事業を整理すると自ずとわかってきます。
(というかやはり憶測だけでなく、ちゃんと調べるのは大事ですね)

さて、抜けている「1号」「3号」「5号」達はどこに行ったのでしょうか?



滋賀県が育成した品種達

滋賀県のホームページでは、育成した品種一覧がこのように公表されています。



数字に強い方だとこれを見ただけですぐ気付けるんでしょうか?(少なくとも私は全然気付きませんでした)

しかしこの一覧も不完全というかちょっと間違っているので、これだけだと不十分で微妙に足りないのです。
都道府県が公表している情報でも調査不足というか、情報不足なものがあると思い知らされます…


滋賀県立農事試験場(大正当時)の品種育成事業

さて
滋賀県立農事試験場では大正2年より滋賀県の基幹品種について、純系選抜による育種を行うことでより優れた品種の育成を目指していました。
その第一弾として大正2年から開始されたのが『渡船』と『神力』の在来2品種です。
この年から始まった純系選抜系統には『い號』の系統名が付されています。

同じく大正3年、『壽(寿)』『関取』『中生神力』について純系淘汰を開始。
この年の系統名は『ろ號』です

大正4年は『は號』(『早生神力』『善光寺』『関取』『壽』『大川』)、大正5年は『に號』(『渡船』『晩生神力』『日出』『三寶』)…と
そう、この頃の滋賀県農事試験場では同年に育種開始した複数品種を一括の系統名で管理していました。
大正2年をはじめとして、「いろはにほへとちりぬるを…」と毎年順番に付けています。

国立図書館に所蔵、及び滋賀県が保管している「滋賀県立農事試験場業務功程」から拾えただけの滋賀県育成の純系淘汰品種は以下の通りです(大正2年~昭和元年の期間)。


滋賀県育成純系淘汰品種一覧

品種名選抜
開始年
選抜元
品種(在来)
区分純系名命名年配布
開始年
滋賀神力1号大正2年神力い號い第188号大正5年無し
滋賀渡船2号大正2年渡船い號い第9号大正5年大正5年
滋賀神力3号大正2年神力い號い第259号大正5年大正5年
滋賀渡船4号大正2年渡船い號い第61号大正5年大正5年
滋賀神力5号大正2年神力い號い第286号大正5年大正5年
滋賀渡船6号大正2年渡船い號い第71号大正5年大正5年
滋賀神力7号大正2年神力い號い第324号大正5年大正5年
滋賀壽8号大正3年壽(寿)ろ號ろ第38号大正6年大正6年
滋賀関取9号大正3年関取ろ號ろ第102号大正6年大正7年
滋賀中神10号大正3年中生神力ろ號ろ第220号大正6年大正6年
滋賀関取11号大正4年関取は號は第325号大正7年大正7年
滋賀早神12号大正4年早生神力は號は第11号大正7年大正7年
滋賀関取13号大正4年関取は號は第330号大正7年大正7年
滋賀善光寺14号大正4年善光寺は號は第131号大正7年大正7年
滋賀神力15号大正5年晩生神力に號に第45号大正8年大正8年
滋賀三寶16号大正5年三寶に號に第374号大正8年大正8年
滋賀葛糯17号大正5年葛木髭糯に號に第432号大正8年大正8年
滋賀白糯18号大正5年白糯選に號に第1号大正8年大正8年
滋賀日出19号大正7年日出ほ號へ第216号大正9年大正11年
滋賀旭20号不明不明(旭選出)大正9年大正9年
滋賀早神21号大正7年早生神力ほ號へ第114号大正9年大正11年
滋賀神力22号大正8年晩生神力と號と第135号大正11年大正12年
滋賀壽23号大正9年ち號ち第104号大正12年大正13年
滋賀中神24号大正9年中生神力ち號ち第137号大正12年大正13年
滋賀渡船白銀大正10年渡船り號り第11号大正13年大正14年
滋賀早神白銀大正10年早生神力り號り第179号大正13年大正14年
滋賀関取白銀大正10年関取り號り第121号大正13年大正14年
滋賀早生善光寺白銀大正10年善光寺り號り第52号大正13年大正14年
滋賀善光寺白銀大正10年善光寺り號り第88号大正13年大正14年
滋賀中神25号大正11年神力ぬ號ぬ第13号大正14年昭和元年
滋賀渡船26号大正11年渡船ぬ號ぬ第12号大正14年昭和元年


※正確には『は號』までは『ろ第113号』ではなく『ろ113号』と”第”が抜けて表記されていましたが、その後の表記と統一して『◇第〇〇号』としています。

ということで、すべて連番で繋がっている

どうでしょうか。
最初の滋賀県の表ではなかなかわかりにくかったと思いますが、育成年の通りに並べるとこのとおりです。
『滋賀旭20号』と、大正13年育成完了の『り號』系統だけが変則的ですが、他はすべて育成年順に通し番号になっています。

『り號』系統が「白銀」になっている理由については、酒米ハンドブックの著者副島先生より教えて頂け、資料(業務功程)をよくよく読み返したらちゃんと記述がありました。
『り號』育成完了となる大正13年の翌年、大正14年が大正天皇の銀婚年(御成婚後25年)に当たることから、これを紀念(記念)して、そしてこれをもって品種改良事業のますますの徹底を期して、育成が完了した系統に番号の代わりとして「白銀」を命名したそうです。
※副島先生からは「銀婚年(大正14年)に”成立した系統”に白銀と命名」との文章を頂きましたが、おそらくこれは滋賀農試が白銀系統の育成年を間違っているせいですね。


話は戻って
最初の問いかけ

抜けている「1号」「3号」「5号」達はどこに行ったのでしょうか?

について
この答えは「同じ『い號』選抜系統の『神力』の純系淘汰品種に割り振られた」になります。
滋賀県立農事試験場の最初の純系淘汰系統である『い號』は、1号~7号の7品種が選抜されており、『神力』『渡船』にそれぞれ番号が振られていますね。

滋賀県が公表している一覧ではなぜか『滋賀神力1号』が抜けているためこれだけではわからないのです…『い號』系統育種完了年である「大正5年度業務功程」では、こっそりと試験結果の表に「滋賀神力一號と命名」と書かれているだけで、かつ原種圃の設置(種子の配布)を行わなかったので、把握できなかったのかもしれません。
『滋賀神力1号』は試験栽培の記録の中には何度か出てくるものの、成績は他の純系淘汰系統に適わず…と良い評価のようには見えませんでした。
これもまた「滋賀県で育成した品種として認められていない」理由かもしれません…が、大正6年時点で滋賀県東浅井郡に0.023反(約23㎡)だけとは言え原種圃に設定されていたという記録もあります。
やはり単なる滋賀県の調査不足・記録漏れでしょうか。

そして『り號』系統(T10年開始・純系選抜第9弾)から選抜されたのが『滋賀渡船白銀』で、『ぬ號』系統(T11年開始・純系選抜第10弾)から選抜されたのが『滋賀渡船26号』です。
ちなみに『に號』系統(T5選抜開始・純系淘汰第4弾)と『と號』系統(T8選抜開始・純系淘汰第7弾)でも『渡船』は選抜元に選ばれていますが、いずれの系統からも『滋賀渡船2号』『同4号』『同6号』以上の品種は見いだせなかったようで、品種化はされていません。

飛んでいた数字がどこに使われているかはわかりました、が
やはり「なぜ偶数なのか」はもう「そういう割り振りをした(慣例だ)から」としか言えません(すみません)

純系淘汰による品種への採用は、後年になるほど減っており(先に育成した品種よりも優秀でないと採用されないため)、同じ在来品種から複数採用されるのは『い號』系統以降はあまりないのですが
大正7年に育成完了した『は號』系統で2品種採用された『滋賀関取』も「11号」と「13号」と、同年に育成を完了した『滋賀早神12号』『滋賀善光寺14号』を挟んで奇数で統一しています。
なにゆえ連番にしないのかはわかりませんが、滋賀県農事試験場では「同じ在来品種由来の純系品種は連番にしない」ルールがあったことがうかがえるのではないでしょうか?

昔の品種は本当に資料がなくて謎が多いですね…試験場の方がご存命の内にとりまとめられていたら…なんてのは後の祭りでしょうか。


まとめ

『渡船』からの純系淘汰品種として滋賀県が育成したのは『滋賀渡船2号』、『滋賀渡船4号』、『滋賀渡船6号』、『滋賀渡船白銀』、『滋賀渡船26号』です。

これだけで見ると不自然に空いているように見える途中の数字は、同県が育成した別の在来品種後代の純系品種達に割り振られています。

…ただ
当然『い號』系統の『渡船』は多数選抜されていたわけで
『短稈渡船』の特徴である「脱粒性:難」が一致する『渡船い第4号』や『渡船い第90号』などがあったり…『山田錦』の父親の正体に対する妄想()がはかどりますね。

今回は資料がそろっていて、かつ『短稈渡船』でも関わりの深い滋賀県の育成品種について調べましたが、他の県でも同じように統一連番になっている…のかな?(青森県の『亀の尾1号』『同3号』『同5号』とか)
機会があれば調べてみたいです(が、なかなかしんどい…だって資料がさ・・・)


『滋賀旭27号』について

今回の初期調査には載っていませんが、続きとなる『滋賀旭27号』についての情報も見つけたので備忘録として
愛知県の「米麦品種改良増殖事業概要並米麦原種圃事業成績」に記載がありました。

滋賀県内の篤農家某氏(篤農家の誰か)が『京都旭』(愛知県育成品種かどうか不明)の中から早生の変わり穂を見つけ、試作してみたらたまたま分裂系(自然交配株の事と思われ※)だったそうです。
※いずれにせよ出穂が早かった穂を選抜して、そのまま『早生旭』になると思って栽培してみたら雑多な集団になった、と言うことでしょう。

そこでその『京都旭』変わり穂後代は滋賀県農事試験場に送られ、そこで系統分離を受けることになったそうです。
早・中・晩の雑多な集団の中から最晩の系統を選抜し、固定したものが『滋賀旭27号』と紹介されています。

『旭』系品種群の中生種が不足していた愛知県がこれ幸いと取り寄せ、『中生旭』として昭和11年から奨励品種に編入しています。

形態は『京都旭』(愛知県育成)とほぼ同等ながら、熟期がやや早く、腰(稈?)が弱いとされています。
米粒は『京都旭』と比べて僅かに小さいながら、腹白少なく色沢良好、”旭米”として取り扱われて然るべき、と評価されています。

表面上の記録は「純系淘汰」ですが、『滋賀旭27号』は完全に自然交雑による交配後代種ですね。
やはり「純系淘汰」は「単なる記録不足」か、「明らかに人為的な交配を経ていない集団からの選抜」と言う意味でしかありません。
「純系淘汰だから近縁」というのがどれだけ根拠の無い話であるか、わかる一例ではないでしょうか。

未確認ながら『滋賀早生旭28号』『滋賀中生旭29号』も、この『滋賀旭27号』と同じ雑種後代達から選抜された品種のように思われます。


そして最後のどんでん返し


農研機構のジーンバンクには『渡船3号』なる品種が保存されています。
品種名の錯誤によるもの…だと思っていた時期が私にもありました。

『(滋賀)渡船3号』と言う品種はもちろん、『渡船1号』や『渡船5号』といった名前の純系淘汰品種(滋賀県農試育成)は存在しません。

ただし

大正12年に滋賀県が行った品種分布調査では『滋賀渡船三號』『滋賀渡船八號』という在来品種が存在しています。

『滋賀渡船三號』は栗太郡で73反の作付けがあり、刈取期は11月上旬。
『滋賀渡船八號』は神崎郡で15反の作付けがあり、刈取期は10月下旬とされています。
ちなみにこの時の『渡船型品種』は滋賀県全体で1,795.4haですから、全体の約0.5%程度に過ぎないようです。(2,4,6号の純系淘汰育成品種は計1,308.6haで全体の約70%)

ジーンバンクの『渡船3号』ももしかしたらこの在来品種の3号…なのかもしれません。(まぁ高確率でただの錯誤だとは思いますが…)


参考文献

〇滋賀県立農事試験場 業務功程(大正2年度~14年度,昭和元年度~2年度):滋賀県立農事試験場
〇滋賀県水稲品種改良(大正6年):滋賀県立農事試験場
〇水稲品種分布調査成績(大正12年):滋賀県
〇米麦品種改良増殖事業概要並米麦原種圃事業成績:愛知県立農事試験場

関連コンテンツ







2020年11月8日日曜日

『秋系821』こと『秋田128号』、2020年11月17日に名称発表!


いよいよ名称決定の日が

100万円をかけた秋田県の高級路線への生き残りをかけたフラッグシップ米秋田128号(秋系821)の名称が11月17日に発表になります。

これで高級路線指向は

北海道『ゆめぴりか』
青森県『青天の霹靂』
岩手県『金色の風』
山形県『つや姫』
宮城県『だて正夢』
福島県『福、笑い』
新潟県『新之介』
福井県『いちほまれ』
(富山県『富富富』)

と北陸・東北でそろい踏みという様相です。

さて…秋田県ではどんな名称が採用されるのでしょうか?

墨猫大和の勝手な予想【以下トレース絵】

トレース絵です(大事なことなので2回(


当選予想第一位『べっぴん小雪』

当選予想第二位『秋てらす』

当選予想第三位『稲王』


むしろこれが大本命だっ!
稲王!!!



ガオッ!ライッ(ス)!ガー!!!
これがやりたかっただけ

元ネタ

『べっぴん小雪』元ネタ
【初音ミク】スターナイトスノウ【オリジナルMV】
https://youtu.be/ZuT3xYLW7vA?list=RDZuT3xYLW7vA

『秋てらす』元ネタ
神のまにまに 2020ver. - れるりりfeat.ミク&リン&GUMI

『稲王』元ネタ
【GUMI】KING【Kanaria】



最後に

通常、品種登録を申請するにあたって、先に商標登録を行います。
なぜかというと、まず品種登録の審査には非常に長い時間がかかり、対して商標登録は品種登録に比べれば遙かに早く登録できてしまいます。
かつ商標登録されている名称は品種名に使用できないので…

こうなると最悪の場合

品種登録審査中。予定品種名「◇◇◇」
審査している期間に第三者が予定している品種名「◇◇◇」で商標登録申請
品種登録審査が進んだ頃には当初品種名「◇◇◇」が使用不能に

特に今回のように広くその名が知られている場合には、第三者に「横取り」されるような危険もあるわけです。
そのため『秋系821』の候補名6つについても当然(無論候補を発表した時点で、第三者に先に登録されるなんてことがないように)商標登録申請をしている…はずだったのですが

なぜか『秋の八二一(はちにいち)』については令和2年9月に申請されていません。
そして謎の『秋のハニー(はにい)』で登録申請されているのですがこれは何事?

最後の最後でどんでん返しするつもりなのか(「はちにいいち」と言ったな。アレは嘘だ)
秋田県の中で担当者が書類上の記載を見誤って(「八二一」と「ハニー」なんて見分けつきませんよね)、誤った名称で申請してしまったのか…

まぁ『秋の八二一』だけは一番ないな(独断と偏見)と思っているので問題ないのかな




関連コンテンツ(決定名称名は『サキホコレ』!)







2020年11月7日土曜日

【酒米】愛山11号(愛山)【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『愛山11号』
品種名(通称)
 『愛山11号(愛山)』
育成年(試験最終年)
 『昭和26年(1951年) 福田原種圃』※交配 兵庫県立農事試験場酒造米試験地
交配組合せ
 『愛船117×山雄67』
主要生産地
 『兵庫県』
分類
 『酒造好適米』※現代の産地品種銘柄設定による

…ふふ、こんにちは。愛山11号、よ






どんな娘?

影が非常に薄く、気付かぬうちに隅に立っていることが多い。
最近こそ目立って発言することも増えたため、平成生まれの米っ娘達には知らない者も多いのだがもともとは根暗非常に引っ込み思案であることに加えておっちょこちょい。

黙って立っている分には年相応に大人びているように見えるのだが、何か主体的にやらなければいけない場面に直面すると、地が出てプレッシャーから混乱して何かしらやらかす。(とは言え基本目立たないポジションなのでそういう場面はほとんどない)
現職キャリアとしては山田錦にも劣らないほどではあるのだが、いかんせんほとんど自分の部屋にこもりがちの数十年を過ごしたせいか人付き合いは苦手。
自己肯定感が非常に低い期間も長かったため、いまだにガラスのハートである。

ずっと自分を信じてくれていた剣菱酒造には大きな恩義を感じている。


概要

「幻」と呼ばれる酒米数あれど、一度は大規模に普及するなど日の目を見ている「かつて有名だった品種」(『新山田穂1号』『辨慶』『滋賀渡船系統』)であることが多いです。
それとは対照的に、長年ひっそりこっそり生き残ってきたのがこの『愛山』です。

正式名称は『愛山11号』で、交配親から頭文字を一文字ずつ取って『愛山』と命名された・・・というか当時の一般的な系統名付与のルール通りの品種?名になっています。

『山田錦』以上の大粒ながら、心白が大きすぎるために高精白では砕けやすく、雑味も出やすいとされています。
後述する栽培上の問題も抱えていることから、平成7年(1995年)以前は使用していた酒蔵はたった1蔵という、難物です。
ただし上手く醸せれば独特の風味が出せるとかで、使用酒蔵が広まったこともあって平成中期からは「山田錦以上の酒米」とかなんとか宣伝されて人気だとか。


そんな日本酒業界のてきとー解説がいくつか見られて誤解が広まっているのは・・・まぁ恒例でしょうか(『短稈渡船』と違って実害ないのでどうでもいいといえばどうでもいいんですが)

×栽培が難しいとされる『山田錦』より背が高い→〇『山田錦』と稈長はほぼ一緒ですし
×大粒なので『山田錦』より倒れやすい→〇『山田錦』より倒れにくいですし
×上記の理由で戦後廃れた→〇廃れる以前の問題でそもそも大規模普及してません
×兵庫県立明石農業改良実験所で交配→〇交配地は兵庫県立農業試験場酒造米試験地です
△剣菱酒造が独占していた→〇後述しますが公的機関(兵庫県)が原原種管理しているのに酒蔵が独占なんて出来るの?

倒伏云々についてはむしろ倒伏しにくい(当時基準)品種で、試験時に何より問題とされたのは『愛山11号』の栽培特性である「胴切れ米」(地元では「ひょうたん」と呼称)に代表されるように、米の品質がやや悪い、と判断されたからです。
無論現代品種と比べれば倒れやすい品種ですが、当時にしては倒れにくい品種だったのです。

昭和55年(1980年)から兵庫県において『愛山』として醸造用玄米の産地品種銘柄に設定されていますが、少なくともそれ以前の昭和26年(1951年)から栽培が続けられている古参品種です。
栽培当初、及び銘柄設定時の作付面積は16haとかなり少なく、昭和57年(1982年)に31haに微増しますが、以後30ha前後の作付面積が平成8年(1996年)まで続きます。
平成9年(1997年)にまた微増が有り、以後37ha前後での作付面積となりましたが、やはりかなり少ない作付で、希少な酒米と言えるものでした。

平成7年(1995年)の阪神淡路大震災において唯一『愛山11号』を使用していた剣菱酒造が被災し、契約分の酒米を買い取れなくなってしまったところで、それを買い取ったのが「十四代」で知られる高木酒造だったそうです。
以後、高木酒造を中心として『愛山11号』を使用する酒蔵は一挙に増え、様々な蔵が『愛山11号』の日本酒を世に出すようになりました。

それを受けてか平成17年(2005年)から生産量は増加に転じ、平成30年(2018年)には約650t(100ha程度?)まで達しています。
「戦後廃れた」のではなく、ずっと小規模な栽培のままで推移しており、むしろ今のこの世が『愛山11号』にとっての絶頂期になっているようです。



出穂期・成熟期は『山田錦』とほぼ同等の晩生種。
稈長(約94cm)・穂長(約19.2cm)・穂数(約16.3本/株)も『山田錦』とほぼ同じで草型は中間型。
耐倒伏性は『山田錦』より僅かに強い程度(現代の「弱~やや弱」?)、収量性は千粒重のおかげか高いものの品質がやや劣るものとされています(「胴切れ米」多し)。

兵庫県の1950年における普通肥料栽培の生成期によれば
稈の細太は「中」、剛柔は「中」。
芒は極稀に短芒が発生し、もみの色は「白」と普通です。
玄米千粒重は30.0gと『山田錦』(対照28.0g)以上で、心白は多く、腹白の発生は微かだったそうです。
脱粒性は「易」で、現代では栽培しにくそうな品種ですね。


父本『山雄67』(後の『山雄67号』)の読み方について

当時の系統名は交配親の両親の頭文字を付けており、『愛船』『山愛』を「あいふね」「やまあい」と読んでいました。

であれば、『山田錦(”やま”だにしき)』×『雄町(”お”まち)』の交配である『山雄』は「やまお」と読みそうなものですよね。
しかし、昭和22年(1947年)時点で指導農場の職員であった山田智賀司氏の証言によれば、「やまゆう」と読んでいたそうです。

なので「やまゆうろくじゅうなな」になるのでしょうか?


育種経過

昭和3年(1928年)に創設された兵庫県立農事試験場酒造米試験地では昭和10年(1935年)から品種開発が開始されました。
その後太平洋戦争を経て、終戦の昭和20年(1945年)に加東西部技術指導農場や福田原種圃(昭和25年4月に改称)と姿を変え、一時的に酒米業務から離れますが、昭和27年(1952年)8月に県立農業試験場酒米試験地と改称され、再び酒米を担当する試験研究機関として再出発します。

その過渡期に育成されたのが『愛山11号』です。

昭和16年(1941年)に酒造米試験地において、母本『愛船117』、父本『山雄67』として交配が行われます。

◇母本『愛船117』
昭和10年(1935年)に兵庫県立農事試験場明石本場で『愛知三河錦4号』を母本、『船木雄町』を父本として交配された雑種(交配番号『兵10交47』)後代で、交配時点で雑種第6代でした。
『愛山11号』の片名の由来にもなっている『愛知三河錦4号』は『早生神力』からの選抜…ですが単純な「神力系品種」かというとこれまた複雑でして
明治27年に知多郡八幡村の加藤石松氏が兵庫県から『力良』と呼ばれる品種を持ち帰り、抜穂しつつ数年純系淘汰を行っていました。
その純系淘汰を行ったものがさらに安城町里(安城市里町の誤記?)の富田宇吉氏の手に渡り(譲り受け)、『早生神力』と命名して普及したものが元です。
それがさらに大正4年に愛知県農事試験場において『三河錦』と改名され、奨励品種に加えられ、順次純系淘汰による系統変更が行われ、昭和4年来『愛知三河錦4号』が奨励品種になりました。
と、「神力」と言う名前だけ見ると神力系品種群由来にも思えますが、全く違う系統です…かも?
兎にも角にも、『愛知三河錦4号』と『船木雄町』交配雑種後代からは他にも『兵庫雄町(愛船206-169)』が生まれてたりもします。

◇父本『山雄67』
昭和11年(1936年)に酒造米試験地、もしくは明石本場で交配が行われ『山田錦』を母本、『雄町』を父本として交配した雑種(交配番号『兵11交37』)後代で、交配時は雑種第5代です。
後に『山雄67号』となります(雑種第7代『山雄67-127』)。

【以下墨猫大和の妄想】
『山雄67』は『山田錦』と同じ草姿で、玄米品質も優れ、収量性も高い点は優秀でしたが、倒伏しやすいことと、千粒重が小さく(小粒)、心白の発現が少ないことが問題であったと思われます。
そこを稈が太く剛いために『山田錦』よりも倒れにくい、かつ大粒で心白の発現も多かったであろう『愛船117』との交配で、改善しようとしたものと思われます。
【墨猫大和妄想終了】

交配翌年の昭和17年(1942年)にF1個体が養成されました。

…そして
以後の育成経過は資料が現存しておらず不明です。

存在が再確認出来るのは7年後の昭和24年(1949年)。
福田原種圃の生産力検定試験に『愛山11号』の系統名で供試されています。
収量性は高いものの、品質がやや悪いとの理由で昭和26年(1951年)で試験は終了しました。

試験場での育成試験は昭和26年で終了したものの、福田原種圃(後の酒米試験地)の地元である加東郡社町では一部の農家や集落での栽培が続けられたようです。
正式名称については系統名である『愛山11号』ですが、地元で『愛山』と略して呼ばれたことによりその呼称が現代まで続いているものと思われます。

その後酒米試験地では昭和43年(1968年)に品種保存栽培に供試するために社町山国の農家から苗を譲り受け、場内栽培及び特性調査を実施。
民間での自家採種を繰り返して品種特性がぼやけていたのでしょうか、純系淘汰実施の要望が地元よりあり、酒米試験地で選抜が行われています。
そして昭和47年(1972年)には種子の地元提供が始まり、昭和48年(1973年)からこの酒米試験地提供の種子による現地栽培が開始されます。
これ以後も隔年で試験地からの種子供給は続き、昭和60年(1985年)からは酒米試験地で原々種栽培を開始し、みのり農業協同組合(JAみのり)へ3年ごとに有償供給されるようになりました。

平成18年(2006年)時点で生産地は加東郡社町のみでしたが、生産集落には変遷があったそうです。
当初は社町山国で栽培されていましたが、胴切れ米が問題となり、社町木梨と山口の2集落での栽培に変わりました。
品質の悪い米の発生はそのまま農家の収入減に繋がるため大きな問題です。
灘五郷の剣菱酒造が大規模な契約栽培(『山田錦』『愛山』)を長年行っており、これにより農家の収入が保証され、品質に問題のある『愛山』が現代まで存続できた大きな原動力になったのは間違いありません。


 系譜図

愛山11号『愛山11号(愛山)』 系譜図




参考文献(敬称略)


〇酒米試験地の設立と初期品種系統「兵庫雄町」、「山雄67号」および「愛山」の育成経過:池上勝
〇米麦品種改良増殖事業概要 並 米麦原種穂事業成績:愛知県立農事試験場
〇農業試験場60年史:兵庫県立農業試験場



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2020年11月5日木曜日

【糯米】西海糯118号~ヒヨクモチ~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『西海糯118号』(『水稲農林糯216号』)
品種名
 『ヒヨクモチ』
育成年
 『昭和46年(1971年) 九州農業試験場』
交配組合せ
 『ホウヨク×祝糯』
主要生産地
 『佐賀県』
分類
 『糯米』

ヒヨクモチだよ。ま、もう大分年寄りだけどね~




どんな娘?

糯米っ娘達の首長を務める。

ただ、居住区域は九州のみで、寒いのは大の苦手。
そのため北陸・東北方面はこがねもち、ヒメノモチに任せがち。
糯品種は全体的に古参が多くなっているが、首長を務める彼女をはじめとして太夫三人はかなりの古参。
陽気に明るくがモットーで、どんなことでもとりあえずはプラス思考へともっていく。(糯米品種なんてマイナー中のマイナーな存在であるなんて事実は気にしない)

でも本当は4姉妹のうち、現役で残っているのが自分だけで少しさみしい気持ちがあったりする。

 概要

少なくとも平成2年(1990年)から糯米の中でも日本一の生産量を誇る筆頭、『ヒヨクモチ』の擬人化です。

九州の肥沃な平坦部に適する品種で、佐賀県での生産が大きなシェアを占めています。
餅食味は非常に良好とされ、倒れにくく、病気への抵抗性もそれなりと、古い品種ながら登場から50年以上経っても生産量に衰えは見えません。

『ヒヨクモチ』は「比翼連理」または「肥沃」を意味し、肥沃地帯に最も適し、北部九州(佐賀・福岡県)と南部九州(鹿児島県)が一体となって普及することから命名されました。

昭和46年(1971年)に佐賀県で、昭和47年(1972年)から福岡・鹿児島の両県において奨励品種として普及に移されました。
『ヒヨクモチ』が登場した少し後、昭和54年(1979年)から品質向上のために糯米の生産団地が形成され、特定の品種に作付けが集中することになったのも、作付面積の増加に一役買ったとか。

同じ交配から生まれた品種は『ヒヨクモチ』含め4品種あり、水稲農林糯227号『アカネモチ(西海糯117号)』、『西海糯126号』『西海糯133号』があります。
普及に移されたのは『ヒヨクモチ』『アカネモチ』の2品種で、平成・令和まで栽培されているのは『ヒヨクモチ』のみです。

試験時には多肥栽培で520~630kg/10aの収量を記録し、従来(当時)品種の『備南糯』や『祝糯』より8%ほど多収でした。
短稈であり、稈は細いものの耐倒伏性は「強」との判定をされています。
白葉枯病に対して抵抗性を持ちますが、紋枯病、縞葉枯病に対しては罹病性です。
葉いもち病耐性は「やや弱」ですが、穂いもち病耐性は「やや強」となっています。
稃先色が褐色であるため、一般粳品種との判別が容易とされています。

育種経過

昭和38年度(1963年度)九州地方における水稲全面積は約430,000ha、糯品種はそのうちの6.5%、約28,000haに及んでいました。
しかしながら『備南糯』『神選糯』『神力糯』『糯祝』『金作糯』といった草型、生産力、安全性について改良の余地が多い糯品種が雑多に栽培されている状態で、基幹となる品種がありませんでした。
糯品種にも短稈穂数型品種の登場が強く望まれており、先駆けとして昭和37年(1962年)から『フクサモチ』の配布が始まっていましたが、短稈多収ながらいもち病・白葉枯病に弱いこの品種はあくまでも本格的な糯優良品種までの”繋ぎ”と見なされていました。

その”本格的な糯優良品種”を目指して昭和38年(1963年)、母本『ホウヨク』、父本『祝糯』として人工交配が行われます。

母本『ホウヨク』は昭和36年(1961年)から九州地方で普及に移された中生の粳品種で、短稈・穂数型で白葉枯病にも抵抗性を持っています。
父本『祝糯』は熊本県および広島県の奨励品種(当時)でやや長稈で草型は中間型、赤褐色の稃先を持つ晩生の糯品種です。糯としての品質は良いものの、倒伏しやすく、白葉枯病に弱く、収量が低い欠点を持っていました。

母親の『ホウヨク』と同じ中生・短強稈・白葉枯病耐性・多収性を持ち、父親『祝糯』の稃先色および糯性を導入した品種の育成を目標に、以後集団育種法により育成されます。

交配で得られた種子は91粒、その後F1~F3世代は温室で世代促進が行われます。
同年(昭和38年)7月から11月の間にF1個体、同11月から昭和39年(1964年)3月までの間にF2世代、昭和39年4月から6月にF3世代が養成されます。
このように15ヶ月間の間に4世代の世代促進が行われました。
F1世代は32粒を播種し、15株から1,949粒を採取。
F2世代は1,900個体を播種し、稔実した1,542株から1~2粒採取。
F3世代は2,000個体播種し、稃先色・稃色が褐色・黄白個体の選抜を行いました。

昭和39年(1964年)7月以降、F4世代からは本田に晩植栽培して個体選抜が行われます。
晩生の早の熟期個体が多く、稈長もバラバラな集団の中、不良個体(「晩生」「長稈」「脱粒性極易」「小粒」「はぜ不良」「稃先色黄白」「粳」)は淘汰し、262個体を選抜します。
昭和40年(1965年)F5世代は前年の262個体を262系統として、まず田植え前に葉いもち病の検定が実施されました。
供試系統を畑栽培し、ビニールハウス内でいもち病菌を噴霧接種した上で、標準品種である『十石』と同等ないし劣る83系統を廃棄します。
残る179系統を本田栽培し、なおこの際に白葉枯病菌の接種も行われます。
出穂・草型の固定が不十分な系統、晩生・長稈・稃先色黄白の系統、さらに白葉枯病罹病の系統を淘汰し、残ったのは61系統でした。
そこからさらに室内での玄米品質の検査を行い、31系統が選抜されます。

昭和41年(1966年)F6世代より『九系01607』の系統番号が付され、指定県へと配布され特性検定並びに系統適応性の検定が始められます。
白葉枯病に強く、短稈直立型で熟色よく有望視されていました。
昭和42年(1967年)F7世代は21系統群から6系統群を選抜。
昭和43年(1968年)2月、『西海糯118号』の地方系統名を付され、関係各県への配布と共に奨励品種決定調査により地方適否の確認が行われます。
そして昭和46年(1971年)5月、F11世代において『水稲農林糯216号』に登録され、名称を『ヒヨクモチ』と改められました。


ちなみに
次女『アカネモチ』は、昭和43年(1968年)に『九系01585-3』に『西海糯117号』を付与。
その後昭和45年(1972年)に『水稲農林糯227号』に登録され、『アカネモチ』と命名されます。

三女『西海糯126号』は、昭和44年(1969年)に『九系01481』に『西海糯126号』を付与。
四女『西海糯133号』は、昭和45年(1970年)に『九系01585-2』に『西海糯133号』を付与。
両品種は地方系統名付与と同時に関係各県に配布されましたが、『西海糯126号』は供試3年で、『西海糯133号』も同じく供試3年で配布を中止、水稲農林への登録は行われませんでした。


系譜図



参考文献


〇水稲新品種”ヒヨクモチ”・”アカネモチ”について:九州農業試験場


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年齢は令和2年(2020年)現在
酒造用原料米にも使われること※もあるようです


※「ワイングラスでおいしい日本酒アワード2018」で最高金賞(純米酒部門)に選ばれた鹿児島県の東酒造(株)の「神泉 純米吟醸 旨口」は『五百万石』74%、『山田錦』20%、『ヒヨクモチ』6%使用で造られているそうです。










2020年11月3日火曜日

イラスト「米プリンセス つや姫さん諸々」

題材
 『米プリンセス』


米プリンセス~MAI PRINCESS~のつや姫さんのイラスト諸々


2019年2月25日 クリスマス



中国の何かに進出した時


 
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2020年2月14日 バレンタイン


2020年10月31日 ハロウィン



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