2020年2月22日土曜日

【酒米】山田穂43号~新山田穂1号~とは【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

系統名
 『山田穂43号(山田穂3号)』※管理人の推定
品種名
 『新山田穂1号』(しんやまだぼいちごう)
育成年
 『大正10年(西暦1921年) 兵庫県農事試験場』
交配組合せ
 『山田穂(在来)より純系淘汰』
主要生産地
 『兵庫県』
分類
 『酒造好適米』※現代の産地品種銘柄に依る


新山田穂1号「やまだ”ほ”じゃないからな。ついでにあいつの母親じゃないし」



 どんな娘?

古参品種であるものの、亀の尾や旭のような”概念に近い品種”達とは違うことに加え、休眠※1に近い期間が長かったせいか、肉体的・精神的にやや後退した状態になっています。
とは言え本人はだれよりも(当然山田錦よりも)先輩である意識はあるため、懸命に大人然として振る舞っています。
ただやはり体のひ弱さは隠せず、いざとなると平成の世でひ弱と言われる品種達にも敵いません。

そして
久々に世間に出てみれば、なぜか従妹(山田錦)の母親扱いされており困惑しています。
そんな状況に少し(かなり)不満あり。

※1
「休眠」と書くと、というか世間一般で復刻した品種が何十年も眠っていたかのように書かれていていることも少なくないのですが…ずっと種のまま保存されていると考える方もいるかもしれません。
しかし、系統保存されているってことはちゃんとほ場に植えられて、発生する異株を取り除いて、という純系を保つ作業をしながら「保存」されてます。(毎年だったり数年おきだったり幅はありますが)
なにもずっと眠り続けていたわけではありません。


概要

兵庫県でかつて栽培されていた品種で、酒造用米として非常に優秀とされた『山田穂』の子品種(純系淘汰)にあたるのが彼女です。

ちなみに「水稲及陸稲耕種要項(昭和11年3月発行):農林省農務局」では『新山田穂1号』についてフリガナが「シンヤマダボイチゴウ」になってますので、『山田穂』についても「やまだぼ」と”ぼ”と読むのが正式(のはず)です。

兵庫県農事試験場では在来種であった『山田穂』を県内各地から収集し、品種比較試験の結果優良として、明治45年(1912年)から原種(現代で言う奨励品種)に指定しています。
兵庫県の育成品種一覧に『山田穂(純系淘汰)』があることからも、この品種比較試験の際にある程度の選抜は行われた選抜種が原種(奨励品種)指定されていたものと思われます。
そして大正10年(1921年)、『新山田穂1号』が育成され、この1号が原種(奨励品種)に指定され、従来の『山田穂(純系淘汰)』は原種(奨励品種)から外れます。


純系淘汰で生まれたこの『新山田穂1号』は「『山田穂(在来)』よりも品質が優良で、酒造家に最も歓迎されている」との評価を受けていますから、やはり酒米として優秀・歓迎されていたことは確かなようです。

稈長はやはりかなり長く、100~120cmまで達するようです。
耐倒伏性はそのせいか「やや弱」の評価で、葉いもち抵抗性も「極弱」となっており、栽培がかなり難しいことが想像できます。
脱粒性については「やや易~易」、穂発芽は「やや難」。
玄米千粒重は25.8g(兵庫・平成8年)~26.3g(兵庫・大正14年)と大粒の部類ながら『山田錦』等には及びません。
心白の発現は少なく、小さい心白が形成されるようです。
タンパク質含量は6.0%以下と低タンパクで、酒造適性の高さがうかがえますね。


ちなみに妹に山田穂38号(8号)『新山田穂2号』が存在します。
1号よりも一年遅れの大正6年(1917年)選抜(純系淘汰)開始、大正11年(1922年)原種指定の彼女は、「『新山田穂1号』よりも草丈が低く栽培しやすい酒米」との評価を受けていますが、1号より4年早い昭和11年(1936年)に原種(奨励品種)から削除されています。
廃止の年、東播地方からは原種(奨励)存続の要望があったそうですが、その作付け面積は県内全水田面積の2%以下程度で、さらに年々減少していることから廃止やむなきとなったそうです。
現代に保存されている『新山田穂2号』は、稈長に関しては1号とさほど変わらないようですが、耐倒伏性は「弱~中」との評価もあり、比較して倒れにくい品種であることは確かなようです。
ただ、耐病性はさほど変わらず、心白の発現率や大きさも1号に劣っていたのも一足早くすたれた要因になったのかもしれません。


↑と、このように『山田穂1号』は『新山田穂1号』として、『新山田穂2号』は『新山田穂2号』として扱われていたことがわかります。
白鶴酒造のように(後述)”山田穂”の文字が入っているってだけでこれらが全部『山田穂』って言うのは少し(かなり)無理がありますね。
「神力」と言う異名もあった…とか知ってますか?(後述)


大いなる誤解~『山田錦』の母本…ではない

品種登録されているから遺伝的に近縁でも別、か
遺伝的に近縁だから品種は別だけど一緒、か
どちらにせよ主張は統一してください。
私の考えは「品種が別なのだから別」の一点に尽きます。
「山田錦の母親山田穂」表示をしている酒蔵側に有意なように都合よく立場を変えないでください(品種で区別するのは常識、と言いながら山田穂だけ近縁だからとか名前が似ているから区別しなくていい、とかダブスタ言い始めるのはやめてください)。

そしてコメントのように勘違いしている人もいるかもしれませんが
『新山田穂1号』を「山田穂」と表示していることを問題にしているのではありません。
『新山田穂1号』を「山田穂が正式名称で山田錦の母親だ」と宣伝していることを問題にしているのです。
明らかに違いますよね?
『短稈渡船』にしろ『山田穂』にしろ、「山田錦の親」を宣伝しておいて別品種を使っておきながらそのことを伝えていなかったり、さもその別品種が親であるかのように宣伝しているのですから明らかに問題があります。

※※※以下、ホームページの該当ページが削除されてしまいましたが、備忘録として残しています※※※

ということで、この『新山田穂1号』ですが、白鶴酒造株式会社のホームページではこのように紹介されています。

「幻の酒米、山田穂とは?
兵庫県が大正時代に在来品種である山田穂を純系淘汰することにより得られた品種で、新山田穂1号が正式名です。1936年まで酒造好適米として兵庫県で広く栽培されていました。酒米の王者と言われる山田錦は、この山田穂を母親として1923年に兵庫県で人工交配された品種です。


はて?
◯『山田穂』の正式名称が『新山田穂1号』?
◯そしてこの『山田穂(新山田穂1号)』を母親として人工交配したのが『山田錦』?
これでだいぶ世間様は混乱しているようで、『山田穂』と『新山田穂1号』がかなりごっちゃごっちゃに扱われています。
確かに『山田錦』育成の前年に『新山田穂1号』の育種は完了しているようですが…実際どうなんでしょう?

『山田錦』の育ての親である
兵庫県立農林水産技術総合センターに訊きました。
(ここ以上に確かな情報もっているところってあります?)

【回答】
「大正12年に交配母本に使用した「山田穂」が「新山田穂1号」である
との資料は、現在のところ当方にはありませんので、過去の資料に表記されて
いるように、交配母本は「新山田穂1号」ではなく「山田穂」と考えています。」



~~~~以上、終了~~~~

はい、この白鶴酒造の宣伝内容間違いですね。


兵庫県下でもともと栽培されていた①『山田穂』(在来)
そして県内各地のそれらを集めて純系淘汰したのが原種(奨励品種)にもなった②『山田穂』(純系淘汰)
そしてその後『山田穂』からさらに優秀な個体の選出を求めて純系淘汰法による選抜で生まれたのが③『新山田穂1号』

『山田錦』の母本となったのは②『山田穂』(純系淘汰)です。
そして②も③も純系淘汰で生まれた品種、と言う点でおそらく白鶴酒造は勘違いしてるんじゃないでしょうか。(まさか商業的な宣伝のために故意に間違えた情報を拡散している…なんてことは無いと信じていますよ)
お約束ですが、『短稈渡船』情報と並んでネット上では既にかなりこの誤情報が拡散しており、はたしてこの情報が修正される日が来るのか…

⇒詳細は山田錦の母親が『新山田穂1号』?白鶴酒造の謎主張まとめ【備忘録】

ちなみに兵庫県では『山田穂』と『新山田穂1号』の2つが産地品種銘柄に設定されていますが、『新山田穂1号』を使ったお酒が見つけられません…(あったら教えてください)
⇒白鶴酒造の「山田穂」はひとまず『新山田穂1号』のようです。
そもそもこの『山田穂』と設定されている方も本当に『山田穂』でしょうか?
「山田錦の母親を復活させました」の先駆者、白鶴酒造の発信する情報がこのありさまでは…これってすべて『新山田穂1号』なのでは?後述


新山田穂1号は山田錦の母親ではないのです


不満が募る『新山田穂1号』さん。
※※※以上、ホームページの該当ページが削除されてしまいましたが、備忘録として残しています※※※

現在栽培されている『山田穂』(兵庫県限定)


…ということで、調べてみたら出てきました。
株式会社本田商店の扱っている「龍力」という銘柄のお酒で使用されている『山田穂』はひとまず『山田穂』のようです。
平成9年(1997年)にJA北はりま(現JAみのり)が京都大学及び九州大学から『山田穂』の種子を取り寄せ16aで試作を行ったのが始まりであるようです。
『山田錦』よりも長稈で出穂登熟がやや早い系統で、翌平成10年には366a(13.8t)、さらにその翌平成11年は587a(24.15t)と生産量を増やした・・・とのことです。
ですが「山田錦の母親」とまで言っていいものかはまったくの不明・・・というか絶対別系統

あとは産地品種銘柄に設定されている「兵庫県産山田穂」は果たして『山田穂』だけなのか、前述の誤用法を元に『新山田穂1号』も含めて(非公式に)品種群扱いになっているか、ですが…調べるにも骨は折れそうですねというか知る手段はあるのか…
ひとまずJAみのり管内で取り扱っている『山田穂』は『山田穂』である可能性が高そうです。

というかこんな感じで「何を使っているかわからない」ってやっぱり問題でしょう・・・


※産地品種銘柄では「品種の確認」など行われないに等しので、農家の人が「これが山田穂」といって出せばどんなお米でも『兵庫県産山田穂』になります(冗談ではなく)。
実際『茨城県産渡船』は品種が何かもわかっていない(関東農政局確認済み)のに普通に検査数量出てますよね。


ちなみに同名異種もいます(取り違えなのか?それも含めて山田穂なのか?)

『新山田穂1号』は、その名前の品種名でジーンバンクおよび九州大学の少なくとも2カ所で保存されています。


DNA多型の解析により九州大学の方の『新山田穂1号』については『山田穂』などとだいぶ違う(ジーンバンクで保存されている『新山田穂1号』についてはちゃんと『山田穂』と似てる)ことがわかっており、これは長期にわたる保存期間のどこかで(あるいは最初から?)別の品種を取り違えて保存していたのではないかと推測されています。
もしくは同名異種か、遺伝多様性が非常に広いものだったか…今となっては確かなことは言えませんが…


九州大学の保存系統は『新山田穂1号』の名称で保存されていても実際は別の何か、の可能性が高いということですね。
…白鶴酒造の『新山田穂1号』はどこから持ってきたんでしょう…?
(白鶴の自称復活1991年頃、このことがわかったの2005年頃)


あとこれ以降は管理人の妄想というか難癖なのですが
「『山田穂』と『新山田穂1号』が非常に近縁だ」というのは現代に保存されている系統を解析・比較しての推論です。(「純系淘汰=非常に近縁」は明らかに認識が間違ってます
では、その”保存されている系統”は本当に『山田穂(在来)』なんでしょうか?
ジーンバンクで『滋賀渡船2号』が『渡船2号』として保存されているように名称が変わってしまっているパターンがあります。
現在兵庫県で保存されているのは『新山田穂1号』のみ。
九州大学の『山田穂』は畿内支場(大阪)からの取り寄せ(京都大学のものは不明)、『新山田穂1号』は兵庫県から取り寄せ・・・


これ、むしろ九州大学の『山田穂1号』が正常と言うこともあり得ます。(『山田穂』と大きく異なるのが本来の『新山田穂1号』だった?)
やらかしているのが兵庫県の方で、『山田穂』と『新山田穂1号』がごちゃまぜになって、後世に残った『新山田穂1号』の中身は『山田穂』・・・ということはあり得ます。いえ、本当にあり得るんですよ?
そしたら当然両者が近縁(実態はほぼ同じ品種系統だから)となります。
・・・という諸々不確定要素考慮すると専門の方なら「これが山田錦の母親だ!」なんて言い切ることは決して無いと思うんですが・・・

繰り返しになりますが、「山田穂から純系淘汰」という文章だけで踊らされて「『山田穂』と『新山田穂1号』は近縁で当然」とかいう認識を持っている方、それ間違いです。
そもそも「在来山田穂」という存在が均一・一律という前提で考えていると思われますが、遺伝的にも幅のある雑多な集団と「近縁」という考え方をするその前提からして間違っています。
大蔵省(当時)の醸造試験所報告第79号(大正8年)にはこんな記述があります。
「原料米の種類 神力(他所ニテハ山田穂ト称ス)」
さて?これは所謂明治の三大品種『神力』なのでしょうか?『山田穂』なのでしょうか?
具体例として一つだけ挙げましたがこういうこと(異名同種・同名異種・判別付かず)はざらにあるのがこの時代です。
「山田穂と『新山田穂1号』は近縁で当たり前」という思考の方、あなたは一体”何”と『新山田穂1号』が近縁だと断じているのか説明できますか?


育種経過

非常に古い品種なのでかなり情報は少ないです…

大正5年(1916年)、兵庫県農事試験場は在来品種『山田穂』から純系淘汰法により、より優れた品種の選出に取り掛かりました。

この時代の「在来」と呼ばれる”品種”は、遺伝子の固定が完全でない、もしくは地方で栽培される中で交雑する(もしくは単純な取り違い)などして、現代の品種の定義からは考えられないほど雑多で様々な性質を持っている集団でした。
現代で主流の交雑育種法では異なる2品種を交配し、その後代となる「遺伝的に雑多な集団」の中から優秀な個体を選抜しますが
純系淘汰法ではすでに在来種がこの「遺伝的に雑多な集団」として存在しているので、選抜から開始することが出来るのです。

純系淘汰開始時点で『山田穂(純系淘汰)』が普及に移っていましたが、県内各地から『山田穂』を集めるにあたり、雑多な集団を選んだとするのが自然ではないでしょうか(無根拠)
『新山田穂2号』と同じであれば『新山田穂1号』選抜素材も兵庫県内3郡から収集したはずです。
選抜目標は短稈でかつ品質が良く、多収の系統の選出とされていました。

大正6年(1917年)、前年選抜した104系統を各系統120株ずつ1本植えし、特性調査を実施、有望と見込める30系統を選抜します。
大正7年(1918年)の選抜経過は不明ですが、前後年の記録によれば、1系統につき5坪(16.5㎡)の区画を2箇所ずつ設け、生産力検定試験が実施されたものと思われます。

大正8年(1919年)、前年の収量調査で選抜した系統に対して同様に、1系統5坪の区画を2箇所ずつ普通栽培で収量試験を実施します。
この年供試されたのは『山田穂1号』~『山田穂5号』の5系統。
『山田穂2号』(成績順位1位)と『山田穂3号』(成績順位2位)が選抜されます。

大正9年(1920年)、水稲品種比較試験に『山田穂四二』『山田穂四三』が供試されています。
純系淘汰試験の記録が明記されていないのですが、前年の選抜系統が「4」年目の「2」号と「3」号であることから、前年の『山田穂2号』と『山田穂3号』について「42」「43」と系統番号を変更したものと推測されます。
同じ選抜経過(「4」年目)の『神力』についても、前年度「3」号と「5」号が選抜され、この年は『神力四三』と『神力四五』が供試されていることからも、これは間違いないと思われます。
また、地方委託栽培試験に『山田穂』の純系淘汰品種6系統『三七』『四三』『三八』『三九』『三六』『四二』が供試されています。
『四二』『四三』が後の『新山田穂1号』となる大正5年淘汰開始組、他の30番台は後の『新山田穂2号』となる大正6年度淘汰開始組と思われます。
美嚢郡、加東郡、加西郡、多可郡、氷上郡、養父郡で実施されたこの試験ですが、42号、43号はそれぞれ3郡で試験が行われます。
『山田穂42号』は「加東郡瀧野村 藤井小市氏(対照:奈良穂在来、37号、43号、38号)」「美嚢郡細川村 計倉周治氏(対照:36号)」「氷上郡柏原町 田川藤吉氏(対照:39号)」
『山田穂43号』は「加西郡芳田村 荒木彌三郎氏(対照:山田穂原種)」「多可郡中村 繁利岸本繁太郎氏(対照:山田穂原種、36号)」「加東郡瀧野村 藤井小市氏(対照:奈良穂在来、37号、42号、38号)」
でした。
結果、『山田穂四三』が多可郡、加東郡に適応していると認定されました。
他『三八』が多可郡、加東郡、美嚢郡に適応、『三九』が多可郡、氷上郡、美嚢郡に適応と認定されています。

そして翌大正10年(1921年)、原種圃に急に『新山田穂1号』が設定されています。
『山田穂42号』と『山田穂43号』のどちらが『新山田穂1号』となったのか明確な記述はありませんでした。
しかし地方委託栽培試験で『山田穂43号』が2郡に適応しているとの判断がされていることから、こちらが『新山田穂1号』になったものと管理人が推定しています。
※同じ地方委託栽培試験で「適応」の判断が下された『山田穂38号』『山田穂39号』が大正10年度の最終生産に供試(『山田穂八(後の『新山田穂2号』)』『山田穂九』)されていることからも、この推測の根拠になっています。



この時代の育種(選抜)は特に収量に重点が置かれていたようで、在来『山田穂』よりも反収が多くなることが最低条件だったようです。
試験場での成績では在来『山田穂』367.95kg/反に対して、『新山田穂1号』383.55kg/反と15.6kg/反の増という記録が残っています。(1石=150kg換算)
また純系淘汰の試験を通して、原種圃の『山田穂』よりも稈長が常に約15cm程度短かったようです。

原種設定以後、昭和15年(1940年)まで原種(奨励品種)指定が続いたそうですが、後代品種の台頭により徐々にその姿を消したことが想像されます。

昭和11年(1936年)の記録では『山田穂1号』作付面積3,198ha(兵庫県内水田の約3%)、収穫高76,112石(反収2.380石)と言うものが残っていました。
この時の『新山田穂2号』は1,777ha(県内水田の約2%)、収穫高42,470石(反収2.390石)となっていました。


そして平成の世になぜか「山田錦の母親」と称されて復活中なう。(絶対に違うけど)



系譜図

山田穂43号『新山田穂1号』系譜図



参考文献

〇業務功程 大正4、6、8~14年度:兵庫県立農事試験場
〇水稲試験成績(大正4~5年度成績):兵庫県立農事試験場
〇米麦試験成績(大正6年度成績):兵庫県立農事試験場
〇農事試験報告(大正7年度成績):兵庫県立農事試験場
〇酒米を中心とした水稲遺伝資源のDNA多型:兵庫県農林水産技術総合センター研究報告.農業編
〇酒米品種「山田錦」の育成経過と母本品種「山田穂」、「短稈渡船」の来歴:兵庫農技総セ研報
〇新山田穂1号の品種特性:
〇ひょうごの農業技術No.111~特集 酒米生産現場の取り組み~:兵庫県立中央農業技術センター
〇水稲及陸稲耕種要項(昭和11年3月発行):農林省農務局:兵庫県立中央農業技術センター
○醸造試験所報告第79号(酒造米ノ理化学的調査):醸造試験所

関連コンテンツ

『新山田穂1号』は『山田錦』の母親?
 ↑違う違う。これは間違いなく違う。

じゃあ父親の『短稈渡船』は『渡船2号』でしょ?
 ↑違う違う。の根拠となった調査結果一覧は以下の通り







5 件のコメント:

  1. 純系淘汰というのは、品種登録的には異なります。しかし他の品種との交配がないので、生物学的、遺伝学的にはほぼ同じと思います。清酒の山田穂というのは商品名なので、それが山田穂から純系淘汰された新山田穂1号であっても特に問題はないのではないでしょうか?表示義務違反になるのでしょうか?短観渡船もそうですが、商品名=品種登録名でないといけないという表示義務があるのでしょうか?私はこの辺は柔軟でいいと思います。

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    1. 失礼ながら…「ほぼ同じ」「特に問題はない」とのことですが
      ①あなたはどの本や資料からその情報を得ましたか?
      ②その資料の情報を”正確に理解して”引用していますか?
      ③その資料は客観的なエビデンス(当時の文献、専門機関の論文)を明記していますか?

      これらにすべてお答えいただけた時点でようやくスタートラインです。
      一つでも満たしていない場合は、個人的思い込みや恣意的な拡大解釈、曲解である可能性があり、「消費者に示す情報として正しいか」を論ずるに不適当であると思います。
      イメージや抽象論で不当表示が正当化されることはあり得ませんよね?


      正直当方、「兵庫県産の酒米『兵庫錦』や静岡県産の酒米『誉富士』を『山田錦』として売っても問題ない。それくらい柔軟でいい。」と仰る方にはなんとお答えしてよいのかわかりません
      そんなことしていたら確実に表示義務違反ですよね?
      それともこれでも日本酒を買う人は誰も文句を言わないということでしょうか?(まさか「そんなことは言っていない」とはなりませんよね)

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    2. 表示の義務に随分とこだわっているようですが
      景品表示法や清酒の製法品質表示基準は読まれているのですか?

      事業者は「商品及び役務の取引に関連する不当な景品類及び表示による顧客の誘引」および「一般消費者による自主的かつ合理的な選択を阻害するおそれのある行為」が制限及び禁止されていますよ

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  2. はじめまして。以下の件ですが、白鶴さんが自称する新山田穂1号以外のものでということでしょうか?
    白鶴さんが造られてコープこうべさんで販売されたお酒で新山田穂1号使用と書いてあるのお酒ならありました。(ご存じでしたら恐縮です)
    https://sakenowa.com/checkin/17Zkpkl

    >『新山田穂1号』を使ったお酒が見つけられません…(あったら教えてください)

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    1. 気付くのが遅れましてすみません。
      まずは情報提供ありがとうございます


      >『新山田穂1号』を使ったお酒が見つけられません…(あったら教えてください)
      この部分は正直記事の情報更新が現状に追いついていませんでした…
      『新山田穂1号』については大分情報整理できてきております
      本日公開した最新記事でまとめておりますが、白鶴酒造はかつて(そしておそらく今も)『新山田穂1号』のことを謎理論で「山田錦の母親、山田穂」として売っていたようで、白鶴酒造が売っている「山田穂」は『新山田穂1号』と言って間違いないようです


      あとは「山田穂の正式名称は新山田穂1号」という誤情報を真に受けて、『新山田穂1号』を「山田穂」と称して売っている酒蔵がいくらあるか…と言う点に絞られてきたかな、という感じです

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