2019年7月28日日曜日

【粳米】佐賀37号~さがびより~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『佐賀37号』
品種名
 『さがびより』
育成年
 『平成20年(2005年) 佐賀県農業試験研究センター』
交配組合せ
 『天使の詩×あいちのかおりSBL』
主要生産地
 『佐賀県』
分類
 『粳米』
さがびよりだよ…うん、そうだね。佐賀で頑張ることが出来てるんじゃないかな。


気候が大きく変動する中でも知恵と努力を重ね

やっと迎えた収穫の日は
この上なく晴れやかな佐賀日和。




どんな娘?

佐賀県のエース米。

つや姫とは同世代で、高温耐性の先駆けとしてその優秀さはピカイチだが、質朴な性格で黙々と物事に取り組むため目立ちにくい。
常に冷静で淡々とした話し口調でどんなことにも動じない。
自問自答するような話し方ではあるが、基本自分の中で答えは出ている。



概要

○米のうまさはがの誇り
○町で噂のばいうまいっ!
○もっちりっくり「さがびより」
○甘みいツヤ、よい香り
○りょう自慢も選ぶ米
だよっ!

つやがよく、粒は大きくしっかり、食感はもっちり、甘み香りが良く、時間がたってもおいしい、日本穀物検定協会の食味ランキングで特A連続獲得の実績も持つ九州佐賀県のエース米です。(特に平成22年(2010年)の特A獲得は佐賀県としても初めて)
アミロース含有率は育成当初で20%前後(対照『ヒノヒカリ』約18%前後)と少し高めですね。
そのためかあっさりとして食べやすく、硬めのお米が好きな方に合うそうです。

もともと西日本、特に九州では「畑作が中心で、稲品種の重要度が食味よりも栽培のしやすさ」「食文化から飯米の食味への関心が低い」等の理由で、”美味い米を作る”機運がそれほど高い地域ではなかったのですが、『ヒノヒカリ』の登場を契機に極長食味品種の登場が相次いでいます。
しかし2000年台に入って気温が上昇傾向(特に登熟期の気温が高く)になると、高温に弱い(高温登熟耐性「弱」)『ヒノヒカリ』は収量品質共に低下が目立つようになります。
そんな『ヒノヒカリ』に代わって極良食味品種の佐賀県における先駆者となった『さがびより』は、山形県の『つや姫』と同世代です。
その栽培体制も似通っており、まず、銘柄確立のために共同乾燥調製施設単位で作付地域が限定されています。(不適地域への作付を防ぎ、品質を確保するため)
栽培農家も登録制で、専門の技術指導チームが各地を巡回し、出荷基準も設けられています。

出荷基準は
①一等米、②整粒歩合70%以上、③玄米水分率15%、④粗タンパク質含量6.8%以下(おそらく水分15%換算)、⑤粒の大きさ(1.9mm以上)が挙げられているようです。
粗タンパク質含量の基準は近年の他の品種に比べると少し高めですね。
(粗タンパク質含量は【乾物換算】と【水分15%換算】があるので注意)


日本穀物検定協会の食味ランキングでも初登場から特Aを獲得。
”特A米”と言えば東北ばかり、そんな状況を覆し、佐賀県の稲作農家の意識の改革に一役買ったと言われています。


平成24年(2012年)産以降は県産の『ヒノヒカリ』や『夢しずく』を価格で逆転(60kgあたり1,000円程度高値/H30現在)。
ただ、思ったよりも普及は進まず、佐賀県内の2割程度にとどまります。
やはり畑作も重要と言うことで、裏作で玉ねぎなどを栽培する地域にとってはスケジュール上厳しいようです。


『さがびより』の育成地における早晩性は『ヒノヒカリ』よりやや遅い「中生の晩」。
草型は『ヒノヒカリ』と同じく「偏穂重型」。
収量性は2000年代の環境で収量が減ってしまった『ヒノヒカリ』より1割以上多収で、試験時は約510kg/10aの結果を残しています。
葉いもち圃場抵抗性、白葉枯れ病ほ場抵抗性はともに「やや弱」と、育成時に評価されたとおり耐病性は不十分と言えるでしょう。
縞葉枯病抵抗性も父方からは引き継げず、罹病性となっています。
いもち病真性抵抗性遺伝子型は「不明」です。
短稈(稈長74~76cm程度)で稈が太いため、耐倒伏性は「やや強」の評価となっています。

害虫のウンカに弱く、有効だった農薬も中国で耐性を獲得してしまったことも受けて、有効な対応がない状況です。
これは元々『京都旭』系列品種がセジロウンカへの殺卵反応が弱く、その血を引く『ハツシモ』から『あいちのかおりSBL』経由で『さがびより』も

高温登熟耐性は育成当時で「中」ですが・・・現代基準ではどうなんでしょう?
※構音障害発生初期のこの頃は評価基準が不明瞭で、今や「やや弱」判定の『コシヒカリ』が「やや強」と判定されているなど、実際の評価とは異なる場合があります。



高温耐性実績

平成30年(2018年)、佐賀県では39℃台の”命に係わる猛暑”が発生。

『ヒノヒカリ』の一等米比率は約27%にまで低下したのに対し、『さがびより』は約66%と一定の水準を確保できました。




育種経過
 
平成中期より佐賀県下の『ヒノヒカリ』(作付け面積の約4割)について大きな問題が発生していました。
平成13年(2001年)までは台風の影響がある年を除けば一等米比率が60~70%以上で推移していたものが、平成14年(2002年)以降は台風の影響がなくとも10%未満と著しく低下。
収量についても平成14年(2002年)までは500kg/10a以上あったものが、それ以降は500kg/10aを割るような状態に陥っていました。
登熟期間に当たる8~10月の平均気温が1~2℃上がった影響によるもので、主力たる品種の品質及び収量の低下は深刻な問題でした。

そんな中佐賀県農業試験研究センターは中生で高温登熟耐性に優れ、良質・良食味、多収を目標に新品種の育成に取り組むことになります。


・・・とは書いたものの、『さがびより』育成開始の平成10年(1998年)時点ではまだこの『ヒノヒカリ』の高温登熟耐性の弱さは問題になっておらず、当初の育成目標は『ヒノヒカリ』並の中生・良食味品種で、玄米品質が優れ、『ヒノヒカリ』以上の収量性が目標になっていました。(高温耐性が試験項目に入るのは平成15年以降)


『さがびより』となる雑種後代が生まれる最初の交配は平成10年(1998年)。
8月に佐賀県農業試験研究センターで温湯除雄法により『佐賀27号(のちの『天使の詩』)』を母本、『愛知100号(のちの『あいちのかおりSBL』)』を父本として人工交配(『佐交98-45』)が行われます。

◇母本の『佐賀27号』はのちの『天使の詩』です。
 晩生の極良食味品種として佐賀県が育成した品種で、『コシヒカリ』譲りの粘りが強く、柔らかい食味姓を持ちます。
 平成15年(2003年)より奨励品種に採用されています。
◇父本の『愛知100号』はのちの『あいちのかおりSBL』です。
 愛知県総合農業試験場で育成された『あいちのかおり』の準同質遺伝子系統で、縞葉枯病耐性(SL)と穂いもち病耐性(BL)があり、『ハツシモ』譲りの粒がしっかりとした、甘みとさっぱり感がある食味姓を持ちます。

両親の食味姓を兼ね備えた品種を目標に行われたこの交配で得られた種子は9粒。
同年中に世代促進温室で8個体を養成し、翌年4月に22g(1,333粒)の種子を得ます。

平成11年(1999年)、F2世代は世代促進温室で前年の1,333個体の中から約1,200個体を播種、11月に23g(1,283粒)の種子を得ます。
同年の12月にF3世代1,283個体の中から約900個体を世代促進温室で播種(世代促進)し、平成12年(2000年)4月に39g(1,544粒)の種子を得ました。

F4世代から移植場所を圃場に移し、平成12年(2000年)6月に1,544個体が一本植えで移植されます。
出穂期は早生から中生に分類されるものが多く、稈長は中稈のものが多く分布しました。
この中から熟期及び草型で69個体が選抜されます。
そこからさらに外観品質と粒形で14個体まで絞ります。

平成13年(2001年)F5世代より系統栽培に入ります。
供試14系統のうち2系統において分離が見られたものの、他系統については概ね固定していることが認められました。
固定が確認された12系統の熟期はいずれも8月下旬で、稈長は中~長稈。
圃場では熟色と草姿で5系統を選抜し、室内で外観品質と粒形、さらに味度メーターによる味度値(食味評価)でさらに3系統15個体まで絞り込みます。

平成14年(2002年)F6世代は前年の3系統に系統番号を付し、15個体を3系統群15系統(各系統50個体)として播種、生産力予備試験及び特性検定試験に供試されます。
結果『さ系714』について対照『ヒノヒカリ』より多収で、千粒重も重く、粒張りが良く、外観品質が優れ、食味官能試験でも『ヒノヒカリ』並との評価を得ます(1系統群1系統5個体を選抜)。

平成15年(2003年)F7世代で2年目の生産力予備試験及び特性試験に供試されます。(1系統群5系統250個体)
なおこの年から特性検定試験に早植えによる高温登熟性の検定が加えられます。
結果、耐病性は不十分とされたものの、収量性、外観品質及び食味性は安定して優れており、登熟期間の高温にあっても白未熟粒の発生は少ないとの評価を受けます。

これを受けて平成16年~17年(2004~2005年)の2年間、『佐賀37号』の地方系統名を付して奨励品種決定試験の基本調査と特性検定試験に供試されます。
平成18年(2006年)F10世代には奨励品種決定調査の基本調査に加え、県内の適応性把握のための現地試験が県内平坦部の3カ所で行われます。
これは台風13号の潮風害に遭い、品質・収量共に著しく劣る結果に終わりますが、『ヒノヒカリ』よりも優れていました。
平成19年(2007年)F11世代は奨励品種決定試験が継続して行われ、現地試験は前年度の平坦部3カ所に加え山麗地5カ所を加えた8カ所での実施となります。
これに加えて市場評価を行うために平坦部で大規模な栽培が実施され、この年から種子の増殖も始まっています。


そして平成20年(2008年)10月、F12世代において種苗法に基づく品種登録の出願が行われ、平成23年(2011年)3月に登録されます。

最終、国育成の『にこまる』と佐賀県の奨励品種の座を争ったそうですが
登場当初の平成21年(2009年)当時、導入初年度としては異例の約1,520haもの大面積で栽培が始まりました。




系譜図

『あいちのかおり』の血が色濃く見えますね。




参考文献

〇水稲新品種「さがびより」の育成:佐賀農セ研報(2012)


関連コンテンツ







2019年7月21日日曜日

『86P-11』さんの話(『ひとめぼれ』幼少期)









東北143号『ひとめぼれ』さん

は、耐倒伏性・耐病性を改善した『コシヒカリ』(耐冷性に優れ、極良食味)、つまりは『スーパーコシヒカリ』とも言える品種…
育成するための交配母本とすることを目標に育成が開始された品種です。


つまりあくまでも『ひとめぼれ』は育種の途中段階の単なる”育種素材”として育成が進められていました。
一般に普及させるような品種ではなく、育成した後は『ひとめぼれ』を親としてさらに交配を行い、栽培特性に優れた極良食味品種を育成しようとしていたわけです。


事実、『コシヒカリ』からは倒伏性が多少改善した程度で、耐病性はほぼ変わらず弱いまま、というのが『ひとめぼれ』の実態です。

でも
千葉県の要望を受けて県外に出してみたらあら不思議。
高温条件下(注:現在の高温障害とは異なる)でも生育・品質は安定しており、食味の評価も極めて良好。(千葉県の要望を受けて多少選抜の主眼を変えてはいますが)

それに丁度大冷害を受けて『ササニシキ』の耐冷性の低さも際立ったタイミングで育成を完了したのも奇遇といえるでしょうか。
そんな感じであれよあれよと全国的な品種になってしまいました、という話。

詳しくはの育種経過を参照してください。


東北143号『ひとめぼれ』【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】




2019年7月15日月曜日

【粳米】東北78号~ササニシキ~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『東北78号』(『水稲農林150号』)
品種名
 『ササニシキ』
育成年
 『昭和38年(1963年) 宮城県立農業試験場古川分場(農林省指定試験地)』
交配組合せ
 『ハツニシキ×ササシグレ』
主要生産地
 『宮城県』
分類
 『粳米』
『ササニシキ』です…幻みたいに言われますね…はい




どんな娘?

かつてコシヒカリと日本を二分し(てしまったのはササニシキ主要産地の宮城県が西日本への出荷に消極的だったせいでもあるのだが)た娘。
おっとりのんびり屋なのはコシヒカリと大差ないが、より病弱。

相手の言うことになんでもすぐ合わせ、自己よりも他人を引き立てる事が多く、存在感が薄い。(「自己主張を全くしない」とまで言われることも)
そのせいかは知らないが、今でも結構な生産量があるのに一般にはなぜか”幻の存在”と呼ばれている。(でも大抵の一般品種よりは生産量がある)



概要

東北78号『ササニシキ』は農林省(当時)指定試験地において育成されたため、農林登録番号を持ちます。(水稲農林150号)

あっさり食味が売りの、宮城県を代表する粳米品種。
みやぎ米四姉妹(『ひとめぼれ』『ササニシキ』『だて正夢』『金のいぶき』)の一角を形成しています。

現代平成では病弱なイメージの彼女ですが、登場当初(昭和30年代)宮城県の主力品種であった『ササシグレ』よりはいもち病耐性に優れ、5%程増収(試験時3.9%~7.7%増)になり米質も優れていたため、一気に普及が進みました。
地方系統名である『東北78号』時代から前評判は広がっていたそうで、採種用ほ場から盗難被害まであったそうです。
そんな事象も起きるほどですから、どこからか種籾が流出し、登場(奨励品種採用)した昭和38年(1963年)当時で既に宮城県で約1,900ha、山形県でも約500haの作付けがあるという謎の事態が発生した・・・とか(本当?)。
デビュー3年目の昭和40年(1965年)には49,682haと5万ha近くまで伸び、作付け順位もトップ10入り(S40年で10位)を果たします。
収量のみならず食味の良さから大変人気のある品種となり、昭和60年(1985年)に作付面積2位(約20万ha)まで作付けを伸ばしました。
しかし、いくら先代主力品種よりは強いとはいえ決して高くない耐病性、さらに倒伏しやすく、冷害にも弱いと非常に作りにくい品種である反面、人気の高さから作付不適地にまで作付けが拡大されたことから評価が低下。
全国的に『コシヒカリ』系統の粘りのある米が好まれるようになったのも一因となり(諸説あり)、需要は低下気味になっていきます。

そして平成5年(1993年)の大冷害が最終的に仲卸業者の信用を失わせたことが決定打になったとも言われます。(ただし作付面積自体は一足早く平成2年の207,438haをピークに減少)
山形県等一部では『ササニシキ』についても冷夏の被害が少なく、品質も保てたそうですが、他産地は壊滅的な被害を受け、全体的な入荷量は激減。
翌年以降”安定性のない品種”として、作っても高く売れない品種になってしまいました。
前年の被害の少なさからも継続して『ササニシキ』を作っていた山形県の農家は、平成6年の出荷の際にどこの仲卸も買いたがらない現実に驚愕します。
農家側で”育てにくさ”、そしてなにより”誰も買いたがらない”ことは大変な問題となり、耐冷性の優れた『ひとめぼれ』が(※偶然※)登場したのも相まって、作付の転換が続きます。
「冷害に弱い点は栽培技術でカバーできる」という思想も、十数年に一度の冷害には無力であることが確定的になった(生産者側にも認知された)ことで、高耐冷性品種への切り替えが進んだとも言えるかもしれません。

こうして『ササニシキ』は作付面積第一線級の品種としては姿を消し、後代品種にその主力の座を譲ることになります。
食味の点で本当の後継になるはずだった『ササニシキBL(IL)』こと『ささろまん』は爆死しましたが、『東北194号』が平成24年(2012年)から普及に入っています。
とは言いながらも、”激減”というのはその前の数字がことさら大きかったからであって、平成後期に入っても、生産量は1万トン超と依然高い水準を保っています。(検査対象約270品種中30~40位くらい)
ちなみに令和元年現在で、産地品種銘柄は『ササニシキ』と『ササニシキBL』で品種群設定されているので、どちらの品種で出荷されても我々が目にするのは『宮城県産ササニシキ』になっています。(ただし、BL種子の配布を希望する人は最近いなくなってしまったそうですが…【2019年・古川農業試験場談】



水稲品種の代表『コシヒカリ』に比べ、あっさりとした味わいが特徴で、繊細な味を持つ刺身を殺さないことから、お寿司屋さんから強い支持を得ていると言われます。
平成後半に入ってから人気になった”もっちりとした食感”や”甘さ”がウリとされる低アミロース、もしくはアミロース含量低目の品種と相対して、寿司では味(自己主張)の強くないお米が好まれるようです。(古米が好まれるくらいですからね)

そんな『コシヒカリ』系統とは違う食味(粘りが控えめ)で知られる『ササニシキ』ですが、アミロース含有率やタンパク質含量はコシ系の『ひとめぼれ』と大差なく(区別できない)、単純な”高アミロース品種”というわけではありません。
『東北194号』育成の際に行われた際の分析では『ひとめぼれ』19.4%に対して『ササニシキ』19.1%(ちなみに同時期の『コシヒカリ』は20%前後)ですから、多少低いとは言えほぼ同じ値です。
同上の食味特性の分析では、炊飯米表面層の粘りと付着量がコシ系に比べ少なく、さらに表層の硬さも”硬い”との評価になっており、単純なアミロース含有率でその粘りが決まっているわけではなく、米粒の構造でその食味が決まっているようです。
これが絶妙なバランスらしく、炊飯米表層の粘りと付着量が『ササニシキ』より下回ってしまうと、食味官能評価も落ちてしまうようです。


『ササシグレ』に比べて出穂・成熟期は1~2日ほど早い晩生種。
『ササシグレ』よりも穂数の多い穂数型の品種です。
稈長は『ササシグレ』とほぼ同じ70~80cm程度で、稈は弱くなびき易いために倒伏には弱いですが、根元から折れるような倒れ方まではいきません。
いもち病抵抗性は葉・穂共に「極弱」と言われる『ササシグレ』より少し強い程度。
白葉枯病抵抗性も弱く、耐病性は総じて弱い品種です。
千粒重は21g程度で粒がやや細めであるものの、米の品質は腹白や心白の発生が非常に少なく、光沢もよいとされます。


『ササニシキ』の姉妹品種達

『コシヒカリ』がそうだったように、同じ交配雑種後代から複数の品種が育成されています。
平成育種でもたまにあるにある「両親が同じ品種の組合せ」とは違い、「同じ交配後代から育成された」姉妹品種達になります。
ただしいずれも大規模普及までには至らなかったようです。

〇『ふ系60号』
『古交79』のF2種子が青森農試の藤坂試験場に譲与され、そこから育成。
昭和38年(1963年)時点で試験中でしたが、実際の普及実績は無し?

〇『び系54号』
『古交79』F2の譲渡を受けた藤坂試験場(青森県)から山形農試尾花沢試験地に再譲渡が行われ、そこから育成されました。
こちらも昭和38年時点で試験継続中とされ、その後昭和42年(1967年)~46年(1971年)にかけて最大約1,400ha普及したようです。

〇『東北80号』
『東北79号』より1年遅れの昭和39年(1964年)に地方系統名が付与されました。
こちらも試験の結果、一般普及までには至らなかったようです。


そして新興宗教の崇拝対象変な論調が目立つように・・・

平成後半になって表だって目立つことのなくなった『ササニシキ』ですが・・・まず前述したとおり「幻の米」というほどまで生産量減っていないんですよね・・・
ということで現実を無視したスピリチュアルというか変な信仰というか商売の対象になっているようですが、基本的に妄想の類いです。
創作で楽しむ分にはいいですが、無根拠な「体にいい」系の変な話にはだまされないようにしましょう。

〇『ササニシキ』は米アレルギーの心配が無い(わけがない)
→一部の米アレルギー症状が起きにくいと言っている人がいることは確かですが、理由がよく分かっておらず、どのタイプのアレルギーに反応しないかなども分かっていません。
アレルギーの原因は人により様々です。変なサイトが言っていることではなくまずはお医者さんの言うことを聞きましょう。

〇『コシヒカリ』とその子品種はもち系品種!『ササニシキ』はうるち系品種(なわけがない)
→「糯」は量的形質(0~100のいずれか)ではなく質的形質(0か100どちらか一方)です。
「糯に近い」や「粳で糯に近い」なんてことはありません。「糯である」か「糯でない」の2種類しかないのです。
 『コシヒカリ』も『ササニシキ』も粳米ですから、「もちの性質を持つ」なんてことはありません。(繰り言ですが「糯」というのは、メラニンが欠如する「アルビノ」と同じようなものです。色白の人に対して「アルビノの性質を持つ」なんて言いませんよね?「皮膚の色素薄めである」ことと「皮膚の色素が欠如している」ことは似ても似つかないものです。)


〇『ササニシキ』は日本古来のうるち米だから、『コシヒカリ』と違ってもちの祖先を持たない!(から体にいい)(ってどういう理屈?)
→『ササニシキ』の母親の『ハツニシキ』は『コシヒカリ』と姉妹です。
 『コシヒカリ』に「もちの祖先」がいるとしたら、姪に当たる『ササニシキ』だって当然「もちの祖先」を持ってますよね。
と、理論破綻しているんですが、まぁそもそも「もちの祖先」なんてもの自体存在しないのですが(破綻する以前の問題)
あと少し凝ったサイトだとアミロース含有率を引き合いに出していることもありますが、前述したように『ササニシキ』のアミロース含有率はコシヒカリ系の品種と大差ないことも多いです。


アレルギー関係は将来的に因果関係が証明される可能性があるので、全面的に否定できるものではないですが、変な謳い文句と無根拠な効果宣伝に騙されるようなことだけはないようにしたいものです。
「高アミロースだから」とか「モチ系の血を引いてないから」なんて謳い文句で売ってたら間違いなくなんにも分かってない人です。
気を付けましょう。


育種経過


昭和28年(1953年)に宮城県立農業試験場古川分場(農林省指定試験地)において『奥羽224号(ハツニシキ)』を母本、『ササシグレ』を父本として人工交配(『古交79』)を行い、以後選抜固定が進められます。

◇母本の『奥羽224号(ハツニシキ)』は「農林22号×農林1号」五姉妹の次女にあたり、言わずと知れた有名な『コシヒカリ』はその四女です。
基本栄養生長量(期間)が比較的長いために、作期の変動があっても生育期間の変動が少ない、晩植適応性を持つ品種として母本に選定されました。
◇父本の『ササシグレ』は当時の宮城県の主力品種で、その多収性を子品種に導入することを目的に選定されています。

「良食味の二大品種」のように言われる現在の『ササニシキ』の肩書きからすると意外かもしれませんが、この交配は「二毛作に適した晩生品種の育成」を目標に行われました。
戦後間もないこの頃、食糧増産が叫ばれる中で、農地を最大限活用するために1年を通して麦作と稲作を行う「水田二毛作」が奨励されていました。
宮城県はこの二毛作が行える北限地と考えられ、麦を収穫した後の6月の田植えに対応できる多収品種が必要、と考えられていたのでした。

交配翌年の昭和29年(1954年)はF1養成。
昭和30年(1955年)F2世代から選抜が行われます。
現代の育種から考えると早すぎる選抜開始ですが、まだ育種法が確定されていなかった時代はこのように遺伝的にも安定していない早期に選抜を始めてしまうことも常でした。
兎にも角にも選抜にあたって、育種目標に沿った晩播晩植の条件下で栽培されます。
この『古交79』の交配後代は「成熟時の熟色がすこぶる美しい」と評価され、F2選抜の際もそれを指標に個体選抜が行われ、圃場で144個体、さらに室内で穂重その他の形質が加味されて最終的に50個体を選抜します。

昭和31年(1956年)F3世代も同じく晩播晩植栽培、前年の50個体を50系統(系統仮番号『5025』~『5074』)を各56個体播種。
内35系統が選抜されます。(このとき選抜された系統5040番が後の『ササニシキ』)

昭和32年(1957年)F4世代も引き続き晩播晩植。
35系統群(『5369』~『5403』)225系統(※)とし、各系統につき75個体を播種。
この中から45系統が選抜されました。(後の『ササニシキ』は系統『5379-4』番)

昭和33年(1958年)に一つの転換期を迎えます。
より盛んになると予想されていた水田二毛作が昭和28~29年頃をピークに逆に衰微に移っており、古川分場の育種の重点も晩植用品種から一般用品種に移さざるを得なくなります。
そのためこの年より晩植条件での試験をすべて中止とします。
そのため『古交79』F5世代も晩植用品種(二毛作用)ではなく普通栽培用品種としての育種に切り替え、標準栽培下での選抜が行われます。
なお、この年から収量検定も開始されています。
前年選抜された45系統から44系統群(4466~4509番)として220系統各56個体を播種し、24系統を選抜します。(後の『ササニシキ』は系統『4473-5』番)

昭和34年(1959年)F6世代は24系統群(920~943番)120系統として各系統56個体を播種し、13系統を選抜します。(後の『ササニシキ』は系統『923-2』番)
なおこの年から特性検定を開始し、秋田・岩手両県で系統適応性検定が実施されます。


昭和35年(1960年)、前年の試験結果が良好であったため、F7世代において『東北78号』の地方系統名を付与。
関係各県に配布の上、地方での適性確認を行っています。
13系統群(462~474番)65系統(各系統87個体)を播種し、6系統を選抜。(後の『ササニシキ』は系統『464-2』番)
昭和36年(1961年)F8世代は6系統群(218~223番)30系統(各系統87個体)から2系統を選抜。(後の『ササニシキ』は系統『219-3』番)
昭和37年(1962年)F9世代は2系統群(184番、185番)10系統(各系統87個体)から2系統を選抜。(後の『ササニシキ』は系統『184-2』番)

昭和38年(1963年)5月、F10世代において『水稲農林150号』に登録され、『ササニシキ』と命名されます。
同年宮城県の奨励品種に採用され、宮城県内を席巻することになります。


※育種論文の「第1表:育成経過」内では「225系統」となっていましたが、「第1図:育成系統図」では1系統群につき5系統となっているので「35系統群各5系統=175系統」・・・かもしれません

系譜図

母本の『ハツニシキ』は『コシヒカリ』の姉妹、同じ交配雑種後代から生まれた品種です。
『ササニシキ』から見て『コシヒカリ』は伯母さんにあたるので、この関係性はちょうど『ミルキークイーン』と『ミルキープリンセス』の様なものでしょうか?

東北78号『ササニシキ』 系譜図



参考文献(敬称略)

〇みやぎの稲作読本:宮城県農業普及協会
〇水稲新品種「ササニシキ」に就て:末永・高島・鈴木
〇水稲新品種「東北194号」について:宮城県古川農業試験場



”本当”の幻の酒米『短稈渡船』とは? 間違い徒然~ネット上では90%誤情報しかない!?~

これはあくまでも管理人墨猫大和の集めた情報による私見です。
必ずしも「正確な情報」ではない点にご注意ください。

”ちゃんとした根拠や論拠”で反論することは十分可能な内容だと思います。
ただし、当時(明治~大正期)の資料を基に反論ください。
現代の慣習や書籍を元に反論されても、この問題は「そもそもその根拠が間違っている」という話ですので意味がありません。







目次


”誤った情報”が”事実”として塗り固められたネット


『短稈渡船』

…と、ネット上で検索すれば多くの検索結果が表示されます。

『山田錦』の父親!
滋賀県で幻の酒米『短稈渡船(たんかんわたりぶね)』を復活!
『短稈渡船』を醸した日本酒!
兵庫県産『短稈渡船』を使用!

等々…
この『短稈渡船』を使用したと謳っている日本酒も数多くありますね。

結論から言うと、最初の【『山田錦』の父親!】以外は誤り
そしてネット上では90%(体感)以上でこの間違った情報が事実であるかのように定着している状況です。



そんな状況ですので、仮にこの文章を見て「え?間違い?そんなことあるの?」となったとして
ネットでいくら検索しても、さも事実であるかのようにどこもかしこも”『滋賀渡船2号』は『短稈渡船』である”と表記するサイトばかりですので

【『短稈渡船』がこの世に無い=現代で『短稈渡船』を謳ってるものはすべて誤り

この結論に達することが出来る人は、かなり少ないかと思われます。
ちなみに残り10%も間違いを指摘しているのではなく、推測に過ぎないという点を抑えて(いないかも知れませんが)表記しているだけですので、意識せず読んで違いに気づけるかは微妙なところです。


※なお、この内容は兵庫県農林水産技術総合センター、および滋賀県農業技術振興センター、および国立研究法人 農業・食品産業技術総合研究機構の3機関への問い合わせにより得た回答で作成しております。無根拠な憶測・推測・批判で無い事だけは最初に明記させていただきます。

ですが

ここで問題にしているのは”山田錦の親『短稈渡船』”と宣伝している点です。”短稈渡船”という単語自体には何も法的制限はないので、表記すること自体に法的な問題はないと思われます(高確率で誤解を招くので倫理(個人)的にはどうかと思いますが)。
ただ、稲品種としての”山田錦の親『短稈渡船』”がこの世に存在しないことは確かです。


蛇足ですが、『短稈渡船』の読み方は
滋賀県に習うなら「たんかんわたりふね」です。
「ぶね」と濁点はつきません。
兵庫県で何と呼んでいたか私は資料を確認できていないのでわかりませんが、滋賀県側の『滋賀渡船』の呼称に準じて『たんかんわたりふね』としています。

そもそも『短稈渡船』とはなにか?

『短稈渡船』という水稲品種は、酒造好適米の”王”との呼び名も高い『山田錦』の交配親、その父本(父親側)として使用されたと”兵庫県の記録に残っている品種”です。

兵庫県立農林水産技術総合センター(の池上氏ら)が発表した
「酒米品種『山田錦』の育成経過と母本品種『山田穂』、『短稈渡船』の来歴(2005年)」では


①どこの品種?
定説では滋賀県農事試験場から取り寄せたという解釈になっています。(大正9年 兵庫県立農事試験場業務功程)
ただし、滋賀県側の記録に『短稈渡船』という品種は残っていません

②いつ頃兵庫県に来た?
大正7年(1918年)頃と推定されます。
大正9年(1920年)の兵庫県本場での水稲品種比較試験が供試3年目とされているため。

③どんな品種?
草型は「偏穂数型」、脱粒性は「難」、芒の多少は「中」、芒の長短は「中」、ふ色および芒の色は「黄白」
(昭和3年度兵庫県立農事試験場業務功程 酒造米試験地ノ部)
”短稈”という品種名から、稈長も短い(当時基準)ことが想像されます。



①にあるように、『短稈渡船』は滋賀県が育成した品種と池上氏らは解釈していますが、肝心の滋賀県側には記録が残っていません。
兵庫県側での独自の呼称であるということです。
いずれにせよ、『短稈渡船』は滋賀県に存在した品種『渡船』系統の品種であることが推測されています。


◯では、『渡船』とは?
滋賀県で明治~昭和38年頃にかけて栽培されていた品種。
純系淘汰で『滋賀渡船◯号』がいくつか育成されています。
しかしながらこの『渡船』と言う品種、近代の記録にほとんど残っておらず、その出自はかなり不明瞭になっています(国と県の主張が違うなど、当時から出自が不明瞭だったことがその原因と思われます)。
その為か『雄町』の選抜品種である、異名同種である等、以下のような説がありますが、両者において確たる証拠はありません。→詳しくは”短稈渡船とは?~3~在来品種『渡船』”を追うに記載しております。
ただこれも『短稈渡船』と同じく、仮説にすぎないものや根拠の乏しいものをさも事実のように取り扱っているものが書籍・ネット問わず多数あり、かなり混迷していることには注意が必要です。

福岡県から”船”で”渡”ってきた『雄町』から選抜したために滋賀県で『渡船』と命名された、
 ↑どうやら確度がかなり低そうな情報なので削除

・試験場において、”船”上での作業中に品種名を付けた札を失くしてしまったものがあり、仮に『渡船』と名付けた。その後、品種特性などから札を失くした品種が『雄町』だとわかった、
 ↑滋賀県に残る記録にこのような記述も(嘘くさい

・福岡県で育成された品種『渡船』を滋賀県が取り寄せた。
 ↑一番確度が高そうな情報

元山口大学教授の森脇勉氏の「イネ在来種”渡船”を再考する」で、この問題について非常に詳しく解説されています。
上記の最後「福岡県から取り寄せた品種である」がもっとも確度の高い説ではあるのですが、いかんせんその福岡県に何も情報が残っておらず、『渡船』の出自を追うことは今現在不可能になっています。

ただし、DNA解析において『雄町』に非常に近い品種であることが示唆されており、『雄町』近縁種であることは間違いないようです。(~酒米品種群の成り立ちとその遺伝的背景~)
ただし、(現代に保存されている)『滋賀渡船2号(渡船2号)』は『神力』系統の遺伝子も含まれ、純系淘汰よりは自然交配による雑種からの派生が推定されています。(同上)


しかし厄介なのが
滋賀県では明治38年(1905年)に郡市農会模範農場長会において異名同種の品種名統一を行っており、その際に全国的に『雄町』とされているものについても『渡船』の異名同種として『渡船』に名称を統一しています。
つまり、明治38年以降に滋賀県内で栽培されていた『雄町』は『渡船』になったのです。
滋賀県で選抜している『渡船』とは厳密には違う品種(かもしれない)『雄町』ですが、滋賀県内ではあくまでも名前が違うだけの同じ品種として、『渡船』として呼ぶようになりました。


兎にも角にも
この『渡船』の純系淘汰品種の一種が、『短稈渡船』であったと思われます。



ネットの誤解とは?どこから始まった?


滋賀県から兵庫県にわたった大正7年頃と言う推定から、同時期に滋賀県で育成された『渡船』系統の品種『滋賀渡船2号』、『滋賀渡船4号』、『滋賀渡船6号』、この三つのうちのどれかが兵庫県にわたったのではないか?
そしてこの中で記録に残る『短稈渡船』の特性と最も類似するのは『滋賀渡船2号』であるため、『滋賀渡船2号』が『短稈渡船』とほぼ同じものではないか、という兵庫県立農業技術センターの池上氏の推論”酒米品種「山田錦」の育成経過と母本品種「山田穂」、「短稈渡船」の来歴”に記載されています。

そしてネット上ではこの”推論”がもはや確定された”事実”として流布されており

『滋賀渡船2号』が『短稈渡船』であり、『山田錦』の親品種である(誤り)

相当数がこのような表記で、酷いものでは『渡船』そのものをもはやひとくくりにして『渡船』でも『同2号』でも『同6号』でも『短稈渡船』(『山田錦』の親)扱いです。
日本酒の原材料表記でも多くの蔵が兵庫県産、滋賀県産、茨城県産の『短稈渡船』使用を謳っています。



…いえ、決めつけは良くないですね。
明確な証拠がなく肯定出来ないということは、逆に否定も出来ないということです。
『コシヒカリ新潟BL(IL)』を『新潟県産コシヒカリ』と表記することが許可されるように、関係する公的機関が『短稈渡船』を認め、表記を許可しているのかもしれません。


総括
『短稈渡船』を育成したと(定説で)推測されているのは滋賀県(ただし『短稈渡船』という品種名ではない)
『短稈渡船』の品種名を使用し、交配に用いたのは兵庫県
『短稈渡船』=『滋賀渡船2号』ではないかとの推論を出したのは兵庫県の池上氏
『短稈渡船』の種子を保存している(とネット上でされている)のが農研機構

ここで唐突に出てきた農研機構ですが、茨城県の「府中誉」という酒蔵が、ここから『短稈渡船』の種子を譲り受けて復活させた、と広報していました。
茨城県産の『短稈渡船』とやらはおそらくここが出自でしょう。
さて
関係する上記機関に対して問い合わせしてみましょう。


関係する機関の回答は?

『滋賀渡船2号』は『短稈渡船』なのでしょうか?公認しているんでしょうか?ということで、問い合わせしました。
仮に認めている場合は根拠を教えてください、とも書き添えましたが(9割以上わかってはいましたが)無駄な質問でした。(推論でしかないものを認めているわけがないですよね)


◯滋賀県(農業技術振興センター管理部様)
『滋賀渡船2号』が『短稈渡船』であるとは認めておらず、過去の資料でも確認できない。
・滋賀県の記録上残る『渡船』系統は『滋賀渡船2号』『滋賀渡船4号』『滋賀渡船6号』『滋賀渡船26号』『滋賀渡船白銀』であり、『短稈渡船』と言う品種は無い。
・そもそも『短稈渡船』は滋賀県が命名した品種ではない為、『滋賀渡船2号』との関連性は分からない。

◯兵庫県(農林水産技術センター 酒米試験地 池上主席研究員様)
兵庫県として『滋賀渡船2号』が『短稈渡船』であるとは認めていない。個人的意見として似ているとは思う。
・論文の推測はあくまでも個人の見解であり、兵庫県として協議をしたものでもない。
・ジーンバンク、九州大学、京都大学にも『短稈渡船』と言う品種は現存していない。

◯農研機構(広報課(遺伝資源センター)様)
・茨城県の酒蔵「府中誉」に譲渡したのは『渡船2号』であり『短稈渡船』ではない。
・センターで保存しているのは滋賀県産の『渡船2号』及び『渡船3号』だけであり、『短稈渡船』と言う品種は無い。


重ねて、質問に対応いただいた関係機関の皆様に厚く御礼申し上げます。



総論…というほど大したものでもないけど、結論


と、言うことで

『短稈渡船』の実家である滋賀県も、嫁ぎ先の兵庫県も、種子が現存するかと思われた農研機構もその存在を否定しています。
つまり、ネット上や酒蔵で見られる『滋賀渡船2号(他)』=『短稈渡船』論とは、兵庫県の池上氏の推論を拡大解釈した誤った情報が蔓延していた結果と言うことが推測されます。
(無論この推定を元に『山田錦』の優秀性解明のため、父本とみられる『渡船2号』の研究は行われていますが、この仮定を持って父親と断ずるのはどうなのでしょうか?)

『短稈渡船』の産地として兵庫県産、滋賀県産、茨城県産があると前述しましたが

兵庫県産=『(滋賀)渡船2号』
滋賀県産=『滋賀渡船6号』
茨城県産= でも多分『(滋賀)渡船2号』(詳しくはコチラで解説

これが実際の(正しい)品種名であると思われます。(いずれも『短稈渡船』ではありません。)



推論を唱えた池上氏自身が、「個人の見解に過ぎず、公的な見解ではない」と考えられていることからも、やはり現存しない品種については、どこどこまでいっても推測・推論するしかないものなのだと実感します。
(まさか「推論は推論でも説があるんだから本当だろ?」なんてこと言う人はいませんよね?)
繰り返しになりますが、ここで問題にしているのは「山田錦の父親『短稈渡船』」と宣伝している点です。
関連する『新山田穂1号』についても、明らかに間違いな「山田錦の母親『山田穂(新山田穂1号)』」と宣伝している点を問題にしています。

『滋賀渡船2号』で造ったお酒を「短稈渡船」と言う名前で売ろうが、『新山田穂1号』で造ったお酒を「山田穂」として売ろうが、嘘も何もありません(誤解は生みそうですが)が、それを「山田錦の親」と限定してしまうなら現状は明らかな誤りであるか、少なくとも説明不足感は否めません。


兎に角、今現在の事実としては

・『短稈渡船』(『山田錦』の父)はもうこの世に存在しない
・『滋賀渡船2号』は『短稈渡船』ではない



これ以上でも以下でもありません。
※滋賀県、兵庫県、農研機構以上の確たる情報を持っており、『短稈渡船』の存在を証明できる方がいましたらばぜひコメントください。(必ず根拠を明示してください)


本当の『短稈渡船』は?

池上氏の『滋賀渡船2号』=『短稈渡船』説。
『滋賀渡船2号』と『短稈渡船』の特徴が類似していること、同じ系統であることはある程度信頼できる事実でしょうから、これを引用するのがまったくの「間違い」とは言いません
とは言え、突っ込める部分↓も当然あるわけですが

ですが、何度でも言いますが推測であることをすっ飛ばして断定・宣伝している状態を問題にしています。
『山田錦』の父本となった『短稈渡船』が現存していない以上、「断定・肯定すること」も永遠にできないのが現実的ではないでしょうか?

ちなみにここまで読んで「難癖付けたいだけだろうお前は」と思う方もいるかもしれません。
でもですよ?
ちゃんと根拠のある”推測”にしてもまだまだいっぱい出来るんですよ?
証拠は不十分だけど商品に表示するには十分な根拠だ、ってロマンあふれる皆さんの言う「十分な根拠」ってそれ「みんなが言っていること」を聞いただけではないのですか?


池上氏の『滋賀渡船2号』=『短稈渡船』説では、『滋賀渡船6号』を候補から除外するにあたって、稈が長い(2号<6号)ことを挙げています(草型もですが)。
しかしこれは兵庫県での試験の結果であり、福井県での試験の結果によると、なんと稈の長さが逆(2号>6号)になっています。
しかも『短稈渡船』と唯一合致していなかった特性、脱粒性が同じ「難」となっています。
さらに、「大正十五年一月 道府縣ニ於ケル米麥品種改良事業成績概要」(農林省農務局)では『滋賀渡船2号』ほどではないものの『滋賀渡船6号』も”『渡船』よりも稈が短い”と評価されています。
実は『滋賀渡船6号』=『短稈渡船』!?


また、農研機構で保存している『(滋賀)渡船3号』は、正体は不明ながらなんとその稈の長さは『滋賀渡船2号』と同じくらい。
実は『(滋賀)渡船3号』=『短稈渡船』!?


というか同じく現存していない『滋賀渡船4号』はどうなの?
これこそ『短稈渡船』じゃないの?

また奨励品種になっていない品種(系統)でも交配に使われた可能性はあるかと思います。
『渡船』の純系淘汰第一弾『い號』選抜系統について、『渡船い第4号』や『渡船い第90号』は脱粒性が『難』ですし、穂数型依りの『渡船い65号』(脱粒性「やや難」)や『渡船い第93号』(脱粒性「やや難」)もあったり…
このように『い號』選抜系統のどれかが兵庫県に渡った可能性は?

他にも包括的に推測すると「新しい『短稈渡船』の正体論」も展開することは可能です。
山田錦の父親『短稈渡船』とは?その正体を推測する【墨猫独自論】

…と、いろいろ言っても、何を言っても
すべて"推論"です

いずれにせよ資料が限られており、『短稈渡船』が現存していない以上、十分な検証も証明も出来ません。
そして関係機関が認定していないものを「山田錦の親だ」と売りたいがために、販売者側の都合で断定・表記して売るのっておかしくないでしょうか?(どうなんですか?)

『短稈渡船』とは別の『山田穂』の調査で白鶴酒造に質問した際に言われたのは
「昔の品種が現存していないことは当たり前なんだから、消費者だって似たような別の品種を使っていることはわかっているに決まってる
という旨のことでした。
これが世間の常識ですか?
そんなことがありますか?
「山田錦の親『短稈渡船』を復活!使用!」という謳い文句を見て、本当に復刻したと”勘違い”している消費者が悪いというのでしょうか?


あとがき~ネット情報の恐ろしさ~


まだまだ関係者への問い合わせはするつもりですが、ひとまず『短稈渡船』に係る公的機関からの回答が得られたということでまとめました。

しかし驚きなのは、間違いの発生から(池上氏の推論がこの問題の発端だとすると)15年以上経過して多くの人の目に触れてきたはずなのに、この”存在しない品種『短稈渡船』”が多くの日本酒の原料として使われ、それでいて問題視するような記事等がまったくと言っていいほど見つけられないことです。
ネット上で探せないからといって全くないとは決めつけられませんが、今現在(2019.7)も多くの蔵が平気で「『山田錦』の親を使用!」と銘打っていることからも、大きな問題になってないのでしょう。(そもそも問題なのか?という疑問もあるのですが)
挙げ句の果てにはこの「問題にされていない状況」を言い訳にして「誰にも指摘されていないんだから問題ないだろ」とか言っている酒蔵までいる始末です。

日本酒のライターさんとか大勢いても、やはり「米の品種」に関してそこまで知識もっているわけではない、もしくは品種名の正否に興味を持つ人間が今までいなかっただけの話でしょう。



今回の問題は故意に間違ったというよりは、理解の浅い人が、”『滋賀渡船2号』が『短稈渡船』ではないか?”という情報を本当に正しい事実だと思い拡散していくうちに、根付いてしまったものだと思われます。
そしていったん根付けば、ネット上どこを見ても同じ情報だらけ…
”情報の多様性”がウリのネットとは言え、ここまで間違い一色だと多様性も何もありませんから、間違いに気付ける可能性は非常に低くなります。

故意ではない…と言いつつも
「『短稈渡船』は現存していないが、最も近しいと思われる『渡船2号』を使用。山田錦の系統に思いを馳せて…」…やはり売り出すのにこういう文章では歯切れが悪いからという商業的理由が濃い?

…まさか本当に酒蔵が営利目的でわざと”山田錦の親『短稈渡船』!!!”としているなんてことは…ないよね?ないと言ってよ?



続編~JAみのりへ質問~


山形県鶴岡市にある亀の井酒造(株)では「くどき上手 短稈渡船44」という日本酒を販売しており、その中で「JAみのりから『短稈渡船』の種子を譲り受け、復刻させた」と紹介されています。

なので、種子を保存していたというJAみのりへの問い合わせを行いました。

①『短稈渡船』の種子はあるの?
②『短稈渡船』だという根拠は?
③『短稈渡船』だって指導したの?

回答
①ありません。『渡船2号』なら兵庫県から有償譲渡受けています。
②『短稈渡船』なんてありません。
③『短稈渡船』なんてありませんので指導もしていません。

まぁ…ですよね、という話。
でもやっぱり兵庫県からは「『滋賀渡船2号』と『短稈渡船』は似てるよ」と言う話を聞いていたそうです。
しかしこれで、JAみのりが震源地でないことははっきりしましたね(多分…片方の意見だけで断定は出来ませんが・・・)。



引き続き
関係JA、酒蔵への問い合わせを続けます…た↓






結論は…残念な結果に終わりそう…




参考文献

〇酒米品種「山田錦」の育成経過と母本品種「山田穂」、「短稈渡船」の来歴:兵庫農技総セ研報
〇酒米品種群の成り立ちとその遺伝的背景:日本醸造協会誌
〇業務功程 明治43年度~昭和元、2年度:滋賀県立農事試験場
〇業務功程 大正9年度~14年度:兵庫県立農事試験場
〇水稲及陸稲耕種要綱 昭和11年:大日本農会(農林省農務局)


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『短稈渡船』?
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【番外関連】滋賀渡船「2号」「4号」「6号」と”飛び番”である理由は?





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