2020年4月14日火曜日

【粳米・酒米】~神力~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『ー』
品種名
 『神力(器量好・器量能)』系品種群
 ※異名多数
育成年
 『明治10年(西暦1877年) 兵庫県 丸尾重次郎氏選抜』
交配組合せ
 『程吉より選抜』(文献により『程良』『程好』の表記あり)
主要生産地
 『ー』※福井県、兵庫県、熊本県で各純系淘汰後代独自系統が栽培中
分類
 『粳米』※純系淘汰後代は酒造好適米(産地品種銘柄に依る)に分類


神力「神の思し召し、か…それもよかろうかい」




どんな娘?

米っ娘たちのとりまとめ役、太夫元六米の一角。

明治の三大品種の一角。
理知的な発言と見た目から丁寧な仕事ぶり…が想像されますが、実は結構雑で物事をこなす際にも粗さが目立ち、太夫元六米の仲間内からも苦言を呈されることがあります。(でも昔だったらそれなりに丁寧って評価されたのに…【本人談】)
ただ、そこそこの出来で大量に仕事をこなすのは得意で、質より量が求められる時代には大いに人々の助けになったのは確かです。

生まれた時こそ「誰よりもよく食べ、よく働く」の代名詞だった彼女ですが、今時の米っ娘にはどちらも遠く及ばない現状についても、嘆くのではなくその変化を愉しんでおり、事象の理解・分析には細やかなところがあるようです。

ちなみに、上州が後ろにくっついていることが多く、なにやら気が合うようで一番仲のいい組み合わせです。

一人称は「私たち」。
他の太夫元六米(や「在来」と呼ばれる品種)は性質や熟期も幅広い(固定が不十分な)ことが多いですが、愛国と並んで神力も純系淘汰で正式に固定した子品種が作出される以前の段階で早生・中生・晩生が存在していたせいか、時折性格のブレが大きく出ます。


概要

主に大正期~昭和初期に言われたという西の『旭』に東の『亀の尾』は有名どころですが
それ以前の明治~大正の時代に西の『神力』、東の『愛国』と称され、『亀の尾』も加えた三大品種に数えられたのがこの『神力』(系品種群)です。
前者は良食味品種として東西の双璧に数えられましたが、後者は多収品種と言う意味での東西の双璧…と言えるでしょうか。


『神力』の名は、「稲姿と籾色が甚だ優美であり、その多収性に神の加護を感じられた」ことから、と言う何とも神秘的なお米ですね。
『花嫁美人』と言う異名も、その見た目(稲姿)の美しさ故だそうです。

時代は明治初期。
明治6年(1873年)の地租改正により、農民は豊作・凶作にかかわらず一定の税金を納めなくてはならなくなり、生活はより一層苦しいものとなり、諸県では一揆が起こるほどでした。
そんな中ですから、税金を納めるためにより多くのお米がとれること、そして仮に天候の悪い年にも多くのお米がとれることが強く求められました。
つまりより多収で耐病・耐冷性に優れた新品種が求められていました。
まさにその時代に生まれた『神力』は、従来品種の1.25倍という並外れた収量を示し、なおかつ当時としては品質も良いと評価され、神の授かりものとさえ言われました。
大正期に普及した『旭(朝日)』に収量・米の質・耐倒伏性・耐病性すべて劣るとされ、姿を消しましたが、間違いなく明治期の西日本の米農家を支えた素晴らしい品種です。

明治初期は大豆粕肥料が普及し始めていたころでしたが、これに対する耐性が高いことからも、食糧増産に一役を買ったようです。
しかし大正8年(1919年)頃から硫安(硫酸アンモニウム)のような無機質肥料の使用が増えるとともに、いもち病が増え始めたというので、無機質肥料に対する耐性はあまり強くなかったことがうかがえます。

大正8年(1919年)が最盛期で全国作付面積の約19%を占めましたが、以降実質的な後継品種『旭』への切り替えが進み、昭和20年代半ばに姿を消したそうです。

大正時代の『神力』は、普及していた県が多かったせいもあってか、かなりの種類の純系淘汰品種が奨励品種になっており、正直収拾がつきません…
在来で既に『早生神力』『中生神力』『晩生神力』が確認でき、それぞれの在来から選抜された純系淘汰種(『早生神力◯号』等)が育成されたようです。
品種名に地名を載せているところ(滋賀県や奈良県)では、名前が長すぎるせいか
【奈良県が、『在来晩生神力』から選抜した品種の1号】を『奈良晩神1号』
のように、「神」だけを用いた品種名もみられます。
そんな『神力』の名を冠した品種の中でも、愛知県の『愛知栄神力』(『神力』×『三河錦』交雑種)や高知県の『土佐神力』(『愛国』×『神力』交雑種)、鹿児島県の『三井神力』(『愛国』×『神力』?交雑種)など、純系淘汰ではない純粋な子品種も存在していたようです。
ちなみに、『愛国』の場合は『改良愛国』が交雑による子品種でしたが、大正時代に確認できた範囲では『改良神力』はすべて純系淘汰による育成品種となっていて、やはり昔の品種を調べるにあたって名前だけでは容易に判別できないようです。

さらに『早生神力』などについても、基本的に現代で『神力系品種群』の扱いを受けている事が多いですが、明治~昭和初期当時からして「神力の一種として良いものか」とされていることが多いのです。
本来であれば区別されるべき別品種で、遺伝的に近縁であるかどうかは別として、慣例・慣習によって『神力系品種群』が構成されていたことが窺えます。


広島県における『伊勢錦』

『伊勢錦』と言えば三重県生まれの在来種で、平成・令和現代においても純系淘汰後代の『伊勢錦722号』が栽培されていますが、明治期の広島県では『神力』系品種群の異名として『伊勢錦』が用いられていました。

広島県では明治43年に『神力』の中から特に優良と認めた「草丈がやや長く、分けつ数の多い個体」について『伊勢錦』と命名、配布していました。
大正6年に名称統一のために『神力』に戻していますが…
明治43年~大正6年の間、広島県から取り寄せた『伊勢錦』はその実『神力』(系品種群)ということですね。
もしも昔の品種を調査する場合(そんなことあるのか)はこの点注意が必要ですね。


愛知県における『早生神力』

愛知県では明治27年、知多郡八幡村の加藤石松氏が兵庫県から『力良』と呼ばれる品種を持ち帰り、抜穂しつつ数年純系淘汰を行っていました。
その純系淘汰を行ったものがさらに安城町里(安城市里町の誤記?)の富田宇吉氏の手に渡り(譲り受け)、『早生神力』と命名して普及されました。

これがさらに大正4年に愛知県農事試験場において『三河錦』と改名され、奨励品種に加えられています。
ここから順次純系淘汰による系統変更が行われ、昭和4年来『愛知三河錦4号』が奨励品種になりました。

これが酒米品種としても有名な『愛山11号』の母系統に当たることからよく紹介され、そしてよく誤解されていますが、『早生神力』は上記のように選抜者も選抜過程も、兵庫県の丸尾氏が選抜した『神力』とは全く違う品種です。
大正時代の愛知農試が『三河錦』と改名したのも、兵庫県発祥の『神力』と区別するためだと推測されます。

系譜図では単に”早生神力”や”神力”としか表記されないので勘違いされやすいですが、これが在来品種を語る上で注意しなくてはいけない点です。
同じ名前の品種などいくらでもあるので、単に品種名だけで判断することはできないんですよね。


北海道における『神力1号』『神力糯2号』『神力3号』

(全くリサーチできていないので全体は把握出来ていませんが)数多くの県で「神力〇号」という純系淘汰で育成された神力系品種は数多く存在し、普及に移されました。
当然それは自然雑種や別品種など含む雑多な品種群からの選抜…であるものの、一応「在来種『神力』に類する品種」、と言うことは出来るでしょう。
ただまったく完全に関わりの無い”神力”も(おそらくこれ以外にもたくさんあるのでしょうが)

北海道夕張郡長沼村(昭和20年当時)の篠島淸作氏が育成した『神力1号』『神力糯2号』『神力3号』らがそれです。(この後ももしかして?)
一見すると在来種『神力』からの純系淘汰のように思えるかもしれませんが全く違いました。

※一応品種名は原表記ままで
『神力一號』……『上育B十八号』(後の『栄光』か?)の純系淘汰
『神力糯二號』…『改良糯一號』×『陸羽一三二號』交配後代
『神力三號』……『水稲農林二十號』の純系淘汰


『神力1号』『神力糯2号』の育成完了年は不明ですが、『神力1号』の選抜元『上育B18号』の配布開始年がイネ品種データベース通り1939年(昭和14年)だとすると、1号の育種完了年は昭和16~19年の間(純系淘汰に3年程度かかると勘案)かな?と言う推測は出来ますね。
『神力糯2号』は同時期かそのあとでしょう。
『神力3号』は昭和20年度に「本年度発表品種」とされていますので、昭和20年(1945年)育成完了…でいいのかな?

この篠島淸作氏なる方が如何なる方か詳細はわかっていない管理人ですが、大正8年(1919年)から個人で育種を続けている方のようで、記録からも全国各地の農事試験場から助言や資料の提供を受けた上で、公的試験場に劣らない数の交配を行っています。
この方は試験系統に『神系』とつけるなど、なにかしら”神”に強い思い入れがあるように見受けられ、以下の一文が「水稲新品種育成のあらまし」に記載されていました。

自分という微少なるものゝ力で出来ることは一つもないのだ。如何なる小さな仕事でもみな天地を貫く偉いなるものゝ力による、此の偉大なる力の主を神と云ひ佛といふのだ。右にせず左せず只一筋に神の命ずるまゝに使命を果さう。如何に採算がとれなくても、こと、如何に小なりとも使命だもの、毅然として神業を翼賛しやう。

有名どころの在来種『神力』とはまた違った意味が込められていそうな品種ですね。

『コシヒカリ』との関連性

『コシヒカリ』につながる系譜としては、『コシヒカリ』の母親『農林22号』のさらに父親『農林6号』まで遡ります。

この『コシヒカリ』の母方の祖父に当たる『農林6号』の父親、『コシヒカリ』から見て曾祖父が『撰一』となっています。
この『撰一』は『器量好(神力)』からの選抜種であり、このように『神力』の血が現代に繋がっているというわけです。


現代の『神力』 現代における純系淘汰種

栽培が途絶えた『神力』も平成の時代に栽培が復活していますが、これは保存されている複数系統の『神力系品種群』の中から優良なものを選抜したもの…
と言うより、もう完全にこれは神力系統の新品種を作り出した、と言っても過言ではないでしょう。

〇兵庫県
『神力』復活としては熊本県の方が先のようですが
兵庫県では平成6年(1994年)に姫路市の本田商店が「郷土が生んだ米の原種で酒を造りたい」と要望したのが始まりだったそうです。

酒米試験地が京都大学農学部から種子を取り寄せ、平成8年(1996年)に中島集落での栽培を始めました。
柳津北営農組合と普及センター、JAの協力の下で、ジーンバンクから取り寄せたものも加えた8系統で比較試験を行い、酒造適性に優れた1系統を選抜。
その1系統を平成12年時点で3ha作付けしていたそうです。

後述する熊本県と同じように、兵庫県も独自の選抜を行った現代版『神力』(純系淘汰)を栽培している模様です。

〇熊本県
熊本県の美少年酒造が復活を志したようで、JA熊本経済連も全面的な協力を行ったようです。

平成3~4年(1991~1992年)の2年間、熊本県内で『神力』の種子を探すも見つからず。
平成5年(1993年)になり、佐賀県内の農家が保存していた『神力』を見つけましたが、栽培してみたものの収量や品質が良くなく断念。(これって佐賀県の在来『神力』(別種)では?)

翌平成6年(1994年)、茨城県にあるジーンバンクで保存されている『神力系統品種群』39系統の中から7系統の種子を譲り受け、これを熊本県農業試験センター(当時)矢部試験地で系統選抜。
翌平成7年(1995年)には矢部町で現地試験し、良質種子を選抜。
平成8年(1996年)は各地での試験栽培の結果菊池地区を主力生産地に決定し、なおかつ良質の籾を選抜。

このようにして復活したこの品種は、まごうことなく熊本県が作り上げた酒米『神力』と呼ぶにふさわしいでしょう。
(無論、初代『神力』から見れば純系淘汰による子品種にはなるかと思いますが)


他福井県はよくわからんです・・・
『福井県産神力』について記述してる酒蔵の情報はあるにはあるんですが、正直信用できません。
公的機関が記述した資料があるといいんですが・・・


育種経過

明治10年(1877年)に兵庫県揖西郡(現:揖保郡)中島村の丸尾重次郎氏が、有芒種である在来『程吉』の中に、無芒で籾の大きい3本の穂を発見し、選抜。
翌明治11年(1878年)に試験栽培し、2斗4升6合(約307kg)の籾を得ると同時に、当初は『器量好』(きりょうよし)と名付けました。
※文献により『器量能』の表記も有り

中島村では発見から3年目の明治12年(1879年)に本格的な栽培に入り、結果既存の品種よりも25%も増収となった上、米質もよく(当時基準)大粒と言う素晴らしい結果に、近隣の農家も種籾を譲り受けて栽培が拡大していったそうです。

明治15年(1882年)には揖西・揖東の平坦部のほとんどに普及し、明治19年(1886年)に余部村(現:姫路市)の岩村善六氏などと協議し『神力』と名を改めました。
岩村善六氏はこの『神力』の多収性や沿革を中央の農商工広報に載せて全国に紹介し、この後全国に普及していくことになります。

明治20年代の時点で大阪、京都、兵庫、徳島、香川、九州一円に広がりました。
明治30年代前半には神奈川県以西にまで広がり、40年には栃木県以西まで広がったとされています。

これだけの急拡大に対応するために、種子を改良して共同採取する「水稲神力採取組合」が揖西村に結成され、相当な努力のもと、この『神力』の急拡大に対応し、種子を供給したとされています。


系譜図

『神力』系譜図


参考文献(敬称略)

◯酒米「神力」の復活:佐々木定
◯「コシヒカリ」祖先品種の栽培特性と食味:福井県農業試験場 中岡史裕ら
◯日本の在来稲とその現状ーブランド米の祖先品種と現在の状況ー:公益社団法人 米穀安定供給確保支援機構
〇ひょうごの農業技術No.111~特集 酒米生産現場の取り組み~:兵庫県立中央農業技術センター
〇広島縣農事成蹟要覧(大正六年七月刊行):広島県内務部
〇水稲育種のあらまし昭和十九年度:篠島淸作
〇水稲育種のあらまし昭和二十年度:篠島淸作
○米麦品種改良増殖事業概要 並 米麦原種穂事業成績:愛知県立農事試験場

8 件のコメント:

  1. 神力って結構古い品種だったんですねー。それと未だに上州が謎すぎる( ゚д゚)
    一体どんな米だったんでしょうか…。

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    1. どうもです~

      『撰一』と『上州』の子品種『農林6号』の特性を見るに
      ・「山間部で多収」
      ・「『銀坊主』よりも多肥栽培下で多収」
      ・穂いもち抵抗性強
      というのがあるようです

      『神力』は無機質肥料に弱いはずですから、『上州』にはそれを補える特性があったのでは…
      山間部にも適している特性も『上州』譲りではないか…
      いもち病抵抗性もそれなりにあったんだろうな…
      等々妄想はできますかね

      福井県農業試験場の2017年の論文~「コシヒカリ」祖先品種の栽培特性と食味~では「山形県在来種」とされてる『上州』を『コシヒカリ』の親系統=『農林6号』の親、として扱っていますが、これが正しいかどうか…
      福井県ですし(私怨)、『森”田”早生』とか誤字ってますし(やっぱり私怨)
      情報収集を続けるしかなさそうです

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  2. なるほど...返信ありがとうございます。僕もいろいろ調べてみようと思います。 にしてもやっぱり山形の三大米(?)つや姫、はえぬき、ひとm...どまんなか!!!は美味しいですね~

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    1. 『雪若丸』を忘れてもらっちゃ困るぜい(四コマ描きました)

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    2. あ...すいません...雪若丸まだ...





      食べたことなかったんでした\(^o^)/

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  3. 高温登熟における玄米品質低下のメカニズム解明のため,2012年鹿児島県で試験を行ったようです。供試した品種は出穂期から全て20間の平均気温がほ場では27,0~28,5度、ガラスハウスの方は28、9~30,1度で登熟することになったようです。その結果、ハウスの方でコシヒカリに比べて完全粒が多い品種の中に上州があったそうです。 上州についての情報はこれくらいでした。

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    1. いろいろと調べて頂いたようで…ありがとうございます~

      昔の品種を調べる上で難しいのは
      ①そもそも記録がない
      ②記録があっても異名同種か同名異種かの判別が非常に難しい
      ③同種と判別できても記録が正しいかどうかの判別が非常に難しい
      ④記録と保存個体が正しくても、現代に保存されている系統の特性が昔と同じとは限らない
      …と言ったところでしょうか

      試験に使用されている『上州』はジーンバンクの保存系統だと思いますが
      ジーンバンクも受け入れ時に厳密な調査をしているわけではないでしょうから…
      コシヒカリの親系統としても普及品種としても有名な『陸羽132号』の親として『亀の尾4号』がありますが
      ジーンバンクの4号は「青森県原産」となっているのがいい例ですね

      我々のような素人には難しい分野です…試験場に太いパイプがあれば情報収集ももっと楽なんだと思いますが…

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  4. 上州の親は...やはりわかりませんでした。(クロネコ大和さんでさえ見つけることが困難なんだから僕に見つけられるわけないよね...) 不快に思われたらすみません。

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