2017年8月1日火曜日

【酒米】山渡50-7~山田錦~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

試験系統名
 『山渡50-7』
品種名
 『山田錦』
育成年
 『昭和12年(西暦1937年) 兵庫県立農事試験場』
交配組合せ
 『山田穂(純系淘汰)×短稈渡船』
主要産地
 『兵庫県』
分類
 『酒造好適米』



現行栽培品種の中でも最古参に含まれる『山田錦』の擬人化です。


どんな娘?

米っ娘の中でも最年長の部類に入り、非常に落ち着き払った振る舞いで他品種の信頼も厚い。

人間からは「酒米の王様」と祀り上げられているものの、驕るような態度は一切見せず、酒米の長として皆をよくまとめている。

実は一時期自分と同世代の品種がほとんど居なくなり、内心寂しい思いをしていたが、近年古参品種の復刻が多くなったことを密かに喜んでいる。



概要

酒造好適米の代表的品種とされ、低タンパク、大粒、良好な心白と三拍子揃っており、特に豊潤な日本酒が出来ることから「酒米の王様」とも呼ばれます。
しかし反面稈長が長く、倒伏しやすい上、いもち病、縞葉枯病に弱いことから、栽培は非常に難しいとされています。
だがしかし、『山田錦』から作られる日本酒の人気・知名度、蔵元の評価はやはり高く、平成21年より酒造好適米の検査数量1位を誇っています。

日本酒(正確には酒蔵)にとって一種の登竜門、全国新酒鑑評会(関連記事~鑑評会で使われている酒米品種は?~においても「YK35」という、ある意味神格化にも似た絶対的な扱いをされることもあります。
「YK35」…【『山田錦』を使用し”Y”】【きょうかい酵母9号もしくは熊本酵母を用いて(K)】【精米歩合を35%まで高めれば(35)】(各種説あり)良い酒が出来て、新酒鑑評会でも金賞を取れる、という俗説。


今でこそ「王」とまで呼ばれる『山田錦』ですが、育成完了後の昭和12年(1937年)から、当初の滑り出しは不調だった様子。
いままで県外産の酒米を買い付け、その酒米での酒造に慣れていた兵庫県内の杜氏からは中々使ってもらえなかったそうです。
そんな状況を変えたのが皮肉にも太平洋戦争だったとか。
昭和17年(1942年)に戦時下の統制で県外からの米の買い付けが出来なくなり、使用できる酒米が県産の『山田錦』だけとなってようやく(半ば強制的に)使用されることで、その優秀さが認識されることになったそうです。

昭和38年(1963年)にその作付けは10,843haとピークを迎えますが、やはりその栽培特性からか(米余りの時代になるにつれ)次第に敬遠されはじめ、昭和59年(1984年)には1,974haまで作付面積を減らします。
しかし酒造適性の高さからその価値が見直され昭和60年(1985年)から再増加を開始、平成6年産(1994年)には5,202haまで復活。
その後もしばらくは『五百万石』の後塵を拝して作付面積2位でしたが、「味」の酒造好適米を求める風潮は年々強まり、平成21年(2009年)についに(統計変わって「検査数量」で、ですが)『五百万石』を抜いて酒造好適米1位に返り咲きました。

2017年現在、全国的に栽培されているものの、誕生地である兵庫県での生産が大多数を占めます。
特に兵庫県三木市、加東市の一部は特A地区としてこの地区産の『山田錦』が珍重されている…のですが、これはあくまで栽培地域の歴史的経緯によるランク付けであることには注意が必要です。(生産される『山田錦』の酒米品質を必ずしも反映しているわけではないので、毎年品質に応じて更新される食用米の地区指定とは全くの別種です。)



育種経過


以下、判明している育種経過を記載しますが、育成地である兵庫県立農事試験場は昭和20年7月6日の明石大空襲によりほとんどの施設が焼失し、育成関係の野帳等の資料が失われています。
さらに
『山田錦』が注目され始めた頃には、既に育成に携われた方もお亡くなりになっており不明な部分も多い、というのが実情です。

その人工交配は大正12年(1923年)まで遡ります。
兵庫県立農事試験場において母本『山田穂(純系淘汰)』、父本『短稈渡船』として、担当者西海重治氏によって人工交配が行われます。(交配地については大阪の畿内支場説もあるものの、記録に残る限りその可能性は非常に低いようです)
『山田錦』の母親となった『山田穂』は明治45年(1912年)に兵庫県初の酒米奨励品種として指定されていたものでした。


◇母本『山田穂(純系淘汰)』
もともとは明治のはじめのころから兵庫県の各地で栽培されていた在来品種『山田穂(在来種)』です。
兵庫県立農事試験場では各地から『山田穂(在来種)』を取り寄せ、品種比較試験(同時に適度に純系淘汰が行われたものと思われ)を行い、成績優良であったことから明治45年(1912年)に『山田穂(純系淘汰)』が原種(奨励品種)に指定されます。
大正5年(1916年)からは純系淘汰法による育種にも取り組まれ、大正10年(1921年)には『新山田穂1号』、大正11年(1922年)『新山田穂2号』が育成され原種に指定されています。
従来の『山田穂(純系淘汰)』はこの際に原種から外されました。
※白鶴酒造ではなぜか子品種の『新山田穂1号』を「『山田錦』の母親」と宣伝していますが、経過を見ればわかる通り母本は『山田穂(純系淘汰)』です。

◇父本『短稈渡船』
大正7年(1918年)に滋賀県農事試験場で育成された品種を取り寄せたものと言う推測もありますが、真相は不明です。
『滋賀渡船2号』ではありません。※関連コンテンツ参照
滋賀県の在来種『渡船』系統の純系淘汰品種であると推測されますが、滋賀県側にはそのような名前の品種は無いので正体は不明です。
兵庫県の『新種B』が『短稈渡船』・・・かもしれません。
滋賀県の他の『渡船』系統選抜品種・・・かもしれません。
【関連】滋賀渡船「2号」「4号」「6号」である理由 滋賀県立農事試験場育成品種


大正13年(1924年)F1世代(雑種第一代)の個体養成が行われ、大正14年(1925年)に栽植したF2世代(雑種第二代)500個体の中から50~70個体を選抜します。
昭和元年(1926年)F3は2系統7個体を選抜。
昭和2年(1927年)はF4を48系統栽植、その中から10系統を選抜。
昭和3年(1928年)に兵庫県加東郡社町(現:加東市)で産地適応性試験が行われました。系統番号『140』『143』『144』『148』『149』『159』『161』『163』『178』『179』10系統の中から優良1系統『161』が選抜されます。
昭和4年(1929年)F6世代は生産力検定と並行して6系統栽植、内1系統(15個体)を選抜。
昭和5年(1930年)は15系統栽植の中から10系統45個体を選抜。

昭和6年(1931年)には45系統の中から8系統22個体を選抜、『山渡50-7』という系統名が与えられ…たことに「米麦原種一覧表」ではなっています、が
試験場では昭和7年までは『大粒50-7』
酒造米試験地では昭和8年まで『山田穂×短稈渡船50-7』『山×短50-7』
などと記述はバラバラであり、当時は現在ほど厳密に系統名が決められていなかったようです。(『辨慶(伊豫辨慶1号)』も兵庫県では『純系1045号』・『辨慶1045』・『辨慶1045号』・『辨慶』と記述がバラバラですし、系統名どころか品種名すら雑な時代でした)

翌昭和7年(1932年)からは酒造米試験地でも生産力検定試験が開始されます。
昭和8年(1933年)、『山渡50-7』は”短稈多げつにして収量多く品質も概して良く栽培容易にして有望と認めたり”と評価され、収量性や栽培特性が優れ、有望視されています(16系統→3系統12個体選抜)。

昭和9年(1934年)の生産能力比較試験においても、前年度と同じく収量性・栽培特性の優秀さから有望視される記録が残っています。(13系統→3系統12個体選抜)
また、この年から少肥栽培による水稲品種比較試験も行われていますが、『山渡50-7』系統は供試されていた大粒種6品種の中でも収量、品質共に上位となっています。

この年から地方委託試験も開始され、城崎郡五荘村で栽培・試験。
昭和10年(1935年)F12世代は18系統から4系統16個体を選抜。

昭和11年(1936年)1月31日、水稲原種改廃協議会で『山田錦』と命名され、原種(現代でいうところの奨励品種)として採用されました。
当初は『昭和』と命名される予定だったらしいのですが、最終的に名称変更されています。
あくまでも推測で、当時の山形県で栽培されていた『昭和◯号』(民間育種家・佐藤弥太右衛門氏育成『昭和イ号』~『昭和ヌ号』9品種)との混同を避けるためではないか?との説がありますが、明確な記録は残っていません。
この年は16系統の中から5系統20個体を選抜。

育成の最終となる昭和12年(1937年)、F14世代18系統の中から3系統11個体を選抜し、育種を完了しています。(なお、系統選抜は原種栽培と同時並行で行われていました。)
なお、育種全体を通して醸造試験、つまり日本酒造に適しているかどうかについては判定されていません。
酒造に適しているとされている両親を持つから当然、子品種である『山田錦』も同様に酒造適性が高い、とも言えるかもしれませんが・・・
どの程度酒造に適しているかどうかわからないまま育成された品種が、後年長らく最上級品種として扱われるとはなんとも不思議な話です。


※【要注意】
おそらくネット上では滋賀県育成の『滋賀渡船2号』を、”『山田錦』の父本『短稈渡船』”断定していることが圧倒的に多いかと思いますが、それ、すべて間違いです
あくまでも推測、仮定の話でしかないものが、さも事実であるかのように流布されているですので注意が必要です。
それなら私は「『短稈渡船』は『新種B』である」と断定しましょうか


系譜図


『山田錦』系譜図



参考文献

〇酒米品種「山田錦」の育成経過と母本品種「山田穂」、「短稈渡船」の来歴:兵庫農技総セ研報
〇兵庫県立農事試験場業務功程大正各年度

山田錦の父親『短稈渡船』とは?その正体を推測する【墨猫独自論】


















蛇足【過去のウィキペディアの誤表記による誤情報の伝播】

恒例のウィキペディアなのですが「短稈の長さが130cm」との表記(2017年10月修正済み)
これを真似したのかネット上でも「山田錦は短稈が長い」との表記もチラホラ…
稲の稈の長さについては、(そのまんまですが)『稈長』と言います。

「稈長」「短い」ものを『短稈』と言うのですが・・・(人間で「足」「短い」人を『短足』と呼ぶように)
短稈が長い』では、『短足が長い人』(え?足が短いの?長いの?)のように意味不明です。

※【正】山田錦は稈長が長いので倒伏しやすく栽培が難しい品種です。








0 件のコメント:

コメントを投稿

ブログ アーカイブ

最近人気?の投稿