2020年12月24日木曜日

年賀状の準備をせねば・・・

 

年賀状の時期ですね

・・・そーですね
ほ?
えと・・・準備できているんでしょうか?
・・・そーですね
なんとゆーかですね
(・・・準備できてないんですね)
あらあら~
間に合うのかしら~
間に合わせルンバ!
ガンバルンバ!















2020年12月13日日曜日

【糯米】中新糯40号~こがねもち(みやこがねもち)~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『中新糯40号』
品種名
 『こがねもち』(宮城県産地品種銘柄名『みやこがねもち』)
育成年
 『昭和32年(1957年) 新潟県農業試験場長岡本場(交配:新潟県農事試験場中条試験地)』
交配組合せ
 『信濃糯3号×農林17号』
主要生産地
 『新潟県、宮城県』
分類
 『糯米』

こがねもちだよ、そろそろ楽したいものだがね





どんな娘?

利発な年上のお姉さんキャラ。(糯米三太夫の中では3番目の地位ながら、一番年上)

米のエリート新潟県出身で、物事はきっぱりと決めたがり、曖昧な判断は嫌い。
宮城県に行くと別途名字(名字ではないが)がつくようになり(『みやこがねもち』)、国の統計でも別途扱いされているが、あくまでも同一人物。
コシヒカリと同世代で、現役で親しく且つ対等な立場で話せる数少ない現役古参の一人。


概要

昭和36年(1961年)から昭和57年(1982年)までの間、もち米の作付面積第1位であった古豪、『こがねもち』の擬人化です。(実際は『みやこがねもち』の面積を足すともっと長い期間1位独占)
栽培特性の弱点は多いものの、その糯品質は『ヒメノモチ』よりも一段上とも言われ、生産量が衰えないことがそれを証明していると言えるでしょうか。
餅質は硬くなり易い性質を有しており、加工のしやすさから包装餅用などとして工業生産用の需要が大きいとされています。
反面、和菓子用のような柔らかさの持続が必要な用途には向かないとされています。


新潟・福島以北の東北地方、及び茨城・山梨などで栽培されていますが、米王国である新潟県の代表的糯品種となっており、生産の6~7割(『みやこがねもち』除く)を新潟県が占めています。
(平成27年(2015年)に『ゆきみのり』が登場して少し生産量が減りました。)

昭和33年から現在に至るまで統計に登場する宮城県産『みやこがねもち』は、宮城県における『こがねもち』の産地品種銘柄設定名です。
宮城県だけが用いている独自の呼称で、品種としては同じ『こがねもち』です。

育成地における熟期は中生~晩生の早。
穂数は少ないものの、一穂重が重い「偏穂数型」の品種です。
稃先色は「淡褐色」で通常粳品種との外観による判別が可能です。
稈は太いものの、長く(稈長約80~90cm)もろいために倒れやすく、耐倒伏性は「弱」。
葉いもち・穂いもち病及び白葉枯病への耐性は「弱」とこれもまた弱いです。
いもち病真性抵抗性遺伝子型は【Pia】と推定されます。
耐冷性も「弱」の部類に入り、穂発芽性も「易」のため、栽培特性はかなり欠点が多い品種といえます。


育種経過

『こがねもち』の育種は、昭和18年(1943年)新潟県農事試験場中条試験地の交配から始まりました。
母本は『信濃糯3号』で、父本は粳品種の『農林17号』です。

太平洋戦争末期ながら育種は継続されたようで、昭和19年(1944年)にF1、昭和20年(1945年)にF2養成が行われます。
F2の段階で糯個体の選抜が行われたものと推測されます。

本格的な選抜が始まったのは昭和21年(1946年)F3世代からです。
25系統(『620』~『644』)として、各系統60個体を播種し、その中から3系統を選抜。
昭和22年(1947年)F4世代は3系統群20系統(『416』~『435』)から前年と同じく3系統を選抜。
昭和23年(1948年)F5世代は3系統群15系統(『834』~『848』)を設定、各系統60個体を播種し、3系統を選抜。

昭和24年(1949年)F6世代は3系統群15系統(『923』~『937』)を設定、各系統60個体を播種し2系統を選抜。
昭和25年(1950年)F7世代は2系統群20系統(『807』~『826』各60個体)から5系統を選抜。

昭和26年(1951年)F8世代において『中新糯40号』の地方系統名が付され、この年から試験地が中条試験地から新潟県農業試験場(昭和25年改名)長岡本場に移されます。
この年は5系統群50系統(『1751』~『1800』各90個体)から5系統を選抜しています。

以後、前述したとおり長岡本場で固定が図られ
昭和27年(1952年)F9世代は5系統群25系統(『1』~『25』各90個体)から2系統を選抜。
昭和28年(1953年)F10世代は2系統群15系統(『1』~『15』各90個体)から1系統を選抜。
昭和29年(1954年)F11世代は1系統群10系統(『1』~『10』各90個体)から2系統を選抜。
昭和30年(1955年)F12世代は2系統群10系統(『1』~『10』各90個体)から1系統を選抜。

そして昭和31年(1956年)F13世代において『こがねもち』と命名され、生産力検定試験及び各種の特性検定試験(一部は昭和30年から実施)を行い、さらに県下各地において地方適否を確かめる試験栽培を行い、結果優良であると認められました。
糯質は従来品種と変わらぬものの優良、耐病性は総じて弱い部類に入りましたが、収量性の高さは際だったものでした。(F13世代、及び昭和32年(1957年)F14世代は1系統群10系統、各系統90個体を播種し、1系統を選抜。)

そして昭和33年(1958年)、新潟県の奨励品種として編入され、一時は作付面積1位になり、平成・令和の世まで主力糯品種として続いていくことになります。



系譜図
中新糯40号『こがねもち(みやこがねもち)』系譜図




参考文献

〇新潟県農業試験場研究報告(9) 水稲新品種「こがねもち」:新潟県農業試験場
〇ラピッド・ビスコ・アナライザー(RVA)による滋賀県育成糯系統の加工適性に関する評価:滋賀県農業試験場研究報告 



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【糯米】奥羽糯277号~ヒメノモチ~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『奥羽糯277号』(『水稲農林221号』)
品種名
 『ヒメノモチ』
育成年
 『昭和47年(1972年) 東北農業試験場(岩手県盛岡市)』
交配組合せ
 『大系227×こがねもち』
主要生産地
 『岩手県、山形県、千葉県』
分類
 『糯米』

跳っねるはう~さ~ぎ~
う~さ~ぎは~・・・あー・・・うん、ヒメノモチ、だよ


どんな娘?

いつも眠たそうにしていると思われているが、単に垂れ目なだけ。
ただ普段のけだるそうな話し方がよりいっそう”眠そうキャラ”を後押ししている。
物事に対してややルーズで、てきとーな性格だが、ある意味柔軟な対応が出来、こがねもちと良いバランスを保っている。

東北の糯米っ娘達にとっては話しやすい身近なお姉さんになっている。


概要

東北部を中心に関東、近畿、中国地方と幅広く作付され、長らく糯米生産量第2位の地位を占める『ヒメノモチ』の擬人化です。
昭和58年(1983年)に作付面積第1位となってから、最後に1位になったのが平成元年(1989年)。
それ以後2位と3位をふらふらしながら、統計変わって平成18年(2006年)より生産量第2位となっています。

・”姫”のように美しいこと
・”ヒメ”のつく植物は短生(短稈)であること
・盛岡市郊外の山姿の良い“姫“神山
にちなんで『ヒメノモチ』と命名されました。

その実態としては前代主力の『こがねもち』を早生化し、いもち病耐性を導入したものと言えます。
東北地域で生産されていた『こがねもち』は晩生に過ぎ、天候の影響を受けやすく、葉いもち病にも弱いために安定生産の面では難があったことから、熟期が早く(早生・中生)、耐病性の優れた糯品種が望まれ、生まれた『ヒメノモチ』はその役目を見事に果たしました。

一番最初の奨励品種採用県であり、生産の中心である岩手県によればもち米にしてはあっさりとした味わいで、おこわなどに向いている…とか
糯品種自体の需要が減る中でも、変わらぬ生産量があることからもその需要の高さが窺えます。

出穂期は『こがねもち』よりも10日ほど早く東北中部では「中生の早」にあたります。
稈長は『こがねもち』86cmに対して81cm程度とやや短稈化しましたが、耐倒伏性は「中」と同程度にとどまりました。
しかしながら『こがねもち』のような極端な挫折型の倒伏はしにくいために、倒伏の被害は軽微になります。
比較的穂が大きい偏穂重型で、脱粒性は「易」です。
稃先色は「黄白(白)」で通常粳品種との外観による判別は出来ません。
試験当時で各県の対照品種よりも多くの収量を示す事例が多く、概ね1割弱程度の増収が見込めました(東北農業試験場平均565kg/10a)が、晩生の『こがねもち』にはやや劣る試験結果も出ています。
東北農業試験場におけるいもち病の圃場抵抗性評価は「中」程度で、占有する菌のレースによって耐性も大きく変わる試験結果が出ています。
真性抵抗性遺伝子型は「Pi-k」と推定され、山形県(2007年)では葉いもち病耐性・穂いもち病耐性共に「強」と評価されています。
白葉枯病と紋枯病に対する耐性は「やや弱」~「中」とされています。
耐冷性は「中(当時基準)」と推定され、東北地方中南部の主要品種(当時)とほぼ同じでした。(令和基準で耐冷性は「やや弱」)

伸し餅の白さは「3」(1:白い~5:黒い)、伸し餅硬度は2.8kg/㎠。
食味は「上下」と判定されています。


育種経過

昭和37年(1962年)に東北農業試験場で『大系227』を母本、『こがねもち』を父本として人工交配が行われます。
同年、冬期間に東北農業試験場の温室においてF1世代を栽培して世代促進を行います。

翌昭和38年(1963年)、F2で486個体の中から糯個体のみを選抜し、164個体が残ります。
その集団を北陸農業試験場に依頼してF3世代からF4世代にかけて世代促進を行います。

F5世代は東北農業試験場に戻り、穂別系統として500系統3,500個体を栽植します。
固定度、受光態勢良好な草型に加え、短稈でいもち病抵抗性「強」を目標に選抜し、23系統91個体が残ります。
F6世代以降系統育種法により選抜固定を図ります。
昭和41年(1966年)F6世代は1系統群4系統、1系統2列・30個体(23系統群91系統として2730個体)として播種、畑晩播によるいもち病耐性検定(C菌型圃場)も行われます。
系統群の固定度、草型、稈質、いもち病抵抗性などにより選抜し、7系統群および固定度の不安定な1系統群から3系統を選抜し、計8系統群10系統40個体を選抜します。
このF6世代におけるいもち病耐性は、母本の『大系227』よりは弱いものの、『こがねもち』よりは遙かに強い抵抗性を示していました。
この時点での糯品種としての品質調査では天候不順もあってか残存系統全て「中上」との評価でした。

昭和42年(1967年)、F7世代において、『大系1068』~『大系1077』の系統名を付し、生産力検定試験及び特性検定試験を行います。
前年のF6世代における出穂期は8/14~8/22の間にばらけていましたが、後に『ヒメノモチ』となる系統はこの時点で最も出穂期が早いものでした。
F7世代10系統群の中から、その『ヒメノモチ』となる系統を含む最も出穂期の早い3系統が選抜され、『大系1075』『大系1076』『大系1077(後の『ヒメノモチ』)』が残されます。
無論、出穂期のみならず稈質やいもち病抵抗性への耐性を考慮した上での選抜です。
昭和43年(1968年)F8世代はこの3系統群で生産力検定試験及び特性検定試験を行い、3系統何れも優秀だったものの、草型・熟色良く難点が少ないと認められた『大系1077』が残され、昭和44年2月に『奥羽糯277号』の地方系統名が付されます。

同昭和44年(1969年)、F9世代において関係県に配布の上で、地方適否の検討に入ります。
その結果極めて有望と認められ、昭和47年(1972年)5月に『ヒメノモチ』と命名、『水稲農林糯221号』に登録されました。
昭和47年度は岩手県でのみ奨励品種に採用されています。

その後多くの県で採用されていきます。

育成当初の評価は、耐倒伏性が不十分(『こがねもち』と同程度の「中」)であり、おまけに穂発芽性も「易」のまま改善しなかったことで、「より改良が必要」とされていた『ヒメノモチ』でしたが、半世紀過ぎた令和現在でも主力として現役で頑張っています。



系譜図


奥羽277号『ヒメノモチ』系譜図



参考文献

〇水稲新品種「ヒメノモチ」の育成について:東北農業研究報告
〇耐冷性が強く、餅が白い良食味の水稲新品種候補「山形糯87号」の育成:農研機構https://www.naro.affrc.go.jp/org/tarc/seika/jyouhou/H17/suitou/h17suitou04.html




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