地方系統名
『奥羽糯277号』(『水稲農林221号』)
品種名
『ヒメノモチ』
育成年『昭和47年(1972年) 東北農業試験場(岩手県盛岡市)』
交配組合せ
『大系227×こがねもち』
主要生産地
主要生産地
『岩手県、山形県、千葉県』
分類『糯米』
跳っねるはう~さ~ぎ~ う~さ~ぎは~・・・あー・・・うん、ヒメノモチ、だよ |
どんな娘?
いつも眠たそうにしていると思われているが、単に垂れ目なだけ。
ただ普段のけだるそうな話し方がよりいっそう”眠そうキャラ”を後押ししている。
物事に対してややルーズで、てきとーな性格だが、ある意味柔軟な対応が出来、こがねもちと良いバランスを保っている。
東北の糯米っ娘達にとっては話しやすい身近なお姉さんになっている。
概要
東北部を中心に関東、近畿、中国地方と幅広く作付され、長らく糯米生産量第2位の地位を占める『ヒメノモチ』の擬人化です。
昭和58年(1983年)に作付面積第1位となってから、最後に1位になったのが平成元年(1989年)。
それ以後2位と3位をふらふらしながら、統計変わって平成18年(2006年)より生産量第2位となっています。
・”姫”のように美しいこと
・”ヒメ”のつく植物は短生(短稈)であること
・盛岡市郊外の山姿の良い“姫“神山
にちなんで『ヒメノモチ』と命名されました。
その実態としては前代主力の『こがねもち』を早生化し、いもち病耐性を導入したものと言えます。
東北地域で生産されていた『こがねもち』は晩生に過ぎ、天候の影響を受けやすく、葉いもち病にも弱いために安定生産の面では難があったことから、熟期が早く(早生・中生)、耐病性の優れた糯品種が望まれ、生まれた『ヒメノモチ』はその役目を見事に果たしました。
一番最初の奨励品種採用県であり、生産の中心である岩手県によればもち米にしてはあっさりとした味わいで、おこわなどに向いている…とか
糯品種自体の需要が減る中でも、変わらぬ生産量があることからもその需要の高さが窺えます。
出穂期は『こがねもち』よりも10日ほど早く東北中部では「中生の早」にあたります。
稈長は『こがねもち』86cmに対して81cm程度とやや短稈化しましたが、耐倒伏性は「中」と同程度にとどまりました。
しかしながら『こがねもち』のような極端な挫折型の倒伏はしにくいために、倒伏の被害は軽微になります。
比較的穂が大きい偏穂重型で、脱粒性は「易」です。
稃先色は「黄白(白)」で通常粳品種との外観による判別は出来ません。
試験当時で各県の対照品種よりも多くの収量を示す事例が多く、概ね1割弱程度の増収が見込めました(東北農業試験場平均565kg/10a)が、晩生の『こがねもち』にはやや劣る試験結果も出ています。
東北農業試験場におけるいもち病の圃場抵抗性評価は「中」程度で、占有する菌のレースによって耐性も大きく変わる試験結果が出ています。
真性抵抗性遺伝子型は「Pi-k」と推定され、山形県(2007年)では葉いもち病耐性・穂いもち病耐性共に「強」と評価されています。
白葉枯病と紋枯病に対する耐性は「やや弱」~「中」とされています。
耐冷性は「中(当時基準)」と推定され、東北地方中南部の主要品種(当時)とほぼ同じでした。(令和基準で耐冷性は「やや弱」)
伸し餅の白さは「3」(1:白い~5:黒い)、伸し餅硬度は2.8kg/㎠。
食味は「上下」と判定されています。
育種経過
昭和37年(1962年)に東北農業試験場で『大系227』を母本、『こがねもち』を父本として人工交配が行われます。
同年、冬期間に東北農業試験場の温室においてF1世代を栽培して世代促進を行います。
翌昭和38年(1963年)、F2で486個体の中から糯個体のみを選抜し、164個体が残ります。
その集団を北陸農業試験場に依頼してF3世代からF4世代にかけて世代促進を行います。
F5世代は東北農業試験場に戻り、穂別系統として500系統3,500個体を栽植します。
固定度、受光態勢良好な草型に加え、短稈でいもち病抵抗性「強」を目標に選抜し、23系統91個体が残ります。
F6世代以降系統育種法により選抜固定を図ります。
昭和41年(1966年)F6世代は1系統群4系統、1系統2列・30個体(23系統群91系統として2730個体)として播種、畑晩播によるいもち病耐性検定(C菌型圃場)も行われます。
系統群の固定度、草型、稈質、いもち病抵抗性などにより選抜し、7系統群および固定度の不安定な1系統群から3系統を選抜し、計8系統群10系統40個体を選抜します。
このF6世代におけるいもち病耐性は、母本の『大系227』よりは弱いものの、『こがねもち』よりは遙かに強い抵抗性を示していました。
この時点での糯品種としての品質調査では天候不順もあってか残存系統全て「中上」との評価でした。
昭和42年(1967年)、F7世代において、『大系1068』~『大系1077』の系統名を付し、生産力検定試験及び特性検定試験を行います。
前年のF6世代における出穂期は8/14~8/22の間にばらけていましたが、後に『ヒメノモチ』となる系統はこの時点で最も出穂期が早いものでした。
F7世代10系統群の中から、その『ヒメノモチ』となる系統を含む最も出穂期の早い3系統が選抜され、『大系1075』『大系1076』『大系1077(後の『ヒメノモチ』)』が残されます。
無論、出穂期のみならず稈質やいもち病抵抗性への耐性を考慮した上での選抜です。
昭和43年(1968年)F8世代はこの3系統群で生産力検定試験及び特性検定試験を行い、3系統何れも優秀だったものの、草型・熟色良く難点が少ないと認められた『大系1077』が残され、昭和44年2月に『奥羽糯277号』の地方系統名が付されます。
同昭和44年(1969年)、F9世代において関係県に配布の上で、地方適否の検討に入ります。
その結果極めて有望と認められ、昭和47年(1972年)5月に『ヒメノモチ』と命名、『水稲農林糯221号』に登録されました。
昭和47年度は岩手県でのみ奨励品種に採用されています。
その後多くの県で採用されていきます。
育成当初の評価は、耐倒伏性が不十分(『こがねもち』と同程度の「中」)であり、おまけに穂発芽性も「易」のまま改善しなかったことで、「より改良が必要」とされていた『ヒメノモチ』でしたが、半世紀過ぎた令和現在でも主力として現役で頑張っています。
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