2020年11月7日土曜日

【酒米】愛山11号(愛山)【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『愛山11号』
品種名(通称)
 『愛山11号(愛山)』
育成年(試験最終年)
 『昭和26年(1951年) 福田原種圃』※交配 兵庫県立農事試験場酒造米試験地
交配組合せ
 『愛船117×山雄67』
主要生産地
 『兵庫県』
分類
 『酒造好適米』※現代の産地品種銘柄設定による

…ふふ、こんにちは。愛山11号、よ






どんな娘?

影が非常に薄く、気付かぬうちに隅に立っていることが多い。
最近こそ目立って発言することも増えたため、平成生まれの米っ娘達には知らない者も多いのだがもともとは根暗非常に引っ込み思案であることに加えておっちょこちょい。

黙って立っている分には年相応に大人びているように見えるのだが、何か主体的にやらなければいけない場面に直面すると、地が出てプレッシャーから混乱して何かしらやらかす。(とは言え基本目立たないポジションなのでそういう場面はほとんどない)
現職キャリアとしては山田錦にも劣らないほどではあるのだが、いかんせんほとんど自分の部屋にこもりがちの数十年を過ごしたせいか人付き合いは苦手。
自己肯定感が非常に低い期間も長かったため、いまだにガラスのハートである。

ずっと自分を信じてくれていた剣菱酒造には大きな恩義を感じている。


概要

「幻」と呼ばれる酒米数あれど、一度は大規模に普及するなど日の目を見ている「かつて有名だった品種」(『新山田穂1号』『辨慶』『滋賀渡船系統』)であることが多いです。
それとは対照的に、長年ひっそりこっそり生き残ってきたのがこの『愛山』です。

正式名称は『愛山11号』で、交配親から頭文字を一文字ずつ取って『愛山』と命名された・・・というか当時の一般的な系統名付与のルール通りの品種?名になっています。

『山田錦』以上の大粒ながら、心白が大きすぎるために高精白では砕けやすく、雑味も出やすいとされています。
後述する栽培上の問題も抱えていることから、平成7年(1995年)以前は使用していた酒蔵はたった1蔵という、難物です。
ただし上手く醸せれば独特の風味が出せるとかで、使用酒蔵が広まったこともあって平成中期からは「山田錦以上の酒米」とかなんとか宣伝されて人気だとか。


そんな日本酒業界のてきとー解説がいくつか見られて誤解が広まっているのは・・・まぁ恒例でしょうか(『短稈渡船』と違って実害ないのでどうでもいいといえばどうでもいいんですが)

×栽培が難しいとされる『山田錦』より背が高い→〇『山田錦』と稈長はほぼ一緒ですし
×大粒なので『山田錦』より倒れやすい→〇『山田錦』より倒れにくいですし
×上記の理由で戦後廃れた→〇廃れる以前の問題でそもそも大規模普及してません
×兵庫県立明石農業改良実験所で交配→〇交配地は兵庫県立農業試験場酒造米試験地です
△剣菱酒造が独占していた→〇後述しますが公的機関(兵庫県)が原原種管理しているのに酒蔵が独占なんて出来るの?

倒伏云々についてはむしろ倒伏しにくい(当時基準)品種で、試験時に何より問題とされたのは『愛山11号』の栽培特性である「胴切れ米」(地元では「ひょうたん」と呼称)に代表されるように、米の品質がやや悪い、と判断されたからです。
無論現代品種と比べれば倒れやすい品種ですが、当時にしては倒れにくい品種だったのです。

昭和55年(1980年)から兵庫県において『愛山』として醸造用玄米の産地品種銘柄に設定されていますが、少なくともそれ以前の昭和26年(1951年)から栽培が続けられている古参品種です。
栽培当初、及び銘柄設定時の作付面積は16haとかなり少なく、昭和57年(1982年)に31haに微増しますが、以後30ha前後の作付面積が平成8年(1996年)まで続きます。
平成9年(1997年)にまた微増が有り、以後37ha前後での作付面積となりましたが、やはりかなり少ない作付で、希少な酒米と言えるものでした。

平成7年(1995年)の阪神淡路大震災において唯一『愛山11号』を使用していた剣菱酒造が被災し、契約分の酒米を買い取れなくなってしまったところで、それを買い取ったのが「十四代」で知られる高木酒造だったそうです。
以後、高木酒造を中心として『愛山11号』を使用する酒蔵は一挙に増え、様々な蔵が『愛山11号』の日本酒を世に出すようになりました。

それを受けてか平成17年(2005年)から生産量は増加に転じ、平成30年(2018年)には約650t(100ha程度?)まで達しています。
「戦後廃れた」のではなく、ずっと小規模な栽培のままで推移しており、むしろ今のこの世が『愛山11号』にとっての絶頂期になっているようです。



出穂期・成熟期は『山田錦』とほぼ同等の晩生種。
稈長(約94cm)・穂長(約19.2cm)・穂数(約16.3本/株)も『山田錦』とほぼ同じで草型は中間型。
耐倒伏性は『山田錦』より僅かに強い程度(現代の「弱~やや弱」?)、収量性は千粒重のおかげか高いものの品質がやや劣るものとされています(「胴切れ米」多し)。

兵庫県の1950年における普通肥料栽培の生成期によれば
稈の細太は「中」、剛柔は「中」。
芒は極稀に短芒が発生し、もみの色は「白」と普通です。
玄米千粒重は30.0gと『山田錦』(対照28.0g)以上で、心白は多く、腹白の発生は微かだったそうです。
脱粒性は「易」で、現代では栽培しにくそうな品種ですね。


父本『山雄67』(後の『山雄67号』)の読み方について

当時の系統名は交配親の両親の頭文字を付けており、『愛船』『山愛』を「あいふね」「やまあい」と読んでいました。

であれば、『山田錦(”やま”だにしき)』×『雄町(”お”まち)』の交配である『山雄』は「やまお」と読みそうなものですよね。
しかし、昭和22年(1947年)時点で指導農場の職員であった山田智賀司氏の証言によれば、「やまゆう」と読んでいたそうです。

なので「やまゆうろくじゅうなな」になるのでしょうか?


育種経過

昭和3年(1928年)に創設された兵庫県立農事試験場酒造米試験地では昭和10年(1935年)から品種開発が開始されました。
その後太平洋戦争を経て、終戦の昭和20年(1945年)に加東西部技術指導農場や福田原種圃(昭和25年4月に改称)と姿を変え、一時的に酒米業務から離れますが、昭和27年(1952年)8月に県立農業試験場酒米試験地と改称され、再び酒米を担当する試験研究機関として再出発します。

その過渡期に育成されたのが『愛山11号』です。

昭和16年(1941年)に酒造米試験地において、母本『愛船117』、父本『山雄67』として交配が行われます。

◇母本『愛船117』
昭和10年(1935年)に兵庫県立農事試験場明石本場で『愛知三河錦4号』を母本、『船木雄町』を父本として交配された雑種(交配番号『兵10交47』)後代で、交配時点で雑種第6代でした。
『愛山11号』の片名の由来にもなっている『愛知三河錦4号』は『早生神力』からの選抜…ですが単純な「神力系品種」かというとこれまた複雑でして
明治27年に知多郡八幡村の加藤石松氏が兵庫県から『力良』と呼ばれる品種を持ち帰り、抜穂しつつ数年純系淘汰を行っていました。
その純系淘汰を行ったものがさらに安城町里(安城市里町の誤記?)の富田宇吉氏の手に渡り(譲り受け)、『早生神力』と命名して普及したものが元です。
それがさらに大正4年に愛知県農事試験場において『三河錦』と改名され、奨励品種に加えられ、順次純系淘汰による系統変更が行われ、昭和4年来『愛知三河錦4号』が奨励品種になりました。
と、「神力」と言う名前だけ見ると神力系品種群由来にも思えますが、全く違う系統です…かも?
兎にも角にも、『愛知三河錦4号』と『船木雄町』交配雑種後代からは他にも『兵庫雄町(愛船206-169)』が生まれてたりもします。

◇父本『山雄67』
昭和11年(1936年)に酒造米試験地、もしくは明石本場で交配が行われ『山田錦』を母本、『雄町』を父本として交配した雑種(交配番号『兵11交37』)後代で、交配時は雑種第5代です。
後に『山雄67号』となります(雑種第7代『山雄67-127』)。

【以下墨猫大和の妄想】
『山雄67』は『山田錦』と同じ草姿で、玄米品質も優れ、収量性も高い点は優秀でしたが、倒伏しやすいことと、千粒重が小さく(小粒)、心白の発現が少ないことが問題であったと思われます。
そこを稈が太く剛いために『山田錦』よりも倒れにくい、かつ大粒で心白の発現も多かったであろう『愛船117』との交配で、改善しようとしたものと思われます。
【墨猫大和妄想終了】

交配翌年の昭和17年(1942年)にF1個体が養成されました。

…そして
以後の育成経過は資料が現存しておらず不明です。

存在が再確認出来るのは7年後の昭和24年(1949年)。
福田原種圃の生産力検定試験に『愛山11号』の系統名で供試されています。
収量性は高いものの、品質がやや悪いとの理由で昭和26年(1951年)で試験は終了しました。

試験場での育成試験は昭和26年で終了したものの、福田原種圃(後の酒米試験地)の地元である加東郡社町では一部の農家や集落での栽培が続けられたようです。
正式名称については系統名である『愛山11号』ですが、地元で『愛山』と略して呼ばれたことによりその呼称が現代まで続いているものと思われます。

その後酒米試験地では昭和43年(1968年)に品種保存栽培に供試するために社町山国の農家から苗を譲り受け、場内栽培及び特性調査を実施。
民間での自家採種を繰り返して品種特性がぼやけていたのでしょうか、純系淘汰実施の要望が地元よりあり、酒米試験地で選抜が行われています。
そして昭和47年(1972年)には種子の地元提供が始まり、昭和48年(1973年)からこの酒米試験地提供の種子による現地栽培が開始されます。
これ以後も隔年で試験地からの種子供給は続き、昭和60年(1985年)からは酒米試験地で原々種栽培を開始し、みのり農業協同組合(JAみのり)へ3年ごとに有償供給されるようになりました。

平成18年(2006年)時点で生産地は加東郡社町のみでしたが、生産集落には変遷があったそうです。
当初は社町山国で栽培されていましたが、胴切れ米が問題となり、社町木梨と山口の2集落での栽培に変わりました。
品質の悪い米の発生はそのまま農家の収入減に繋がるため大きな問題です。
灘五郷の剣菱酒造が大規模な契約栽培(『山田錦』『愛山』)を長年行っており、これにより農家の収入が保証され、品質に問題のある『愛山』が現代まで存続できた大きな原動力になったのは間違いありません。


 系譜図

愛山11号『愛山11号(愛山)』 系譜図




参考文献(敬称略)


〇酒米試験地の設立と初期品種系統「兵庫雄町」、「山雄67号」および「愛山」の育成経過:池上勝
〇米麦品種改良増殖事業概要 並 米麦原種穂事業成績:愛知県立農事試験場
〇農業試験場60年史:兵庫県立農業試験場



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