2021年3月7日日曜日

『改良羽二重糯』のナゾ 『滋賀羽二重糯』と『新羽二重糯』の関係は?



滋賀県の高級糯品種とされる『滋賀羽二重糯』。
『滋賀羽二重糯』は『改良羽二重糯』からの純系淘汰により滋賀県で育種された品種です。
では、その『改良羽二重糯』とは何者であるか?については『改良羽二重糯14号』ではないかと推測しました【以下参照】


さて…
同じ名称の”改良羽二重糯”から選抜され、かつ京都府の現役である糯品種に『新羽二重糯』があります。
こちらの”改良羽二重糯”とはいったい何者なのでしょうか?

稲品種データベースでは「羽二重糯 2次選抜」と記載。
農林水産省の奨励品種特性表(平成28年度版)では「改良羽二重糯から純系分離 京都農試 昭和21年」
なにやら微妙に異なります。
米品種大全では「京都農試が改良羽二重糯からの純系淘汰で昭和21年に育成」と…どれが本当でしょうか?

そして『滋賀羽二重糯』の選抜元である『改良羽二重糯』との関係は?
普通に考えれば両品種の『改良羽二重糯』は同じ品種のようにも思えますが・・・?


目次
 

(復習)滋賀県へ問い合わせた時に得た情報

『滋賀羽二重糯』の由来を調べた際、滋賀県農業技術振興センターに問い合わせたところ、「滋賀県稲作指導指針(令和元年3月発行)」を頂けました。
そこに書いてある内容は

・『滋賀羽二重糯』の選抜元となった『改良羽二重糯』は京都農試からの取り寄せ品種。
・京都農試では在来の『羽二重糯』から純系淘汰により『羽二重糯1号』を育成し、奨励品種に採用。その後昭和7年に『羽二重糯1号』が『改良羽二重糯』と改名され、その配布を受けて昭和14年に『滋賀羽二重糯』が育成された。
・京都農試では同じ『改良羽二重糯』から昭和21年に『新羽二重糯』を育成した。


滋賀県(平成元年時点)の記録による『改良羽二重糯』関係図(本当かどうかはわからない)


これは稲品種データベースにおける「羽二重糯 2次選抜」という表記について、「羽二重糯→羽二重糯1号→改良羽二重糯」ということで合致しますし、農林省の特性表における「改良羽二重糯より選抜」とも合致しています。

ここでは『滋賀羽二重糯』と『新羽二重糯』は同じ「改良羽二重糯から選抜」された品種、とされているようです。


『新羽二重糯』の元『改良羽二重糯』の正体は…?

これが「滋賀県に”平成時点で”残っている記録」です。
しかしながら「『羽二重糯1号』を『改良羽二重糯』に改名」、この部分はおそらく間違いであることも判明しています。

『滋賀羽二重糯』の親『改良羽二重糯』の正体は?で詳しく紹介していますが、当時の京都農試の記録を確認した結果は、前述した滋賀県の記載と異なりました。

京都府の『改良羽二重糯』は「『羽二重糯』と『早生神力』からの交雑育種品種」である可能性が非常に高いです。(『羽二重糯1号』の純系淘汰ではない
京都府育成の『羽二重糯×早生神力』雑種後代については、昭和7年に『改良羽二重糯〇号』の名称が付けられており、最終的に『改良羽二重糯14号』が原種圃に設置され「改良羽二重糯」として配布された可能性が高いです。

よって『滋賀羽二重糯』の親である『改良羽二重糯』は交雑育種された『改良羽二重糯14号』であろうと思われます。

改良羽二重糯27号『滋賀羽二重糯』系譜図(推定)


ということで、滋賀県に公式に残っている記録ではありますが、実際育成した試験場の記録とは異なっている部分もあるようです。
少なくとも「滋賀県稲作指導指針(令和元年3月発行)」に記載されている内容には多少なりとも大正当時の京都府側の記録と齟齬があるようです。

では?
「”改良羽二重糯”から選抜された『新羽二重糯』」とは、ここでいう『滋賀羽二重糯』の選抜元と同じ『改良羽二重糯14号』からの選抜なのでしょうか?
それともほかの”改良羽二重糯”があったのでしょうか?


京都府農林水産技術センターへ問い合わせ


『新羽二重糯』の選抜元である『改良羽二重糯』の由来は何なのか?

『新羽二重糯』の奨励品種への採用年次が昭和21年(1946年)であれば、そして純系淘汰による育種であれば、遅くとも5~6年前の昭和16年(1941年)頃にはその育成が開始された記録が何かしらあるはずです。
…なのですが、太平洋戦争が影響しているのか京都府立農事試験場の業務功程は昭和15年(1940年)から昭和20年(1945年)にかけて発行されておらず、この年代の京都農試の発行資料も見つけられませんでした。
こうなるともう個人にはお手上げです。

しかし、『新羽二重糯』は何といっても京都農試が育成した品種です。
後身である京都府農林水産技術センターに聞けば何かわかる…かもしれなかったのですが

やはり戦前・戦中の資料となると都道府県でも保存していることは少ないようで、京都府農林水産技術センターでも昭和15年以前と昭和21年以降の業務功程しかなく、かついずれにも『改良羽二重糯』の由来に関する記述はなかった、とのことでした。

まず現代の京都府では『改良羽二重糯』の由来は把握していないということはわかりました。(「わかっていないことがわかった」というのも重要な一歩です。) 

京都府立農事試験場の業務功程で確認できた内容は(昭和8年まではこちらで確認できているので昭和9年以降の確認をお願いしました)

〇昭和9年~昭和12年の間に『改良羽二重糯』が原種栽培されていること
〇昭和21~22年の2カ年に『新羽二重糯』が奨励品種決定試験に供試されていること
〇昭和23~24年の2カ年に『新羽二重糯』の標準栽培試験が実施されていること

昭和21年にはすでに『新羽二重糯』が存在していたことは間違いないようですが、由来が何も書かれていないのでは、どのように育成されたのか、『改良羽二重糯』の正体もわかりません。


では他に何か資料はないか?そして発見

ということで手当たり次第それっぽい名前の資料を探してみました。

そこで見つけたのが農林省農事試験場資料第1号「稲・麦品種の特性表と分布圏」でした。

1949年6月発行で各都道府県における稲・麦品種の奨励品種が記載されています。
最初に紹介した農林省発行の奨励品種特性表の初期に当たるものと推測されます。
1949年(昭和24年)発行であり、内容については「昭和21年度における各府県の奨励品種について各府県立農事試験場の記載をそのまま記載したものである」とされており、昭和21年奨励品種採用年のまさに該当年における最新情報で、情報の正確性も期待できます。

そしてここで『新羽二重糯』の来歴の記載がありました。
その内容は
「滋賀県ヨリ取寄セ 昭和21年奨励品種」


農林省発行の特性表を追ってみる

これはどういうことでしょうか?

『改良羽二重糯』と言う品種が少なくとも1つ、京都農試が育成し、かつ原種圃に存在したことは確かです。
そしてその『改良羽二重糯』から純系淘汰育種したのが『新羽二重糯』、というのはいかにもありそうな話でした。

しかしこの記述が正しいとすると、『新羽二重糯』は京都農試でそもそも育成しておらず、滋賀県で育成された品種を採用した、と言うことになります。
しかしこの戦時において京都農試も滋賀農試も業務功程を作成していません。
農林省発行の特性表をなるべく追ってみるしかないようです。



昭和21年~43年の特性表の推移

と言うわけで以下の通りです。
ただこの特性表、かなり記述内容が杜撰なことが窺えます
明らかな間違いも多いですが(※)の部分はひとまず原文ままです。

【昭和21年時点】昭和24年6月発行
滋賀県ヨリ取寄セ 昭和21年奨励品種

【昭和29年時点】昭和30年6月発行
改良羽二重※の純系淘汰 昭和21年奨励採用

【昭和36年時点】昭和37年7月発行
改良羽二重糯の純系淘汰 昭和5年奨励採用※

【昭和38年時点】昭和39年11月発行
改良羽二重糯の純系淘汰 昭和5年奨励採用※

【昭和40年時点】昭和41年12月発行
酒造用品種『祝』が重複記述(粳の欄と糯の欄両方に『祝』の記述がある)され『新羽二重糯』の記述がない(明らかな誤植)
しかも正誤表にも特段記述がないため、この記述ミスに誰も気付かなかったものと思われる

【昭和42年時点】昭和43年12月発行
改良羽二重糯の純系淘汰 昭和5年奨励採用※

参考
【平成6年時点】平成7年10月
「改良羽二重糯から純系分離 京都農試昭和21」昭和21年奨励採用


当初「昭和21年奨励品種採用」だったものがなぜか昭和37年発行の特性表からは「昭和5年奨励品種採用」と変化しています。
ただ昭和5年の時点で京都府において『新羽二重糯』が奨励品種に無いこと、『新羽二重糯』の近くに記載されていた『葛糯』の奨励品種採用年が昭和5年であることから、昭和37年以降の昭和の特性表における「昭和5年奨励品種採用」は『葛糯』からの誤植であると思われます。

それにしても「滋賀県から取り寄せ」となっているのは最初の昭和24年発行の特性表だけで、あとは(脱字も含みで)「改良羽二重糯からの純系淘汰」としか書かれていません。
ただし、昭和の時点では「京都農試が育成した」とも書かれていないことも事実です。



平成の滋賀県まで続いている説の元を発見(多分)

せっかく見つけた資料ですが、この特性表だけではどうも内容に一貫性がなくはっきりしません。
他に何か資料はないか?と探して新たに見つけたのが
昭和39年12月に京都府立農業試験場が発行した「京都府における水稲奨励品種の解説」でした。

ここに記載されていた『新羽二重糯』の来歴がまさに、最初に発見・紹介した「滋賀県稲作指導指針(令和元年3月発行)」の内容でした。
滋賀県ではおそらくこれを参考に記述したものと思われます…が、最初に述べておきますがこの資料の精度、非常に怪しいです。

要約すると(この文中ではなぜか「新羽二重もち」等となっているので、原文まま)
①京都府南桑田郡(亀岡市)にはもともと「羽二重もち」という糯品種が栽培されていた。
②京都府立農事試験場では大正9年から大正13年にかけて選抜育種を実施し、「羽二重もち1号」と命名、昭和3年に「羽二重もち」と改称。
③その後も選抜が続けられ、昭和7年に耐病性に難があるものの、倒伏に強い多収・良質の系統が育成され「改良羽二重もち」と命名された。
④その後も改良が続けられ、昭和21年に耐病・耐倒伏性に優れ多収良質の系統として育成されたのが「新羽二重もち」である。
⑤奨励品種採用年度は昭和5年度。

はい、まず真っ先に⑤がおかしいですね。
④で「昭和21年に育成された」と述べているのに、奨励品種採用年が遙か昔の「昭和5年」と意味がわかりません。
『羽二重糯』や『改良羽二重糯』の奨励品種改廃年にも合致しませんし、「昭和5年の時点で「羽二重糯」と名の付く品種が奨励品種にない」、この点はちゃんと業務功程が残っていますから明白です。
ちなみに特性表で奨励品種採用年度が「S21年→S5年」になっていたのも昭和37年頃からです。
この「京都府における水稲奨励品種の解説」、著者は「桐村覚」となっていますが、この職員が赴任してから間違った資料を作り続けているのではないでしょうか?
まず「もち」と「糯」、品種名を間違えていたり、昭和30年後半から特性表で『新羽二重糯』の記載が重複で抜ける・記載ミスのような部分が出てくる、など・・・なにかとこの職員がいたと思われる頃から京都農試関係の資料が雑になっています。

…まずは事実確認を続けましょう。
①と②の内容については裏付けもとれ、実態と合っています。

ただし③の内容については、『滋賀羽二重糯』の親『改良羽二重糯』の正体は?で記載していますが、残存する記録で該当するものはありません。
『改良羽二重糯』は純系淘汰ではなく、交雑育種により育成された品種です。

そしてさらに不可解なのは「昭和21年に育成された」と同文中で書かれているこの『新羽二重糯』について、奨励品種への採用年以外にも、「昭和5年から栽培面積の増減はない」と記載されていることです。
「昭和5年に650ha、同15年450ha、同24年529ha、同39年424haの栽培面積」と記述されていますが、これは一体何を言っているのか?
24、39年はともかく、5年、15年は何の作付面積のことを言っているのでしょうか?

参考までに別資料を参照しますので、復習をば。
『羽二重糯1号(羽二重糯)』は大正12年から昭和4年までが奨励品種期間、『改良羽二重糯』は昭和8年から昭和12年(推測)まで奨励品種になっています。
これを踏まえて
昭和5年発行の「地方産米ニ関スル調査」では、『羽二重糯(羽二重糯1号)』の作付面積は350町歩。
厳密に言えば「ha」と「町歩」では微妙に面積が異なり、かつこの資料は昭和3年時点での数字と思われますが、650と350と大きく差が開いています。
昭和3年時点ではまだ『新羽二重糯』は奨励品種ですから面積の記載もありますが、次の昭和8年発行の「地方産米ニ関スル調査」では原種から外れたためか統計から姿を消しています。
そして昭和11年発行の「地方産米ニ関スル調査」では昭和10年度の作付面積として『改良羽二重糯』300町歩が記載…と

まず何度でも言いますが昭和21年育成の品種の作付けが昭和5、15年にあるはずもなく、”羽二重糯系”と広い目で見ても奨励品種は『羽二重糯』→『改良羽二重糯』と変遷があり、指定年にも空白期間があるのですから面積変動も大きいです。
「桐村覚」氏は一体何を見て、何を考えて「昭和21年育成品種「新羽二重もち」は昭和5年に650haの作付けがあった」と意味のわからないことを書いているのでしょうか?

特性表の時にも述べましたが、『新羽二重糯』に近接して記述されていることの多い同じ糯品種の『葛糯』は「昭和5年奨励採用、作付面積600ha程度」です・・・これの誤認?


無論、「実は交雑育種の『改良羽二重糯』とは別に、『羽二重糯1号』から純系選抜した『改良羽二重糯』と呼ばれた品種が存在したが公報等の記録には記載されておらず、桐村覚氏が試験場の育種記録等を調べてこの事実を発見し、記載した」可能性はありますが…


最初に述べたとおり、この「京都府における水稲奨励品種の解説」と言う資料は「京都府立農業試験場発行」という肩書きだけは立派ですが、記述内容は他資料との整合もとれず、意味不明な部分も多いです。
同じ昭和と言っても、昭和21年から20年近く経過しているわけですから、当時の京都農試職員でも『新羽二重糯』の来歴についてはっきり覚えている人がいたかどうか怪しいところでしょう。
墨猫大和としては、この資料の記述は間違いである、と結論づけたいと思います。
桐村覚とか言う職員がろくでもないやつだったんじゃないかと思います(私怨・無根拠

特性表の奨励品種採用年度が途中で変わったのもこの職員のせいでしょう。
根拠資料が見いだせれば見方も変わるかもしれませんが…

稲品種データベースの「羽二重糯の2次選抜」というのもおそらくこの資料に基づいているものと思われます。

さらなる間違いを発見 昭和30年時点で既に

前述の京都農試の「京都府における水稲奨励品種の解説」より前、昭和31年(1956年)に発行された「昭和30年産米 稲作実態調査」を見つけました。
『新羽二重糯』というか『羽二重糯』に関する誤記は昭和30年のこの時点で既に始まっていたようです。

「京都府における水稲奨励品種の変遷」という、京都府における水稲奨励品種の指定期間を示したグラフが掲載されているのですが…
まずこれには『羽二重糯』しか品種名がありません。
そしてその『羽二重糯』は昭和5年からグラフが始まっており、昭和11~12年頃に「改良」、昭和20~21年頃に「新」の注記がグラフ上にしてあります。
さも、3品種が「一連の羽二重糯系品種」であるかのように扱っており、これを裏付けるかのように「主要奨励品種の年時比較」という記述の中では「昭和初年より現在に至るまでの約30年間継続したものは愛国1号、羽二重糯、くず糯である」とされています。

明らかな交雑品種である『改良羽二重糯』の実態を把握していないのか「『羽二重糯』の改良」程度しか認識していない様子です。
しかも奨励品種指定期間においては『羽二重糯』は大正14年、『改良羽二重糯』は昭和8年に原種圃に設定されている業務功程の記録とまるで合致していません。
ですがこの記述内容が桐村覚の記述内容とほぼ合致していることが分かるかと思います。

この資料は表紙において”京都府”としか記載されていないので、農業試験場ではなく京都府政側が編著者なのかもしれません。
そうすると農業試験場の人間ではない門外漢が文字の羅列だけで判断して「羽二重糯をちょっとずつ改良しながら奨励品種指定してたんだな」とか、想像でこのような記述をしたのではないでしょうか…
と、理由についてはどこまで行っても想像でしかありませんが

奨励品種指定期間が明らかに違う
『改良羽二重糯』は交雑品種である

ことは当時の業務功程と比較するだけでも明らかですので、この資料の信頼度も相当低いものと言えるのではないでしょうか。
桐村覚も、大正・昭和初期当時の資料を確認もせず、この資料の間違いに気付かないまま引用した可能性は非常に高いと思われます。


昭和30年以降の資料は信用できない…とすると?

昭和30年の京都府発行の資料で既に間違いが発生しており、その間違いをそのまま踏襲して昭和37年発行の特性表から奨励品種採用年度が誤っていること、そして昭和39年に京都府立農業試験場が発行した資料で「羽二重糯→改良羽二重糯→新羽二重糯」を公言してしまっている以上、昭和30年以降の資料は、たとえ京都府立農業試験場交付のものでもまるで参考になりません。

となると、やはり
昭和24年(1949年)発行の農林省農事試験場資料第1号「稲・麦品種の特性表と分布圏」の記述が正しいと仮定するしかありません。

すなわち「『新羽二重糯』は滋賀県から取り寄せた品種」という記述です。
同資料で供試年数は「昭和16~20年」とされているので、少なくとも昭和15年に滋賀農試から京都農試に渡ったと推測できます。

そしてその昭和15年は『滋賀羽二重糯』が奨励品種に採用された次年にあたります。
『滋賀羽二重糯』の来歴を振り返ると

・昭和8年に『改良羽二重糯』が京都府から滋賀県へ
・昭和9年から『改良羽二重糯』について滋賀県で純系淘汰開始、昭和13年度育成完了
・昭和14年から『改良羽二重糯』選抜系統(27号)を『滋賀羽二重糯』として奨励品種指定

滋賀県における『改良羽二重糯』関係の選抜試験は昭和13年には終わっていることになります。
その後年となる昭和15年に京都農試が滋賀農試から「改良羽二重糯からの選抜種」を取り寄せたとすると・・・必然的に『滋賀羽二重糯』ということになるのではないでしょうか?



『新羽二重糯』=『滋賀羽二重糯』?


『新羽二重糯』=『滋賀羽二重糯』と仮定した場合、昭和30年以降の特性表で「改良羽二重糯から純系淘汰」とされていることとは一応矛盾しません。

では、品種の特性は似ているのでしょうか?

『新羽二重糯』と『滋賀羽二重糯』の昭和24年~43年発行の特性表における各数値は以下のとおりです。(穂数は22株/㎡として換算しています。)
『新羽二重糯』特性表一覧

『滋賀羽二重糯』特性表

と、これだけでは何が何やらでしょうから、すべての年度を平均して比較すると以下の通りです。
ただ・・・正直言って『新羽二重糯』の方は昭和41年は抜けていますし昭和39年から供試年数が「昭和3~4年」と育成前の年次が書いてあったり昭和39年と昭和43年の値がほぼ同じだったりすさまじく怪しいんですが・・・多分「桐村覚」とかいう職員の雑な仕事のせい
怪しい怪しいとばかり言っていては何も進まないのでひとまず平均値を比較します。



※品種育成ド素人である管理人による素人判断です(ぶっちゃけこんな特性表だけで比較して似てる似てないなど言うのも不毛なのですがそれではつまらないので)
※試験条件が同一かどうかわかりません(本来であれば同条件同圃場で比較試験するべき)

出穂期と成熟期はほぼ同時期、他品種特性はほぼ同じです。
違いが見えるのは「穂数」と「千粒重」です。
『新羽二重糯』の方が穂数が多く、千粒重も重いです(なのに玄米重が『新羽二重糯』の方が軽いっておかしいんですけど・・・)

とは言えこれも・・・「穂数」と「千粒重」のみの推移を比較すると以下の通りです。





昭和24年、30年の初期の特性表では両者にほぼ差はありません、
しかし『新羽二重糯』の「穂数」と「千粒重」の両方とも、年が進むほどに増加傾向が見られます。
「千粒重」に関しては、逆に『滋賀羽二重糯』は年々減少傾向が見られ、これが最終的な平均値の差に表れているものと思われます。
これは元々両者は同じ品種で、滋賀県と京都府で系統保存する中で少しずつ差異が生まれていったものとみることが出来るのではないでしょうか?


以上より、あくまでも墨猫大和の独自論ですが
「『新羽二重糯』は滋賀県から取り寄せた『滋賀羽二重糯』について京都府が付けた名称」
ではないでしょうか?
(『新羽二重糯』の元となった「改良羽二重糯」は『滋賀羽二重糯(改良羽二重糯27号)』)


平成の特性表における両品種

平成7年度版から平成28年度版まで、平成の特性表も農林省が公表しているのでこれも比較してみましょう。


播種期と田植期が大分異なっているので、出穂期と成熟期の単純比較は出来なくなってしまいましたが、やはり特性表はかなり似ています。
そしてやはり穂数と千粒重で多少の差異はあり、穂発芽性は完全に異なります。

たださすがにこれは当然と言えば当然の話で
京都府は『新羽二重糯』として
滋賀県は『滋賀羽二重糯』として
平成7年の時点でも50年近くそれぞれの地で系統保存されてきたのです。
元が同じ品種だったとしても、それだけの年数各試験場で経年栽培されれば、ましてや同じ品種だと認識されていなければ、なにかしらの遺伝的な偏りが出て当然です。
(「自家採種を続けるとその土地に適合して変化していく」なんて人間にだけ都合の良い空想を語る方もいますがそれとは違います。)


米の品種のDNA鑑定サービスもありますが、『新羽二重糯』と『滋賀羽二重糯』を判別できるとしているので、やはりすでに平成・令和現代においては両者が完全に別品種であることは間違いないです。
ただ、その始まりにおいては、同じ品種だった・・・とするのは早計でしょうか?


まとめ


昭和39年に京都府農業試験場が発行した「京都府における水稲奨励品種の解説」では
「京都農試は『羽二重糯』を純系淘汰し『羽二重糯1号』を育成、それをさらに淘汰して『改良羽二重糯』を育成、さらにそれを淘汰して最終的に『新羽二重糯』を育成した」
となっており、平成の滋賀県や稲品種データベースでもこの内容を踏襲しているようです。

ただ、『改良羽二重糯』が『羽二重糯1号』から選抜されたという記録は大正当時の京都農試にはありません。
また「京都府における水稲奨励品種の解説」の記載内容は明らかな間違いや他資料と整合性のない内容も多く散見されます。
『新羽二重糯』の育成から20年近く経過してから作成された文章なので、今では広く知られている内容ではありますが、これ(『羽二重糯』→『改良羽二重糯』→『新羽二重糯』と京都農試が育成説)昭和30年代当時の京都農試職員の調査不足からくる誤謬ではないかと推測されます。

『新羽二重糯』の奨励品種採用年により近い昭和24年における奨励品種特性表では、来歴について「滋賀県からの取り寄せ」とされています。
試験への供試年度が昭和16年~昭和20年となっていることから、取り寄せ年は昭和15年と推定されます。
その年度から考えて、当時「改良羽二重糯系」で滋賀県から取り寄せが可能なのは『滋賀羽二重糯』です。

そして昭和当時の『新羽二重糯』と『滋賀羽二重糯』の特性表を比較すると非常によく似ており、特に昭和20年代の初期ほどよく似通っています。

よって

京都農試は滋賀農試から『滋賀羽二重糯』を取り寄せ、『新羽二重糯』と改名し、奨励品種に採用したものと思われます。


ただ数十年という間、京都府・滋賀県の両試験場で独自の系統保存が行われたことから、すでに別品種と言って遜色無い差異は生まれているようです。


※昭和35年以前の資料で別根拠があればどうか教えてください。


参考文献

〇業務功程 昭和8年度~昭和10年度:京都府立農事試験場
〇業務功程 昭和20年度~昭和23年度:京都府立農事試験場
〇業務年俸 昭和25年度:京都府立農業試験場本場
〇京都府における水稲奨励品種の解説:京都府立農業試験場 桐村覚
〇昭和30年産米 稲作実態調査:京都府
〇滋賀県稲作指導指針(令和元年3月発行):滋賀県
〇地方産米ニ関スル調査(昭和5年発行):農林省農務局編纂
〇水陸稲ノ地域別耕種改善規準. 第4編 地域別耕種改善規(昭和16年発行):農林省農政局




2021年3月6日土曜日

イラスト「令和2年度穀検食味ランキング『はえぬき』特A復活」

題材
 『令和2年度穀検食味ランキング『はえぬき』特A復活!!!!!!!!!!!』

登場品種  
 山形45号  『コシヒカリ』
 山形97号  『つや姫』
 山形112号 『雪若丸』





令和3年3月4日17:00に穀検による令和2年度食味ランキングが発表されました。

山形県産は産地の異なる3品種6銘柄を出品、4産地品種銘柄が特Aとなりました。

『はえぬき』が最上産で特A復活だぜこのやろう!!!
おめでとう!ほんとうにおめでとう!

本人よりも『つや姫』のほうがうれしいですよきっと(管理人妄想)ということで今回のイラストです。
そして『つや姫』の心情がまだちょっとわからない『雪若丸』さん。

最高級品種()の『つや姫』は『山形県村山産』および『山形県庄内産』で安定の特A獲得。
山形県産としてはこれでデビュー以来11年連続の特A獲得です。
『北海道産ななつぼし』『佐賀県産さがびより』と並んで『魚沼産コシヒカリ(新潟IL)』の12年連続の記録まであと1年です。

食味ランキング特A連続最長としては『新潟県魚沼産コシヒカリ』の28年連続や、『山形県産はえぬき』の22年連続が有名どころですが、厳密に同一産地品種銘柄としてみれば、最長連続特A記録は以下の通りです。(と言っても基準品種や県単位で出す場合の取り扱いなども変わっているのでこれも”厳密”とは言い切れないのですが…)


1位.【16年連続】『新潟県魚沼産コシヒカリ』(平成元年~平成16年)
2位.【15年連続】『山形県内陸産はえぬき』(平成6年~平成20年)
3位.【14年連続】『新潟県佐渡産コシヒカリ(新潟IL)』(平成17年~平成30年)
4位.【13年連続】『岩手県県南産ひとめぼれ』(平成16年~平成28年)
5位.【12年連続】『新潟県魚沼産コシヒカリ(新潟IL)』(平成17年~平成28年)


この視点で見れば、山形県の『つや姫』も毎年産地が変わっているので連続と言うには微妙かもしれませんが、平成29年に山形県全体から2産地方式に変更してから出品してる2産地両方とも漏れることなく特A獲得を続けていますから北海道や佐賀県と並んで「山形県産つや姫11年連続特A」言ったっていいでしょ?(強引)

そういう意味で言えば、『雪若丸』が最上産で「A」評価になったのは少し苦しいところ…
とは言え
同じ土俵でも岩手県の『金色の風』に新潟県の『新之助』に食味ランキング不参加の品種もありますし、くどいようですがこれがすべての指標というわけではありません(でもやっぱり第三者評価としてそれなりの宣伝価値はあるんですよね…)


最近乱戦気味の食味ランキングですが、『愛知県産ミネアサヒ』が県初・品種初特A獲得とかどうなっているだい?(愛知県や『ミネアサヒ』を貶める意図はございません)

そしてやっぱりというかなんというか(これも失礼)
満を持して登場した『富山県産富富富』は…A評価でした

また漫画にしたいな(本当に大丈夫か?)











2021年3月1日月曜日

【酒米】伊勢錦722号(伊勢錦)【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

系統名
 『伊勢錦722号』
品種名
 『伊勢錦722号』(伊勢錦)
育成年
 『大正11年(1922年) 三重県立農事試験場』
交配組合せ
 『三重農試における品種試験在来種伊勢錦より選出』
主要生産地
 『三重県、兵庫県』
分類
 『酒造好適米』※現代の区分による

伊勢錦722号よ…”伊勢錦”って呼ばれるの




どんな娘?

非常に物静かな娘で、伊勢錦の正統継承者(他称)。
姉に伊勢錦656号がいるが、「伊勢錦」としてなにかと外に呼ばれるのはこの伊勢錦722号の方。

現役継続期間こそ雄町2号(岡山県)に及ばないが、滋賀渡船姉妹、辨慶に次ぐ古参品種。
新山田穂1号とはほぼ同い年だが、精神的・身体的に彼女よりより大人びている。(現役の長さと作付け面積の差によるものと思われる。)

占いが得意でよく当たると評判で、相談がてら彼女を頼る娘も多い。
ただ何もない空間を見つめたり、見えない何かを避けるそぶりを見せたりと謎の行動も多く、ちょっとした畏怖の対象でもある。
第六感があるのでは…と言う噂も


概要

三重県で復刻栽培されている『伊勢錦』。
彼女は、1849年(嘉永2年)三重県多気郡五ヶ谷村大字朝柄の岡山友清氏(旧名定七)が在来品種『大和』より選出した品種で、命名は1860年(万延元年)とされている品種(別名『大和錦』?)で、『雄町』に匹敵する170年近い歴史を持つ最古参品種・・・

などということは(やはり)なくて

現在『伊勢錦』と呼ばれている品種は、三重県農事試験場で大正元年から開始された純系淘汰育種事業の中で、大正5年選抜開始大正11年育成(試験)完了・原種(奨励品種)採用された『伊勢錦722号』です。
昭和62年(1987年)より元坂酒造が復刻栽培を行って…いるらしい(正直品種としての純度は疑わしい)です。
酒蔵の説明が「在来の伊勢錦を復刻した」であったり、『弓形穂』について「伊勢錦から選抜」とされていることから『伊勢錦(在来)』と広められていることも多々ありますが、三重県農業研究所に確認し、酒蔵に提供されたのが『在来伊勢錦』などではなく、純系淘汰後代の『伊勢錦722号』であることを確認しました。
必然的に『弓形穂』の選抜?元も『伊勢錦722号』でしょう。

大正元年時の三重県の調査によれば、『伊勢錦』の栽培地域は2市13郡161町村にわたり、約7,704ha(当時の三重県水田面積の1割強)にも及ぶ耕作面積を要していました。
大正3年に初めて純系淘汰による育成品種が原種圃に配置され(配布自体は大正5年以降と推測)、以後毎年品種比較試験により原種(奨励品種)指定は入れ替えられ、複数品種群による『伊勢錦』系品種群が継続配布されることになります。
管理人が追えた以降の作付面積(いずれも三重県内のみ)の推移として
大正14年(1925年)に7,139ha(県水田73,899.1ha)、昭和3年(1928年)は6,554ha(県水田72,458.7ha)、昭和6年(1931年)は8,088ha(県水田71,038.8ha)、昭和9年は(1934年)5,380ha(県全体70,720.1ha)、これが昭和11年(1936年)には1,857ha(県全体64,916ha)と急減します。
※昭和11年は『722号』単体、他年は『656号』他品種も含むものと思われます。
さらに昭和35年(1960年)には『伊勢錦722号』についての作付けは9haしか確認できず、昭和40年(1965年)には2ha、そして昭和42年(1967年)の1haを最後に統計から姿を消しています。

このような経過をたどった『伊勢錦』系品種の『伊勢錦722号』は、民間の酒蔵によって平成・令和現代に復刻しています。(ただし「短稈化した個体を選ぶ品種改良で育てやすい伊勢錦にした」的なことを言っていて『伊勢錦722号』の品種としての純度は正直言ってかなり怪しい…)
最古の品種、ではないかもしれませんが、その起源の由来が確認できるという点では確かに『雄町』に並ぶ珍しい品種です。

繰り返しになりますが
三重県農事試験場が育成した多数の伊勢錦系品種群の中でも最終的に奨励品種指定されたもの(育種経過で後述)が早生品種の『伊勢錦656号』と中生品種『伊勢錦722号』でした。
奨励品種指定期間は大正12年(1923年)から昭和25年(1950年)の27年間に及び、当時から醸造用品種として歓迎されていました。
この奨励品種指定最終年の昭和25年で消えた、と紹介されていることも多いですが、前述したように昭和40年代まで作付けは確認できます。
在来の『伊勢錦』を継続栽培していた農家ももちろんいたと思われますが、昭和初期の調査で70~80%超は県育成の純系淘汰品種が栽培されていたとされ、大半は『722号』等だったことが推測されます。
三重県農業研究所では伊勢錦系品種に関しては(令和2年度時点で)この『伊勢錦656号』と『伊勢錦722号』を保存しています。
大正当時の試験において『在来伊勢錦』とされていたものが中生であったことから、酒蔵側に提供するに当たって在来に近い熟期の『伊勢錦722号』が選定されたものと推測されます。


稈長は約120cm程度で穂長は20cm超、穂数は約9~10本の偏穂重型品種です。
長稈で穂が重いため、耐倒伏性も「弱」とされています。
葉いもち病抵抗性は「中」程度とされる評価もありますが、現代品種に比べればかなり弱いことが推察されます。
脱粒性も「易」のため、機械収穫時のロスが多そうです。
無芒種で、千粒重は27.9g(三重・昭和8年)~28.6g(兵庫・平成16年)と大粒で、玄米品質は良好。
心白発現も良好とされています。(三重大学は「線状心白」と言っていますが果たして…?)


『山田錦』の母親? 『伊勢錦』=『山田穂』

まぁ…こういうこと言っている蔵もあるようです。

ただそもそもの「山田穂由来説」における「伊勢山田説」って人の伝聞に過ぎないんですよね…【関連】山田錦の母親、その源流『山田穂』の由来について
・・・いえ、野暮はやめましょう。ロマンですよ浪漫。

つまり管理人個人としてはあまりにも無責任な妄想根拠薄弱すぎじゃないかと思うのであります。


ちょっと違うけど仲間『伊勢錦(見出し)』

先述したように三重県で保存されているのは『伊勢錦656号』と『伊勢錦722号』の2品種で、酒造好適米として栽培されているのは『伊勢錦722号』です。
ですが、新潟県でもしめ縄加工用稲品種として『伊勢錦(見出し)』が存在しています。

しめ縄加工用稲の栽培が山形県や福島県に並んで盛んな新潟県で、使用されている品種は在来(本当?)の『実取らず』でしたが、これ1品種では作業(収穫・乾燥)期が集中してしまい、農業者の高齢化も相まって熟期の異なる、新たなしめ縄加工用稲品種が切望されていました。
新潟県作物研究センターでは平成10年(1998年)~平成14年(2002年)にかけてしめ縄加工に適した品種の選定を目的に試験を実施します。

しめ縄加工用稲に必要とされる特性はなかなか多く
①生育が旺盛で、草丈が長い。
②茎葉が柔軟性に富む。
③葉色が濃く、葉先が揃う。
④乾燥・保管時に退色や劣化をしにくい。
⑤いもち病などの病斑が少ない。
⑥手触りが良い。
⑦製品につやがある。
が挙げられます。

新潟県保存のイネ遺伝資源と農研機構ジーンバンク配布の25品種・系統から10品種が現地実証試験に移り、『伊勢錦(見出し)』が最有望として認められ、種子配布が行われています。
これは平成12年(2000年)にジーンバンクから取り寄せた『伊勢錦』の中から新潟県作物研究センターが選抜したもので、現品種『伊勢錦』と2ランク以上の特性値の差はないものと判断され『伊勢錦(見出し)』と呼称されることになりました。
ジーンバンク所蔵なので詳細は不明ですが、『伊勢錦656号』や『伊勢錦722号』よりも稈長が約15cmほど長く、稃先色も「赤褐色」と異なる遺伝形質を持っていることがわかります。

いずれにせよこれは『伊勢錦722号』とは別の品種ですね。

全然違うよ仲間じゃないよ 広島県の『伊勢錦』

広島県では『神力』系品種群の中から特に優良と認めた「草丈がやや長く、分けつ数の多い個体(系統)」について『伊勢錦』と命名、配布していました。

これは明治43年から大正6年の間続いており、これは大正7年に再度『神力』と改められますが、この期間における「広島県の伊勢錦」は三重県由来の『伊勢錦』とは全く違う「神力系品種群の異名のこと」と言うことになります。

この期間に広島県からこの『伊勢錦(神力)』の配布を受けた試験場は今のところ見ていません(多分)が、この時代の品種調査時に品種名だけでは判断が出来ない難しさを示す一例ですね…


三重県農試の純系淘汰育種事業

三重県では県内の基幹品種『神力』『竹成』『関取』そして『伊勢錦』の4品種について大正元年から純系淘汰法による育種に取り組んでいました。(後に『愛国』が大正9年より開始され5品種に)
三重県における純系淘汰育種による試験は1次~5次に分かれ(大正5年度時点)

【大正元年より実施】第1次試験(ポピュレーション)←?(原表記まま)
【大正2年より実施】第2次試験(型の比較)
【大正3年より実施】第3次試験(良型比較)
【大正4年より実施】第4次試験(良型特殊事項調査)
【大正5年より実施】第5次試験(原種決定試験)

となっており、一度原種に指定されてもなお、後発の純系淘汰後代との比較試験(3次~5次試験)が行われ、度重なる検証により最も優秀な品種を選択して原種圃に配布していました。

第1次試験では、各地方から優秀と思われる系統を穂や株単位で収集し、1穂につき1粒を採種し1本植えを行います。
その中から優良な個体を分離選出します。
この時点で『伊勢錦○○号』のような系統名が付与されます。

第2次試験では、第1次試験で選出した系統や、各地から収集した穂を1試験区として比較栽培を行い、特性調査の上で取捨選択を行います。(必ずしも1次試験を経て2次試験へ移行したわけではない模様)

第3次試験では、前年の第2次試験で優良と認められた系統、前年の第3次試験で優劣がはっきりしなかった系統、そして第3次試験で優良と認められたあるいは原種(奨励品種)指定されている品種に関してまとめて比較栽培し、翌年の第4次試験に供する品種の予備選出を行います。
1区当たり180株が栽植され、各比較試験が実施されます。

第4次試験では、前年の第3次試験で優良と認められた系統・品種に対して、栽植密度や耕起は標準的な方法を用いて、施肥量について標準区や多肥区(追肥)等の特殊条件を設定して試験を実施します。

第5次試験では、前年の第4次試験供試系統・品種から3つ程度選択し、品種比較試験(試験場及び原種圃)や県下郡・市といった地方での栽培成績、第3次・第4次試験の成績などから総合的に判断し、翌年に原種(奨励品種)指定する品種が決定されます。

第1次、2次で優秀と思われる系統を選抜し
第3次、4次で先行品種や原種(奨励)指定品種との比較が行われ
選び抜かれた最終候補を、5次試験で直接比較し、最終決定を行うという作業が大正期には行われていました。

そしてそのような試験を経て育成された『伊勢錦系品種群』は累計で

『伊勢錦92号』(當場在来種由来)
『伊勢錦100号』(當場在来種由来)
『伊勢錦222号』(名賀郡在来種由来)
『伊勢錦416号』(一志郡大三村 上田一郞氏提供株由来)
『伊勢錦279号(早)』(多氣郡在来種由来)
『伊勢錦133号』(山梨県在来種由来)
『伊勢錦241号(早)』(阿山郡在来種由来)
『伊勢錦656号(早)』(當場在来種由来)
『伊勢錦722号』(當場在来種由来)
『伊勢錦713号』(當場在来種由来)

の10品種が原種(奨励品種)指定されました。
そして最終的に三重県の奨励品種として残ったのが早生扱いの『伊勢錦656号』と、中生かつ主力、そして現代で栽培が再開された『伊勢錦722号』となります。(原種指定経過は育種経過最後の表参照)


育種経過

後に三重県において主力品種となる『伊勢錦722号』は、大正5年(1918年)の第1次試験開始集団に由来します。

各地より選抜収集した1穂から1粒を採種、それを一本植えして系統分離を図ります。
この年の『伊勢錦』系品種群は14箇所52株から328穂を収集しています。
試験場の従来試験品種から村単位で収集したもの、もしくは個人からの収集まで多岐にわたります。
後の『伊勢錦722号』となる系統は三重県立農事試験場の「品種試験在来種」から採種されたものになります。

大正6年(1917年)に第2次試験を実施。
多少選抜されたのか前年の328穂(系統)から少し減って320系統(529号~848号)が供試されています。
各系統につき試験区を1区設置し、各種比較試験と特性調査を実施し、選抜を行います。
続いて大正7年(1918年)に第3次試験に移っています。
この年から大正元年~4年選抜選考組とも直接比較試験が実施されます。
『伊勢錦722号』は標準品種と比較して出穂・成熟期、そして分櫱数、草丈共にほぼ同様。
収量で僅かに劣るものの、心白の発生がやや多く、千粒重及び玄米品質の面で勝っているとの評価が成されています。

大正8年(1919年)も引き続き第3次試験に供試されています。
ちなみにこの年第4次試験に供試されているのはこの時点で『伊勢錦100号』~『伊勢錦416号』(途中抜け番有り)で、大正5年選抜開始組は揃って第4次試験に進んでいない状態でした。
この年度の業務功程に特に記載はありませんが、翌年の試験実施状況から推測するに大正5年開始組からは『伊勢錦642号』『伊勢錦656号』『伊勢錦722号』が有望と判断されたものと思われます。

大正9年(1920年)も引き続き第3次試験に供試されつつ、第4次試験への供試が開始されます。
『伊勢錦722号』は他9系統と共に試験が実施されます。
耕耘、基肥は普通栽培通りですが、多量の追肥を実施した上で倒伏度合い、耐病性、収量の調査を行い、耐肥耐性を調べることが目的です。

大正10年(1921年)も引き続き第3次試験、第4次試験に供試。
第4次試験の供試系統は前年と同系統・同数でした。

大正11年(1922年)、第3、4次試験への供試は変わらず、この年から第5次試験への供試が開始されました。
第5次試験はいよいよ原種採用の可否を決める試験であり、『伊勢錦95号』『伊勢錦416号』『伊勢錦642号』『伊勢錦722号』『伊勢錦656号(早生)』が供試されています。
そしてこの年、原種編成に大きく変化が有りました。
『伊勢錦』系は従来の4品種が廃止とされ、既存の『伊勢錦416号』に加えこの年から新規で『伊勢錦656号』『伊勢錦722号』が追加されました。
この年大正11年は「原種配布が決定された年」なので、実際奨励品種として配布が開始されたのは翌大正12年(1923年)からになります。
九大の保存系統情報で『伊勢錦722号』が「大正12年育成」となっているのはこの点からの誤解と思われます。(ただ『伊勢錦656号』が何の脈絡もない大正14年育成だったり…いい加減ですね)

この後『伊勢錦416号』は大正14年が配布最終年となり、途中『伊勢錦713号』や『伊勢錦133号』が単年度限り編入される年もありますが、基本的に『伊勢錦656号』(早生)と『伊勢錦722号』(中生)が以降の原種配布の主力となります。


管理人が確認できた原種指定状況は以下の通りです。
【注】昭和2年までは”原種指定が決定した年度”に「◎」がついているので、実際原種が配布されたのは翌年度からとなっている点に注意。(大正11年度「◎」の『伊勢錦722号』は大正12年度から配布開始)

『伊勢錦』系品種群 原種指定決定年度表

【注2】昭和7,8年度業務功程は未確認のため推測

「〇」の品種は予備的に原種候補に挙がっていましたが、配布まで至らなかった模様。
と言うのも、元々三重県としては純系淘汰品種の配布開始を大正5年からと計画していました。
そのため大正3年、4年時点では純系淘汰育種系統全体の選抜が不完全な状態でしたが、大正5年の配布開始を見越してその時点で有望とされる3品種を選定していたようでした。
『伊勢錦33号』『伊勢錦72号』は後年有望とされた『伊勢錦100号』『伊勢錦222号』と入れ替えられ、配布までには至らなかったものと推察されます。


系譜図

『伊勢錦722号』(伊勢錦) 系譜図




参考文献


〇三重県立農事試験場業務功程 明治44年~大正4年:三重県立農事試験場
〇三重県立農事試験場業務報告 大正5年~昭和6年、昭和9~13年:三重県立農事試験場
〇水稲及陸稲耕種要綱:大日本農会
〇地方産米ニ関スル調査 昭和5、8、11年:農林省米穀部編纂/帝国農会発行
〇昭和十二年八月 水稲粳銘柄別品種別栽培面積収穫高及管外移出見込高調査
〇しめ縄加工に適する新たなイネ育種素材「伊勢錦」:新潟農総研
〇酒米在来品種の特徴:ひょうごの農林水産技術No.131
〇在来の水稲品種伊勢錦とその短稈系統の生育特性と酒米特性:三重大学

問い合わせ対応:三重県農業研究所様


関連コンテンツ




ブログ アーカイブ

最近人気?の投稿