2022年12月26日月曜日

【WCS用】青系208号~あおばまる~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『青系208号』
品種名
 『あおばまる』
育成年
 『令和2年(2020年) 青森産業技術センター農林総合研究所』
交配組合せ
 『べこあおば×ふ系PL4』
主要生産地
 『青森県』
分類
 『飼料用(WCS用)』

「おうっ!あおばまるだっ!!」








どんな娘?

青森県飼料用稲の新世代。
肉体の強靱さを誇ることが多い飼料用稲品種達の例に漏れない屈強な体に加え、寒さへの耐性は比類無く、まさに新世代。(でもWCS用でそれって役に立つの?)
声が非常にでかい上に米っ娘の見た目以上に腕力が強いので、飼料用稲の仲間内はまだ良いのだが、他県の粳米っ娘の中には怖がる(ビビる)者も一定数いる。

WCS専用(厳密には”向け”)品種にしてはとんでもない(何が?)おかげで、某首長からは拒否反応を示されている…があおばまる本人は意に介していない様子。

細けぇ事は気にするな!


概要

青森県における令和の新世代飼料用稲の片翼、WCS(発酵粗飼料)用稲品種『あおばまる』の擬人化です。

「大きく生長した青葉(茎葉)を食べて、家畜が丸々と太るように」との願いを込めて命名されています。
相方の『ゆたかまる』と共に青森県の畜産業を支えることが期待されます。

青森県における飼料用稲品種は、WCS向けに『うしゆたか』(平成20年育成)と『みなゆたか』(平成21年育成)、飼料米用向けとして『えみゆたか』(平成28年育成)と平成に育成された”ゆたかシリーズ”(管理人の勝手な命名)が主役を占めていました。

それが令和に入りWCS・飼料米それぞれ新規品種が育成されました。
令和元年度(令和2年2月)に姉貴分となる飼料米用向けの『ゆたかまる』が青森県の飼料作物奨励品種に指定されたのに続き、令和2年度(令和3年2月)にWCS向けとしてこの『あおばまる』が指定されました。
令和4年(2022年)より一般に種子販売が開始されました。


WCS向けですので通常の水稲のように種子である米を収穫するのが目的では無く、茎・葉・籾の地上部全てを収穫することを目的としています。
先代WCS主要品種の『うしゆたか』に比例して収量(黄熟期全重)で2割増となっています。
ホールクロップのロール数で比較すると、『うしゆたか』で10aあたり8.5ロール分収穫できるところを、同条件下で『あおばまる』は10ロール分収穫できるようです。

とか言いつつも、先代『うしゆたか』の玄米収量がせいぜい650kg/10aだったのに対して『あおばまる』は800kg/10a近いので普通に飼料米用品種としても使えそうなものですが、青森県の指定ではあくまでも「WCS用」とのこと。
途中まで飼料米用として育成されていたものの、熟期が遅く草姿が大柄なので、発酵粗飼料用に切り替えたという変遷を持つようです。
飼料米用としては姉貴分の『ゆたかまる』に任せることとなりそうです。

「なぜかイナゴに食われにくい(公式)」そうで、ケイ酸吸収率が高いので葉が硬い、とかあるんでしょうか。

育成地において「中生の晩」に属し、出穂期は8月6日頃、成熟期は9月20日頃となっています。
青森県下ではこの熟期は遅いと判断されるようですが、WCS用であり黄熟期刈り取りが前提なので問題にならないとされています。
育成時に計測された稈長は94~96センチ、穂長は約17センチの「偏穂重型」で、耐倒伏性は「強」と判断されています。
WCS用品種にとって重要な地上部収量(全重)は黄熟期で約160kg/10a、成熟期で約210kg/10aと十分に多収です。(対照『うしゆたか』で黄熟期約125kg/10a、成熟期約170kg/10a)
そして玄米千粒重は31.0~33.6gと非常に大きいものとなっており、玄米の収量(粗玄米重)も700~800kg/10aまで至ります。(N成分1.0+0.4kg/a多肥区)
前述のように1粒当たりが大きく、穂発芽性も「易」とされているため、新規取り組みの際には播種量を増やしたり、催芽時・浸種時にも注意が必要とされています。
いもち病への真性抵抗性遺伝子型は【Pik】【Pita-2】を保有していると推測され、青森県内のいもち病菌レースでは感染しないために圃場抵抗性は「不明」と判定されています。
障害型耐冷性は「極強」です。
時折「極強10」と紹介されている場合もありますが、これは平成26年(2014年)以前の基準によるものと思われ、父親にして基準品種である『ふ系PL4』と同じ耐冷性ということだと思われます。

蛇足
耐冷性(障害型冷害耐性)は平成21年(2009年)にそれまでの最高位ランク8「極強」(『コシヒカリ』や『はえぬき』)を「極強8」として、それよりもさらに冷害に強い「極強9」「極強10」「極強11」の3ランクが追加されました。
その後さらに国際基準に準ずる目的から、上記の追加で11ランクになっていた耐冷性は9ランクに圧縮されることとなり、「極強10」「極強11」は「極強」(ランク9)となりました。


飼料適性


飼料成分は先代『うしゆたか』とほぼ同等とされています。
『うしゆたか』は通常の食用粳品種である『むつほまれ』よりも粗繊維含量が低く消化が良く、無機成分組成(K/(Ca+Mg)当量比)が優れるとされているので、『あおばまる』も同様…と考えて良い物かは不明ですが…

K/(Ca+Mg)当量比は、K(カリウム)の過剰摂取を一因として発生する家畜のグラステタニー(低マグネシウム血症)を防ぐためにも2.2以内に収めることが目標とされています。
『うしゆたか』は育成時1.73(対照『むつほまれ』2.08)で十二分目標内でしたが、公表されていないのか、今は大して重要視されていないのか…?


雪印種苗株式会社に依頼して行われた近赤外分析による値ではTDN(可消化養分総量)が51.7~59.9、Vスコアは94~100ですので「良」評価ということになるでしょうか。


育種経過

詳細な育種論文って公表されるのかなぁ…

平成19年(2007年)に『べこあおば』を母本、『中母59』(後の『ふ系PL4』)を父本として交配、育種が開始されています。

◇母本の『べこあおば』は東北農業研究センターで育成されたWCS/飼料米兼用品種です。
◇父本の『ふ系PL4号』は障害型冷害への耐性の新ランク「極強10」を有する品種です(それ以外は知らぬ)

~そしてこの間不明~

平成28年度の農林総合研究所年報に「発酵粗飼料用品種『青系208号』を育成した」旨の記載があり、新配布系統一覧の中にも同様に『青系208号(黒2553)』が記載されていますが、これが上記の交配後代系統であり、後の『あおばまる』として品種化されるものとなります。

平成29年(2017年)から研究所内及び現地での栽培試験が開始され、年報によれば「本県に適する優良品種の選定」の項目で『青系208号』は「継続」の判断が成されています。
続く平成30年(2018年)もおそらく継続して現地試験が行われ、同上の項目において『青系208号』は「やや有望」と評されています。
同様に令和元年(2019年)は「有望」との評価がされ、ここで概ね奨励品種への採用は固まったものと推測されます。

令和2年度(2020年)は原種として9a、418kgの生産が行われています。
そして令和3年2月に飼料作物奨励品種に指定されています。

令和3年(2021年)は原種として99a、5,220kgの生産が行われ、この翌年令和4年から一般に種子の販売が開始されました。


系譜図


青系208号『あおばまる』 系譜図



参考文献

○平成28年度~令和3年度年報:青森産業技術センター農林総合研究所
○稲WCS用新品種「青系208号」の特性:青森産技農林総合研究所
○令和3年度普及する技術:青森産技農林総合研究所
○プレスリリース情報_「稲発酵粗飼料用新品種 「あおばまる」が出願公表」:青森産技農林総合研究所
○農林総合研究所 通信 第4号:青森産技農林総合研究所
○研究成果情報:農研機構https://www.naro.affrc.go.jp/org/tarc/seika/jyouhou/H20/suitou/H20suitou001.html
○粗飼料の品質評価ガイドブック:(社)日本草地畜産種子協会


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2022年12月10日土曜日

【酒米】~強力1号(強力)・但馬強力~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

系統名
 『-』
品種名
 『強力1号(強力)』※兵庫県の産地品種銘柄は「但馬強力」で登録
育成年
 『大正4年(1915年) 鳥取県立農事試験場』
交配組合せ
 『在来種強力の中から選出』
主要生産地(平成~令和現代)
 『兵庫県』
分類
 『酒造好適米』※現代の区分による

我が強力じゃ、ん…いや今やそれは小妹のほう、か。
ならば…うむ、我は”但馬強力”じゃて。



※管理人独自論が多く含まれます(が、あくまでも大正時代当時の試験場の記録を根拠にしているので、むしろ世間一般の説はナニを根拠に色々言われているのでしょう?)※

どんな娘?

鳥取の強力姉妹の長女。

妹と同じく長身・すっきりとした美人。
容姿も妹と瓜二つながら、”お山”の大きさでわずかながら負けていることは密かに気にしている…とかいないとか。(いやゆうてさほど差は無いと思うんじゃて(本人談))

妹である強力2号と離れた地ながらも奇しくも同じ平成に復刻したが、本人らに特に感慨は無い様子。
ちなみに同じ兵庫県で復刻された伊豫辨慶1号とは鳥取・兵庫両県においての顔馴染みだが、鳥取県では「強力1号と辨慶1号」として、兵庫県では「但馬強力と辨慶」としての間柄だったため、互いの名を呼ぶときは多少混乱も見られる。

優しく人と接し、物腰も柔らかい妹と比較して、表面上の話しぶりは同じなのだがグサリと人に突き刺さるようなキツい物言いをすることがある。



概要

兵庫県で復刻栽培されている『強力1号』もとい『但馬強力』の擬人化です。
"但馬強力"と書いて”たじまごうりき"と読みます。

現代では「兵庫農試但馬分場が育成した”但馬強力”」なんてことが広く言われていますが、『但馬強力』は鳥取県の奨励品種『強力1号(強力)』の異名同種です。


復刻品種毎度恒例で、『強力』は特に酒造業界(と、採用機関の兵庫農試)の情報発信が雑すぎて間違った情報発信が多々見受けられる有様です。
また、一番有名で広がっていると思われる「酒米ハンドブック」ですら間違っているんです…繰り返しになりますが兎にも角にも「兵庫農試但馬分場が育成した」間違いです。
(詳しくは後述の育種経過にて)


現在「但馬強力」と呼ばれている品種は、兵庫県農林水産技術総合センターから譲り受けて復活させたと言われているようなので、兵庫県で昭和3年(1928年)に奨励品種に採用され昭和9年(1934年)を最後に姿を消した『但馬強力』かと思われます。
そしてそれは鳥取県農事試験場が選抜の上『強力』として大正4年(1915年)に原種指定、そして大正10年(1921年)に改名された『強力1号』の異名同種と思われます。


鳥取県の在来品種『強力』は、明治24年(1891年)に鳥取県東伯郡の渡邊信平氏が県内外から21種類の在来種を収集し、その中から選抜・命名した個体が始まりとされています。
その後鳥取県内で普及したモノを県農事試験場が収集し、奨励品種採用や純系淘汰育種を行い、『強力(後の『強力1号』)』や『強力2号』が育成されました。

『強力(1号)』は大正4年(1915年)から原種指定、大正10年(1921年)に『強力1号』に改名、その後昭和7年(1932年)を最後に原種圃から姿を消しています。
妹の『強力2号』は大正14年(1925年)には種子配布量で姉の『強力1号』を抜き、原種圃で確認できる最後の年は昭和20年(1945年)となっています。
『強力2号』に関してはその後数年で栽培が途絶えたとされていることが多いようです。

これら『強力1号』『強力2号』両品種は、少なくとも大正末期には鳥取県内の水田面積の約30%(約10,214.75町歩:2品種合計)を占めるなど一時代を築いたわけですが、先に『強力』として原種指定されていた後の『強力1号』について、兵庫県農事試験場但馬試験場が取り寄せ、優秀と認めて採用され、独自の名称を付けられたものが『但馬強力』となります。



”昔は食用米の『強力1号』(つまり『但馬強力』)、酒米の『強力2号』として普及”とか言ってる酒蔵もあるようですが…区別されていた様子はありません。
現にこのように『但馬強力』は兵庫県で酒造米として採用されているわけですし…?
何を根拠に言っているのかが不明なのでなんとも言えませんが。

兵庫県における『但馬強力』としての評価は(昭和4年時点)
試験地における早生、とされながら熟期がやや遅いともされているので中生寄りと評価されていたとも受け取れます。(鳥取県では「中生」)
稈長は約135cm程度で穂長は約21.5cm、穂数は約11本の偏穂重乃至穂重型品種です。
鳥取県の各種試験時でも『強力2号』とほぼ変わり無い様子でしたが、兵庫県では若干稈が長いように見受けられます。
長稈でかつ穂重型、つまり穂が重いため、耐倒伏性が弱いことが推定されます。
収量は2.889石(3ヶ年平均)とされているので、単純な重量換算で430kg/反ほどでしょうか。
大正14年時点の評価で『強力2号』が『強力1号』に比して7.5%の増収であるとされていましたが、兵庫県における『但馬強力』の結果だけを単純に見ればそれほど差は無いようにも思えますが…こういうものは単純比較出来ないのでなんとも言えません。
米穀に関して具体的な数値の記載はありませんでしたが「粒型大」「心白多」「品質上」と評価されていました。



育種経過

鳥取県農事試験場では大正4年(1915年)に経年品種比較してきた11品種を原種指定します。
『茶早稲』『奥州』『丸山』『皇國』『福山』『芋釜』『福吉』『青木』『亀治』『早大関』そして『強力』です。
この『強力』らについては明確な純系淘汰試験が行われたものではありませんが、経年選抜により優秀な固体を選出・固定してきたものと推察されます。
その”経年選抜”をいつから行ってきたかは不明ですが、大正4年以前の試験報告については、明治39年(1906年)時点のものまでしか見つけられておらず、なおかつこの時期は栽培法の試験のみで品種改良について記載がありませんでしたので明治40年以降のいずれかの時期で始まったと思われます。
鳥取農試ではこの原種指定を行ったこの年から本格的に品種改良試験を開始し、強力系統としては『強力2号』が大正10年(1921年)に育成完了・原種指定を受け、同年原種指定されていた『強力』も『強力1号』と改名され、鳥取県の主力品種として普及していきます。


この『強力』を取り寄せて品種比較試験を行ったのが兵庫県農事試験場の但馬分場です。
と言うことで舞台は兵庫県に移るのですが、少しばかり時間を遡ります。
兵庫県農事試験但馬分場が正式に設置されたのは大正10年(1921年)のようですが、少なくとも大正8年(1919年)の時点で「但馬試作地試験」の記録項目がありました。
その大正8年の但馬試作地における品種比較試験(本試験)で、『強力』が供試されています。
ただしこれは取寄先欄が空欄で(他品種では取寄先記載されているものもある)ことから、兵庫県内で普及していた雑多なものを試験的に栽培試験したかなにかではないかと推測されます。
というのも翌年大正9年(1920年)の同試験で『強力』の記載は無くなっていました。

そして但馬分場が設置された大正10年(1921年)、品種比較試験に鳥取県から取り寄せた『強力』と『奥州』の2品種が供試されています。
この時点で鳥取県から兵庫県に渡っていたことから、大正9年時点で鳥取県で原種(奨励品種)指定されていた品種が提供されたことが推測されます。
『強力』は後の『強力1号』であり、鳥取農試で品種比較試験の結果大正4年に原種指定された最初期の原種の1つで、『奥州』に関しては大正4年純系淘汰開始・大正7年育成完了で最初期原種の『奥州』と入れ替えられた新参の品種(後の『奥州1号』か?)と思われます。
『強力』『奥州』共に鳥取農試では大正10年から『強力1号』『奥州1号』と改名されますが、まさに絶妙なタイミングで兵庫県に供試されたと言えるかも知れません。
なお、この年に但馬分場で純系淘汰が行われていた品種は『穀良都』のみで、『強力』についての取り組みは記述ありません。

大正11年(1922年)、鳥取県の『強力』が但馬分場の品種比較試験の本試験に引き続き供試され、「長稈ナルモ有望」との評価を受けています。

大正12年(1923年)、引き続き但馬分場で品種比較試験の本試験に供試されている『強力』は、ここまでの3年間の試験成績として反収2.784石が記録されています。
ちなみに、この年に但馬分場では新たな純系淘汰育種が開始されていますが、供試されているのは『改良大場』系統と『豊年穂』系統で、当然ですが『強力』系統の純系淘汰は行われていません。

大正13年(1924年)から大正14年(1925年)にかけても同様に『強力』(鳥取県原産)は但馬分場の品種比較試験の本試験に供試され続けています。
大正13年には「強力良好ナリ」との評価、大正14年には「大粒種ニテハ強力等比較的多収」と記載がありました。
また別途大正14年からは水稲品種対肥料用試験への供試が始まっています。

大正15年/昭和元年(1926年)も大正14年から引き続き但馬分場にて品種比較試験と水稲品種対肥料用試験へ供試されています。
この年も『強力』(鳥取県原産)です。
この年の記録では成熟期が10月25日、草丈が4.64尺となっています。
巷の「強力は稈長が150cm近くまで伸びる」は、この草丈を稈長と勘違いしているように思えますが…果たして?

昭和2年(1927年)は但馬分場の品種比較試験の本試験のみの供試。
『強力』(鳥取県)は出穂期8月31日、成熟期10月24日、草丈3.66尺、茎数12.4本、玄米一升重404匁と記録されています。
一般的に「米一升は1.5kg」と言われますが、404匁は1,515gなので意外と平均的ですね。

そして昭和3年(1928年)、ついに兵庫県立農事試験場本場の原種圃に『但馬強力』が登場します。
注釈で「※原種ニ編入セリ」とあることから、この年から原種に採用されたのは間違いないです。
配布量は7.770石で、内3石3斗4升は但馬分場から配布したとの記載があるので、『但馬強力』に関しては本場と分場それぞれで原種栽培をしていたようです。
そしてこの年から試験への供試が一挙に増えます。(以下【】内は取り寄せ先表記)
まずは本場の水稲品種比較試験の本試験に『但馬強力』【原種】、水稲地方委託試験でも有馬郡、神埼郡、揖保郡全ての委託先に『但馬強力』が供試されています。
また酒造米試験地でも品種比較試験に『但馬強力』【原種】。
そして但馬分場では水稲品種比較試験に『但馬強力』【分場】、そして対肥料試験に『但馬強力』が供試されていました。
今までの試験記録や、取り寄せ先から判断してこの『但馬強力』は大正10年から但馬分場で品種比較試験が続けられてきた『強力』【鳥取県】と判断して良いでしょう。

昭和4年(1929年)、原種圃の配布量は7.770石で前年と変わらず、各種試験も継続されています。
本場では品種比較試験に加えて新たに対肥料用試験に供試。
地方委託試験では前年と同様の3郡に供試され、「早生大粒種ニテ但馬強力ノ成績良好」との評価。
酒造米試験地では変わらず水稲品種比較試験に供試。
但馬分場では水稲品種比較試験と対肥料用試験が実施されています。


以後は資料不備により今後の課題としますが、この後昭和9年(1934年)までの短い期間、『但馬強力』は兵庫県の原種(奨励品種)として配布されていました。


さて、『但馬強力』の育種結果の結論ですが…
詳細は関連記事の「兵庫県の『但馬強力』の正体は?」を見て頂きたいのですが、大正14年から但馬分場で『強力』系統の純系淘汰育種が開始されています。(なぜか開始年である大正14年の業務功程には記載がありませんが…)
この純系淘汰育種は大正14年に始まり、少なくとも昭和5年の時点でも2系統が残されまだ完了しておらず、そもそもその対照品種に『但馬強力』が使用されているので「兵庫県が純系淘汰育種したのが『但馬強力』」という一般に流布されている説は間違いでしょう。

鳥取農試が育成した『強力(強力1号)』を兵庫農試但馬分場が取り寄せ、品種比較試験の結果採用し、改名したのが『但馬強力』です。
なお、但馬分場で『強力』系統の純系選抜育種を行ったことは事実ですが、『但馬強力』とは関係がありません。




系譜図

『強力1号(強力)』(『但馬強力』) 系譜図





参考文献

〇兵庫県立農事試験場業務功程:大正8年~昭和5年度
〇鳥取県立農事試験場業務功程:大正4年~昭和22年度
〇鳥取県農事試験場成績報告. 第6報
〇酒質が優れる酒造好適米「鳥系酒 105 号」の育成 :鳥取県農業試験場・鳥取県産業技術センター
〇酒米品種・系統の主要特性(第1報 栽培適性と玄米形質):秋田県農業試験場
〇日本主要農作物耕種要綱:大日本農会
〇取県米穀検査所年報. 第4報(大正3年度)




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2022年7月5日火曜日

【酒米】改良強力2号~強力2号~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

系統名
 『改良強力2号』
品種名
 『強力2号』※産地品種銘柄は「強力」で登録
育成年
 『大正10年(1921年) 鳥取県立農事試験場』
交配組合せ
 『在来種強力の純系種子の中から選出』
主要生産地(平成~令和現代)
 『鳥取県』
分類
 『酒造好適米』※現代の区分による


うむ、私が強力2号じゃて。
”強力”の通り名は姉に代わって今や私のものじゃ。


※大正時代の資料を元に、通説を誤りと判断しています※

どんな娘?

鳥取の強力姉妹の次女。

古参品種に漏れず長身・すっきりとした美人。
元々エリート街道から拾われた身ながらおごり高ぶる様子は微塵もなく、長年の経験から来る落ち着きがあり、頼りがいのある人柄…ながら、復刻した平成には肝心の鳥取古参・固有の品種(後輩)は少ない。
奇しくも平成に姉が兵庫県で復帰することになるが、姉妹揃って特に喜ぶこともなく、淡々と受け止めた。
ちなみに同じく兵庫県で復刻された伊豫辨慶1号とも顔馴染みであったが、これも特に両者感慨無く淡々と挨拶を交わした…とか。

眼光の鋭さや名前の厳さから勘違いされがちだが、性格は優しく人と接する物腰も柔らかい。


姉と瓜二つながら、強力2号の方が多少なりともバストが大きゲフンゲフン…


概要

鳥取県で(多分)復刻栽培されている『強力2号』の擬人化です。
産地品種銘柄上や酒蔵は「在来種の”強力”だ」と宣伝しているようですが、品種は『強力2号』です。(後述)
"強力"と書いて”ごうりき"と読むのですが、馴染みのない人には”きょうりょく”と読まれる事が多いのでは?

まぁ復刻品種毎度恒例ですが、『強力』は特に酒造業界(と、育成機関であるはずの鳥取農試)の情報発信が雑すぎて間違った情報発信が多々見受けられる酷い有様です。
美味技術研究会誌の「歴史的強力米の呼び込みと美味な地酒」も参考にはしているんですが…『強力』の由来とか何一つ当時の記録と合っていないような状態なので、他の裏取りできない情報について果たして正確なのか…
また、一番有名で広がっていると思われる「酒米ハンドブック」ですら間違っているんです…兎にも角にも「1915年に育成された」間違いです。
(詳しくは後述の育種経過にて)
とは言え、正直選抜された系統数や育成年が史実と多少違ったからとて、消費者の商品選択に影響を与えるものではないですし、商業的にマズいことはないですが、でもちゃんと来歴くらい伝えてよ(本音)
一応鳥取県公式HPとやらもあるようですが果たして載っている情報を信じて良いものか判断出来ないモノが多いですが…なるべく信用できるモノだけ記述しているつもりです。
【ここまでが前置き(愚痴)】


現在「強力」と呼ばれている品種は、鳥取県農事試験場で大正4年(1915年)に育種開始、そして大正10年(1921年)に育成完了(原種指定)された『強力2号』と思われます。(推測)
中川酒造は鳥取大学農学部で保存していた『強力2号』を使用したそうですが…品種としての純度や保存状態については言及しようがないところですので問わないでおきませう。
と言うことで、鳥取大学農学部で保存されていた『強力2号』の真贋は兎も角、栽培・採種に当たっては「強力をはぐくむ会」を設立して遺伝純度保持に努めている旨の記載はありましたので、その後の品質保持は間違いないと言って良いのではないでしょうか。(と言っても令和4年末に「鳥取県に奨励品種指定してもらわないと品種の純度が保てない!」とか言って騒いでいるようですが…?本当に大丈夫?)

鳥取県の在来品種『強力』は、明治24年(1891年)に鳥取県東伯郡の渡邊信平氏が県内外から21種類の在来種を収集し、その中から選抜・命名した個体が始まりとされています。
その後鳥取県内で普及したモノを県農事試験場が収集し、奨励品種採用や純系淘汰育種を行い、『強力(後の『強力1号』)』や『強力2号』が育成されました。

姉の『強力(1号)』は大正4年(1915年)から原種指定、大正10年(1921年)に『強力1号』に改名、その後昭和7年(1932年)を最後に原種圃から姿を消しています。
対して後発と言えるこの『強力2号』は大正14年(1925年)には種子生産量で姉の『強力1号』を抜き、原種圃で確認できる最後の年は昭和20年(1945年)となっています。
『強力2号』に関してはその後数年で栽培が途絶えたとされていることが多いようですが、食糧庁総務部調査課(当時)の「米の品種別分布状況」では少なくとも昭和29年(1954年)産として『強力』113反の作付けが確認できます。(これが全て『強力2号』とは限らないと思われますが…)

大正4年(1915年)から原種指定された『強力』ではありますが、在来種である『強力』系品種群については大正2年(1913年)時点で既に西伯郡逢坂村、東伯郡下中山村を中心として八頭、日野の二郡における稲作面積の30%強を占めていたとされます。
原種(奨励品種)指定の当初予定普及面積として『強力』は各郡計4,319町歩が計画され、実績としては3,667.2町歩(県下水田の10.8%)で始まったようです。
その後大きく広まったようで、大正14年(1925年)時点で『強力1号』『強力2号』合わせて10,214.75町歩(県内水田の約30%)まで普及したようです。
この1万町歩が最盛期か不明ですが、その後昭和2年(1927年)には9023.5町歩(県内水田の約27%)とやや減となり、昭和7年(1932年)には5443.1ha(同約27%)、昭和10年(1935年)には『強力2号』だけで3271.6町歩(同約16%)と年々減少していったようです。
しかし前述の昭和10年の時点でも『強力2号』を含むと思われる『強力』系品種群は八頭郡・東伯郡における酒造米生産の主要品種として県内で5万石、県外にも1万5千石を出荷するほどだったようです。
しかしながら前述したように昭和20年を最後に奨励品種から外れ、その後数年で栽培は途絶えてしまったようです。
品種改良の進歩によりより栽培しやすい品種が増え、かつ戦中戦後でより食糧増産の必要性が高まったことが一因でしょうか…


”昔は食用米の『強力1号』、酒米の『強力2号』として普及”とか言ってる酒蔵もあるようですが、大正~昭和当時の記録で特に区別している様子はなく、両品種共に「酒米品種選抜試験」等に供試されていましたし、酒米に適し、用いられている旨の表記もあります。
…この情報のソースははたして?
『強力2号』がより長く奨励品種として残ったことは事実ですが、『強力1号』も結局兵庫県で『但馬強力』として酒造向けとして採用されていたことからもこちらも十分適性があるということでしょうし?
ということで後発の変な情報のせいで色々と分からないことが多いです。

育成地における中生品種です。
稈長は約90~120cm程度で穂長は22~24cm超、穂数は約9~14本の偏穂重乃至穂重型品種です。(いずれも育種時)
(「稈長は140~150cmにもなる」みたいなことをWikipedia始め酒蔵でも言っているところもあるんですが、当時の試験記録の最高でも4.395尺(約133cm)くらいだったようですが、果たして前述の根拠はあるのでしょうか?)
長稈でかつ穂重型、つまり穂が重いため、耐倒伏性が弱いことが推定されます。
収量は当時で2.4~3.2石ほどだったようなので、重量換算で360~480kg/反ほどでしょうか。
なお、大正14年時点の評価で『強力2号』収量は『強力1号』に比して7.5%の増収効果があったとされているようです。
千粒重は26~27gと大粒です。
心白発現も良好とされていますが、酒蔵等一部が主張している「線状心白」については後述の通りかなり低確率なようです。
『鳥系酒105号』育成報告中の『強力2号』の特性表によれば、穂発芽性「中」、脱粒性「やや難」、稲熱病真性抵抗性遺伝子型は「+」(なし?)となっています。(これが鳥取大学と同系統かは不明)


『山田錦』達と同じ貴重な線状心白を持つ?品種…?

まぁ…こういうこと言っている酒蔵?酒屋?もあるようですが

何度でも言いますが線状心白は(心白発現率の高い品種なら)どんな品種でも出ますし
『山田錦』だって線状心白だけ発現するわけではないです。(とはいえ『山田錦』の線状心白発現率20~30%がかなり高い部類であることは間違いありませんが)

『鳥系105号』の育種報告の中でも『強力2号』の線状心白発現率は4.3%となっていますので、客観的に見て特段「線状心白を持つ酒米品種」と喧伝できるようなレベルの品種ではないでしょう。










育種経過

鳥取県農事試験場では大正4年(1915年)に経年品種比較してきた『強力』を原種指定すると同時に、品種改良試験を開始します。
(鳥取農試の大正4年以前の試験報告については、明治39年(1906年)時点のものしか確認できていませんが、この時期は栽培法の試験のみで品種改良について明記はありませんでした。)
この年に原種指定された各品種は、純系淘汰育種との明記はないものの経年品種比較・選抜を受けた一種の純系品種であり、当初指原種定された『強力』も同様に不良種を順次淘汰して固定されたものと推定されます。


この時代に一般的な純系淘汰法による育種は「個体選抜試験」として『丸山』『強力』『福山』『芋釜』『亀治』について県内から集めた数千個体の中から優良な個体の選抜を開始しました。
ただ、これとは別に「優良系統分離試験」も開始されました。

これは改良期間を1年縮めるため、鳥取県農会が開催した大正3年度稲作増収品評会に出品されたモノの中から採種し、供用したものです。
1水田につき3穂が採種されたと記載があり、明記がありませんが品種管理が高度で、固定度の高い個体群の中から選抜することで固定期間短縮を狙ったものと推測されます。
この優良系統分離試験には『強力』含め10品種が供試されています。
『強力』については129個体が供試、実際の試験では風害により収量品質評価が出来なかったものの、13系統を大正5年(1916年)の収量比較用に選出しています。
選出されたのは『三丙』、『五乙』、『一一甲』、『一一丙』、『一六乙』、『二二乙』、『二七甲』、『二八乙』、『二九甲』、『三一甲』、『三一乙』、『三七乙』、『三八乙』です。

大正5年(1916年)は「純系収量比較試験」として『強力』については『強力第1号』~強力第13号』までの13系統が供試され、1系統に付き80株が栽植されています。
『強力第7号(前年の『二七甲』)』『強力第12号(前年の『三七乙』)』については「米質佳良にして収量多い方」、『強力第8号(前年の『二八乙』)』は「多収」と、以上3系統が有望と判断されています。

大正6年(1917年)からは前述の3系統が品種比較試験の「品種本試験」に供試され、『改良強力1号』(前年の7号)、『改良強力2号』(前年の8号)、『改良強力3号』(前年の12号)が原種圃設置の『強力』と比較されています。
このうち『改良強力2号』が後に『強力2号』として奨励品種に指定されることになります。
品種本試験は(甲)と(乙)の二区制で行われ、『改良強力2号』は(甲)区では42品種中収量第24位(2.973石/反)、(乙)区では43品種中収量第25位(2.871石/反)と、(甲)区で11位(3.089石/反)、(乙)区で20位(2.948石/反)の『改良強力3号』にくらべ多少見劣りする成績だったようです。(両者ともに対照品種を含む品種数・順位)
『改良強力2号』については他に、出穂期は9月25日、成熟期は10月23日、千粒重25.78g、心白発現率53%等の記録が残っています。

大正7年(1918年)、『改良強力1号』以下3系統は引き続き品種本試験に供試されます。また、この年から同じ大正4年に個体選抜試験から純系淘汰育種が開始され、選抜された『改良強力4号』~『改良強力8号』の5系統も品種比較試験に追加されました。
しかしながらこの年は大洪水の発生により調査不能となり、評価判定が成されていません。

大正8年(1919年)、引き続き『改良強力1号』~『改良強力8号』が品種比較試験における品種本試験に供試され、原種『強力』との比較が行われています。
『改良強力2号』は(甲)供試70品種(対照品種も含む)中、収量で第7位(3.226石/反)、(乙)供試70品種中(同上)中第21位(3.125石/反)となっており、甲乙総合で12位という高い順位を記録しています。
玄米品質に関しても強力系統が「中」や「中の上」の評価を受ける中で唯一「上の下」と、徐々に評価が上がっているように見受けられました。

大正9年(1920年)、品種比較試験(品種本試験→収量試験に改名)が継続されますが、この年は『改良強力1号』と大正4年選抜組の『改良強力4号』~『改良強力8号』がすべて試験から名前を消しています。
前年の試験の数値だけを見ると極端に劣っているとも思えないのですが、なにはともあれ試験に供試されたのは『強力2号』(前年の『改良強力2号』)『強力3号』(前年の『改良強力3号』)に加え、大正5年に選抜を開始した『強力9号』~『強力12号』の4品種です。

大正10年(1921年)、経年試験の成績をもって『強力2号(改良強力2号)』が『強力2号』として原種圃に設定され、従来原種指定されていた『強力』も『強力1号』と名前を変え
以後昭和20年(1945年)まで奨励品種指定が続くこととなります。




系譜図

『強力2号』 系譜図





参考文献

〇鳥取県立農事試験場業務功程:大正4年~昭和22年度
〇鳥取県農事試験場成績報告. 第6報
〇酒質が優れる酒造好適米「鳥系酒 105 号」の育成 :鳥取県農業試験場・鳥取県産業技術センター
〇酒米品種・系統の主要特性(第1報 栽培適性と玄米形質):秋田県農業試験場
〇日本主要農作物耕種要綱:大日本農会
〇取県米穀検査所年報. 第4報(大正3年度)
〇米の品種別分布状況:食糧庁総務部調査課



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2022年6月26日日曜日

【復刻酒米品種・『強力』系】鳥取県の『強力』・兵庫県の『但馬強力』の正体は?


『強力』系品種の由来を調べました

大正期に育成・栽培された純系淘汰育成品種が、特に平成になってから日本酒の付加価値の一つとして、数多く復刻され、使用されています。

その中で兵庫県では「但馬強力」だとする品種が、鳥取県では「強力」だとする品種がそれぞれ復刻栽培され、日本酒に使用されているようです。

”強力”と書いて”ごうりき”と読む共通性を持つこの2品種。
各酒蔵やら酒販店やらがそれっぽい由来を書いて売ってはいるんですが…それ本当?と疑うのは今までの日本酒業界の酒米品種説明のあまりの杜撰さと稚拙さを見せつけられてきた当方としては当然のこと…

その実、この『強力』系2品種の正体はなんなのか?
大正・昭和当時の記録を元に辿ってみました。


目次





各種『強力』の由来はネットでどう書かれている?(令和4年6月現在)


①在来種『強力』

これについては概ね次のようにされており、多少の表現の違いはあるもののほぼ同一でしょう。

”明治24年に鳥取県東伯郡の渡邊信平氏が県内外から21種類の在来種を収集し、その中から選抜・命名”

正直こういう伝聞の類いは検証することも出来ませんので、こういうものだろう、程度に捉えておきます。
明治中期以降に鳥取県内で栽培されていた在来種のようですね。



②鳥取県の「強力」(平成)

これについては1989年(平成元年)に中川酒造(鳥取市)が復活させたようです。
公式ホームページを覗くと次のような記述がありました。

”(前略)同酒造の中川盛雄社長が鳥取大学にわずかに残っていた種もみを譲り受け、1989年に復活。”

「1989年」とあるものの、同HP内では1988年(昭和63年)から栽培を再開しているような記述もあるのですが…(このあたりは表現の差異でしょうか?)
細かい栽培開始年は兎も角、鳥取大学で保存されていたモノを譲り受けた様子です。

結論から言えばこれは鳥取県で1921~1945年(大正10年~昭和20年)に奨励品種になっていた『強力2号』のようです。
鳥取農試の試験記録でも、兵庫農試の「酒米を中心とした水稲遺伝資源の DNA多型」の論文内でも『強力2号』として出てくるので、ほぼ間違いは無いでしょう。
ではその『強力2号』の由来は?というと微妙に違う説がズラズラ書かれていまして…

  • (前述)後に鳥取県立農事試験場で純系選抜を行い強力1号から強力 10号を仕立て、そのうち1号と2号が奨励品種として採用された。強力1号が食用として、強力2号が心白の発現の良さから酒米として有名になり(後略)(千代むすび酒造)
  • 1915年から1921年まで、鳥取県農業試験場が系統分離試験を重ね、原種から12号までの13系統の試験を行った結果、強力1号と2号を1921年から1945年まで鳥取県の奨励品種として採用していた。(Wikipedia)
  • (前略)鳥取県立農事試験場では大正 4(1915)年この品種を 10 系統分離し,1921 年に強力2号として奨励品種に採用されている。(美味技術研究会誌)
  • 1915年に鳥取県農試にて強力1号、強力2号が純系分離された(酒米ハンドブック)

と、このような書き方をするからにはもう分かっているかもしれませんのでもう言ってしまいますが、これ全部誤りです。
なんで一つもまともな記載しているモノがないんだと愚痴の一つもこぼしたくなりますが…
『強力2号』の復活に関わった西尾隆雄氏は元鳥取農試場長だそうで、美味技術研究会誌の記事にも著者として載っているんですが、それでいてなんでこうも間違いを書けるのか…本当に不思議です。(今回の調査、鳥取農試所有の資料で私も行ったんですが?)
愚痴が過ぎましたが、詳細は後述します。



③兵庫県の「但馬強力」(平成)

兵庫県丹波市市島町(現丹波市)の西山酒造(1998年~?)や、同県朝来市山東町矢名瀬町の此の友酒造(2017年~?)と各所で復刻栽培・酒造への使用が行われているようですが、これらは兵庫農試から種子の提供を受けているようです。
そんな『但馬強力』の由来について酒蔵側が書いている内容は概ね以下のようなものです。

”鳥取県の在来種であった強力を1925年(大正14年)兵庫県立農事試験場但馬分場が取り寄せ、それを品種改良(純系選抜)して1928年(昭和3年)に育成。”

なるほど兵庫農試育成の品種となれば、兵庫農試が保存しているのも頷ける話です。
…が、『伊豫辨慶1号』を採用した、と言う話をいつのまにか「自分たちが育成した」とすり替えていた兵庫県です。
これが本当かどうか記録を確かめる必要があるでしょう。
ちなみに兵庫県酒米振興会の発行した「兵庫の酒米」(昭和36年発行)の中でも、『但馬強力』育成の由来として似たような記述があります。

”大正十四年に在来種の「強力」を取り寄せて、但馬分場において純系淘汰の結果「但馬強力」の品種名をつけ、昭和三年に奨励品種に指定されたものである。”

まぁ『伊豫辨慶1号』育成経過誤情報の震源地もコレなので、いよいよ怪しいのですが。


追うべきは鳥取県立農事試験場の『強力』育種

ネットの記述が間違いであることは既に述べてしまいましたが、『強力2号』が鳥取県立農事試験場で育成されたことは間違いの無い事実です。
そして兵庫県立農事試験場但馬分場も、「鳥取県から『強力』を取り寄せた」となっている以上、鳥取農試が関わっている可能性は高いはずです。

では、大正時代における実際の鳥取農試の『強力』関係の記録はどのような育種経過を辿っていて、どの系統が採用されたのか、その経過を追ってみましょう。
そしてそこから兵庫県立農事試験場に渡った『強力』がなんなのかも読み取れるのではないでしょうか?

ということでまずは鳥取県立農事試験場の『強力』関係育種記録について、業務功程を元に追ってみましょう。

鳥取農試における『強力』純系淘汰の経過

鳥取県立農事試験場の「業務功程」は、なぜかは分かりませんが大正4年(1915年)以降のものしか見つけられていません。
しかし丁度この年から純系淘汰選抜を開始したようで、上手いこと全ての記録を追うことが出来ました。

鳥取県内の主要品種に対して純系淘汰による正式な育種が前述したように1915年(大正4年)から開始され、1940年(昭和15年)を最後として翌年からは「純系淘汰」関連の記載が業務功程から消えています。
このおよそ26年間の間で『強力』に関する純系淘汰育種は合計8回に渡って行われていました。
その全ての経過を示すと以下のようになっています。

【品比試】=品種比較試験
【酒米選試】=酒米品種選抜試験
※業務功程の記述に準拠していますので系統数や系統名の不一致が見られる部分もあります。
※(第○回)は管理人が説明する便宜上独自に付けた回数です

原種圃T4予備
純系淘汰
(第1回)
T4開始
(第2回)
T5開始
(第3回)
T9開始
(第4回)
T10開始
(第5回)
T11開始
(第6回)
S3開始
(第7回)
S11開始
(第8回)
1915年
大正4年
強力129株

13系統
3,594株

選抜数
126株

T5供試
59株
1916年
大正5年
強力13系統

3系統
(7,8,12号)
62系統

20系統
鳥取農試
淘汰全体
約5,000

380系統
選出
1917年
大正6年
強力【品比試】
改良強力一號
改良強力二號
改良強力三號
20系統

5系統
(2,9,13,
14,16)
100系統

20系統
1918年
大正7年
強力【品比試】
改良強力一號
改良強力二號
改良強力三號
【品比試】
改良強力四號
改良強力五號
改良強力六號
改良強力七號
改良強力八號
20系統供試
※水害被害
で判定不可
1919年
大正8年
強力【品比試】
改良強力一號
改良強力二號
改良強力三號
【品比試】
改良強力四號
改良強力五號
改良強力六號
改良強力七號
改良強力八號
20系統

4系統
(5,6,
12,15)
1920年
大正9年
強力【品比試】
強力二號
強力三號
【品比試】
強力九號
強力十號
強力一一號
強力一二號
21系統
選抜
1921年
大正10年
強力一號
強力二號
【品比試】
強力十號
強力一一號
21系統

12系統
18系統
選抜
1922年
大正11年
強力一號
強力二號
?【品比試】
強力十號
12系統

5系統
18系統

7系統
【品比試】
強力十ノ4
(?)
11系統
選抜
1923年
大正12年
強力一號
強力二號
?【品比試】
強力十號
【品比試】
強力十2
強力十13
強力十15
強力十20
強力十21
7系統

3系統
6系統
選抜
1924年
大正13年
強力一號
強力二號
?【品比試】
強力十號
【品比試】
強力十ノ12
強力十ノ15
強力十ノ21
【品比試】
強力十一ノ4
強力十一ノ17
強力十一ノ37
6系統

2系統
1925年
大正14年
強力一號
強力二號
?【品比試】
強力十ノ15
強力十ノ21
【品比試】
強力十一ノ17
【品比試】
強力十二ノ5
強力十二ノ7
1926年
大正15年
強力一號
強力二號
?【品比試】
強力10ノ15
強力10ノ21
【品比試】
強力11ノ17
【品比試】
強力12ノ5
強力12ノ7
1927年
昭和2年
強力一號
強力二號
?【品比試】
強力10,15
強力10,21
1928年
昭和3年
強力一號
強力二號
?【品比試】
強力10,15
【品比試】
強力11,17
20系統
選抜
1929年
昭和4年
強力一號
強力二號
【品比試】
強力10ノ15
【品比試】
強力11ノ17
20系統

12系統
1930年
昭和5年
強力一號
強力二號
【品比試】
強力10ノ15
【品比試】
強力11ノ17
12系統

2系統
1931年
昭和6年
強力一號
強力二號
【品比試】
強力10ノ15
【品比試】
強力11ノ17
1932年
昭和7年
強力一號
強力二號
【品比試】
強力11ノ17
1933年
昭和8年
強力二號
1934年
昭和9年
強力二號
1935年
昭和10年
強力二號
1936年
昭和11年
強力二號31系統
選抜
1937年
昭和12年
強力二號31系統

4系統
1938年
昭和13年
強力二號
1939年
昭和14年
強力二號【酒米選試】
強力12,1
強力12,2
強力12,3
強力12,4
1940年
昭和15年
強力二號【酒米選試】
強力12,1
強力12,2
強力12,3
強力12,4
1941年
昭和16年
強力二號純系選抜試験がなくなる


まず1915年(大正4年)の時点で既に『強力』が原種(奨励品種)指定されています。
そして『強力1号』『強力2号』原種指定されているのが1921年(大正10年)です。

1921年(大正10年)に原種指定されたと言うことは前年の1920年(大正9年)には少なくとも系統となって、品種比較試験等に供試されていると考えるのが自然です。
となると必然的に候補は絞られ、その時点で品種比較試験に供試されているのは予備純系淘汰(第1回)の『(改良)強力2号』『(改良)強力3号』、そして大正5年開始(第3回)の『強力9号』『強力10号』『強力11号』『強力12号』、これらに加えて忘れていけないのは原種指定の『強力』、と、合計7品種が候補に挙がります。

この時点で
千代むすび酒造が言う「1~10号を仕立てたうちの1、2号が採用された」
美味技術研究会誌が言う「大正4年に10系統を分離して~」
酒米ハンドブックの「大正4年に強力1号、2号が純系分離」
いずれも年代や系統数が合っていないことが分かるのではないでしょうか。(育成系統は最大でも1~12号で『強力2号』が初めて確認できるのは1921年(大正10年)

Wikipediaがいう「原種~12号のうち1,2号を採用」が近いようにも見えますが、この文脈だと「1~12号の中の1号と2号が採用された」かのように読み取れます。
しかし1920年(大正9年)の時点で『(改良)強力1号』は既に破棄されていますのでこれもまた整合性がありません。


話を戻すと、1921年(大正10年)の『強力1号』『強力2号』指定後も純系淘汰育種は継続され、品種比較試験に供試される系統もまばらにありますが、結局2品種以外は優秀な系統を見いだせなかったのか、1932年(昭和7年)に第5回選抜の『強力11ノ17』が品種比較試験に供試されたのを最後に原種指定の『強力2号』しか供試されなくなりました。
なお、スペースの都合上記述を省略していますが、1926年(大正15年)に開始された多肥作品種比較試験にも純系淘汰育種系統が供試されており、『強力』系統も見受けられますが、こちらも1932年(昭和7年)に『強力11ノ17』が供試されたのを最後に、あとは原種指定された『強力2号』のみの供試となっています。
またこの1932年(昭和7年)は『強力1号』が原種指定されていた最後の年になり、これ以降は『強力2号』のみの指定となります。(その『強力2号』は1945年(昭和20年)まで継続)

この4年後、1936年(昭和11年)に最後の『強力』純系選抜育種が行われていますが、これも1940年(昭和15年)の酒米品種選抜試験に供試された4系統を最後に試験に供試されることがなくなってしまったようです。


原種指定の『強力1号』及び『強力2号』の特定

ここで本来の目的である『強力2号』の育種経過を追うためには、「どれが『強力2号』になったのか?」を特定する必要があります。
ついでと言ってはなんですが、同年に原種圃に現れている『強力1号』もどの選抜系統なのでしょうか?

繰り返しの事実確認になりますが
鳥取農試で『強力1号』及び『強力2号』が初めて確認できる、もとい原種(奨励品種)指定された1921年(大正10年)までには第1回~第3回の3段に及ぶ『強力』関係の育種が行われていますが、原種指定の前年まで試験継続されているのは前述したとおり『(改良)強力2号』『(改良)強力3号』『強力9号』『強力10号』『強力11号』『強力12号』の6品種です。
そして『強力1号』『強力2号』の候補として忘れていけないのは、これまで原種指定されてきた『強力』です。
ちなみに業務功程にはどの品種をどのように原種指定したか全く記載がありません。


そんな状態ながらこれも墨猫大和の結論から申し上げますと

1921年(大正10年)に元原種指定の『強力』が『強力1号』と改名
同年、『(改良)強力2号』が『強力2号』として新規原種指定

となります。
よって原種指定された『強力1号』、『強力2号』の由来を簡潔に書くと以下のようになります。

『強力1号』…大正4年に『強力』として原種指定を受け、大正10年に『強力1号』に改名。
『強力2号』…大正4年に育成開始、大正10年に『強力2号』として原種指定。

結果として「『(改良)強力2号』が『強力2号』」ということにはなりましたが、前述のネットや書籍の記述が果たしてコレを意識して書いているかというとその他情報の整合性がとれていないことからも非常に怪しいです(個人の偏見)

※あくまでド素人の調査結果による推測なので他に何か根拠があれば覆る可能性はあります。


『強力1号』特定の根拠

1921年(大正10年)に元原種指定の『強力』が『強力1号』と改名

この根拠としているのが道府縣ニ於ケル米麥品種改良事業成績概要(大正15年)における原種指定『強力1号』の【1】「改良品種の沿革」及び【2】「改良品種の栽培上有利とする点」の記述です。

【1】まず品種の沿革として”品種比較試験ノ結果大正四年ヨリ奨励品種ニ選定セリ”との記載されていました。

コレを裏付けする記載が大正四年度業務功程にもあり、「(第二)品種試験」では

【意訳】
従来この試験では有望と認める品種を収集し、比較試験の上で不良種は淘汰してきたが、大正四年度はその中でも特に優良と認める11種のみを栽培し、その完全な固有の特性の調査を行うことで後日の品種比較に供試することとする。

となっています。
この「11種」というのがこの1915年(大正4年)時点において鳥取県で原種指定されている
『強力』含む11品種のことです。
明瞭に純系淘汰法による育種と記載されているわけではないですが、収集された『強力』の中からより優秀な個体を選抜してきた過程が読み取れるかと思います。
これ以前の記録がないので断定こそ出来ないものの、1915年(大正4年)に原種指定された『強力』は経年の品種比較試験の結果選定されたものとみて間違いは無いでしょう。

1915年(大正4年)時点で他に完了している純系淘汰育種試験は存在しないので、『強力1号』=『(T4原種指定の)強力』と言えるでしょう。


【2】また、品種の特性として”米ハ中形ノ大粒デ長味ヲ帯ビ品質良好ニシテ酒米用トセラル”と記述があります。

コレを裏付けする記載が大正九年度業務功程にあります。
この年における「品種比較試験」に各品種の玄米形状について記載があるのですが、この年に供試されている『強力」系統の中で『強力(原種)』だけが「中(長)」とされています。
他の『(改良)強力三號』『強力九號』『強力一一號』『強力十二號』は全て「中」となっている中、特徴的な記載が一致していることからより『強力1号』=『(T4
原種指定の)強力』論の裏付けとなるのではないでしょうか。
ちなみに『(改良)強力二號』『強力十號』の玄米形状は「中(園)」です。(フラグ構築)


蛇足として
『強力1号』が登場する1921年(大正10年)は、実は他の鳥取農試原種指定品種にも一斉に「1号」が付与された年でもあります。
1920年(大正9年)時点で原種指定されていた品種は
『奥州』『丸山』『芋釜』『福山』『強力』『亀治』『早大関』
これが翌年1921年(大正10年)になると
『奥州一號』『丸山一號』『芋釜一號』『芋釜二號』『福山一號』『強力一號』『強力二號』『亀治一號』『早大関一號』
となっています。
『芋釜』と『強力』に「2号」が追加された以外は全てに「1号」が付与されたのが分かるかと思います。
明記されているわけではありませんが、この時点で1915年(大正4年)から開始された純系淘汰育種が進行し、後発の優秀な系統が増えるに当たって原種の品種との区別性を図るためにこのような措置を執ったのではないかと思われます。
かと言って『強力』以外の品種については、純系淘汰育成経過を詳細に追ったわけではないので「元々の原種指定品種すべてに”1号"が付いた」と断言は出来ませんが、他品種の育成進度から考えて全てが入れ替わってはいない…ハズ

と、さらに蛇足になりますが、実は少なくとも『奥州』『亀治』『丸山』の3品種に関してはこれ以前の1918年(大正7年)に既存の原種指定と純系淘汰で育成された品種が入れ替わっています。
これは業務功程にも「純系淘汰を完了したものと変える」旨明記されているので間違いの無い事実ですが、この「入れ替え」と「改名」の区別が付かず非常にややこしいですね。

大正7年 『奥州』→『奥州』(中身の品種が入れ替わったけど同名)
大正10年 『奥州』→『奥州一號』(中身の品種は変わらず改名)

この為か後年の鳥取県ですら育成年を間違っている(水稲及陸稲耕種要綱(昭和11年)では『奥州1号』等の育成年が大正10年とされてました)のでプチ注意事項ですね。
道府縣ニ於ケル米麥品種改良事業成績概要(大正15年)では『奥州1号』等の育成年はちゃんと大正7年と記載されていたので、後年間違ったパターンで間違いないと思われます。


『強力2号』特定の根拠

1921年(大正10年)『(改良)強力2号』が『強力2号』として新規原種指定

この根拠としているのは『強力1号』と同様に道府縣ニ於ケル米麥品種改良事業成績概要(大正15年)です
原種指定『強力2号』の【1】「改良品種の沿革」及び【2】「改良品種の栽培上有利とする点」の記述を元に推量しました。

【2】順番を少し変えてまず「改良品種の栽培上有利とする点」ですが、ここでは”一号ニ比シ米ハ丸味ヲ帯ビ心白、適地ニ於テヨク発達シ酒米向ノ良種ナリ”と記述されています。
『強力1号』特定の根拠でも述べたとおり、大正9年の品種比較試験の玄米形状の項目で(改良)強力二號』及び『強力十號』の玄米形状が「中(園)」とされています
(”園”=”円”の旧字体=まる)
『強力十號』については『強力2号』が原種圃設定後も品種比較試験に継続供試されていることからも候補からは外れるでしょう。

【1】「改良品種の沿革」では”大正四年純系分離ニ着手大正十年奨励品種ニ決定セリ”とされています。
原種指定の『強力』が『強力1号』である以上、他の候補は『(改良)強力2号』『(改良)強力3号』『強力9号』『強力10号』『強力11号』『強力12号』なりますが、「大正四年純系分離に着手」という条件が当てはまるのは『(改良)強力2号』『(改良)強力3号』だけです。
同じ大正4年に純系分離に着手した第2回組の『強力4~8号』は1919年(大正8年)を最後に姿を消しており、2、3号同期の『改良強力1号』も同様に姿を消しています。

『改良強力2号』と『改良強力3号』いずれが『強力2号』なのか?
これを判断するに当たって、玄米形状が大正15年における記載と合致しているのが『改良強力2号』であることは既に述べました。

コレに加え、実は1917年(大正6年)に「奨励品種以外の種子配布」についての記述があり、ここで『改良強力2号』の配布量が52合だったのに対して『改良強力3号』はたった7合と少なく、試験場なり農家なりの有望度は『改良強力2号』の方が高かったことが窺えます。
そもそも1916年(大正5年)時点での『強力第12号(改良強力3号)』の評価は「米質佳良で収量は多い方」であったのに対して、 『強力第8号(改良強力2号』は「収量が多い」でした。
微妙なニュアンスの違いですが、何よりも米が不足し、農家の収入増のためにも「多収」が求められる時代柄、米質よりも収量の多さが優先され、結果『改良強力2号』が優先されるであろうことは想像に難くありません。


これにより”原種指定の『強力2号』は『改良強力2号』である”と推定しています。


蛇足ですが、水稲及陸稲耕種要綱(昭和11年)ではこの『強力2号』は「八頭郡から取り寄せた『強力』に由来する」旨が書かれています。
ただ、前述したように『奥州1号』の育成年を間違えていたりと、そのまま素直に信じて良い情報かどうかはなんとも分かりません。


兵庫県の『但馬強力』の由来

鳥取県の『強力1号』『強力2号』の正体が判明したところで、次は兵庫県の『但馬強力』です。
兵庫県酒米振興会震源地と見られる情報では「大正14年に鳥取県から取り寄せた『強力』を純系淘汰開始、昭和3年原種指定」のようですが、当時の兵庫県立農事試験場の業務功程を追ってみると以下のようになっています。

原種圃但馬分場
品種比較
試験
但馬分場
純系淘汰
育種
兵庫農試
本場試験
酒造米
試験地
試験
1919年
大正8年
(試作試験地)
『強力』
取寄先
未記載
1920年
大正9年
なし
1921年
大正10年
『強力』
取寄先:鳥取県
(『穀良都』開始)
1922年
大正11年
『強力』(2年目)
取寄先:鳥取県
「長稈ナルモ有望」
(『改良大場』開始)
(『豊年穂』開始)
1923年
大正12年
『強力』(3年目)
取寄先:鳥取県
1924年
大正13年
『強力』
取寄先:鳥取県
「良好ナリ」
1925年
大正14年
『強力』
取寄先:鳥取県
「大粒種ニテハ強力比較的多収」
記載漏れ?
1926年
大正15年
『強力』
取寄先:鳥取県
『強力』
淘汰2年目
25系統
形質調査
1927年
昭和2年
『強力』
取寄先:鳥取県
『強力』
淘汰3年目
朝来郡由来「朝」4系統
鳥取県由来「分」8系統
鳥取県由来「鳥」2系統
1928年
昭和3年
但馬強力『但馬強力』
取寄先:分場
朝2系統
分5系統
鳥2系統

対照『但馬強力』
品種比較試験『但馬強力』
地方委託試験『但馬強力』
品種比較試験
『但馬強力』
1929年
昭和4年
但馬強力『但馬強力』
取寄先:分場
朝2系統
分1系統
鳥1系統

対照『但馬強力』
品種比較試験『但馬強力』
対肥料用量試験『但馬強力』
地方委託試験『但馬強力』
品種比較試験
『但馬強力』
1930年
昭和5年
但馬強力 朝1系統
分1系統

対照『但馬強力』



兵庫県酒米振興会が書いている「大正14年からの純系淘汰」はどうなっているかというと…
その通り『強力』の純系淘汰試験自体は、兵庫県内の朝来郡と鳥取県から取り寄せた上で確かに行われていたようです。
原種指定された1928年(昭和3年)時点でいまだ9系統の選抜継続中と育種が完了しておらず…と言うよりそもそも対照用品種に『但馬強力』が用いられているのですから、この純系淘汰に用いられているのは『但馬強力』とは別の系統達ということになります。
この大正14年開始の純系淘汰育種で『但馬強力』が育成されたというのは『伊豫辨慶1号』と同様に酒米振興会の記述間違いでしょう。
『但馬強力』の原種指定時期と『強力』の純系淘汰試験の時期だけを見比べるような杜撰な調査でもして書いたのでしょうか?と嫌みのひとつも言いたくなりま(略
他県が育成した品種を採用しただけなのに、さも兵庫農試が育成したかのようにするこのムーブは意図的なのか過失なのか…?

では他に参考となる由来は?ということで
1936年(昭和11年)に発行された「水稲及陸稲耕種要綱」では『但馬強力』の由来について以下のように記述されています。

”大正10年鳥取県ヨリ取寄セ、本県農事試験場但馬分場ニ於テ品種比較試験ヲ行ヒタル結果、優良ト認メ、昭和3年奨励品種トセルモノナリ”


そしてさらに昭和4年3月に発行された兵庫県立農事試験場の「米麦原種一覧表」に丁度原種採用されたばかりの『但馬強力』の記載がありました。
「育成法」として、材料は『強力』、育成手段は「品種比較試験」。(これについて別品種で「純系淘汰」と記載しているものもありますから、兵庫農試はちゃんと純系淘汰と品種比較を区別していると言うことになるでしょう)
試験着手年度は大正10年、原種採用年は昭和3年、取寄先は鳥取県です。


これを業務功程とすり合わせてみると…
まず但馬分場における『強力』の品種比較試験が1921年(大正10年)から始まっています。(1919年時点はまだ「試作試験地」なのでノーカウントで)
これは取寄先が鳥取県と明記され、『但馬強力』が原種指定される1928年(昭和3年)まで継続しており、整合性があります。
1925年(大正14年)以前にしても、但馬分場が行っていた純系淘汰試験はきちんと別途整理され記載されており、所定の期間に純系淘汰が行われたのは『穀良都』『改良大場』『豊年穂』の3品種です。
なおさら「『但馬強力』は但馬分場が純系淘汰で育成した」という酒米振興会発行「兵庫の酒米」の記述は間違いであると言えるのではないでしょうか。
1931年(昭和6年)以降は資料の確認が取れていませんが、『但馬強力』は奨励品種指定が1934年(昭和9年)までと短いので、まさかこの後わずか2~3年の間に純系淘汰した『強力』との入れ替えがあったりは…しないとは思いますが、この調査は今後の課題とします。



なお、ここからは憶測の部類になるのですが
これは品種比較試験の中でも本試験ですので、雑多な在来種などではなく鳥取農試からきちんと固定された品種を取り寄せたと考えるのが自然です。

同時期、鳥取県から取り寄せられる確かな『強力』系品種は原種指定されている『強力』(後の『強力1号』)しかないと思われます。
兵庫農試は他県から取り寄せた品種名の「号」の記載を省略することは多いですが、数字が付記されていれば必ず記載していたので、仮に『強力2号』などを取り寄せていたのなら「強力二」などと記載するはず…『強力』と記載したのならば原種指定の『強力(後の強力1号)』ではないでしょうか。(と、どこまでもいっても推測なのですが)


『但馬強力』は兵庫農試の育成品種ではなく、鳥取農試育成の『強力(後の強力1号)』を大正10年に取り寄せ、但馬分場による品種比較試験の上、優良と認め昭和3年に改名の上で奨励品種に採用したもの

以上の結論で概ね間違いないのではないかと思われます。

蛇足 特殊な選抜『強力2号』


『強力2号』が予備純系淘汰(第1回)から選抜されたものであることは前述しましたが、なぜこれが「予備純系淘汰」と呼ばれているかというと、これは素材収集が他と違ってやや特殊だったことから来ています。
第2回~第8回までは鳥取農試が配布していない『強力』を雑多に数百~数千ランダムに集め、その中から選抜するというスタイルで、この時代のスタンダードな方法です。
しかしながらこの第1回に関しては、大正3年度に鳥取県農会が主催した「稲作増収品評会」に出品された品種の中から収集されたものを対象に行われていることが明記されています。

この理由として「改良期間を1年縮めるため」とされており、これは”増収品評会”というくらいですから、おそらく選り抜きの農家が各々きちんと管理した(固定度の高い)品種を使って出品しているであろうことが想像できます。
選抜当初からこれらを「純系種子」と呼んでいることからも、一般農家が一般に栽培しているモノとはひと味違った系統と鳥取農試は認識していたものと思われます。
鳥取農試は試験2年目の1916年(大正5年)時点ではこの予備純系淘汰組に対して「厳密な選抜をしたものではなく、供用数も少なく、著しい改良効果があるとは言えないかもしれない」(抜粋・意訳)とずいぶんと自信なさげな記述をしていますが、『強力』に関してはここから選抜された『強力2号』を上回る系統はこの後8回にたる選抜でもついに現れず、先の『強力1号』が1932年(昭和7年)が最後だったのに対して、1945年(昭和20年)までの長い期間奨励品種になっています。


「公共機関に育成されて一律化された品種より在来種の方が素晴らしい」という
種苗法改正の陰謀論がらみで妙に在来種に傾倒している人たちが多く見られるようになった令和現在ですが
この『強力2号』の例に見られるように、明確な目的で選抜された品種を上回る個体は「在来種」という雑多なカテゴリーから見つけることはなかなかに困難と言うことでしょうか。


まとめ

☆平成以降鳥取県で復刻栽培されている「強力」とは


鳥取県農事試験場が育成した『強力2号』
大正4年に育成開始し、大正10年に育成完了(奨励品種に採用)。
そこから昭和20年まで奨励継続。




☆平成以降兵庫県で復刻栽培されている「但馬強力」とは


鳥取県農事試験場が育成した『強力1号』について、兵庫県立農事試験場但馬分場が品種比較試験の結果奨励品種として改名の上で採用した『但馬強力』
鳥取県農事試験場では大正4年に奨励品種採用、ただし昭和7年を最後に奨励品種外。
兵庫県農事試験場但馬分場には大正10年に渡り、品種比較試験の結果昭和3年~昭和9年の間奨励品種に採用。




幾分推測の域を出ないものではありますが、是非現存している資料を基に反論・補足等ありましたらコメント等ください。


参考文献

〇鳥取県立農事試験場業務功程:大正4年~昭和22年度
〇兵庫県立農事試験場業務功程:大正8年~昭和5年度
〇米麦原種一覧 昭和四年三月:兵庫県立農事試験場
強力復活:中川酒造
〇歴史的強力(ごうりき)米の呼び込みと美味な地酒:美味技術研究会誌
〇水稲及陸稲耕種要綱:大日本農会
〇酒米ハンドブック



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〇公式(育成した農業試験場)でも育成経過間違えてるんですよ・系

2022年2月6日日曜日

【酒米の生産量ランキング】令和2年度酒造好適米 検査数量【確報】


今年…当番県は兵庫?


まぁ醸造用玄米だけ、だが
さっそく始めるとするかね?

はい
人間界では件の感染症で大きな影響が出ている中
我々への生産へはどの程度の影響があったでしょうか?
な…なにか大変な事が起こってるのか?



それはですね…

それはさ
飲食店、特に酒販関係が大きな影響を受けていて、清酒…
まぁ「日本酒」の消費が減ったからね

…滋賀渡船2号
兵庫県?

それはですn…




…私、産地品種銘柄上は「渡船2号」で兵庫県だよ

滋賀渡船2号、大丈夫ですよ
みんな承知です

…ん

わわ、私も当然知ってたからな


私m…
私も知ってたよ
冗談、冗談

そろそろ本題に入ろうか
令和2年度の醸造用玄米の検査数量
数値ありは119品種だ









順位品種名産地数検査数量割合
1山田錦4128,342t34.8%
2五百万石2317,561t21.6%
3美山錦95,606t6.9%
4秋田酒こまち12,343t2.9%
5雄町81,987t2.4%
6八反錦1号11,809t2.2%
7吟風11,720t2.1%
8出羽燦々11,484t1.8%
9ひとごこち41,403t1.7%
10越淡麗11,385t1.7%
11華吹雪41,112t1.4%
12夢の香1986t1.2%
13蔵の華1928t1.1%
14ひだほまれ1902t1.1%
15愛山1669t0.8%
16吟ぎんが1655t0.8%
17彗星1614t0.8%
18出羽の里1557t0.7%
19雄山錦1454t0.6%
20きたしずく1410t0.5%
21八反1380t0.5%
22たかね錦4376t0.5%
23雪女神1356t0.4%
24白鶴錦3353t0.4%
25玉栄5337t0.4%
26ぎんおとめ1334t0.4%
271331t0.4%
28金紋錦1311t0.4%
29吟の夢1273t0.3%
30美郷錦1259t0.3%
31夢山水3251t0.3%
32フクノハナ1248t0.3%
33吟吹雪1244t0.3%
34山恵錦1242t0.3%
35若水6242t0.3%
36さがの華1231t0.3%
37華想い1230t0.3%
38兵庫北錦1211t0.3%
39西都の雫1205t0.3%
40吟の精1198t0.2%
41兵庫夢錦1183t0.2%
42華錦1173t0.2%
43誉富士1168t0.2%
44神の穂1163t0.2%
45石川門1160t0.2%
46吟のさと7155t0.2%
47ひたち錦1147t0.2%
48酒未来1142t0.2%
49千本錦1139t0.2%
50しらかば錦1138t0.2%
51豊盃1137t0.2%
52夢ささら1123t0.2%
53改良信交4117t0.1%
54夢吟香1115t0.1%
55福乃香1112t0.1%
56しずく媛1107t0.1%
57結の香1106t0.1%
58佐香錦1104t0.1%
59石川酒68号1103t0.1%
60露葉風1103t0.1%
61山田穂1101t0.1%
62山酒4号396t0.1%
63菊水195t0.1%
64越の雫190t0.1%
65強力188t0.1%
66さけ武蔵187t0.1%
67一本〆182t0.1%
68兵庫恋錦172t0.1%
69越神楽170t0.1%
70さかほまれ168t0.1%
71北陸12号368t0.1%
72滋賀渡船6号160t0.1%
73改良雄町160t0.1%
74渡船159t0.1%
75総の舞159t0.1%
76秋の精150t0.1%
77吟烏帽子149t0.1%
78渡船2号148t0.1%
79神の舞146t0.1%
80楽風舞343t0.1%
81土佐麗143t0.1%
82羽州誉142t0.1%
83吟のいろは141t0.1%
84富の香138t0.0%
85兵庫錦137t0.0%
86Hyogo Sake 85132t0.0%
87とちぎ酒14129t0.0%
88龍の落とし子129t0.0%
89いにしえの舞129t0.0%
90一穂積129t0.0%
91百田129t0.0%
92神力428t0.0%
93こいおまち124t0.0%
94おくほまれ123t0.0%
95但馬強力122t0.0%
96舞風122t0.0%
97縁の舞121t0.0%
98古城錦118t0.0%
99星あかり118t0.0%
100壽限無117t0.0%
101伊勢錦316t0.0%
102九頭竜115t0.0%
103新山田穂1号114t0.0%
104亀粋112t0.0%
105白菊111t0.0%
106京の華1号19t0.0%
107華さやか18t0.0%
108風鳴子17t0.0%
109辨慶17t0.0%
110八反錦2号16t0.0%
111改良八反流16t0.0%
112ちほのまい15t0.0%
113杜氏の夢15t0.0%
114野条穂15t0.0%
115はなかぐら15t0.0%
116豊国14t0.0%
117ひより13t0.0%
118西海134号12t0.0%
119鳥系酒105号12t0.0%
120揖斐の誉1t0.0%
121越南296号1t0.0%
122越南297号1t0.0%
123京の華1t0.0%
124弓形穂1t0.0%



令和2年度 酒造好適米 検査数量ランキング

第1位
山田錦
【R元 第1位→】

第2位
交系290号 五百万石
【R元 第2位→】

第3位
信放酒1号 美山錦
【R元 第3位→】

第4位
秋田酒77号 秋田酒こまち
【R元 第5位↑1UP

第5位
雄町甲48号 雄町2号(雄町)※
【R元 第4位↓1DOWN

第6位
広酒2号 八反錦1号
【R元 第8位↑2UP

第7位
空育158号 吟風
【R元 第6位↓1DOWN

第8位
山形酒49号 出羽燦々
【R元 第9位↑1UP

第9位
信交酒480号 ひとごこち
【R元 第7位↓2DOWN

第10居
新潟酒72号 越淡麗
【R元 第10位→】






米(酒造好適米) 生産量ランキング順位推移(直近5年)




※『広島県産雄町』は『改良雄町』であると思われるが、ひとまず”検査数量”なので統計通り『雄町』に含めている。



やはりかなりの減となったな
とは言え、この年は我々のような生産量上位品種により目立つようだが

…五百万石
兵庫県?

それはですn…


からかわないでおくれな
腐っても兵庫県の必須銘柄だよ、私は

もろちん冗談



さて、上位品種ほど減産が目立つのはその通りだが…
私も昨年の半分になってしまったよ


それはですn…


減産傾向だった品種には、より減産ペースが増した印象はありますね
結局10良いかは品種によりけり、ですが
い…今(令和3年)も大変なままなんだろう?
来年はどうなってしまうんだ


さてね
こればかりは私たちがどうこうという問題でも無し
黙して待つのみさ








順位品種令和2年度収量増減(R元比)
1山田錦28,342t-6,302
2五百万石17,561t-2,205
3美山錦5,606t-834
4秋田酒こまち2,343t-209
5雄町1,987t-945
6八反錦1号1,809t23
7吟風1,720t-119
8出羽燦々1,484t-117
9ひとごこち1,403t-422
10越淡麗1,385t3
11華吹雪1,112t-85
12夢の香986t-20
13蔵の華928t13
14ひだほまれ902t-5
15愛山669t-64
16吟ぎんが655t29
17彗星614t97
18出羽の里557t17
19雄山錦454t-1
20きたしずく410t96



件の感染症の影響をもろに受け始めそうな令和2年度ですが、やはり上位品種ほど減産の落差が大きいようです。
一部品種は僅かに増となっていますが、年度間の収量差を勘案すると、昨年度と同様の作付面積を維持した結果がこれなのかもしれません。

それにしても北海道産の酒米の追い上げがじわじわきています。
生産量20位圏内に3姉妹品種全てが入りました。
『山田錦』に取って代わる…はさすがにかなり先の未来になりそうですが、米の主要産地としての地位が年々高まっていますね。


醸造用玄米は特にこの後の令和3年度の動きも気になるところですが…確報はまた1年後です。


ところで「幻の酒米」『愛山11号』さんはちゃんと15位という上位生産量を誇っております。

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