2020年2月23日日曜日

【酒米】滋賀渡船2号・滋賀渡船6号とは【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

純系名
 『渡船い第9号』
品種名
 『滋賀渡船2号』(しがわたりふねにごう)
育成年
 『大正5年(1916年) 滋賀県農事試験場』
交配組合せ
 『渡船(と呼ばれた複数品種のいずれか)より純系淘汰』
主要生産地
 『兵庫県、(茨城県)』
分類
 『酒造好適米』※現代の産地品種銘柄に依る


純系名
 『渡船い第71号』
品種名
 『滋賀渡船6号』(しがわたりふねろくごう)
育成年
 『大正5年(1916年) 滋賀県農事試験場』
交配組合せ
 『渡船(と呼ばれた複数品種のいずれか)より純系淘汰』
主要生産地
 『滋賀県』
分類
 『酒造好適米』※現代の産地品種銘柄に依る


酒米 滋賀渡船2号、滋賀渡船6号の擬人化イラスト
滋賀渡船2号「だからさ、検証が十分でもなし、私たちがなぜ山田錦の親なのさ」
滋賀渡船6号「う~ん…まぁ掴みとしては大概似てるかもよ?」


どんな娘?


多数輩出された在来渡船(滋賀県が育成したとは言ってない)子品種の内の2品種。

育成当初は同じような身長だったが、現在は姉にあたる滋賀渡船2号よりも妹の滋賀渡船6号の方が背が高い。
(ちなみに数字が増えるほど背が高くなるという勘違いをされていることもあるが、彼女らの間の滋賀渡船4号の稈長は母の在来渡船と同程度であり、つまり2,6号よりも4号の方が背が高いために誤り。)

繊細で規律正しい滋賀渡船2号に対して
滋賀渡船6号は少しおおざっぱというか図太いというか、なんにせよ姉よりも打たれ強いのは間違いないです。
滋賀渡船2号としては、世間一般には親の渡船含め、姉妹全て一緒くたに扱われていることについて、ちゃんとした”個”のある存在として認めてほしい思いが強いですが、滋賀渡船6号はさほど気にしない様子です。(実際渡船姉妹の中で2号のみ異質ではある)

最古参品種山田錦よりも先輩格かつ同じ時代を過ごしたものの、一般栽培に戻ってくるのに一定のブランク期間があったせいか同じ境遇の新山田穂1号や辨慶(伊豫辨慶1号)との方が話が合いやすいようで、この古参メンツでよく集まっているようです。



概要


滋賀県で育成された『渡船』から純系淘汰で生まれた品種・・・ではありませんので誤解無きよう(後述)

『滋賀渡船2号』は「渡船2号」の名で農研機構のジーンバンクで保存。
『滋賀渡船6号』は滋賀県農業技術振興センターで保存との情報もありますが、こちらも2号と同じくジーンバンクで保存されています。

「渡船の6号」、「渡船の2号」とかではなく、『滋賀渡船2号』『滋賀渡船6号』という『渡船』とは違う別品種達です。

大正~昭和前期にかけて滋賀県を席巻していた(かもしれない)『渡船』(と呼ばれた品種)の子品種達で、酒造用として用いられていたそうです。
ちなみに滋賀県の読みに倣えば「わたりふね」と読み、濁点はつきません。(「わたりぶね」ではありません。)

大正2年に在来品種からの純系淘汰を開始し、大正5年に『滋賀渡船2号』『滋賀渡船4号』『滋賀渡船6号』の3品種が命名されます。
分けつが多く、草丈の短い『滋賀渡船2号』、多収・品質が優秀で大粒の『滋賀渡船4号』、草丈が短く、耐倒伏性・耐病性共に高く多収の『滋賀渡船6号』は滋賀県の原種(奨励品種)として種子の配布が行われていました。

大正8年には『渡船』純系淘汰第二弾の『に號』各系統とも比較されていますが、『滋賀渡船2号』、『同4号』、『同6号』3品種そろって『に號』各系統より優秀と判断され残存しています。

ただし『滋賀渡船2号』および『同4号』に関しては大正14年度配布純系決定会議で種子配布中止が決定され、大正15年にはすでに公的な種子配布は打ち切られています。
理由としてはこの年までに純系淘汰の品種が増えすぎ、奨励普及に支障を来し始めたために品種の整理が必要になったから、ということらしいですが、やはり『滋賀渡船6号』の特性が他の2品種よりも優れているのが残る大きな理由になったことは推測できますね。

このあと『滋賀渡船6号』は昭和12年の段階で既に作付面積が1,000haを下回っていた模様ですが、昭和21年乃至22年まで奨励品種とされていました。
このようにいったん奨励品種から外れた『滋賀渡船6号』ですが、それでも昭和26年時点で872ha、昭和29年でも400haの作付けが確認でき、滋賀県農作物奨励品種指定規定に基づき昭和29年3月24日に「特定品種」として指定されます。
しかしそれも昭和34年5月1日に取り消しされ、国の統計で最後に作付けが確認できるのは昭和37年(1962年)の1haです。

誤情報の女王である(というかテキトーで雑な説明ばかりしている酒蔵が発信している情報が非常に多い)渡船シリーズですが、この指定期間・栽培年が正しい情報…のはず。
後述する「山田錦の親」問題とかもありますし…ネット情報が怪しすぎていかんです…

平成の世に復活したまでは良いのですが、日本酒業界の好き勝手でまともな検証もなされずに「山田錦の親である」という誤情報だけが先行して拡散中
兵庫県農林水産技術センターの池上氏の論文に依り、「短稈渡船と類似している(脱粒性の特性は合致せず)」とされている『滋賀渡船2号』は兎も角、『滋賀渡船6号』まで山田錦の親扱いをしている蔵が非常に多いデス。
→私の指摘から大分減ったようにも感じますが、令和4年時点でも未だに「山田錦の親」と宣伝している蔵がいくらかあるようです。

一般用飯米としても売っているのかもわかりませんが、基本的には酒造好適米として日本酒の原料として使われているようです。
ただこれもなんだか「山田錦の親だから(実際は違うけど)と言う理由で復刻されている感がある(そしてその根拠がガバガバ)という…なんとも商業臭いにおいのする復活劇です。

無論、現存する系統の中で最も近しい確率は高く、兵庫県は『山田錦』の優秀性の元となった”何か”があるのではないかということで、『(滋賀)渡船2号』は盛んに研究されています。(だけども「『山田錦』の父親だ」というのはあくまでも仮定のはずなのですが…)
そんな研究の中で遺伝子解析では『滋賀渡船2号』は『神力』系統と『雄町』系統の遺伝子が確認されており、元の『渡船』の発生、もしくは選抜の際に自然交配した後代を選抜したことが示唆されています。


令和元年度で
『(滋賀)渡船2号』は兵庫県で銘柄設定。
『滋賀渡船6号』は滋賀県で産地品種銘柄に設定されています。
茨城県では謎の『渡船』という銘柄が設定されていますが、地方農政局に問い合わせても「(銘柄の)申請者も原種管理者も不明」との回答で正体を探るには八方ふさがり。
ただ、これを”復活させた”と宣伝している蔵元は『滋賀渡船2号』を利用していますから、2号の可能性が非常に高いと推察されます。
(兵庫県で平成11年から設定されていた『渡船』は平成16年の時点で検査実績がなくなり消滅)

【以下、現代に保存されている系統についての話で当時の品種と特性が異なる可能性があります】※現在の保存系統の特徴
稈長については『滋賀渡船2号』が90cm前後、『滋賀渡船6号』が100cm前後となっています。(ただし福井県の試験では稈長について逆の数値)
九州大学で保存されている系統では『滋賀渡船2号』80.8cm、『滋賀渡船6号』87.1cm、そして『渡船』99.0cmというデータもあるようです。
心白は2号が発現「極少」大きさ「やや小」に対して、6号は発現「やや多い」大きさ「やや大」と、『滋賀渡船6号』の方が心白が出る割合が強いようです。(ただ後述する資料の内容とは異なるようなので、系統にある程度変化が起きたとみるべきでしょうか?)
両品種揃ってタンパク質含量は5%代前半、高くても6.0%程度と低タンパクです。
ただし、やはりと言うかなんと言うか、葉いもち病抵抗性は「極弱」で、脱粒しやすいことから栽培は難しいと思われます。


ちなみに関連して
『滋賀渡船白銀』の純系名は『渡船り第11号』で、大正10年(1921年)選抜開始、大正13年(1924年)に育成完了。
無芒であることが特徴で、前述した『渡船』の純系淘汰種よりも心白がより多いそうです。
分けつ数や稈長は『滋賀渡船2号』と同様で、入れ替わりで原種指定されたいわば2号の上位互換品種。
収量は『滋賀渡船6号』にわずかに劣るかほぼ同程度のようです。
大正天皇の銀婚年に当たる大正14年より配布が開始されたので、他の滋賀県育成品種と違い「白銀」が品種名に用いられています。

『滋賀渡船26号』の純系名は『渡船ぬ第12号』で、大正11年(1922年)選抜開始、大正14年(1925年)に育成完了。
草丈が低いことと、分けつが多いことで『渡船』適地以外への普及も見込める、と評価されています。
『滋賀渡船2号』に代わって種子配布が開始された品種です。


ところで…謎の品種『滋賀渡船二號變』


滋賀県が育成した『渡船』系統の品種は前述したように『2号,4号,6号,白銀,26号』です。

しかし滋賀県立農事試験場業務功程には大正11年の品種比較試験から『滋賀渡船二號變』という品種が登場しています。
現代風に表記すると『滋賀渡船2号変』…で良いのでしょうか。

『滋賀渡船2号』よりもより草丈が低く、芒も少なくなっている以外は分けつ数・穂長・米の品質・脱粒性はほぼ同じようですが、成熟期が大きく異なります。
品種名反収
(kg)
成熟期稈長
(cm)
穂長
(cm)
粒の
大小
芒の
有無
分櫱数脱粒の
難易
品質
滋賀渡船二號變399.010月4日90.921.5やや大有・小23上の下
滋賀渡船二號434.410月27日10719.7やや大有・中24やや易上の中
滋賀渡船六號588.810月28日111.520.9有・中15やや易上の中
※大正11年単年度の品種比較試験の結果(1石=150kg換算)

『滋賀渡船2号』の成熟期が10月27日なのに対して、『滋賀渡船二號變』は10月4日と大きく違います。

品種比較試験のグループも『2号』が晩生なのに対して、『二號變』は早生です。
これがただ単に移植時期を大きく変えて試験しているだけなのか、『滋賀渡船2号』の中から早生化系統を選抜したのか不明ですが…功程を読み込めばもっと何かわかるんでしょうか…

いずれにせよ種子配布された様子はないので没にされた…のか『滋賀渡船2号』扱いだったのか…よくわからない品種ですね


育種経過


在来種『渡船』【関連リンク】については、依然述べた通りでその由来には諸説ありますが、『渡船』という名の在来品種が明治後半には滋賀県に根付いていたことは確かなようです。
ちなみに『渡船』については大正15年当時で兵庫県(流入年不明)及び高知県(明治36年滋賀県より取り寄せ)で原種(奨励品種)採用が確認できます。

ただし、『滋賀渡船2号』達がその『渡船』から選抜されたものとは限りません

滋賀県では大正2年(1913年)から県の基幹品種に対して純系淘汰による優良系統の選抜に取りかかっており、第一弾となる『い號』選抜には『神力』と『渡船』の2品種が選ばれました。
選抜に当たっては滋賀県内及び兵庫、奈良、愛媛、山口、熊本、広島、岡山の各県から素材を収集したとされています。
どの県からどの品種を集めたかは未記載で、かつこの時点で滋賀県では『大町』『雄町』『關川』『新髭』という4品種(+『渡船』)をすべて”水稲品種『渡船』”として扱っているため、これをそのまま読み解くなら
「滋賀県他7つの県から5つの品種のいずれかを集めて選抜を開始した」
可能性があるということです。
「岡山県から取り寄せた『雄町』を『渡船』扱いで選抜した」可能性もあるということです。
(なお、滋賀県は大正3年度の調査でさらに『五反穂』『長者穂』を『渡船』の異名同種と認定しています。)


ですので『滋賀渡船2号』らを「滋賀県の育成した(在来品種の)『渡船』から選抜した」と説明すると、微妙に間違った説明ということになります。
無論、滋賀県在来(育成)の『渡船』からの選抜後代の可能性もあるのですが、どの選抜後代かは「わからない」と言うのが正確なところです。
単純に「『渡船』(複数品種の総称)からの選抜」が現資料から判断できる範疇で正確なところでしょうか。

初年度大正2年(1913年)は生育期・出穂期・成熟期について調査を行い『渡船』164株を選抜します。
あけて大正3年(1914年)、前年の164株を164系統として56株/坪の栽植密度で1粒植えを行い、形態および遺伝性(固定度?)の調査を行い、21系統を選抜します。
21系統は『第四號』から『第百五拾七號』です。
(4,9【後の2号】,10,11,15,20,35,39,61【後の4号】,65,67,71【後の6号】,81,91,92,93,119,146,150,154,157号)

大正4年(1915年)、選抜3年目となるこの年は前年の21系統について、主に生産力について比較調査が行われます。
生産力、つまり収穫量の比較を正確に行うため、可能な限り注意を行った旨が記載されていました。
各系統ごとに5坪(16.5㎡)の作付けの上で試験を行いましたが、この頃の水田は養分の分布が不均平で、同じ圃場内でも作付け場所の違いによって収量に差が出てしまうことが多かったようです。
そのため試験系統2系統ごとに試験場標準の在来『渡船』を挿み、試験系統と標準在来『渡船』との収量比率を出した上で、それを標準在来『渡船』全体の収量平均に乗算することで可能な限り平等に収量を比較しようと試みられました。【これ、平成-令和現代の試験場ではやって当たり前らしいですが、その基礎となった試行錯誤の一端でしょうか】
以上の試験により、『渡船』は8系統が選抜されます。(9,61,65,67,71,92,93,157号)

大正5年(1916年)は前年の8系統について、再度収量、純否(固定度?)、特性等について調査が行われます。
収量の調査方法は前年と同じく比較検討が行われます。
また滋賀県内における病虫被害の大きい23地方について、農家に委託して病害虫抵抗性の調査が行われます。
結果、『渡船い第9号』『渡船い第61号』『渡船い第71号』の3系統についてそれぞれ
『滋賀渡船2号』『滋賀渡船4号』『滋賀渡船6号』と命名し、原種(当時の奨励品種)に指定したうえで配布が行われました。

在来『渡船』が対照(比較)品種とされており、『渡船』の収量467.7kg/反(1石=150kg換算・以後同じ)に対して、それぞれの品種は

【『滋賀渡船2号』】470.05kg/反
『渡船』よりもかなり草丈が低く、分げつも多くなりやすく、心白も多い。

【『滋賀渡船4号』】512.25kg/反
『渡船』よりも米の品質が良い。

【『滋賀渡船6号』】508.65kg/反
『渡船』よりも草丈が低く、耐倒伏性及び耐病性が強い。

このように評価されています。
いずれも「入選」の評価を受けた各系統はすでに原種圃が設置されていたため、郡採種圃への配布が実施されたそうです。
以後、大正14年にはこの3品種合わせて約3,000haほどの作付実績になっていたようです。

(後の短稈渡船の誤解の原因となっている)兵庫県の池上氏の論文内では「長稈なので『短稈渡船』ではない」と切り捨てられている『滋賀渡船6号』ですが、ここで見られるように大正15年時点で在来の『渡船』よりは背が低く、倒伏性が強いと言われていますね。
特に大正8年までは滋賀県の業務功程でも品種特性について「草丈が甚だ低い」と評されています(稈長とは違うのかも知れませんが)。
育成途中の試験結果では、6号よりも2号の稈長が高いこともままありました。
現存しているのは2,6号になるわけですが、やはり草丈が低いという事と、病気に強いという特性ゆえに4号よりは遺伝資源で残す価値ありと判断されたからでしょうか?



系譜図


『渡船』の純系淘汰子品種は、平成の滋賀県が言うには2号,4号,6号,白銀,26号の5品種があるそうです。
ただし農研機構のジーンバンクには『渡船3号』(滋賀県原産)が存在…しますが
滋賀県が育成した純系淘汰品種に1,3,5号は存在しませんが、在来品種に『滋賀渡船3號』は確認されています(関連コンテンツ参照)。
つまりジーンバンクの3号は在来種か、何かの記録間違いか、あるいは…純系淘汰選抜時点で『い號』『り號』の各種候補品種はあったのでそのどれか…?なんて妄想も



滋賀渡船2号、滋賀渡船4号、滋賀渡船6号 系譜図
滋賀渡船2号、滋賀渡船4号、滋賀渡船6号 系譜図



参考文献


〇滋賀県立農事試験場 業務功程:大正2年度~14年度,昭和元年度~2年度
〇大正十五年一月 道府縣ニ於ケル米麥品種改良事業成績概要:農林省農務局
〇大正七年 農務局報第五號 大正六年度道廰縣に於ける米麥品種改良事業要覧:農林省農務局
〇水稲品種分布調査成績(大正12年):滋賀県
〇水稲及陸稲耕種要項(昭和11年3月発行):農林省農務局
〇米穀の品種別作付状況 昭和36~39年:食糧庁
〇滋賀県農業試験場研究報告1985-03:滋賀県農業試験場


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短稈渡船とは?~4~【番外編 日本酒の品種名表示のルール】
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『滋賀渡船2号』は『短稈渡船』…ではないと思うんだけどなぁ…









2020年2月22日土曜日

【酒米】山田穂43号~新山田穂1号~とは【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

系統名
 『山田穂43号(山田穂3号)』※管理人の推定
品種名
 『新山田穂1号』(しんやまだぼいちごう)
育成年
 『大正10年(西暦1921年) 兵庫県農事試験場』
交配組合せ
 『山田穂(在来)より純系淘汰』
主要生産地
 『兵庫県』
分類
 『酒造好適米』※現代の産地品種銘柄に依る


新山田穂1号「やまだ”ほ”じゃないからな。ついでにあいつの母親じゃないし」



 どんな娘?

古参品種であるものの、亀の尾や旭のような”概念に近い品種”達とは違うことに加え、休眠※1に近い期間が長かったせいか、肉体的・精神的にやや後退した状態になっています。
とは言え本人はだれよりも(当然山田錦よりも)先輩である意識はあるため、懸命に大人然として振る舞っています。
ただやはり体のひ弱さは隠せず、いざとなると平成の世でひ弱と言われる品種達にも敵いません。

そして
久々に世間に出てみれば、なぜか従妹(山田錦)の母親扱いされており困惑しています。
そんな状況に少し(かなり)不満あり。

※1
「休眠」と書くと、というか世間一般で復刻した品種が何十年も眠っていたかのように書かれていていることも少なくないのですが…ずっと種のまま保存されていると考える方もいるかもしれません。
しかし、系統保存されているってことはちゃんとほ場に植えられて、発生する異株を取り除いて、という純系を保つ作業をしながら「保存」されてます。(毎年だったり数年おきだったり幅はありますが)
なにもずっと眠り続けていたわけではありません。


概要

兵庫県でかつて栽培されていた品種で、酒造用米として非常に優秀とされた『山田穂』の子品種(純系淘汰)にあたるのが彼女です。

ちなみに「水稲及陸稲耕種要項(昭和11年3月発行):農林省農務局」では『新山田穂1号』についてフリガナが「シンヤマダボイチゴウ」になってますので、『山田穂』についても「やまだぼ」と”ぼ”と読むのが正式(のはず)です。

兵庫県農事試験場では在来種であった『山田穂』を県内各地から収集し、品種比較試験の結果優良として、明治45年(1912年)から原種(現代で言う奨励品種)に指定しています。
兵庫県の育成品種一覧に『山田穂(純系淘汰)』があることからも、この品種比較試験の際にある程度の選抜は行われた選抜種が原種(奨励品種)指定されていたものと思われます。
そして大正10年(1921年)、『新山田穂1号』が育成され、この1号が原種(奨励品種)に指定され、従来の『山田穂(純系淘汰)』は原種(奨励品種)から外れます。


純系淘汰で生まれたこの『新山田穂1号』は「『山田穂(在来)』よりも品質が優良で、酒造家に最も歓迎されている」との評価を受けていますから、やはり酒米として優秀・歓迎されていたことは確かなようです。

稈長はやはりかなり長く、100~120cmまで達するようです。
耐倒伏性はそのせいか「やや弱」の評価で、葉いもち抵抗性も「極弱」となっており、栽培がかなり難しいことが想像できます。
脱粒性については「やや易~易」、穂発芽は「やや難」。
玄米千粒重は25.8g(兵庫・平成8年)~26.3g(兵庫・大正14年)と大粒の部類ながら『山田錦』等には及びません。
心白の発現は少なく、小さい心白が形成されるようです。
タンパク質含量は6.0%以下と低タンパクで、酒造適性の高さがうかがえますね。


ちなみに妹に山田穂38号(8号)『新山田穂2号』が存在します。
1号よりも一年遅れの大正6年(1917年)選抜(純系淘汰)開始、大正11年(1922年)原種指定の彼女は、「『新山田穂1号』よりも草丈が低く栽培しやすい酒米」との評価を受けていますが、1号より4年早い昭和11年(1936年)に原種(奨励品種)から削除されています。
廃止の年、東播地方からは原種(奨励)存続の要望があったそうですが、その作付け面積は県内全水田面積の2%以下程度で、さらに年々減少していることから廃止やむなきとなったそうです。
現代に保存されている『新山田穂2号』は、稈長に関しては1号とさほど変わらないようですが、耐倒伏性は「弱~中」との評価もあり、比較して倒れにくい品種であることは確かなようです。
ただ、耐病性はさほど変わらず、心白の発現率や大きさも1号に劣っていたのも一足早くすたれた要因になったのかもしれません。


↑と、このように『山田穂1号』は『新山田穂1号』として、『新山田穂2号』は『新山田穂2号』として扱われていたことがわかります。
白鶴酒造のように(後述)”山田穂”の文字が入っているってだけでこれらが全部『山田穂』って言うのは少し(かなり)無理がありますね。
「神力」と言う異名もあった…とか知ってますか?(後述)


大いなる誤解~『山田錦』の母本…ではない

品種登録されているから遺伝的に近縁でも別、か
遺伝的に近縁だから品種は別だけど一緒、か
どちらにせよ主張は統一してください。
私の考えは「品種が別なのだから別」の一点に尽きます。
「山田錦の母親山田穂」表示をしている酒蔵側に有意なように都合よく立場を変えないでください(品種で区別するのは常識、と言いながら山田穂だけ近縁だからとか名前が似ているから区別しなくていい、とかダブスタ言い始めるのはやめてください)。

そしてコメントのように勘違いしている人もいるかもしれませんが
『新山田穂1号』を「山田穂」と表示していることを問題にしているのではありません。
『新山田穂1号』を「山田穂が正式名称で山田錦の母親だ」と宣伝していることを問題にしているのです。
明らかに違いますよね?
『短稈渡船』にしろ『山田穂』にしろ、「山田錦の親」を宣伝しておいて別品種を使っておきながらそのことを伝えていなかったり、さもその別品種が親であるかのように宣伝しているのですから明らかに問題があります。

※※※以下、ホームページの該当ページが削除されてしまいましたが、備忘録として残しています※※※

ということで、この『新山田穂1号』ですが、白鶴酒造株式会社のホームページではこのように紹介されています。

「幻の酒米、山田穂とは?
兵庫県が大正時代に在来品種である山田穂を純系淘汰することにより得られた品種で、新山田穂1号が正式名です。1936年まで酒造好適米として兵庫県で広く栽培されていました。酒米の王者と言われる山田錦は、この山田穂を母親として1923年に兵庫県で人工交配された品種です。


はて?
◯『山田穂』の正式名称が『新山田穂1号』?
◯そしてこの『山田穂(新山田穂1号)』を母親として人工交配したのが『山田錦』?
これでだいぶ世間様は混乱しているようで、『山田穂』と『新山田穂1号』がかなりごっちゃごっちゃに扱われています。
確かに『山田錦』育成の前年に『新山田穂1号』の育種は完了しているようですが…実際どうなんでしょう?

『山田錦』の育ての親である
兵庫県立農林水産技術総合センターに訊きました。
(ここ以上に確かな情報もっているところってあります?)

【回答】
「大正12年に交配母本に使用した「山田穂」が「新山田穂1号」である
との資料は、現在のところ当方にはありませんので、過去の資料に表記されて
いるように、交配母本は「新山田穂1号」ではなく「山田穂」と考えています。」



~~~~以上、終了~~~~

はい、この白鶴酒造の宣伝内容間違いですね。


兵庫県下でもともと栽培されていた①『山田穂』(在来)
そして県内各地のそれらを集めて純系淘汰したのが原種(奨励品種)にもなった②『山田穂』(純系淘汰)
そしてその後『山田穂』からさらに優秀な個体の選出を求めて純系淘汰法による選抜で生まれたのが③『新山田穂1号』

『山田錦』の母本となったのは②『山田穂』(純系淘汰)です。
そして②も③も純系淘汰で生まれた品種、と言う点でおそらく白鶴酒造は勘違いしてるんじゃないでしょうか。(まさか商業的な宣伝のために故意に間違えた情報を拡散している…なんてことは無いと信じていますよ)
お約束ですが、『短稈渡船』情報と並んでネット上では既にかなりこの誤情報が拡散しており、はたしてこの情報が修正される日が来るのか…

⇒詳細は山田錦の母親が『新山田穂1号』?白鶴酒造の謎主張まとめ【備忘録】

ちなみに兵庫県では『山田穂』と『新山田穂1号』の2つが産地品種銘柄に設定されていますが、『新山田穂1号』を使ったお酒が見つけられません…(あったら教えてください)
⇒白鶴酒造の「山田穂」はひとまず『新山田穂1号』のようです。
そもそもこの『山田穂』と設定されている方も本当に『山田穂』でしょうか?
「山田錦の母親を復活させました」の先駆者、白鶴酒造の発信する情報がこのありさまでは…これってすべて『新山田穂1号』なのでは?後述


新山田穂1号は山田錦の母親ではないのです


不満が募る『新山田穂1号』さん。
※※※以上、ホームページの該当ページが削除されてしまいましたが、備忘録として残しています※※※

現在栽培されている『山田穂』(兵庫県限定)


…ということで、調べてみたら出てきました。
株式会社本田商店の扱っている「龍力」という銘柄のお酒で使用されている『山田穂』はひとまず『山田穂』のようです。
平成9年(1997年)にJA北はりま(現JAみのり)が京都大学及び九州大学から『山田穂』の種子を取り寄せ16aで試作を行ったのが始まりであるようです。
『山田錦』よりも長稈で出穂登熟がやや早い系統で、翌平成10年には366a(13.8t)、さらにその翌平成11年は587a(24.15t)と生産量を増やした・・・とのことです。
ですが「山田錦の母親」とまで言っていいものかはまったくの不明・・・というか絶対別系統

あとは産地品種銘柄に設定されている「兵庫県産山田穂」は果たして『山田穂』だけなのか、前述の誤用法を元に『新山田穂1号』も含めて(非公式に)品種群扱いになっているか、ですが…調べるにも骨は折れそうですねというか知る手段はあるのか…
ひとまずJAみのり管内で取り扱っている『山田穂』は『山田穂』である可能性が高そうです。

というかこんな感じで「何を使っているかわからない」ってやっぱり問題でしょう・・・


※産地品種銘柄では「品種の確認」など行われないに等しので、農家の人が「これが山田穂」といって出せばどんなお米でも『兵庫県産山田穂』になります(冗談ではなく)。
実際『茨城県産渡船』は品種が何かもわかっていない(関東農政局確認済み)のに普通に検査数量出てますよね。


ちなみに同名異種もいます(取り違えなのか?それも含めて山田穂なのか?)

『新山田穂1号』は、その名前の品種名でジーンバンクおよび九州大学の少なくとも2カ所で保存されています。


DNA多型の解析により九州大学の方の『新山田穂1号』については『山田穂』などとだいぶ違う(ジーンバンクで保存されている『新山田穂1号』についてはちゃんと『山田穂』と似てる)ことがわかっており、これは長期にわたる保存期間のどこかで(あるいは最初から?)別の品種を取り違えて保存していたのではないかと推測されています。
もしくは同名異種か、遺伝多様性が非常に広いものだったか…今となっては確かなことは言えませんが…


九州大学の保存系統は『新山田穂1号』の名称で保存されていても実際は別の何か、の可能性が高いということですね。
…白鶴酒造の『新山田穂1号』はどこから持ってきたんでしょう…?
(白鶴の自称復活1991年頃、このことがわかったの2005年頃)


あとこれ以降は管理人の妄想というか難癖なのですが
「『山田穂』と『新山田穂1号』が非常に近縁だ」というのは現代に保存されている系統を解析・比較しての推論です。(「純系淘汰=非常に近縁」は明らかに認識が間違ってます
では、その”保存されている系統”は本当に『山田穂(在来)』なんでしょうか?
ジーンバンクで『滋賀渡船2号』が『渡船2号』として保存されているように名称が変わってしまっているパターンがあります。
現在兵庫県で保存されているのは『新山田穂1号』のみ。
九州大学の『山田穂』は畿内支場(大阪)からの取り寄せ(京都大学のものは不明)、『新山田穂1号』は兵庫県から取り寄せ・・・


これ、むしろ九州大学の『山田穂1号』が正常と言うこともあり得ます。(『山田穂』と大きく異なるのが本来の『新山田穂1号』だった?)
やらかしているのが兵庫県の方で、『山田穂』と『新山田穂1号』がごちゃまぜになって、後世に残った『新山田穂1号』の中身は『山田穂』・・・ということはあり得ます。いえ、本当にあり得るんですよ?
そしたら当然両者が近縁(実態はほぼ同じ品種系統だから)となります。
・・・という諸々不確定要素考慮すると専門の方なら「これが山田錦の母親だ!」なんて言い切ることは決して無いと思うんですが・・・

繰り返しになりますが、「山田穂から純系淘汰」という文章だけで踊らされて「『山田穂』と『新山田穂1号』は近縁で当然」とかいう認識を持っている方、それ間違いです。
そもそも「在来山田穂」という存在が均一・一律という前提で考えていると思われますが、遺伝的にも幅のある雑多な集団と「近縁」という考え方をするその前提からして間違っています。
大蔵省(当時)の醸造試験所報告第79号(大正8年)にはこんな記述があります。
「原料米の種類 神力(他所ニテハ山田穂ト称ス)」
さて?これは所謂明治の三大品種『神力』なのでしょうか?『山田穂』なのでしょうか?
具体例として一つだけ挙げましたがこういうこと(異名同種・同名異種・判別付かず)はざらにあるのがこの時代です。
「山田穂と『新山田穂1号』は近縁で当たり前」という思考の方、あなたは一体”何”と『新山田穂1号』が近縁だと断じているのか説明できますか?


育種経過

非常に古い品種なのでかなり情報は少ないです…

大正5年(1916年)、兵庫県農事試験場は在来品種『山田穂』から純系淘汰法により、より優れた品種の選出に取り掛かりました。

この時代の「在来」と呼ばれる”品種”は、遺伝子の固定が完全でない、もしくは地方で栽培される中で交雑する(もしくは単純な取り違い)などして、現代の品種の定義からは考えられないほど雑多で様々な性質を持っている集団でした。
現代で主流の交雑育種法では異なる2品種を交配し、その後代となる「遺伝的に雑多な集団」の中から優秀な個体を選抜しますが
純系淘汰法ではすでに在来種がこの「遺伝的に雑多な集団」として存在しているので、選抜から開始することが出来るのです。

純系淘汰開始時点で『山田穂(純系淘汰)』が普及に移っていましたが、県内各地から『山田穂』を集めるにあたり、雑多な集団を選んだとするのが自然ではないでしょうか(無根拠)
『新山田穂2号』と同じであれば『新山田穂1号』選抜素材も兵庫県内3郡から収集したはずです。
選抜目標は短稈でかつ品質が良く、多収の系統の選出とされていました。

大正6年(1917年)、前年選抜した104系統を各系統120株ずつ1本植えし、特性調査を実施、有望と見込める30系統を選抜します。
大正7年(1918年)の選抜経過は不明ですが、前後年の記録によれば、1系統につき5坪(16.5㎡)の区画を2箇所ずつ設け、生産力検定試験が実施されたものと思われます。

大正8年(1919年)、前年の収量調査で選抜した系統に対して同様に、1系統5坪の区画を2箇所ずつ普通栽培で収量試験を実施します。
この年供試されたのは『山田穂1号』~『山田穂5号』の5系統。
『山田穂2号』(成績順位1位)と『山田穂3号』(成績順位2位)が選抜されます。

大正9年(1920年)、水稲品種比較試験に『山田穂四二』『山田穂四三』が供試されています。
純系淘汰試験の記録が明記されていないのですが、前年の選抜系統が「4」年目の「2」号と「3」号であることから、前年の『山田穂2号』と『山田穂3号』について「42」「43」と系統番号を変更したものと推測されます。
同じ選抜経過(「4」年目)の『神力』についても、前年度「3」号と「5」号が選抜され、この年は『神力四三』と『神力四五』が供試されていることからも、これは間違いないと思われます。
また、地方委託栽培試験に『山田穂』の純系淘汰品種6系統『三七』『四三』『三八』『三九』『三六』『四二』が供試されています。
『四二』『四三』が後の『新山田穂1号』となる大正5年淘汰開始組、他の30番台は後の『新山田穂2号』となる大正6年度淘汰開始組と思われます。
美嚢郡、加東郡、加西郡、多可郡、氷上郡、養父郡で実施されたこの試験ですが、42号、43号はそれぞれ3郡で試験が行われます。
『山田穂42号』は「加東郡瀧野村 藤井小市氏(対照:奈良穂在来、37号、43号、38号)」「美嚢郡細川村 計倉周治氏(対照:36号)」「氷上郡柏原町 田川藤吉氏(対照:39号)」
『山田穂43号』は「加西郡芳田村 荒木彌三郎氏(対照:山田穂原種)」「多可郡中村 繁利岸本繁太郎氏(対照:山田穂原種、36号)」「加東郡瀧野村 藤井小市氏(対照:奈良穂在来、37号、42号、38号)」
でした。
結果、『山田穂四三』が多可郡、加東郡に適応していると認定されました。
他『三八』が多可郡、加東郡、美嚢郡に適応、『三九』が多可郡、氷上郡、美嚢郡に適応と認定されています。

そして翌大正10年(1921年)、原種圃に急に『新山田穂1号』が設定されています。
『山田穂42号』と『山田穂43号』のどちらが『新山田穂1号』となったのか明確な記述はありませんでした。
しかし地方委託栽培試験で『山田穂43号』が2郡に適応しているとの判断がされていることから、こちらが『新山田穂1号』になったものと管理人が推定しています。
※同じ地方委託栽培試験で「適応」の判断が下された『山田穂38号』『山田穂39号』が大正10年度の最終生産に供試(『山田穂八(後の『新山田穂2号』)』『山田穂九』)されていることからも、この推測の根拠になっています。



この時代の育種(選抜)は特に収量に重点が置かれていたようで、在来『山田穂』よりも反収が多くなることが最低条件だったようです。
試験場での成績では在来『山田穂』367.95kg/反に対して、『新山田穂1号』383.55kg/反と15.6kg/反の増という記録が残っています。(1石=150kg換算)
また純系淘汰の試験を通して、原種圃の『山田穂』よりも稈長が常に約15cm程度短かったようです。

原種設定以後、昭和15年(1940年)まで原種(奨励品種)指定が続いたそうですが、後代品種の台頭により徐々にその姿を消したことが想像されます。

昭和11年(1936年)の記録では『山田穂1号』作付面積3,198ha(兵庫県内水田の約3%)、収穫高76,112石(反収2.380石)と言うものが残っていました。
この時の『新山田穂2号』は1,777ha(県内水田の約2%)、収穫高42,470石(反収2.390石)となっていました。


そして平成の世になぜか「山田錦の母親」と称されて復活中なう。(絶対に違うけど)



系譜図

山田穂43号『新山田穂1号』系譜図



参考文献

〇業務功程 大正4、6、8~14年度:兵庫県立農事試験場
〇水稲試験成績(大正4~5年度成績):兵庫県立農事試験場
〇米麦試験成績(大正6年度成績):兵庫県立農事試験場
〇農事試験報告(大正7年度成績):兵庫県立農事試験場
〇酒米を中心とした水稲遺伝資源のDNA多型:兵庫県農林水産技術総合センター研究報告.農業編
〇酒米品種「山田錦」の育成経過と母本品種「山田穂」、「短稈渡船」の来歴:兵庫農技総セ研報
〇新山田穂1号の品種特性:
〇ひょうごの農業技術No.111~特集 酒米生産現場の取り組み~:兵庫県立中央農業技術センター
〇水稲及陸稲耕種要項(昭和11年3月発行):農林省農務局:兵庫県立中央農業技術センター
○醸造試験所報告第79号(酒造米ノ理化学的調査):醸造試験所

関連コンテンツ

『新山田穂1号』は『山田錦』の母親?
 ↑違う違う。これは間違いなく違う。

じゃあ父親の『短稈渡船』は『渡船2号』でしょ?
 ↑違う違う。の根拠となった調査結果一覧は以下の通り







2020年2月18日火曜日

辨慶とは?復刻された幻の酒米(?)


兵庫県の幻の酒米『辨慶』の擬人化、辨慶の起源に迫る
『辨慶』 幻の酒米…らしいです


大正の兵庫県?の酒米『辨慶』


兵庫県で平成の世に復活したとされている『辨慶』という水稲品種。

・1924年に兵庫県が『辨慶1045』から純系淘汰で育成(奨励品種に指定)
・戦前の兵庫県で栽培されていた酒米
・1955年に奨励品種から外れ、栽培が途絶える。

超少ない(令和元年時点)ですが、さらっとネットで調べるとこんな感じ。
これも流行りの復刻米というものですが、さて、彼女の生い立ちはどのようになっているのでしょうか?
というか『辨慶』とひとくくりにされていますが、水稲品種としての彼女はいったい誰なのでしょうか?
大正前後の水稲品種は日本酒業界ではひとくくりにして扱ってますが、水稲品種としては実にいろんな品種があったんです。関連~亀の尾とは?在来亀の尾とその仲間たち~


「大正十五年一月 道府縣ニ於ケル米麥品種改良事業成績概要」(農林省農務局)から読み取れる情報を以下にまとめてみました。(兵庫県立農事試験場業務功程を参照すると年度が多少異なる部分もありますが、この項ではあくまでも前述の資料に基づいて記載します。


注意事項(何せ古い資料ですので…)
注意①
『辨慶』だったり『弁慶』だったり、この時点の資料から両者存在し、表記揺れがありました。
以下内容では一応元資料の表記に極力従うようにしています。

注意②
元の反収の単位は「石」(容量)で表記されていました。
「1石」=「150kg」とキリのいい数字で変換しています。

注意③
元資料はひらがなはなくほぼ全てカナ表記。数字もすべて漢数字でしたが文章上は現代表記に直している部分もあります。




【始】山口県の在来品種だった『辨慶』
   そして『辨慶2号』(5,174.9ha普及)



さて、そもそもネット上では「兵庫県が選抜した~」とか「兵庫県で栽培されてた~」等々…兵庫県の品種のように感じる方も多いかもしれませんが…
そもそもの起源は山口県にあったようです。

山口県内に普及していた『辨慶(在来)』は、明治41年(1908年)に山口県の試験場で品種比較試験を行い、良好な成績を収めます。
大正5年(1916年)から始まった原種計画(現在で言うところの奨励品種。優秀な品種の普及が目的)に基づいて、原種に採用され、大正11年(1922年)まで配布されていました。

その『辨慶(在来)』に代わって大正10年(1921年)から配布が始まったのが『辨慶2号』でした。
県内各地から『弁慶(元表記まま)』種を取り寄せ、大正6年にその中から純系分離に取りかかり、大正7年に形態比較試験、大正8年に収量比較試験、大正9年に品種比較試験と行われ、大正10年に『辨慶2号』が原種に採用されます。

『辨慶(在来)』よりも品質が良く、稈が強く、倒伏の心配がないと評されています。
反収に関しても試験では25.8kg/反ほど『辨慶(在来)』より多いようです。



【始-2】大分県にも渡っていた『辨慶』
    そして『辨慶13号』(5,707.0ha普及)



時期を同じくしてこの山口県から『辨慶(在来)』を取り寄せていた県がありました。
大分県です。
明治41年(1908年)に山口県から『辨慶(在来)』を取り寄せた大分県では品種比較試験を継続的に実施し、その結果成績優良と認められ、大正5年(1916年)に原種に指定されました。
また『辨慶(在来)』の指定と同年、大正5年から純系淘汰による育種にも取り組み、『辨慶13号』が生まれます。
『辨慶13号』は大正10年(1921年)に原種に指定されました。

『辨慶(在来)』よりも粒が大きく、品質が良い『辨慶13号』は酒米として歓迎されたそうです。
反収は『辨慶(在来)』よりも26.52kg/反ほど多い品種です。


さて、山口県と大分県、この二つの県でそれぞれ子品種が生まれていますね。
酒米として使用されている旨の記述も出てきました。
それではこの『辨慶2号』か『辨慶13号』、どちらかが…いや『辨慶(在来)』が兵庫県に渡ったのでしょうか?

しかしそう単純でもなく…もう少し時間がかかります。



【中】愛媛県の『伊豫弁慶1号』(757.0ha普及)



次の舞台は愛媛県になります。

愛媛県は『辨慶(在来)』の故郷山口県…からではなく大分県農事調習所から大正4年(1915年)に『辨慶』を取り寄せています。
※愛媛県記録では選抜元について「普通種辨慶」と記載があったので、大分県県下の一般栽培『辨慶』を取り寄せたと思われます。この年のほか大正5,7年にも山口・大分県から「普通種辨慶」を取り寄せ選抜試験を行っています。
取り寄せた大正4年、純系淘汰に取りかかり、3年に渡って選抜を行います。
そして大正4年の第一回選抜時の際に1,100株の中から選ばれた『弁慶1045号』が大正6年(1917年)に『伊豫辨慶1号』として原種に採用されます。※1

いもち病抵抗性を持ち、多肥にも堪えると言うことで当時の『竹成』『雄町』といった品種の欠点を補うことが出来る品種として中山間地で大規模に普及し、平坦部でもまた、裏作との関係性が良いために歓迎されたそうです。
反収は『弁慶普通種』(現表記ママ)より39.6kg/反も収量が多い品種のようです。

※1ここの表記揺れがすごいです。
 元表記ままで『弁慶〇一〇四五号』、さらにこれを『伊豫弁慶〇一〇号』と命名したと記載されています。
 しかし同資料内で、兵庫県では『一〇四五号』、又品種一覧では『伊豫弁慶一号』と表記。
 数字の前についているのが「○(まる)」なのか「〇(ゼロ)」なのか判別がつきませんが…
 他県の記録や自然に考えて、仮に「1045号」「1号」としていますが、もしかしたらなにかしら「○」に意味があるのかも知れません。
昭和10年の愛媛農試の記録「農芸研究拾箇年輯米麦篇」では『弁慶一〇四五號』とともに『辨慶七六〇一〇四五』表記が確認できるのです。
愛媛県は謎が多いですね。

兎にも角にも
山口県の在来品種であった『辨慶』は、大分県に渡り、愛媛県でも『伊豫弁慶1号』が育成されました。(蛇足ですが、大正14年の愛知県で”愛媛県から取り寄せた『伊豫辨慶2号』”なる品種が試験に供されていたので、原種には採用されない辨慶系品種はもっと他にもあるのかもしれません)
ここまできてようやく平成復活の舞台、兵庫県の登場です。


【到着】兵庫県の『辨慶』(1,598.2ha普及)



早速ですが、「大正十五年一月 道府縣ニ於ケル米麥品種改良事業成績概要」では『辨慶』に係わる兵庫県の最初の記述では大正9年(1920年)に愛媛県から『純系一〇四五号』の配布を受けた」とあります。※2-1
(なおこれは大正8年(1919年)の誤記なので、以後大正8年と記載する)
しかし
ネット上では「兵庫県が『辨慶1045』を純系淘汰したのが兵庫県の『辨慶』だ」としており、もしかしたら兵庫県の記録でそういう表記があるのかも知れませんが…※2-2

愛媛県の記録を見るに、これは『伊豫辨慶1号』初期系統名『辨慶1045号』であることが推測されます。
そして兵庫県配布を受けた大正8年は『伊豫辨慶1号』が原種に指定されてから2年も経っており、さらに「純系」という表記、そしてこの資料上では「品種比較試験を行った」としか書いていません。

品種比較試験の中である程度兵庫県側の選抜は行われたのでしょうが、品種としては既に固定されていた『伊豫辨慶1号』であることが自然に思われます。(管理人墨猫大和の推測です。)

改めて
兵庫県では大正8年(1919年)に愛媛県から『辨慶1045号(伊豫弁慶1号)』を取り寄せ、品種比較試験の予備試験に供します。
以後試験が継続された結果、優良と認め、大正13年(1924年)から『辨慶』として原種に指定します。
その後昭和31年(1956年)に廃止されるまで栽培は続いたものと思われます。
先に述べたようにこの『辨慶(兵庫県)』は『伊豫辨慶1号』と言っていいでしょう。

ここでの対照品種は在来の『山田穂』とされており、『山田穂』よりも稈が短く強いので倒伏しにくく、いもち病にも抵抗性がある大粒種と評価されています。
この時点では「酒米としても用いられることがある」程度の表記ですが、この後昭和12年(1937年)になると一気にその普及面積は12,157haまで増加しているので、途中経過は未調査ですが、兵庫県では相当気に入られたことがうかがえます。
反収は『在来 山田穂』に比べ41.4kg/反ほど多いようです。

※2-1
大正8年(1919年)の業務功程の時点で既に、本場の品種比較試験(予備試験)に『辨慶一〇四五』(原表記ママ)が供試されているのでおそらくこの記載は間違い。
たった7年前のことなのに…この時代の記録は本当に雑です。

※2-2
この時代では普通だったかもしれませんが、兵庫県の記録(業務功程)では『辨慶』『辨慶一〇四五』『辨慶一〇四五号』が同じ年度なのに雑多に使用され、表記揺れがありました。
『辨慶1045』も兵庫県におけるひとつの表記の仕方として確かに存在したようです。


【おまけ】鳥取県にも『辨慶1号』(9,243.1ha普及)



最後に
実は兵庫県が配布を受けた大正8年(1920年)より少し遅れてですが、同じ愛媛県から『辨慶』の配布を受けた県があります。

鳥取県です。

大正9年から品種比較試験を行い、大正13年に原種に指定しています。

鳥取県の業務功程を確認すると大正9年から『辨慶〇一〇四五』(ただし所々なぜか『辨慶%四五』←〇一〇と%【パーセント】を見間違え?)が品種比較試験に供試されており、大正12年にこれが『伊豫辨慶』と名称を変え、これを成績優良により奨励品種に加え『辨慶1号』と改名する旨が記載されていました。
前述してきたように『辨慶〇一〇四五』は『辨慶1045号』、つまり『伊豫辨慶1号』のことと思われ、やはり鳥取県の『辨慶1号』も『伊豫辨慶1号』のようです。
”1号”がついたのは、只単に鳥取農試が大正10年から純系淘汰品種が増えた際に区別するためか必ず各品種に”1号"を付けるようになった流れによるもののようで、『伊豫辨慶1号」の"1号"は関係なかった…のかもしれません。
鳥取県での対照品種が『亀治一号』となっているせいか、原種に採用されたにしては他県よりも評価内容が少し寂しいものになっています。
「品質はあまり良くないが、稈が強い多収の晩稲だ」と書いてありますが、反収は試験で『亀治一号』より14.1kg/反増…うん、これでも多いそうです。


まとめ 復活品種は『伊豫辨慶1号』



さて
始まりは山口県で栽培されていた『辨慶(在来)』
広く普及したのがより優れた純系淘汰の子品種達であったと仮定すれば、『辨慶』は

『辨慶2号』、『辨慶13号』、『伊豫辨慶1号』の三種類が存在したことになります。
『辨慶』(兵庫県)『辨慶1号』(鳥取県)は愛媛県の『伊豫辨慶1号』の異名同種でしょう。

さて、始めの話に戻って
平成の世に復活した『辨慶』。
これは加西市にある農林水産技術総合センターから700gの種籾を入手したとのこと。
順当に考えれば、兵庫県で栽培されていた『辨慶(伊豫辨慶1号)』ということになりますが…はたして?

日本酒業界では特に、赤色もピンクも紅色も全て一緒くたに「赤色」と呼ぶ風潮が強いようですので何とも言えません。


とりあえず

山口県で栽培されていた『辨慶(在来)』は
大分県に送られ、『辨慶13号』が育成
愛媛県では『大分在来辨慶』から『伊豫辨慶1号』が育成され
兵庫県・鳥取県はそれを受け取って普及した
となります。

酒米品種「辨慶」の系譜図
『辨慶』の系譜

たった一冊の統計資料(+やはり裏取りは必要でしたが)で、『辨慶』の生い立ちが追えるとは…
正直驚きました。(兵庫県の取り寄せ年度間違いはありましたが)

因みに農研機構のジーンバンクでは
◯『弁慶2号』山口県原産
◯『弁慶1049号』山口県原産
◯『辨慶』兵庫県原産

の三種類が現存…うん…『1049号』ってなんだ!?

でも本当に情報が少ないデス。
何か資料に基づく情報持っている方がいたらば教えてくだちい。

追記


「辨慶1045を純系淘汰したのが兵庫県の『辨慶』」
兵庫県公式の上、「酒米ハンドブック」にも書かれているために広く広まってはいますが・・・
兵庫県立農事試験場の業務功程を確認しましたが、やはり淘汰を行った形跡はありません。

そもそもなぜ兵庫県公式で「『辨慶1045』を純系淘汰し育成したのが兵庫県の『辨慶』だ」と言っているかというと、兵庫県酒米振興会が発行した「『兵庫の酒米』創立50周年記念誌」元凶元のようです。

【弁慶の導入(中略)大正8年に愛媛県から取り寄せ,県立農事試験場で純系淘汰法によって選抜を進めるとともに,9年から但馬分場を中心に品種比較試験をおこなった.そして,11年から有馬・津名・揖保・多可郡で地方委託栽培を実施,その結果,短強稈で多肥栽培に向き,多収であることが証明されたため,13年に奨励品種に指定された】

業務功程のどこにも書いていない「純系淘汰法で選抜を進めた」がどこから出てきたか不明ですか、ここで創作されたか事実関係を良く確認しなかったために起きた錯誤でしょう。

水稲及陸稲耕種要綱(昭和11年)でも、兵庫県内の品種説明で「大正8年愛媛県立農事試験場において改良せられたる、純系1045号を取り寄せ、品種比較試験を行いたる結果、優秀と認め~」と記述されている(純系淘汰して育成したと書いてない)ことからも、やはり「兵庫県が育成した」は後年創作された話でしょう。

「愛媛県が育成した『伊豫辨慶1号』を試験して優秀と認めた兵庫県が普及した
この結論で間違いないと思われます。

参考文献


〇業務功程大正9~12年度:鳥取県農事試験場
〇農芸研究拾箇年輯米麦篇:昭和10年 愛媛県立農事試験場
〇「兵庫の酒米」創立50周年記念誌:兵庫県酒米振興会



弁慶1045号~辨慶(伊豫辨慶1号)~




2020年2月9日日曜日

亀の尾とは?在来亀の尾とその仲間たち


復刻マイ(米)ブーム かつての在来種?たち



最近(平成に入ってから)、昔に栽培の途絶えた品種の復刻が相次いでいます。
そうやって日本酒の原料として「幻のお米」使用を謳う蔵も多いようです。

多くの場合は”在来品種”を復刻したかのように宣伝しているところが多いですね(本当はどうだかわかりませんが…)。
そんないわゆる在来品種の中でも

東の『亀の尾』、西の『旭(朝日)』

良食味米の始祖として称されることの多いこの二品種ですが…
本日はこの『亀の尾』についてまとめます。

と言うのも短稈渡船を追え!シリーズで散々思い知りましたが、世間(主に酒造業界)様の稲の品種に対する認識は非常に希薄です。
違う品種名を使ったり、似たような名前だからとひとまとめにしたりと、稲オタクから言わせれば…というかちゃんと「作物としての品種の定義」から言えば間違った用法が平気で使われています。

先ほども「”在来品種”を復刻したかのように…」と書きましたが、先刻のシリーズ【在来種『渡船』について】で紹介していますが、在来種『渡船』として扱われていたのは別種の純系淘汰品種(造語)『滋賀渡船2号』や『滋賀渡船6号』です。

最近復刻して銘柄に設定された『強力』にしても、品種上は純系淘汰の『強力2号』ですが、果たして宣伝はさも在来種を復刻したかのようになっています。

”在来種””純系淘汰品種(管理人の造語)”、この二つは明確に違うものです。
名前の部分で共有している部分があるので統計などでひとまとめにされることが多いですが、稲の品種としては”別種”と考えるべきものでしょう。
※ただし当然例外もあり、岡山県のように純系淘汰品種を名称で区別せずに単一の名称で普及させていた県もあり。


種苗法による品種の定義は以下の通り。

「この法律において『品種』とは、重要な形質に係る特性(以下単に『特性』という。)の全部又は一部によって他の植物体の集合と区別することができ、かつ、その特性の全部を保持しつつ繁殖させる事が出来る一の植物体の集合をいう。」(種苗法第二条第二項)


”純系淘汰品種”は在来種の中から背の低いモノ、出穂期の違うモノ等を選抜して固定した明確な”品種”です。
客観的に品種の区別が出来るものと言えるでしょう。
では在来種は?と言えば、これはかなり雑多雑駁な集団の集まりで、現代の”品種”の定義では定められないものと考えるのが自然で、”概念”に近いものだと解釈できます。

そもそも”品種”とは人間が定めるものですから、明確な基準が無い時代に定められていた”在来種”と言うものは、個々人の主観によって定められた非常に曖昧なものだと言えるかもしれません。


では、本題。
我が山形県の『亀の尾』もかなりの酒蔵で復刻されているようですが…
その正体はいったいなんなのでしょうか?
亀の尾と大場(森多早生)の擬人化イラスト



大正14年時点の『亀の尾シリーズ』


『亀の尾』の成り立ちについてはコチラ【始祖にして起源~『亀の尾』~】で紹介していますが、我が山形県の(篤農家様の)誇る稲品種です。
東北を中心に広がった彼女ですが、当然在来種『亀ノ尾』から多くの純系淘汰品種が生まれています。

各県で選抜を行い、各県で番号を付けますから、当然同じ名前の純系淘汰『亀の尾』が存在したことになります。

「大正十五年一月 道府縣ニ於ケル米麥品種改良事業成績概要」(農林省農務局)に掲載されている『亀の尾』シリーズを見てみましょう。

注!
手書きの資料+古いので文字がかすれてる+難しい漢字が多い
なので、管理人の憶測も多分に含まれます。誤字、意味の勘違いがあるかもしれません。
片仮名部分に濁点が無いのは元からです(道府県(担当者?)によって違う模様)


難漢字&言葉
「縣」=「県」
「稍々(稍)」=「やや」
「分蘖」=「分げつ」
「仝」=「同」、「〃」
「原種」=「現代で言うところの”奨励品種”」
「一石」=「約150kg」(容積の単位なので正確ではないですが・・・)


◯品種名(作付面積ha【反収】)
 特徴:奨励品種にするにあたって、対照品種より優れている点が記述されています。
 沿革:その品種が産まれるまでの沿革です。



◎青森縣(対照品種『亀ノ尾一号』【3.105~3.178石/反】)

◯亀ノ尾一号(9034.6ha【3.248石/反】)
 特徴:稈稍々強 分蘖多ク出穂一斉平年ノ出穂八月十四日米質良 無芒種
 沿革:大正二年在来亀ノ尾ヨリ分離育成シ仝五年ヨリ原種トシテ配布セリ

◯亀ノ尾三号(16,252.1ha 【2.892石/反】)
 特徴:熟期早シ 平年ノ出穂八月八日 米質良 無芒種
 沿革:前種(亀ノ尾一号)ト同シ

◯亀ノ尾五号(17,758.1ha 【2.949石/反】)
 特徴:前種(亀ノ尾三号)ト畧ホ同一ナリ 米質良 無芒種
 沿革:前種(亀ノ尾一号)ト同シ

※作付面積・反収は『亀ノ尾一号』『亀ノ尾五号』は大正九年~大正十三年の五ヶ年平均、『亀ノ尾三号』は大正九年~大正十一年の三ヶ年平均


◎岩手縣(対照品種『岩手早生大野一号』【3.662石/反】)

◯岩手亀ノ尾一号(21,151.8ha 【3.499石/反】)
 特徴:一.在来種ヨリ出穂早シ 二.稈強ク稲熱病ニ犯レ難ク且ツ其倒伏ヲ防グ
 沿革:大正五年度ヨリ純系淘汰ニ着手シ大正七年度ヨリ原種トシテ配布ス

 
◎宮城縣(対照品種『亀ノ尾在来種』【2.142石/反】)

◯亀ノ尾一号(22,702.0ha 【2.347石/反】)
 特徴:在来種ニ比シ生育並ニ成熟斉一ナルノミナラス品質良好ニシテ耐病性及耐肥性幾分優ル
 沿革:試験場ニ於テ大正四年ニ着手シ亀ノ尾在来種ニツキ純系淘汰ヲ施行シ育成シタル品種ニシテ大正九年原種ニ決定セリ

 
◎秋田縣(対照品種『在来亀ノ尾』【2.259石/反】)

◯亀ノ尾一号(37,456.8ha 【2.407石/反】)
 特徴:病害ニ稍強ク米質佳ナリ
 沿革:縣立農事試験場育成、純系分離選出、大正元年着手大正五年原種ニ決定増殖


◎山形縣(対照品種『在来種(亀ノ尾)』【2.973石/反】)

◯亀尾(21,798.7ha 【3.262石/反】)
 特徴:中生種中ノ早生ニ属シ少肥多収ノ経済的良品種ニシテ食味良好且ツ酒造米トシテ賞揚セラル只多肥ニ堪ヘサルト稲熱病ニ弱キヲ欠点トス

 沿革:本縣在来種ニツキ品種比較試験ヲ行ヒ成績良好ナル品種ニ対シテハ随時系統分離ヲ始メ其中優良系統ヲ選抜シテ原種ニ供シタリ
   大正二年分離着手。第一年目八,四〇〇株。第二年目一一一系統。第三年目収量比較二一系統。第四年目収量比較一五系統。第五年目収量比較一◯系統。


 
◎福島縣(対照品種『亀ノ尾在来種』【2.305石/反】)

◯亀ノ尾一号(作付面積実績無し 【2.378石/反】)
 特徴:在来種ニ比シ比較的稈強シ
 沿革:大正六年度純系分離着手七年度五〇系ヲ取リ仝八年以後六年間ノ成績ノ結果原種トセリ


◎新潟縣(対照品種『亀ノ尾』【2.545石/反】)

◯亀ノ尾一号(11,863.0ha 【2.873石/反】)
 特徴:在来種ニ比シ成熟期稍早ク稈長稍短カシ
 沿革:大正五年着手純系淘汰法ニヨリ育成セリ


こんなに多い『亀の尾1号』


どうでしょうか?
『亀ノ尾一号』と一言で言っても、こんなにも多くの『亀ノ尾一号』が存在するんです。
青森では『亀ノ尾三号』と『亀ノ尾五号』が存在しましたね。

各県の配布開始年や「縣立農事試験場で~」のような記載があることから、そしてなによりもそれぞれの性質についての記述が違うことからも、どれも同じ『亀ノ尾一号』でないことは分かっていただけるかと思います。


都道府県青森県岩手県宮城県秋田県山形県福島県新潟県
品種名亀ノ尾一号
他三、五号
岩手亀ノ尾一号亀ノ尾一号亀ノ尾一号亀尾亀ノ尾一号亀ノ尾一号
原種
配布開始
大正五年~大正七年~大正九年~大正五年~大正二年
分離着手
大正十四年~大正五年
分離着手
出穂揃いやすい出穂が早い揃いやすい-中生やや早い
稈(耐倒伏)やや強い強い--多肥に弱いやや強いやや短い
いもち病-強いやや強いやや強い弱い--
分げつ多い------
米質-良好多収・良好--
無し------

※青森県ではこの後『亀の尾6号』『亀の尾10号』が育成された模様
※秋田県の農事試験場陸羽支場(国)では『亀の尾4号』が育成されていた模様(『陸羽132号』の親)

そしてこの資料に記載されている品種はおそらく原種(奨励品種)として採用されたもの、大規模な面積で普及したものに限られていると思われます。
つまりここに記載のない『亀ノ尾◯号』はまた別に存在するという事です。
実際、この時点で既に存在しているかの有名な『陸羽132号』の交配には『亀の尾4号』が使われていますが、ここではどの県でも登場しませんね。(上記※参照)


いろんな県で栽培されていることになっている『亀の尾』ですが、さてそれは一体どの『亀の尾』なんでしょうか?

それは本当に在来種の『亀の尾』ですか?それが保存されていたんですか?
『亀の尾◯号』では?試験場などでは純系淘汰した品種を保管していないですか?

さらに事態を面倒にしている山形縣の『亀尾』。
”の”が抜けていますが、おそらくこれは『亀の尾』でしょうから、山形県では『亀の尾(在来)』と『亀の尾(純系淘汰)』のある意味同名異種が存在していたことになります。

稲の品種としては別種の彼女『亀の尾』は、私個人が所有する貧弱な資料でもこれだけの数が存在します。

まとめ


亀の尾、亀の尾1号の擬人化イラスト
イメージであって、本当に在来『亀の尾』と似通っていたかどうかは管理人未確認です

全国の酒蔵さん、あなた方はこの事実をちゃんと把握して使ってますか?
では、使っている"品種"は一体どれですか?


現代の日本の稲作で、「お米」の品種は厳格に定義されるようになりました。
買った品種を自家採種しても、固定度が高いのでほぼ同じ特性の稲を数年は作れるほどです。

しかし現代においても、特に日本酒業界では時代に逆行して、明治~大正のレベルの”品種”を取り扱っているようです。
そこら中で使われている『亀の尾』はいったい何者なのか、知るすべは使っている蔵元に訊くしかないですが、聞くべき蔵元は稲についての正しい見識を持っているのでしょうか…?
上のイラストはイメージで同じようなキャラメイクにしていますが、実際の在来種は「呼称が同じ個体群」であって「同じ遺伝子背景を持つ集団」ではないことは繰り返し述べておきます。

はい、これはもう浪漫ですね
「古い品種を復活させて使っている」というロマンが大事ですよね(投げやり)


そして『短稈渡船』の調査でも感じましたが、日本酒業界では「稲の品種名を”俗称”もしくは”全くの別名”に好き勝手に変える」ことが常態化しているようです。(しかも”自分ルール”で)
酒類の表示法で縛られていないからってあまりにもフリーダムすぎませんかね?

そして品種名も把握しないで使っている酒蔵さん、そんなので消費者に正しい情報伝えられているんですか?


①まず蔵が言っている「幻の米『亀の尾』」自体が一体何のことを言っているのか
②蔵で使っているお米は一体何なのか

これらを明らかにする。
私のような変態に訊かれたからとかではなくて、消費者は「幻の米」なり「有名な酒米の親」だからこそ買おうって人もいるでしょう(全員が全員そうだとはいいません)。
そんな人たちに「なに使っているかわかりません」「別の品種だけどみんなそう言ってるから」程度の説明でいいんですか?という(国税庁からも言われましたが)社会一般的な”当然論”ではないんでしょうか?

これを「細かいこと言うな」「言いがかりを付けるな」という問題だと捉える方もいるんですが、そういうことではありません。
「何を使っているかわからない」んですから、「良質な酒を造れる『亀の尾』と言えるような品質のお米なのか」すらわかっていないということですよ?
表面上の宣伝だけ「亀の尾」で、あとは酒蔵側の都合だけで種々雑多で質の違う米が使われている(可能性もある)ということです。
「山田錦使用」と書いてあるお酒に実際『美山錦』や『五百万石』が使われていたら問題になるでしょう?


追加リサーチ

こと古い品種の話となると、「人の伝聞」はアテにならないことを思い知りました。
一次情報まで遡らないと確実なことは言えませんが、「浪漫・亀の尾列島~小松光一編著~」(2001年)に記載されていた内容を参考程度に書いておきます。


◯新潟県「久須美酒造」
 蔵の説明では「新潟県農業試験場から1,500粒の種子を譲渡」となっているが、どうやら農水省種子センター(筑波)【現:農研機構ジーンバンク?】から取り寄せた模様。
 ジーンバンクには原産地、収集先の違う『亀の尾』が3種類、『亀ノ尾』が2種類(https://www.gene.affrc.go.jp/databases-plant_search_char.php?type=1)保存されていますが、どれを受け取ったのか不明。
 またジーンバンクでは『滋賀渡船2号』が『渡船2号』として保存されているなど微妙に名前が変わっていることもある様子。
 ということでどの『亀の尾』を取り寄せ、それが在来なのか純系淘汰なのか現時点で不明。
 譲渡を受けた当初は2~3センチの芒があったというのでこれが何か指標になるか?
 JP番号【111485】『亀ノ尾』と【218891】『亀の尾』は芒が非常に少なく極短のようなので除外。
 となると残りは3種類。山形原産とされているのが2種類と東北原産とされているのが1種類。
 …うーん、どういう基準で選んだのか…
 ちなみに似たような復刻をした『神力』はジーンバンクの保存系統全てを栽植して、優良系統を選抜したそうで非常に理解できる内容ですが、『亀の尾』に関しては一切まともな話が出てこない…


◯秋田県能代市「喜久水酒造」
 「青森県から手に入れた『亀の尾』を能代近郊の田圃と大潟村で栽培」との記述。
 後述の内容からしてこれは『亀の尾4号』ということでしょうか?
 しかし喜久水酒造関係者の寄稿もありますが、そこでは「出所は秘密」…うーん…
 しかし青森県で奨励品種とされていたのは『亀ノ尾一号』『亀ノ尾三号』『亀ノ尾五号』の3品種…本当に『亀の尾4号』は青森県に存在したのでしょうか…?
 喜久水酒造では大潟村産『亀の尾』は使わなくなったものの、滋賀県上原酒造、青森県三浦酒造などで引き続き使用した模様。
⇒「青森県の水稲品種」(青森県農林部・青森県農産物改良協会 平成11年4月)によれば、青森県の育成した亀の尾純系淘汰は『亀の尾1号』『亀の尾3号』『亀の尾5号』『亀の尾6号』『亀の尾10号』だそう。
 …うーん…ますます訳が分からない。
 後述しますが少なくとも『陸羽132号』の親の『亀の尾4号』は秋田県出身。
 うーん?
 都合のよさそうな話でまとめると、青森県で有名な『陸羽132号』の親系統と言うことで4号を陸羽支場から譲り受けていて、それをジーンバンクに提供した?(憶測)

◯秋田県大潟村
 農家の方の話では『亀の尾4号』を栽培しているとのことだが、失礼ながら今までのパターンだと試験場に確認するまで断言するのはちょっと…
 秋田県で交配された『陸羽132号』には『亀の尾4号』が使用されていますが、じゃあこの4号はどこで純系淘汰された4号なのか今のところ記述した資料を見つけられません。
 ジーンバンクに保存されている『亀の尾4号』は青森県原産ですが、この4号と秋田で使用された4号が一緒かもそもそもわかりませんし、青森県から提供された4号がそもそも青森県で純系淘汰したものなのかも…
 なにしろ同名異種が多数存在するので非常にわかりにくい。

 おそらく秋田県の試験場からの譲渡と思われるので、そちらに訊けば何かわかるでしょうか?
⇒秋田県農業試験場より回答
 『陸羽132号』の親として使われた『亀の尾4号』は農事試験場陸羽支場(現在の東北農研センター大仙拠点、秋田県大仙市四ツ屋)の育成品種(純系分離)だそうです。
 秋田県農事試験場では現在『亀の尾4号』を系統保存しており、由来は残念ながら不明なものの、大仙拠点から譲渡された可能性が高いのではないかとのこと。
 秋田県で育成された純系淘汰の『亀の尾1号』『亀の尾7号』は残念ながら現存しないとのこと。
 昔はかなり緩い条件で種子を譲渡していたそうなので、秋田県内で種子を手に入れたなら農事試験場陸羽支場の『亀の尾4号』の可能性が非常に高いということが分かりました。
 
  

◯島根県の「五郎之会」
 秋田県大潟村から種籾の供給を受けた、との記述があるので、前述した内容が正しいなら『亀の尾4号』か

◯山形県二井宿「高畠町酒米研究会」
 「山形県の試験場から正当な種籾を入手」とある。
  山形県農業試験場庄内支場では昭和40年頃に阿部亀治氏の子孫から『亀ノ尾』種子を寄付され、品種保存しているというのでこのことかもしれません。
 果たしてそれはずっと阿部家で保存してきた種子なのか、純系淘汰の『亀ノ尾』なのかはわかりませんが…



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短稈渡船とは?~1~【関係諸機関聞き取り】
短稈渡船とは?~2~【各蔵元聞き取り
短稈渡船とは?~3~【在来種『渡船』について】
短稈渡船とは?~4~【番外編 日本酒の品種名表示のルール】



亀の尾(亀ノ尾)
※後の『亀の尾4号』(陸羽支場育成)へ繋がる















2020年2月4日火曜日

日本酒における品種名表示(実は無法)~短稈渡船を追え【番外編】~









目次




今回のお題について(税務署に問い合わせました)


さてさんざんさんざんさんざん今までもんもんしてました。

日本で”お米”を売る場合、そこに表記できる”品種名”は限られたものです。
(穴が無いとは言いませんが)農家さんや米屋さんが好き勝手に表示することはできません。

しかし、日本酒業界で表記されている品種名はまさに勝手気まま、フリーダム
なんでどの蔵元も存在もしない「『短稈渡船』使用してます!」なんてしてるの?
それって法的にどうなの?

「赤磐雄町」やら「広島雄町」やら枚挙にいとまがありません。

方々聞きましたがらちが明かず
結局
仙台国税局山形税務署に問い合わせました。


「清酒の製法品質表示基準」とは


当然ですが、日本酒(清酒)はお酒です。
(国産のコメを使った清酒が「日本酒」、米を原料にして醸して”ある種の”ろ過をしたものが「清酒」…でいいのかな?)

そんな清酒は
①特定名称(吟醸酒・純米酒等)を表示する場合の基準
②容器等に表示しなければならない(義務)事項の基準
③容器等に任意に表示できる(任意)事項の基準
④容器等に表示してはならない(禁止)事項の基準
が一律に定められ、消費者が商品を判断する際に品質を判断するよりどころになっています。
蔵元側が各々勝手なルールでいろいろ記載されては、消費者にとっては何が良いのか、どれだけ優れているのか判断のしようがありません。
同一のルールに基づいて表記されることで初めて、消費者にとってたくさんの商品の比較ができるようになるわけですね。

要は「清酒(日本酒含む)の表示事項のルール」になりますが、これが「清酒の製法品質表示基準(平成元年11月22日 国税庁告示第8号)」です。
日本で販売される清酒は、かならずこの基準に基づいて表示されなければなりません。


「清酒の製法品質表示基準」の中の品種名ルールは?



さて、表示ルールの本元であるこの「清酒の製法品質表示基準」
この中で品種名についての表示ルールはどのように表記されているのでしょうか?


「清酒の製法品質表示基準」の概要

◯使用する白米について
・殊に、特定名称の清酒に使用する白米は、農産物検査法によって、3等以上に格付けされた玄米又はこれに相当する玄米を精米したものに限られています。

◯原料米の表示「任意記載事項」
・表示しようとする原料米の使用割合が 50%を越えている場合に、使用割合と併せて表示できます。


…はい…うーん…
どうにもはっきりしませんね。
「品種名」としか書いていません。
酒造業者さん向けのチェックシートも存在しますが、そちらでも単に「品種名」としか書いていません。


一般的な(誤った認識も含めて)「品種名」として認識されているのは幻の酒米『渡船』?~産地品種銘柄とは?品種名?商標?~でも述べましたが、①品種名(稲の名称)、②産地品種銘柄名(お米の名前)、③商品名(お米の商品の名前)のおおまか三つ。
今回問題にした『短稈渡船』については新たな④俗称(見識のない方の勝手な呼び名)になるでしょうか。

日本酒に(法的に)表示してよいのはどれなのでしょう?


少しおさらい~お米の場合~


ここで少しだけ。

冒頭でも少し触れましたが
「お米」として売る場合、「品種名」として正式に表示できるのは「産地品種銘柄」に設定されたものだけであり、それも農産物検査を受ける必要があります。

地方農政局によって銘柄に設定されていない「お米」は品種名を表示できません
農産物検査を受けなければ”未検査米”として売るしかなく、品種名の表示はできません。

一般家庭向けでない業務用米などでは品種名がそもそも消費者の目に触れることはほとんどないでしょうから問題になりませんが
(一般家庭向けに)品種名を宣伝したいとなると、この「産地品種銘柄」の設定は避けては通れないものになるでしょう。

農産物検査法によるこの銘柄設定自体も、ぶっちゃけ穴がある制度ですが、消費者にとっては「確かにその品種である」という担保となっていると言えるでしょう。


…じゃあ日本酒はなんで好き放題出来ているの?
その表示の担保はだれがしてくれるの?
品種について見識の浅い蔵元?



本題~仙台国税局 山形税務署の回答~


質問はシンプルにしました。

【墨猫大和】
”清酒の製法品質表示基準”における”品種名”の定義を教えてください」

ただここで、当たり前というか、仕様がないというか、少し問題が発生。

【税】
「品種名って品種名では…?」

というような反応。
そこで少し質問を変更。

【墨猫大和】
「品種名は
①作物の名称なのか
②農産物検査法における産地品種銘柄なのか
③蔵元が自由に表示できるのか
どれなんでしょうか?」

【税】「確認して後日回答します」


で、回答です。(電話での受け答えだったので間違えもあるかも…)


【意訳含】

結論から言えば、「清酒の製法品質基準」には品種名についての定義は無い。

多くの場合は産地品種銘柄に指定された醸造用玄米を使用しているが、やはり一部復刻米(銘柄設定品種以外)を用いている蔵も増えている。

では、その品種名を表示してよいかどうかという判断をどう行うかと訊かれれば
「その品種名であることについて説明責任を果たせるかどうか」になるかと思われる。

酒蔵や酒類販売業者は「清酒の製法品質基準」や「景品表示法」に基づき商品に係る表示をし、その表示について何らかの根拠を持っているはずである。
となれば品種名の表示については、表記した酒蔵や酒類販売業者がその根拠を明示できるということが表示の条件になるだろう。

【墨猫大和(仮名)】さんが気になる品種名表記があるのであれば、その蔵元に問い合わせれば根拠を教えてもらえるはずである。
(↑今回根拠を説明できた蔵がなかったので絶望したんですがそれは)

※ちなみに念のためですがちゃんと住所・本名を名乗って問い合わせしています。


まとめ


ということで、これはあくまで「清酒の製法品質表示基準」(国税局)に係る回答です。
この法にかかわる部分では問題なし(ただし表示者がちゃんと根拠を説明できるのなら)。

「その品種名であることについて説明責任を果たせるかどうか」
ですから
今回の短稈渡船シリーズでの回答のように

「みんなやってるから…」
「短稈渡船だと思ってたから…」
「ネットで見たから…」

この程度では「説明責任を果たした」とはとても言えませんねってこれじゃまるでどこその野党みたいなので実例を…

最低これくらい説明してもらいたい(管理人の独断と偏見)
・公的な機関、もしくは種籾の入手先に「正式な品種名」を確認している
 ↑俗称などではなく「正式な」品種名の確認が出来てますか?
  「そんな品種は譲ってません」なんて言われないですよね?
  在来種純系淘汰品種の区別はついていますか?

・来歴の確認と俗説、諸説の確認
 ↑『短稈渡船』であきらかなように誤情報も出回りやすい
  それは世間一般に宣伝してよいほどの確かな情報ですか?

・作物「稲」としての品種の定義を理解し、維持する試みを行っているか
 ↑品種が固定された絶対なものであるという認識なら認識不足


ということで
「日本酒に使用されている品種の担保はだれがしてくれるのか?」については「販売元の蔵元」となるようですが…
正直、稲の品種について専門家ではない蔵元さんがそれを本当に担保できるのか…今回の経験から誤解を恐れずはっきり言いますが、非常に疑わしい…


ちなみに
「山田錦の親!『短稈渡船』使用!」なんて言う虚偽表示はやはり景品表示法の部類に入るようなので、優良誤認を誘発するようなこの行為が横行している日本酒業界、それはそれで問題だぞ(謎の上から目線)

ただこれ本当に、私のような稲オタクが今までいなかったから表に出なかっただけで
関係ないような(可能性の高い)米で作った日本酒を、「山田錦の親を使っているんだ」と信じて買っている人が今まで大勢居たということは少しは憂慮すべき問題じゃないんでしょうか?日本酒業界さん?
今回私が調べた範囲で悪意のある…ようにしか思えない蔵もいましたが蔵元さんはいませんでしたが、確実に悪用できる状態ですよね?これ…

説明責任はある!
といって
じゃあ誰がそれを指摘するの?(実際今まで全く是正されてこなかった『短稈渡船』)


「本当に山田錦の親だと思ったから買ったのに、詐欺だ!」と景品表示法の方面から責められて、たった一人の推測をあてにしている蔵元は本当に対応できるのでしょうか?
そしてその一人の認識は「似てると思います」程度でしかないということを認識しているのでしょうか?


最後に(あとがき)


『短稈渡船』を追って日本酒の表示法にまで足を延ばしましたが、なんともすっきりしないまま終わりを迎えました。

おそらく、今も日本で蔵元が新しい「山田錦の親『短稈渡船』使用」を謳った日本酒を販売していることでしょう。

税務署の回答では、そこを問題にするとしたら消費者庁(景品表示法)に相談しては?とのことなので…
いやでも別に告発したいとかではなくて、根拠を知りたいだけなんですけどね…

「わたしたちの知らないところでなにかがおこっている」
のような、無根拠な憶測による陰謀論は基本嫌いな私ですが


一般の方の興味の薄いところで無法が行われているという実態は、今回垣間見ることが出来ました。



追加の情報、間違いの指摘はいつまでもお待ちしております。














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