2021年1月8日金曜日

山田錦の母親、その源流『山田穂』の由来について

『山田錦』の母親(交配母本)である『山田穂』
今回は赤文字の在来種『山田穂』についてのお話


この品種は、在来種『山田穂』の中から兵庫県農事試験場が選抜した『山田穂』(純系淘汰)ですが、そもそもの起源となったと言える在来品種『山田穂』には、複数の発祥説があります。
さらっと紹介しているサイトは多いですが、せっかく兵庫県が詳細まで調べているので「酒米品種「山田錦」の育成経過と母本品種「山田穂」、「短稈渡船」の来歴」に基づいて『山田穂』発祥にかかわる3つの説とその検証について紹介します。


ちなみに「やまだほ」ではなく「やまだぼ」と読むのが正しい…という日本酒業界界隈の通説ですが、珍しく(失礼)当たりのようです。
『新山田穂1号』の読みを「しんやまだぼいちごう」とする昭和11年当時の資料がありますので、『山田穂』の読みについても「やまだぼ」と濁点がついたものと思われます。


3つの説


昭和36年(1961年)発行の兵庫の酒米(兵庫県酒米振興会10周年記念誌)には在来種『山田穂』の由来として三つの説を紹介しています。

①兵庫県多可郡中町説(兵庫県中町東安田起源)
②兵庫県美嚢郡吉川町説(三重県伊勢山田起源)
③兵庫県神戸市北区山田町説(河内の雌垣村【大阪府茨木市】起源)

まずはそれぞれの説の内容を見てみましょう。


①兵庫県多可郡中町説(兵庫県中町東安田起源)

明治初期(詳細年不明)に兵庫県多可郡中町東安田の山田勢三郎氏が自作水田の中から優良な株を発見します。
それを選抜固定し、近隣の農家にも配布。
酒造家の評判も良い優良種だったそうです。
この品種に山田勢三郎氏が自らの姓をとって『山田穂』と命名したとされています。

②兵庫県美嚢郡吉川町説(三重県伊勢山田起源)

時期は不明ですが、兵庫県美嚢郡吉川町の田中新三郎氏が、三重県へ伊勢参りに行った帰りに発見した大きな穂を持ち帰り、発見場所の「伊勢山田」にちなんで『山田穂』と命名したとされています。

③兵庫県神戸市北区山田町説(河内の雌垣村【大阪府茨木市】起源)

時期は不明ですが、兵庫県八部郡山田村藍那の東田勘兵衛氏が、河内の雌垣村(現在の大阪府茨木市)に良い稲があることを聞き及び、その種子を手に入れて山田村藍那で生産を始めます。
「椿米」あるいは「雌垣米」と名付けて出荷(1俵毎に椿の葉を付けて出荷していた)され、明治23年(1890年)の第3回国内勧業博覧会では「雌垣米」として品質日本一とのお墨付きを得るに至ります。
それがきっかけとなって「雌垣米」は近隣の農村に急速に拡大し、「山田村藍那」の地名にちなんで『藍那穂』あるいは『山田穂』と呼ばれるようになったとされています。



各説はどれが正しいのでしょうか?・・・の前に

初めにこれだけははっきりしておきたいのですが
「どれが正しいのでしょうか?」と銘打ってはいますが「この説が正しくて、他は間違い」と断定は出来ません
現存している資料から肯定できることと、齟齬がある部分とを書き並べていきます。

「もっとも有力」なのであって「この説が正しい」のではありません。

今後の資料の発見によっては覆ることもあり得ます。


改めて、各説はどれが正しいのでしょうか?

人名の「山田」にちなんでいる説に、三重県と兵庫県、それぞれの地名の「山田」にちなんでいる説。
どれもこれもいかにもありそうな話ですが、では、同時代の別資料から見ると、それぞれの説とそれらの資料の内容は一致するのでしょうか?


①兵庫県多可郡中町説(兵庫県中町東安田起源)【検証】

・普及当初、酒造家の評判も良い品種であった【肯定出来る内容】
中町東安田は酒米の主産地でした。
ここで生産されるお米が酒造家の方に評価された、というのは自然に感じますね。

・多可郡中町東安田から広まった【肯定できる内容】
明治21年(1888年)の「東播九郡連合農産物共進会報告書」において多可郡から出品された品種の中で『山田穂』の割合は特に多いものでした。
また明治29年(1896年)の「第6回関西連合府県共進会」における多可郡出品品種237点の内96点(約4割)が『山田穂』とこれも多くを占めています。
以上2点から、明治20年代において東安田を中心として多可郡に広く『山田穂』が普及していたことがうかがえます。

〇総括
この説においては、明治37年(1904年)に山田勢三郎氏の功績をたたえる頌徳碑が中町東安田に建立されています
実際の記録との整合性もとれており、最も有力な説と言えるのではないでしょうか。



②兵庫県美嚢郡吉川町説(三重県伊勢山田起源)【検証】

・昭和30年代に於ける吉川町の年配者達の多くがこの説を証言【肯定できる内容】
・しかし説を肯定できる客観的な(書籍、統計等)資料がない【齟齬のある内容】

・発祥・普及の地である吉川町では『山田穂』が有名ではない【齟齬のある内容】
『奈良穂』は、『山田穂』よりも長稈穂重型、より粒も大きく心白の発現も多いとされる品種で、吉川町で多く生産されていました。
昭和12年(1932年)に元兵庫県酒米親交会副会長の井上克己氏が会誌「農業」8月号に寄稿した「灘酒の酛米『播州吉川米』に就て」でも「吉川米は『奈良穂』が第一」と評されるほどです。
県内に広く広まるほど当時としては優秀な『山田穂』がその発祥の地で広まっていないというのは少しおかしく感じますね。

・吉川町の田中新三郎氏が『奈良穂』を出品【もしかしたら齟齬があるかも・・・な内容】
明治43年(1910年)に開催された兵庫県農会第1回小作米品評会において、「美嚢郡口吉川村の田中新三郎」『奈良穂』を出品して二等を受賞している記録があります。
同郷でかつ同姓同名の別人の可能性も当然あり得ますので、これはあくまでも推測・憶測の類いになりますが・・・
もしもこの二等受賞者の「田中新三郎」が「伊勢山田から優秀な穂を持ち帰った田中新三郎」であるとすれば、彼が持ち帰って普及した品種というのは『山田穂』ではなく『奈良穂』である可能性があるのでは?と言えますね。
『コシヒカリ』のように育成者が必ずしも自分が育成した品種に惚れ込むかと言ったら違うので、同一人物だとしても、別品種を栽培していた可能性も当然あります。

〇総括
酒蔵の一部はこの説を元に「『伊勢錦』が『山田錦』の親だ(田中新三郎氏が伊勢山田から持ち帰ったのは『伊勢錦』だ)」としていますが、発祥の地であるはずの吉川町で『山田穂』の栽培が盛んだった記録はなく、別品種の『奈良穂』が有名だったようです。
同じ”穂”を含む品種名ですし、この説に関しては書籍などの記録はなく「人の伝聞が根拠」と言うことで、人伝いになる中でどこかに齟齬が生じたのではないか・・・とも取れる説でした。
また発見者と同じ姓名・同じ出身地の方が『奈良穂』で賞を貰っているという憶測がはかどる記録もあるようです。


③兵庫県神戸市北区山田町説(河内の雌垣村【大阪府茨木市】起源)【検証】

・「神戸酒米のしおり」に「藍那穂由来説」として紹介【肯定できる内容】

・『藍那穂』あるいは『山田穂』と呼ばれたという記録がない【齟齬のある内容】
農業発達史調査会資料「明治以降に於ける水稲品種の変遷(其1)」(松尾孝嶺氏)の兵庫の欄に『藍那穂』は明治28年から、『山田穂』は明治21年から記載があり、これはそれぞれ別の品種として扱われています。
また、大正11年(1922年)の「大正10年度兵庫県米穀検査報告書」(兵庫県穀物調査所)の中で品種の異同についての記述が有り、ここでも『藍那穂』と『山田穂』は別の品種として扱われています。
このことから『藍那穂』と『山田穂』という明確に区別された2つの品種があったことになり、「藍那穂や山田穂と呼ばれた品種だった」という話と噛み合いません。

・『藍那穂』あるいは『山田穂』と呼ばれた2【齟齬のある内容】
前述の大正11年(1922年)の「大正10年度兵庫県米穀検査報告書」(兵庫県穀物調査所)では『山田穂』の異名同種についても記述が有り、『天王穂』や『大神力』といった16品種が挙げられていますが、その中に『藍那穂』はありません。
『山田穂』が「藍那穂」と呼ばれていたという記録は無いことになります。

〇総括
この説では異名同種として、「雌垣米」としていた品種が『藍那穂』や『山田穂』と呼ばれるようになった、とのことですが、残念ながら両者が異名同種であったという記録はないようで、記録上山田村藍那で生産されていたのは『藍那穂』であったようです。
これも”穂”を含む品種名ですから、地名の「山田」と合わせて地元の方が「山田穂」と呼んでいた・・・そんな可能性はありますね。
無論県が異名同種を把握できなかったのかもしれませんが。


まとめ

「山田勢三郎説が最も有力」とされているのはこのような検証が根拠になっています。

どうも後者2説は、人の伝聞による誤解や知識不足による憶測・推測が原因のように(個人的には)思います。
『滋賀渡船2号』においても「稈長の長さで2号や4号、26号なんてものすごい長いものもある」という勘違いが大々的に伝播されていますが、これも一般人による知識不足からくる間違った憶測の類いです。(滋賀渡船〇号の数字は原種採用順に付けられているもので、稈長は一切関係ありません【詳細】『滋賀渡船2号』『滋賀渡船6号』
「人から聞いた、誰かが言っていた」は必ずしも無視していいものではありませんが、かといってそれだけでは信頼性は残念ながら低い傾向にあるように思えます。

これと同じように、『山田穂』が有名になるに従って「”穂”を含む品種が地元にあること」と「”山田”に関係ある出来事」を都合良く結びつけて「あの有名な山田穂はうちから始まったらしいぞ」という話が広まった・・・のかもしれません(憶測です)


現代でこそ品種の由来は簡単に調べられるようになっていますが(簡単故に間違った情報も拡散して定着しやすいのですが)、昔の品種となると起源を知るにも一苦労します。
『辨慶』や『渡船』のように、命名の理由や発祥が不詳な品種も数多くあります。
わかっていることだけでも、大事に記憶していきたいですね。



何度でも言うが、私はおまえ(山田錦)の母親なんかじゃないからな
ええ、はい
わかっていますよ
・・・私の扱いはどうなるのさ
う~ん
親問題にこだわるねぇ
やはり自分の扱いが気になるかい?
・・・うん
わたしは今が良ければそれでいいけどね~
ね、辨慶?
ん、吾か
出自を気にするのはわからないでもないが
そこまで気に病む事とも・・・思えんがな
人間の研究がより進むことに期待しましょう
そして
私たちの成すべき事はどうであれ変わりないわ
違うかしら?
・・・滑り込みセーフ

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