2021年2月11日木曜日

【酒米】雄町甲48号~雄町2号(雄町)~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】


系統名
 『雄町甲48号』※『雄町2号』だった場合
品種名
 『雄町2号』※岡山県は「雄町」とだけ表示・呼称
※もしかしたら『雄町4号』かもしれないし『雄町288号』かもしれないし『雄町92号』かもしれないし『雄町98号』かもしれないしそれ以外かも
育成年
 『大正7年(1918年) 岡山県立農事試験場』(命名・改名年:大正9年)
  ※もしかしたら「大正11年」かもしれないし「大正15年/昭和元年」かもしれない
交配組合せ
 『在来雄町より選抜』
主要生産地
 『岡山県』
分類
 『酒造好適米』※現在の産地品種銘柄設定による

雄町、としか呼ばれないが…まぁよかろう

どんな娘?

現役品種の中でも最年長な娘(…のようによく言われているが実態は滋賀渡船姉妹のように年上の品種はいる。)
とはいえ”現役生活の長さ”で言えば間違いなく一番長いだけあって、作付面積以上の存在感を放つ。
山田錦、五百万石といった大御所(と言っても雄町から見れば後輩だが)でも、彼女には一目も二目も置いている。

体の弱さは隠せないが、頭脳明晰で現役最年長から来る知識量も相まって、頭の良さでは群を抜いている。
やはり日本酒見の基礎を築いた雄町系品種群の一類であり、他者への教育も得意で、山田錦と共に後輩育成には積極的。

だが協調性は低く人の言うことは聞かない事が多い。


緒言

”大正11年に岡山農試で選抜(育成)したものが現在の『雄町』”

当事者の岡山県(平成・令和)の公式資料始め、農林水産省の奨励品種特性表や、「酒米ハンドブック」といった有名な著書でも『雄町』についてはこのように記述されており、令和3年現在世間一般に広く認知されている内容かと思います。

しかしながら、このページの内容は現存している岡山県立農事試験場業務功程の記載内容から推測される事項に基づいて記載しますので、前述の「大正11年に育成された『雄町』」は何かしらの錯誤によって間違った内容が伝えられてきたものとして扱っています。
兵庫県水稲品種『辨慶』の由来【関連リンク】や、滋賀県育成品種一覧【関連リンク】など、現代の公的機関が発表している内容でも、明治・大正期となると微妙な誤りがあることは周知の事実かと思います。
あくまでも「世間一般で言われていること」よりも「確認できた一次資料の内容」に沿うようにしたいと思います。

詳細は【関連コンテンツ】現代の『雄町』の正体は?岡山県の記録を追ってみたをご覧ください

今後も資料の収集・調査は続けますが、内容の訂正に関する情報提供はいつでもお待ちしております。
なお、念のため記載しておきますが、「『短稈渡船』問題」「『山田穂』問題」と同様、大正当時の岡山県立農事試験場発行の資料等、当時の一次資料を基にご指摘ください。
他機関(農会等)・民間発行、ましてや現代発行の書籍では根拠になりません。


概要(多分に推測を含む)

岡山県がその生産量の大部分を占める酒造好適米『雄町2号』もとい『雄町』の擬人化です。
水稲品種名としては『雄町2号』のはずですが、岡山県ではあくまでも「原種:雄町」として扱ってきたため、現代では一般農家のみならず原種を管理する岡山県でも『雄町』の名称で通っているようです。

「岡山農試が純系淘汰育成した品種」であることは間違いないので、よく言われる「多くの酒米品種の親となった『雄町』」彼女は異なります(多分…調査しきれません)

千粒重が26~27gと大粒で、線状心白の発現率が高めとされています。(本当?)
『雄町2号(雄町)』を使用した日本酒は仕込みが難しいものの独特の風味と味が出る反面、栽培が難しいことから「幻の酒米」と称される事も多く、事実生産量がかなり少ない時期もありました。
しかし近年は人気に応じて生産量もかなり増加しており、平成後期からは酒造好適米生産量のトップ5に常に入っています。

その独特な日本酒の味に惚れ込んだ熱烈なファンも多い?とか。
「熱烈なファンも多い?」としているのは、“オマチスト”なる「雄町で造った酒のファン」を指す用語があるそうなのですが・・・
『短稈渡船』の例に漏れず、『雄町2号(雄町)』にしても稲の品種に対する認識がガバガバな(間違っている)説明も随所で目立ちます・・・(これがただ単にブームに乗っかっただけの粗製濫造サイトの可能性もあるのですが・・・)
兎にも角にも、『雄町(雄町2号)』以外の品種をさも”雄町”であるかのように賞賛している方も見かけるわけで・・・
果たして”オマチスト”なる方々が好きなのは「雄町を使用した酒」なのか「”おまち”と発音する単語が品種名に含まれる何かしらの品種を使った酒」のことなのか、私にはわかりませんでした。(って言うか”オマチニゴウスト”じゃないですかね?

大きく脱線しましたが
在来『雄町』自体は安政6年(1859年)というかなりの昔から起源説が確認出来る珍しい品種です。
「起源説」はあるものの、もてはやされたという明治~大正期においてはその正体は相当に不明瞭です。
滋賀県(大正12年)では『渡船』『五反穂』『長者穂』『ビックリ』等
愛知県(大正5年)では『渡船』『伊豫』『五反穂』『大和錦』『八ツ房』『上州』『二本杖』等
三重県(昭和2年)では『三重錦』『渡船』
これらが『雄町』である(異名同種)とされています。

試験場は無論調査の上で「異名同種」と定義したはずですが、果たしてこれらは類似しているだけの別品種なのか、『雄町』と呼ばれる前に分化した近縁種なのか、そもそも調査で「異名同種」と判断する基準は一体何なのか(例えば滋賀県では『渡船』よりも分蘖数が明らかに多く背丈も低かったであろう『滋賀渡船2号』選抜元在来品種を”渡船”と定義しており、さらに芒がなくなっている『滋賀渡船白銀』選抜元品種をも”渡船”と定義している。では何が共通していれば”品種:渡船”もとい”雄町”なのか?何が違えば”別品種”とされていたのか?定義にものすごい幅があった印象を受けます。)
はたして『雄町』と定義されるものはいったいなんなのか?
いずれにせよ非常に雑駁な集団が『雄町』と呼ばれていた事が窺えます…とそれらしいことを言っていますが正直追うべき品種が膨大すぎて把握しきれていません。
1例を挙げれば、『五反穂』は兵庫県で「古くから栽培されている品種」(昭和8年)とされていて、これこそ滋賀県や愛知県が『雄町』と異名同種だとした『五反穂』そのものなのか、同名異種なのか、もうわかりま(追う気力が湧きま)せん。

ただし、平成・令和現在栽培されているのは大正7年(1918年)に岡山県農事試験場が育成した『雄町2号』(推測)であり、「純系淘汰後代である」という点は非常に明確です。
ジーンバンクや各地の試験場で異なる系統の『雄町系品種群』は保管されているようですが、一般人が目にする『雄町』といえば、基本的にこの『雄町2号』でしょう。
一部『船木雄町』を使用していると宣伝している蔵もあるようですが、これも譲渡、及び商業化が許可されれば栽培自体は不可能ではありません。(実態や系統保存状況がどうだか知りませんが)


私が確認出来た範囲で
岡山県では明治41年に原種(奨励品種)指定がされ、明治43年度の岡山県の調査では雄町系品種群の作付け面積は約13,223町歩(岡山県内水田の15.11%)にも及んでいました。
大正期に入り、そんな雑種群の中から『雄町2号』『雄町4号』『雄町288号』『雄町92号』『雄町98号』の5品種が育成され、岡山県内で配布されます。
大正14年(1925年)の時点でそんな『雄町系品種群(在来及び純系淘汰後代育成品種)』は6,632.5町歩(岡山県内水田の約7.6%)となり、明治後期から見ればその面積は減っています。
大正15/昭和元年より5品種体制で行われていた『雄町』原種配布ですが、昭和5年から原種の絞り込みが行われました。 
昭和12年には岡山県では最終的に原種を『雄町2号』と定め、配布を実施していたものと思われますが、この時点での作付面積は4,497町(岡山県内水田の約5.7%)とさらに減少しています。
その後戦後の食糧増産の機運に押され、多収という面で不利で、かつ主食用ではない『雄町』の生産はさらに減っていったものとされます。
作付面積が再確認できる昭和35年(1960年)時点での作付面積は371ha(以降全国での面積)。
それが昭和40年(1965年)に入って300haを切って275haとなり、以後さらに作付面積は減少していきます。
昭和43年(1968年)に100haを下回り(88ha)、昭和51年~52年に最低面積の15haまで減少しています。
しかしそこを底として今度は一転、作付面積は増加に転じます。
特に米流通自由化が現実的となり、全国的にも良質米の生産振興が盛んになった時期にあたり、岡山県も『雄町』の生産振興を図る目的で昭和63年度から平成4年度までの5年間「おかやま雄町米GOGO運動推進事業」を実施しており、作付け増進の契機となったようです。
昭和63年(1988年)に100ha台(101ha)となると、平成元年(1989年)は203ha、平成二年(1990年)は285ha、平成3年(1991年)は318haと瞬く間に300ha台まで増加しました。
平成後半は更に作付け面積は拡大し、検査数量から逆算して平成26年(2014年)頃には500ha以上に増えたものと推測されます。


育成地において晩生の品種で、草型は「穂重型」です。
稈長は1.1m、穂長は20~30㎝ほどにもなり、全長が約1.4mという非常に丈の長い品種です。
その為、耐倒伏性は「弱」と非常に倒れやすい品種です。
耐病性も改良されていないので抵抗性も低く、葉・穂いもち病耐性は両者ともに「弱」です。
それでも脱粒性と穂発芽性は「中」と、頼りないもののこの点で目立って弱くはありません(強くもないけど)。
千粒重は前述の通り26~27g程度で、収量は標準で500kg/10aとされていて現代の品種に比べるとやはり少なめな印象を受けます。
古い品種の例に漏れず、収量も少なく育てにくい『雄町2号』ですが、それでいながら多くの生産量があるのはやはりその人気を反映しているものだと言えるでしょう。

『雄町』の種類について

酒米ハン〇ブックで「大きく2つに分けられる」と紹介されているせいか一部勘違いしている人もいるようなので改めて…
「大きく①、②、③の3つに分けられます」

①(1)在来種『雄町(二本草)』
 及び
 (2)『赤磐雄町』『備前雄町』『船木雄町』『畿内雄町』『広島雄町』

(1)岸本甚造氏が発見育種し、岡山県内に広まった在来種。
『二本草』はその初期名で、『雄町』は普及するにつれて地名にあやかって呼ばれるようになった名称。
当初は兎も角、その後の普及に際して品種としての管理が行われておらず、現代の基準では品種とは呼べない雑多な個体の集団であったことが予想され、それらを区別することなく扱う場合の総称が『雄町』(在来種)。

(2)そのような雑多な個体の集まりである在来種『雄町』の中から、各地域独自の目的を持った選抜の結果作出、命名された地域在来種や純系淘汰種であるのが『備前雄町』や『畿内雄町』。
農事試験場が純系淘汰による育成により命名したものと、県外産『雄町』を県内産の『雄町』と区別するために呼んだ2種類に大別されるものと思われる。
正直言って『雄町系品種群』の名称は雑多すぎて追い切れていない。
ただし、本家本元である岡山県農事試験場の記録の中には『〇〇雄町』は全くと言っていいほど出てこず、もちろん『備前雄町』と言う表記も見当たらない。(岡山県内の品種は『雄町』や『チンコ雄町』等と記載:T8業務功程)
なので『備前雄町』は純系淘汰地方品種と言うより、岡山県外における「岡山県から取り寄せた雄町系統に対する呼び方」という意味合いが強いのかもしれない。
ジーンバンクの備前・船木は神奈川取り寄せ広島原産・・・らしいが・・・?
なお、現代の「赤磐雄町」はただの商標や赤磐産『雄町2号』を指す用語でしか無いですが、大正~昭和初期に愛媛県等で一応品種名として『赤磐雄町』が使用されていた形跡はあります。(単に『雄町2号』の別称なのか、別途赤磐地域で独自の純系淘汰系統があるのか不明ですが)

 (1)(2)総じて『雄町系品種群』の全体、もしくは一部を指しているもの。
 酒米ハンドブックでは「純系雄町」と紹介(それ自体はあながち間違いではないですが、正確でも無いです)

 
②『兵庫雄町』『こいおまち』(『改良雄町』※後述1)(「広島雄町」※後述2)

 『雄町系品種群』に由来した交配により育成された品種。
 親品種に由来して「雄町」の文字が入っているだけで、明確に『雄町』とは異なる品種。

 特に広島県では水稲品種『改良雄町』について「雄町」や「広島雄町」と呼称している為にややこしい。
 産地品種銘柄設定も品種名が「雄町」となっているが、『茨城県産渡船』と同じく申請時の審査項目ではないために指摘を逃れて設定されたもので、実態はあくまでも『改良雄町』。
「別名『改良雄町』とも呼ばれる」と紹介されていることも多いが、稲品種として見れば『改良雄町』が正式名称であるから、むしろ逆で「広島雄町」の方が俗称・別称の類いに入る。
このように現代の「広島雄町」はただの『改良雄町』の俗称でしかない。

※後述1
ただし実際に明治・大正期において『改良雄町』と呼ばれた”雄町からの純系淘汰品種”は実在した。
少なくとも大正14年時点で福岡県で育成されたものに『改良雄町』、長崎県で育成されたものに『改良雄町1号』『改良雄町3号』の名称が付けられ普及されていた。
繰り言になるがこれらは人為的な交雑育種は行われていないので、現代の『改良雄町』とは明確に異なる。

※後述2
ただし実際に明治・大正期において『広島雄町』と呼ばれた品種は実在した
『改良雄町』育成以前の年代に
 1.岡山農試が農事試験場山陽支場から取り寄せた記録
 2.広島県の主要品種としての記載
 がある。
詳細は不明だが1933年に広島農試が在来雄町品種群から淘汰?


③『雄町』(実態は『雄町2号』の可能性が高い)
 及び
 「赤磐雄町」「備前雄町」「讃州雄町」

 在来種と同名なので紛らわしいが、一般的に現代で目にし「雄町」と呼ばれているものはこれ。
岡山農試で大正7年に純系淘汰で育成された雄町甲48号『雄町2号』と推定され、今現在も栽培が続いているもの。
『滋賀渡船2号』や『新山田穂1号』と同じく基本的に在来種とは区別されるものであるが、岡山県の方針により「雄町」の統一名で管理されている。
もちろんこれも①に含まれるものと言えるが、「赤磐雄町」「備前雄町」「讃州雄町」といった俗称とそれに対する誤解が蔓延っており区別が必要となる。

①における『赤磐雄町』『備前雄町』『広島雄町』はそれぞれ地域・研究機関別の淘汰を受けた独自の系統で、全て別の品種。(異名同種だった可能性は否定できないが)
現代における「赤磐雄町」「備前雄町」「讃州雄町」等は、全てこの『雄町2号』の俗称でしかなく、全て同じ品種(ではないのでしたらば是非情報をください)。

「魚沼コシヒカリ」という名の商品はあっても、それは”魚沼産の『コシヒカリ(新潟IL)』”のことであって、「魚沼コシヒカリ」という品種のことではないのと同様に、③におけるこれらも品種名を指すものではない。
一部酒蔵や酒店が「各地の独自系統・各地に適応した『雄町』」のように宣伝していることがあるが、殆ど全てが知識不足から「過去の地域在来種『赤磐雄町』」と「現代におけるただの俗称「赤磐雄町」」を混同しているだけであると思われる。(各地域毎に独自に系統を保存している旨の情報があれば教えてください)
 かつては『備前雄町』や『赤磐雄町』、『広島雄町』と呼ばれる、それこそ各地の独自系統が確かに存在したが、ここでいう俗称の「備前雄町」や「赤磐雄町」などと表記は一緒でも意味するものは全く違う点に注意が必要。
同表記なので致し方ないが、混同している酒蔵や消費者が多く見られる。

現代では何と呼ばれていようが現代の『雄町』は全て『雄町2号』のことを指す。
「各地域に適応した雄町」は(まず)存在していないと思われる。(『赤磐雄町』『備前雄町』といった品種は存在しない)
※”赤磐雄町”復活の立役者、利守酒造の公式HPでも「赤磐雄町(米)と言う品種は存在しない」とはっきり書いてあります。


『短稈渡船』の例に漏れず、酒蔵の”酒米の品種に対する認識”はかなりぞんざいなので、酒蔵の言う酒米知識は基本信用できません…とまで言っては過言でしょうか?
ちなみにぞんざいだったのはずっと昔からのことのようで…こんなこともありました。
昭和25年頃に国が全国の酒蔵に対して使用している醸造用玄米の品種名の調査を行ったところ、北海道・東北・九州の酒蔵を中心に「和気」「赤岩」という品種名の報告が多数あった。
しかし誰もそんな品種は聞いたことがないし、各方面に問い合わせても正体が分からない。
果たしてその正体は…『雄町(2号)』だった、と。
産地名と品種名を混同して、岡山県和気郡産と同県赤磐郡産の『雄町2号』が広く「和気」や「赤岩」という品種として酒蔵は扱っていたわけですが…その程度の認識で、結局自分が何を買っているのかも分かっていなかったということでは…?(個人的な偏見)


育種経過(多分に推測を含みます)

以下『雄町2号』についてのみ触れています。
同じ岡山県育成の『雄町系品種群』達の詳細な育種経過は現代の『雄町』の正体は?幻の酒米の記録を追ってみたをご覧ください

1859年(安政6年)の鳥取県の伯耆大山への参拝の帰りにおいて、備前国上道郡高島村雄町(現在の岡山市中区高島)の篤農家・岸本甚造氏が2本の変わり穂を発見して持ち帰り、1866年(慶応2年)に『二本草』と名付けたものが広まるにつれ、いつしか地名を取って『雄町』と呼ばれるようになった…というのが最もポピュラーな起源説ですね。
一応、1869~1871年(明治2~3年頃)に服部平藏氏が選抜した二本の良穂を『二本草』と命名し、それが『雄町』となったという別説もあるそうです。
兎にも角にも、広く普及した在来種『雄町』は明治41年に岡山県で原種(奨励品種)となります。

そんな岡山県立農事試験場において、正式な「純系淘汰法による品種改良」が開始されたのは大正期に入ってからで、『雄町』に関しては3次にわたる純系淘汰育種が実施されました。
『雄町2号』はこの3次のうち、第1次選抜の第一弾(大正3年開始)となる「甲」選抜で育成された品種です。
第1次選抜は「甲」「乙」「無印(符合何もなし)」の3弾に分かれていました。
(もしくは原種指定されていた『雄町甲』『雄町乙』『雄町』の各種からの選抜か?)


大正3年(1914年)に『雄町』について、後年「第1次選抜」とされる品種改良試験、その第一弾が開始されます。
この時代では「分型法」と記載されていました。
事業者から収集した種子を1本植えとし、詳細な調査を行い、優良な純系を分離することで品種の改良を図るものとされています。

大正4年(1915年)は第2年目の調査を実施します。(詳細記述なし)

大正5年(1916年)は前年の調査で優良と認められた系統に対して、収量の多少を比較するために普通栽培で比較試験を行い、加えて各種調査を実施されています。
詳細の記載はありませんが24系統が供試され、8系統が選抜されています。

大正6年(1917年)、第4年目となるこの年も前年と同様に収量を中心に比較試験が実施され、一部品種は各地に配布して試験(地方委託試験と推定)を行うとされています。
詳細な記載はありませんが、大正3年選抜の7系統が試験に供試されています。

大正7年(1918年)、詳細な記述がないので供試系統は不明ですが、第1次選抜『雄町』の第一弾(大正3年着手組)、第二弾(大正4年着手組)、第三弾(大正5年着手組)を合わせて10系統、生産力検定試験に供試しています。
また地方委託(和気郡日笠村大字日笠上)の系統比較試験にも同様に10系統が供試されたようです。
後に『雄町2号』と改名される『雄町甲48号』はこの年に育成を完了したと、岡山農試では見なされたようです。

大正8年(1919年)、前年と同様に生産力検定試験に10系統、地方委託試験(和気郡日笠村大字日笠上)に10系統が供試されます。
そしてこの年、大正6年からの3年分の試験成績から『雄町甲48号』が原種に決定されます。

原種に決定とはされたものの、翌大正9年(1920年)も地方委託の系統比較試験に第1次選抜10系統が供試されています。
ここで再度『雄町甲48号』は原種配布が決定され、系統番号『甲48号』を改正番号『2号』へ、つまり『雄町2号』と改名されました。


こうして岡山県の「雄町」原種として配布が開始された『雄町2号』は、同じ純系淘汰品種の『雄町4号』『雄町288号』『雄町92号』『雄町98号』と原種の役を担っていましたが、昭和5年(1930年)から品種選抜試験が実施されます。
『雄町92号』と共に最優秀の座を争い、最終的に昭和12年(1937年)に『雄町2号』が残ることとなり、これが現代まで栽培が続けられています。

ただし当事者である岡山県にすら品種名を忘れられた模様…


系譜図

雄町甲48号『雄町2号(雄町)』系譜図(予想)



参考文献

〇農事試験場特別報告第25号 米ノ品種及其分布調査:農商務省農事試験場
〇業務功程明治44年度~大正11年度、大正15年度~昭和13年度:岡山県立農事試験場
〇臨時報告. 第20報 (米麦品種改良方法概略並に原種配付方法):岡山県農事試験場
〇農事試験成績報告 第三報(明治三十一年二月):滋賀県農事試験場
〇日本主要農作物耕種要綱:農商務省農務局編纂・大日本農会
〇酒米の岡山(岡山県酒造好適米格差金制度10周年記念誌)昭和37年:岡山県酒造好適米格差金制度10周年記念会
〇岡山県における水稲品種の変遷 平成12年3月:岡山県農業共済組合連合会
〇岡山県酒造組合「岡山のお酒を知る」:http://www.okasake.com/study/kome.html
〇水稲品種分布調査成績:滋賀県立農事試験場
〇県下の稲種:愛知県立農事試験場
〇水稲直播に関する調査並試験成績. 第3報:三重県立農事試験場
〇醸造用玄米について:加藤好雄

【酒米に関してはかなり誤情報だらけですが、「赤磐雄町」が存在しないという確認のみに使用】
〇利守酒造「地酒物語」:https://akaiwaomachi.com/learn/story/















2 件のコメント:

  1. 墨猫さんお久しぶりです!
    昨日の地震大丈夫でしたか?
    by12TK

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    返信
    1. どうもです~しれっと改名した墨猫です

      山積みにしていた稲資料は崩れ去りましたがその程度ですね
      実害は今のところ無いです(ブログの新記事下書きがアップロードできず消えたくらいで…)
      お気遣いありがとうございます

      削除

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