2020年2月18日火曜日

辨慶とは?復刻された幻の酒米(?)


『辨慶』 幻の酒米…らしいです


大正の兵庫県?の酒米『辨慶』

兵庫県で平成の世に復活したとされている『辨慶』という水稲品種。

・1924年に兵庫県が『辨慶1045』から純系淘汰で育成(奨励品種に指定)
・戦前の兵庫県で栽培されていた酒米
・1955年に奨励品種から外れ、栽培が途絶える。

超少ない(令和元年時点)ですが、さらっとネットで調べるとこんな感じ。
これも流行りの復刻米というものですが、さて、彼女の生い立ちはどのようになっているのでしょうか?
というか『辨慶』とひとくくりにされていますが、水稲品種としての彼女はいったい誰なのでしょうか?
大正前後の水稲品種は日本酒業界ではひとくくりにして扱ってますが、水稲品種としては実にいろんな品種があったんです。関連~亀の尾とは?在来亀の尾とその仲間たち~


「大正十五年一月 道府縣ニ於ケル米麥品種改良事業成績概要」(農林省農務局)から読み取れる情報を以下にまとめてみました。(兵庫県立農事試験場業務功程を参照すると年度が多少異なる部分もありますが、この項ではあくまでも前述の資料に基づいて記載します。


注意事項(何せ古い資料ですので…)
注意①
『辨慶』だったり『弁慶』だったり、この時点の資料から両者存在し、表記揺れがありました。
以下内容では一応元資料の表記に極力従うようにしています。

注意②
元の反収の単位は「石」(容量)で表記されていました。
「1石」=「150kg」とキリのいい数字で変換しています。

注意③
元資料はひらがなはなくほぼ全てカナ表記。数字もすべて漢数字でしたが文章上は現代表記に直している部分もあります。




【始】山口県の在来品種だった『辨慶』
   そして『辨慶2号』(5,174.9ha普及)


さて、そもそもネット上では「兵庫県が選抜した~」とか「兵庫県で栽培されてた~」等々…兵庫県の品種のように感じる方も多いかもしれませんが…
そもそもの起源は山口県にあったようです。

山口県内に普及していた『辨慶(在来)』は、明治41年(1908年)に山口県の試験場で品種比較試験を行い、良好な成績を収めます。
大正5年(1916年)から始まった原種計画(現在で言うところの奨励品種。優秀な品種の普及が目的)に基づいて、原種に採用され、大正11年(1922年)まで配布されていました。

その『辨慶(在来)』に代わって大正10年(1921年)から配布が始まったのが『辨慶2号』でした。
県内各地から『弁慶(元表記まま)』種を取り寄せ、大正6年にその中から純系分離に取りかかり、大正7年に形態比較試験、大正8年に収量比較試験、大正9年に品種比較試験と行われ、大正10年に『辨慶2号』が原種に採用されます。

『辨慶(在来)』よりも品質が良く、稈が強く、倒伏の心配がないと評されています。
反収に関しても試験では25.8kg/反ほど『辨慶(在来)』より多いようです。



【始-2】大分県にも渡っていた『辨慶』
    そして『辨慶13号』(5,707.0ha普及)


時期を同じくしてこの山口県から『辨慶(在来)』を取り寄せていた県がありました。
大分県です。
明治41年(1908年)に山口県から『辨慶(在来)』を取り寄せた大分県では品種比較試験を継続的に実施し、その結果成績優良と認められ、大正5年(1916年)に原種に指定されました。
また『辨慶(在来)』の指定と同年、大正5年から純系淘汰による育種にも取り組み、『辨慶13号』が生まれます。
『辨慶13号』は大正10年(1921年)に原種に指定されました。

『辨慶(在来)』よりも粒が大きく、品質が良い『辨慶13号』は酒米として歓迎されたそうです。
反収は『辨慶(在来)』よりも26.52kg/反ほど多い品種です。


さて、山口県と大分県、この二つの県でそれぞれ子品種が生まれていますね。
酒米として使用されている旨の記述も出てきました。
それではこの『辨慶2号』か『辨慶13号』、どちらかが…いや『辨慶(在来)』が兵庫県に渡ったのでしょうか?

しかしそう単純でもなく…もう少し時間がかかります。



【中】愛媛県の『伊豫弁慶1号』(757.0ha普及)


次の舞台は愛媛県になります。

愛媛県は『辨慶(在来)』の故郷山口県…からではなく大分県農事調習所から大正4年(1915年)に『辨慶(大分選抜)』を取り寄せています。
(大分県が明治41年から継続的に試験を行っていたことを考えると、純系淘汰のような目的を持った選抜ほどではないものの、これはある程度大分県で選抜を受けたと考えるのが自然でしょう。)
取り寄せた大正4年、純系淘汰に取りかかり、3年に渡って選抜を行います。
そして大正4年の第一回選抜時の際に1,100株の中から選ばれた『弁慶1045号』が大正6年(1917年)に『伊豫辨慶1号』として原種に採用されます。※1

いもち病抵抗性を持ち、多肥にも堪えると言うことで当時の『竹成』『雄町』といった品種の欠点を補うことが出来る品種として中山間地で大規模に普及し、平坦部でもまた、裏作との関係性が良いために歓迎されたそうです。
反収は『辨慶(大分選抜)』より39.6kg/反も収量が多い品種のようです。

※1ここの表記揺れがすごいです。
 元表記ままで『弁慶〇一〇四五号』、さらにこれを『伊豫弁慶〇一〇号』と命名したと記載されています。
 しかし同資料内で、兵庫県では『一〇四五号』、又品種一覧では『伊豫弁慶一号』と表記。
 数字の前についているのが「○(まる)」なのか「〇(ゼロ)」なのか判別がつきませんが…
 他県の記録や自然に考えて、仮に「1045号」「1号」としていますが、もしかしたらなにかしら「○」に意味があるのかも知れません。


山口県の在来品種であった『辨慶』は、大分県に渡り、さらにそこから愛媛県で『伊豫弁慶1号』が育成されました。(蛇足ですが、大正14年の愛知県で”愛媛県から取り寄せた『伊豫辨慶2号』”なる品種が試験に供されていたので、原種には採用されない辨慶系品種はもっと他にもあるのかもしれません)
ここまできてようやく平成復活の舞台、兵庫県の登場です。


【到着】兵庫県の『辨慶』(1,598.2ha普及)


早速ですが、『辨慶』に係わる兵庫県の最初の記述では「大正9年(1920年)に愛媛県から『純系一〇四五号』の配布を受けた」とあります。
しかし
ネット上では「兵庫県が『辨慶1045』を純系淘汰したのが兵庫県の『辨慶』だ」としており、もしかしたら兵庫県の記録でそういう表記があるのかも知れませんが…※2

愛媛県の記録を見るに、これは『伊豫辨慶1号』初期系統名『辨慶1045号』であることが推測されます。
そして兵庫県配布を受けた大正9年は『伊豫辨慶1号』が原種に指定されてから3年も経っており、さらに「純系」という表記、そしてこの資料上では「品種比較試験を行った」としか書いていません。

品種比較試験の中である程度兵庫県側の選抜は行われたのでしょうが、品種としては既に固定されていた『伊豫辨慶1号』であることが自然に思われます。(管理人墨猫大和の推測です。)

改めて
兵庫県では大正9年(1920年)に愛媛県から『辨慶1045号(伊豫弁慶1号)』を取り寄せ、品種比較試験に供します。
その結果優良と認め、大正13年(1924年)から『辨慶』として原種に指定します。
その後昭和31年(1956年)に廃止されるまで栽培は続いたものと思われます。
先に述べたようにこの『辨慶(兵庫県)』は『伊豫辨慶1号』と言っていいでしょう。

ここでの対照品種は在来の『山田穂』とされており、『山田穂』よりも稈が短く強いので倒伏しにくく、いもち病にも抵抗性がある大粒種と評価されています。
この時点では「酒米としても用いられることがある」程度の表記ですが、この後普及していったのでしょうか?
反収は『山田穂』に比べ41.4kg/反ほど多いようです。

※2
この時代では普通だったかもしれませんが、兵庫県の記録(業務功程)では『辨慶』『辨慶一〇四五』『辨慶一〇四五号』が同じ年度なのに雑多に使用され、表記揺れがありました。
『辨慶1045』も兵庫県におけるひとつの表記の仕方として確かに存在したようです。


【おまけ】鳥取県にも『辨慶1号』(9,243.1ha普及)


最後に
実は兵庫県と同じ大正9年(1920年)に同じく愛媛県から『辨慶』の配布を受けた県があります。

鳥取県です。

大正9年から品種比較試験を行い、大正13年に原種に指定しています。
兵庫県のように取り寄せた『辨慶』について詳細な記載がないのですが…

①取り寄せたのが大正9年と『伊豫辨慶1号』の原種指定から3年も経過していることから、愛媛県としても配布するとすればおそらく育成選抜した『伊豫辨慶1号』を送るであろうこと。
②そして純系淘汰したとの記述はないのに品種名が『辨慶1号』となっているのは、これは『伊豫辨慶1号』から地名”伊豫”を除いたものであるからではないかということ。


以上2点から、これも愛媛県の『伊豫辨慶1号』であると思われます。

鳥取県の業務功程を確認すると大正9年から『辨慶〇一〇四五』(ただし所々なぜか『辨慶%四五』←〇一〇と%【パーセント】を見間違え?)が品種比較試験に供試されており、大正12年にこれが『伊豫辨慶』と名称を変え、これを成績優良により奨励品種に加え『辨慶1号』と改名する旨が記載されていました。
前述してきたように『辨慶〇一〇四五』は『辨慶1045号』、つまり『伊豫辨慶1号』のことと思われ、やはり鳥取県の『辨慶1号』も『伊豫辨慶1号』のようです。
”1号”がついたのは、只単に鳥取農試が大正10年から純系淘汰品種が増えた際に区別するためか必ず各品種に”1号"を付けるようになった流れによるもののようで、『伊豫辨慶1号」の"1号"は関係なかった…のかもしれません。
鳥取県での対照品種が『亀治一号』となっているせいか、原種に採用されたにしては他県よりも評価内容が少し寂しいものになっています。
「品質はあまり良くないが、稈が強い多収の晩稲だ」と書いてありますが、反収は試験で『亀治一号』より14.1kg/反増…うん、これでも多いそうです。


まとめ 復活品種は『伊豫辨慶1号』かな?


さて
始まりは山口県で栽培されていた『辨慶(在来)』
広く普及したのがより優れた純系淘汰の子品種達であったと仮定すれば、『辨慶』は

『辨慶2号』、『辨慶13号』、『伊豫辨慶1号』の三種類が存在したことになります。
『辨慶』(兵庫県)『辨慶1号』(鳥取県)は愛媛県の『伊豫辨慶1号』の異名同種でしょう。

さて、始めの話に戻って
平成の世に復活した『辨慶』。
これは加西市にある農林水産技術総合センターから700gの種籾を入手したとのこと。
順当に考えれば、兵庫県で栽培されていた『辨慶(伊豫辨慶1号)』ということになりますが…はたして?

日本酒業界では特に、赤色もピンクも紅色も全て一緒くたに「赤色」と呼ぶ風潮が強いようですので何とも言えません。


とりあえず

山口県で栽培されていた『辨慶(在来)』は
大分県に送られ、軽度の選抜を経て『辨慶(選抜)』となり
愛媛県で純系淘汰による育種で『伊豫辨慶1号』が生まれ
兵庫県がそれを受け取って普及したもの
となります。
『辨慶』の系譜



たった一冊の統計資料(+やはり裏取りは必要でしたが)で、『辨慶』の生い立ちが追えるとは…
正直驚きました。

因みに農研機構のジーンバンクでは
◯『弁慶2号』山口県原産
◯『弁慶1049号』山口県原産
◯『辨慶』兵庫県原産

の三種類が現存…うん…『1049号』ってなんだ!?

でも本当に情報が少ないデス。
何か資料に基づく情報持っている方がいたらば教えてくだちい。

追記

「辨慶1045を純系淘汰したのが兵庫県の『辨慶』」
兵庫県公式の上、「酒米ハンドブック」にも書かれているために広く広まってはいますが・・・
兵庫県立農事試験場の業務功程を確認しましたが、やはり淘汰を行った形跡はありません。

そもそもなぜ兵庫県公式で「『辨慶1045』を純系淘汰し育成したのが兵庫県の『辨慶』だ」と言っているかというと、「『兵庫の酒米』創立50周年記念誌」元凶元のようです。

【弁慶の導入(中略)大正8年に愛媛県から取り寄せ,県立農事試験場で純系淘汰法によって選抜を進めるとともに,9年から但馬分場を中心に品種比較試験をおこなった.そして,11年から有馬・津名・揖保・多可郡で地方委託栽培を実施,その結果,短強稈で多肥栽培に向き,多収であることが証明されたため,13年に奨励品種に指定された】

業務功程のどこにも書いていない「純系淘汰法で選抜を進めた」がどこから出てきたか不明ですか、ここで創作されたか事実関係を良く確認しなかったために起きた錯誤でしょう。

水稲及陸稲耕種要綱(昭和11年)でも、兵庫県内の品種説明で「大正8年愛媛県立農事試験場において改良せられたる、純系1045号を取り寄せ、品種比較試験を行いたる結果、優秀と認め~」と記述されている(純系淘汰して育成したと書いてない)ことからも、やはり「兵庫県が育成した」は後年創作された話でしょう。

「愛媛県が育成した『伊豫辨慶1号』を試験して優秀と認めた兵庫県が普及した
この結論で間違いないと思われます。

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