2019年7月15日月曜日

【粳米】東北78号~ササニシキ~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『東北78号』(『水稲農林150号』)
品種名
 『ササニシキ』
育成年
 『昭和38年(1963年) 宮城県立農業試験場古川分場(農林省指定試験地)』
交配組合せ
 『ハツニシキ×ササシグレ』
主要生産地
 『宮城県』
分類
 『粳米』
『ササニシキ』です…幻みたいに言われますね…はい




どんな娘?

かつてコシヒカリと日本を二分し(てしまったのはササニシキ主要産地の宮城県が西日本への出荷に消極的だったせいでもあるのだが)た娘。
おっとりのんびり屋なのはコシヒカリと大差ないが、より病弱。

相手の言うことになんでもすぐ合わせ、自己よりも他人を引き立てる事が多く、存在感が薄い。(「自己主張を全くしない」とまで言われることも)
そのせいかは知らないが、今でも結構な生産量があるのに一般にはなぜか”幻の存在”と呼ばれている。(でも大抵の一般品種よりは生産量がある)



概要

東北78号『ササニシキ』は農林省(当時)指定試験地において育成されたため、農林登録番号を持ちます。(水稲農林150号)

あっさり食味が売りの、宮城県を代表する粳米品種。
みやぎ米四姉妹(『ひとめぼれ』『ササニシキ』『だて正夢』『金のいぶき』)の一角を形成しています。

現代平成では病弱なイメージの彼女ですが、登場当初(昭和30年代)宮城県の主力品種であった『ササシグレ』よりはいもち病耐性に優れ、5%程増収(試験時3.9%~7.7%増)になり米質も優れていたため、一気に普及が進みました。
地方系統名である『東北78号』時代から前評判は広がっていたそうで、採種用ほ場から盗難被害まであったそうです。
そんな事象も起きるほどですから、どこからか種籾が流出し、登場(奨励品種採用)した昭和38年(1963年)当時で既に宮城県で約1,900ha、山形県でも約500haの作付けがあるという謎の事態が発生した・・・とか(本当?)。
デビュー3年目の昭和40年(1965年)には49,682haと5万ha近くまで伸び、作付け順位もトップ10入り(S40年で10位)を果たします。
収量のみならず食味の良さから大変人気のある品種となり、昭和60年(1985年)に作付面積2位(約20万ha)まで作付けを伸ばしました。
しかし、いくら先代主力品種よりは強いとはいえ決して高くない耐病性、さらに倒伏しやすく、冷害にも弱いと非常に作りにくい品種である反面、人気の高さから作付不適地にまで作付けが拡大されたことから評価が低下。
全国的に『コシヒカリ』系統の粘りのある米が好まれるようになったのも一因となり(諸説あり)、需要は低下気味になっていきます。

そして平成5年(1993年)の大冷害が最終的に仲卸業者の信用を失わせたことが決定打になったとも言われます。(ただし作付面積自体は一足早く平成2年の207,438haをピークに減少)
山形県等一部では『ササニシキ』についても冷夏の被害が少なく、品質も保てたそうですが、他産地は壊滅的な被害を受け、全体的な入荷量は激減。
翌年以降”安定性のない品種”として、作っても高く売れない品種になってしまいました。
前年の被害の少なさからも継続して『ササニシキ』を作っていた山形県の農家は、平成6年の出荷の際にどこの仲卸も買いたがらない現実に驚愕します。
農家側で”育てにくさ”、そしてなにより”誰も買いたがらない”ことは大変な問題となり、耐冷性の優れた『ひとめぼれ』が(※偶然※)登場したのも相まって、作付の転換が続きます。
「冷害に弱い点は栽培技術でカバーできる」という思想も、十数年に一度の冷害には無力であることが確定的になった(生産者側にも認知された)ことで、高耐冷性品種への切り替えが進んだとも言えるかもしれません。

こうして『ササニシキ』は作付面積第一線級の品種としては姿を消し、後代品種にその主力の座を譲ることになります。
食味の点で本当の後継になるはずだった『ササニシキBL(IL)』こと『ささろまん』は爆死しましたが、『東北194号』が平成24年(2012年)から普及に入っています。
とは言いながらも、”激減”というのはその前の数字がことさら大きかったからであって、平成後期に入っても、生産量は1万トン超と依然高い水準を保っています。(検査対象約270品種中30~40位くらい)
ちなみに令和元年現在で、産地品種銘柄は『ササニシキ』と『ササニシキBL』で品種群設定されているので、どちらの品種で出荷されても我々が目にするのは『宮城県産ササニシキ』になっています。(ただし、BL種子の配布を希望する人は最近いなくなってしまったそうですが…【2019年・古川農業試験場談】



水稲品種の代表『コシヒカリ』に比べ、あっさりとした味わいが特徴で、繊細な味を持つ刺身を殺さないことから、お寿司屋さんから強い支持を得ていると言われます。
平成後半に入ってから人気になった”もっちりとした食感”や”甘さ”がウリとされる低アミロース、もしくはアミロース含量低目の品種と相対して、寿司では味(自己主張)の強くないお米が好まれるようです。(古米が好まれるくらいですからね)

そんな『コシヒカリ』系統とは違う食味(粘りが控えめ)で知られる『ササニシキ』ですが、アミロース含有率やタンパク質含量はコシ系の『ひとめぼれ』と大差なく(区別できない)、単純な”高アミロース品種”というわけではありません。
『東北194号』育成の際に行われた際の分析では『ひとめぼれ』19.4%に対して『ササニシキ』19.1%(ちなみに同時期の『コシヒカリ』は20%前後)ですから、多少低いとは言えほぼ同じ値です。
同上の食味特性の分析では、炊飯米表面層の粘りと付着量がコシ系に比べ少なく、さらに表層の硬さも”硬い”との評価になっており、単純なアミロース含有率でその粘りが決まっているわけではなく、米粒の構造でその食味が決まっているようです。
これが絶妙なバランスらしく、炊飯米表層の粘りと付着量が『ササニシキ』より下回ってしまうと、食味官能評価も落ちてしまうようです。


『ササシグレ』に比べて出穂・成熟期は1~2日ほど早い晩生種。
『ササシグレ』よりも穂数の多い穂数型の品種です。
稈長は『ササシグレ』とほぼ同じ70~80cm程度で、稈は弱くなびき易いために倒伏には弱いですが、根元から折れるような倒れ方まではいきません。
いもち病抵抗性は葉・穂共に「極弱」と言われる『ササシグレ』より少し強い程度。
白葉枯病抵抗性も弱く、耐病性は総じて弱い品種です。
千粒重は21g程度で粒がやや細めであるものの、米の品質は腹白や心白の発生が非常に少なく、光沢もよいとされます。


『ササニシキ』の姉妹品種達

『コシヒカリ』がそうだったように、同じ交配雑種後代から複数の品種が育成されています。
平成育種でもたまにあるにある「両親が同じ品種の組合せ」とは違い、「同じ交配後代から育成された」姉妹品種達になります。
ただしいずれも大規模普及までには至らなかったようです。

〇『ふ系60号』
『古交79』のF2種子が青森農試の藤坂試験場に譲与され、そこから育成。
昭和38年(1963年)時点で試験中でしたが、実際の普及実績は無し?

〇『び系54号』
『古交79』F2の譲渡を受けた藤坂試験場(青森県)から山形農試尾花沢試験地に再譲渡が行われ、そこから育成されました。
こちらも昭和38年時点で試験継続中とされ、その後昭和42年(1967年)~46年(1971年)にかけて最大約1,400ha普及したようです。

〇『東北80号』
『東北79号』より1年遅れの昭和39年(1964年)に地方系統名が付与されました。
こちらも試験の結果、一般普及までには至らなかったようです。


そして新興宗教の崇拝対象変な論調が目立つように・・・

平成後半になって表だって目立つことのなくなった『ササニシキ』ですが・・・まず前述したとおり「幻の米」というほどまで生産量減っていないんですよね・・・
ということで現実を無視したスピリチュアルというか変な信仰というか商売の対象になっているようですが、基本的に妄想の類いです。
創作で楽しむ分にはいいですが、無根拠な「体にいい」系の変な話にはだまされないようにしましょう。

〇『ササニシキ』は米アレルギーの心配が無い(わけがない)
→一部の米アレルギー症状が起きにくいと言っている人がいることは確かですが、理由がよく分かっておらず、どのタイプのアレルギーに反応しないかなども分かっていません。
アレルギーの原因は人により様々です。変なサイトが言っていることではなくまずはお医者さんの言うことを聞きましょう。

〇『コシヒカリ』とその子品種はもち系品種!『ササニシキ』はうるち系品種(なわけがない)
→「糯」は量的形質(0~100のいずれか)ではなく質的形質(0か100どちらか一方)です。
「糯に近い」や「粳で糯に近い」なんてことはありません。「糯である」か「糯でない」の2種類しかないのです。
 『コシヒカリ』も『ササニシキ』も粳米ですから、「もちの性質を持つ」なんてことはありません。(繰り言ですが「糯」というのは、メラニンが欠如する「アルビノ」と同じようなものです。色白の人に対して「アルビノの性質を持つ」なんて言いませんよね?「皮膚の色素薄めである」ことと「皮膚の色素が欠如している」ことは似ても似つかないものです。)


〇『ササニシキ』は日本古来のうるち米だから、『コシヒカリ』と違ってもちの祖先を持たない!(から体にいい)(ってどういう理屈?)
→『ササニシキ』の母親の『ハツニシキ』は『コシヒカリ』と姉妹です。
 『コシヒカリ』に「もちの祖先」がいるとしたら、姪に当たる『ササニシキ』だって当然「もちの祖先」を持ってますよね。
と、理論破綻しているんですが、まぁそもそも「もちの祖先」なんてもの自体存在しないのですが(破綻する以前の問題)
あと少し凝ったサイトだとアミロース含有率を引き合いに出していることもありますが、前述したように『ササニシキ』のアミロース含有率はコシヒカリ系の品種と大差ないことも多いです。


アレルギー関係は将来的に因果関係が証明される可能性があるので、全面的に否定できるものではないですが、変な謳い文句と無根拠な効果宣伝に騙されるようなことだけはないようにしたいものです。
「高アミロースだから」とか「モチ系の血を引いてないから」なんて謳い文句で売ってたら間違いなくなんにも分かってない人です。
気を付けましょう。


育種経過


昭和28年(1953年)に宮城県立農業試験場古川分場(農林省指定試験地)において『奥羽224号(ハツニシキ)』を母本、『ササシグレ』を父本として人工交配(『古交79』)を行い、以後選抜固定が進められます。

◇母本の『奥羽224号(ハツニシキ)』は「農林22号×農林1号」五姉妹の次女にあたり、言わずと知れた有名な『コシヒカリ』はその四女です。
基本栄養生長量(期間)が比較的長いために、作期の変動があっても生育期間の変動が少ない、晩植適応性を持つ品種として母本に選定されました。
◇父本の『ササシグレ』は当時の宮城県の主力品種で、その多収性を子品種に導入することを目的に選定されています。

「良食味の二大品種」のように言われる現在の『ササニシキ』の肩書きからすると意外かもしれませんが、この交配は「二毛作に適した晩生品種の育成」を目標に行われました。
戦後間もないこの頃、食糧増産が叫ばれる中で、農地を最大限活用するために1年を通して麦作と稲作を行う「水田二毛作」が奨励されていました。
宮城県はこの二毛作が行える北限地と考えられ、麦を収穫した後の6月の田植えに対応できる多収品種が必要、と考えられていたのでした。

交配翌年の昭和29年(1954年)はF1養成。
昭和30年(1955年)F2世代から選抜が行われます。
現代の育種から考えると早すぎる選抜開始ですが、まだ育種法が確定されていなかった時代はこのように遺伝的にも安定していない早期に選抜を始めてしまうことも常でした。
兎にも角にも選抜にあたって、育種目標に沿った晩播晩植の条件下で栽培されます。
この『古交79』の交配後代は「成熟時の熟色がすこぶる美しい」と評価され、F2選抜の際もそれを指標に個体選抜が行われ、圃場で144個体、さらに室内で穂重その他の形質が加味されて最終的に50個体を選抜します。

昭和31年(1956年)F3世代も同じく晩播晩植栽培、前年の50個体を50系統(系統仮番号『5025』~『5074』)を各56個体播種。
内35系統が選抜されます。(このとき選抜された系統5040番が後の『ササニシキ』)

昭和32年(1957年)F4世代も引き続き晩播晩植。
35系統群(『5369』~『5403』)225系統(※)とし、各系統につき75個体を播種。
この中から45系統が選抜されました。(後の『ササニシキ』は系統『5379-4』番)

昭和33年(1958年)に一つの転換期を迎えます。
より盛んになると予想されていた水田二毛作が昭和28~29年頃をピークに逆に衰微に移っており、古川分場の育種の重点も晩植用品種から一般用品種に移さざるを得なくなります。
そのためこの年より晩植条件での試験をすべて中止とします。
そのため『古交79』F5世代も晩植用品種(二毛作用)ではなく普通栽培用品種としての育種に切り替え、標準栽培下での選抜が行われます。
なお、この年から収量検定も開始されています。
前年選抜された45系統から44系統群(4466~4509番)として220系統各56個体を播種し、24系統を選抜します。(後の『ササニシキ』は系統『4473-5』番)

昭和34年(1959年)F6世代は24系統群(920~943番)120系統として各系統56個体を播種し、13系統を選抜します。(後の『ササニシキ』は系統『923-2』番)
なおこの年から特性検定を開始し、秋田・岩手両県で系統適応性検定が実施されます。


昭和35年(1960年)、前年の試験結果が良好であったため、F7世代において『東北78号』の地方系統名を付与。
関係各県に配布の上、地方での適性確認を行っています。
13系統群(462~474番)65系統(各系統87個体)を播種し、6系統を選抜。(後の『ササニシキ』は系統『464-2』番)
昭和36年(1961年)F8世代は6系統群(218~223番)30系統(各系統87個体)から2系統を選抜。(後の『ササニシキ』は系統『219-3』番)
昭和37年(1962年)F9世代は2系統群(184番、185番)10系統(各系統87個体)から2系統を選抜。(後の『ササニシキ』は系統『184-2』番)

昭和38年(1963年)5月、F10世代において『水稲農林150号』に登録され、『ササニシキ』と命名されます。
同年宮城県の奨励品種に採用され、宮城県内を席巻することになります。


※育種論文の「第1表:育成経過」内では「225系統」となっていましたが、「第1図:育成系統図」では1系統群につき5系統となっているので「35系統群各5系統=175系統」・・・かもしれません

系譜図

母本の『ハツニシキ』は『コシヒカリ』の姉妹、同じ交配雑種後代から生まれた品種です。
『ササニシキ』から見て『コシヒカリ』は伯母さんにあたるので、この関係性はちょうど『ミルキークイーン』と『ミルキープリンセス』の様なものでしょうか?

東北78号『ササニシキ』 系譜図



参考文献(敬称略)

〇みやぎの稲作読本:宮城県農業普及協会
〇水稲新品種「ササニシキ」に就て:末永・高島・鈴木
〇水稲新品種「東北194号」について:宮城県古川農業試験場



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