2021年2月4日木曜日

『滋賀羽二重糯』の親『改良羽二重糯』の正体は?


『滋賀羽二重糯』は『改良羽二重糯』からの純系淘汰により滋賀県で育種された品種です。
これは間違いの無い事実であると共に、ネットで調べれば簡単に出てくる周知の事実です。

では、その『改良羽二重糯』とは何者であるか?
これがまったくわかりません。(わかりますか?)

稲品種データベースなどでも、系譜図には『改良羽二重糯』からしか書かれておらず、どこのどういった品種なのかわかりません。

ということで滋賀県に問い合わせてみたのですが…
より混乱する結果となりました。
が、それらしい答えには辿り着けましたのでご紹介します。

高級糯品種『滋賀羽二重糯』の母親(”生みの親”的な意味で)とも言うべき『改良羽二重糯』、その正体を追ってみました。

目次




滋賀県へ問い合わせ(第1回目)

『滋賀羽二重糯』の記事を作成するにあたり、滋賀県立農事試験場の業務功程を参照していましたが、『改良羽二重糯』の取り寄せ先に関する記述は何もありませんでした。
そこで滋賀県農業技術振興センターに問い合わせたところ、次のような回答を得ることが出来ました。

・「滋賀県稲作指導指針(令和元年3月発行)」に次のような記載がある。
・『滋賀羽二重糯』の選抜元となった『改良羽二重糯』は京都農試からの取り寄せ品種。
・京都農試では在来の『羽二重糯』から純系淘汰により『羽二重糯1号』を育成し、奨励品種に採用。その後昭和7年に『羽二重糯1号』が『改良羽二重糯』と改名され、滋賀農試ではそれを昭和8年に配布してもらった。
・『改良羽二重糯』を試験したところ分離が著しかったため、滋賀農試で昭和9年より純系淘汰を行い『滋賀羽二重糯』を育成した。
滋賀県(平成元年時点)の記録による『改良羽二重糯』関係図(仮)



やっと『改良羽二重糯』の来歴が判明!でも…?

ようやく明確な答えを得ることが出来たとうれしくなりました。(いやかなりいろんな古い資料手当たり次第探したんですよこれでも…)

しかし…しかし待った、と。

滋賀県を信用しないわけではありません。
しかし根拠となっている資料が「平成元年発行」という点に、この時代の調査をするなら基本的には疑いの目を向ける必要があります。(と偉そうなことを言ってますが当時の私は完全にこれを信じていました。)

別の記録ではどうなっているかと言うと…
九大(九州大学大学院農学研究院附属遺伝子資源開発研究センター)では2種類の『改良羽二重糯』が保存されています。
1つは長崎県産、もう1つは京都府産。
そして長崎の『改良羽二重糯』は「『羽二重糯』からの純系淘汰育種」とされていますが、京都の『改良羽二重糯』は「『羽二重糯』と『早生神力』からの交雑育種」となっているのです。

取り寄せ先の県(府)について誤っている…事はさすがに無いだろうと仮定すると

九大の記録が間違っている。
②滋賀県の『改良羽二重糯』の来歴認識が誤っている。
③両者の記録は正しく、京都府では同名異種の『改良羽二重糯』が存在していた。

のいずれか、ということになります。(④全ての記録が間違っている…はさすがにないでしょう…ないですよね?)

京都農試の記録、業務功程を遡りましょう

滋賀県が京都府から『改良羽二重糯』の配布を受けた、のであれば、真相を確かめるには京都農試の記録を遡ってみるしかありません。

「京都農試で『羽二重糯1号』を育成」
「昭和7年に『改良羽二重糯』と改名」
「昭和8年に取り寄せ」

これらの滋賀県の記録は、京都府の記録と合致するのでしょうか?


京都農試育成『羽二重糯1号』の来歴・記述

京都府南桑田郡における在来品種(元来の発祥地かどうかは不明)であった『羽二重糯』は早熟で分櫱も多く、品質の良い品種として知られていました。

この『羽二重糯』について、より稈が強く多肥に耐える多収品種の選抜を目標に、京都府農事試験場では大正9年(1920年)より純系分離による育種に取りかかります。

初年度は京都府南桑田郡から収集された『羽二重糯』を1畝歩(約100㎡)栽培し、55個体を選抜します。
2年目となる大正10年(1921年)、1個体(系統)につき120株を栽植し、特性調査を行った上で成績優良の16個体(系統)を選抜します。
3年目の大正11年(1922年)、『羽二重糯1号』から『羽二重糯54号』(番号中抜けあり)の16系統を各系統5坪(約16.5㎡)栽培し、収量・特性調査を実施し、『1,2,5,7,12,24,38,47号』の8個体(系統)が選抜されます。
大正12年(1923年)も前年と同様の条件で栽培、試験し『7,12,47号』の3個体(系統)が選抜されます。
大正13年(1924年)、有望系統『羽二重糯7号』『羽二重糯12号』『羽二重糯47号』の中から『羽二重糯7号』(実表記『羽二重糯七號』)がもっとも収量が多く、病害虫への耐性があるものとして有望認定されます。
『羽二重糯7号』は『羽二重糯1号』(実表記『羽二重糯一號』)に改称され原種指定・配布が行われました。

改称については明記されていませんが、翌大正14年(1925年)の丹後分場において「七號(羽二重糯一號)を原種に決定」との記載があることから間違いないものと思われます。
早生で品質が特に優れる優良種とされています。

京都府ではこの『羽二重糯1号』を『羽二重糯』として配布しており、途中から原種圃設置名も変更になっていますが、中身は変わらず『羽二重糯1号』で間違いないと思われます。

しかしこれも昭和5年(1930年)には原種圃からその姿を消しています


京都農試育成『羽二重糯×早生神力』の来歴・記述

『羽二重糯』の純系淘汰開始から2年後、大正11年(1922年)に品質良好、かつ早生で多収の糯品種を目標として人工交配が行われます。

母本は『羽二重糯』、父本は『早生神力』です。

翌大正12年(1923年)F1世代から昭和3年(1928年)のF6世代まで、特に選抜等の記述はなく「養成」としか書かれていません。
しかし昭和4年(1929年)の生産力検定試験に『羽二重糯×早生神力3』、『同7』『同9』『同12』『同14』『同17』の6系統が供試されていることからも、いずれかの段階で何らかの選抜は行われたものと推察されます。
昭和5年(1930年)、F7世代では詳細は書かれていませんが、人工交配後代の生産力検定試験に京都農試全体で「12組合わせ32系統」が供試されています。
『羽二重糯×早生神力』交配後代は、前年と同じ系統が供試されたと予想されます。
京都農試全体で「9組合わせ27系統」を次年度に供試すると記載されています。

F8世代も同じく本場の生産力検定試験に供試、この年から『羽二重×早神3号』等に表記が変わりました…のですが
前年度「9組み合わせ27系統」を供試すると書いてあったのに、なぜか昭和6年度の業務功程には「9組合わせ26系統」しか試験結果が記載されていません。
『羽二重×早神』のうち『14号』が姿を消しました。
なにはともあれ『羽二重×早神12号』が最有望とされています。
丹後分場でも試験が行われており、こちらは原種選抜試験に『羽二重×早神3号』と『羽二重×早神14号』の2品種が供試されています。

昭和7年(1932年)、本場の新品種決定試験に4品種が供試され、これが『羽二重×早神』が最後に確認できる年となります。
以降の年は記載が見られません。
※なぜか昭和7年度は『早生神力×羽二重糯』と表記が逆になっていますが、『羽二重糯』と『早生神力』の交配組み合わせは他にないので、今まで追ってきた大正11年交配『羽二重糯×早生神力』後代とみて間違いは無いでしょう。



京都農試の『改良羽二重糯』の来歴・記述

京都農試の業務功程で『改良羽二重糯』が初めて確認できるのは昭和7年(1932年)です。

本場の原種決定試験に『改良羽二重糯14号』が供試され、種子取寄先に「原種」と記載され、これが原種圃に設定されている、もしくは原種とする予定であることが窺えます。
丹後分場の原種選抜試験にも供試されており、『改良羽二重糯3号』と『改良羽二重糯14号』の2品種名が確認できます。 

翌昭和8年(1933年)、本場の耐肥性試験に『改良羽二重糯12号(中稲)』と『改良羽二重糯14号(早稲)』が供試されています。
どちらも肥料2割減の区画で最高収量を記録しています。

そしてこの年から原種圃に『改良羽二重糯』が設定されました。
(ただしなぜか原種圃の作付面積には記載なし)
昭和7年の原種決定試験の記載から推測するに、これは『改良羽二重糯14号』であると推測されます。


3品種の来歴を並べてみると…

ここまで説明した『羽二重糯1号』、『羽二重糯×早生神力』、『改良羽二重糯』の来歴を比較すると以下のようになります。



わかりやすいように品種名に色を付けてみました。
(察しの良い方ならここまでの説明だけで気付いているかも知れませんが)

昭和6年丹後分場の『羽二重×早神3号』『羽二重×早神14号』(生産力検定試験)
昭和7年丹後分場の『改良羽二重糯3号』『改良羽二重糯14号』(生産力検定試験)

昭和7年の『羽二重×早神12号』『羽二重×早神14号』(新品種決定試験)
昭和8年の『改良羽二重糯12号』『改良羽二重糯14号』(耐肥性試験)

『羽二重×早神』供試系統番号が『3、7、9、1214、17』
『改良羽二重糯』供試系統番号が『31214

どうでしょうか。
『羽二重糯×早生神力』の交配後代が奨励品種になったという明確な記述はありませんでした。
『改良羽二重糯14号』を原種とした、と受け止められる記載があっただけです。
しかし、これらの系統番号が共通していることから『羽二重糯×早生神力』交配後代で優秀と認められた系統は『改良羽二重糯』へと改名された、と見るのが自然でしょう。
と言うことは、原種となった『改良羽二重糯14号』は高い確率で『羽二重糯×早生神力14号』と言えるのではないでしょうか。(別々の育種系統同士の選出番号が全く同じでかつ試験供試のタイミングが完璧に合ったなんてとんでもない偶然が重なっていない限り)

『改良羽二重糯』系統については何も説明がなく、急に登場するので、滋賀県の記録を正しいと思っていた私は「なるほど、これが滋賀県の記録にあった『羽二重糯1号』からの純系淘汰後代か」と思って眺めていましたが…
一覧を書き出してみると『改良羽二重糯』の系統番号『3、12、14』はいずれも『羽二重糯×早生神力』の初期試験系統の系統番号と共通していますし、各試験に供試されている系統番号も共通しています。

昭和6年の生産力検定試験に『羽二重糯×早生神力14号』が供試されなかったのも、この時点で原種への指定が内々で決まっていたからではないか…とも推測できます。

滋賀県の記録では「昭和7年に『改良羽二重糯』へと改名」となっていますが、これは確かに京都農試で『改良羽二重糯』の名称が使われた年度と一致しています。
同年に『改良羽二重糯14号』が原種決定試験で「原種」とされていることからも、昭和8年の試験に間に合うように滋賀県が配布を受けることも十分可能でしょう。


以上より
少なくとも京都府で原種(奨励品種)になっていた『改良羽二重糯』については、母本『羽二重糯』、父本『早生神力』の交雑後代から育成された『改良羽二重糯14号』である可能性が非常に高いことが判明しました。

ただ、京都府に他の『改良羽二重糯』と呼ばれる品種はあったことは否定しきれません(悪魔の証明になってしまう…)
なにせ『”改良”羽二重糯』と言う名前ですから、純系淘汰にせよ交雑育種にせよ「羽二重糯を改良したものだ」というニュアンスで容易に命名することが予想されます。
昭和21年(1946年)に京都農試が育成した『新羽二重糯』の親となった『改良羽二重糯』についても、彼女は一体何者なのか、こうなるとわからなくなりました。
『滋賀羽二重糯』の選抜元と同じ『改良羽二重糯14号』なのか?はたまた滋賀県の記録にあるように『羽二重糯1号』純系淘汰系統が存在するのか?

この時代の京都農試業務功程等が図書館になくて調べられません…京都府にも問い合わせたのですが、確かな返答はもらえませんでした・・・・


新事実を元に滋賀県へ問い合わせ(2回目)

さて、可能な限りの事実は積み終わりました。
(『新羽二重糯』はとりあえず『滋賀羽二重糯』の出生に直接関わらないので放置)

・京都農試で『羽二重糯1号』を再淘汰した記述はない。
・京都農試で奨励品種にした『改良羽二重糯』は交雑育種の『改良羽二重糯14号』である可能性が高い。

であれば「滋賀県稲作指導指針(令和元年3月発行)」内における「『羽二重糯1号』を純系淘汰したのが『改良羽二重糯』である」と言う記述の根拠はなんなのか。
平成元年にしてももう30年以上も前のことです。
現職員の方に聞くのも酷ですが、駄目元でこちらの調査内容と、前述の記載の根拠資料はあるかどうか、滋賀県農業技術振興センターへ再び問合せを行いました。

…が
結論としては、やはり根拠は不明ということでした。

しかしながら新しい資料を見つけていただきました。
『滋賀羽二重糯』が奨励品種として採用された昭和14年発行の「滋賀県立農事試験場機関紙「治田(はるた)」第4巻第2号」に、『滋賀羽二重糯』の来歴に関する以下のような記述があったそうです。

「本種は昭和八年京都府立農事試験場より種子の配布を受け試験したが分離甚だしかつた為系統分離を行ひ、改良羽二重糯二十七号として試験し来(きた)つたものである。」

『改良羽二重糯』がどのような品種かは、やはりここでもわかりません。
ただこの昭和14年当時の記述を見ても、「京都農試から種子の配布を受けた」、このこと自体は間違いないようです。

まとめ

『滋賀羽二重糯』の選抜元は、平成元年発行の「滋賀県稲作指導指針」もあることですし、滋賀県の公式としてはやはり『改良羽二重糯(羽二重糯1号)』なのでしょう。

しかしながら
今回の調査結果から、京都府の『改良羽二重糯』は交雑育種の『改良羽二重糯14号』でほぼ間違いはありません。
別系統の『改良羽二重糯』が存在したこと自体は否定しきれませんが、やはり滋賀県の記録通り「羽二重糯→羽二重糯1号→改良羽二重糯」と2回も純系淘汰を挟んでいながら、なお分離が著しいというのも少し不自然に感じます。
在来種『羽二重糯』とは言え、仮にも試験場が2段階の純系淘汰をしたものが“著しい”と言われるほど分離するのでしょうか?
交雑育種後代の『改良羽二重糯14号』であれば、まだその可能性はあると思います。
…と言いつつも、昭和7年の配布時点で雑種第10代ですから、これが「著しい分離」をするのもまたおかしい話ではあるんですが…
純系淘汰後代よりはまだ交雑後代の方が比較して可能性は高いんじゃないですかね(なげやり)

と言うことで、墨猫大和独自判断により

『滋賀羽二重糯』の選抜元は『改良羽二重糯14号』である
(可能性が非常に高い)

と結論づけたいと思います。
当時の別資料、別情報お持ちの方、情報提供お待ちしております。



最後に
対応いただいた滋賀県農業技術振興センター様に改めてお礼申しあげます。



参考文献

〇業務功程 昭和9年度~昭和10年度:滋賀県立農事試験場
〇業務功程 大正9年度~昭和8年度:京都府立農事試験場
○滋賀県稲作指導指針(令和元年3月発行):滋賀県
〇滋賀県立農事試験場機関紙「治田」第4巻第2号:滋賀県立農事試験場


0 件のコメント:

コメントを投稿

ブログ アーカイブ

最近人気?の投稿