2021年2月14日日曜日

【酒米】交系290号~五百万石~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『交系290号』
品種名
 『五百万石』
交配年
 『昭和13年(1928年) 新潟県農事試験場長岡本場』
育成年
 『昭和32年(1957年) 新潟県農業試験場』
交配組合せ
 『菊水×新200号』
主要生産地
 『新潟県、富山県、福井県』
分類
 『酒造好適米』

五百万石、よろしく。さて、いつまで現役をやらされるやら…


どんな娘?

酒米っ娘の平成ナンバー2。
かつて長期にわたって首長を務めていたこともあり、山田錦の補佐だけではなく代役もそつなくこなすクールビューティー。
冷静沈着で、常に落ち着き払った対応で東北酒米っ娘達の中でも羨望するものは多い。

彼女ほどの古参でも山田錦、雄町と諸先輩からは子供扱いされてしまうこともあるが、本人はまんざらでもない様子。
浮き沈みのあった前者と違い、現場に出てからこの方、常にトップに立ち続けてきた彼女はもしかしたら誰かに甘えたい気持ちがあるのかも…


概要

米王国新潟県の誇る酒米品種、『五百万石』の擬人化です。
淡麗できれいな酒質の日本酒が出来るとされています。
育成当初の醸造試験の言葉を借りるなら「色沢淡麗で、酒味は濃厚で幅に富み、かつ押味も十分。酒質は滑らか。」だそうです。

心白が大きく、酒米の中では粒が小さい部類に入るため高精白は難しく、50%以上削るのは厳しいために高級酒の醸造には向かないとされています。

品種名の由来については、新潟日報に掲載されていた新潟農試の国武氏の回想に依ると以下の通りです。
『交系290号(後の五百万石)』育成完了後、当時の新潟県農業試験場長である杉谷氏が『越南17号(後のコシヒカリ)』の時と同様に国武氏に対して品種名を考えるように言ったそうです。
国武氏は「大きい籾がきれいにさがる」様から『玉すだれ』という品種名を用意しました。
しかし当時の北村一男新潟県知事からどうしても自分で命名したいという申し出があったそうです。
国武氏曰く、北村知事からは「1955年には新潟のコメ生産量が五百万石(約75万トン)を超えていたため、酒米『五百万石』とさせてくれ…」との申し出があったとか。
ちまたで言われている「生産量500万石達成を記念して命名」は脚色なのか、実際知事が「記念して」と発言したのか不明です。(意図としてはそれほどねじ曲げられているとは思いませんが…)
これを整理すると
「昭和30年(1955年)に新潟県の米生産量が500万石を突破したことから、昭和32年に『五百万石』と命名」となるでしょうか。
と、言いたいところなのですが、ここにもやや疑義がありまして…
昭和30年の新潟県の米生産量は新潟県年鑑1957年版によれば483万6千石、新潟県農林部の稲作実態調査では495万6,452石、新潟県統計年鑑では494万700石で、数字にばらつきがあるもののいずれも500万石を超えてはいません。
しかしながら、新潟県統計年鑑における水稲収穫高は昭和33年版から容積(石)表示から重量(トン)表示に変わっているのですが、これに依れば昭和30年(1955年)の水稲収穫高は76万9,100トンで、記事中の表現にあるような「約75万トン」を超えた年であることは確かであったりします。
容積1石は重量として約150kgとされることが多いので、当時の北村知事がこれを踏まえて「1955年に米生産量が五百万石を突破…」と言った可能性はあります。
ただしここからややこしいのですが、容積で言う500万石を超えたのが昭和32年(1957年)であるということです。(推定で525万300石)
さて、何が真実でしょうか?



今となっては『山田錦』の後塵を拝していますが、戦後最長となる酒造好適米作付面積連続34年間1位の記録を持つ大物品種です。
登場した昭和33年(1958年)から毎年約1,000ha単位で作付面積が増え、昭和42年(1967年)には6,123haに達し、『山田錦』を抜いて作付面積1位となります。
昭和54年(1979年)には最大面積となる8,209haに達し、平成13年(2001年)まで1位を継続していました。
山形県以南から九州に至る(令和3年現在で)22府県で産地品種銘柄が設定され、幅広く栽培されています。

育成地における早生品種です。
玄米は大形で厚みがあり(千粒重約25g)ますが、『山田錦』や『雄町』などのいわゆる大粒種(千粒重約28g)と比べて小粒と称されることもあります。
心白は眼状が主で極めて大きく、このために高精白は難しいとされています。
腹白は少なく、育成当初、酒造好適米としての品質は最上位と称されました。
穂数が少なく、穂長の長い穂重型の品種です。
やや長稈(約85cm)であり、稈はやや太いものの、粗剛でやや脆いため耐倒伏性は「やや弱」との判定です。
葉いもち病抵抗性は「中」、穂いもち病抵抗性は「やや弱~中」、真性抵抗性遺伝子型は【Pii】と推定されます。
白葉枯病抵抗性は「弱」、紋枯病抵抗性は「中」です。



育種経過

※基本的に昭和21年以降の内容については「新潟県農業試験場研究報告(8)」に基づいて記述しますが、正直言ってこの内容かなり怪しいです。
新潟県農事試験場の業務功程は昭和16年(1941年)までしかなく、昭和17~29年はこういった性質の刊行物はないと令和現代の新潟農総研では言っています。
よって『五百万石』の育成経過を業務功程で追えるのは昭和13~16年の間だけですが、この短い期間でも「業務功程」と「新潟県農業試験場研究報告(8)」の間にかなり情報の齟齬があります。
交配番号が違う、供試系統が違う、この有様だと昭和17年以降の情報もかなり怪しいです…
交配から20年近く経ってからまとめられたものですから、当時(昭和30年頃)の職員がかなり雑な仕事をした(自分たちが直接育成に関わっていない系統だから?)のではないでしょうか。
業務功程は昭和各年度の実際の試験記録と合致しているので、「新潟県農業試験場研究報告(8)」(以下、便宜上「研究報告」と略称)の情報の方が間違っていると言うことで良いと思われます。
とは言え、昭和21年以降の試験記録は入手できませんでしたので・・・


昭和20年以前の情報は「業務功程」及び「新潟県農事試験場の試験記録」
昭和21年以降の情報は「研究報告」
に依って記述します。


昭和13年(1938年)、新潟県農事試験場長岡本場において『菊水』を母本、『新200号』を父本として人工交配を行います。
交配番号は『38.13』(19"38"年の"13"番目の交配)です。(研究報告では『38.4』とされていますが、昭和16年度業務功程の記載に依ればその系統は『陸羽20号×農林1号』なので誤っています。)

昭和14年(1939年)はF1養成が行われます
養成、とはしながら3粒播種された内の2株から採種したものを翌年の試験に回したようです。

昭和15年(1940年)は「雑種第2個体選抜試験」が実施されています。
前年の2個体を2個体群として栽植(『13-1』および『13-2』)し、選抜が行われました。
(研究報告では”600株の栽培を行った”としか書かれていませんが、業務功程や試験記録では選抜されていることは間違いないので誤りです。)
実際に栽植された個体数は当時の試験記録にも残っていないので不明ですが、この年は29株(系統)が選抜されました。
個体番号は『2』~『121』(途中抜け番あり)です。

昭和16年(1941年)、交配番号『38.13』F3世代は29系統に対して試験番号『432』から『460』が付され、育成試験が行われます。
これら29系統を栽植、『銀坊主中生』を標準品種として『435』『437』『447』『452』『456』『459』の6系統30個体(各系統5個体ずつ)を選抜します。(研究報告では20系統栽植、内2系統選抜と間違った情報が記載)

昭和17年(1942年)、F4世代は前年の6系統30個体を6系統群30系統として『251』~『280』の系統名が付され、選抜が行われます。
この中から何系統が選抜されたのか不明ですが、おそらく『268』(昭和16年の系統『452』の個体番号『7』)が翌年『交系290号』となります。
「おそらく」と言うのも・・・
翌1943年の試験記録には、20番目の保存系統として『交系290号』の系統名が既にあり、その脇に「〃268」と読み取れる文字が記載してあります。
正直これが数字の「11」か「〃(同)」かは断定が出来ないことと、他の保存系統の欄が黒塗りにされ上下の系統名が確認できないので不確かなのですが・・・
仮に「〃(同)」だとしたら、上記の『251』~『280』系統の中から『268』が選抜されたということかもしれなく、かつ保存系統の中に『38.13』の交配後代が他にもあった可能性があります。
つまり、上には「菊水×新200号」と合わせて他の系統番号が書かれて(「菊水×新200号 251」のような)おり、その下段に書かれた『交系290号』は「〃268」という表記になったのでは・・・?ということで
このあたりは新潟県に再度資料請求ですね。

そして昭和18年(1943年)F5世代から昭和20年(1945年)F8世代の期間は『交系290号』の名前で系統保存栽培を繰り返しています。(このことからも”昭和19年(1944年)F6世代で有望と認められ、『交系290号』の地方系統名が付された”という研究報告の記載は誤りで、昭和18年には既に『交系290号』の系統名が付されています。)
系統保存栽培だけかと思ったのですが、昭和20年(1945年)はなぜかいもち病耐性検定試験に供されていました。

終戦後となる昭和21年(1946年)F8世代から育種は一次停止状態に入った…と、とりあえずここからは「新潟県農業試験場研究報告(8)」に従って記述するしかないのでこう書きますが
昭和18年から既に系統保存に入っていましたよね…まぁでも一応昭和20年にいもち病耐性検定試験をしているので昭和21年から一次停止…でも矛盾はないようなあるような?
兎にも角にも、1系統群1系統90個体播種の系統保存期間に入り、昭和28年(1953年)15世代まで続きます。
(この間、昭和25年に試験場名が「新潟県農業試験場」に改称されています。)

昭和29年(1954年)から育種試験が再開され、生産力検定その他試験が実施されます

昭和29年F16世代では特性検定試験が実施され、対照は『たかね錦』『北陸12号』『亀の尾1号(新潟県)』が用いられました。
葉いもち病、穂いもち病、小粒菌核病、紋枯病に対する耐性が試験されます。
また同じく長岡本場で生育及び収量試験を実施します。
対照品種は特性検定試験と同様です。

昭和30年(1955年)F17世代では特性検定試験を継続(対照品種は同様)。
生育及び収量試験は長岡本場に加えて中条支場、佐渡支場でも実施されます。
本場の対照品種は『たかね錦』のみ、支場では『たかね錦』と『亀の尾1号(新潟県)』です。
また老朽化田適応性検定試験と苗代日数感応度、及び感光性検定試験も実施されています。
そして地方での現地試験も実施され、北蒲原郡川東村宮古木及び新井で『たかね錦』と『亀の尾1号(新潟県)』を対照として本場に準じた栽培基準で試験が実施されました。

昭和31年度(1956年)F18世代でも特性検定試験を継続。(対照品種から『亀の尾1号(新潟県)』除外)
老朽化田適応性検定試験と苗代日数感応度、及び感光性検定試験、そして本場での生育・収量試験は継続されます。
またこの年は南魚沼郡城内村委託試験地において、冷水掛流栽培による耐冷水性検定試験が実施されました。
対照品種の『新7号』(不適)より強く、『たかね錦』『万代早生』と同様の「やや適」の判定でした。
同様の新試験として倒伏難易度検定試験も実施され、耐倒伏性は「中」と判定されます。

また新潟県内全域での団地栽培試験の実施もこの年です。
北蒲原・宮古木で12圃場、岩船・中浦で3圃場、栃尾で2圃場、中魚・津南と新井で1圃場ずつ、計19圃場での大規模な栽培試験です。
さらに北蒲原郡宮古木で栽培された『交系290号』の米を使用して、新潟県醸造試験場で醸造試験を実施しました。
総評として『交系290号』は当時の新潟県酒造好適米『たかね錦』や『北陸12号』に比べて遙かに品質が優れていると評価されています。
玄米の外観品質は関西産の『竹田早生』や『山田錦』よりも優れているとされました。

昭和31年度は最後の選抜が実施され、1系統群10系統(『1』~『10』)各系統90個体が播種され、2系統(『7』,『10』)が選抜されます。
このうちの『7』が『五百万石』となる系統です。

昭和29~31年の試験の結果
『交系290号』は『たかね錦』よりも収量は劣るものの、『北陸12号』『亀の尾1号(新潟県)』と同等で、千粒重も重く(粒が大きく)、玄米品質は対照品種評価「中」~「中上」に対して『交系290号』は3年とも「上」と、明らかに優る評価となりました。
耐病性についても紋枯病耐性は対照品種と同等、葉いもち病は『たかね錦』並の「中」で他2品種「弱」~「やや弱」より優ります。
穂いもち病は『たかね錦』『北陸12号』の「中」より劣りますが『亀の尾1号(新潟県)』並の「やや弱」でした。

以上より、従来の主力品種に比して耐病性・収量性はほぼ同等かそれ以上で、玄米としての品質、千粒重は優り、醸造酒の品質も優れたと判断された『交系290号』は昭和32年(1957年)に新潟県の優良酒米(酒造米)品種として認められました。
命名年に関する詳細な記述は見つけていないので推測ですが、この年に国武技師の用意した『玉すだれ』ではなく、北村知事の考えた『五百万石』が命名されたものと思われます。

翌昭和33年(1958年)には1,047ha、昭和34年(1959年)には2,709ha、さらに昭和35年(1960年)には3,505haと急速に普及していきます。
昭和42年に日本一の酒米作付面積となり、以後平成の世に再び『山田錦』にその座を譲るものの、令和になってもなお重要な酒米品種として重役を果たしています。


系譜図

交系290号『五百万石』系譜図



参考文献

〇酒米新品種「五百万石」:新潟県農業試験場研究報告(8)
〇業務功程 昭和14~16年度:新潟県農事試験場
〇新潟県農事試験場育種部試験記録各種
 ・昭和十三年度試験設計書
 ・昭和十三年度試験成績書(系統之部)
 ・昭和十四年度試験設計書
 ・昭和十四年度試験成績書(系統之部)
 ・昭和十五年度試験設計書
 ・昭和十五年度試験成績書(系統之部)
 ・昭和16年(原表記まま)
 ・昭和十七年度水稲品種育成ニ関スル試験
 ・系統/1943 系統保存栽培
 ・系統/1944 系統保存栽培
 ・系統/1945 系統保存栽培
 ・/1945 稲熱病耐病性検定試験
〇新潟日報2009年7月8日夕刊
〇統計から見た新潟県の米(昭和29年):農林省新潟統計調査事務所
〇新潟県統計年鑑昭和31~33年:新潟県統計課



関連コンテンツ

令和2年(2020年)現在の年齢 『ヒヨクモチ』よりも年上です









0 件のコメント:

コメントを投稿

ブログ アーカイブ

最近人気?の投稿