2020年3月29日日曜日

【粳米・酒米】~亀の尾~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『ー』
品種名(在来)
 『亀の尾(亀ノ尾)』
育成年
 『明治30年(西暦1897年) 山形県 阿部亀治氏
交配組合せ
 『惣兵衛早生より系統選抜』
主要生産地
 『ー』※純系淘汰品種『亀の尾4号』が秋田県で銘柄指定。
分類
 『粳米』
「…亀の尾です。日本の行く先に、これからも幸多からんことを…」


どんな娘?

米っ娘たちのとりまとめ役、太夫元六米の一角。

”米っ娘”とネーミングしておきながらも、『亀の尾』ほどの古株となると擬人化する際に頼りがいのある”姐さん”イメージが強くなってしまいます…

日本の美味しいお米の基礎を築いた大功労者で、皆の良きお姉さん(お母さん)として米っ娘達を取りまとめています。
一時期隠居気味でしたが、最近また脚光を浴びて純系淘汰後代品種達の現役復帰もチラホラ。

どの品種よりも長く日本の稲作とその変化を見てきた彼女は、今も変わり続ける日本の稲作と社会を見つめ続けています。


概要

一般的に、現代日本の「良食味粳米の始祖」とされる米は二つ。(色々異論はありますがさておき)
『旭(朝日)』とこの『亀の尾(亀ノ尾)』です。
大正~昭和初期にかけて、共に日本の東西で名を馳せた良食味米でした。
彼女達の良食味は極良食味米『コシヒカリ』に受け継がれ、その『コシヒカリ』からさらに多くの平成良食味米達が生まれていきました(と言う説があります)。

明治の時代、我が山形県で阿部亀治氏の手によって育てられ、その後の米基礎の一端を築いた『亀の尾』。
冷害による被害が目に余る時代に、何としても冷害に遭う前に登熟出来る育成の早い品種を誰もが求めていた時代。
そんな時代の求めていた能力を持つ品種として東日本を席巻し、かつ食味も良いとして、まさに当時の「作りやすく美味しい」品種であった『亀の尾』。
冷害に強い(この場合、冷害に遭う前に熟しやすいと言う意味と思われ)ことから農家の助けになるだけでなく、食べる消費者の視点からも素晴らしい品種だったことでしょう。(とは言えこの時代品種名を表示して売っていたかどうか・・・)
なお、低い水温でも育ちやすいという話もありますが伝聞の類いなので果たしてどこまで本当かはわかりません。

彼女の目に、米から離れていく現代の日本人はどう映っているでしょうか…?

『亀の尾』とその純系淘汰品種たちで紹介していますが、純粋な在来『亀の尾』と言うよりは、後代の『亀の尾系品種群』の栽培は各地に広がり、大正8年(1919年)に東北地方での作付けが約16万haと最盛期を迎えます。
ちなみに大抵は『亀の尾◯号』のように「亀の尾」に番号を付けたものが多いので同一視する人が多いですが、基本的には純系淘汰して固定したこれらの『亀の尾系品種群』は元々の『亀の尾』とは別品種です。
秋田県には大正に『日吉』という品種が普及していますが、これも『亀の尾(在来)』からの純系淘汰品種です。(なぜ『亀の尾◯号』としなかったのか…今のところ謎です。)

しかしその後、『陸羽132号』を代表とする新品種達の登場により徐々に作付面積を減らし、昭和14~19年(1939~44年)にかけて『亀の尾系品種群』は各地の奨励品種から姿を消しました。
1970年代には(統計上は)完全に栽培が途絶えたとされています。(実際零細で作り続けていた人もいたでしょう・・・純度は兎も角)

ちなみにこの『亀の尾』、「粳米」に分類してはいますが、大粒なことから酒造用にも適しているとされています。
そんな彼女にスポットが当たり、1980年前後には復活の動きが進み、今現在日本各地で栽培されているようですが、銘柄設定は純系淘汰の『亀の尾4号』が秋田県だけ。
※正直、「亀の尾使用」というお酒にいったいどんな品種のお米が使われているのか(本当に『亀の尾』なのか、ちゃんと系統維持管理しているのか)全く持って不明瞭。
銘柄設定されていないので「お米」として売るには品種名が表示できず、ちゃんと管理されているかもわかりませんが、無法状態関連記事:短稈渡船を追え【番外編】~の日本酒の原材料なら表示できるので、酒造関係での使用がメインのようです。


※「本来の原種となると『亀ノ尾』の表記が正しい」とのことですが…(R1時点ウィキ◯ディア)
実際この時代は平仮名ではなくすべてカタカナ表記だったようなのでその通り、ではあるようです…が
そういうことを言いだすと、当時は英数字は使わずすべて漢数字でしたし(1、2ではなく一、二乃至壱、弐)、漢字も難しい方を使っていることが多い(「国⇒國、号⇒號」)ですし
ならば現代の仮名遣いに基づいて表記すれば、平仮名でいいのかな、と。
という訳でこの『亀の尾』の表記としています。

『コシヒカリ』との関連性

『コシヒカリ』につながる系譜としては、『コシヒカリ』の父親『農林1号』のさらに父親『陸羽132号』まで遡ります。

この『コシヒカリ』の祖父に当たる『陸羽132号』の父親、『コシヒカリ』から見て曾祖父が『亀の尾4号』となっています。
この『亀の尾4号』は在来『亀の尾』から農事試験場陸羽支場(現:東北農研センター大仙拠点)が純系淘汰法により育成した品種です。
東日本津々浦々で栽培されていた『亀の尾』の子品種達が全て祖先と言うわけではなく、この秋田県陸羽支場育成の『亀の尾4号』が、俗に言う良食味の始祖、その祖先となります。
実際「純系分離」とは言いますが、それがもともとの品種のブレなのか、自然交配なのか、突然変異なのか、知る術がないので、まったく性質の違う『亀の尾系品種群』も当然あったはずです。

確かめようもないのなら
墨猫大和独自ルールで「品種として区別されているのだから別の品種」として、在来『亀の尾』とは別の品種『亀の尾4号』である、と考えます。



現代の『亀の尾』(非常に謎が多い…)

酒米としての使用が多く、秋田県では純系淘汰の『亀の尾4号』が指定されてはいますが、日本中やたらめったら雑に「亀の尾」が作付けされているようです。
正直、これだけまばらな状態で、農家さん側でちゃんとした原種管理や系統保存を行っているか非常に不透明です。
本当にちゃんと『亀の尾』の特徴を残した稲が栽培されているのか…(そもそもの特徴とは?)

確認出来る限りでは

新潟県(夏子の酒モデル)はジーンバンクから取り寄せた『亀の尾』(系統不明)
秋田県大潟村では元農商務省農事試験場陸羽支場が選抜・育成した『亀の尾4号』(推測)
山形県高畠町二井宿では阿部亀治氏の子孫が県試験場に寄贈した『亀の尾』(ただしこれが山形県で普及していた『亀の尾(山形県純系淘汰種)』なのか亀治氏の子孫が独自に系統保存していたものかは不明)
島根県の「五郎之会」は秋田県大潟村から種子を取り寄せとのことなので『亀の尾4号』(陸羽支場育成)



基本的に日本酒業界で語られる「酒米品種の話」は「三国志演義」のような創作物だと思われます。
創作物を楽しむのは個人の自由ですが、それを元に史実を語るのだけはやめて頂きたいものです(私見)。

ジーンバンクには「元祖亀の尾」の名で保存されている系統もありますが、正直これも怪しいモノです。
ちなみに農研機構側は「元祖」がついていることを種子受け入れの否定理由には出来ないでしょうから、「ジーンバンクに保存されている=国に認められた元祖なんだ!」という変な理解はしないようにしましょう。
実際「本当の亀の尾とは?」に対する答えは明確で「誰にもわからないし、証明のしようがない」です。
証明も出来ませんが、否定も出来ない、それでいて品種の定義には一切関係のないことで農研機構が手を煩わせる理由もないので「まぁあなたはそう信じているんですね」程度で流したものと思われます。
『短稈渡船』でもはっきりしていますが、品種がどのようなモノかわかっている人間・組織なら「これが元祖です」なんて支離滅裂なことは決して言いません。(変な人間はどこにでもいるので言っている可能性はありますが)

そもそも”元祖”とはなんでしょう?
特性表が存在せず、品種の概念も非常に曖昧だった時代のモノをそもそもどうやって定義しているのか?まったくわかりません。
「誰かにとっての真実」はあるのでしょうが、根拠を示してもらわないと信頼性は非常に低い(個人の思い込みでしょう)ものと捉えざるを得ません。
酒蔵も良く使うんですが「公的機関が関わって調査した」とか、「遺伝解析したんだ」とかを誇ることが多いですが、全くの無意味なのでやめてください。
どの根拠資料に基づいてどのような論拠でどのように比較してその結論に至ったか、論理的な主張をお願いしたいものです。




育種経過(情報取集中)

もともと篤農家が多く、品種研究の盛んな山形県庄内地方。
そんな山形県東田川郡大和村の小出新田集落(現在の庄内町)の阿部亀治氏は、当時では非常識とまで言われた湿田の乾田化に取り組むなど、農法の改善にも積極的に取り組んでいました。
そんな亀治氏はその一環として、当時の庄内地方が抱えていた問題「冷害」「風害」「病害虫」への解決策として、何とかこれらに強いイネは無いか、育成期間の短い早生種は無いかと探し求めていました。

そんなあるとき小出新田集落にかつて(若勢として)居住していたことのある立谷沢の久兵衛氏が十数年ぶりに訪ねてきました。
久しぶりの再会に話が弾む中、月山の冷水でもよく育成した『惣兵衛早生』と言う品種が、最近は倒伏や節折れが酷く困っているという話になったそうです。
自家受粉をする水稲であっても、”品種”はしっかりと管理を続けなければ優秀な性質は失われてしまうもので、それは昔も今も何も変わりません。
”品種”に対する理解の浅い農家が、毎年漫然と種を取り栽培を続けているうちに当初の優秀な性質が失われてしまったのでしょう。

「しかし、当初の優秀な性質(耐冷水性)を残している個体もあるのではないか?」
…と亀治氏が考えたかどうかは分かりませんが

この『惣兵衛早生』がどうしても気になった亀治氏はこの後、刈取期を狙って、冷立稲(水温の低い水口に植えられた稲)の中に優秀な性質を残した稲がないかしばしば立谷沢を訪れたそうです。
そして冷害年となった明治26年(1893年)、立谷沢の熊谷神社に参拝した帰り、多くは冷害の影響を受け倒れている在来種『惣兵衛早生』の中に、立派に実っている3本の穂を発見します。
しかもその水田は山の水を取り入れていたらしく(山水は非常に冷たく、稲が育ちにくい)、その様な状況で立派に実っているその個体は、寒さに非常に強いことがうかがい知れました。
亀治氏は水田の所有者にお願いし、この3本の穂を譲ってもらい、翌年からこの冷害に負けなかった稲の栽培を始めます。

翌年、翌々年と行った栽培では、施肥管理や水管理がうまくいかず、丈が伸びすぎて倒れてしまい、うまくいかなかったそうです。
3年目となった明治29年(1896年)、冷たい水口(田んぼの水の取り入れ口)に植え付けたところ、1本だけ実った穂があり、これを元にさらに選抜を進め、足掛け4年となる明治30年(1897年)、ようやく品種として安定するに至ります。

登場初期は『新穂』、『神穂』、『新坊』とも(『神穂』が個人的にはお気に入り。)呼ばれたそうです。
友人である太田頼吉氏の勧めで、品種名については亀治氏の名前から一字とって『亀ノ王』が良いのではないかとの提案があったそうですが、阿部亀治氏は「王と名乗るほどのものではないよ。せいぜいしっぽ(尾)くらいのものだ。」とのことから『亀ノ尾』になったそうです。

従来の品種に比べて茎が長くしなやかな『亀の尾』は風に吹かれても比較的倒れにくく、少ない肥料で多収(…というのが山形県の純系淘汰『亀の尾』のことなのか、在来当初の『亀の尾』のことなのか未確認)だったそうです。

その後明治38年(1905年)、宮城県と福島県が大凶作への対応として導入、また個々人への配布も行われ、北陸・東北の基幹品種となりました。

なお現代基準で障害型耐冷性試験をしてみると「亀の尾系品種」で特段耐冷性の高さを示すものはないようなので、そこから推定されるこの「冷害に強い」は、冷水下でも素早く成長し、障害型冷害に遭う前に熟すことが出来る「早生」だったのかも知れません。


系譜図

『亀の尾』系譜図

参考文献(敬称略)


〇浪漫・亀の尾列島:小松 光一
〇つや姫 美味しいお米の源流「亀の尾」:https://www.ajfarm.com/1877/

2 件のコメント:

  1. 久しぶりの投稿キターーーーーーーーーー‼︎(≧▽≦)

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    1. どうもです~
      米っ娘達の太夫元六米(造語)、いわゆる始祖(現代品種に対して近縁係数が高い)と呼ばれる在来六品種をここ一週間ぐらい(多分)であげたいと思ってます(…多分)
      多分…

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