2022年12月10日土曜日

【酒米】~強力1号(強力)・但馬強力~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

系統名
 『-』
品種名
 『強力1号(強力)』※兵庫県の産地品種銘柄は「但馬強力」で登録
育成年
 『大正4年(1915年) 鳥取県立農事試験場』
交配組合せ
 『在来種強力の中から選出』
主要生産地(平成~令和現代)
 『兵庫県』
分類
 『酒造好適米』※現代の区分による

我が強力じゃ、ん…いや今やそれは小妹のほう、か。
ならば…うむ、我は”但馬強力”じゃて。



※管理人独自論が多く含まれます(が、あくまでも大正時代当時の試験場の記録を根拠にしているので、むしろ世間一般の説はナニを根拠に色々言われているのでしょう?)※

どんな娘?

鳥取の強力姉妹の長女。

妹と同じく長身・すっきりとした美人。
容姿も妹と瓜二つながら、”お山”の大きさでわずかながら負けていることは密かに気にしている…とかいないとか。(いやゆうてさほど差は無いと思うんじゃて(本人談))

妹である強力2号と離れた地ながらも奇しくも同じ平成に復刻したが、本人らに特に感慨は無い様子。
ちなみに同じ兵庫県で復刻された伊豫辨慶1号とは鳥取・兵庫両県においての顔馴染みだが、鳥取県では「強力1号と辨慶1号」として、兵庫県では「但馬強力と辨慶」としての間柄だったため、互いの名を呼ぶときは多少混乱も見られる。

優しく人と接し、物腰も柔らかい妹と比較して、表面上の話しぶりは同じなのだがグサリと人に突き刺さるようなキツい物言いをすることがある。



概要

兵庫県で復刻栽培されている『強力1号』もとい『但馬強力』の擬人化です。
"但馬強力"と書いて”たじまごうりき"と読みます。

現代では「兵庫農試但馬分場が育成した”但馬強力”」なんてことが広く言われていますが、『但馬強力』は鳥取県の奨励品種『強力1号(強力)』の異名同種です。


復刻品種毎度恒例で、『強力』は特に酒造業界(と、採用機関の兵庫農試)の情報発信が雑すぎて間違った情報発信が多々見受けられる有様です。
また、一番有名で広がっていると思われる「酒米ハンドブック」ですら間違っているんです…繰り返しになりますが兎にも角にも「兵庫農試但馬分場が育成した」間違いです。
(詳しくは後述の育種経過にて)


現在「但馬強力」と呼ばれている品種は、兵庫県農林水産技術総合センターから譲り受けて復活させたと言われているようなので、兵庫県で昭和3年(1928年)に奨励品種に採用され昭和9年(1934年)を最後に姿を消した『但馬強力』かと思われます。
そしてそれは鳥取県農事試験場が選抜の上『強力』として大正4年(1915年)に原種指定、そして大正10年(1921年)に改名された『強力1号』の異名同種と思われます。


鳥取県の在来品種『強力』は、明治24年(1891年)に鳥取県東伯郡の渡邊信平氏が県内外から21種類の在来種を収集し、その中から選抜・命名した個体が始まりとされています。
その後鳥取県内で普及したモノを県農事試験場が収集し、奨励品種採用や純系淘汰育種を行い、『強力(後の『強力1号』)』や『強力2号』が育成されました。

『強力(1号)』は大正4年(1915年)から原種指定、大正10年(1921年)に『強力1号』に改名、その後昭和7年(1932年)を最後に原種圃から姿を消しています。
妹の『強力2号』は大正14年(1925年)には種子配布量で姉の『強力1号』を抜き、原種圃で確認できる最後の年は昭和20年(1945年)となっています。
『強力2号』に関してはその後数年で栽培が途絶えたとされていることが多いようです。

これら『強力1号』『強力2号』両品種は、少なくとも大正末期には鳥取県内の水田面積の約30%(約10,214.75町歩:2品種合計)を占めるなど一時代を築いたわけですが、先に『強力』として原種指定されていた後の『強力1号』について、兵庫県農事試験場但馬試験場が取り寄せ、優秀と認めて採用され、独自の名称を付けられたものが『但馬強力』となります。



”昔は食用米の『強力1号』(つまり『但馬強力』)、酒米の『強力2号』として普及”とか言ってる酒蔵もあるようですが…区別されていた様子はありません。
現にこのように『但馬強力』は兵庫県で酒造米として採用されているわけですし…?
何を根拠に言っているのかが不明なのでなんとも言えませんが。

兵庫県における『但馬強力』としての評価は(昭和4年時点)
試験地における早生、とされながら熟期がやや遅いともされているので中生寄りと評価されていたとも受け取れます。(鳥取県では「中生」)
稈長は約135cm程度で穂長は約21.5cm、穂数は約11本の偏穂重乃至穂重型品種です。
鳥取県の各種試験時でも『強力2号』とほぼ変わり無い様子でしたが、兵庫県では若干稈が長いように見受けられます。
長稈でかつ穂重型、つまり穂が重いため、耐倒伏性が弱いことが推定されます。
収量は2.889石(3ヶ年平均)とされているので、単純な重量換算で430kg/反ほどでしょうか。
大正14年時点の評価で『強力2号』が『強力1号』に比して7.5%の増収であるとされていましたが、兵庫県における『但馬強力』の結果だけを単純に見ればそれほど差は無いようにも思えますが…こういうものは単純比較出来ないのでなんとも言えません。
米穀に関して具体的な数値の記載はありませんでしたが「粒型大」「心白多」「品質上」と評価されていました。



育種経過

鳥取県農事試験場では大正4年(1915年)に経年品種比較してきた11品種を原種指定します。
『茶早稲』『奥州』『丸山』『皇國』『福山』『芋釜』『福吉』『青木』『亀治』『早大関』そして『強力』です。
この『強力』らについては明確な純系淘汰試験が行われたものではありませんが、経年選抜により優秀な固体を選出・固定してきたものと推察されます。
その”経年選抜”をいつから行ってきたかは不明ですが、大正4年以前の試験報告については、明治39年(1906年)時点のものまでしか見つけられておらず、なおかつこの時期は栽培法の試験のみで品種改良について記載がありませんでしたので明治40年以降のいずれかの時期で始まったと思われます。
鳥取農試ではこの原種指定を行ったこの年から本格的に品種改良試験を開始し、強力系統としては『強力2号』が大正10年(1921年)に育成完了・原種指定を受け、同年原種指定されていた『強力』も『強力1号』と改名され、鳥取県の主力品種として普及していきます。


この『強力』を取り寄せて品種比較試験を行ったのが兵庫県農事試験場の但馬分場です。
と言うことで舞台は兵庫県に移るのですが、少しばかり時間を遡ります。
兵庫県農事試験但馬分場が正式に設置されたのは大正10年(1921年)のようですが、少なくとも大正8年(1919年)の時点で「但馬試作地試験」の記録項目がありました。
その大正8年の但馬試作地における品種比較試験(本試験)で、『強力』が供試されています。
ただしこれは取寄先欄が空欄で(他品種では取寄先記載されているものもある)ことから、兵庫県内で普及していた雑多なものを試験的に栽培試験したかなにかではないかと推測されます。
というのも翌年大正9年(1920年)の同試験で『強力』の記載は無くなっていました。

そして但馬分場が設置された大正10年(1921年)、品種比較試験に鳥取県から取り寄せた『強力』と『奥州』の2品種が供試されています。
この時点で鳥取県から兵庫県に渡っていたことから、大正9年時点で鳥取県で原種(奨励品種)指定されていた品種が提供されたことが推測されます。
『強力』は後の『強力1号』であり、鳥取農試で品種比較試験の結果大正4年に原種指定された最初期の原種の1つで、『奥州』に関しては大正4年純系淘汰開始・大正7年育成完了で最初期原種の『奥州』と入れ替えられた新参の品種(後の『奥州1号』か?)と思われます。
『強力』『奥州』共に鳥取農試では大正10年から『強力1号』『奥州1号』と改名されますが、まさに絶妙なタイミングで兵庫県に供試されたと言えるかも知れません。
なお、この年に但馬分場で純系淘汰が行われていた品種は『穀良都』のみで、『強力』についての取り組みは記述ありません。

大正11年(1922年)、鳥取県の『強力』が但馬分場の品種比較試験の本試験に引き続き供試され、「長稈ナルモ有望」との評価を受けています。

大正12年(1923年)、引き続き但馬分場で品種比較試験の本試験に供試されている『強力』は、ここまでの3年間の試験成績として反収2.784石が記録されています。
ちなみに、この年に但馬分場では新たな純系淘汰育種が開始されていますが、供試されているのは『改良大場』系統と『豊年穂』系統で、当然ですが『強力』系統の純系淘汰は行われていません。

大正13年(1924年)から大正14年(1925年)にかけても同様に『強力』(鳥取県原産)は但馬分場の品種比較試験の本試験に供試され続けています。
大正13年には「強力良好ナリ」との評価、大正14年には「大粒種ニテハ強力等比較的多収」と記載がありました。
また別途大正14年からは水稲品種対肥料用試験への供試が始まっています。

大正15年/昭和元年(1926年)も大正14年から引き続き但馬分場にて品種比較試験と水稲品種対肥料用試験へ供試されています。
この年も『強力』(鳥取県原産)です。
この年の記録では成熟期が10月25日、草丈が4.64尺となっています。
巷の「強力は稈長が150cm近くまで伸びる」は、この草丈を稈長と勘違いしているように思えますが…果たして?

昭和2年(1927年)は但馬分場の品種比較試験の本試験のみの供試。
『強力』(鳥取県)は出穂期8月31日、成熟期10月24日、草丈3.66尺、茎数12.4本、玄米一升重404匁と記録されています。
一般的に「米一升は1.5kg」と言われますが、404匁は1,515gなので意外と平均的ですね。

そして昭和3年(1928年)、ついに兵庫県立農事試験場本場の原種圃に『但馬強力』が登場します。
注釈で「※原種ニ編入セリ」とあることから、この年から原種に採用されたのは間違いないです。
配布量は7.770石で、内3石3斗4升は但馬分場から配布したとの記載があるので、『但馬強力』に関しては本場と分場それぞれで原種栽培をしていたようです。
そしてこの年から試験への供試が一挙に増えます。(以下【】内は取り寄せ先表記)
まずは本場の水稲品種比較試験の本試験に『但馬強力』【原種】、水稲地方委託試験でも有馬郡、神埼郡、揖保郡全ての委託先に『但馬強力』が供試されています。
また酒造米試験地でも品種比較試験に『但馬強力』【原種】。
そして但馬分場では水稲品種比較試験に『但馬強力』【分場】、そして対肥料試験に『但馬強力』が供試されていました。
今までの試験記録や、取り寄せ先から判断してこの『但馬強力』は大正10年から但馬分場で品種比較試験が続けられてきた『強力』【鳥取県】と判断して良いでしょう。

昭和4年(1929年)、原種圃の配布量は7.770石で前年と変わらず、各種試験も継続されています。
本場では品種比較試験に加えて新たに対肥料用試験に供試。
地方委託試験では前年と同様の3郡に供試され、「早生大粒種ニテ但馬強力ノ成績良好」との評価。
酒造米試験地では変わらず水稲品種比較試験に供試。
但馬分場では水稲品種比較試験と対肥料用試験が実施されています。


以後は資料不備により今後の課題としますが、この後昭和9年(1934年)までの短い期間、『但馬強力』は兵庫県の原種(奨励品種)として配布されていました。


さて、『但馬強力』の育種結果の結論ですが…
詳細は関連記事の「兵庫県の『但馬強力』の正体は?」を見て頂きたいのですが、大正14年から但馬分場で『強力』系統の純系淘汰育種が開始されています。(なぜか開始年である大正14年の業務功程には記載がありませんが…)
この純系淘汰育種は大正14年に始まり、少なくとも昭和5年の時点でも2系統が残されまだ完了しておらず、そもそもその対照品種に『但馬強力』が使用されているので「兵庫県が純系淘汰育種したのが『但馬強力』」という一般に流布されている説は間違いでしょう。

鳥取農試が育成した『強力(強力1号)』を兵庫農試但馬分場が取り寄せ、品種比較試験の結果採用し、改名したのが『但馬強力』です。
なお、但馬分場で『強力』系統の純系選抜育種を行ったことは事実ですが、『但馬強力』とは関係がありません。




系譜図

『強力1号(強力)』(『但馬強力』) 系譜図





参考文献

〇兵庫県立農事試験場業務功程:大正8年~昭和5年度
〇鳥取県立農事試験場業務功程:大正4年~昭和22年度
〇鳥取県農事試験場成績報告. 第6報
〇酒質が優れる酒造好適米「鳥系酒 105 号」の育成 :鳥取県農業試験場・鳥取県産業技術センター
〇酒米品種・系統の主要特性(第1報 栽培適性と玄米形質):秋田県農業試験場
〇日本主要農作物耕種要綱:大日本農会
〇取県米穀検査所年報. 第4報(大正3年度)




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