2022年7月5日火曜日

【酒米】改良強力2号~強力2号~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

系統名
 『改良強力2号』
品種名
 『強力2号』※産地品種銘柄は「強力」で登録
育成年
 『大正10年(1921年) 鳥取県立農事試験場』
交配組合せ
 『在来種強力の純系種子の中から選出』
主要生産地(平成~令和現代)
 『鳥取県』
分類
 『酒造好適米』※現代の区分による


うむ、私が強力2号じゃて。
”強力”の通り名は姉に代わって今や私のものじゃ。


※大正時代の資料を元に、通説を誤りと判断しています※

どんな娘?

鳥取の強力姉妹の次女。

古参品種に漏れず長身・すっきりとした美人。
元々エリート街道から拾われた身ながらおごり高ぶる様子は微塵もなく、長年の経験から来る落ち着きがあり、頼りがいのある人柄…ながら、復刻した平成には肝心の鳥取古参・固有の品種(後輩)は少ない。
奇しくも平成に姉が兵庫県で復帰することになるが、姉妹揃って特に喜ぶこともなく、淡々と受け止めた。
ちなみに同じく兵庫県で復刻された伊豫辨慶1号とも顔馴染みであったが、これも特に両者感慨無く淡々と挨拶を交わした…とか。

眼光の鋭さや名前の厳さから勘違いされがちだが、性格は優しく人と接する物腰も柔らかい。


姉と瓜二つながら、強力2号の方が多少なりともバストが大きゲフンゲフン…


概要

鳥取県で(多分)復刻栽培されている『強力2号』の擬人化です。
産地品種銘柄上や酒蔵は「在来種の”強力”だ」と宣伝しているようですが、品種は『強力2号』です。(後述)
"強力"と書いて”ごうりき"と読むのですが、馴染みのない人には”きょうりょく”と読まれる事が多いのでは?

まぁ復刻品種毎度恒例ですが、『強力』は特に酒造業界(と、育成機関であるはずの鳥取農試)の情報発信が雑すぎて間違った情報発信が多々見受けられる酷い有様です。
美味技術研究会誌の「歴史的強力米の呼び込みと美味な地酒」も参考にはしているんですが…『強力』の由来とか何一つ当時の記録と合っていないような状態なので、他の裏取りできない情報について果たして正確なのか…
また、一番有名で広がっていると思われる「酒米ハンドブック」ですら間違っているんです…兎にも角にも「1915年に育成された」間違いです。
(詳しくは後述の育種経過にて)
とは言え、正直選抜された系統数や育成年が史実と多少違ったからとて、消費者の商品選択に影響を与えるものではないですし、商業的にマズいことはないですが、でもちゃんと来歴くらい伝えてよ(本音)
一応鳥取県公式HPとやらもあるようですが果たして載っている情報を信じて良いものか判断出来ないモノが多いですが…なるべく信用できるモノだけ記述しているつもりです。
【ここまでが前置き(愚痴)】


現在「強力」と呼ばれている品種は、鳥取県農事試験場で大正4年(1915年)に育種開始、そして大正10年(1921年)に育成完了(原種指定)された『強力2号』と思われます。(推測)
中川酒造は鳥取大学農学部で保存していた『強力2号』を使用したそうですが…品種としての純度や保存状態については言及しようがないところですので問わないでおきませう。
と言うことで、鳥取大学農学部で保存されていた『強力2号』の真贋は兎も角、栽培・採種に当たっては「強力をはぐくむ会」を設立して遺伝純度保持に努めている旨の記載はありましたので、その後の品質保持は間違いないと言って良いのではないでしょうか。(と言っても令和4年末に「鳥取県に奨励品種指定してもらわないと品種の純度が保てない!」とか言って騒いでいるようですが…?本当に大丈夫?)

鳥取県の在来品種『強力』は、明治24年(1891年)に鳥取県東伯郡の渡邊信平氏が県内外から21種類の在来種を収集し、その中から選抜・命名した個体が始まりとされています。
その後鳥取県内で普及したモノを県農事試験場が収集し、奨励品種採用や純系淘汰育種を行い、『強力(後の『強力1号』)』や『強力2号』が育成されました。

姉の『強力(1号)』は大正4年(1915年)から原種指定、大正10年(1921年)に『強力1号』に改名、その後昭和7年(1932年)を最後に原種圃から姿を消しています。
対して後発と言えるこの『強力2号』は大正14年(1925年)には種子生産量で姉の『強力1号』を抜き、原種圃で確認できる最後の年は昭和20年(1945年)となっています。
『強力2号』に関してはその後数年で栽培が途絶えたとされていることが多いようですが、食糧庁総務部調査課(当時)の「米の品種別分布状況」では少なくとも昭和29年(1954年)産として『強力』113反の作付けが確認できます。(これが全て『強力2号』とは限らないと思われますが…)

大正4年(1915年)から原種指定された『強力』ではありますが、在来種である『強力』系品種群については大正2年(1913年)時点で既に西伯郡逢坂村、東伯郡下中山村を中心として八頭、日野の二郡における稲作面積の30%強を占めていたとされます。
原種(奨励品種)指定の当初予定普及面積として『強力』は各郡計4,319町歩が計画され、実績としては3,667.2町歩(県下水田の10.8%)で始まったようです。
その後大きく広まったようで、大正14年(1925年)時点で『強力1号』『強力2号』合わせて10,214.75町歩(県内水田の約30%)まで普及したようです。
この1万町歩が最盛期か不明ですが、その後昭和2年(1927年)には9023.5町歩(県内水田の約27%)とやや減となり、昭和7年(1932年)には5443.1ha(同約27%)、昭和10年(1935年)には『強力2号』だけで3271.6町歩(同約16%)と年々減少していったようです。
しかし前述の昭和10年の時点でも『強力2号』を含むと思われる『強力』系品種群は八頭郡・東伯郡における酒造米生産の主要品種として県内で5万石、県外にも1万5千石を出荷するほどだったようです。
しかしながら前述したように昭和20年を最後に奨励品種から外れ、その後数年で栽培は途絶えてしまったようです。
品種改良の進歩によりより栽培しやすい品種が増え、かつ戦中戦後でより食糧増産の必要性が高まったことが一因でしょうか…


”昔は食用米の『強力1号』、酒米の『強力2号』として普及”とか言ってる酒蔵もあるようですが、大正~昭和当時の記録で特に区別している様子はなく、両品種共に「酒米品種選抜試験」等に供試されていましたし、酒米に適し、用いられている旨の表記もあります。
…この情報のソースははたして?
『強力2号』がより長く奨励品種として残ったことは事実ですが、『強力1号』も結局兵庫県で『但馬強力』として酒造向けとして採用されていたことからもこちらも十分適性があるということでしょうし?
ということで後発の変な情報のせいで色々と分からないことが多いです。

育成地における中生品種です。
稈長は約90~120cm程度で穂長は22~24cm超、穂数は約9~14本の偏穂重乃至穂重型品種です。(いずれも育種時)
(「稈長は140~150cmにもなる」みたいなことをWikipedia始め酒蔵でも言っているところもあるんですが、当時の試験記録の最高でも4.395尺(約133cm)くらいだったようですが、果たして前述の根拠はあるのでしょうか?)
長稈でかつ穂重型、つまり穂が重いため、耐倒伏性が弱いことが推定されます。
収量は当時で2.4~3.2石ほどだったようなので、重量換算で360~480kg/反ほどでしょうか。
なお、大正14年時点の評価で『強力2号』収量は『強力1号』に比して7.5%の増収効果があったとされているようです。
千粒重は26~27gと大粒です。
心白発現も良好とされていますが、酒蔵等一部が主張している「線状心白」については後述の通りかなり低確率なようです。
『鳥系酒105号』育成報告中の『強力2号』の特性表によれば、穂発芽性「中」、脱粒性「やや難」、稲熱病真性抵抗性遺伝子型は「+」(なし?)となっています。(これが鳥取大学と同系統かは不明)


『山田錦』達と同じ貴重な線状心白を持つ?品種…?

まぁ…こういうこと言っている酒蔵?酒屋?もあるようですが

何度でも言いますが線状心白は(心白発現率の高い品種なら)どんな品種でも出ますし
『山田錦』だって線状心白だけ発現するわけではないです。(とはいえ『山田錦』の線状心白発現率20~30%がかなり高い部類であることは間違いありませんが)

『鳥系105号』の育種報告の中でも『強力2号』の線状心白発現率は4.3%となっていますので、客観的に見て特段「線状心白を持つ酒米品種」と喧伝できるようなレベルの品種ではないでしょう。










育種経過

鳥取県農事試験場では大正4年(1915年)に経年品種比較してきた『強力』を原種指定すると同時に、品種改良試験を開始します。
(鳥取農試の大正4年以前の試験報告については、明治39年(1906年)時点のものしか確認できていませんが、この時期は栽培法の試験のみで品種改良について明記はありませんでした。)
この年に原種指定された各品種は、純系淘汰育種との明記はないものの経年品種比較・選抜を受けた一種の純系品種であり、当初指原種定された『強力』も同様に不良種を順次淘汰して固定されたものと推定されます。


この時代に一般的な純系淘汰法による育種は「個体選抜試験」として『丸山』『強力』『福山』『芋釜』『亀治』について県内から集めた数千個体の中から優良な個体の選抜を開始しました。
ただ、これとは別に「優良系統分離試験」も開始されました。

これは改良期間を1年縮めるため、鳥取県農会が開催した大正3年度稲作増収品評会に出品されたモノの中から採種し、供用したものです。
1水田につき3穂が採種されたと記載があり、明記がありませんが品種管理が高度で、固定度の高い個体群の中から選抜することで固定期間短縮を狙ったものと推測されます。
この優良系統分離試験には『強力』含め10品種が供試されています。
『強力』については129個体が供試、実際の試験では風害により収量品質評価が出来なかったものの、13系統を大正5年(1916年)の収量比較用に選出しています。
選出されたのは『三丙』、『五乙』、『一一甲』、『一一丙』、『一六乙』、『二二乙』、『二七甲』、『二八乙』、『二九甲』、『三一甲』、『三一乙』、『三七乙』、『三八乙』です。

大正5年(1916年)は「純系収量比較試験」として『強力』については『強力第1号』~強力第13号』までの13系統が供試され、1系統に付き80株が栽植されています。
『強力第7号(前年の『二七甲』)』『強力第12号(前年の『三七乙』)』については「米質佳良にして収量多い方」、『強力第8号(前年の『二八乙』)』は「多収」と、以上3系統が有望と判断されています。

大正6年(1917年)からは前述の3系統が品種比較試験の「品種本試験」に供試され、『改良強力1号』(前年の7号)、『改良強力2号』(前年の8号)、『改良強力3号』(前年の12号)が原種圃設置の『強力』と比較されています。
このうち『改良強力2号』が後に『強力2号』として奨励品種に指定されることになります。
品種本試験は(甲)と(乙)の二区制で行われ、『改良強力2号』は(甲)区では42品種中収量第24位(2.973石/反)、(乙)区では43品種中収量第25位(2.871石/反)と、(甲)区で11位(3.089石/反)、(乙)区で20位(2.948石/反)の『改良強力3号』にくらべ多少見劣りする成績だったようです。(両者ともに対照品種を含む品種数・順位)
『改良強力2号』については他に、出穂期は9月25日、成熟期は10月23日、千粒重25.78g、心白発現率53%等の記録が残っています。

大正7年(1918年)、『改良強力1号』以下3系統は引き続き品種本試験に供試されます。また、この年から同じ大正4年に個体選抜試験から純系淘汰育種が開始され、選抜された『改良強力4号』~『改良強力8号』の5系統も品種比較試験に追加されました。
しかしながらこの年は大洪水の発生により調査不能となり、評価判定が成されていません。

大正8年(1919年)、引き続き『改良強力1号』~『改良強力8号』が品種比較試験における品種本試験に供試され、原種『強力』との比較が行われています。
『改良強力2号』は(甲)供試70品種(対照品種も含む)中、収量で第7位(3.226石/反)、(乙)供試70品種中(同上)中第21位(3.125石/反)となっており、甲乙総合で12位という高い順位を記録しています。
玄米品質に関しても強力系統が「中」や「中の上」の評価を受ける中で唯一「上の下」と、徐々に評価が上がっているように見受けられました。

大正9年(1920年)、品種比較試験(品種本試験→収量試験に改名)が継続されますが、この年は『改良強力1号』と大正4年選抜組の『改良強力4号』~『改良強力8号』がすべて試験から名前を消しています。
前年の試験の数値だけを見ると極端に劣っているとも思えないのですが、なにはともあれ試験に供試されたのは『強力2号』(前年の『改良強力2号』)『強力3号』(前年の『改良強力3号』)に加え、大正5年に選抜を開始した『強力9号』~『強力12号』の4品種です。

大正10年(1921年)、経年試験の成績をもって『強力2号(改良強力2号)』が『強力2号』として原種圃に設定され、従来原種指定されていた『強力』も『強力1号』と名前を変え
以後昭和20年(1945年)まで奨励品種指定が続くこととなります。




系譜図

『強力2号』 系譜図





参考文献

〇鳥取県立農事試験場業務功程:大正4年~昭和22年度
〇鳥取県農事試験場成績報告. 第6報
〇酒質が優れる酒造好適米「鳥系酒 105 号」の育成 :鳥取県農業試験場・鳥取県産業技術センター
〇酒米品種・系統の主要特性(第1報 栽培適性と玄米形質):秋田県農業試験場
〇日本主要農作物耕種要綱:大日本農会
〇取県米穀検査所年報. 第4報(大正3年度)
〇米の品種別分布状況:食糧庁総務部調査課



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