水稲品種『チンコ坊主』について、そろそろ真面目に解説してみる。
かつてはトリビアの泉で取り上げられ、最近(といっても令和7年現在でも相当期間が過ぎてしまっていますが)お米擬人化アニメで登場してやや世間を賑わした『チンコ坊主』。
テレビで紹介された「股間の高さの稲だからチンコ坊主」(雑)という謎主張の方が有名になっているようですが、これは根拠薄弱なのであまり信用しない方が良い様子。
大正~昭和初期のイネ品種を散々調査してきた者として、そろそろ真面目に彼女『チンコ坊主』、というか稲品種『チンコ』について解説してみたいと思います。
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情報を見つけられたの彼女たちくらいなのですよねん |
大正~昭和初期のイネ品種を散々調査してきた者として、そろそろ真面目に彼女達『チンコ坊主』、というか水稲品種『チンコ』について解説してみたいと思います。
(要は「北海道独自の品種ってわけじゃないぞ!」ということだけネットにあげときたい)
本当に
真面目な
話
とは言え、この先「チンコ」を連呼しますので、ここから先は心が汚れてしまった人には苦痛で不快な記事になるかと思われます。
そんなふうに考えていた時期が、私にもありました。
純粋無垢、赤ん坊のように清らかな心で読める方のみお進みください。
目次
1.最初に注意点(大前提の話)
江戸時代後期~明治~大正時代の品種名は同名異種、異名同種が当たり前にあります。
残る記録に品種名と一緒に由来が書いてあればまだ特定することも出来るのでしょうが、その実、当時の農事試験場の記録に品種名の由来まで記載されていることは非常に、非常~に稀です。
つまり全ては謎と言うことです・・・と言っては話が始まる前から終わってしまいますので、以下、同じ名前の別品種(同名異種)の可能性もある前提で聞いてください。(あまり積極的に裏取りしていませんというか古すぎて資料があまりありません)
あまり毎回「違う可能性はあります」「他の可能性もあります」と言うのもくどいので、やや言い切る形で記述させて頂きますが、私も特に確信や確証があるわけではありません。
話半分か、話3/8(37.5%)位で聞くのがちょうど良いでしょう。
『チンコ坊主1号』育生者の上川農試(現上川支場)が(昭和7年時点から)公式に「来歴不明」としている以上、確たる文献なんて存在しないとは思いますが
ファイトを燃やして裏取りしたい方は是非その結果を教えてください。
今回は積極的に資料収集したわけではなく、他目的で手元に集まっていた資料の中から探した結果なので、「真面目に解説」と銘打ってる割には、網羅率は結構いい加減です。
でもここまで言及しているものはネット上ではないと思いたい。(詳しいページあったら勉強したいので教えてください。)
閑話休題
2.ウィ○ペディアに載っている『チンコ坊主』
当ブログにおいて復刻系の酒米関係の話になると、情報精度の低さから散々批判しておりますウィキ○ディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B3%E5%9D%8A%E4%B8%BB)ですが、今回の話のとっかかりとするにはちょうど良いかもしれません。
軽くまとめると
・チンコ坊主(チンコぼうず)は、北海道で栽培されていたイネの品種。
・同じく北海道で育成されたイネ品種の『坊主』から派生したと考えられるが、来歴は不詳。
・明治末期から大正初期に道央で選出されたと考えられる。
・分離育種された『チンコ坊主1号』『チンコ坊主2号』が優良品種となっている。
・品種名の由来については諸説(2つ)ある。
- 『チンコ坊主』がやや短稈で、穂先の高さが、成人男子の股間の位置にあったからというもの。テレビ番組『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』で取り上げられた。
- 「チンコ」という言葉の原義は「小さい」であることから、「チンコ」=「珍子」(「草丈が小さい珍しい変わりだね」)の意味であろうとして、単純に原品種と考えられる『坊主』より小さかったために名付けられた。
と、こんなところでしょうか。
前者1が水稲とは無関係の甜菜雑誌に、根拠も無く提示された説として信用性はかなり低いようですが、テレビに取り上げられただけあって、信用性が取り沙汰された後も「ラブ米」公式がこの説を取り上げるなど、知名度としてはこちらの説が圧倒的に高いようです。(主観と偏見)
と言う風に世間一般心が汚れている方々にはどうも「股間」にイメージが寄せられるようですが、清廉潔白、心が清らかな私には・・・
と言う冗談はさておき
一般の方よりかは、多少なりとも明治・大正の品種試験成績を読み漁ってきた(現在の)私からすれば、『チンコ』系品種が北海道の品種、ということ自体に違和感を覚えます。(真面目)
とは言え私は資料の入手方法も限られた一般人ですから、これから述べることはあくまでも「私が目にした資料の中で」と言うことでご了承頂ければと思います。
記録が残る他情報があれば是非教えてください。
3.まずは北海道の『チンコ坊主』系品種の基本情報
ウィ〇の情報精度は基本当てにならない(主観)ので、当時の記録に残る北海道の『チンコ坊主』のおさらいをしておきましょう
※農研機構のジーンバンク保存個体の試験栽培結果も公開されていますが、当時の記録と食い違いが多いので、純度に難ありとみて参考にしていません。
(公式の)来歴は不詳ながら、少なくとも明治時代には北海道で中熟種『チンコ坊主』が栽培されていました。
茎稈が短く、分蘖が多く、籾(稃先及び護穎)の色は暗褐色。米粒は中位で長形、鈍白色で玄米外観品質はすぐれないものの食味は良好(昭和13年時点)とされています。
正確な記録が見つけられませんでしたが、純系淘汰の『チンコ坊主1号』『チンコ坊主2号』の稈長が2尺8寸(約84.8cm)なので、在来『チンコ坊主』もほぼ同程度ではないでしょうか。
従来説で元品種とされている『坊主』(在来)は茎稈が長く、分蘖が少なく、籾(稃先及び護穎)の色は黄白色、米粒は大粒で中形の白色であるとされているので、芒がない(坊主)である点は同じですが、あらゆる点で相違があるのがお分かりいただけるかと思います。
在来『坊主』も稈長の正確なデータは見つけられませんでしたが「茎稈やや長い」とされる『坊主2号』の稈長が3尺3寸(約99.9cm)なので、在来はこれより長い1m超えだったのではないでしょうか。
(※「短い」とか「少ない」とか抽象的すぎるだろうと思ったあなた、当時の記録の表記そのままなので私悪くない)
特性 | 茎稈 | 稈長(推測) | 分蘖 | 芒 | 籾 | 米粒 | 米色 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
チンコ坊主(在来) | 短い | 約84.8cm | 多い | 無芒 | 暗褐色 | 中位長形 | 鈍白色 |
坊主(在来) | 長い | 約100cm超 | 少ない | 無芒 | 黄白色 | 大粒中形 | 白色 |
『チンコ坊主』について北海道農事試験場上川支場では大正7年から純系淘汰育種が開始され、育成された上川第3号(上育3号)『チンコ坊主1号』及び上川第4号(上育4号)『チンコ坊主2号』が大正13年2月に優良品種に決定され、普及に移されています。
1号2号ともに在来『チンコ坊主』より収量が増えているであろうことが想定されますが、『チンコ坊主2号』は『チンコ坊主1号』より3~4日熟期が早いものの収量では劣るとされています。
米粒は「小粒中形」や「中粒長形」と表現されていますが、『チンコ坊主2号』の千粒重は18.9gと、現代の主要な品種と比べると小粒のようです。(『コシヒカリ』で20~22g)
これらの作付け(在来+上記純系淘汰後代併せてと推測)は昭和4年時点で13,802.6町歩にも達し、これは当時の粳品種全道作付面積(163,083.5町歩)の約8.4%に相当します。
(昭和8年は10,574.2町歩【粳種計175,651.6町歩】)
ただ昭和13年の作付面積記録になると『チンコ坊主』(在来)が4,421町歩、『チンコ坊主1号』が1,160町歩、『チンコ坊主2号』が624.7町歩【北海道内粳種計167,844.4町歩】となっているので、前述の面積も在来種が多くを占めていると思われます。(ここまでいずれも北海道農産物検査所集計値)
しかしこの『チンコ坊主』個別の作付面積の記載は昭和14年には北海道統計からも消え(「その他」に含まれるようになったものと推測)、ここからいよいよ急速に減少していったことが推測されます。
『チンコ坊主2号』は昭和13年にいもち病検定の標準品種や、昭和15年に『農林20号』の比較試験にが用いられてはいるんですが、これが最後のご奉仕だったのでしょうか。
昭和12~15年頃は北海道の従来在来・純系淘汰品種群が急速に減り、人工交配による多肥多収品種『富国』が急速に普及・台頭したと言われている時期なので致し方ないですが、こうして大正から昭和初期の10年と少しの期間で『チンコ坊主』は統計上姿を消していきます。(実際多少の作付けはあったでしょうが)
明確な作付面積の統計が出始めるのが大正頃からですから、『チンコ坊主』がまさに北海道の品種、と捉えられても致し方ないかとも思います。
ですが
そんな『チンコ』は本州にも記録が多々残っています。
4.明治後期~大正初期時代の『ちんこ』『珍子』『珍光』
※品種名は現表記ママ(カタカナはカタカナ、ひらがなはひらがな)
まずこれは最初に申し上げますが、「チンコ」と言う品種はいろんな作物の品種名として一般的らしいです。
麦(小麦、裸麦、大麦)の品種でも『珍子』『ちんこ』『コチンコ』『珍好』をよく見かけるような気がします(真面目に見ていない)が、以降は水稲の話のみになります。
■【農商務省農事試験場】
道府県で農事試験場が開設され、試験記録が記載されるようになるのが明治25年前後以降です。
そこで網羅と言う意味ではおそらく一番幅広い農商務省農事試驗場(本場及び各支場)、その明治20~30年代の試験記録に記載されている品種を探してみると、『越後珍子』(新潟県)、『珍子』(滋賀県)、『ちんこ』『珍子』(鳥取県)が見つかります。
品種名は「珍子」でいずれも芒がない点は共通ですが、おそらく新潟県と滋賀・鳥取の『珍子』は別品種群と思われます。
『越後珍子』は葉長約77cm、籾色は「白黄」、8月中旬出穂、10月上旬登熟に対して
滋賀県と鳥取県の『珍子』は葉長約94cm前後、籾色は「褐黄」、8月下旬~9月上旬出穂、10月中下旬登熟です。
■【新潟県農事試験場】
『越後珍子』の取り寄せ先となっている新潟県は業務功程で『チンコ』を見かける県です。
先にネタバレになりますが『チンコ坊主』の存在も新潟農試の記録で確認できます。
■【滋賀県農事試験場】
『珍子』取り寄せ先の滋賀県では、明治末期に県内の在来品種を調査していますが、そこでも『珍子』系品種が数種類挙げられています。
これは小川正巳氏の「史料に見る近江の稲・米(3)」に詳しいですが、「珍子系品種」以外にも、“珍子”の名称が多く使用されていますので、主体となる品種名とは異なる『チンコ(珍子)』もあるのもまた確かです(詳細は後述)
とはいえ『短稈渡船』の調査で散々大正期の業務功程は読んだつもりですが、『珍子』があったイメージはないんですよね…廃れるのも早かったのかな?
■【鳥取県農事試験場?】
そして『ちんこ(珍子)』の鳥取県は…ネットで見れる資料が少ないので未確認なのですが、すくなくとも大正においてはその姿を確認できていません。
■【長野県農事試験場】
また、少し異色ですが『珍光』及び『赤珍光』を見かけたのが、明治~大正においては長野県があります。
これについては読み方の確証は得られていませんが、「ちんこ(う)」と読むのではないかな…と(完全なる憶測)。
一応大正5年から大正13年までの間、長野県で原種(奨励品種)に指定されていましたが、言い換えれば大正13年以降は普及をやめてしまっているということですね。
それでも大正11年から長野農試で行われた人工交配試験の交配親に使われ、採用品種(『信濃1号』『信濃糯1号』)を生み出しているので、それなりに優秀と認識されていた品種だったのでしょう。
いずれも葉長は110cm程度で、分蘖数は25前後で多く、8月上旬出穂、10月上旬登熟です。
【群馬県農事試験場】
なお、群馬県農試で新潟県から『珍光』を取り寄せ試験している記録も残っていますが、これは『チンコ』に当て字をしたか誤字のいずれかと思われます。
【福井県農事試験場】
しかし大正時代の終わり、昭和に入る時点において原種(奨励品種)指定しているのは、北海道の『チンコ坊主1号』及び『チンコ坊主2号』を除けば、ここで唐突に出てくる福井県の『白珍子』系だけとなります。
この『白珍子』は明治40年に福井県内の今立郡から取り寄せたもので、品種比較試験の結果、大正2年から種子配布開始、大正5年から原種(奨励品種)に決定したものです。
ちなみにこの『白珍子』から『牧谷珍子』(まきだにちんこ)が選出・育成されています。(多分奨励品種にもなった…はず)
明治41年福井県南條郡北杣村牧谷の山内七右衛門が変わり穂6穂を選出した中から育成されたもので、明治末期には『牧谷珍子』もしくは『七右衛門珍子』として中部地方山間部で大正末期より重要品種となったそうです。
と、後代の来歴はわかっていますが、福井県内で珍子種が栽培された経緯はわからない、と言うのが公式です。
いずれも葉長100~110cm、9月上旬出穂、10月下旬~11月上旬登熟で、新潟県と同じ北陸ですが、滋賀・鳥取の『珍子』に近い品種のように思えます。
さてこのように「明治後期~大正初期」には『チンコ』『珍子』『珍光』といった品種が新潟・福井・長野・滋賀・鳥取?と言った県を中心に農事試験場の試験に見られます。
明治後期以降、特に農事試験場の記録が多々残る大正時代において「農事試験場の試験に供される=期待度の高い品種」という意味合いでは、個人的には新潟・長野・福井の3県、つまり北陸周辺のイメージが強いです。
と言っても47道府県農事試験場全ての記録を網羅したわけでないので、これ以外にも有望視されていた県があるかもしれません。
しかし、ここまで有望視されていても大正15年を過ぎ、昭和の時代に突入する頃には、北海道と福井県以外からはこういった『チンコ』系品種は姿を消しています。
むしろ新潟県では大正時代に入った時点ですでに試験から消えているところを見るに、他在来と比べて優秀な点なしと判断された可能性もあります。
・・・他の何かの在来品種と異名同種の可能性があるのですがそれはまた後で
5.(少し脇道)『チンコ(珍子)』の使われ方&『チンコ坊主』新説
前述したのは『チンコ』系品種とも言うべき品種たちです。
と言うのも、先ほど「史料に見る近江の稲・米(3)」に記述があると言ったように、どうも明治より前の時代には「珍子」という言葉自体に「背丈が小さい」もしくは「珍しい」といった意味合いがあるように見て取れ、既存の品種名に附帯する形で使用されていることも珍しくありません。
これは北海道『チンコ坊主』の由来説で記載されている「背が低い“坊主”なので『チンコ坊主』と命名された」まさにそのものでしょうか。
実は「坊主」も同じ使い方をされており、「●●」と言う品種の“無芒種”に対して「●●坊主」と言う名称がつけられることがしばしば見られます。
これと「珍子」も同じ使い方をされているわけですね。
…と言っても、品種名に『チンコ』が附帯する具体的な例として思い返して、この記事のために再度根拠資料を見つけられたのが岡山県しかないのですが・・・(もっとあちこちで見たような・・・)
これがなんと日本酒界隈には知名度抜群の『雄町』で、『チンコ雄町』が大正初期に試験に供試されています。
岡山県内から収集された『チンコ雄町』なので、まさか「岡山県雄町で見つかった『チンコ種』である」なんてことは無いでしょう。
と、これはたまたま有名かつ地理的にも「チンコ」が本来の品種名に附帯する意味合いであることがわかる例ですが、実際はそのどちらとも判別できない場合もあります。
品種名の主体としての「チンコ」と、品種名に附帯して何かしらの意味を付与する「チンコ」の2種類があることはわかって頂けたでしょうか。
ウィ○ペディアの記事、つまり従来説では、北海道で育成された品種『坊主』があることから、『チンコ坊主』は後者、つまり「『坊主』を改良した結果の何かしらの意味を附帯したもの」として扱われているようです。
「股間の高さ」にしろ「小さい変わり種」にしろ、要は「小さい『坊主』」の意味合いで『チンコ坊主』となったのであろう、ということですね。
ですが、『坊主』には品種名以外にも、無芒を指す意味があることは前述したとおりです。
つまり北海道生まれの水稲品種『坊主』の改良・変種では無く、北陸周辺で普及していた『珍子』の改良・変種、もしくは県外から移入した品種が『チンコ坊主』そのものなのではないか?と私は思うわけです。
一応このように思った理由としては「新潟県の在来品種に『チンコ坊主』があるから」と「『チンコ坊主』の異名の呼ばれ方」の2つがあります。(後述)
■【新説根拠1】新潟農試で試供される在来『チンコ坊主』
明治29年の新潟県農事治試験場における種類試験(品種比較試験)に、『チンコ坊主』まさにその人()が供試されていました。
収集先が「本県西頸城(にしくびき)郡」なので、新潟県の在来品種として『チンコ坊主』が存在していたことがわかります。
新潟県における中熟種で8月上旬出穂、10月上旬登熟。草丈は63.6cmで、分蘖数は25と、他の供試品種が16前後に対してかなりの多分蘖(穂数型)品種です。無芒で籾の色は淡黄色とされています。
少なくともこの時期は『珍子』が新潟県内でもまだ有望?視されていた時代です。
この『チンコ坊主』が北海道に渡って上川で作付けされたとは考えられないでしょうか。(これは『珍子』の無芒種…と言いたいところなんですが、明治32年農商務省試験場記録で確認できる『珍子』系列はすべて無芒なので…)
新潟県は日本でも屈指の豪雪地帯、冷たい雪解け水で育つ品種が、冷涼な北海道でも育つ期待を持たれたのでは無いかという推測も矛盾しないのではないでしょうか。
そして何より「短い草丈」、そして「多分蘖」は北海道の『チンコ坊主』と似通っています。
籾の色と、やはり本州品種と言うことで熟期がかなり遅い(北海道目線)ですが、北海道の『坊主』よりはかなり似ていると言えると思います。
新潟県は北海道への移住世帯数が、全国でもかなり上位だったらしいので、移住者が持っていった可能性は十分にあるでしょう。
■【新説根拠2】北海道内における『チンコ坊主』の異名
北海道農産物検査所が発行した「昭和八年度事業成績」には『チンコ坊主』の異名同種として扱う品種として『上川チンコ』が記載されています。
異名同種の集計に勤めながらもいまだ不十分な点があるとされており、現物がある当時ですら判断が難しいことがうかがえますが、そのような状況の中便宜上ながら異名同種であると判別しているものとして挙げられているのが『上川チンコ』です。
これは完全な主観なのですが
『坊主』が「上川」で改良されたのなら「上川坊主」と呼ぶのが自然では無いでしょうか。
『坊主』は明治28年に在来『赤毛』から選抜された無芒種で、明治38年頃の直播器の開発とともに上川地方でも爆発的に普及し、昭和10年代前半までは北海道の中でも最大の作付面積を誇っていた有名品種です。
この『坊主』が上川で改良され、普及したなら、「上川で改良された『坊主』だ」として“上川坊主”になるのではないでしょうか。
従来説でも全国一般にも、主要な品種名に附帯する場合“小さい“や”珍しい“を意味する”チンコ“です。
これと地名を組み合わせても「上川の小さいの」「上川の珍しいの」と言う意味にしかなりません。
これは「上川で作付けされていた『チンコ坊主』」だからこその異名『上川チンコ』だったのでは無いでしょうか。
まぁ「通り名なんて本来の意味とそんな関係ないだろ」とか「普通に改良後のチンコ坊主として普及してから異名がついただけでは?」と言われてしまえばそれまでなんですが。
まぁ確定は誰も出来ませんから()
でも、北海道在来の『坊主』があまりにも『チンコ坊主』と各種特性が違いすぎるのは一番気になった点です。
まぁそういう意味では『滋賀渡船2号』も『渡船』系品種にしては異形の穂数型だったりなので「あり得ない」レベルではないのでしょうけども…
6.話半分の半分(1/4)くらいで聞いて欲しい『信州金子』の由来
さて、北海道の『チンコ坊主』の起源はひとまず脇に置いて、引き続き『チンコ坊主』の話が続きますが、次の舞台は長野県です。
しかしながらこれは非常~~~に怪しい話なのです。
あまりまともにとりあわないでくださいね。
でも一応「小学校補習学校適用農業教授大資料(大正14年)」にも乗せられている説なので…
と言う前置きを念入りにした上で…
東北を中心に栽培が広まった『亀の尾』の前に、東北で有名だった品種に『信州金子』という在来品種がいます。
東北各地の審査会(コメの品評会?)でも賞を多くとり、奥羽系の育成品種の交配親に変異種の『酒井金子』がよく用いられるなど、平成・令和現代でこそ『亀の尾』のような華やかな尾ひれが付いていないものの、当時としては非常に優秀な品種であったことがうかがえます。
そんな古い品種ではあるものの、その由来…というか伝聞が残っています。
明治34年に山形県主催で開催された第四回奥羽6県連合物産共進会の復命書に掲載されていたものです。
記載している文章に些か不自然と言うか理解しがたい部分はあるのですが、おおむねの内容としては
信濃国には『鳥本坊主』と言う品種があり、その中から米質の良いものを選出し『チンコ坊主』と命名され、耕作されていた。
下野国【現・栃木県】下都賀郡上國府塚村の松本勘次郎氏がこの『チンコ坊主』の種子を国に持ち帰り、優れた品種であったことからこれを『信州金小』と命名する。
明治20年にこの『信州金小』の種子を穴澤氏が譲り受けて、以降毎年『信州キンショウ』と称して篤農家に分配した。
明治22年、岩代国【福島県西半部】安積郡の勧業委員である某氏(誰か)が穴澤氏から『信州金小』の種子を譲り受け、「金小」の文字を「カネコ」と読んで熱心に普及したことから、「キンショウ」が変じて「カネコ」となり、これが最終的に「金子」となったことから品種名が『信州金子』となった。
さて、これはあくまでも物産共進会の復命書の中にある記述です。
あくまでも情報源の裏打ちがないと言うところには留意せねばならないでしょう。
このお題の冒頭で怪しいとされている『チンコ坊主』の由来【1】や、間違いであると証明された『愛国』の赤出雲説など、実際に間違った由来説は存在します。
ましてや農事試験場関係者でも、直接の関係者でも無い(かどうかよくわからん)人間の言うには・・・というところは断り書きはすべきでしょう。
農事試験場の関係者が言っていれば間違いなく正しい・・・とまでは言いません。
ただ人間が何かを語らなければと思ったときに、悪意は無くとも作り話をしてしまうこと、もしくは根拠薄弱な噂話を真実のように語ってしまうことは往々にあるからです。
くどくど書きましたが、本筋に戻りますと
一方で、九州大学のイネコレクションの中にはこの『信州金子』が保存されており、由来も記載されています。
それは
信州某地の島本坊主より選出。信州金子、信州金小、金光坊も略同種、下野国下都賀郡上国府塚村松本某氏選出。
というものです。
「鳥→島」になっている、途中の詳細がない、「チンコ坊主」が省略されていると細々違うものの、大筋はこの説に則っているように見えます。
「鳥→島」になっている部分は単純な読み違い、途中の詳細がないのは冗長なので省略したであろうことはわかるんですが・・・気になるのは「チンコ坊主」のくだりまで消えていることです。
九大に保存されるに当たって「チンコ坊主」がふざけているように見えて省略したのか、何かしらの追跡調査や根拠調査を行った結果、作り話だとわかって「チンコ坊主」が削除されたのか、はたまた選抜されたわけではない(ただの名称の変更と判断した)ので省略したのか・・・もはや真相はわかりません。
ただ明治後期に長野県内で存在した『珍光』や『チンコ』の変種や選抜ではなく、『鳥本坊主』を『チンコ坊主』と称した、というのはやはり少し違和感も感じる点ではありますが・・・
滋賀県の調査で珍子系品種に『伊勢早生』(伊勢錦っぽい)や『撰出』(神力っぽい)、『白弁慶』(辨慶っぽい)が含まれていたことを考えると、草姿か何かが似通っている全く別の名前の品種があった、と言う話も十分あり得る範疇でしょう。
なので「長野県の『チンコ坊主』」説もあながち嘘とはいえない…のかな…?
ちなみに最初に述べた説内で『チンコ坊主』もとい『信州金小』が途中経由している栃木県では明治40年に下都賀郡隣の芳賀郡農事試験場から『珍光』を取り寄せて試験している記録があり…(さすがにバイアスかけすぎでしょうか。)
であればやはり『信州金子』は『チンコ坊主』の異名同種…!
でも
実は明治41年に農商務省農事試験場(東京西ヶ原)が発行した農事試験場特別報告「米ノ品種及其分布調査」における『信州金子』の由来はこう書かれています。(平仮名・現代漢字に変換、品種名に『』追加)
「本種は本県の『金小坊』にして他府県に出て、『信州金子』の名を有すること、為れり。『金小坊』の来歴に就きては未だ明かならす」
うーんまぁでもこと由来に関しては試験場の報告が正しいとは限らないので(これは本当に。)
でも『金小坊』の読みは不明ですが「きんこぼう」だとすると、発音からして「ちんこぼうず」と聞き違えないこともないような…
それに『“金小“坊』に信州(長野)をつければ「信州金小」…うむ!
詳しくは後日、『信州金子』記事で!(本当に出せるの?)
7.ではなぜ長野県には『チンコ坊主』がいないのか
話が進まないので、長野県にも『チンコ坊主』がいた前提で話しましょう。
長野県の『チンコ坊主』が名前を変えた『信州金子』・・・と言う割には、その本家である長野農試の試験には明治後期時点で『珍光』だけで、『チンコ坊主』も『チンコ』も見当たりません。
明治28年時点で内国勧業博覧会に長野県から『珍子』が出品されているので、県内で栽培されそれなりに優秀であったであろうことは推測できるのですが。
これを推測(都合の良い妄想)するためのヒントが隣県新潟農試の記録にありました。
これは新潟県農試の種類試験での記載なんですが、明治30年から31年の間に100種類の供試品種の中から『チンコ坊主』が消えたんです。
消えた品種については「異名同種と思われるものを除く」と記載されているので、消えた『チンコ坊主』は他の86種類のいずれかの異名同種と新潟農試は判断したのでしょう。
しかし残念ながらどの異名同種かは記載がありませんので、86種のどれか・・・というにはあまりにも対象が多すぎます
しかし、新潟農試が発行した「新潟県農業案内」(明治44年)と言う資料の中で『高田早生』と言う品種に括弧書きで「チンコ」との記載がありました
実に乱暴で飛躍的な理論ですが、この『高田早生』が『チンコ坊主』の異名同種ではないでしょうか…と言いたいところですが熟期が違うんですよね…
じゃあ結局何が言いたいのかと言うと
結局異名同種判定が存在して、そちらに吸収されたことだけは間違いないので、長野県でも同様の処理がされているんじゃないかと言うことです。
比較してみたいんですが、この頃は特に記録がゴミ…役に立たない情報(収量、抽象的な特徴の羅列、統一されていない単位)が多くてですねぇ…
苗の成長具合、苗の葉の色具合、籾・玄米別に容積と重量それぞれの収量…みたいな、品種の判別をするには正直アテにならないものだったり、分げつ量多・中・小のような(判別できん)…
愚痴終わり
新潟と長野の比較試験に上がり、滋賀県の在来品種調査を見ても、それなりの作付面積があったはずが大正に入ると急にその名前を見なくなった『チンコ』。
その実、世の中の人の心が汚れてしまった()ために、異名同種に依ってその名前を変え、つつましく生きていたのかもしれません。
『信州金子』もただ名称を変えただけだけだとしたら、あれもつまり『チンコ坊主』ですよね。(これが言いたかっただけ)
ちなみに『信州金子』は葉長100cm超え、出穂8月下旬、登熟も10月下旬と、どちらかと言うと滋賀県の『珍子』寄りの試験結果が残っています。
やはり新潟県の『チンコ坊主』は唯一無二、新潟県の在来品種なのでは…なんてことも想像できますね。
8.つまるところ、『チンコ坊主』の起源は
通説では北海道内のみの視点で「北海道の『坊主』から選出された『チンコ坊主』」というストーリーになっていますが、そもそも初期の北海道の稲作は本州から持ち込んだ品種が大半です。
そして前述してきたように、本州内に「珍子」をはじめとして『チンコ坊主』という品種も、少なくとも新潟県には確実に存在したんです。
これらのいずれかの品種が持ち込まれて、北海道の気候に適して広く普及した可能性も十二分にあるでしょう。
滋賀県内でも広く『珍子系』品種が栽培されていたところを見るに、「珍子系は北陸近辺独自の品種」とはとても言えませんが、数少ない形態の情報から判断するに、どちらかというと新潟県系列の『珍子』がより近しいものに見受けられます。
さらに、北海道のような冷涼な気候に適したならば、同様に冷涼な環境が想定され、特に多数の入植者が居た新潟県が有力ではないのかと言うのが、墨猫の私見です。
その『チンコ坊主』自体は長野県発祥かもしれませんが…試験場が育成した品種ならいざ知らず、民間の伝聞は確定させることは不可能でしょう。
それこそ明治期に誰かが研究していれば確定もしたのでしょうが…当時の人もまさかこんなことで話題に上がるとは思いもよらないかったでしょうね。
9.まとめ (+α『こんぎょく!』)
北海道にはなんと言っても有名な水稲品種『坊主』があることから、通説ではこの『坊主』からの選出・変種では無いかとされている『チンコ坊主』。
『チンコ坊主』が、広く知られる記録の中で明確に大規模栽培されたのが、これも北海道だけということで、平成~令和現代においては「北海道独自の品種」のような扱いをされていますが、少なくとも同名の品種が本州北陸近辺の新潟県、長野県に存在しており、もしかすると本家大元はこちらかもしれません。
『チンコ坊主』そのものでなくとも、北陸同地には『珍子』系品種が有望視されており、これを持ち出して北海道に移住した新潟・長野の農民が、上川で変異種を見いだしたものなのかもしれません。
ただし『珍子(チンコ)』という単語は、品種に付随する名称として広く「小さい」「珍しい」と言ったニュアンスで使用されていたこともまた確かです。
やはり通説の通り、北海道で生まれた『坊主』の変種・・・かもしれませんね。
北海道農業試験場50年記念誌でも「チンコ坊主は来歴不詳坊主から?」なんて疑問形で書かれている(本当に?が書いてある)くらいなのでやっぱり結論は出ないのでせう。
でも新潟県民の皆さん
『コシヒカリ』起源説は訴えても一笑に付されてしまうくらい勝ち目の無い戦いになりますけども
『チンコ坊主』起源説唱えるなら、ワンチャンどころか十分勝ち目はありますよ!!!
だって新潟県には稲品種『金玉』もありましたからね!(最後にタイトル回収発言)
新潟県の『金玉』『珍子』が明治28年京都で開催された第4回内国勧業博覧会審査報告で品質やや善良として受賞した品種一覧にあり。
ちなみにここまで読んだ方は心が清らかだから、当然読み方もわかってますよね。
そう
当然「きんぎょく」ですよね!(大麦品種に倣い)
は?きんt…ソンナワケナイデスネ
10.【蛇足番外編】 『農林9号』交配親『早生チンコ』
上川農事試験場、北海道農事試験場上川支場、いずれかで育成された水稲農林Noの片親が『早生チンコ』です
これが公式では在来『チンコ坊主』の変異種ではないかと推測されています。
お約束ですが、『農林9号』育生の報告書にもこの『早生チンコ』の来歴については一切触れられておりません。
さて
ここまで幾度となく述べてきましたが「チンコ」という用語はイネ品種においては固有名詞では無く非常にありふれて使用されるものです。
『チンコ坊主1号』を育成した上川農試が使用しているんだから『早生チンコ』は『チンコ坊主』の変異種、と言う理論も筋が通っていますが、これは人間で言えば「楽太郎と承太郎」と言う名前だけを比較して「太郎が共通だからこの二人は兄弟か親子だろう」と言うくらい乱暴なもの(主観)です。
新潟県のチンコ派()である私としては、これも新潟県由来の『チンコ早稲(早生)』であろうと主張…したいところなんですが
この北海道の『早生チンコ』は他のチンコ坊主系品種と明らかに一線を画していまして、まず芒がごくまれながら短いものがあり、稃先色が赤褐色という明確な特徴があり、さらに分蘖数も16本前後と少ない(チンコ坊主系が25本前後)のです。(「早生」と付くぐらいなので出穂期も早いのですが、この程度は変化の内と言えることでしょう。)
芒も稃先色も無く、籾が暗褐色で分蘖も多いとまったく特徴の食い違っている『チンコ坊主』からこの品種が出たなら、ちょっとした変異ではなく何かとの交雑種とみるのが自然でしょう。
となるとどんな品種でも『早生チンコ』の変異(交雑)元たりえるということです。(これもだいぶ暴論)
上川農試の試験記録でも見られれば何か書いているかもしれませんが、北海道立図書館からの複写取り寄せくらいしか今は方法がないようですし
そもそもその上川農試の記念誌等で特段記載がないと言うことは、そもそも記録がない可能性が高そうですし。
どうしようおすし。
つまるところ言いたいのは
『チンコ』は北海道固有の品種というわけではないので、移住者も多く、豪雪・冷たい雪解け水と厳しい環境の新潟のいろんな『チンコ』が北海道に渡っていた可能性を心の片隅において頂けたらなぁと言う次第です。(長野か福井かはたまた他のチンコかも・・・)
11.蛇足番外編2 『厚別糯』(こうべつもち)
『厚別糯』
明治30年(1897年)頃、北海道白石村の中沢八太郎氏が札幌興農園から購入した糯品種の中から選出した穂数型の品種である。
別名を『チンコ糯』という。(うん、なんで?)
何度でも言いますが稲品種で「チンコ」という名称自体は珍しくはないものの、大正時代頃から急速にその姿を消しているのに、なぜ北海道はこうも残っていたのか。
というかなぜ『チンコ糯』なのか気になりません?
12.予備(追加ネタ見つけた時に)
13.予備2(追加ネタ見つけた時に)
参考文献(敬称略)
〇史料に見る近江の稲・米(3):小川正巳
〇明治30年 米麦栽培書全(東京博文館蔵版):農学士 楠原正三著
〇農事試験成績明治29~32年:農商務省農事試験場
〇大正13年 北海道ノ米ニ関スル調査:北海道庁産業部
〇事業報告 昭和4年度:北海道農産物検査所
〇事業成績 昭和8,10~13年度:北海道農産物検査所
〇検査要覧 昭和12年:北海道農産物検査所
〇北海道統計例規 : 北海道統計協会
〇北海道農業展開の実証的研究 (農業研究資料第30号):北海道立農業研究所
〇北海道における冷害の実態と対策:北海道開発局局長官房開発調査課
〇北海道立上川農業試験場百年史:上川農業試験場
〇「水稲農林九号ニ就テ」「水稲農林二十号ニ就テ」:北海道農事試験場
〇昭和5年 地方産米に関する調査:農林省農務省
〇新潟県農業案内:新潟県農事試験場
〇農事試験成績報告 明治30,32,40年:新潟県農事試験場
〇農事試験成績 明治35,37,45年:長野県農事試験場
〇長野県農業試験場六十年史:長野県農業試験場
〇明治40年農事試験成績:栃木県農事試験場
〇昭和2年業務功程:群馬県立農事試験場
〇大正6~8年業務功程:岡山県農事試験場
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