系統名
『雲系A(雲系29-31A)』
品種名
『改良八反流』
育成年『昭和34年 島根県農事試験場(本場)』
交配組合せ
『八反流2号×高嶺(農林44号)』
主要生産地
主要生産地
『島根県』
分類『酒米』
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さて…もうひと働きでしょうか |
どんな娘?
島根県の古豪の一人。(と言っても五百万石よりは若い)
改良雄町と共に、大正から昭和初期にかけて島根県の酒造を支えた純系淘汰品種達の改良版として一時代を築いた。
広島県で主流となっている八反系に近いともされる「八反流」の血を汲む品種。
穏やかで慎重、周囲の調和を大切にする性格を持つが、自己主張が弱いわけではない。
概要
島根県の酒造好適米『改良八反流』の擬人化です。
育成開始当時の昭和20~30年代、島根県の主要品種の一角であった『八反流2号』に代わり有望品種として採用されたのが彼女、『改良八反流』です。
『八反流2号』に比較してやや耐病性、耐倒伏性が改善され、「圧倒的多収」と評された山間・中山間地向けの酒造用原料米品種にして酒造好適米です。
第二次世界大戦後間もない昭和35年(1960年)に島根県の奨励品種として採用、翌昭和36年(1961年)から一般作付けが始まった品種です。
昭和38年は最大174haまで拡大しましたが、昭和48年以降50ha台から数年で20ha以下まで減少、昭和60年には8haまで縮小しています。
昭和61年(1986年)に奨励品種から外れましたが、平成15年に産地品種銘柄に復帰。
この復活は「メーカーの要望によるもの」らしいので、これは現状『改良八反流』を使用している一宮酒造が要望したということでしょうか。
以後、生産が継続されていますが、検査数量は20t程度ですので、作付けは4ha強と推測されます。
島根県における早生品種で、稈長は約100cm、草型も穂重型のために倒伏に弱いです。
島根県における早生品種で、稈長は約100cm、草型も穂重型のために倒伏に弱いです。
千粒重は26.3g程度で、反収は520kg程度見込まれます。
いもち病抵抗性は育成当初こそ親の『八反流2号』より改善したとされていましたが、現在基準では葉・穂ともに「やや弱い」の部類です。
育種経過
明確に育種経過を示した書籍が見つからなかったので、当時の島根県農事試験場の業務報告を元に記述します。
(これが各年ごとの報告となっているため、多々記述内に矛盾や齟齬がありますので、その点は推測で補っている部分もあります。)
昭和26年(1951年)、島根県農事試験場本場にて母本を『八反流2号』、父本を『農林44号』として交配が行われ、この系統は『雲交28』とされました。
主要育種目標は「『八反流』の耐病化」とされています。
◇母本の八反流2号『八反流2号』は島根県立農事試験場が育種した品種です。
姉に当たる『八反流1号』と共に大正8年(1919年)から純系淘汰が開始されました。
大正12年(1923年)に『八反流2号』『八反流4号』『八反流7号』『八反流22号』『八反流23号』まで選抜され、内『八反流7号』が『八反流1号』と改名され、原種に指定されました。
その後『八反流2号』『八反流7号(『八反流1号』として原種指定後もこの旧名称で試験に記載)』『八反流22号』は優型生産力比較試験に継続供与され、大正14年(1925年)に『八反流2号』はそのまま『八反流2号』として原種に指定されています。
(一部「大正15年より原種指定」とする書籍もありますが、大正14年度の業務報告で”原種二號”の記述あり)
従来品質優良として酒造用原料米に適するとの評価を受けていた『八反流』系の最新純系淘汰育成品種です。
◇父本の山陰34号『農林44号』は島根県に昭和24年(1949年)から奨励品種として採用されている品種です。
昭和13年に(1938年)に母本『農林8号』、父本『農林6号』として農林省農事試験場鴻巣試験地で交配、その後F3が島根県立農事試験場における農林省指定水稲新品種育成試験に供され、昭和19年(1944年)に『山陰34号』の系統名が付され、地方適性を試験の上、奨励品種となったものです。(農林番号登録1949年5月)
当時の島根県主力品種であった『農林22号』『農林6号』に比べ、冷水耐性、耐病性(いもち病・ごま葉枯病)、イネキモグリバエへの耐性に優れているとされています。
なお、国として正式な品種名は『農林44号』なのかもしれませんが、『高嶺』もしくは『タカネ』と記載されていることも多く見られました。
※一般的に水稲農林認定品種については「水稲農林52号『タカチホ』から番号では無く品種名が命名されるようになった」という説明が成されることが多いです(実際正式な品種名は確かにそうです)
が、当時の記録を見ると『水稲農林39号』~『水稲農林47号』については既に試験場・流通の各所で固有名称が用いられていたようです。(なぜか48~51号はなし)
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【誤記載についての解説】
と、ここまで書いてきましたが、実はこの交配年と推測される昭和26年(1951年)。
いきなりですがこの年の業務報告に『雲交28(後の『改良八反流』)』の交配の記録がありません。
業務報告は昭和25・26年度の2年度分が一冊になっているのですが、まず、試験場本場の「育種の部」には25年が存在せず、「昭和26年度」しかありません。
そしてそこには『雲交21』から『雲交26』までの交配組み合わせを行ったと記載されているのですが、この中に『八反流』系統を含む交配組み合わせ(母本・父本)はありません。
しかしながら、この翌年に当たる昭和27年(1952年)の業務報告では、雑種第一代養成の中に突然『雲交28(八反流2号×農林44号)』が現れ、昭和26年度業務功程に交配が記録されていた『雲交21』~『雲交26』はF2(雑種第2世代)になっており、明らかに記録が飛んでいます。
×誤記載とみられる交配記録(業務報告に記載されているママ)
昭和25年:交配の記録無し
昭和26年:『雲交21』~『雲交26』
昭和27年:『雲交34』~『雲交38』(ここで27~33が飛んでいる)
〇実際の交配(推測)
昭和25年:『雲交21』~『雲交26』
昭和26年:『雲交27』~『雲交33』(28が後の『改良八反流』の交配組み合わせ)
昭和27年:『雲交34』~『雲交38』
後年の記録からも『雲交』の21~26は昭和25年、27~33は昭和26年の交配であることは間違いありません。
おそらく昭和25年の記録が昭和26年のものとして記載され、昭和26年度の記録が抜けているか錯誤があったから、と推測しています。
【誤記載についての解説終わり】
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翌昭和27年(1952年)に同本場にて雑種第1代養成が行われ、生育個体数28の中から7個体が採種されました。
昭和28年(1953年)、昭和26年に交配された育種個体群(『雲交27』~『雲交33』)について雑種第2代個体選抜試験が実施されます。
ここで後の『改良八反流』となる『雲交28』のみ6月10日に本場内苗代に播種・育苗後、7月17日に出雲市古志町(当時?)のイモチ病検定圃場に栽植されます。(他の育種個体群は本場圃場内)
いまだF2のこの段階でいもち病への耐性に重点を置いて選抜が行われており、また合わせて心白が多い個体も選定された記載があります。
育種目標は「早生甲乙」と記載されており、栽植個体数2,000個体の中から23個体が選抜されました。
昭和29年(1954年)、雑種第3代系統及び個体選抜試験が実施されます。
そしてこの年から栽植地が赤名分場に変わります。
「試験番号1」とされた『雲交28』は「(選抜に当たって)心白に重点を置いたため赤名分場に栽植する」とされています。
23系統として栽植され、6系統30個体が選抜されています。
成績概要として長稈・長穂の穂重型で脱粒しやすく、大粒、多収と評価されています。
また、翌昭和30年(1955年)の雑種第4代以後系統育成試験においても『雲交28』系統は酒米用として赤名分場に栽植されています。(この年の本場では36交配組み合わせがこのF4系統育成試験に供試されていますが、後の『改良八反流』となる『雲交28』と別途『雲交16』以外は全て本場に栽植試験されています。)
6系統群30系統として栽植し、3系統群5系統30個体を選抜しています。
概評として「酒米として現地栽培、心白多い」と記載がありました。
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【誤記載についての解説ver2】
さて、この昭和29~30年におけるF3~F4は赤名分場で栽植されていたからか、本場の記録だけでなく赤名分場の「酒米品種の育成淘汰」にも「八反流2号×農林44号」の交配組み合わせについて移植していた記録がありました。
しかし
なぜか赤名分場の昭和29~30年の記録ではF4~F5と世代が一つずれており、かつ両年ともに「40坪 16個体選抜」と記載されています。
これは本場の記録にある昭和29年F3での「6系統30個体選抜」や昭和30年F4での「3系統群5系統30個体選抜」と合致しません。
また少し先取りになりますが、昭和32年の赤名分場の「酒米品種の育成淘汰」でも上記の交配組み合わせがF7と世代が一つずれています。
「八反流2号×農林44号」後代選抜記録
年 | 本場記録 | 赤名分場記録 |
---|---|---|
S29 | F3 6系統30個体選抜 | F4 16個体選抜 |
S30 | F4 3系統群5系統30個体選抜 | F5 16個体選抜 |
S32 | F6 3系統群3系統15個体選抜 | F7 |
これが赤名分場で別途「八反流2号×農林44号」の交配組み合わせ後代があったということなのか、単に赤名分場の誤記載なのか、明確な判定はできません。
ですが、ここではあくまで前後年の記録との整合性が取れている本場の記載を正とし、赤名分場の記録は誤記載によるものと判断しました。
赤名分場に本場の職員が出張って作業でもしていて、正確な情報を把握してなかったのでは…なんてすべて推測ですが
ちなみにこれも先取りになりますが昭和33年から本場と分場の世代が合致するようになります。
【誤記載についての解説ver2終わり】
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昭和31年(1956年)、赤名分場からは記載が消え、記録が記載されているのは本場の雑種第4代以後系統育成試験のみです。
記録の記載は本場の試験ですが、栽植地は変わらず赤名分場です。(心白歩合に重点を置くためとされています。)
育種目標「早甲」、世代「5」、交配番号『雲交28』の記録として5系統群28系統を栽植したとされています。
前年が5系統30個体を選抜していたので、2個体が廃棄された様子です。
2系統群6系統30個体が選抜され、概評として「酒米、心白多、稍長稈」とされています。
昭和32年(1957年)、雑種第4代以後系統育成試験(本場)では育種目標「早甲」、世代「6」、『雲交28』は4系統群14系統を栽植し、3系統群3系統15個体を選抜します。
ここでもまた栽植系統数が前年の選抜個体数より減っています。
概評は「多収、耐病性、心白多、良質」とされています。
またこの年から「赤名分場に栽植」の記載が消えましたが、はたして省略しただけなのか、本場に試験地が移ったのかは不明です。
この年から本場の育成系統生産力検定試験に系統名『雲系29-31』(交配組み合わせ「八反流2号×農林44号」)が供試されています。
これは『雲系29-31A』『雲系29-31B』『雲系29-31C』『雲系29-33』の4系統があり、『雲交28』の栽植4系統群と共通性があることと、唯一の酒米系統で同じ交配組み合わせですから、『雲交28』の別呼称とみてよいでしょう。
【なお、この試験では世代が「7」となっていますが、これは単純な誤記載と判断して無視します】
『雲系29-31A』の評価は「早生で稍長稈、中穂で草状良、大粒心白歩合90%、良質、多収、いもちは強、稈蝿、冷水抵抗性中。」となんとも抽象的な言葉ばかり並んでいますが、おおむね良好と解してよいでしょうか。
他『31B』『31C』『33』は「前者と略同称、収量、品質稍劣る。」とされています。
さらにこの年昭和32年には赤名分場の特性検定(いもち)に『八反流交配』が、同じく分場の酒米品種の生産力検定試験に『八反×N44 3~7』が供試されていますが、関係があるかわかりません。(こんなのばっかり)
さらにこの年昭和32年には赤名分場の特性検定(いもち)に『八反流交配』が、同じく分場の酒米品種の生産力検定試験に『八反×N44 3~7』が供試されていますが、関係があるかわかりません。(こんなのばっかり)
酒米品種の育成淘汰に「八反流2号×農林44号」F7が供試されていますが、この世代数が誤記載であろうというのは前述したとおりです。
昭和33年(1958年)、本場では原種決定現地試験と雑種第4代以後系統育成試験、そして育成系統生産力検定試験に『八反流2号×農林44号』と思われる系統が供試されています。(ちなみに最初に言っておきますが、F4以後育成試験でまた世代数書き間違えてますので無言修正します。)
原種決定現地試験では『八反流2号×高嶺』が供試初年度として「酒米Ⅰ」の部類に供試、山間部4か所、中山間部2か所、沿岸部1か所の計7か所で試験が行われ、倒伏に問題がありましたが収量が頭抜けて多いと評価されています。
F4以後育成試験では『雲交28』F7を3系統群15系統栽植し、1系統群1系統まで絞って選抜し、「多収、耐病、心白多、良質」と評しています。
育成系統生産力検定試験では、『雲系29-31A』F7が供試され、「穂重型、極長稈、強稈、耐病、酒米として好適」と評価されています。
また同じ昭和33年、赤名分場では原種決定本試験の酒米に『八反流2号×農林44号(高嶺)』F7が供試され「倒伏にやや弱い難点はあるが、首熱胡麻(?)に強く比較的安全度(?)も高く、なお多収、良質で有望」と評価されています。
同じ分場試験の「水稲品種の特性検査」稲熱病検定で『雲系A』が「強」判定されていますが、これは『雲系29-31A』という理解でよいですよね?
昭和34年(1959年)、育成最後の年です。
本場では引き続き原種決定現地試験、F4以後育成試験、育成系統生産力検定試験に供試。
原種決定現地試験では『雲系-A』が平坦部と隠岐島を除く山間部・中山間部・沿岸部8か所に供試され、対照品種は『八反流2号』と『比婆雄町』です。
熟期は場所により異なりますが、『八反流2号』より2~4日遅く、『比婆雄町』より4~5日早いようです。倒伏は発生しますが、倒れる時期が遅いため収量に影響はなく、いもち病耐性も大差無いという評価でした。
総評として「『八反流2号』に比べれば圧倒的多収、山間・中山間部の酒米としての優秀性を示した」とされています。
F4以後育成試験では『雲交28』F8が1系統群5系統栽植と、なぜか前年より系統が増えました。
概評として「極長稈、長穂、耐病、良質、酒米」として1系統群1系統が選抜されいます。
育成系統生産力検定試験では『雲系29-31A』が供試されました。
同34年の赤名分場では原種決定本試験に『雲系A』が供試。
対照品種は「八反流」と「雄町」と記載。おそらくこれは『八反流2号』と『比婆雄町』です。
評価として「『八反流2号』に変る有望系統である」とされました。
『雲交28』『雲系29-31』『雲系29-31A』『雲系-A』など、統一性のない雑多で様々な呼称が見られ、さらに世代数の誤記載も多々見られ、調べている間だいぶ混乱させられましたが、『八反流2号×農林44号(高嶺)』の交配組合せが複数ない限りは最終的な呼称『雲系A』が『改良八反流』として昭和35年(1960年)から奨励品種に採用されたはずです。
酒米ハンドブックなどでは「昭和35年に赤名分場で育成」とされていますが、栽植場所は赤名分場であっても、試験を主導しているのは記録を見る限り島根県農事試験場本場ですし、昭和35年にもう『雲系A』関係の試験は見当たりませんし、業務報告の中で『改良八反流』の呼称が使用されています。
昭和34年に育成は完了し、本場で育成された、というのが事実でしょう。
※昭和41年9月発行の全国農業試験場研究業績集第2集では『改良八反流』は「島根農試赤名分場育成」と記載されています。
ですがあくまでも毎年の業務報告を基に判断しています。
育種経過(報告記載ママ)
系譜図
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雲系A(雲系29-31A)『改良八反流』系譜図 |
当ブログの系譜図は実は正確ではない(交配時の品種・系統名ではない)ので逆にわかりやすいかと思いますが、『改良八反流』の父親の『農林44号(高嶺)』は、『改良雄町』の父親である『農林33号』と交配組み合わせを同じにする品種です。
両者ともに農林省農事試験場鴻巣試験地で交配されていますが
両者ともに農林省農事試験場鴻巣試験地で交配されていますが
・『近畿33号』は昭和10年に『近畿15号(後の『農林8号』)』『近畿9号(後の農林6号)』の交配
・『農林44号』は昭和13年に『農林8号』『農林6号』の交配
なので『コシヒカリ』五姉妹のような「同じ交配から生まれた」という類ではありません。
島根農試がはたしてこれを意識して交配に用いたかも定かではありませんが、同時期に育成された島根県の酒米品種が疑似姉妹のような関係なのは面白いものですね。
ちなみにこの『農林8号』×『農林6号』の交配組み合わせの品種って結構いるんですが、一番有名なのは『コシヒカリ』の母親『農林22号(近畿34号)』でしょう。
ということは『コシヒカリ』たちとも疑似姉妹…?
参考文献
〇業務報告 大正7年~15年:島根県農事試験場
〇業務報告 昭和26年~36年:島根県農事試験場
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