系統名
『酒系3号』
品種名
『改良雄町』
育成年『昭和34年 島根県農事試験場赤名分場』
交配組合せ
『比婆雄町(早生雄町)×近畿33号』
主要生産地
主要生産地
『島根県、広島県』
分類『酒米』
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ん~?私か?改良雄町だよ |
どんな娘?
改良八反流とは同期で五百万石やコシヒカリとほぼ同世代のかなりの古参品種。
親の関係や育ちなどで改良八反流を姉のように慕っている。(同い年ではあるが、本場出身の改良八反流を人間でいう本家、自分を分家のように感じている模様)
常に飄々とした表情のままで冗談交じりの発言をすることが多く、見た目は雄町に似ている。
そのため、後輩たち(と言ってもその数自体少ないが)も安心して相談に来るが、ベタベタと慕われるわけでもなく、彼女自身がさらっと流している感がある。
育成当初に見た目で散々苦労した過去が影響しているのではないかと思われる。(今では克服した模様)
普段は穏やかで物腰も柔らかいが、時折核心を突く言葉を放ち、相手の考えを大きく変えることもある。
概要
島根県の酒米品種で、平成も生産量は100tに届きませんが、細く長く生産されている印象です。
「晩生の雄町を改良した」といった誤った解説も一部見られますが、育成開始時に島根県内で既に普及していた早生(当時、現代基準で中生?)品種の『早生雄町(比婆雄町)』を改良したものです。
実際育成時『早生雄町』と比較しての相違点は「収量がきわめて多い」ことで、熟期や耐倒伏性、いもち病耐性も同程度とされています。(いもち病耐性は一応「同程度か強」判定)
島根県のほかに昭和37年から広島県でも栽培されていますが、なぜか広島県の『改良雄町』だけは、「雄町」の名称で産地品種銘柄に登録されているために、国の統計でも広島県産だけは『雄町2号』に含まれて生産量等が計上されています。(詳細は後述)
稲品種データベースに記載されている『改良雄町』の作付け面積もおそらく島根県産だけのものとおもわれますが…以下そのつもりで
昭和35年の当初年は191haの作付けでスタートし、広島県で奨励品種に採用された翌年の昭和39年が最大普及面積の987haに達します。
これが昭和40年から明確に減少に転じ、昭和49年に100haを切り、暫時減少していきました。
昭和61年頃から30ha前後で安定しますが、これも平成11年頃から20ha前後まで減少。
平成後期~令和初期は生産量60t前後で移行していますので、作付面積は12ha強と推測されます。
ちなみに令和5年産で「広島県産雄町」は94t生産されているので、こちらは20ha弱程度生産されている可能性はあります。
島根県における中生品種で、稈長は93cm、穂長は19.9cmの穂数型。
育成当初は『改良八反流』が倒伏「やや易」とされていたのに対して、『改良雄町』は稈が強く「やや難」とされていますが、令和現在の基準では耐倒伏性は「弱」です。
いもち病抵抗性は「中」で、強い部類には入りません。
千粒重は25.8g程度で心白発現率は90%前後となっており、母親の『早生雄町(比婆雄町)』が千粒重26g台、心白発現率40%弱(広島農試データ)だったことを考えると、かなり改善しています。
でもこれが主食用品種の父親譲りとも考えにくいので、島根県の『早生雄町(比婆雄町)』自体が元の広島県の『比婆雄町』とはまた違った選抜を経ていたのかもしれません。
『改良雄町』は主に酒米品種の栽培試験等を行っていた島根県農事試験場赤名分場で『早生雄町(比婆雄町)』と『近畿33号』の交配後代から育成されました。
なぜか広島県では「雄町」扱い
島根県が交雑育種によって育成した『改良雄町』ですが、なぜか広島県では産地品種銘柄の醸造用玄米としては「雄町」の名称で登録されている事は前述したとおりで、一部蔵は「広島雄町」のような名称で販売している模様です。
酒米ハンドブックでも紹介されていることなので知っている人もそこそこいると思われますが、日本酒界隈お決まりの酒米ガバ知識(なのか実際別に根拠があるのか不明ですが)で「広島雄町」という地域固有種があるかのように謳っていることもあるようで…
というかこれ自体が「短稈渡船を復活しましたw」みたいないつもの日本酒業界の思い込みとお気持ち表明なんじゃないかと疑っていたんですが、調べてみると以下のように広島農試は明確に『改良雄町』と認識している様子。
〇広島県立農業試験場の昭和36年度業務年報には『改良雄町』の採用理由が記載。
〇平成17年(2005年)の広島県立農業技術センター研究報告「酒造好適米に関する県内酒造メーカーの意識調査」でも『改良雄町(広島雄町)』として「現在の酒米奨励品種の中で唯一他県育成品種」と記載
〇広島県庁が公表している「水稲栽培基準」等では奨励品種として『改良雄町』が記載(『雄町』「広島雄町」は未記載)
統計(産地品種銘柄)上は「雄町」、でも実際は『改良雄町』と実にヘンテコなことをしています。
ただしこれは、広島県で『改良雄町』が採用された直後昭和36~41年に食糧庁企画課がとりまとめた「米穀の品種別作付状況」の中ですら、広島県では「雄町」の作付け面積集計しか記載されていませんでした。
おそらく従来栽培されていた『比婆雄町』『舟木雄町』と区別せずに広島県が集計していたと思われ、この慣習が現代まで続いているのではないでしょうか。
『改良雄町』に比して稈が長く、熟期も遅く、いもち病やニカメイチュウの被害が大きく栽培が減っていた上記品種の代替にと採用されたわけですが、当初のそういった経緯が忘れ去られて、「改良雄町は雄町扱いにする」という習慣だけ残ったというのはあり得そうです。
なお、ホンモノの『広島雄町』も存在する
これが現存しているかはわかりませんし、広島県の「広島雄町」は上記のように広島農試の扱いが『改良雄町』であることから、これを復活させて栽培させている可能性は限りなく低いものだと思いますが…広島県にはちゃんと正式な『広島雄町』が存在しました。
大正15年から広島県立農事試験場で岡山県産『雄町』の中から純系分離開始。
昭和8年から奨励品種に採用された晩生品種。
最大作付面積は昭和13年で、4,109町歩でしたが、昭和18年に奨励品種から廃止されています。(この廃止はおそらく太平洋戦争による食糧事情の悪化により、収量性のより良い品種へに切り替えに迫られたものと推測します。)
と、以上のような情報が五十年史には記載があったのですが、私は広島農試の業務功程でこの純系分離の情報を見つけられていません。(そんなに真面目に探してはいない)
ただ育成経過は兎も角、広島県で上記の期間に『広島雄町』が奨励されていたことは間違いありません。
育種経過
『改良雄町』は主に酒米品種の栽培試験等を行っていた島根県農事試験場赤名分場で『早生雄町(比婆雄町)』と『近畿33号』の交配後代から育成されました。
が
早速ですが、『改良雄町』の育成開始年と思われる昭和26年(1951年)どころか昭和28年(1953年)まで、「雄町」関係の酒米育種の情報が、島根農試の業務報告に記載されていません。(あるある)
なお、他県の記録になりますが、広島県立農業試験場の昭和36年度業務年報では『改良雄町』は「昭和27年交配、昭和36年度で雑種第9代」との記載がありますが、以下あくまでも島根県農試の業務報告を正と解釈して解説します。
ただし赤名分場の記録は本場に増して雑でかつ記載が少ないので本当に信用してよいかわかりません。
また、系統名の『酒系3号』について『酒交3号』『酒系3』『酒系-3』などと表記ゆれがありますが、記録そのまま記載します。
改めて、島根県農事試験場赤名分場の昭和29年(1954年)業務報告において「酒米品種の育成淘汰」の項目があり、そこで「(ロ)早生雄町×近畿33号 F3」40坪の記載があります。
(ちなみにイロハの「イ」はのちの『改良八反流』となると思われる『八反流2号×農林44号』、「ハ」は『農林10号心白系』となっており、酒米品種の育成淘汰供試数はこの3つですべて)
◇母本の『早生雄町』は島根県内で栽培されていた広島県由来の雄町系品種で、当時基準で島根県内における早生品種です。
昭和27年(1952年)の酒米品種生産力検定試験で『早生雄町』の経緯について以下のように記載あります。
「比婆雄町は広島県比婆郡山間部より移入されたものであるが、早生雄町として良質多収にて酒米としては好評を博しているが、脱粒しやすい欠点がある」
◇父本の『近畿33号』は、昭和18年(1943年)から島根県で奨励品種に指定されていた多収の穂数型早生品種です。
昭和10年に農林省農事試験場鴻巣試験場で『近畿15号』を母本、『近畿9号』を父本として交配された後、雑種後代第3代を兵庫県立農事試験場における農林省指定水稲新品種育成試験の供試材料として配布され、爾後選抜育成され、昭和18年5月に『近畿33号』と命名されたものです。
交配の目的は明記されていませんが脱粒性が「難」であることと、多収であることを導入しようした可能性は高いように思われます。
稈長は80cm程度と短いほうですが、『改良雄町』に対して反映されていないのは、当初から短稈化が目的で無かったか、取捨選択の結果なのか…
稈長は80cm程度と短いほうですが、『改良雄町』に対して反映されていないのは、当初から短稈化が目的で無かったか、取捨選択の結果なのか…
昭和29年時点でF3(雑種第3代)ということは、逆算すると昭和26年(1951年)交配、昭和27年F1養成、昭和28年F2養成・選抜のような育種経過をたどったことが推測されます。
ただこの昭和29年は他2系統(八流2とN10号)には選抜個体数の記載があるのに、『早生雄町』にだけ何も記載がありませんでした。
翌昭和30年(1955年)も同じく赤名分場の育種の部「酒米品種の育成淘汰」に『早生雄町×近畿33号 F4』が記載。
40坪に作付けされ、13個体を選抜したと記載されています。
昭和31年(1956年)、またしても業務報告には何も記載がありません。
一応赤名分場には「酒米品種生産力検定試験」の項目だけ記載されているのですが、本当にこの項目名が記載されているだけで中身についてはゼロ文字、一切記載されていません。
ただし、『改良八反流』の育種経過から見ても、F5程度ではまだ生産力検定試験は行っていないと思われますが…
島根県に問い合わせて当時の選抜記録でも取り寄せれば(現存していれば)はっきりさせられるでしょうけど、ひとまずそこまで詰める予定は今のところないです。
話を戻して
昭和32年(1957年)、赤名分場の記録に再び早生雄町系が戻ってきます。
「酒米品種の育成淘汰」に『早生雄町×近畿33号 F6』が記載され、他は2系統(八流2&N10号)で昭和30年から変わらず増えていません。
そして赤名分場の「酒米の生産力検定試験」に何の説明もなく、『酒系3』『酒系6』『酒系2』『酒系5』『酒系7』『酒系4』が登場しています。(報告記載順ママ)
これは酒米の育種系統が『早生雄町×近畿33号』と『八反流2号×農林44号』と『農林10号心白系』の3つしかなく、上記生産力検定に『八反×N44 3~7(八反流×44 3~7)』と『N10心白(農林10号心白)』が供試されていることから、この「酒系〇」は『早生雄町×近畿33号』のF6(雑種第6代)と思われます。
それにしても3⇒6⇒2⇒5⇒7⇒4と記載順がばらばらですが、これは中生種最良質の『酒系3』、中生種雄町型心白の『酒系6』『酒系5』、早生種の『酒系7』、早生種で近畿33号類似穂数型の『酒系4』といったように、試験結果に従って羅列しているためと思われます。
…それにしてもわかりにくいので数字通りにしてもらませんかね(この後年はもっとひどい)
閑話休題
「酒造好適米で最良質」とされた『酒系3』は「中生種、粒大は『八反流2号』程度の雄町型心白持ち、心白歩合100%。いもち病、稈蝿ともに強いが冷水に対しては中程度」と記載があります。
また同昭和32年、同じく赤名分場の品種の特性検定試験にこの『酒系』が供試されています。
■冷水抵抗性
「強いもの」…『酒系6号』『酒系7号』
「稍強いもの」…『酒系2号』『酒系3号』
「中程度」…『酒系4号』
■穂首いもち
「強いもの」…『酒系2号』『酒系3号』『酒系5号』『酒系6号』
「中程度」…『酒系4号』
同じ年の同じ分場内の試験結果なのに『酒系3号』の冷水抵抗性が「稍強いもの」と、生産力検定試験の評価にあった「中程度と思われる」と早速矛盾しているんですが…そもそもなんで6系統すべて均等に試験に供試されていないのか?
きっとなにか特殊なジジョーがあったんでしょうね(テキトー)
昭和33年(1958年)、この年から島根県農事試験場本場の試験記録にも『酒系』が見られるようになります。
この年は雑種第7代となります。
本場の原種決定試験「a.乾田における成績」の中に酒米群Ⅰとして『酒系-5』『酒系-3』『酒系-2』が記載。
5、3については評価は×で「見込みなく打ちる」との記載。
『酒系-3』も「早生種の晩。酒系-5よりさらに長稈で、白葉枯病等の発病も多く、成熟期の様相は汚く、収量は酒系-2に劣る。」と散々ですが「倒伏がやや酒系-2に勝り、心白発現率が89%であること」から「△ 次年度更に検討」と記載されています。
原種決定現地試験でも同様に『酒系-5』と『酒系-2』については試験打ち切りの記載があります。
また同じく本場の特性検定試験の葉稲熱病検定試験では「最弱」として『酒系5,2,3号』と記載(原文ママ)あります。
では同昭和33年赤名分場の記録はどうかと言うと、「原種決定本試験」の酒米として、『酒交9号』『酒交3号』『酒交4号』『酒交5号』『酒交1号』『酒交2号』『酒交7号』『酒交8号』『酒交6号』が供試(記載順)。
相も変わらず不規則な記載順ですが、昨年が間飛びの6系統だったのに対して、きれいに1号~9号の9系統供試になっています。
そしてなぜかは知らんけども、「酒系」が「酒交」になりました。(ただしこれは一覧表上の記載だけで、評価の欄では「酒系」に戻っているので、ただの誤記載と思われる。)
『酒系2号』は多収ながら粒色悪く、倒伏・首稲熱に弱く見込み薄。
『酒系1号』は極大粒、多収・良質で安全度(?)も高く有望。
『酒系8号』は熟期がやや遅いは多収良質。
『酒系4,7,5,6,9号』(原表記ママ)は稈蝿に弱く見込み薄。
『酒系3号』はこの年の成績はあまり良くなかったものの、特に良質で安全度(?)も高く継続。
赤名分場では別途水稲品種の特性検定試験に酒系が供試されていましたが割愛します。
昭和34年(1959年)、雑種第8代にして、育成の最終年になります。
最初に赤名分場の記録を見てみます。
原種決定本試験に『酒系1号(酒系1)』『酒系2号(酒系2)』『酒系3号(酒系3)』『酒系4号(酒系4)』が供試されています。
きれいに1~4号が供試されていますが前年度の試験評価(1,3,8号高評価)と一致しないので、ここまでの酒系系統と同一視できないかもしれませんが
この中から今まで同様『酒系3号』が最も評価が高く、「高嶺程度熟期。早生の晩にて穂型は淋しい感はあるが、特に心白明瞭(雄町型)良質、耐病性、倒伏共に強く、多肥栽培増収の期待はできる安全度の高い系統である」とされています。
同時に供試されている『早生雄町』については「脱粒多く、耐病虫性弱く、収量変異も多く生産力も低い」との評価がありました。
評価詳細は省きますが、記載されていた評価を表す記号表記は『〇酒系1号』『△酒系2号』『◎酒系3号』『〇酒系4号』『×早生雄町』です。
次に昭和34年の本場の記録です。
原種決定試験の予備試験で酒米群に関して次の記載がありました。
「本県の酒米は近年極端に早生化され晩生種は非常に少なくなったため本年は赤名分場育成の中生群についてのみ行った」
そして供試されているのは『酒系-3』(供試2年目)と『酒系-1』(供試初年目)の2系統です。
『酒系-3』は「熟期は『農林22号』程度で長稈少蘖、穂重型。穂重型にしては倒伏が少ない。病気には弱いが、穂稲熱にだけは強い。熟期の草姿は汚い。粳米に収量は劣るが酒米としては多く、品質も良く、心白の発生も良好」(意訳)と評価されています。
この評価通り、同年本場の特性検定試験で『酒系-3』が葉いもち「弱」、穂いもち「極強」と判定されています。
また原種決定現地試験でも『比婆雄町』と県下8か所で比較され、収量について1か所は同程度、1か所は少なかったものの、他6か所はきわめて多収と言う成績を残しています。これにより『酒系-3』は「きわめて多収で『比婆雄町』に替え得る結果を示した」と評されています。
以上、昭和34年度時点でいまだに見た目の悪評はついて回りますが、多収であることと米の品質・心白の評価で有望とされ、予備試験ながら「本年度奨励品種に採用の予定」と明記されています。
ここまでの記録の流れから、「赤名分場で交配された『早生雄町×近畿33号』後代の『酒系3号』が昭和34年に育成を完了し、昭和35年から島根県の奨励品種に指定された」と言う解釈で間違いはないように思われます。
病気に弱い、熟相汚し等の評価が私には目につきましたが、結果この『改良雄町』は本場育成ながら同期の『改良八反流』よりも長い間、広面積に普及したのですから、本当に育種は難しいものだと感じました。
当ブログの系譜図は実は正確ではない(交配時の品種・系統名ではない)ので逆にわかりやすいかと思いますが、『改良雄町』の父親の『近畿33号』は、『改良八反流』の父親である『農林44号(高嶺)』と交配組み合わせを同じにする品種です。
両者ともに農林省農事試験場鴻巣試験地で交配されていますが
両者ともに農林省農事試験場鴻巣試験地で交配されていますが
・『近畿33号』は昭和10年に『近畿15号(後の『農林8号』)』『近畿9号(後の農林6号)』の交配
・『農林44号』は昭和13年に『農林8号』『農林6号』の交配
なので『コシヒカリ』五姉妹のような「同じ交配から生まれた」という類ではありません。
島根農試がはたしてこれを意識して交配に用いたかも定かではありませんが、同時期に育成された島根県の酒米品種が疑似姉妹のような関係なのは面白いものですね。
ちなみにこの『農林8号』×『農林6号』の交配組み合わせの品種って結構いるんですが、一番有名なのは『コシヒカリ』の母親『農林22号(近畿34号)』でしょう。
ということは『コシヒカリ』たちとも疑似姉妹…?
参考文献
〇業務報告 昭和26年~36年:島根県農事試験場
〇広島県立農事試験場五十年史:広島県立農業試験場
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