2017年8月1日火曜日

山田錦 【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『無し』
品種名
 『山田錦』
育成年
 『大正12年(西暦1923年) 兵庫県立農事試験場』
交配組合せ
 『山田穂×短稈渡船』
主要産地
 『兵庫県』
分類
 『酒造好適米』
山田錦「最近また活躍できるようになってきました」
現行栽培品種の中でも最古参に含まれる「山田錦」の擬人化です。
酒造好適米の代表的品種とされ、低タンパク、大粒、良好な心白と三拍子揃っており、特に豊潤な日本酒が出来ることから「酒米の王様」とも呼ばれます。
しかし反面稈長が長く、倒伏しやすい上、いもち病、縞葉枯病に弱いことから、栽培は非常に難しいとされています。
だがしかし、山田錦から作られる日本酒の人気・知名度、蔵元の評価はやはり高く、平成21年より酒造好適米の検査数量1位を誇っています。

その人工交配は大正12年(1923年)まで遡ります。
母本「山田穂」、父本「短稈渡船(雄町選抜品種)」として育種が行われ、昭和3年(1928年)に兵庫県加東郡社町(現:加東市)で産地適応性試験が行われました。(山田錦の両親となったこの二品種は明治45年(1912年)に兵庫県初の酒米奨励品種として指定されていたものです。)
選抜固定が行われ、昭和6年(1931年)には「山渡50-7」という系統名が与えられ、翌昭和7年(1932年)からは酒造米試験地でも生産力検定試験が行われます。
昭和11年(1936年)に水稲原種改廃協議会で「山田錦」と命名されました。(当初は「昭和」と命名される予定だった?らしいのですが、原因不明で名称変更)

今は「王」とまで呼ばれる山田錦ですがその滑り出しは不調だった様子。
いままで県外産の酒米を買い付けていた兵庫県内の杜氏からは中々使ってもらえなかったそうです。
そんな状況を変えたのが皮肉にも太平洋戦争だったとか。昭和17年(1942年)に戦時下の統制で県外からの米の買い付けが出来なくなり、使用できる酒米が県産の山田錦だけとなってようやく(半ば強制的に)使用され、その優秀さが認識されることになったそうです。

昭和38年(1963年)にその作付けは10,843haとピークを迎えますが、やはりその栽培特性からか(米余りの時代になるにつれ)次第に敬遠されはじめ、昭和59年(1984年)には1,974haまで作付面積を減らします。
しかし酒造適性の高さからその価値が見直され昭和60年(1985年)から再増加を開始、平成6年産(1994年)には5,202haまで復活。
その後もしばらくは五百万石の後塵を拝して作付面積2位でしたが、「味」の酒造好適米を求める風潮は年々強まり、平成21年についに(統計変わって『検査数量』で、ですが)五百万石を抜いて酒造好適米1位に返り咲きました。

2017年現在、全国的に栽培されているものの、誕生地である兵庫県での生産が大多数を占めます。
特に兵庫県三木市、加東市の一部は特A地区としてこの地区産の山田錦が珍重されている…のですが、これはあくまで栽培地域の歴史的経緯によるランク付けであることには注意が必要です。(生産される山田錦の酒米品質を必ずしも反映しているわけではないので、毎年品質に応じて更新される食用米の地区指定とは全くの別種です。)


ところで謎なのが
恒例のウィキペディアなのですが「短稈の長さが130cm」との表記。
これを真似したのかネット上でも「山田錦は短稈が長い」との表記もチラホラ…
稲の稈の長さについては、(そのまんまですが)『稈長』と言うはず。
「稈長」「短い」ものを『短稈』と言うはず…なのですが?(人間で「足」「短い」人を『短足』と呼ぶように)
短稈が長い』では、『短足が長い人』(え?足が短いの?長いの?)のように意味不明です。
※【正】山田錦は稈長が長いので倒伏しやすく栽培が難しい品種です。

『山田錦』系譜図





0 件のコメント:

コメントを投稿

最近?の投稿