2021年1月24日日曜日

【糯米】改良羽二重糯27号~滋賀羽二重糯~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

系統名
 『改良羽二重糯27号』
品種名
 『滋賀羽二重糯』
育成(命名)年
 『昭和14年(1939年) 滋賀県立農事試験場』
交配組合せ
 『改良羽二重糯(改良羽二重糯14号)から純系淘汰選抜』(墨猫大和独自論)
主要生産地
 『滋賀県』
分類
 『糯米』

引く手数多、滋賀羽二重糯はわしじゃ



どんな娘?

高飛車で、高慢にも思われる態度が目立つが、その態度にそぐわぬだけの実力(実需者からの信頼)は持つ。
それ故にプライドは非常に高く、誰かに負けることを非常に嫌う。
そのような態度から彼女を苦手とする娘も多い。

昭和中期生まれの3品種が三太夫を務めるなど古参の勢力がより強い糯米の中でも、更にその上を行く古参で、第二次大戦中をリアルに知る数少ない存在。
正しい意味での「年功序列」を信奉しており、認めた相手には敬意を払うことは忘れない。(すなわち年功とは「長年の熟練によって得られた技能・功績」である)
同郷の大先輩ではあるが出戻りに近い滋賀渡船6号にもあくまでも対等か自分の立場の方が上であるかのような態度で接するが、この場合は相手(6号)が気にしないので特に問題になっていない。
ちなみに滋賀渡船2号については彼女が普及した時点で既に隠居状態だった(事に加えて正直品種としてさほど優秀とは言えない)ので・・・皆までは言わない。


概要

高級糯米品種とされる『滋賀羽二重糯』の擬人化です。
糯米の中でも粘りやコシが強く、きめが細かく、固くなりにくい性質から一般の餅用以外にも高級和菓子用として利用され、業界から高い評価を受けています。(でも『はくちょうもち』の方が固くなりにくかったりする)
1952年から1989年まで天皇陛下(昭和)に正月用の餅として献上され続けたこともあるとか?
『改良羽二重糯』からの純系選抜で育成された品種で昭和初期から令和現代まで栽培の続く大ベテラン品種です。

(平成26~28年試験結果)
普及地における熟期は中生の晩で、滋賀県平坦部における普通期栽培に適するとされています。
草型は中間~偏穂重型、稈長105cmと長稈で、穂長は23.8cm程度です
千粒重は約22.2gで、収量は約550kg/10a程度。
品質「上の下」、食味「上の上」と評される食味の非常に高い品種ですが、反面栽培特性には欠点も多いです。
いもち病耐性は葉・穂共に「弱」で、耐倒伏性も「弱」と、稲熱病に罹りやすく、倒伏しやすい品種ということになります。
加えて脱粒性、穂発芽性も「易」と、栽培しやすい品種とは言えないようです。(「倒れやすく」かつ「穂発芽しやすい」稲は、台風などで倒れて水に浸かると発芽してしまい、商品としての価値が大幅に落ちてしまう。『コシヒカリ』は倒伏しやすいものの、その場合でもほとんど穂発芽しない=商品価値が下がらないために、全国普及の一助になったとも言われる。)
ただ、白葉枯病と紋枯病についての耐性は「やや強」との判定です。


恒例のウィ○ペディアの間違い情報(R2年度時点)

このWi○ipedia記事からの引用か、もしくはそもそもの元凶なのかわかりませんが、間違った記述のサイトがちらほら・・・

①「改良羽二重」から選抜×間違い×
『改良羽二重糯』から、です。
「雄町米」の”米”みたいなノリで”糯”がついていると思われているのか、単なる打ち間違いか。
『改良羽二重糯』で品種名です。
「改良羽二重」と言う品種はありません(多分)が、農林省農業改良局農産課発行の昭和30年の資料で誤記載があったのでそこからの引用…かも?

②系統名は『滋賀糯59号』×間違い×
1994年度に育成を完了した『滋系糯59号』(『滋賀羽二重糯』へのガンマ線照射による突然変異)を見間違ったものと思われますが・・・何か根拠でもあるのでしょうか?
『滋賀○号』の地方系統名が使用されるのは平成初期(1994~1995年頃)に「県農業総合センター農業試験場」になってからで、しかも60号及び62号以降の数字です。
61号と59号以前はどこにいったかというと、それ以前の「県農業試験場」時代に『滋系○号』の形で使用されていますが、一番早い時期に命名された「滋系1号」ですら昭和35年(1960年)の品種です。
これより遙か昔、戦前の昭和12年(1937年)頃に『滋賀糯○号』なんて系統名が使われているわけがありませんよね。(後述)

③「1938年に育成を開始し、1939年に純系分離により育成」×間違い×
これも間違いですね。
1934年育成開始です(後述)



育種経過(墨猫大和独自論含む)

昭和9年(1934年)に滋賀県農事試験場において、『改良羽二重糯』(及び『中生旭』の計2品種)について、優良系統の選出を目的とした系統分離による品種育成試験が開始されました。
選抜元となった『改良羽二重糯』は京都府立農事試験場から配布を受けたものです。

滋賀県が配布を受けた昭和8年、糯の奨励品種は『滋賀白糯18号』しかなく、これは糯品種としては粘りが足りないのが欠点とされていました。
その欠点を補う意味で導入が予定されていたのが、京都農試で『羽二重糯』と『早生神力』の交配後代から育成された『改良羽二重糯』※です。

※詳細は【関連コンテンツ】『改良羽二重糯』の正体は?

品種として固定されているはずの『改良羽二重糯』ですが、いざ試作してみると分離が著しかった(個体のばらつきが大きい)ため、滋賀農試では純系淘汰による選抜を実施することとします。

初年度昭和9年(1934年)は約2,000個体を栽植し、その中から50個体を選抜します。

昭和10年(1935年)は前年の50個体を50系統として栽植し、優良系統を選抜し次年度に供しています。
これ以降の育種記録は残存しておらず詳細は不明ですが、この初期50系統(『1号』~『50号』)の中の『改良羽二重糯27号』が後の『滋賀羽二重糯』となる系統になります。

滋賀県にも育種記録は残っていないとのことで、ここから先は完全に推測でしかありませんが・・・
大正初期の慣例(後述※)のままであれば、選抜3年目となる昭和11年(1936年)は在来や基準品種を対照とした収量調査が各系統につき5坪×2箇所、都合10坪(約33㎡)の栽培面積で実施されます。
収量と共に特性も考慮して選抜が実施されたものと思われます。
続いて選抜4年目の昭和12年(1937年)も再度収量調査と優良系統決定試験、そしてここでは判断が下せず、翌昭和13年(1938年)も再度収量調査と共に有望系統の最終決定を行ったはずです。

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大正時代の滋賀県の純系淘汰は
1年目に複数箇所から集めた品種群の中から有望株を系統分離
2年目に固定度と特性検査(生育・出穂・成熟期等)で選抜
3年目に収量調査と特性を加味して選抜
4年目に再度収量調査を行い優良種を決定、命名、配布(原種圃の設置)
5年目に三度収量調査を行い優良種を決定、命名、配布(原種圃の設置)
と、4~5年で育成を完了しています。(例外や細部の違いはあり)
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滋賀県の記録では昭和12年(1937年)から各郡の農会に試作を依頼したとされており、成績が良好と評されています。
そして昭和13年度(1938年度)に育成を完了しました。
最終的に昭和14年に『滋賀羽二重糯』と命名され、奨励品種に指定、種子配布が開始されました。
昭和、平成そして令和の時代においても、高品質の糯米として栽培が続けられています。



系譜図(墨猫大和独自解釈含む)


改良羽二重糯27号『滋賀羽二重糯』 系譜図



参考文献(敬称略)

〇業務功程 昭和8年度~10年度:滋賀県立農事試験場
〇業務功程 大正8年度~15年度、昭和2年度~8年度:京都府立農事試験場
〇滋賀県立農事試験場機関紙「治田」第4巻第2号:滋賀県立農事試験場
〇滋賀県稲作指導指針(令和元年3月発行):滋賀県
〇水陸稲・麦類・大豆奨励品種特性表 平成28年度版:農林水産省
〇「ラピッド・ビスコ・アナライザー(RVA)による滋賀県育成糯系統の加工適性に関する評価」:寺本薫
〇餅等の硬化が遅く、いもち病、イネ縞葉枯病に強い水稲糯新品種「愛知糯126号」:http://www.naro.affrc.go.jp/project/results/4th_laboratory/nics/2018/nics18_s03.html
〇滋賀県主要栽培品種および「大育 2485」のイネ紋枯病耐病性評価:https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/2010133.pdf


【問い合わせ対応御礼】
〇滋賀県農業技術振興センター


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