地方系統名
『信放酒1号』
品種名
『美山錦』
育成年『昭和53年(1978年) 長野県立農事試験場』
交配組合せ
『たかね錦へのガンマ線照射』(農林省放射線育種場)
主要生産地
主要生産地
『長野県、秋田県』
分類『酒造好適米』
どこかふわふわしていて、表情の変化も少ないためにつかみどころがない娘。
酒米っ娘の上2人が真面目で堅物な一方、ゆる~い態度の美山錦を(悪い意味も含め)頼る米っ娘も少なくない。
あっちへふらふらこっちへふらふらと気まぐれに見えて、やるべきことはきっちりこなす。
概要
長野県の主力品種にして、酒米生産量の全国第3位である『美山錦』の擬人化です。
『美山錦』育成前の昭和40~50年代における長野県の酒米奨励品種は『たかね錦』のみでした。
『たかね錦』は昭和27年(1952年)に多収品種として奨励品種に採用されたもので、その後酒造適性に注目され”酒米”の扱いを受けるに至ったものです。
栽培特性に優れ多くの県で安定的な需要はあったものの、経緯からわかるように当初から酒米用の品種として育成されたものではないため、小粒で心白発現率が低く、タンパク質含有率が高いなど、酒造用米としての品質には問題も抱えていました。
(認定品種となっていた『金紋錦』もありましたが、こちらは栽培地域が限定されておりほんの数%しかありませんでした。)
そんな『たかね錦』の栽培特性はそのままに、玄米の品質面での問題を改善したのが『美山錦』です。
そんな『たかね錦』の栽培特性はそのままに、玄米の品質面での問題を改善したのが『美山錦』です。
長野県内においては昭和53年(1978年)から標高700m以下の酒米団地向けの奨励品種となっています。
「長野県の美しい自然の中で生産され、美しい山の頂のような心白がある」ことから『美山錦』と命名されました。
なめらかで、さっぱりとした酒質になりやすいとか。
生育地における熟期は「中生の早」で、長稈・長穂の穂重型品種です。
稈は太いものの、穂が大きいためにたわみ型の倒伏をしやすく、耐倒伏性は「やや弱」の判定です。
育成当初こそ葉いもち病抵抗性「やや強」、穂いもち病抵抗性「中」と判定されましたが、後年の評価は両抵抗性とも「やや弱」です。
真性抵抗性遺伝子型は【Pi-a】【Pi-i】と推定。
耐冷性は「やや強(旧)」(令和現在の「中」相当か)。
玄米千粒重は24~25g程度で、『たかね錦』よりも1.5~2.0g重くなりました。
心白発現率も67.8%と高く、心白率も59%で適性とされます。
タンパク質含量は約8%で僅かながら『たかね錦』より低くなりました。
育種経過
長野県における酒造用米主力品種であった『たかね錦』の改良を主目的として、長野県農事試験場で育種が開始されます。
玄米品質については良質化を目指しつつ、栽培特性については『たかね錦』と変わらない品種が目標でした。
昭和47年(1972年)、農林省放射線育種場に依頼し『たかね錦』の乾燥種子100gに対して80KRのガンマ線を照射してもらいます。(ところで当時の報告書「ガンマー線」と書いてありました。これが当時スタンダード?)
長野県農事試験場はここからR1世代850個体を養成し、1穂1粒の採種を行います。
昭和47年(1972年)、農林省放射線育種場に依頼し『たかね錦』の乾燥種子100gに対して80KRのガンマ線を照射してもらいます。(ところで当時の報告書「ガンマー線」と書いてありました。これが当時スタンダード?)
長野県農事試験場はここからR1世代850個体を養成し、1穂1粒の採種を行います。
翌昭和48年(1973年)、R2世代2,562個体の中から粒大と心白特性で個体選抜が行われ、30個体を選抜します。
以後系統育種法により選抜・固定が図られます。
昭和50年(1975年)R4世代で準予備試験に供試され、結果が良好だったため『信放酒1号』の系統名が付され、これ以降生産力検定試験・生産力検定現地試験に供試され、特性検定試験が実施されます。
昭和50年(1975年)R4世代で準予備試験に供試され、結果が良好だったため『信放酒1号』の系統名が付され、これ以降生産力検定試験・生産力検定現地試験に供試され、特性検定試験が実施されます。
昭和51年(1976年)R5世代からは長野県食品工業試験場に依頼して酒米適性試験が実施され、『たかね錦』よりも酒米適性がやや優るとの判定が下されます。
昭和52年度(1977年)R6世代も引き続き各種試験が行われるのに加え、秋田県、新潟県、岐阜県の3県でいずれも『たかね錦』を対照として試作が行われます。
秋田県では品質は同程度ですが収量でやや優り、倒伏もしにくいとのことで「有望」の評価。
新潟県では収量・品質・耐倒伏性いずれも同程度で、唯一葉いもち耐性だけが優り「試験継続」。
岐阜県でも収量以外は優る点もなく「試験継続」の判断をされています。
以上の試験の結果、有望と認められ、昭和53年(1978年)R7世代において長野県の酒米奨励品種に採用され、同年『美山錦』と命名されました。
品質面で『たかね錦』よりも大粒化、心白発現率の向上といった良質化が実現しました。
加えて栽培特性はねらい通り『たかね錦』とほぼ変わらず、生産者にとっても実需者にとっても理想的な品種として完成しました。
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