2015年11月8日日曜日

【粳米】秋田31号~あきたこまち~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『秋田31号』
品種名
 『あきたこまち』
育成年
 『昭和59年(西暦1984年) 秋田県 県農業試験場』
交配組合せ
 『コシヒカリ×奥羽292号』
主要産地
 『秋田県』
分類
 『粳米』
「あきたこまちでござ~い。」




どんな娘?

コシヒカリ御三家の一角にして、秋田県産米達の大先輩&大黒柱。

出身地は福井県ですが、養子縁組のような形で秋田県に渡り、その秋田県を代表する品種にまで成長しました。
公的には親権がどこにも無い状態ですが、福井県と秋田県が半々持っているというのが彼女の心の内。

ひとめぼれが冷静な時はあまり表に出ないようにしていますが、何かあった際にはまとめ役を買って出ることが多く(残るヒノヒカリに落ち着きがないというのもありますが)、リーダー気質はあるものの、常には飄々と一歩引いた振る舞いを心掛けている様子。
語尾が「~ねぃ」と独特だが、何に由来しているか不明。




概要

『はえぬき』が知名度不足で涙目なのに対して、抜群の知名度を持つ娘(色々と話題は尽きない)。
平成時代は作付面積は4位であるものの、検査数量では『コシヒカリ』、『ひとめぼれ』に次ぎ堂々の3位。(『ヒノヒカリ』は小粒ですから…ね?)
そんな『あきたこまち』の擬人化です。


もちもちと粘りのある食感で、冷めても味が落ちにくいのが特徴。


秋田県と言えば『あきたこまち』!と言っても過言ではない、値段と質のバランスのとれたお米にして、『はえぬき』の父方にあたります。
そんな『あきたこまち』ですが、実は当初は全国的に有名な品種にするにあたって「あきた」という直接的な地名を使うことには抵抗もあり、『あきこまち』が第一候補だったとか。
しかしながら販売戦略上、地名は必ず必要だ!という直接販売担当側の強い要望により、『あきたこまち』と命名。結果これは成功したと言って良いのではないでしょうか?


また、平成28年ころから始まった新ブランド米競争では各県が周知のために億単位の宣伝費を投じるのが常ですが、この『あきたこまち』に関しては

1.米どころとしては有名だったものの、長らくオリジナル品種の無かった秋田県で久々の新品種
2.当時としては珍しい「『コシヒカリ』を超える米」として日本穀検のお墨付きを得た

これらのことから各種マスコミに大きく取り上げられ、労せずして日本全国にその名前を売ることに成功したと言われています。


今現在彼女は東北を中心に安定的な作付面積を誇っています。
跡継ぎの『ゆめおばこ』を暖かい目で…見守っているのかな?
さらに秋田県の新たなフラッグシップ米『サキホコレ』も2022年に新登場予定。
世代交代も近い・・・かな?


萌え米(パッケージ)とやらの先駆けになったのは彼女(無根拠)。
(と言いつつも、実物を見たことは無いのですがコシヒカリBLの「BL(ボーイズラブ)押し」の方が早かった…かな?)
平成20年(2008年)9月22日にJAうご(秋田県羽後町)から販売されたのが先駆だと勝手に思っています。
イラストを手掛けたのはイラスト作家の西又葵先生。
平成26年産(2014年)からは2代目こまち娘も登場。

今(2017年)や探せば萌え米なんていくらでも見つかりますが、キャラクターの作りやすさがやはり先駆者となれた要因?



育種経過

『あきたこまち』となる稲個体の育種が始まった昭和51年(1976年)頃、米不足から米余りの時代へと変わりつつあった中、自主流通米制度も始まりいよいよ”美味しいお米”が求められるようなそんな時代、秋田県には主力となる良食味品種が不在でした。
『コシヒカリ』や『ササニシキ』と言った良食味品種は当時の秋田県では晩生に過ぎ、とても主力としては期待できず、より早生の良食味品種が渇望されていました。

そのような中でしたが、秋田県では昭和16年(1941年)以降は県独自の育種事業をしておらず、新品種開発はもっぱら他県からの配布系統に頼る状態が続いていました。
昭和51年(1976年)に水稲品種科が新設され、県独自の育種が再開したとはいえ、まだまだ手持ちの材料が少ない中です。少しでも早く育種の規模を大きくして軌道に乗せたいとの考えから、他県からの数集団の譲渡も多く受けていました。
そんな数集団の一つとして、福井農試で昭和50年(1975年)に交配された【『コシヒカリ』×『奥羽292号』】品種のF2(雑種第二代)の中から一株(384粒)を譲り受けます。(石黒慶一郎市場長より畠山研究員へ)
この福井農試のF2を含め、駆け出しの秋田農試では多くの交配品種の系統選抜、個体選抜が行われていました。

話は戻って
選抜の目標は秋田県内でも安全に栽培可能な熟期で、かつ『コシヒカリ』の食味特性を導入することでした。

昭和52年(1977年)3月、譲渡を受けた348粒を移植、内81株を選抜します。
翌昭和53年(1978年)、F3世代81系統を1系統あたり68株移植しますが、田植えが遅れたために徒長軟弱となり出穂期の判定が難しくなりました。ただ、畑晩播による葉いもち耐病性検定の結果を踏まえ、短稈・耐倒伏性、登熟性の良い15系統を選抜します。その中から固定度の高い12系統についてビーカー法に依る炊飯米の光沢検定が行われ、他の交配組み合わせと比較して『奥羽292号』の組み合わせに光沢の良いモノが多く見られました。
しかしこの時点で『あきたこまち』となる系統は光沢1.5で、それほど注目されていませんでした。

昭和54年(1979年)、F4世代15系統群52系統を栽培し、7系統群38系統を選抜します。
耐倒伏性、固定度、出穂期、品質調査などを複合的に判断し選抜したこの7系統群について、さらに室内で株調査と品質による系統内の株選抜を実施し、5系統について『生5502』~『生5506』の系適番号が付されます。
この時点で最も有望視されたのが『生5504』でしたが、後に『あきたこまち』となる『生5505』については固定度観察や炊飯米光沢検定では突出していませんでしたが、草型が全体的にまとまっており、なにより出穂期が『生5504』より3日ほど早かったそうです。

昭和55年(1980年)、系適番号の付されたF5世代は生産力検定試験や穂いもち病耐性検定を実施。7系統群38系統に対し4系統群4系統を選抜(早生の『生5502』『生5504』『生5505』、中晩生の『生5506』)。そしてこの年の産米を用いてテクスチュロメーターによる物理性の検定や食味感触検定を実施し、総合的に『生5504』が粘りが強く優れる一方、『生5502』や『生5505(あきたこまち)』も『ササニシキ』に匹敵する良食味であることが分かりました。
ただし、秋田県で安定多収品種とされる『アキヒカリ』や『トヨニシキ』に対して食味は大幅に勝るものの栽培特性が劣るとされています。

昭和56年(1981年)、F6世代4系統群(『生5502,5504,5505,5506』)24系統を栽植。
熟期の遅い『生5506』系統、及び稈が弱く穂相貧弱な『生5502』が廃棄されます

さらに生産力検定試験、及び特性検定試験、食味特性などを総合判断して『生5504』も廃棄。
『生5505』の2系統12個体を選抜し、『秋田31号』の系統名が付されます。

昭和57年(1982年)、F7世代『秋田31号』2系統群12系統を移植、1系統群1系統8個体を選抜します。
この年は生産力検定試験を県内18か所で行い、穂が小さく収量構成確保に不安が残り、多肥で稈の弱さが目立つ点が欠点として指摘されました。しかしながら良質で食味の良い点については現地でも高く評価されました。

昭和58年(1983年)、F8世代は1系統群8系統を栽培、2系統20個体を選抜し、実用的な固定度に問題が無いことを確認しています。
奨励品種決定現地試験21か所の評価は◎が4か所、◯が9か所、△が8か所と概ね好評を得ています。

昭和59年(1984年)9月に『あきたこまち』と命名されました。

ちなみに
秋田県が独自の育種を行っていた昭和16年(1941年)までには『秋田25号』まで地方番号が付されていたそうですが、今回(1982年)の育種再開までの長期のブランクを考慮し、26号~30号までは欠番として、再開後の第一号を『秋田31号』としたそうです。

福井農試が産み、秋田農試が育てた『あきたこまち』、種苗法による登録はその権利を両試験場が譲り合ったために為されていないとか…
始まりとなった種子の譲渡にも見られるように、育成・研究者の方々の謙虚な姿勢に支えられて、「あきたこまち」があると言っては過言でしょうか?


大系437の間違い拡散中


蛇足ですが…ネット上での彼女の系譜図は大混乱です。
父本の奥羽292号、そのさらに父本雑種第一代のさらに父本
これが『大系434号』『大系437号』『大系437』とバラバラです。

○米品種大全5では『大系434号』(ネット上の多くのサイトはほぼこの『大系434号』との表記)
○ネット上の系譜図で『大系437号』
○論文『山形45号(はえぬき)の育種』では『大系437』

でもとりあえず下の系譜図『大系437』でいいはず…
※H29.4.1追記
気になってしようがないので㈱米穀データバンク様に問い合わせたところに、丁寧に回答いただきました。
まず『あきたこまち』を育種した秋田農試験、『あきたこまち』の原種を交配した福井農試にも問い合わせしたところ、『大系』の番号を付した『現・農研機構東北研究センター大仙研究拠点』への問い合わせが最も適当であるとの助言をいただいたそうです。
そこで、『現・農研機構東北研究センター大仙研究拠点』に直接問い合わせたところ奥羽292号の育成参考成績書等には『大系437』と記載されていたそうです。
この『大系437』は品種という位置付けにない、研究段階のもののため『号』も付かないとのことで、結論として『大系437』の表記が正しいとのことです。
まぁ米品種のそんな祖先の系譜を気にする人は居ないのでしょうが、ネット上の系譜図『大系434号』は残念ながらすべて間違いなのですが、おそらく当分修正されることはないのでしょうね…ネット社会恐るべし(まぁ一般の方には大した問題ではないのでしょうね)
ちなみに
そもそも㈱米穀データバンク発刊『米品種大全』の系譜図は農水省農蚕園芸局編「水陸稲・麦類奨励品種特性表」(昭和62年9月発行)の系譜データを採用していたそうですので、国が発行したこの特性表が間違っていたようです。(私も見てみましたが確かにガッツリ『大系434号』の記述が)
『米品種大全』の系譜図については次回の書籍編集の際に修正頂けるそうです。
㈱米穀データバンク様にこの場をお借りしてご対応に感謝申し上げます。



系譜図

秋田31号『あきたこまち』 系譜図



参考文献(敬称略)

〇銘柄米「あきたこまち」の育成と流通対応:斉藤正一
〇水稲新品種「あきたこまち」「たかねみのり」の育成と県単育種の役割:畠山俊彦


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2015年11月5日木曜日

【粳米】東北143号~ひとめぼれ~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『東北143号』(『水稲農林313号』)
品種名
 『ひとめぼれ』
育成年
 『平成3年(西暦1991年) 宮城県 県古川農業試験場』
交配組合せ
 『コシヒカリ×初星』
主要産地
 『宮城県』
分類
 『粳米』
「えと…ひとめぼれ、です。宮城県出身ですよ?」


どんな娘?

コシヒカリ御三家の一角。

お米界のサラブレットで、コシヒカリ並みのエース…かと思いきやアイデンティティを見いだせず器用貧乏というか、周囲からは特徴がないと思われている娘。
出自が出自だけあって本人もあまり自分に自信が持てない傾向があり、常に語頭に「えと…」という言葉が付く。

作付面積では大きく勝っているものの、ちゃんと秋田県というイメージを確立しているあきたこまちを内心うらやましく思っている。
基本的におとなしく、八方美人分け隔て無く誰とでも接することが出来る明るい性格だが、ネガティブ感情が一定量を超えるとかなり思い詰めてふさぎ込んでしまう一面もあり。


概要

『コシヒカリ』に次ぎ、日本第二位の生産量を誇る米です。

品種名『ひとめぼれ』は、光沢、色沢が美しい極良食味品種で、出会った途端に一目惚れするような品種であることを表現しています。


宮城県出身にして宮城県の主力品種である…ことは間違いないのですが、作付している都道府県が多いせいか『ひとめぼれ』と言ったらここ!というイメージがなかなか浮かばない品種です(一部管理人の偏見あり)。
実際、平成29年(2017年)の時点で【この米の産地のイメージは?】という質問で
『コシヒカリ』に関しては80%の人が「新潟県」と回答したのに対して(福井県涙目)『ひとめぼれ』は「特定の産地イメージ無し」が最多の40%を占め、本命の「宮城県」と答えたのは15%だけという…(宮城県調べ・首都圏)

北は青森(平成26年より)から南は沖縄まで(まんべんなく全都道府県に銘柄指定されている訳ではないですが)、『コシヒカリ』より高い適応力を見せるオールマイティな米っ娘。
そんなオールマイティさを獲得できたのは実は千葉県のおかげです(育成経過参照)。

そんな『ひとめぼれ』は沖縄県でのメイン品種にもなってますが、これがなんとも沖縄県の気候化において日長反応性と温度反応性のバランスが絶妙らしく、田植えから出穂までが二期作にほどよいタイミングになるため重宝されているそうです。
単純に東北で同熟期の品種を沖縄に持っていっても『ひとめぼれ』より晩生化してしまって上手くいかないこともあるようで、『ひとめぼれNIL』の熱い要望が…あるとかないとか石垣島の試験場から聞いた方が居るようです。(曖昧)


平成の生産・作付上位3品種であるコシヒカリ御三家(『ひとめぼれ』・『あきたこまち』・『ヒノヒカリ』)の一角であり、平成3年の登場以後、『ササニシキ』に耐倒伏性・収量に勝り(ちょっとだけだけど)、中でも平成5年の大冷害後は「極強」の耐冷性を売りに転換品種としてその作付面積を一気に増やしました。
(我らが山形県の『はえぬき』が作付を伸ばせなかったのはこいつのs…)
おかげで「ポスト・ササニシキ」と書かれることが多いのですが、それはあくまでも単純な作付でのこと。
平成22年に本当の意味でのポスト・ササニシキ品種『東北194号』(商品名「ささ結」「いくよちゃん」等)が『ササニシキ』と『ひとめぼれ』の交配から生まれています。
なお、稲の耐冷性は進化(?)を続けており、「極強9」~「極強11」のさらに強い耐冷性を持つ品種が見いだされたことから、2015年以降はこの新しい3ランクを含めて耐冷性基準の見直しが行われ、最強格であった旧「極強」は現行ランクで「強」となっています。


『コシヒカリ』より栽培が容易な彼女は、柔らかく冷めた後でも美味しいと評判です。

稈長は試験時に約80~82cmで『ササニシキ』よりやや短い「やや長」で、耐倒伏性も少し改善して「やや弱」となりました。
一穂穎花数が少ない偏穂数型で、育成地(宮城県古川)における「中生の晩」の品種です。
奨励品種決定試験時の収量は577kg/10aで、当時の主力『ササニシキ』より約1割増しとなっています。
玄米千粒重は21.5~22.0g程度で『ササニシキ』(19.5~20.0g)よりやや大きいです。
最大の特徴である障害型耐冷性は育成当初は最強級である「極強」で、平成27年(2015年)に行われた耐冷性基準改定により「強」となりました。(強さ自体は変わっていません)
当初の育種目標で想定されておらず、両親ともに弱いので当然ですが、葉いもち抵抗性は「やや弱」、穂いもち抵抗性は「中」とそれほど強くないです。
いもち病真性抵抗性遺伝子型は【Pii】と推定されています。
穂発芽性は「難」と先代『ササニシキ』より強くなりました…というよりこれは『コシヒカリ』譲りの特性ですね。


米だとわかってもらえない? 改革の発端となった娘

平成以降全国二位の作付面積の『ひとめぼれ』。
お米に少しでも興味がある方なら『ひとめぼれ』と聞いて、その名前に違和感を覚えるような人はいないでしょう。

しかし命名された平成3年(1991年)、公募で集まった四万通近い候補の中から『ひとめぼれ』の名称が発表された際
「なんだこの名前は?」「これが米の名前!?」
と、批判を受けたのはご存じでしょうか?(要は猫にポチと名前を付けたような違和感…なのかな?)
試験場のある宮城県古川市内には「こんな名前つけてバカにするな。もっと米らしい名前を付けろ」なんて趣旨のビラが張り出されるまで至ったというから…そうとう当時としては異色の名前だったことがうかがえます。

当然、発表に至る前の検討段階でも
「こんな『ひとめぼれ』なんて名称では消費者に米だとわかってもらえるはずがない」
との反対意見も根強かったとか。
そもそもそれまでは国の農業試験場が(国費で)育成した品種はカタカナで5文字以内(ただし『水稲農林52号』以降)、道府県育成品種にはひらがな・漢字での命名が慣例となっており区別されていた、と言われることが多いです(一部例外はあるような?)。
しかし昭和59年(1984年)に秋田県の『あきたこまち』、平成元年(1989年)の『きらら397』と、”米が商品である”ということを意識した、当時としては革新的な名前が付けられるようになり始めた時代でした。
そして稲作というもの自体が大きく変わり始めていたこの時代、”伝統的である”ことを廃し、消費者へのイメージ等を考慮して、農林ナンバーズ品種が平仮名で命名されるに至ったのでした。

(ただし、単純な番号順では『水稲農林309号』である『彩』(北海道)が一番最初にカタカナ名以外になった品種です。)


育種経過

宮城県古川において、既存品種の『コシヒカリ』は良食味ながら晩生に過ぎ、稈長も長いために非常に倒伏しやすく、栽培上の欠点を抱えていました。
が、昭和55年(1980年)の冷害の被害調査において、この『コシヒカリ』は耐冷性も最強に近いことが判明します。
相次ぐ冷害への対策として、この耐冷性に優れかつ極良食味である『コシヒカリ』を改良した品種の育成が計画されます。

しかしながら良食味を維持しながら耐病性、耐倒伏性の両方を一度に改善するのは非常に困難と判断され、まずは『コシヒカリ』の耐冷性・良食味を維持したまま倒伏性の改善のみに的を絞ることとしました(一応早生化も)。

つまり『ひとめぼれ』の育成は当初はあくまでも中間母本。
この後、さらに別品種と交配して耐病性の改善を図るための”素材”が想定されていた…というのは平成の普及状況から考えるとちょっと意外ですね。
ちなみに、事実『ひとめぼれ』の育成完了後、次は耐病性の改良を開始し『まなむすめ』が育成され、良食味・耐冷・耐病・耐倒伏に優れた品種として宮城県で普及しました。…が完成されたはずの『まなむすめ』はその途中段階でしかないはずの『ひとめぼれ』の作付面積にまるで及びません。
品種の普及と言うのが単純な品種の特性だけでは決まらないという良い例でしょうか。


兎にも角にも、話を戻して
交配親に選定されたのは『コシヒカリ』と『初星』。

◇母本の『コシヒカリ』は言わずもがな、極良食味で知られた品種ですが、前述したとおり障害型に対する耐冷性も最強(当時基準)クラスです。
耐病性の低さ、そして宮城県では晩生にあたる点が難点とされていました。

◇父本に選ばれた『初星』は、これまた『コシヒカリ』の子品種。
中生で短・強稈と倒伏性に優れ、食味・耐冷性は『コシヒカリ』と同等という評価でした。

先にも述べた通り、今回の育種目標で耐病性の改良は入っていない為、母本・父本共にいもち病には弱い品種となっています。
半ば戻し交配のような形で、本当に改良点を絞った育種を狙っていたことがうかがえます。

昭和57年(1982年)7月、上記の交配組み合わせで人工交配を行い、80粒の種子(『古交82-31』)を得ます。
同年8月から12月にかけてF1世代(雑種第一代)の13個体を温室で世代促進。
翌昭和58年(1983年)4月から7月にかけて、F2世代1,500個体を同じく温室で世代促進。
同年7月から10月にかけてF3世代1,300個体について最後の世代更新。

昭和59年(1984年)F4世代からはほ場にて栽培、個体選抜を行います。
ほとんどが『コシヒカリ』によく似ており、晩生で稈長が長く、倒れやすい品種が多かったそうです。
1,300個体を播種したものの、圃場での選抜の結果残ったのはわずか76個体。
さらに、玄米品質を調べるとこれまた光沢不良で品質が劣る個体が多く、この選抜でさらに36個体まで絞られます。

昭和60年(1985年)に入り、昨年の36個体を36系統(『106』~『141』)として「1系統1株法」を用いて耐冷性検定を実施。
ほとんどの系統が「不稔歩合11~20%」の『トドロキワセ』級との判定となり、後の『ひとめぼれ』となる系統もここに含まれています。(残りは1~3系統が「1~10%」、「21~30%」となりました。)
このF5世代36系統はほ場での選抜は行わずすべて収穫した上で、室内において玄米の外観品質調査と食味試験を実施。
その結果に加え、特性調査成績、葉いもち抵抗性検定成績並びに耐冷性検定の結果を総合して、12系統を選抜します。(この中の『137』が翌年の『86P-11』に)

昭和61年(1986年)、F6世代を12系統群(『86P-1』~『86P-12』)とし、各系統群3系統の計36系統として養成。
そして、ここで一種の転機が訪れます。
~四コマ 86P-11物語(短い)
千葉県から古川農業試験場にある依頼が舞い込みます。
千葉県の早期栽培地帯において、農家が早植しすぎるため、低温障害に遭って障害不稔が多発しており、その対策として、耐冷性が強く品質・食味が良い品種の配布を要望されます。
耐病性・耐倒伏性には多少問題があってもよい…とのことから、中間母本として育成中であったこの系統に白羽の矢が立ちました。
なお、早期栽培地帯で安定した生産を行うには、育成地である古川試験場で問題がないから良し・・・とはいきません。
高温条件下でも生育や品質が安定し、穂発芽しにくいなどの特性が必須です。
したがって、単なる育種素材から実用品種としての育成に視点を変え、これらの特性を重視した選抜が行われ、6系統群12系統が選抜されます。(この中の『86P-11』系統群の『3』系統が後の『ひとめぼれ』で、翌年に『東299』となります。)
翌昭和62年(1987年)F7世代の系統適応性検討試験では、『東295』~『東300』の6系統を東北南部以南に重点を置き、福島県、千葉県、新潟県(上越市)に配布しています。

と、いう訳で
耐倒伏性・耐病性を改善した『コシヒカリ』級の良食味米、それを育成するための中間母本として育成されていた『コシヒカリ』×『初星』系統は、ここで東北南部以南の早期栽培地帯に適した耐冷・良食味品種として選抜・試験を受け、優秀な結果を残した『東299』系統に『東北143号』の系統名が付されます。

昭和63年(1988年)F8世代は各県の奨励品種決定調査に配布されます。
奇しくもこの年、東北地方中部以南から関東地方の太平洋側では1980年以上の大冷害に見舞われます。
その様な年に遭って『東北143号』は対照品種の『ササニシキ』、『初星』より明らかに被害が少なく、しかも炊飯米の食味も極めて良好とあって、一躍注目を集めることになります。

その後、平成2年(1990年)までの3年間、奨励品種決定調査を経て東北中南部から関東地方の各県で奨励品種に採用されることになります。

平成3年(1991年)、(古川試験場が国の指定試験地なので)『東北143号』には『水稲農林313号』の登録番号が付され『ひとめぼれ』と命名されます。
同年、岩手県、宮城県、福島県の3件で奨励品種に採用され、普及。
翌平成4年(1992年)は千葉県、茨城県、栃木県、群馬県、山梨県、静岡県、大分県の各県で採用。
翌平成5年(1993年)には鳥取県で奨励品種で採用されました。

平成5年の大冷害、その時の『ひとめぼれ』の普及率は岩手、宮城、福島で全作付面積の20%程度でしたが、『ササニシキ』に代わったことで軽減された農業被害額は250億円にも上ると言われています。
その後日本全国で普及が進み、『コシヒカリ』に次ぐ日本第二位の米となりました。

最後に
実は、当時としては日本の二大品種である『ササニシキ』を要し、『新潟コシヒカリ』にライバル心を燃やす宮城県としては、コシヒカリ系統に属する『東北143号』を積極的に奨励品種に採用する気は無く、絶対的な存在である『ササニシキ』がある以上、「他の品種などいらない」という声が上がるほどでした。
しかし岩手県と福島県では『ササニシキ』の不適地で「『東北143号』でいいから出してくれ」との声が根強く、奨励品種に採用するというので仕方なく追随した…らしいです。

千葉県からの依頼があり、そして国の試験場として日本の各地で試験が行われたこと、そして客観的に”優秀である”という評価を受けられたことが、ただの中間母本に過ぎないはずだった『ひとめぼれ』の運命を大きく変えたと言っても過言ではないでしょう。
でもやっぱり器用貧乏感が…(私見)


系譜図



東北143号『ひとめぼれ』系譜図


参考文献(敬称略)

〇水稲新品種「ひとめぼれ」:松永和久
〇水稲の穂ばらみ期耐冷性遺伝子源の解明と耐冷・良質・良食味品種「ひとめぼれ」の育種:宮城県古川農業試験場研究報告
〇きらら397誕生物語:佐々木多喜雄




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