「広島雄町」「広島県産雄町」
皆さんはこれを聞いて「どの品種」を思い浮かべているでしょうか?
広島県で栽培されている「雄町」ですか?
広島県オリジナルの雄町系統品種ですか?
酒米ハンドブックをきちんと読んでいる方なら『改良雄町』と言うでしょうか?
広島県オリジナルの雄町系統品種ですか?
酒米ハンドブックをきちんと読んでいる方なら『改良雄町』と言うでしょうか?
私も長らくこの通説(広島県産「雄町」=『改良雄町』)を信じていたのですが、日本酒業界のザル運用は令和現代においても…まぁ普通に今でも健在でしたね。短稈渡船やら亀の尾やらのように、「お気持ち」だけで事実を捏造するのはお家芸です。
『雄町2号』に関しては、酒造業界における解説は年々感情化(劣化)してきており、さらに輪をかけてちゃんと判別も解説もされていない「広島雄町」に、令和6年度大きな動きがあったので解説(でもほぼ推測)したいと思います。
『雄町2号』に関しては、酒造業界における解説は年々感情化(劣化)してきており、さらに輪をかけてちゃんと判別も解説もされていない「広島雄町」に、令和6年度大きな動きがあったので解説(でもほぼ推測)したいと思います。
「広島雄町」を名乗ってる酒蔵さん
盛川酒造の「白鴻 純米吟醸 広島雄町」
山岡酒造の「いい風 純米大吟醸 広島雄町」
他に知ってます?
目次
1.現代雄町『雄町2号』の系譜
現代において「雄町」として流通しているものは基本、大正から昭和初期にかけて岡山県立農事試験場が在来種、純系淘汰種の中から選抜を重ねた『雄町2号』です。
『雄町2号』は、大正3年(1914年)に岡山県立農事試験場において、在来の『雄町』を母体とした「第1次選抜(純系淘汰)」が開始されたことに始まります。
まず大正3年に収集種子から「甲」系統として1,200株が栽植され、その中から優良な110株を選抜。翌大正4年にはそれらを系統ごとに100株ずつ栽植して調査を行い、20系統まで絞り込まれました。大正5年からは普通栽培による収量比較試験と各種調査が並行して実施され、選抜はさらに進んでいきました。
大正6年からは、地方委託試験を含む系統比較試験に供試され、大正7年(1918年)には生産力検定試験において、後に『雄町2号』となる『雄町甲48号』が育成を完了したと見なされました。
その後、大正8年にこれまでの試験成績から『雄町甲48号』が原種として決定され、大正9年(1920年)には系統番号の「甲48号」を改正番号の「2号」へと改め、『雄町2号』と改名されて正式な原種配布が開始されました。
昭和期に入ると、昭和5年から他の純系淘汰品種(4号、288号、92号、98号)との間でさらなる選抜試験が実施されました。その結果、昭和12年(1937年)に『雄町2号』が最終的な原種として定められ、現在まで栽培が続けられる唯一の系統となりました。
つまり、現在私たちが「雄町」として目にしているものは、この選りすぐられた単一の血統である『雄町2号』の末裔ということになります。
残念ながら「人の手が加えられていない」わけでもなく「160年前(令和8年現在視点)に発見された原生種」でもありません。
人の手が加えられ、大正7年に育成された品種です。
2.島根県の『改良雄町』(純系淘汰では無い)の系譜
一方、島根県で育成された『改良雄町』は、在来種から選ばれた純系淘汰品種ではありません。
『改良雄町』は、昭和26年(1951年)に島根県農事試験場赤名分場にて、脱粒しやすい欠点を持つ『早生雄町(比婆雄町)』を母本とし、多収・脱粒性難の『近畿33号』を父本として交配されたことに始まります。
翌昭和27年から雑種後代の養成と選抜が開始され、昭和29年には雑種第3代として酒米品種の育成淘汰試験に供試されました。その後、昭和32年(雑種第6代)からは生産力検定試験や特性検定試験が本格化し、複数の有望系統の中から、特に心白が明瞭で良質な系統が絞り込まれていきました。
昭和33年(雑種第7代)からは島根県本場の試験にも供じられ、見た目の草姿や病弱さへの厳しい評価を受けつつも、圧倒的な多収と品質の高さが再確認されます。そして育成最終年となる昭和34年(雑種第8代)、現地試験での極めて良好な成績をもって育成を完了し、翌昭和35年に島根県の奨励品種として採用されました。
この育成経過において、広島県側の記録では「昭和27年交配」とされるなど一部の記述に揺れは見られますが、島根県側の一次資料を辿れば、足掛け9年にわたる選抜を経て、昭和34年に育成を完了したことが明確に示されています。
なお、大正時代は純系淘汰育種された雄町系統で『改良雄町』が複数存在していましたが、今回は割愛します。
3.広島県で「雄町」扱いされてきた?『改良雄町』
さて、本題です。
上記のように『雄町2号』と『改良雄町』は全く違う品種です。
ですが、広島県では長年、この島根県育成の『改良雄町』を「広島雄町」(もしくは「雄町」)という呼称で流通させてきた…というのが通説でした。
これは酒米関係で一番有名な「酒米ハンドブック」にも記載があります。
そして実際、農産物検査法の産地品種銘柄で広島県の醸造用玄米の登録は令和5年産およびそれ以前は「雄町」のみでした。
一方で広島県(行政/農業試験場サイド)では奨励品種や県内酒造メーカーの意識調査で『改良雄町』のみについて記載しており、『雄町2号』には一切触れていないことからも、
広島県では品種『改良雄町』を、産地品種銘柄上だけ「雄町」として扱っている
これは客観的にも事実認定してよいと私は判断していました。(過去形)
「雄町の生産の95%が岡山県産」と解説している雄町関係の記事(残念ながら日本酒系サイトの大半)は、この基本的通説すら把握できていない実にお粗末※なものなのですが…
そんなお粗末は放っておいて
この通説に基づいて「”広島県産雄町”や”広島雄町”は『改良雄町』のこと」だとするサイトも少数ですがみられます。(かつての私も)
※産地品種銘柄で「広島県産雄町」を『雄町2号』扱いすると岡山県産の割合が95%、だが、上記の事実を考慮すれば広島県産は『改良雄町』なので、統計から省くべきだろう。すると『雄町2号』の岡山県産の割合は”98%以上”となる。「雄町好き」を自称する割に他品種との区別すらついていないのはあまりにも中身空っぽでは?というかそもそもこういうあいまいなところを日本酒専門メディアとか名乗ってる人たちがはっきりさせるべきなのに情報源酒蔵で情緒にばっかり走るから(略)
4.広島県育成?の昭和の奨励品種『広島雄町』
なお、『広島雄町』という名前の品種も実在します。(「広島県立農事試験場五十年史」に記載)
現存しているかもわかりませんし、これを復活させて栽培させている可能性は限りなく低いとは思いますが、ネタとして。
上記五十年史によれば
大正15年から広島県立農事試験場で岡山県産『雄町』の中から純系分離開始。
昭和8年から奨励品種に採用された晩生品種。
…らしいんですが、該当年度の広島県立農事試験場業務功程を確認しても、純系淘汰の育種に「雄町」系の記載はありませんでした。
ただし、昭和9年度の原種配布に『広島雄町』が追加されていることは間違いないので存在していたこと自体は間違いありません。
記録しない、記録漏れ、後年の勘違いはいわゆる「あるある」なのでもう少し調査すればはっきりするかもしれませんが、広島農試の記録はわかりにくくて読むのにカロリーがいりそうなので後日です。
なお同時期の業務功程に『広島雄町2号』も記載されていたり…つまりこれが純系淘汰同系なのか?
交配育種後代のような気も、『船木雄町』後代のような気配も…
交配育種後代のような気も、『船木雄町』後代のような気配も…
まぁ今のところ育種経過は不明です。
5.令和6年度産の銘柄改正
さて、令和6年の農産物検査法に関わる検査数量で大きな変化がありました。
広島県産に「雄町」と「改良雄町」が設定され、別個に検査されるようになったのです。(正確には「改良雄町」が追加され、既存の「雄町」はそのまま継続)
ここで考えられる可能性は二つ。
一つは、令和6年度から新たに広島県で『雄町2号』の栽培を始めるため、『改良雄町』と区別するために急遽これを産地品種銘柄に設定したという可能性です。
そして憂慮すべき可能性のもう一つは
広島県が『雄町2号』と『改良雄町』を区別せず、長年にわたり「広島県産雄町」として混同して検査・流通させており、何らかの理由で区別しだした可能性です。
もしそうであれば?
「広島雄町」「広島県産雄町」言いながら全く別の2品種のどちらを使用しているかもわからないということです。
根本的に物理的な品種管理すらなされていなかったことになり、ブランドの根幹を揺るがす重大な失策です。
いずれにせよ、広島県の「雄町」は、品種の実像よりも名称の利便性を優先したザル運用であったと言えるのです…が
まだ通説通り『改良雄町』を一括して「雄町」と呼んでいた、ならまだわかるのですが
産地品種銘柄上も全く別々の品種を混同して扱っていたとしたら相当やばいのでは?
農産物検査結果(単位:トン)
| 産地品種銘柄/年度 | R1 | R2 | R3 | R4 | R5 | R6 | R7(速報値) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 広島県産雄町 | 139.519 | 112.679 | 60.002 | 74.424 | 94.145 | 13.179 | 6.21 |
| 広島県産改良雄町 | - | - | - | - | - | 75.453 | 80.762 |
この推移を見る限り、少なくとも従前の「広島県産雄町」の大半が『改良雄町』だったことは明らかで、通説はある程度正しかったといえるでしょう。
問題は「広島県では以前から雄町2号と改良雄町を区別していなかったのか?」というところです。
6.見えてしまった混同の真相
さて、では変更の理由は何なのか見てみましょうか。
産地品種銘柄の変更・追加に当たっては関係者・有識者を交えた意見聴取会が開かれており、その議事録は公表されています。
というわけで広島県が属する中国四国農政局が公開していた「令和6年産広島県産農産物銘柄設定等意見聴取会議事録」における申請理由を見てみましょう。
というわけで広島県が属する中国四国農政局が公開していた「令和6年産広島県産農産物銘柄設定等意見聴取会議事録」における申請理由を見てみましょう。
「改良雄町」の申請理由広島県の奨励品種である「改良雄町」を産地品種銘柄として登録することにより、奨励品種と産地品種銘柄の統一を図り、併せて「改良雄町」の生産振興を図ることを目的として、「改良雄町」を産地品種銘柄として登録することを申請するものです。
…はい。
このほかの部分も読みましたが、これ以外は『改良雄町』設定について何も言及がありません。
(今更ながら)「奨励品種名と統一する」としか言っていないということは、少なくとも表向きは新規の『雄町2号』栽培開始が原因ではないということです。
つまり、令和6年産からしれっと現れた「広島県産雄町」「広島県産改良雄町」両者はもともと「広島県産雄町」に内包されていたということになります。
これだけのことで決めつけるのか、とでも言われそうですが
むしろ「産地品種銘柄の名称を誤解を生みかねない通称で通してきた」という異色というか違法に近いことをやっていたことは紛れもない事実です。(『雄町2号』と『改良雄町』は明確な別品種ですから)
そんな「広島県産雄町」が、具体的言及は何一つないのに「基本ルールの”単一品種”は守っていた」と解釈する方が無理があるでしょう。
ということでそんな広島県性善?説で話を進める理由も根拠もないので、この理由と検査数量の推移を見る限り「今まで広島県は平然と複数品種(改良雄町と雄町2号)を混同してきた」ということになるでしょう。
昭和の時代は諸々法的にもザル運用が通じた時代ですからその名残といえばそうなのでしょうが…
7.最後に(日本酒業界は結局何を使ってたの?)
私が危惧しているのは、本来こうしたザル運用を厳しく指摘すべき専門(日本酒系)メディアや有識者が、一緒になって「情緒」の側に立っていることです。
事実を検証せず、系譜を無視し、ただ流されるままに「歴史上の慣例」「幻の酒米」などと物語を補強している様子が多々見られます。これは「身内の甘やかし」…かどうかは知りませんが、ザル運用が常態化している証左でしょう。
こんな調子では巷で「広島県産雄町」や「広島雄町」使用を謳っている蔵は『雄町2号』を使っているのか『改良雄町』を使っているのか、明示できる人が酒蔵自身も含めて存在するのか非常に怪しいものです。
「雄町サミット」などといった行事も大々的には開いていますが、生産量の認知すら怪しい状況で果たして本当に「雄町を使用した日本酒」だけなのかも怪しいと言わざるを得ません。(本人たちは使用しているつもりなのでしょうけど)
私のこういった記事に来る批判も、ほぼ情緒によるものです。
違う根拠は散々示しているのに「なんで同じと言っちゃダメなの?」「そんな細かいこと言わなくたっていいじゃん」といった感じです
所詮私は個人活動ですから、必然人脈もかけられる時間も限られています。(問い合わせも無視されることが多いですし)
問い合わせる相手も繋がりも多いはずの「専門家」には是非是非真相を明らかにしてほしいものです。
これがとんでもない杞憂ならよいのですが、『八反錦1号』と『八反錦2号』の区別もついていないような人たちの言う「私は違うと思う」などという言葉は、何の役にも立ちませんのであしからず。
参考文献
〇令和6年産広島県産農産物銘柄設定等意見聴取会議事録:中国四国農政局
〇広島県立農事試験場業務功程大正15年度~昭和9年度:広島県立農事試験場





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