2021年10月2日土曜日

【酒米】広酒2号~八反錦1号~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『広酒2号』
品種名
 『八反錦1号』
育成年
 『昭和59年(西暦1984年)』
交配組合せ
 『八反35号×アキツホ』
主要生産地
 『広島県』
分類
 『酒米』

八反錦1号だよ。名前をちゃんと書いてもらえることは少ないかな?



どんな娘?

日本三大酒どころの一角(なのかな?)、広島県で代々酒造好適米っ娘のまとめ役を務める“八反“の正当後継者(昭和最終期~平成)。
就任当初の広島県下の酒造好適米っ娘は改良雄町に八反35号と先輩格ばかりであったが、それでも物怖じせずに役を勤め上げた肝っ玉の太さと大胆さを持つ。
ただ先代八反35号に比べてより優秀ながら、ある一面病弱になったので日々体調管理に気をつけているなど、繊細な一面も見せる。

平成に入り後輩も増えたが、最近はそんな後輩も生意気になり、昭和生まれをいじられているとか・・・
妹は県外に行ってしまったが(でも実はこっそり広島県下に?)、姉妹品種らしく以心伝心で意思の疎通に支障はない。


概要

広島県八反シリーズ、『八反錦1号』の擬人化です。

この品種名は“良質「広島八反」の流れをくみ、あでやかにグレードアップした珠玉の酒米というイメージ”を表しています。
そして、”県北の秋を豊穣の錦で飾りたい”という願いを込めて命名されました。

吟醸香高く、温雅な吟醸味を備えた優良酒が出来ると育成時に評されました。

さて、酒米「広島八反」で古くから有名?な広島県。
ただこの「広島八反」、稲の品種を判別しない(できていない)酒造業界では毎度恒例ではありますが、在来の『八反草』(と、おそらく純系淘汰育成後代複数種も含む)、『八反10号』、『八反35号』等、様々な品種を一緒くたにした呼称です。

その中でも昭和後期の時点で奨励品種となっていた『八反35号』について、酒米として優秀であると評価されてはいたものの、栽培面では耐倒伏性が弱く、穂発芽も脱粒もしやすい為に収量面でも難があり、実需者(酒造)側からはやや小粒で、吸水性も悪いとの声がありました。
良質、安定、多収である酒造好適米品種が望まれる中、育成されたのがこの『八反錦1号』です。
ただこの『八反錦1号』、稲の品種を判別できていない酒造業界では毎度恒例ですが(天丼)、姉妹品種の『八反錦2号』と一緒くたに「八反錦」と呼称されていることが多いです。
むしろこの「八反錦」すら前述の「広島八反」と一緒くたにされている感まであります。


銘柄設定上、令和3年限時点で『八反錦1号』は広島県のみ、妹の『八反錦2号』は新潟県のみの栽培です。
『八反錦1号』広島県酒米先代の『八反35号』の正当な改良品種と言え、熟期がほぼ同じであるため作付けに関しても『八反35号』と入れ替わるような形で普及したものと思われます。
この『八反錦1号』の熟期では適さない広島県内の地域(東北部中山間地等標高400m以上)については、妹の『八反錦2号』が適して・・・いるのですが結果的に広島県内での検査数量は平成18年を最後に公式には無くなってしまったようです。
山形県の『どまんなか』と同じ運命を感じます。(個人談)

・・・本当になくなったんですよね?これ
『八反錦2号』も『八反錦1号』と同じようなもんだろ、とかいういつもの酒造業界の俺様ルール発動しているわけではないんですよね?
と言うのも、『八反錦2号』の最終検査年H18にも約190tもの検査数量がある&次年H19に残った『八反錦1号』の検査数量が約140t増えているのが気になるんですよ・・・
いや単純に『八反錦2号』減った分だけ切り替えて『八反錦1号』を増やした、というだけなら良いんですけども・・・
『改良雄町』を“雄町”の名前で売ってる広島県なので余計怪しいところです。
酒蔵とかそもそも“八反錦”としか表記してませんしね。

育成当初は広島農試で「極大粒」と称されていますが、千粒重26g(育成時)は酒造好適米の中では小さ・・・くはないんですが「極大きい」とも言えない部類に入ります。(『八反35号』の25gから見れば充分大粒化したのですが)
また心白が大きく、腹白も多いため搗精時に胴割れが発生しやすく、高度精白が難しいとされます。(大吟醸造りが難しい)
心白形状の発生割合は報告によって変化が大きいですが、腹白状が3~5割、点・眼状が3割、線状が1割程度のようです。
さらなる大粒・高度精白可能な酒造好適米を狙って、広島県では『千本錦』や八反系の後継として『広系酒42号』などが育成されています。(でも結局『42号』は不採用?かも?)

稈長は約85~89cmで『八反35号』より約10cm短くなり、穂長はほぼ同等、穂数はやや多く、草型は中間型とされています。
育成時の試験における玄米千粒重は約26gで、玄米品質は「上の中」と判定されました。
反収も約580kg/10a程度は出るようです。
心白発現率は80%以上とされ、大きく鮮明な心白であり、腹白や胴割れの発生は極小との当初評価です。
後年の評価として「心白が大きすぎる」と評され、腹白状や眼状が多くなってきているのではないかと管理人は推測します。
アミロース含有量は20%強程度にはなるようです。
出穂期は『八反35号』と同等ですが、成熟期は2~3日遅れ「早生の晩」です。
いもち病耐性については葉いもち・穂いもち共に「やや弱」で、唯一親の『八反35号』よりも弱くなりました。
真性抵抗性遺伝子は保有していないものと推測されています。
耐倒伏性は「中」、脱粒性は「難」、穂発芽性は「やや難」と『八反35号』に比べて大幅に栽培しやすい品種になっています。

育種経過


昭和48年(1973年)に広島県立農業試験場で『八反35号』を母本、『アキツホ』を父本として交配が行われました。(交配番号『73-2』)

◇『八反35号』
広島県において早熟でいもち病耐性に優れ(といっても「中」程度か)、米は醸造適性が優れるとされていた品種です。
反面、稈が約95cm程度と長く、やや柔らかいこともあって耐倒伏性が「弱」と劣り、穂発芽性・脱粒性がいずれも「易」で、収量性も反収450kg弱程度と高くありません。
千粒重も約25gと、酒造好適米とされる品種の中では小粒の部類に入ります。

◇『アキツホ』
農林水産省東海近畿農業試験場育成で、昭和47年5月に『水稲農林234号』に登録された、交配当時としては生まれたばかりの品種です。
収量が500~560kg/10a、玄米千粒中が約23gと中大粒・多収の品種です。
耐倒伏性「強」で中短稈中間型と倒れにくく、穂発芽性・脱粒性ともに「難」となっています。
ついでに葉いもち病耐性「やや強」、穂いもち病耐性「中」とそこそこ強い部類です。
当初の育種目標は『日本晴』並の良食味品種、という程度の立ち位置だったようですが、平成・令和現代では清酒製造の掛米用品種として用いられているようです。
奈良県では原料米を(多分)この『アキツホ』100%で作っている酒蔵もありますね。(“多分”というのは毎度酒蔵の品種名表示が信じられないからでして・・・)


この交配は母『八反35号』の醸造特性と熟期、そしていもち病耐性を保持しつつ、父『アキツホ』の多収性、大粒、耐倒伏性、穂発芽・脱粒性を導入することを目的に行われました。

同年F1世代の世代促進が温室で行われます。
そして翌昭和49年(1974年)、昭和50年(1975年)のF2~3世代は苗代集団として集団育種が行われました。
ここまでは広島県立農業試験場本場で行われました。

昭和51年(1976年)から試験場所が「三和」とだけ記載されていますが、ここがどこだかわかりません(誰か教えてください)。(広島県立農業試験場吉舎支場?)
とにもかくにも
昭和51年、F4世代からは本田選抜が始まり、この年は4,400個体の中から326個体が選抜されます。
さらに昭和52年(1977年)、F5世代は前年の326個体を326系統とし、各系統50個体ずつ裁植。
この中から58系統を選抜します。
次年度の系統設定から58系統175個体(1系統に付きおおむね3個体ずつ)を選抜したと推測されます(本当のところはわからないです)。
後に『八反錦1号』となる系統『203』からは、昭和53年に4系統が設定されているので有望な個体を各系統からランダムかつ、有望度の高い系統ほど選抜数を増やしたのでは?とも推測されます。(本当のところはわかりません)

昭和53年(1978年)、F6世代で『広酒系203』の系統名がつきました。
前年の58系統を58系統群とし、合計175系統を設定、そして各系統に付き50個体を裁植し、この中から52系統が選抜されます。
『広系酒203』系統群では『広系酒203-1』 ~『広系酒203-4』の4系統が設定され『広系酒203-4』が選抜されています。
また、この年より広島県立農業試験場本場及び現地3カ所で生産力検定試験を実施しています。
昭和54年(1979年)F7世代は、52系統群134系統(各系統50個体)を裁植し、46系統を選抜。
系統群『広系酒203』 は設定5系統の中から系統『1』を選抜しています。

昭和55年(1980年)F8世代は46系統群96系統(各系統25個体)を裁植し、17系統を選抜。
系統群『広系酒203』 は設定5系統の中から系統『1』を選抜しています。

さらに昭和56年(1981年)F9世代で、前年選抜された『広系酒203-4-1-1』に『広酒2号』の地方系統名が付されたものと思われます。
全体の選抜としては17系統群42系統(各系統25個体)を裁植し、10系統を選抜。
『広酒2号』 は設定5系統の中から系統『2』を選抜しました。
また、この年から試作圃が設定されています。
ここで生産された米を使用し、賀茂鶴酒造で大量醸造試験を実施し、醸造適性の検討を行っています。
この年(昭和56年)は60%精白米を使用し中吟醸、翌昭和57年は40%精白米を利用して大吟醸の醸造試験を実施し、吸水は良好で、精白作業性は『八反35号』と同様に容易と評価されています。
麹製造時は直糖分が多く、被糖化性も良好でアミノ酸度が低く、酒母育成時はボーメ及び直糖の減少、アルコールの生成は極めて順調で、酸度、アミノ酸度の増加傾向も吟醸酒母として優良として、いずれも『八反35号』より優るとされています。

育成最終年となる昭和57年(1982年)、F10世代は10系統群30系統(各系統25個体)が広島県立農業試験場本場で裁植され、設定5系統の中から系統『4』を選抜。
これが最終的に『八反錦1号』となった系統となります。
昭和58年(1983年)でF11世代(雑種第11代)になります。
なお、同年度『広酒3号』系統群設定4系統から選抜された系統『2』が妹の『八反錦2号』です。

唯一いもち病耐性についてだけは葉いもち・穂いもち共に『八反35号』にも劣る結果とはなりましたが、当初の育種目標であった「『八反35号』の利点を残しつつ、『アキツホ』の各種特性を取り入れた品種の育成」についえはおおむね達成したと言えるのではないでしょうか。
昭和59年(1984年)から広島県の奨励品種に採用され、同年9月に種苗法に基づく品種登録が行われました。



蛇足

『八反錦1号』の育種論文では

酒造好適米品種(心白米を指す。以下酒米と略称)

と記載されてます。
「酒造好適米=心白米」は平成に入ってからは半分死語(という死語)※になってますが、心白至上主義であるこの時代はいまだこういう認識であったという証左になるでしょうか。

※1990年代に入ってから『吟の精』や『蔵の華』等、見た目の心白発現が少ないながら醸造適性の高い品種が育成され、農産物検査でも醸造用玄米の評価が見直されるようになりました。
「公式の心白至上主義の終焉」と管理人は勝手に思っております。


系譜図

広酒2号『八反錦1号』 系譜図



参考文献

〇酒造好適米新品種「八反錦1号」の育成について:広島県立農業試験場
〇八反系品種の改良とその特性の変遷について:広島県立農業試験場
〇酒造好適米有望系統「広系酒42号」と「広系酒43号」の特性:広島県立総合技術研究所農業技術センター
〇広島県の独自酒造好適米『八反系品種』のデンプン特性及びタンパク質特性の品種間差異:広島県立農業技術センター他
〇高温登熟障害に強い多収穫酒造好適米の開発:広島県立総合技術研究所
〇広島県産米の精米特性:広島大学

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