2020年4月4日土曜日

【粳米】~大場~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『ー』
品種名
 『大場
育成年
 『文久元年(1861年) 石川県 西川長右衛門氏選出』
交配組合せ
 『巾着の中から選出』
主要生産地
 『ー』※後代の『森多早生』は山形県で栽培
分類
 『粳米』


大場「うん?うむ…大場だ、よろしくな」





どんな娘?

米っ娘たちのとりまとめ役、太夫元六米の一角。

詳細不明な上州を除き、雄町よりも古い時代の品種です。

亀の尾と共に世話役を務めています。
歯に衣着せぬ物言いで合理的判断、事実をずばずば言ってのけます。
実利主義で、何よりも成果が一番。
感情の変化はほとんど無いように見えますが、本人曰く感情を表に出すことに意味を見いだせないからだそうです。


概要

後代となる山形県の『森多早生』が非常に有名ですが、その元となったのはこの石川県発祥の『大場』と言う品種です。
とは言え古すぎてちょっと情報が少ないですね…

大正時代において
『大場』系品種群は新潟県(『新大場』)、富山県(『大場』)、石川県(『大場石2,5,7号』『大正大場』)、福井県(『福井大場1号』『変大場』)の北陸四県を中心に普及しており、一部京都府(『大場』)や兵庫県(『改良大場』)でも奨励品種に採用されています。
東北では純系後代の『東郷』系品種群が中心に普及したようであり、宮城県(『東郷一号』)、福島県(『東郷21号』)、山形県(『東郷』)の南東北で奨励品種に採用されていました。

ジーンバンクに残る『大場』は、稈長が90cm後半から100cm程度で長い部類に入り、いもち病抵抗性、耐倒伏性は非常に弱く、穂発芽もしやすい品種であったようです。
脱粒性だけは「難」となっていて、機械刈り取りの際の苦労は少なそうです。
同じくジーンバンクの『森多早生』は、稈長が90cm程度に短くなっていますが、その他の特性はさほど変わっていないようです。

ちなみにこの『大場』…の後代『森多早生』には、『コシヒカリ』全国普及に役立ったちょっとした特性があります。
『コシヒカリ』は『日本晴』よりもわずかに感光性が鈍いために、出穂が早くなっています。
それに関連している一部に【Hd16】という、光に反応する遺伝子があるのですが、日本晴型のHd16が短日になるまで出穂を遅らせるのに対して、『コシヒカリ』のHd16は光に対する反応が鈍く、比較的長日条件でも出穂が早くなっています。
この「反応の鈍いHd16」が発現したのが『森多早生』からとされており、父親の『農林1号』を通して『コシヒカリ』まで引き継がれているそうです。
ちなみに大正時代に東北地方には『大場』系ではなく『東郷』系の品種群が普及しているところを見ると、『東郷2号』の時点ですでにこの特性があった…のかもしれません。
東北地方まで『コシヒカリ』が普及出来た要因として、こんなちょっとしたことですが、大きく影響しているんですね。

また、『森多早生』に関してはもう一つの特徴「高蛋白質」があります。
『コシヒカリ』の姉妹品種(【『農林22号』×『農林1号』】交配後代)『ホウネンワセ』『越路早生』『ハツニシキ』『ヤマセニシキ』の5品種の内、『ホウネンワセ』『越路早生』『ハツニシキ』の3品種は蛋白質含量が高くなっています。
これは親の『農林1号』、そしてさらにその親の『森多早生』から受け継がれているものとされています。
食味に関しては蛋白質含量は低い方が良いとされている平成~令和現代ですが、蛋白質源として米が重要視されるような時代が来た際には、重要な遺伝資源となることが期待されます。


『コシヒカリ』との関連性


『コシヒカリ』につながる系譜としては、『コシヒカリ』の父親『農林1号』のさらに母親『森多早生』まで遡ります。
この『コシヒカリ』の父方の祖母に当たる『森多早生』は『東郷2号』の変異株を選出したもので、その『東郷2号』は『大場』の変異株を選出したものとなっています。



『森早生』じゃないです『森多早生』です

後代品種『森早生』という誤字がいまだに多いようです。
山形県から秋田県に渡る際に誤表記され、そのまま陸羽支場(国)の記録でも『森』になってしまったために結構な割合で誤表記されたままのものが目立ちます。

さらに、森屋正助氏(当時22歳)が選抜・育成したにもかかわらず「そんな若い息子がこんなすごい品種を育成できるわけがない」と、町役場の係員が育成者を父である森屋巳之助氏にしてしまったという…これもかなり広まっていますが、育成者は森屋正助氏です。

『森多早生』の品種名は森屋正助「森」と、森屋家の屋号である多郎左エ門「多」から。
ここからもわかるように、森「田」の訳がないですね


『大場』の後代は『森多早生』です。
よろしくお願いします。


育種経過

石川県では(大正時代目線で)古くより『巾着』という水稲品種が栽培されていました。
病気、害虫、風害、水害に強いとされ、山間部に適した品種として『白早生』や『石白』と言った品種のもとにもなっています。
純系淘汰で長芒・強稈・多収の『巾着石1号』と短芒・品質良好の『巾着石2号』が育成され、大正期に奨励品種となり普及しています。

時間はまた戻って
文久元年(1861年)9月、石川県河北郡大場村の西川長右衛門氏がそんな『巾着』の中から異株を発見し選出、栽培。のちにこの品種を辻川理兵衛氏が『大場』と命名しました。

石川県農事試験場もこの『大場』には注目し、施肥量が在来の他品種に比較して少なくて済み、石川県の気候に合った品質の良い米と評価されています。
純系淘汰品種も育成され、大正7年に『大場石2号』、大正9年に『大場石5号』、大正10年に『大場石7号』が生まれ、原種(現代で言う奨励品種)に設定されています。

そしてこの『大場』から明治34年(1901年)に『東郷2号』が選出され
大正2年(1913年)、山形県東田川郡余目村(現:庄内町余目)の森屋正助翁(のち多郎左エ門)により、名品種『森多早生』が生まれることになります。



系譜図

『大場』の選抜種が『東郷2号』。
その『東郷2号』から選抜されたのが『森多早生』です。
『大場』系統図


参考文献(敬称略)


◯森多早生と善石早生:菅洋



0 件のコメント:

コメントを投稿

ブログ アーカイブ

最近人気?の投稿