酒造好適米の作付け面積で昭和42年(1967年)から平成13年(2001年)まで1位を継続していたかつての酒米クイーン『五百万石』。
「かつての」と言っても、令和7年現在においても醸造用玄米の検査数量第2位とまだまだ現役で、昭和33年(1958年)の作付け開始から60年以上第一線で活躍する大物品種です。
そんな彼女の命名由来…こんな説明をよく見かけます。
「育成年の昭和32年(1957年)に新潟県の米生産量が500万石(約75万トン)を突破したことを記念して命名」
この文章、二通りの読み方ができないでしょうか?
素直に読むと、「昭和32年に新潟の米が500万石を超えた。それを記念して命名された」という意味になります。(「育成年の昭和32年に米生産量が500万石を突破」したことを記念して命名)
でも、ちょっと構文を読み替えると、「命名が行われたのは昭和32年で、その理由は500万石突破の記念だった」とも解釈できるんです。(育成年の昭和32年に、「米生産量が500万石突破したことを記念して」命名)
同じ文章でも、焦点が「米が突破した年」にあるのか、「命名の年」にあるのかで印象が変わり、由来の理解に少し曖昧さが生まれます。
(大半の人は前者の意味で受け取ると思いますので、以下ほぼ前者の意味で語るのですが…)
しかしながら、あくまでも事実は
「昭和30年(1955年)に新潟県の米生産量が500万石(75万トン)を突破したことから、昭和32年に『五百万石』と命名」
これが正解です。(しょっぱな結論)
そして 細かいところですが「約75万トン」ではなく「75万トン」です。
「500万石突破」は昭和32年(1957年)か?昭和30年(1955年)か?
昭和32年(1957年)説が広まっている最大の理由は、やはり知名度の高い書籍『酒米ハンドブック 改訂版』に載っていること、それに尽きるでしょう。
大半の人は、一次資料の確認などせず、この短い文章をそのまま信じてしまうのも当然と言えます。(批判じゃないですよ?私も3年以上これが正史と信じてましたし…)
ただ、「酒米ハンドブック」の著者がこの短文を「昭和32年に500万石突破した記念に命名」「命名が行われたのは昭和32年」どちらの意味で書いたのかはわかりません。
また引用しているサイトの運営者がどちらの意図で受け取っているのかは、はっきりとはわかりません。
ただ「酒米ハンドブック」を読んだ大半の人は「昭和32年に新潟県の米生産量が500万石を超えた」と受け取っているのではないでしょうか?
ただこの酒米『五百万石』の命名由来について、新潟日報(2009年7月8日夕刊)に新潟農試の国武氏の回想として以下のようなものがあります。
(前略)当時の北村一男知事がどうしても、自分で付けたいと言うんです。55年には新潟のコメ収量が500万石(約75万トン)を超えていました。それで北村知事は酒米「五百万石」とさせてくれと。
国武氏は育成杜氏の新潟農試の、まさに当事者、現場の人間ですから、これが正解と飛びつきたいところですが…「関係者が言っているから問答無用で正解」とするのもまた早計なのが歴史です。
しかしまぁ新潟県の統計を調べると、これが正解で間違いはないと思われるのですが…この説の根拠について仮に調べようとする人がいても、勘違いの余地は残る複雑な事情があります。
新潟県の米生産量(統計の修正と数字の複雑さ)
現在、「米の生産量」を調べようとした場合、国の「e-Stat」で過去にさかのぼって調べることはできるのですが、これは生産量に関しては昭和33年以降のデータしか掲載されていません。
つまり、今回問題の核心となる「昭和30年〜32年」の統計は含まれていないんですね。
そのため、当時の資料を調べるには新潟県個別の統計年鑑のような資料を直接見る必要があります。
昭和53年に発行された「新潟県農業経済累年統計書 昭和24年度~昭和50年度」を見てみると、以下のようになっています。
年次 | 作付面積(ha) | 10a当たり収量(kg) | 収穫量(t) | 万石換算(0.15t/石) |
---|---|---|---|---|
昭和28年 | 175,500 | 320 | 561,100 | 374万石 |
昭和29年 | 175,500 | 385 | 675,800 | 451万石 |
昭和30年 | 183,200 | 420 | 769,200 | 513万石 |
昭和31年 | 183,600 | 377 | 691,800 | 461万石 |
昭和32年 | 185,300 | 425 | 787,500 | 525万石 |
昭和33年 | 185,700 | 403 | 747,600 | 498万石 |
昭和34年 | 186,900 | 438 | 817,800 | 545万石 |
昭和35年 | 188,200 | 439 | 825,500 | 550万石 |
はい、昭和30年(1955年)に初めて500万石を超えていますね。
~終了~
…とこれで終わるわけにはいかないのです。
いえこれで間違いはないのですが、私が引っ掛かった罠についても少し触れたい…
と言うことで以下蛇足気味ですが
新潟県の統計資料として新潟県統計課が発行していた「新潟県統計年鑑」と言うものがありまして、これの昭和30年版を見ると…昭和30年の水稲生産量は推定実収高(玄米)として「4,940,700石」と記載されています。
そして昭和32年度版を見ると昭和32年の水稲生産量は「5,250,300石」との記載が。
ちゃんと昭和32年に500万石超えてるじゃないかとなるんです、これが。(添付の正誤表にも特に水稲生産量に関する修正は無し)
ここで、つい「”昭和32年に初めて突破した”で間違いない!」と思い込んでしまう人が出てきてもおかしくないわけですね。(自己紹介)
だがしかし
昭和33年度版から推定収量の表記が容積の石から重量のt(トン)に変わります。
過去の記録は玄米1石当たり0.15tで換算されているので、先ほどの昭和30年度の生産量494万石を換算すると74万tになる…はずなんですが、この昭和33年度版において昭和30年の収量は「769,710t」とされています。
この「約76.9万t」を逆算すると「約512.7万石」となり、最初にお示しした「新潟県農業経済累年統計書 昭和24年度~昭和50年度」とも矛盾しない数字となります。
では、なぜこうなるのか?
と言うと、国(農林省)が昭和25年度から行われてきた実測による耕地面積統計の確立が昭和31年にようやく完成したことに起因します。
この統計の完成により昭和30年、昭和31年の水稲の作付面積や推定実収高が後年になって修正されているんです。
この旨、農林省及び新潟県両者が発行した資料に以下のように記載されていました。
〇昭和32年発行「弘報だより」9巻28号:農林省
農林省は、昭和25年度から5ヶ年計画で、実測による標本調査を行い、耕地面積統計の確立を期し、調査を進めていた。しかし、調査の対象が広汎であり、複雑であつたため、その完成には7ヶ年かかり、昭和31年に正確な耕地面積の統計が出来上がつた(原文ママ)
〇昭和34年発行「新潟県農林水産省生産指数 昭和21~31年」:新潟県総務部統計課
注5.30、31年の米収穫高は、農林省で耕地面積の修正を行ったため、豊作という条件以上の生産数量となっているが、それ以前の収穫高は修正されていない数量である。
「国の調査」と言っても、国の職員が直接調査するわけではなく、国は県に、県は市町村に指示して、その逆順に情報を取りまとめ報告して…と言うのが常道ですから、農水省が「正確な耕地面積の統計が出来上がった」という昭和31年には、新潟県庁では修正後の水稲耕地面積を把握していてもおかしくありません。
(おそらく新潟県が自県分を調査、とりまとめ、国に報告しているから)
と、このようにいろいろと複雑に絡み合って、下手に昭和30~32年当時の統計資料で確認しようとすると大混乱となります。
・昭和30年の収量は一時期までは500万石未満、その後耕地面積統計の完成により収量修正、500万石以上に。
・耕地面積統計は昭和31年に確定した、という割には新潟県の昭和32年度版統計には反映されていない。
・昭和29、31、33年は500万石を超えないが、ピンポイントに昭和32年だけは超えている。
まぁこんな深掘りしてないで「新潟県農業経済累年統計書 昭和24年度~昭和50年度」を見ればそれで終わりなんですけどね。
耕地面積統計の修正がこの年でなければ…昭和32年の生産量が500万石未満なら…そもそもこんなに迷う必要もなかったのでしょうが『五百万石』は何とも奇妙なめぐりあわせの星のもとに生まれたようですね。
そもそも命名のタイミングから逆算して、「昭和32年説」はあり得ない
まさかとは思いますが
昭和32年も生産量が500万石を超えていることは間違いないんだから、酒米ハンドブックの表記は別に変じゃないだろ?難癖付けるんじゃないよ
とか言う人はいませんよね?
(二回目の)500万石突破記念に命名したというのもなかなかアクロバットなこじつけですが、日本語的の解釈的に否定はできませんよね。
ですが実はその解釈は無理があります。
全国農業試験場研究業績集:農業改良事業施行十周年記念や新潟県農業試験場研究報告では「昭和32年度新潟県の優良酒米品種としてみとめられた(原文ママ)」とされています。
”年度”というのがまたいやらしく、下手したら昭和33年1月~3月の可能性もありえそうな表現なのですが…まずそれだけは無いのです。
新潟県農業試験場研究報告は昭和32年9月25日発行ですから、そこで『五百万石』の品種名が使用されている以上、それ以前に命名されたのは間違いないでしょう。
一方、新潟県が発行したものではないので100%信じていいものか不確かですが「新潟県総合年表昭和20年-昭和45年:新潟日報社」では
〇昭和32年(1957年)1月26日の出来事として
「県農業試験場奨励品種決定審査会、県奨励品種に(中略)酒米は『交系290号』に決定、県に申請」
〇昭和32年(1957年)4月9日の出来事として
「県農事試験場、新酒米を「五百万石」と命名して売り出す」
と記載されています。
昭和32年にはすでに「農事試験場」ではなく「農業試験場」になっていたはずですが…と言う点はさておき
これらを総合すると、昭和32年1月に農業試験場内で奨励品種として申請することが決定(この時点ではまた系統名『交系290号』)し、その後に名称を検討の上、昭和32年4月に『五百万石』と命名。
命名との前後関係はわかりませんが、昭和32年度(昭和32年4~9月までの間)に新潟県が「優良酒米品種」として正式に認定した、ということでしょう。
そう、『五百万石』はどんなに遅くても昭和32年の4~9月には命名されているのです。
(9月25日に書籍を発行するならせめて1ヶ月以上前には原稿が完成してるんじゃ?と思わないでもないですが、この場合8月でも9月でも大差ないので9月としておきます。)
そう
8月から9月はまさに稲刈りの真っ最中、そんな時期に「昭和32年度の収量」なんてものが確定するはずがないんです。
大雑把な推測や予測なら立たないこともないでしょうけども、そんなあやふやなものを根拠に「新潟県の米生産量が500万石を(二回目)超えそうだから記念に命名したい!」なんてやるでしょうか?(それで到達しなかったらどうやって収集付けるんだろう…そもそも二回目だし?)
ましてや「新潟県総合年表昭和20年-昭和45年」を信じるなら命名されたのは昭和32年4月9日です。
せいぜい苗づくりしかしていない、田植えもしていないタイミングで「昭和32年の米生産量が~」なんて話があり得るでしょうか?
統計を調べるまでもなく、命名のタイミングからして収量が確定するわけがない=「その年の収量を命名根拠にした」はあり得ないという結論が導けたわけですね。
蛇足:「昭和32年に500万石突破」の元凶()は?
酒米ハンドブックの記載が「昭和32年に新潟県の米生産量が500万石を突破した」といういう意味合いで書かれたとの前提でお話しします。
ここまで解説してきたように、新潟県の米(水稲)生産量が初めて500万石(75万トン)を超えたのは昭和30年(1955年)であることは間違いありません。
では、だれが「昭和32年に新潟県の米生産量が500万石を超えた」と言い出したのか。
そしてそれが酒米『五百万石』の命名由来だと言い出したのか。
まさか酒米ハンドブック著者副島先生が創作したわけでもあるまいし(多分)、何か元凶()があると思われます。
と言うことで、それらしい表現を調査中に見つけてました。
昭和40年(1965年)の日本醸造協会雑誌です。(また日本酒業界かよ)
新潟県醸造試験場の職員?(やっぱり日本酒関係者かよ)の2名が著者の「新潟県の酒」という記事でこう書かれています。
本県が日本一の米産県であることは説明を要しません。生産量はすでに500万石をこえ(その年、好適米指定をうけた交系290号は500万石と命名された)(原文ママ)
まずこの記事、一貫して品種名の『五百万石』を「500万石」とか書いているのが本当に気に食わないんですが
「新潟県の生産量が500万石を超えた年に酒米『五百万石』と命名された」とまさに冒頭の解釈通りの記載がされています。
おそらくこれが元凶で、酒米ハンドブックもこれを参照した、もしくはこれを引き継いだいずれかの情報を参照したのではないでしょうか。(無論、私が見つけた最古の記載がこれってだけで、これが最初と決めつけることはできませんが)
でも何度でも言いますが、『五百万石』は昭和32年の4月(~9月)には命名されているんですよ。
苗づくり程度しか始まっていない、田植えなんてしていないそんな時期にどうやって「今年(昭和32年)の米生産量が500万石を突破したぞ!」なんてことが言えるんですかね?(ありえないですよね)
伝聞とは誠恐ろしい…
ただまぁ『五百万石』の育成経過の報告書が当時の記録と全く整合性が無いなど、新潟県農業試験場も相当いい加減なので、これの震源地を日本酒業界とするのはやはり軽率でしょうか。
(改めて)まとめ
新潟県の醸造用玄米品種『五百万石』命名の由来は
「昭和30年(1955年)に新潟県の米生産量が500万石(75万トン)を突破したことから、昭和32年に『五百万石』と命名」
酒米ハンドブックをはじめとして、巷で広く語られている
「育成年の昭和32年(1957年)に新潟県の米生産量が500万石(約75万トン)を突破したことを記念して命名」(昭和32年に新潟の米が500万石を超えた。それを記念して命名された)
は誤り(もしくは誤解を生む表現)
このような表記が広まっている原因はおそらく昭和40年(1965年)の日本醸造協会雑誌に新潟県醸造試験場の職員が掲載した記事。
これは新潟県の統計情報(初めて500万石を突破した年は昭和30年)や『五百万石』の命名時期(昭和32年4~9月頃で昭和32年産米の収量が予測できない時期)を考慮しても矛盾している。
参考文献
〇全国農業試験場研究業績集:農業改良事業施行十周年記念
〇酒米新品種「五百万石」:新潟県農業試験場研究報告(8)
〇新潟日報2009年7月8日夕刊
〇統計から見た新潟県の米(昭和29年):農林省新潟統計調査事務所
〇新潟県統計年鑑昭和30~33年:新潟県統計課
〇新潟県農業経済累年統計書 昭和24年度~昭和50年度:北陸農政局新潟統計情報事務所 編
〇新潟県総合年表昭和20年-昭和45年:新潟日報社
〇弘報だより(1957年 第28号):農林省
〇日本醸造協会雑誌(1965年 第60巻 第11号)
関連記事
0 件のコメント:
コメントを投稿